亡くなった親族・知人・ペットに危ない所を助けられたとか、神様などにお願いしたら叶ったとかいう人が居る一方で、事故・病気・災害で亡くなる人、願いが叶わない人も居ます。
この両者の違いはなんなのでしょうか?
まず生きているものも、死んで霊になったものも、現実世界に影響を与えるようなエネルギーを持っていると考えられます。
そして生きているものは、肉体を維持したり動かしたりしなきゃならないので、霊体になったものよりこれらのエネルギーを発する余裕が無く、また発する事ができてもそのエネルギーは非常に小さいものになるでしょう。
エネルギーを発するには、強く思う事です、良いことであれ悪いことであれ。
言霊とか怨念とかもその類ですね。
エネルギーにはプラスとマイナスがあり、プラスのエネルギーは現実世界に良い影響を、マイナスは逆に悪い影響を与えます。
プラスのエネルギーは、例えば親が子に注ぐ愛情や恋人への想いなど、マイナスは恨みや妬みや殺意などですね。
自分が不幸だ、何か悪いことばかり起こるって場合は、まず日々誰かを恨んだり妬んだりしていないか、自分は不幸だ不幸だと考えていないか、何かで苦しんだり悩んだりしていないかをまず疑いましょう。
そういうものが、ひとつひとつは小さくても積もり積もればものすごいマイナスのエネルギーになりますから。
とは言っても何の悩みも無く、恨みも妬みも無い人間なんてそうそう居ません。
じゃあどうすれば良いのかと言えば、それをプラスのエネルギーで打ち消せば良いのです。
神棚や仏壇が家にある人なら、毎日それらに祈る。
祈る時も当たり前ですが「あいつをころして下さい」とかそういうマイナスな気持ちを伝えてはいけません。
「いつも守って下さってありがとうございます」という感謝の心を伝え、そのうえで助けを請うのが良いかと思います。
もしそれで願いや悩みが解消した場合は、そこで終わりにするのではなく、きちんと感謝の気持ちを伝え続けましょう。
こうする事により、自分自身から発するマイナスエネルギーによる不幸は無くなるはずです。
それとこれらはもうひとつ効果があります。
守護霊はたいていが元人間だったりある程度の大きさを持った動物です。
大きな神社で祀られてる神様には遠く及ばない、生きている人間とさほど変わらない力しか本来はありません。
しかし日々の感謝の祈りは、守護霊にプラスのエネルギーを付加し続ける効果があるので、その分ご利益というか守ってくれる力が強くなると考えられます。
逆にマイナスのお願いや気持ちばかりをぶつけると、マイナスのエネルギーが蓄積され、最悪の場合守護霊が怨霊になってしまって取り殺されてしまう危険もあります。
そんな事をするぐらいなら、何も信じず何も思わない方がマシです。
なるべく感情をなくし、日々機械的に生きるだけの方がずっと平和に暮らせるでしょう。
イタコが女性の職業なのは、女性の方が感情的で理屈で考えがちな男よりパワーを受け取るのも出すのも優れているからです。
怨霊に女性が多いのも同様の理由です。
落ち武者以外で男性の怨霊ってあまり話しに聞かないと思います。
ちなみに落ち武者でも、必ずしも悪い霊ではなく、助けられたり中には剣術の稽古をつけてもらったなんて話もあるぐらいです。
昔の日本人は日々生活の中で、見えざるものへの感謝を忘れませんでした。
朝起きたら太陽に感謝し、道端の地蔵に手を合わせ、今じゃよっぽどの田舎やきちんとした家でしかやらないお盆なども、形式的でなく心をこめて行っていたでしょう。
だから昔の日本人は生活レベルは今よりずっと低くても幸せで居られたのです。
プラスのエネルギーが満ち溢れ、外国人が驚くほど清潔で平和で温和な世界だったのでしょう。
何かの宗教に入って、形式的に毎日お題目を唱えていれば幸せになれるなんて、とんでもない間違いです。
日々ご先祖様や自然に感謝し、人を恨んだり妬んだりせずに生きていれば、特定の宗教に入信しなくても幸せに生きてけますし、守ってもらえます。
日本人の多くは無宗教と言われますが、それでも世界一治安がよく平和なのは、その伝統を受け継いでいるせいです。
もちろん宗教を否定する気はありません。
真剣に心を込めて、プラスエネルギーを発するような気持ちで祈ったりしていれば、幸せで居られるし守って貰えるでしょう。
自分たちだけが豊かになる事を目的に、他人を蹴落とし、あまつさえ戦争などで殺すことも辞さないような人々は、いくら教会に毎週通って懺悔しようが、決して幸せな気持ちになる事はないし、守ってももらえないでしょうということです。
イスラムの人も仏教の人も、あるいは他の宗教の人もこれは同じですよ。
神様にはそもそも性別なんぞ無いというのが、どこの世界のどの宗教でも言われる事がありますが、基本的には神様というのは男のイメージが強いです。
女神なんてのも居ますが、あくまで最高位の神であったり絶対神は全て男で描かれます。
対して日本は、神道の最高位の神様である天照大神(アマテラスオオミカミ)は女性として描かれる事が多いです。
つまり日本は世界でも珍しい、女神が一番偉い神様であるとの信仰を持っている国なのです。
これが日本が宗教感に大きな影響を及ぼしていると考えられます。
日本と海外の神様の印象の違いをよく表した逸話があります。
とある霊感の強い白人が居ました。
彼の家は敬虔なクリスチャンで、毎週日曜日には必ず教会へ行ってお祈りをするのです。
彼は教会に入ると、いつも天からものすごい視線を感じたそうです。
恐らく神だと思われますが、その視線は非常に厳しく威圧的でまるで鬼軍曹の前に並んでいる新兵のような気分だったとか。
そんな感じだったので、成長するにつれて自然と教会からは足が遠のいたそうです。
青年になった彼は、日本に旅行に行きました。
夏の暑い日に公園か何かで休憩をしていると、ふと何かの視線を感じたようです。
それはとてもやさしく、気持ちが安らぐもので、その視線を感じる方向から心地よい風もふいてきたと言います。
なんだろうと思ってその方向を見ると、小さな神社があったそうです。
彼はこの事により、クリスチャンを辞めて日本の神道について研究するようになったそうです。
彼の感じた優しい視線は、まぎれもなく日本が古来の宗教である神道の神様のものです。
日本と外国の神様の違いをよくあらわしたエピソードだと思います、本当か嘘かは置いといてw
神を男性、父親的存在と捉える海外。
神を女性、母親的存在と捉える日本。
父というのは、育った家庭によってイメージは違うと思いますが、大抵は厳しくて怖い存在ではないでしょうか?
日本の古来の典型的な父親像は、「巨人の星」の主人公の父親である星一徹ですw
うちの父も、ちゃぶ台返しこそしませんでしたが、すぐに手が飛んでくる怖い存在でしたw
もちろん昨今の虐待親と違って、悪いことをした時にしか引っぱたかれませんでしたし、それによって死にそうになる事はもちろん、怪我もしませんでした。
対して母親というのは、同じく「巨人の星」で言えば母親ではありませんでしたが、主人公の姉ちゃんですw
いつも木陰からそっと見守る優しい存在です。
この父親・母親の違いがそのまま神様に当てはまるわけです。
だから先のエピソードで紹介したように、外国の神様というのは自分たちの行いを厳しく見張る怖い存在であり、日本の神様はそっと見守るだけ、いたずらしても「しょーがない子ね」で済ましてくれる(かどうかはいたずらの程度によりますがw)優しい存在なのです。
だから日本は宗教的な争いが少ないのです。
今日まで続くイスラム対キリストの争いに巻き込まれないのです。
他の宗教が日本に来ても、「あら、お友達が来たのね」と言ってニコニコしながら歓迎してくれる。
外国のように、「お前なんぞにうちの娘はやらん!」と怒鳴り、殴り飛ばして追い出したりしない。
そんな感じでしょうか。
この事を裏付けるエピソードもあります。
日本にも海外と同じように宗教系の学校というのがいくつかあります。
仏教系・キリスト教系・神道系などの有名な大学もあります。
日本の神道の代表的な家系である天皇家のご子息である「眞子さま」が、国際基督教大学に入られた時に日本人もびっくりしましたが、海外はもっと驚いたようです。
あるいはキリスト教系の大学に、キリシタンでない学生や寺の息子が居たりした事も、留学生を驚かせたといいます。
海外ではこのような事はあり得ないそうです。
なぜ信者でもないばかりか、別の宗教の信者がわざわざキリスト教系の大学に入学するのか?
なぜ大学側も平気で受け入れるのか?
