2ntブログ

平成とは何だったのか?

もうすぐ平成が終わるので、私も一言。

平成とは、その文字通りなーんにも無かった時代だと思う。
たいらにになると書いて平成。

その前の昭和や大正・明治と違って、戦争や政変も無い。
科学技術が大きく発展したように思われるが、実際はそれらは昭和の遺産でしかない。
つまり、後世で「平成とはこれが特徴だった」と言えるものが何も無かった時代だと思うw

良くも悪くも、元号には時代を表す効果があるのだと思うw

次の元号は、何もなく平和な時代でよいが、夢や希望が持てる明るく楽しい世の中になるような、そういうものを定めて欲しい。

英語が破壊する日本人的思考

小学校での英語教育が始まるというニュースを見たので。

人間の思考には、母国語が大きく関わっているとの研究がある。
これは事実だと思う。

例えば、英語の基本文法は SVO(主語→動詞→目的語)である。
対して日本語の基本文法は SOVである。

両者の違いは動詞が先か、目的語が先かである。

これが思考にどう影響を及ぼすのかと言えば、英語はてめーの都合を優先する考えになると言える。
なぜならお前の意思はどうでもいい、俺が「動詞」をしたいんだとなるからだ。
対して日本語は動詞よりも目的語が先に来る。
私は、あなたに何をしたいか?という思考になる。
自分のしたい事を考える時に、まず相手が先に来る事で、相手の立場になって考えるという、いわゆる思いやりや「空気を読む」という日本人独特の感性が生まれるのだ。

バイリンガルの人でも、思考の時はどちらか一方の言語で行うものだ。
従って、英語の比重が高くなればなるほど、人間は「自己中」になるとも言えるのだ。

日本人が他人という人間はもちろん、自然や物にまで敬意を払うのは、この日本語の文法による影響が大きいと考える。
そして日本語は「主語」を省略できるという、英語には無い特性もある。
つまり「自分」は重要ではないのだ、日本語的思考だと。
「俺が」「私が」何かをするんだという、自己主張言語ではないのだ。
良くも悪くも、日本語は相手が、対象がそれを望んでいると思ったのでしましたみたいな、自分より相手を対象を尊重しますという言語なのだ。

英語を習うなとは言わない。
しかしあくまで日本人の母国語は、日本語であるべきだ。
自分ではなく、相手や対象の事をまず考えてから、動詞を決める。
そういうものの考え方というのは、大切だと思う。

そもそも英語が世界共通語になったのは、言語的に世界で一番優れているからではない。
英語を母国語とするイギリスが、近現代で一番世界を侵略し、現地の言葉を奪って英語を使う事を強要するという、ナチスドイツなんぞより遥かに酷い事をしてきた名残なのだ。
もし、第二次世界大戦で枢軸国が勝っていたら、英語なんてのはイギリスとアメリカでしか使われない言葉になっていただろう。
世界共通語はドイツ語か日本語かのどちらか、あるいは半々になっていたと思う。

人類が本当に世界共通語を必要とするなら、それはどこかの国の母国語にすべきではないのだ。
どこの国の人間でも覚えやすく、使いやすい新たな言語を人工的に作って、それを共通語と定めるのが一番良いと思う。

日本は外国人観光客とかに配慮して、どんどん街中に英語を増やし、グローバリズムとかいうアホみたいな思想によって、英語を話せる人間をありがたがり、それを社員に求める傾向がある。
逆に聞くが、じゃあ日本人が海外に旅行に行ったら、日本語で対応してくれる国が果たしてどんだけあるんだと。
日本人は英語が話せないとプゲラしてる国に、日本人が旅行に行ったら、お前らの国のホテルやお店の人は日本語で対応してくれんのかと。
街中に日本語の案内があるんかと。

日本人が仕事でも旅行でも、海外に行って日本語が通じる、日本語を目にする国は、おそらく台湾だけ、次点で日本語のメインの文字である「漢字」を生み出した中国だけであろう。
台湾人に日本語を話せる人が多いのは、台湾人が現地語より日本語の方が優れているから、日本語を使う事にしましょうって全会一致で決めたからではない。
台湾が日本の一部として併合されたという歴史があるからだ。
それを批判する奴は多いのに、なぜ英語が世界共通語になった背景については触れない、批判されないのか?
おかしいだろと。

かつて「NOと言えない日本人」なんてのが話題になった時代もあったが、日本人は「NO」が言えないのではない。
英語のように「NO」が一番最初に来ないだけの話なのだw

