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空白の10万年の真実

サルから進化した現代の人間と同じ種が誕生してから、文明が起こるまで約10万年ほど掛かっていると言われています。
この事から、過去に超古代文明があったとかって話が出てくるわけです。

関が原の合戦があったのは西暦1600年ですが、そこから当時では想像すらできなかったであろう高度な科学技術を持つ現代まではは、わずか400年しか経っていません。
それに比べたら10万年の間にまったく文明や技術の進歩が無いなんておかしいって事ですね。

しかしこれらのトンデモ理論にはひとつ抜け落ちている点があります。
文明にしろ、科学技術にしろ、それらが興ったり発展したりするには「言語」が必要だったといことです。
サルから人間に進化したばかりの頃は、当然ですが赤ん坊のように「あー」とか「うー」とかしか言えなかったはずです。
現代人は周りに「言葉」を話す人間が沢山居るので、わずか3年ほどで「言語」を習得できますが、10万年前はだれも「言葉」を持っていなかったわけですよ。
つまり空白の10万年は、「言語」を完成させるのに使われたというのが真実だと思うのです。

昔は人間の祖先と考えられていたネアンデルタール人は、実は人間とは異なる進化系統をたどった人類の亜種であり、現生人類より脳の容量が大きかったにも関わらず、なぜか滅亡してしまいました。
その一番の理由は、複雑な発音ができない口・喉の構造だったからだと言われています。
要するに「言葉」を喋れなかったために、「言葉」を持つ現生人類の先祖に負けたという事です。

人間がここまで発展するには、「言語」が必要不可欠だったわけです。
いくら脳の容量が大きくても、言葉が話せなければ自分たちより賢くない種にすら生存競争で負けてしまうという事です。
そして「言語」というのは、当たり前ですが数年とか数十年で完成できるようなものではありません。
「言語」という概念すら無い、ちょっと賢いサルの亜種だった人類が「言語」というものを完成させるのに、10万年も掛かってもおかしくはないでしょう。
この「言語」と「文字」そして「数学」という基礎が確立されたからこそ、驚異的なスピードでその後の文明や科学技術が発展するわけです。

当たり前のように言葉を喋り、文字を読み書きし、計算ができる現代人には分からないかも知れませんが、それが概念すら無い時代に0から今日のレベルまで構築していこうと思ったら、とてもじゃないけど1世代では無理だと想像できないでしょうかね?

「言葉」が無ければ「文字」は生まれないし、計算もできません。
人類は10万年かけて、複雑な情報を正確に他人に伝えられる、後世に伝えられる「言語」を構築していったのです。
それを完成させるのに、賢い人間の脳をもってしても10万年も掛かったという事なのです。
これが空白の10万年に、なにも進歩が無いように見える事の真実だと思います。

人類が世界中に進出した当時は、おそらく「ウッホ」なら「私」、「ウッホホ」なら「あなた」みたいな発音も単純で種類も圧倒的に少ない「言語」しか持っていなかったと思います。
世界各地へ散らばった人類は、長い年月をかけて黒人から白人や黄色人種といった異なる人種に見た目が環境に合わせて変化すると同時に、それぞれが独自に「言語」を発展・完成させていったのです。

そして「言語」が完成してはじめて、次の段階である「文字」や「数学」が作られ、そしてそれらを基に様々な高度な技術や学問が発展していったのです。

何事も「基礎が大事」と言われますが、その「基礎」を0から作るのが一番大変なのです。
「基礎」さえできてしまえば、あとは「応用」ですから早いのです。

これがわずか1万年だか数千年で驚異的に発展した人類の真実なのです。

魂と肉体を繋ぐ紐

不思議体験も数十年生きていて一度もした事がないぐらい霊感0の鈍いリアリストな私ですが、一度だけ幽体離脱のようなものに成功しかかった事があります。
精神的に酷く疲れていた時期という、この手の話にはお約束な前提があるのですが、寝ていた肉体を残したまま起き上がった感覚に襲われたのです。
幽体離脱にあこがれていた私は、「ついにやった!」と思って目で見るのとは違う感覚で見える自分の部屋から、外に出ようとベランダの方へ歩いて(というか浮遊して?)行きました。
あと一歩でベランダの窓という所で、急に首の辺りをものすごい力で引っ張られて寝た状態の肉体に戻されたのです。
まるで肉体と魂を繋いでいるゴム紐のようなものが、限界を超えて伸びきった反動で縮むかのように。

この体験から私は肉体と魂を繋ぐ紐のようなものが、人間にはあるのだと思うようになりました。

これは生まれる前の赤ん坊と母体がへその緒で繋がっているのと同じで、赤ん坊は生まれると同時にへその緒は役目を終えて自然と切れるのか腐るのか、ともかく無くなってしまいますよね?
これと同じで肉体が死を迎えたときに、はじめてこの魂と肉体を繋いでいる「へその緒」的なものは切れるのではないかと。
どんなにがんばっても肉体が生きているうちは、人は完全に魂を解き放つ事ができない。

ただし人の肉体には個人差があります。
この肉体と魂を繋ぐ紐が長い人、緩い人が居るのではないかと思うのです。
そういう人が幽体離脱したり、あるいは気づかぬうちに幽体となって本来見えないものを見たり、行けない世界へ行ったり、できない体験をしたりしているのではないかと。
特に肉体や精神が疲弊している時は、この紐が緩むのでないかと。
この手の話に「そのときは非常に疲れていた」みたいな事が前置きで必ず入るのも、たぶんそうなのだろうと。
私もこれ以降は幽体離脱に成功したっぽい事は経験できていません。
恐らく精神状態が以前より安定してしまったせいでしょう。
自宅警備員なので肉体は疲れようもありませんしw

まぁ普通に考えれば脳の異常動作でしょうけどね。
「金縛り」なんかもよく霊体験の前触れみたいに言われていましたが、最近の研究ではそれが脳の錯覚である事が解明されつつありますし。
ただこうやって科学的になんでもかんでも解明されてしまうと、結果的に人間死んだらそれで終わり。
魂なんてものは無いし、永遠に無の状態になるだけという悲しい結論に至りそうで、それはそれで人間の精神は耐えられそうにありません。
死後の世界がある、あるいは輪廻転生というものがあって別の人間に生まれ変わる。
そう考えた方が精神衛生上は良いと思うわけですよ。

なにせ脳神経学だかなんだかの第一人者ですら、自分が死に掛けて死後の世界と思しきものを見て以来、自分の主張を覆して「死後の世界はある!」と言い出したぐらいです。
人間の脳とはそういうもので、幻覚・幻聴と同じように自分が体験したと脳が錯覚したものは、その人にとっては唯一無二の真実になってしまうのです。
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Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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