そこが理解できないようです。
君のとこの神様は怒らないの?と聞いた留学生も居たそうですw
はい、怒りませんw
むしろなぜ怒るのか分かりません。
たとえば寺の息子がキリスト教系の大学に入ったとしても、友達の家に遊びに行く様なものです。
そりゃテロ組織の養成校にでも行くなら話しは別ですが、大学を運営できるような大きな宗教というのは基本的にまともです、少なくとも日本においては。
だから何も問題ありません。
逆にクリスチャンが仏教系の大学、たとえば駒沢大学とかがそうなんですが、そこへ入学しても何の問題も起きません。
同じく友達が遊びに家に来たようなもので、それを宗教の違いで拒んだりしたら大問題になります。
それこそ、白人の子の家に黒人が遊びに行ったら、「お前は黒人だから帰れ」と白人の子の親に追い出されるような事と同じです。
つまり人種差別も宗教差別も根本は同じなんですね。
自分の信仰や民族に誇りを持つもの守るのも悪いことではないですよ?
ただ父親的に頑固に例外を一切認めない厳しい態度を貫くか、母親的に暖かく迎え入れるかの違いです。
自分と異なる思想・信条・信仰持つ者を友達と捉えるのか、敵と捉えるのかの違いです。
敵と捉えて徹底的に排除したり叩きのめしたりするのは論外ですし、そこまで行かないまでも説得して味方にしようとするのも、やはり争いを生みます。
そもそも黒人に、白人になれって言ったって無理ですよね?
それと同じで幼少の頃より信じていたものを、まったく別のものに変えろって言ったって無理なんですよ。
不可能な事を無理にやるよりは、気にしないで付き合った方がずっと楽ですよ。
ずっと多くの人間と友達になれるでしょ。
そういう事です。
前にも言った事がありますが、霊感とは特殊な能力でもなんでもなく、全人類が持っている能力のひとつだと思います。
その証拠となるのが、霊感が無い人でも、あるいは霊感の無い家系や父母の元に生まれた人でも、子供の頃に不思議な体験や大人に見えないものが見えたりしている事が多いからです。
強烈な印象があれば、大人になっても残りますが、霊感がある幼少の記憶なんてのは大人になれば消えてしまうので、みな自分は霊感がないし、不思議な体験もした事がないと思ってしまうだけです。
ではなぜ霊感はなくなってしまうのか?
それは現代社会で生きるうえで必要ないからです。
むしろ霊感なんぞがあると、かえって日常生活に支障をきたします。
人間は生まれた時には持っていても、大人になるにつれて失うものは霊感以外にもあるので、不自然な事ではありません。
たとえば、胎児の頃は手に水かきがあるのは有名な話です。
しかし生まれる時にはなくなってしまいます。
必要ないからです。
また日本人の赤ちゃん特有の「蒙古はん」と呼ばれるおしりの青いアザも、成長とともに消えます。
そういうのと同じなのではないかと思うわけです。
ただし完全になくなるわけではないので、見える人が居たり、あるいは普段は何も感じない人でも、何かの拍子に不思議な体験をしたりするのだと思います。
霊感というのは、恐らく進化の過程の最後の方で増えた「大脳」ではなく、原始的な脳である「小脳」に依存するものではないかと思います。
人間は「大脳」をメインに使って生きます。
理性といわれるものが「大脳」だとしたら、本能といわれるものは「小脳」だからです。
だから理性的な人間ほど霊感がないのです。
しかしながら理性的な人間でも、大脳の活動が低下し、相対的に小脳の活動が上回る場合があります。
それがたとえば酷く疲れている時、酒を飲んだ時、病気の時、そして睡眠中です。
不思議な体験の多くが、これらの時に起きるのがその証拠と言えましょう。
本来は亡くなった親族や親しい人の霊は、いつも自分の側に居て見守ってくれているのだと思います。
しかし平常時は霊もただ見守っているだけなので、霊感のない人には見えないし感じる事もありません。
霊が何か自分を助けてあげなきゃと思って行動した時に、それが不思議な体験となって現れる。
ただ霊感の無い人は、それに気づかないが、大脳の活動が低下している時は霊感の無い人でも感じ取れる。
大脳の活動が低下している時というのは、なにか辛い目にあっていたり、大変だったりする事が多く、霊の方もなんとかしてあげたいといろいろしてくれている。
それらの双方の相互作用で見える、感じ取れるのだと思います。
つまりちょっと躓いて転びそうになっても、自身の回避能力でなんとかできる、たいした怪我にならない場合は、霊も「あ、あぶない」と思うぐらいで何もしないか、そんなに強く何かメッセージを送らないから聞こえずらい。
それにプラスして大脳の活動が正常なために小脳の霊感が働かず、こちらも受け取れない。
という感じかと。
でもこれが大ピンチだったりすると、霊も強く「あぶない、助けてあげたい」と念じるし、体が異常を察知して、理性より本能という生き残るのに必要な能力の方の活動を強くするので、自然と霊感も一時的に上がり、メッセージを感じ取れる。
こんな感じでしょうか。
霊感は修行みたいなものによってもあげる事ができると言われています。
もっともポピュラーなのが「座禅」です。
「座禅」は科学的には精神を安定させる効果がありますが、精神を安定させるというのは、「大脳」の活動を低下させることで、ストレスになるような悩みや苦しみを考えないようにすることでもあります。
その結果、「小脳」の活動が「大脳」に邪魔されなくなり、小脳に依存する霊感も敏感になる。
人間の体はほぼ解明しつくされたように誤解されますが、実はまだまだ未解明の部分が多いです。
特に脳に関しては一番解明が進んでいないと言っても過言ではありません。
しかも「小脳」というのは「大脳」に囲まれた最下層部という、一番解明しにくい場所にあります。
そこに超能力だとか霊感だとかいうオカルト的な能力があってもおかしくはないし、あるとすればそこだと思います。
1.人生に絶望している高齢ヒキニートなので、オカルト話とかも暇つぶしで読んだりしている。
そんな中で「守護霊」の話しを読んだ日にみた夢。
左腕が義手の高校生ぐらいの女子が夢に出てきた。
俺に襲いかかる何かをその義手で切り裂いていたと思う。
そんでその子の義手の薬指だけ無いというか指を詰めたような状態になってて、「なんでそこだけ指ないの?」って聞いたら、左腕を失う原因となった何かを忘れないために、あえてそこだけ失った時のままにしてあるみたいに言われた。
今思うとすごい中二病思考だなw
目が覚めて思ったのは、こいつが俺の守護霊なのかもしれないということ。
2.昨日みた夢。
小・中・高と友達と行かないまでも、知り合い的だったブサメンのオタクの部屋(寮?)に遊びに行ってそのまま泊ってた。
風呂に入るためか、あるいはふざけてたのか良く思い出せないが、全裸でそいつの部屋でヒャッハーしてたら、いつ来たのか部屋に掃除機かけてるそいつの妹に出くわした。
半分夢だと気づいていたんだけど、夢の中に女の子が出てきたらエロい事したくなるのが男の悲しい性w
でもリアルの記憶では、そいつに妹が居る事は知ってたけどそんなに仲良くなかった知り合いなのと、そいつがブサメンだった事もあり、妹も「きっとブサイクだろう」という思い込みがあったのか、エロいことしたくなるような気持ちにならんかったw
とりあえず、「あ・・・」とか言ったら「何してるんですか? 早く服着てください」みたいに淡々と興味もないように言われたw
たぶん兄の裸を見慣れているので、男の裸とか見てもあんなに落ち着いているんだろうなぁと勝手に納得した。
その後になぜか俺と知り合いは共に近未来の軍隊の新兵って設定になってて、なんか反乱を起こすのに参加するかしないか今晩の決起までに決めるような状況になってた。