常に相手や対象の事を一番に考え、相手や対象からしたら悪い印象を受けやすい「拒否」の言葉を、文の一番最後に持ってきて、ささやかにお断りする事を、日本人の先祖は選択したからだ。
他者や対象物と争うのではなく、気を使って共存する事を望んだからだ。
その精神を伝える、それを養うのが「日本語」そのものにあるのに、それらを軽視して、英語などという世界最悪の侵略者を生み出した言語をありがたがる。

英語は必要な人が必要に応じて学べば良い。
日本に仕事なのか観光なのかで来る奴は、日本語を話させろ。
別の日本人は、外国人が来る事を拒絶はしないが、かといって望んで招待しているわけでもねーんだよ。
中国語や韓国語の案内表記とか、言語道断だね。
あいつらは客じゃない。
日本や日本人に対しては、何をやっても許されると思ってる犯罪予備軍でしかない。

ここ最近、外国人観光客の多い地域で「外国の団体観光客お断り」というのが増えたという話題がある。
差別にならないよう「外国人観光客」と書いているが、その対象は「中国人」であるw
ちなみに中国語もSVOの自己中型の言語である。
つまり気質は欧米人と同じであり、そのうえ反日教育で日本には、日本人には何をしても許されるんだというのが、横暴さに輪をかける結果となっているのだろう。
だから中国人観光客お断りをする所が出てきたのだ。

ちなみに韓国語は日本語と同じSOV型のはずなのだが、なんであんなに自己中なのかねぇ。

日本人が祖先から受け継いだ、伝統的価値観や思考ルーチンを壊したい、日本を自己中で溢れる国にして破壊したい人が居るんでしょうか。
それか英語の国にして、文化的に侵略したい人が居るんでしょうかね?w

小学生から英語教育しますも結構だが、もうちょっと「日本語」教育にも力を入れてもらいたい。

「人道」という言葉

「人道」という言葉は、「差別」だの「人権」だのと並んで、パヨクがよく使う言葉である。

しかし「差別」だの「人権」だのと違って、「人道」には明確な定義が無い。
従って、法的根拠も無く、理屈でも正当性が説明できないような事を、押し通したり反論を封じたりするのに使われる。

外国人に生活保護をなぜ支給するのか?
という質問に、つい最近、厚生労働省の役人が「人道的な観点から」と説明した。
つまり、法的根拠も無いし、理屈でも説明できないので、「人道」という言葉で誤魔化して、反対意見を封じ、自分ら役人がやってる事は間違ってない、正しい事だと説明した、というか押し通したのだ。

「人道的観点から」やる政策なんて、あってはならない。
「非人道的」という言葉で批判されるような事は、実は違法でもないし、理屈でも必ずしも間違ってると説明できない事で、相手を批判する時に使うのだ。

こういう法的根拠や理屈を無視して、自分らの意見を通そうとする、反論を封じようとする。
これがパヨクと言われる連中が、支持されない原因でもある。

なぜ人を殺してはいけないか?
他人を自由に殺しても良いという事になれば、それは自分も他人に自由に殺されるという事になるからだ。
他人から見た自分というのは、「他人」になるわけだからねw
そうやって、最後の一人になるまで殺しあっていたら、人類が滅亡してしまう。

同じく人の物をなぜ盗んではいけないのか?
盗みが合法になったら、生産活動を行う人が居なくなってしまうからだ。
だってそうでしょ。
一生懸命育てた農作物を、いざ収穫しようとしたら全て盗まれてしまった。
明日食うものがない、このままでは死んでしまう。
生きるためには、もう他人から食料を奪うしかない。
この連鎖により、生産をする人が居なくなる。
そうなれば、北斗の拳のような世紀末の世の中だ。
誰も生産しない食料を奪い合い、食い尽くしたら、人類は滅亡。

法律やモラルというのは、もともとは自分が生き抜くために、人類が種として存続するために、これはしない方が良いというものなのだ。
理屈で説明がつくものだ。

だがパヨクどもの主張には、それが一切ない。
だから差別だ人権だ人道に反するだ言って、反論を封じ、主義・主張を押し通すしかできないのだ。

ちなみに戦争中は人殺しが合法化される、おかしいと言う人も居る。
しかし戦時の殺人の合法化は、自由に殺して良いというものではない。
敵国人限定で、殺しても良いですよってだけで、味方を殺せば当然ながら戦争中であっても処罰される。
無制限に殺人を容認するのと違い、戦争というのは勝敗が決したら、また元の通りいかなる人間も殺してはならないに戻るのだ。
人類の数が減る事はあっても、滅亡する事はない。
別に戦争が正しいとか言うつもりはないが、戦争では人を殺せば英雄なのに、平時では1人でも殺したら厳罰に処されるとか、おかしいじゃねーかという屁理屈に対する回答例として示した。