知り合いは参加を早々に決め込んで、集合場所に向かったが俺はどっちでも良かったんだけど、なんとなく俺も後から集合場所に向かい、そこで女性オペレータみたいな人にどの機体(なんかモビルスーツのもっと初期型みたいなやつ)に乗るかをここで決めていけといわれて、一番ポピュラーなのに乗ろうとしたら、それはもう用意された数が埋まっていると言われて、仕方なくボロい機体に乗ると自分の名前だかコードネームだかの札をその機体名が書かれた黒板のとこにマグネットで貼り付けて、どっかの旅館の宴会場みたいな広い和室の待機場所へ向かった。
そこにはなぜかリアル前職の時の課長が居て、俺の方をチラっと見て、「お前も来たのか」みたいな顔してた。
いよいよ出撃ってとこで目が覚めた。
あれは何を意味した夢だったのか、いまだにわらかんw
ちなみに俺の中ではエロゲだけでなく、リアルの体験からも妹=かわいいだったんだ、高校生になるまでは。
それというのも中学ぐらいまで仲の良い友達で妹の居る奴はみな、兄はそれほどイケメンでもなんでもないのに、妹はめちゃくちゃかわいい奴ばかりだったからだ。
でも高校で仲良くなったオタク友達の妹は、兄にそっくりだったので幻滅したのをいまだに覚えている。
よく考えたら、夢に出てきた幼馴染未満知り合い以上のそいつの妹が、それにそっくりでエロい気持ちが沸き起こらなかった気がするw
あと前職でお世話になった課長、なんで出てきたんだw
独立でもしようとしてて、そのメンバーとして俺に来てほしいとかリアルで思ってんだろうか。
まぁニートで収入ないんで、スマホも解約しちゃって連絡手段ないし、そもそもけっこう大きな娘さんが2人も居たから、独立とかいまさら危ない橋をその課長が渡るようにも思えないがw
そもそも泊った知り合いなんて、高校卒業から一度も会ってないし、そんなに親しくないし、ただ同じオタクだったので話す事は他の奴よりはあったかも程度だったんだよなぁ。
あいつも今頃どうしてんだろうな。
顔も思い出せないけど、「ティッシュ」というあだ名だけは覚えてるw
なんでもそいつが学校のトイレでオナニーしてたとかいう噂が俺らの間で流れて、オナニーの必需品であるティッシュペーパーにちなんで「ティッシュ○○(そいつの苗字)」って呼ばれてたんだけどな。
今考えても酷いあだ名だw
人間というのは、何もない空中に突然赤ん坊として現れるわけでもなく、コウノトリがどっかから運んでくるわけでもありません。
男と女がセックスしないとできません。
人工授精なんてのもありますが、それだってドクオ・毒女じゃできませんし。
つまり、レイプされてとか、風俗でとか、そういう「マトモ」じゃない状況でできた以外の多くの人間は、妊娠するまでセックスできる女あるいは男が居て、なおかつ結婚もできたって事です。
ブサイクだろうがなんだろうが、少なくとも結婚して子供ができる勝ち組遺伝子を持った両親から産まれたわけで、その勝ち組の遺伝子を受け継いでいる人間が、結婚できないとか、セックスすらできない童貞・処女って本来はあり得ないわけです。
私は男なので、女性の立場は聞きかじった科学的根拠しかありませんが、女性は男性の見た目に惚れるわけではないということ。
無論、見た目は大いに影響があるのは否めませんが、女性にはより強い子供を作るために、自分とは正反対の免疫遺伝子を持つ男性の体臭をかぎ分ける、それに惹かれる性質というか能力があるそうです。
つまりいくらイケメンでも、免疫遺伝子が自分に近い男性と、快楽のために、あるいは見た目だけでとかでセックスする事はあっても、結局結婚して子供を産むまでには本来は至らないし、そういう「ニオイ」じゃない部分で結婚してしまうから離婚が多い。
つまり男はいくら見た目を磨いても、決して変える事のできない免疫遺伝子というもので、生涯の伴侶はほぼ決定してしまうということです。
日本人は体臭が薄い民族なので、元来あまり、特に男は香水のようなものはつけなかったわけですが、化粧品メーカーの策略により、やれ臭い男はモテないとか、加齢臭だとか散々メディアで洗脳されて、最近ではそういうものを使う人が増えてしまいました。
彼女居ない暦=年齢のおっさんで、美容院は行った事ないし、おしゃれな服とかそういうのも興味ない、ユニクロかシマムラな私服しかない、そんな身だしなみ最低の私でさえ、ヒキニートになる前の会社に勤めてた頃は、朝一でシャワー浴びて、コンビニで買った男性用のボディースプレーを脇の下にちょこっとシュッシュしてから出社してたぐらいです。
別にモテようとか思っては無かったですが、最低限、臭いって言われて嫌われるのだけは防ぐ目的でしたが。
そのぐらい今の男性は体臭に気を使うわけですが、これがかえって逆効果なんじゃないかと言われているんです。
よっぽど特殊な環境じゃないかぎり、長期間複数の女性と顔を合わせる機会はブサメンでもいくらでもあるわけです。
見た目という第一印象で「ないわーwww」と思われても、ニオイで惚れさせられる機会はいくらでもあるってことです。
なので、「臭い」と思われない程度に清潔にしてれば、ワキガとかでもないかぎりはこういう男性用化粧品みたいのはブサメンは特に使わない方がいいかも知れません。
そして女性の方へですが、男性も女性と同じく見た目の第一印象は強烈です。
ブスだったりデブだったり臭かったりしたら、最初は遠ざけられます。
特に「結婚」とか考えられない若いうちはそれは顕著だと思います。
しかし男性というのは、女性が考えるより実は見た目には拘りません。
女性と違って、男性というのはとにかく少しでも多くのメスとセックスして自分の遺伝子を多く残そうとする性質があります。
なので多少ブスでもデブでも臭くても、下品な言い方ですが股を開かれたらやっちゃうんですよ。
特に酒に酔ってる時とか、本当になんでこんな女とやっちまったんだって後悔した話を友人から聞いたこともありますので。
そういう生き物なので、自分のニオイを好きになって一生好き、絶対離れないみたいな猛アタックされたら落ちてしまうんですね。
特に「結婚」を考えるような場合は。
そもそも見た目なんて歳とともにどんどん劣化していきますし、「結婚」したら美人よりもブサイクの方がかえって浮気の心配もないし、それこそ見た目じゃない部分で自分に好意を持ち続けてくれる女性の方が安心感があります。
恋人同士の時のような、無理して背伸びして相手に嫌われないようにする事を一生続けるより、素のままでも好きで居てくれる方が疲れないし長続きしますしね。
あとデブって言っても、女性の思うデブと男性の思うデブの体重差はかなりあります。
さすがに力士かよwwwって人は男性から見てもデブですが、そんな人は本当に稀で、今の日本の多くの女性は若い子からおばさんまで、デブって思える人は皆無と言ってもいいぐらいですよ。
むしろ男性としては、まぁ個人の好みもありますが、ガリガリより多少ふっくらしてたほうが良いぐらいです。
なので動物本来の本能に従って、香水の類でなく、すごくすきな体臭の男性が居たら、肉食系になってみて下さいw
男はそういう強い子孫を残すための相手を嗅ぎ分ける能力が無いので、むしろその方が有難いですし、馬鹿ですのですごく好き好きアピールされたら、よほど性格が悪い人じゃないかぎりは、嬉しいし落ちてしまいます。
人は産まれた事それ自体が勝ち組であり、遺伝子レベルで劣性なんてのは存在しない。
何十年も一緒に暮らすような相手は、見た目じゃなくて中身が一番大事。
女性は男性の体臭で相手を見つけ出せ。
男性は見た目なんて一時的なものを磨くぐらいなら、性格や仕事などの身分の安定の方をがんばる方がよい。
そうすればおのずと「結婚」できないなんて事は、本来はないって事です。
そうは言っても今のこの世の中、高度経済成長期のように稼げないうえに将来も絶望的なので躊躇せざるおえない、あきらめざるおえない状況なのも事実。
しかし人生以外と何とかなるもんで、食べるのにさえ困らなければ、旅行なんぞに行けなくとも、一戸建てに住めなくとも、マイカーなんて無くとも、私立の学校や塾や習い事に通わせる余裕が無くても、幸せになれます。
夫婦がいつまでも仲がよく、かわいい子供に恵まれて、その子がスクスク育ってくれる事以上の幸せなんてのは実は無いんですよ。
それに早く気づきましょう。
金縛りってのは、異常に疲れてたり体調が悪い時に良く起こる現象。
科学的には、脳は起きている時の状態なのに体が寝ている時の状態であると言われている。
オカルト的ではなくこの現代科学の推論なのか証明されてるのか分からないが、理屈で考えると、丁度SAOの世界の実現化につながる。
SAOというのはソード・アート・オンラインという近未来のネットゲームを題材にした架空の物語だ。
プレイヤーはナーヴギアと呼ばれるヘルメット型の端末を被る事によって、脳波に直接仮想世界の映像や音や感触を送り込まれ、また腕を動かすとか走るとかいう体への運動脳波をこのナーヴギアによって脊髄あたりでカットされ、変わりにその脳波がサーバに送られる事により、ゲーム内のアバター(自キャラクター)が動くというものだ。
当たり前だが脳が完全に寝てしまっている状態だと、夢として映像は受信できるかもしれないが、体を動かす事ができない。
夢の中で自由に動けない事がよくあるだろうが、あれと同じになってしまう。
従って脳は覚醒状態にあり、なおかつ運動神経への脳波だけ、生きるのを維持するのに必要な呼吸とか心臓動かすとか内臓動かすとか、そういうの以外は全てカットしてコンピュータに送る事になる。
この状態が、金縛りに極めて近い状態なのではないかと思うのだ。
金縛りに会うと、よく幽霊を見た、感じたってのがあると思うが、これも錯覚であると考えられる。
脳が覚醒状態なのに、体だけ睡眠時の状態という異常事態に人は恐怖を感じてしまうためだ。
またそういった話が多いのもそれに拍車を掛ける。
それらによって、覚醒状態の脳に本来は夢と同じ想像の産物である怖いイメージが、夢以上にリアルに伝達されてしまうのだ。
また私もそうだし多くの人がそうだろうが、金縛りの時ってすごい耳鳴りがする。
それも恐怖を増幅させるのだと思う。
耳鳴りってたぶん、耳からの信号は体は寝ているモードになっているのでシャットアウトしているが、脳内の音を感じる神経は起きているのと同じ状態なため、脳内の信号の動き、つまり脳波によって発生する電波音のようなものが聞こえてしまっているのではないかと推測できる。
これらを脳内の錯覚・幻覚・幻聴であって、オカルト的な恐怖を感じない人なら、恐らく金縛りで怖い思いはしないのではないかと思う。
またSAOの世界のような装置が現実世界で完成、普及して、金縛り状態が誰でもいつでも当たり前のように体験できる時代が来たら、たぶん金縛りで霊を感じるような人は少なくなるんじゃないかとも思う。
むしろナーヴギアを被ってないのに、ゲーム世界へダイブしたような幻覚を感じるようになるのではないかと思う。
ただ私自身は霊的なものがあるのか無いのかと言えば、半信半疑な面もある。
前世の記憶があるとか、異世界に行ったとか、幽霊やUFOをこの目で実際に見たとか、親族が亡くなるときに前兆を感じたとか一切ないので、信じられない気持ちが強くある。
しかし一方で、デジャヴを感じた事はあるし、そういう話をネットで見て思い出したのだが、幼少時に絶対に見たか行ったかあるいはそういう場面に遭遇した記憶があるにも関わらず、後で親に聞いたらそんな事はない、言ってないって言われた記憶がかすかにあるからだ。
あとは当たり付きの棒アイスを食べていた時に、「あ、当たったわこれ」って思って、回りの友達にも言って、本当に当たった事が何回かあったりもした。
そんな小学生の時の記憶もあるので、まったく霊的なものが無いとも思えないのだ。
あと腰が抜けるって体験もあった、霊とは関係ないがw
幼稚園の時に、夜ひとりで部屋で寝ていたら、ベランダからものすごい音がした。
オバケなのか泥棒なのか、とにかくものすごくびっくりして恐怖を感じて、あわてて母親に助けを求めようとしたが、動けないw
しかも声も出ないw
子供ながらに、恐怖を感じながらも「あー これが腰が抜けるって事かー」と思った強烈な記憶がある。
ちなみに単に強風でベランダに積んであったダンボールが崩れただけだったw
動けないといっても金縛りのように全く動けないのではなく、単に立ち上がれないだけで、ハイハイで部屋からやっとの思いで出たわけだが、声は本当に出なかった「ぁ・・・ぁ・・・」ってな感じで。
日本の交番制度は世界でも独特のもので、日本が治安が良い理由のひとつとされています。
交番は明治以降の近代化の中で出来上がったものですが、実は日本には古来より交番と同じ役割を果たしていたものがあります。
それが神社です。
神社は明治神宮や伊勢神宮など大きなものから、神主さんが居ないような小さなものまで、非常に多くのものが日本中に建てられています。
町や村といった最小単位の行政区で、神社が一軒もないところって、恐らく無いと思うんですよ。
かくいう私の生まれ育った町にも、「住吉神社」と「ぬぼこ山」という歩いていける距離に2つも、神主さんが常駐しているそこそこの大きさの神社が2軒もありました(1軒は火事で消失し、後継者問題もあったのかそもまま再建されずに潰れてしまったようですが)。
現代の日本では人間がおこす犯罪や事故が生活の脅威ですが、昔の科学が発達していない日本においては自然災害や魑魅魍魎など霊的なものが生活の脅威でした。
それらから住民を守る為に、交番と同じく人の住むところには必ず神社が設置されたわけです。
海外の寺院や教会などは、あくまで祈りの場所でしかありません。
しかし日本の神社は祈りの場所であると共に、地域の守る施設でもあります。
交番のおまわりさんは、日本人だろうが外国人だろうが、右翼だろうが左翼だろうが、親日だろうが反日だろうが、その地域の住民なら誰でも守ってくれます。
同様に、神社も神道だろうが仏教徒だろうがキリスト教徒だろうがムスリムだろうが、あるいは無神論者であっても、その地域に住んでいる住人すべてを、災いから守る事を前提に建てられています。
これが交番と神社の共通点です。
交番というのは現代版の神社なのです。
まぁお払いとかお祭りとかはしないですけどねw
○○神宮とか有名な、神職や巫女さんが何人も居るような大きな神社は、いわゆる警視庁とか○○県警みたいな本部にあたるわけです。
日本の治安のよさに交番が貢献しているのと同様に、これだけの災害大国でありながらなお、1億を超える人間が平和に豊かに暮していられるのは、神社のおかげなのかも知れません。
最近は放置されたり壊されたりしてしまうものも増えましたが、もう少し地域にある神社を大切にしても良いのではないかと強く思う次第です。
信者であろうとなかろうと、平等にあたたかく見守ってくれる神様の居る神社のようなものは、世界中どこを探しても日本にしか無いのですから。
日本はよく謝罪してない反省してない、極悪非道国家のような事を言われます。
もっとも言っているのは一部の勢力だけですが。
本当にそうでしょうか?
日本と欧米との先の戦争は、例えれば喧嘩みたいなものです。
アジアに対しては、欧米にいじめられていた子を助けたという面もありますが、結局欧米に変わって日本が助けてやったんだから子分になれよなwwwみたいな事をしてしまったので、日本自身からあれは植民地から開放してやっただけだと言えなくなってしまっているわけです。
さて、喧嘩にしろいじめにしろ、お互いに仲直りするのに、謝りも反省もしない奴と仲直りできますか?
国家間の喧嘩やいじめが「戦争」であるなら、仲直りとは「講和条約」を結んだり「国交」を回復したりする事にあたりますよね?
今現在日本と正式に「国交」が無いのは「台湾」ぐらいなもので、それも中国との関係上という政治的な配慮からのやむ終えない措置であって、日本も台湾もお互いに先の「喧嘩」の仲直りをしていないわけではありません。
「講和条約」や「国交」の回復ができた時点で、相手国は日本を「許した」と考えられるわけです。
条約や国交を結んでおいて、許してない、謝罪してもらってない、反省してないっておかしいでしょ?