「人道」というのは、「人の道」と書くが、それはすなわち「価値観」とも取れる。
そんなもんは、人それぞれ、同じ民族や家族であっても違うのだ。
誰かにとっては悪だが、誰かにとってはそれは正義であるなんて事も珍しくない。
戦争は、お互いが正義を主張して始めるわけだしw

つまり「人道」なんて言葉を使うやつは、戦争やテロをやる奴と同じだと言う事だよ。
理屈や法律で、説明できない事を押し通そうとする、そういうクズ人間という事だよ。
自分が生き残るために、人類が滅亡しないために、必要なんだってことは、必ず理屈や法律で説明ができるはずなのだ。
そうでなければ、おかしいし、支持されないのだよ。

それは差別だから、人権だから、人道に反するから
こういう言葉だけで、反論を封じようとするアホに騙されてはいけない。

人間は神に似せて作られた特別な存在という思想w

人間は神が自分に似せて作った、地球上の生物の中でも特別な存在なんだ!
とかいう思想がある。
あるいは、人間は人類より遥かに高度な文明を持つ宇宙人が、サルを使って作った人工生命体であると言う人も居るw

すべて間違いであるw

人間は、お母さんのお腹の中で受精卵から徐々に人の形に成長していく。
その過程で、人類になるまでの進化の道のりを再現するかのような形態変化を見せる事で知られている。
ここに、神が創ったわけでも宇宙人が作ったわけでもない証拠がある。

人間の胎児には、尻尾や水かきといった、赤ちゃんとして完成して出てくる頃には無くなっているものがある。
もし仮に、神や宇宙人といった、人間より遥かに賢い存在が作ったのであれば、なぜわざわざ後々削除するような部品を、わざわざ取り付けるのか?って話になるからだ。

人間が工業製品を作るときに、以前の製品にはあった機能や部品を、新しい製品を作るときもわざわざ付けてから外してなんて工程やるか?
私の実家のテレビは、アナログからデジタル放送への移行期に買ったので、アナログ放送のチューナーも内蔵されている。
しかし完全にデジタル放送に以降した今のテレビは、それは内臓されてない。
しかし以前はそういう手順で作っていたからといって、アナログチューナーの部品を一度取り付けて、完成間近の段階で取り外すなんて事、やるか?
無駄以外の何者でもないし、意味が無いし、コストかかるし、時間もかかるじゃん?
だからそんな事はしないわけだが、じゃあなんで人間の胎児は、そういう無駄で意味がない過程をわざわざ経るのかって。

本当に神だの宇宙人だのが作ったのなら、そんな無駄な工程は入らないはずなんだよ。

つまり、人間は他の生物と何ら変わらない、特別な存在でも何でもない、地球上の生命の一種にしか過ぎないって事。
ダーヴィンの唱えた「進化論」は、基本的に正しいって事だよw

まぁそういう連中は、退治が赤ん坊に成長するまでの過程を見せられても、「フェイクだ」「CGだ」とか言って信じないんだろうけどw

日本人は古来より、この真実に気がついており、だからこそ万物に魂が宿ると考え、自然や他の生き物に敬意を払って共生してきたのだ。
それを人間は神が作った特別な存在だとか、アホな事いって今まで散々自然や他の生き物に敬意を払わず、好き勝手して壊してきた連中が、「鯨がかわいそう」とか「イルカ捕るな」とか、「肉を食うなんて野蛮だ」とか、よくまぁ言えるものだとw

まずはお前らの歴史を見直せと。
そういう糞みたいな歴史の上に形成されてる、人間は特別だという価値観を見直せと。
日本人が遥か昔に辿り着いた真理と、それによって形成された価値観に近づいてから、いろいろ言ったりやったりしろとw

だから中身のない、金や名声やマウント取る事や自尊心を満たすためだけにやってる事だと思われ、支持されないんだと気づけと。

お前ら西洋人は、食事を食べる前に、「いただきます」言うのかと。
お前らがキリスト強圏の人間が、食事の前に感謝をささげるのは、「神」とかいう居るか居ないかもわからん存在だけにだろうと。
肉だろうが野菜だろうが、どっちも「生物」であり「命」である事に変わらない。
人間と同じ「生き物」である事に変わらない。
だから糧となってくれた事に、せめてもの「感謝」を捧げてから食うために「いただきます」と言うのだと。
まぁそんな事思って言ってないけどね、日本人もw
ただの習慣や挨拶みたいになってるから。

しかしその成り立ちとか、どうしてなんだろうと考えれば、そういう意味がある事が分かる。
一生そんなもん気にしない日本人も居るが、どこかでそういう話を聞いたり、子供の頃に親に教えられたりした人だって、昔に比べたら減ったかもしれないが、まだまだ居るわけだ。
そういう連中に、うわべだけの自然保護だの動物保護だの強制したって、納得するわきゃない。
従いもしないし、金もださねーよって話。

これが日本人にヴィーガンとかいうアホが少ない理由、国際捕鯨委員会とかいうアホの集まりから脱退した理由。

平等とは何か?