おまえらは謝罪も反省もしてない相手と「友達」になれるのかと。
そもそもね、欧米でも未だに日本の先の戦争についてグダグダ言う奴らが居るけどさ。
「日本語」を公用語にしている国ってのは「日本」しかないんですよ。
「英語」だの「スペイン語」だの「ポルトガル語」だの、そういった欧米の言語を公用語にしている国は、アジアはもちろんアフリカ、オーストラリア、南北アメリカ大陸など沢山あります。
これこそが、「日本」が世界の歴史上でも稀に見る極悪非道国家では無かった一番の証拠。
逆に欧米がどんだけ世界をいじめてきた極悪非道民族であるかの確たる証拠ですよ。
自分たちの過去の非道は棚に上げ、国交を回復して先の戦争についてはもうこれで終わりってしておいて、いつまでもグダグダグダグダ。
そんなに文句あんなら国交断絶しろや。
講和条約全部破棄しろよ。
世界の歴史上の英雄なんて、裏を返せば殆ど大量殺人犯じゃねーか。
人殺しに良い人殺しなんてねーんだよ。
日本は事あるごとに「謝罪」を公式の場で公的な立場にある人間が何度も述べてきたし、戦後70年どことも戦争せず、他国の人間を一人も殺さずに過ごす事で、二度と戦争は起こさないという反省を態度で示してきた。
これ以上どーしろってんだ。
日本がそうしてる間にも、戦争だの紛争だので殺し合いをしてきた、現在進行形で続けてる国はいくらでも居る。
別に日本は悪くなかったと言うつもりはない。
日本「も」悪かったというのが正しい。
ネットなど自由に大量の情報を得る機会が無く、戦勝国の影響が強かった昭和の時代ならそれも通じたであろう。
しかし今の時代、それは通用しねーよって事。
オカルトまとめサイトみたいなものをたまたま見つけて、読みまくってしまった。
そこでここ最近のこれらのトレンドの中の3種類について考察してみた。
1つは「異世界に行った系」、もうひとつは「前世の記憶がある系」、そして最後は「タイムスリップした系」。
これらは一般的には、そういう話をする人にリアルで出会ったら、「頭おかしい人」認定され、家族だったら精神病院に速攻で連れて行かれる。
これらが真実なのか、本当に頭がおかしいのかは、私も半信半疑で分からない。
本当なら面白いのであって欲しいという感情と、現代の科学で説明できないものは基本的に存在しないという理性的というか理論的な思い込みの両方があるからだ。
まぁそれはさておき、これらの話にはいくつか共通点がある。
まずもっとも顕著なのが、物語の序章部分だ。
これはラノベや小説など、明らかに作り物ですって物語でもそうだが、肉体的にも精神的にも健康状態が良く、かつ事故・事件のような非日常に遭遇しない人には起こりえないということ。
例えば「異世界系」はだいたい「その日はちょっと朝から風邪ぎみで体調が悪かった」とか「酒を飲んでいた」とか「リアルの生活でいやな事とか人間関係に疲れていた」とか、そういうのが必ずある。
また「前世系」では何かの事故等がきっかけで、一気に記憶が蘇ったり、あるいは「異世界系」はそちらの世界へ行くときに眩暈や耳鳴り等、体の異常を示すものがある。
そして、似た話が多い。
「前世系」の場合、ほぼ100%と言って良いほど、「退行催眠」等で強制的に思い起こさせられたもの以外の前世の記憶は、「事故死」や「病死」などの突然死、おじいさん・おばあさんになるまで生きて、人生にそれなりに満足した状態で天寿を全うしたという記憶で無い事だ。
これは「幽霊」の中でも特に「怨霊」と言われるものなんかにも共通するが、天寿を全うする形で死んだ人というのは、「怨霊」はもちろん「幽霊」にもなった様子が見られない。
つまりこれらの現象のキーワードは「極度に疲弊した肉体あるいは精神」と「強烈な印象」だ。
人間の脳というのは、神経細胞の中を電流のようなものが走る事で、何かが見えたり聞こえたりする事が分かっている。
「脳波」って言われる奴で、これ自体は脳波検査というのが医学の世界にあるように、オカルトでもなんでもない。
そしてこの「脳波」ってのは、電波にも例えられる。
コンピュータも電気信号がCPUやメモリ内を走る事で計算したり記憶したりができるわけだ。
そしてコンピュータにラジオの受信機なんかを近づけると雑音が入るように、高速かつ頻繁に走る電気信号というのは、「電波」として外に漏れ出し、外部に影響を与える事がある。
同じように、人間の脳波も実は外部に漏れていてる可能性があるわけだ。
そして普段は他人から漏れている脳波をキャッチして自分の脳が誤動作(幻覚や幻聴)しないように、なんらかのプロテクトというかシールドが張られているが、体調が悪い時や強いショックを受けた時にそれらが外れてしまい、他人の脳波を受信してしまうのではないかと。
「異世界系」の話に似たような内容の物が多いのは、このせいではないかと思う。
「前世の記憶」というのが、嘘か本当かは分からないが、確認したら確かにそういう人や事故や思い出が存在したとかも、空中に漂う他人の脳波をキャッチしてしまった結果とも考えられる。
霊が見える人というのが良く居るが、こういう人は本来なら他人の脳波を受信しないように強力にシールドされているのが、全くされていないか弱い体質の人なのではないかと思う。
「強烈な印象」という言葉があるように、脳波には強さというものがあるのだと思う。
従って普段何気なく見たり聞いたり思ったりする事は、脳波も弱く外部に漏れてもすぐ消えてしまうのだと。
逆にものすごいショックなどの場合は、その分脳波も強烈になり、外部に漏れ、遠くまで届いたり長期間消えずに存在するのではないかと。
それが「異世界」だったり「前世」だったり「幽霊」として特定の条件を満たした人が受信してしまう。
ここ最近、この手の話が増えたのは、ネットの普及があるからだが、精神が疲れてる人が増えたってのもあると思う。
「ブラック企業」や「いじめ」や「非正規雇用」などによる将来の不安など、精神状態が不安定な人が増えたために「受信」してしまう人が増えたってことだ。
同時にそのような人達はそれらは強烈なストレスであるため、自身も強烈な「脳波」を撒き散らしている事にもなる。
事故死や戦死などの瞬間は、恐らく人間が一番強烈な脳波を出すのではないかとも推測できる。
逆に老衰などの場合は静かに死ぬので、それほど強烈な脳波は出ないのであろう。
死んだ親族やペットが、自分がつらい時に現れて励ましてくれたり、危険な目に会う直前に止めてくれたりって話もある。
それらは死んだ人やペットが死の直前に出していた、大切な人やご主人に対する愛情の「脳波」がその人の側に残っており、これが何かの拍子に受信され、結果として夢に出てきたり霊を見たり、危険察知能力を一時的に高める等のプラスの効果に働くのではないかと思う。
怨念みたいなのも同じで、死の直前に出した強烈な恨みなどの負の脳波が、対象に何かの拍子に受信される結果起こるのだと思う。
だから呪詛などで人が本当に殺せる可能性も、そのうち科学的に解明されるかもしれない。
あるいはそれこそが、本当は「魂」とか「霊」とか言われる未知のエネルギーなのか存在なのかであるかも知れない。
人の固有の「意識」というのは、そういったエネルギー的な何かの波動であって、それが肉体というものに入り込んではじめて人間や動物として完成する。
そういうものが入っていない肉体は、生きていたとしてもただの肉塊でしかない。
クローン人間が作れたとしても、「意識」を持たなかったらそういう事だと思う。
いくら高性能なパソコンでも、OSがインストールされていなければ、何も動かないのと同じように。
私は個人的には「脳波」みたいな形で科学的に解明されるより、実はそれが「魂」だったと解明される方を個人的には望む。
人間にとっての一番の恐怖は死ぬことだ。
それは死後に「意識」が消えてなくなってしまう、「無」になってしまうこかもしれない事に起因する恐怖だ。
「魂」という不滅な部分があり、「転生」という世界の仕組みがあるなら、人類が誕生してから現代に至るまで恐れてきた「死」というものがそこで克服され、それらはきっとより良い世界を作り出すと思われるからだ。
ちなみに「転生」に関しては、手塚治虫の「火の鳥」が扱った作品として最も優れていると私は思う。
「火の鳥」の世界での「転生」はいわゆる「輪廻転生」という仏教の思想、というか「転生」思想自体が仏教のものなのだが、それを一番あらわしている。
ただ「火の鳥」の転生感は私も100%は支持しない。
過去の行いによって来世が影響を受けるという部分があるからだ。
良い行い、悪い行いというのは見る人間の立場や時代によって変わるわけだ。
過去に良い事をすれば来世で幸せな環境の人間として生まれるとか、悪いことばかりすれば不幸な環境の虫けらに生まれ変わる事もあるとか、その良い悪いをいったい誰が判断すんだよって話になるからだ。
もちろん宗教の世界ではそれを判断するのは「神」であるわけだが。
それと一部の霊能者と言われる人間が言っている、「人間は人間にしか生まれ変わらない」というのも否定の余地がある。
世界の始まりから現在まで生きている生命の全ての種が存在したなら、それも分かるがそうではない。
そもそも最初の生命は「意識」というものがあるかも分からない単細胞生物だ。
「恐竜」のように絶滅してしまった種も沢山おり、じゃあ「恐竜」だった「魂」はどこに行ったんだって話なる。
人間の人口も一定ではない。
すんげー急激に増えたり、あるいは減ったりする事もよくあるわけで、人間の魂は人間にしかならないなら、足りなくなったりあるいは余ったりするからだ、その理屈で行くと。
まぁ結局のところ、どれが正しいという「証明」がされてないから「オカルト」なわけだ。
ただ「オカルト」というのはあくまで「証明」がされていないだけで、そんなものは存在しない、間違いだという「証明」もまたされていないのを忘れない方がいい。
つまり黒でも白でもない、灰色なのだ。
だから私は半信半疑と言うのだ。
中世ヨーロッパぐらいまでの時代における、地球の考え方がそうであったように、現在の我々も「宇宙の果て」というものがある事を前提に、その存在を調べようとしている。
私はこれがそもそもの間違いじゃないかと思っている。
中世までの昔の人々が考えた地球のように、宇宙にもそれ以上進めない、その先には何も無い、そこで宇宙は終わりって区切りが何かあると思っているが、無いんじゃないかと思う。
例えば昔の人は、海をずーっと一定方向に進んだら、その先に世界の終わりの滝があってそれ以上進めない所へ辿り着くと考えたが、実際は一周して元の場所に戻ってくるだけだ。
これと同じように地球から宇宙へ向かって一定方向にずーっと進んだとすると、結局最後は地球に戻ってくる、宇宙てそんな感じなんじゃないかと思うわけだ。
現代の科学の世界以外の知識が無い我々では想像すらできないが、昔の人が地球の引力に逆らって宇宙へ飛び出す方法を持たなかったように、宇宙という世界そのものからその外側にある何かに行く事すらできないと思う。
宇宙の果てを研究している研究者には、「果て」を探したり想像するのではなく、宇宙空間をずーっと直進しても結局は元の場所に戻ってくるという証明をした方が、遥かに早く宇宙を正しく理解し、解明できるのはないかと思う次第。
慰安婦問題の日韓合意に賛否両論あります。
確かに見方によっては、韓国の外交が勝ち、日本は追い詰められたようにも見えますが、ここ最近の韓国の動きを見る限り、むしろ追い詰められているのは向こうの方です。
合意そのものへの反発が韓国内では日本以上に強いです。
これに加えて中国株式の暴落による経済的ダメージ、北朝鮮の水爆実験による軍事的な緊張の高まりなどが追い討ちをかけ、いまや朴政権は風前の灯とも言えます。
仮に新しい政権に交代したとしても、とてもじゃないですがこの難局をうまく乗り切れるだけの人物は出てこないでしょう。
第二次大戦後も、第三次大戦の危機と言われる時期がいくらかありましたが、今回は過去のそれらと比べ物にならないぐらいの危機的状況だとも言えます。
イスラム国問題、トルコ・ロシアの対立、サウジ・イランの対立、北朝鮮の予告なしの水爆実験。
これらに加えて中国株式市場が発端となった世界同時株安。
もはや明日にでもどこかで大規模な戦争が起こってもおかしくない状況です。
更に問題は、第三次大戦の危機であるというのをどこの国も認識しておらず、国連も何も動いていないというとこです。
おそらく一部の政治家・権力者・指導者は勘付いているでしょうが、どこの国のマスコミも米・ソ冷戦時代は、何かにつけて第三次大戦の危機とか言ったくせに、今回はどこもそういう表現をしていません。
不気味です。
せいぜい日本は巻き込まれないよう、巻き込まれても最小限の被害で済むように今から準備すべきと思います。
日本語は世界でも珍しい擬音語の多い言語だと言われます。
これは日本人があらゆる音を「言語」として認識する、日本語環境で育った人特有の脳の働きが原因だと言われます。
外国人の方は例えば虫の鳴き声とかを、「雑音」として脳内認識するそうです。
この脳の働きの違いが、「スーパーマリオ」の豊かな効果音を作り出していると思うわけです。
当たり前ですが、実際の人間がジャンプした時に、あのマリオのゲーム独特の「ぽわーん」というジャンプ音は出ません。
というかそもそもジャンプした時の音なんて実際はしませんw
また1upした時の効果音のように、楽器でその音を再現できるような、西洋音楽の音階を使った効果音なんてのも数多くあります。
ピアノでもバイオリンでもギターでも良いですが、何か楽器をそこそこ弾けるまで練習したり習ったりした事がある人なら、あのマリオの1up音は「ソドミドレソ」に聞こえるはずです。
他にもちょっと古いですが、PCゲームで恐らく一番売れたであろう「イース」や「ソーサリアン」などのファルコム製のRPGで共通して使われているHP回復音ですが、これも「レソ」をすごい高速で弾くとそのように聞こえ、実際当時のFM音源・PSG音源といわれるコンピュータゲームによく使われた音源で、「レソ」を高速で繰り返し出すことで作っています。
しかもこの応用で、日本人はPCM音源がまだ無いか実用化されていない時代に、ドラム音まで作っています。
1種類の音色しか出せない初代ファミコンや古いパソコンの音源に使われるPSGとかSSGとか言われる所謂「ピー」とか「プー」とか聞こえる音しか出せない音源で、ドラム音を作ったんです。
これらの音源でドラム音を表現する最もポピュラーなやり方が「超高速で特定の音から半音も含め1つづつ音階を下げ、それにノイズ音を被せる」という法方です。
具体的には「ド↓シシ♭ララ♭ソソ♭・・・」のように1オクターブ下のドに辿り着くまでを超高速で鳴らし、更にノイズ音を同時に出す。
こうすると、リアルのドラム音にはもちろん適いませんが、電子ドラム音っぽく聞こえます。
この時代のゲームでBGMにドラム音っぽいのを表現してるものは、海外のゲームには恐らくありません。
日本人だからこそ作れた表現方法だと言えます。
このように、あらゆる音を別の方法で表現する能力は、先にも言った日本人特有の「日本語脳」と「日本耳」と言われるものの結晶なのです。
ちなみに外国人であっても、日本で生まれ育って日本語しか話せないような人は、そのようになるとのことです。
日本語しか話せない在日二世・三世の方なんかは、こういった能力があると思います。
セミの声が「雑音」ではなく、「ミーンミンミンミン」と聞こえるということです。
なんか良いこと尽くめの優れた民族っぽく聞こえますが、欠点もあります。
英語など日本語より発音が複雑で多い言語を正確に聞き取れないのです。
厳密には英語の一部の音が日本人には聞こえないらしいのです。
だから日本人は発音が下手な英語しか喋れないし、リスニングが苦手なんだそうです。
日本人には同じに聞こえるのに、実際は全然違う単語ってのが英語には多いです。
日本語にある同音異義語みたいなのは、ほとんど無いのではないでしょうか。
ゆえにこの「同音異義語」も外国人にとっては日本語学習で難しいと感じるようです。
もっとも正確には同音異義語もイントネーションやアクセントの位置が違うものがありますが、多くは前後の文脈や状況から判断するしかなく、日本人でも間違える事があるぐらいですから外国人からしたら難しいと思いますね。
ネットなどでよくファミコンの「ロックマン」の死亡音を「ティウンティウン」と表現する事がありますが、あれも日本人独特の感性がないと理解できないでしょうw
ちなみにあの「ロックマン」の死亡音も、すごく耳が良い人なら音階に分解できるはずですし、実際にそのようにプログラム上は出しています。
救急車のサイレン「ピーポーピーポー」って言われるあれも、音楽やった事のある人ならあれが「シーソーシーソー」に聞こえると思います。
いまや日本はもちろん、海外のポップス音楽でも使われるTR-808というリズムマシンをご存知でしょうか?
あれも日本のローランドというメーカーが作っていますが、日本人だからこそ作れた電子楽器だとも言えます。
ゲームの効果音と同じく、ドラム音という「雑音」を音楽言語である「音階」に置き換えて理解する脳を持っていたからではないかと。
日本人にとっての「雑音」とは、不快な音という意味ですが、外国人にとっては言語や音階に訳せない理解できない音という事になると思います。
まぁそんなこんなで、日本人は自然界を別の媒体に置き換えて表現する、いわゆる芸術という分野において、非常に有利な能力を持っているらしいので、海外で一旗上げたいが、何の特技も無い人は、それをヒントにしたら如何でしょうか?というまとめw
ここ数ヶ月、ゲームのやる気すら起きない無気力状態が続いていて、ひたすらYoutubeばかり見てたのですが、さすがに見るものも少なくなってきて、ふと「ガンダム・オンライン」のプレイ動画とかYoutubeにもあんのかなー?と見たんです。
見た目はあまり変わったように思えませんでしたが、やはり人がプレイしている動画、特に上手い人のを見ると不思議と自分もやりたくなるんですよね。
そんなわけで、超久しぶりにやってみようと思って、操作や変更された仕様を確認するために攻略サイトを見てみました。
そしたらなんと、階級制度が大きく変わっていたんです。
簡単に階級操作ができ、弱いもの狩りが横行して面白くもなんともないと散々(主に私がですがw)叩きまくったあの階級制度が、私が散々長文メールでこうしろと送りつけた仕様変更案ほぼそのままに変わっていたんですよ。
びっくりしましたね。
いや、別に自分の案が採用されたとか自慢してるわけじゃないです、少しはそういう気持ちもありますがw
以前から開発チームで検討されていたのかもしれないし、私以外にもそれなりの人数のプレイヤーから同じような仕様変更要望があったのかもしれませんし。
まず階級制度でのマッチングではなくなったようです。
階級制度そのものは残っていますが、あくまで階級が高いほど報酬が良いという部分だけが残り、昇格・降格試験も撤廃され、1試合ごとに変動するレートによるマッチングが行われるようになったようです。
階級制度も、1週間ごとに前回メンテからの分の集計を行い、一定数の試合を行ったプレイヤーを対象にレートの高い順から新たな階級を割り振っていくようにしたようです。
私が散々言っても変更されず失望して止め、更にPCの電源ユニットが壊れて外部電源が必要なグラフィックボードが使えなくなって、Core i3内臓のグラフィック機能という性能の低い、とてもじゃないが3Dゲームなんてできない環境になってしまい、復帰しようにもできなくなっていた間に。
まぁだいたい私の人生そのものがこうなんですよねw
いろんな会社に勤めましたが、最初は右も左も分からないので、面白いというか辞めたいとか感じない。
しばらくすると慣れてきて飽きを感じているところに、加えて不満点が見つかったり、急に忙しくなったりしてきつくなる、。
それに耐え切れずに辞めると、それからしばらくして不満点が改善され、忙しさのピークが過ぎて平和になるっぽいんですw
ネットゲームならそうなってからも復帰はできますが、会社はそうはいきませんからねw
そんな事が何十年も続いたために、もう働く事そのものが嫌になってニートしてるわけですが。
さて、そんなわけでショボイ性能のPCでもできるよう、画面のオプション設定を最低にし、なおかつゲーム解像度を下げまくってなんとか周りに誰も居ない状態ならカクカクしなくなる程度までにして、やってみたんですが。
やっぱだめでしたw
ただでさえ下手なうえにブランクがあり、視界も狭くて不利で、なおかつ画面の速度が追いつかない、とてもじゃないけど戦闘に耐えられる状態じゃなかったですw
そんなわけで、支援機メインでなんとか足手まといにならない程度にポイント稼いで凌ぎましたw
昨日、私と同じ戦場に居た味方のみなさんすいませんでしたw
ただ対戦ゲーム一番のキモである、「同じ強さの者同士が接戦を繰り広げる」という状態は以前より格段に多くなったようですので、十分なPCの性能があるなら「ガンダム・オンライン」はお勧めできるゲームに生まれ変わったと思います。
宇宙人と言われる、地球外の知的生命体の存在について、完全に否定している人は学者の中には居ません。
ただ既に発見され、なおかつ既にアメリカなど地球上の有力な国や権力者とコンタクトを取っているという事については、否定的な人が多いです。
また未来人についても、それらの存在を否定する人が多いですが、一方でタイムマシンは製作可能であり、それらを本気で作ろうと研究している人達も居ます。
さて、既に宇宙人と一部ではあるもの接触している人や、あるいは未来人がひそかに現代に来ているとして、一番疑問に感じるのは、ではなぜ地球の様々な問題を解決するような高度な科学技術を提供しないのか?ということです。
これが、宇宙人や未来人がまだ未発見である、現在の地球にはまだ存在していないとする主流な意見の根拠の大きなもののひとつです。
しかしこれは否定の材料にはならないと私は考えます。
私は不眠症に非常に悩まされており、眠れない中でいろいろ考えてしまうのが余計に拍車をかけている訳ですが、その中で時々、自分が突然過去の世界にタイムスリップして、歴史を変えるような勇者や偉大な王になるような、物語を考えたりする事があります。
でもその物語は一向に話が進みませんし、勇者や王になれるうまいストーリーも思いつきません。
いくら現代の高度な科学技術を知っていても、多くの人にとってはそれらを「活用できる」あるいは「不思議に思わない程度の知識がある」だけです。
石器時代にタイムスリップしてたとして、そして仮に言葉が通じたとして、いきなり鉄製の剣などの進んだ武器を作れるでしょうか?
鉄をまったく0の状態から生成できる方法を知っている人が果たしてどれくらい居るでしょうか?
まず自然界に存在する鉄の原材料とも言える鉄鉱石を探さなくてはなりません。
仮に見つけられたとしても、それを剣にするには高温で溶かして純度を上げ、更に様々な「道具」を使って剣に形に生成しなければなりません。
石器時代に高温の炉なんてありませんし、溶かした鉄を固めたり、掴んだり、叩いたりする道具がそもそもありません。
つまり今の我々の知識なんてそんなもんなんです。
石器時代からどのように、どういう方法で青銅や鉄の時代に以降し、そこから様々な科学技術をどうやって発展させたか、その詳しい過程や方法を全て知っている人は皆無です。
特定の分野の特定の過程について知っている人は居たとしてもです。
それと同じで、高度な科学技術を持つ宇宙人や未来人が居たとしても、現代の科学からそれらを実現する方法を知らない可能性が高いということですよ。
生命の進化と同じで、ゾウリムシからいきなり人間になる事はできないのです。
それなりの年月と過程を経ないと、いくら高度な知識や技術を見せられ、説明されても理解できないし作れないのですよ。
唯一それらが可能になるとしたら、その進歩の過程を詳細に記録し、解析したデータを全て持った巨大なコンピュータのデータベースを持ち、それが使用できる状態で現代の世界に持ってこれた場合でしょう。
しかし嘘か本当か分かりませんが、UFOを完全な形で捕獲できた例はありません。
目撃情報や墜落した残骸を回収したという話は良くありますが。
仮にUFOというものに、そんな最高機密レベルの情報を全て詳細に記憶したコンピュータを搭載していたとしても、それを壊れてない形で回収できたと思える例が見当たりません。
UFOが宇宙人の宇宙船なのか、未来人のタイムマシンなのかすら分かりません。
宇宙人の死体や瀕死の宇宙人を一人二人捕まえたところで、個人の持っている情報ではとても実用化できるものはないでしょう。
未来人についても同じだと思います。
あるいはそのような高度な科学技術をいきなり吸収し、いきなり進歩する可能性も0ではなかったでしょう。
しかし現実にそれは起きていません。
あるいは起きていた可能性の世界は、いま我々の居る世界とは別の世界です。
これはタイムパラドックスを理論で解決しようとして提唱された、平行世界、つまりパラレルワールドの世界のひとつにはそういうものも存在するかもしれないが、それは我々の世界ではないし、見ることができないということです。
ちなみに宇宙人というと、ほぼ必ず地球より遥かに科学技術が進んだものだと思いがちですが、それも間違いです。
今この瞬間に、宇宙のどこかの星で単細胞生命という最も原始的な生命が誕生した可能性もあり、それらも何億年後には地球より遥かに遅れた文明しか持たない知的生命体が支配する惑星で、それを今より遥かに発達した科学技術を持って、UFOのような宇宙船に乗って我々地球人が見つける事だってあるということです。
そもそも地球上で人間が一番賢いという証明すらまだ完璧にされたわけではありません。
生命の賢さは脳の容量にほぼ比例するであろう事は常識として言われていますが、ならば人間が一番賢い事にはならないからです。
例えばつい最近まで人類の先祖だと思われていたネアンデルタール人ですが、これは絶滅した人類とは別系統の進化をたどった種である事が判明しています。
そのネアンデルタール人は現人類より大きな脳の容量を誇っていました。
二足歩行し、自由になった両手で石器などの道具を使っていた等、そのまま生き残っていれば恐らく現人類より遥かに速く高度な文明を築けたのではないかと思わせるに十分な存在です。
唯一違うのは、声帯の構造が違ったため、現時類のように複雑な音の組み合わせで言葉を喋る事ができなかった。
それゆえ言葉を喋る事のできた現人類に負けて滅んでしまったと言われているとこだけです。
しかし言葉が話せるか話せないかは、そんなに重要だとは思えません。
実際、耳が生まれつき聞こえない人が、現代の社会で生活できないかというと、そんな事はないですよね?
文字や手話など、言葉を喋れなくても高度なコミュニケーションが取れる方法はいくらでもあります。
手話を理解し、人間とコミュニケーションが取れるようになった有名なゴリラも居るぐらいです。
ネアンデルタール人はそのまま更に進化して、世界各国で伝承やあるいはオカルト的な目撃情報がある雪男になったのではないかとさえ思います。
人間が、知恵を道具の発展に注いだのと違い、その巨大な脳を別の方向で活用したのかもしれません。
話が逸れましたが、現代の科学なんて所詮その程度のものだって事です。
ここ最近、日本には自画自賛番組が大変多いです。
もともと、一世を風靡した「プロジェクトX」などの日本人目線から見た過去の栄光にすがって自分たちを慰める(?)ものはありました。
それがここ最近は、ネット上の外国人の目から見た日本のすごさを紹介する動画およびそれらの反応をまとめたサイトの増加に目をつけて、てめーらで面白い番組が作れない日本のテレビ局が、すぐさまそのネタに飛びついたのです。
「Youは何しに日本へ」「所さんの日本の出番」、終わってしまったようですがNHKの「cool japan」、すべての番組内容がそうではないですが、「和風総本家」などなど。
また朝や夕方のニュース番組内でもよく外国人特集が見られます。
このような風潮に外国人が「馬鹿じゃね?w」と冷たい反応を示した動画がYoutubeにアップされたとのこと。
私もそう思います。
ネット上のそれらの風潮は、あくまで一個人の外国人があげた日本紹介動画であり、それらのまとめサイトもあくまで日本人の一個人が面白いと思って作ったものです。
それを公共の電波を使って、いくつものテレビ局がいくつもの番組でやるのは、「アホかw」と言われてもうなづけます。
もともと、日本人は謙虚な民族だと言われます。
あることないこと上げて自慢する、自画自賛して喜ぶのはネット上では嫌われている「韓国人」の行為そのものです。
在日韓国人・朝鮮人が多いと言われる日本のテレビ局なので、おそらく恥ずかしいと思えないんでしょう。
韓国人の韓国人による自画自賛で落とした視聴率、それらを取り戻すための策でもあると思います。
自分たちが嬉しい事は日本人にとっても嬉しいはずだという、安易な考え。
もちろん、いくら日本人といえども褒められて嬉しくない人は居ません。
実際、これらの番組の視聴率は良いようですし。
ただそれらの評判を鵜呑みにしてしまうのは危険だと言う事を、分かって置いたほうがいいです。
インターネットの動画と違って、テレビ局というのは「やらせ」が当たり前の世界です。
もちろんネットの動画も「やらせ」や「お世辞」が無いとは言えませんし、日本大好き外国人は「日本かぶれ」と言われ、一昔前の日本で「オタク」が蔑まれていたのと同じような扱いを受けているという話もあります。
これらのネット上の動画やテレビ番組を見て、ただただ「俺らすごいんだwww」と思うだけでなく、嘘かもしれない、そう思ってるのはごく一部の外国人かも知れないこと、そしてごく一部でもすごい、すばらしいと思ってくれる事は無くさないように気をつけよう、努力しようと思う事のほうが、大事なのではないかと思います。
日本の伝統文化、日本人の礼儀や清潔さ、あるいは高度なテクノロジーなどなど、よく上げられる項目について、ホルホルするのでなく、それらを守っていこうと決意する方が大事だということです。
一部でも評価してくれてる外国人が居るということは、観光に力を入れる日本にとって、売りになる可能性を秘めたものです。
また日本はダメな国、世界中から嫌われている国という謙虚を通り越して自虐に寄り過ぎたのを、中間へ戻す作用もあるかと思います。
諸外国の留学生が集まって、自国のお国自慢を話し合って居た時に、日本人だけが「何も誇るものがない」と答えたというコピペもあります。
これは日本人の謙虚な国民性をあらわしたものであると同時に、自分に自身が持てないという悪い面を表したものでもあります。
このコピペはそれに対して、海外の留学生から「何を言っているんだ?日本には○○があるじゃないか」と次々日本の良いところを指摘されたといホルホルものから、韓国人学生が「うちの国はー」と自慢したら逆に世界の人から「プゲラ」されたという韓国を貶めるオチが付いたものまでありますw
いずれにせよ、過度にホルホルするのは禁物ということ、そして正しくそれらを受け止めるとしたら、ホルホルするのではなく、日本はもっと自信を持ち、指摘された良い点を無くさないよう努力しなければならないと思う事こそが大事ということです。
本当はどこの国も良いところと悪いところがあるように、日本にも悪い点は沢山あるはずです。
それらを指摘するようなものを、一部なりとも入れて欲しい、それによって自信を無くしたり落ち込むのではなく、それらの指摘が理に適っているなら、直そうと努力する、そういうものもあって良いと思います。
どっかの掲示板で話題になってたので。
家電といえば日本メーカーの一人勝ちのように思うだろうが、唯一勝てないのが電気式の髭剃りだ。
個人的感想なのだが、
ブラウン(ドイツ)>フィリップス(オランダ)>その他の日本メーカー
なのである。
美容健康電気用品として日本で一番強いのは松下電工だと言われている。
私はその松下電工をはじめ、ブラウン・フィリップス・日立と4つの内外のメーカーの髭剃りを使った事があるのだが、一番剃れるのがダントツでブラウンだった。
ブラウンのCMで、昔よくあった朝の出勤中のサラリーマンにブラウン最新型の髭剃り機で剃ってもらって、白いプラスチックの板に剃りカスを出させて、「ほら、まだこんなに剃り残しあるじゃん」ってやってたアレ。
もちろんCMだからやらせなのだが、実際に他のメーカーの髭剃り機で十分剃った後に、ブラウンで剃ったらそれに近いものにはなる。
もっとも髭は濃さとか硬さとか、個人差が激しいのであまり濃くない人は国内メーカーのもの、特にシェーバーに力を入れている松下電工のものなら問題はないと思う。
しかし髭の量が多い、濃い、硬い人はブラウン以外だと、仕事が終わる頃にはジョリジョリになると思う。
そのぐらい、剃れ具合が違う。
ちなみに一番剃れるのは、電気式じゃない昔ながらのシェービングクリームを塗って剃るカミソリだ。
あれは安全カミソリと言われる、肌を傷つけない工夫がされてるものでも、気をつけないと切れる。
その分髭もよく剃れるわけだが。
電気カミソリは外刃と言われる肌に直接カミソリの刃が触れないようにする、網目状の覆いに穴とかが開いてない限りは、一番剃れるブラウンでも、どんなに強く押し付けても肌は切れない。
ただしブラウンは「深剃り」ができるように、いちど髭を引っ張り上げて剃るので、肌が弱い人だとカミソリ負けのような状態にはなる。
そういう人は切れ味こそブラウンに劣るが、ブラウンや日本メーカーと違って回転刃を使うフィリップスを使えばいい。
フィリップスは日本メーカーのよりも、肌への刺激が少ない。
日本メーカーは基本的にブラウンと刃の動作というか髭を剃る仕組み・原理が同じなので、肌への刺激はそれなりにある。
まぁとにかく髭が濃い人は、ブラウン以外の選択肢は今のところ無いと思う。
髭がそんなに濃くない人や肌が弱い人はフィリップスがオススメである。
日本の電気メーカーは電気シェーバーにあまり力を入れてないというのもあるが、日本人が必ず世界一良いものを作れるわけじゃないという例として、知っておいた方が良いと思う。
なお美容健康器具で世界的評価の高い松下電工の、腋毛とか無駄毛を剃る事専用の電機シェーバーがあるが、そちらは松下が一番良いと言われている(主に女性向けの製品のこと)。
また鼻毛カッターとか、電気歯ブラシとか、ブラウン・フィリップスが出していないか、出していてもあまり力を入れて開発してない機器に関しても、松下電工は良い。
ラーメンをはじめ、蕎麦やうどんが世界的な日本食ブームによって広まりつつある。
そのせいか箸を使える外国人は最近よくテレビやネットの動画でも見るが、麺類を啜ることができなかったり、抵抗のある外国人は未だに多い。
日本人にしてみれば、不思議でしょうがない。
原因は2つあると思う。
正しい啜り方を知らない。
食事マナーとして抵抗がある。
これだと思う。
麺類を日本人の真似をして啜って、よくむせている外国人を見かける。
おそらくストローでジュースを吸うような感覚でやっているためだと思う。
液体を吸い込む場合は、咀嚼・・・いわゆる噛む動作が不要であるため、直接ノドへ送り込むようにするが、麺類の場合は噛んでから飲み込む必要がある。
つまりあくまで口の中まで送り込むだけであって、その先にある食道まで直接送り込むわけではない。
従って、吸い込む力をある程度調整する必要があり、かつ吸い込んだ空気が直接喉へ入らないようしなければならない。
日本人は意識せずにやっているのでわからないが、実はストローでジュースを飲む時と、麺類を吸い込む時では微妙に口の形が違っているのだ。
ストローでジュースを飲む時は、吸い込んだ空気がまっすぐ食道へ入るよう上下の唇を平行にして吸い込む。
対して麺類を啜る時は、吸い込んだ空気がノドへ直接行かないよう上唇を下唇よりやや前方へ突き出して吸い込んでいるのだ。
こうすることで、吸い込んだ空気はノドではなく口腔内の上側に当たるようになり、一緒に入ってきた麺類もノドへ直接行かなくなる。
マナーに関してはどうしても我慢ならない人はしょうがないが、日本食も基本的に音を立てて食べるのはマナー違反である。
口を開けながら物を噛んでクチャクチャ音を立てながら食べたり、食器の音をたてて食べるのは日本でも西洋と同じくマナー違反である。
なぜ麺類だけが例外的に音をたてて啜るのが許されているかというと、その方がおいしく食べられるからなのである。
既にそれは科学的にも証明されている。
ゆえに啜って食べないと、本当のおいしさが分からないのが日本食の麺類なのだ。
スパゲッティとは違うのだ。
そういった理由を踏まえてなお納得できない場合は仕方ない。
ちなみに日本人はよく手先が器用であると言われるが、口先というか口の使い方に関しては西洋の方が実は得意なはずだ。
日本人が手先が総じて器用なのは、箸を使って食事をするからだと言われる。
同様の理屈でいけば、発音の種類が日本語より圧倒的に多い英語などの西洋言語を使っている西洋人の方が、口の操作は日本人より器用にできるはずだ。
それは日本人が「R」と「L」の発音を区別して喋れない事でも分かるだろう。
なので正しいやり方さえわかれば、すぐに啜れるようになると思うわけだ。
そんな事を、「年越し蕎麦」を啜りながら考えたので書いてみた。