イスラム国家で、女性の教育を受ける権利を主張して、銃撃されながらも生き延びた、有名なマララ氏が日本でいま開かれている女性の権利の国際会議(?)みたいなのに来ているというニュース。
安倍首相も教育を受けられない「女性」のために、お金を出す事を述べていた。

教育を受けたいのに制限されていて受けられない、女性というだけで。
これは立派な「差別」である。
しかし一方で、女性の国会議員が少なすぎるので、法律で強制的に男女の比率が半々になるようにしよう。
これは差別の是正ではない。
なぜなら、日本は女性が国会議員に立候補する事や、選挙で投票する事を禁止も制限もしていないからだ。
むしろ男性差別である。
能力もやる気も無くても、女性というだけで国会議員になれる人が出てくるからだ。

このように、「差別」と言っても正しくない使われ方をしている事が、世界的に多い。
こういう正しくない「差別」の使い方をしている人達は、「平等」を目指しているのではなく、自分達が「優遇」される事を目指している、いわば「不平等主義者」であるw

これは「人権」を叫ぶ人達や、「○○の自由」などをわめく連中も同じだ。

日本の学校教育は、これら左翼の好きな言葉の本当の意味を教えない。
なぜなら、正しく理解されてしまうと、日教組のお仲間である反日左翼連中の主張が殆ど「正しくない」事がバレてしまうからだ。
差別はいけません、人権は守らなければなりませんとは教えるが、じゃあ差別って何?人権って何?ってのは一切教えない。
その単語を聞いたら、無条件で従わなければならないと洗脳しているだけだからだ。
なぜ差別はいけないのか?なぜ人権は守らなければいけないのか?
それは差別や人権の意味を正しく理解したうえでないと、納得できる説明はできないはずなのだ。

差別とは、自分の努力などで変えようが無い事で、不利な扱いを受ける事を言うのだよ。
「女性」という性別は、自分がいくら努力したって変えようがない。
いくら差別だ差別だ叫んだって、女性として生まれた以上は、男性よりも運動能力で劣るわけだし、男性に子供を産ませる事も、生理を肩代わりさせる事もできない。
女性は力が弱いから、子供産まなきゃならないし、生理もあるしで継続した長期間働けないからという理由で、女性は雇いませんとかは差別なのだ。

男女雇用機会均等法は、本来はそういった能力を見ないで性別だけで無条件に女性を雇いません、出世させませんはダメですというもの。
それがいつの間にか、女性社員の割合が低い会社は差別企業だとか拡大解釈というか、逆差別で使われる事が増えている。
生理休暇や出産時の育児休暇制度など、十分女性特有の身体的特性を考慮した制度を設け、男女の区別なく募集して、平等な目で雇ってるのに、差別だと言われる。
単に女性がやりたがらないだけで、応募そのものが少ないのにw

国会議員も同じだ。
お前ら女が立候補もしなければ、女性候補に投票もしてないから、国会議員の男女比率が今のようになってるわけだよ。
別に男が女性の立候補を妨害したり、女性候補への投票を制限したりしてるわけじゃない。
なのに差別だとか、平等じゃないとか、そりゃ言ってる事がおかしいだろとw

女性というだけで教育を受けられないと訴えている、マララさんのような人達こそ、正しい主張をしているし大いに支援すべきなのに、そういうのはスルーw
だから日本は男女差別に対する評判が良くないのだ。
本当の意味での平等を目指して活動している人から見れば、日本の女性はちっとも差別を解消するような事をしてない。
むしろ優遇される事ばかり望んでいる。
男性に向けて、お前らはダメだと言ってるんじゃない。
女性に向けて、お前らはダメだと言ってるんだよ、そういう評価はw

こういう自分達が優遇されたいがために言ってるだけでの差別は、「それってよく考えたら、逆差別だよね?」ってのが多いので、それで簡単に判別できるのだが、物事のを決める立場に居る人間ほど、それが分かってないので騙されてしまう。
きちんと「差別」とはどういう状態の事を言うのか、「平等」とはどういう状態を指すのかを理解していれば、そういう連中に押し掛けられても流されずに跳ね除けられるはずなんだよ。
まぁ脅迫とか数の暴力とか使う奴も、そういう連中には多いので、個人できちんと論破して跳ね除けろってのは、無理があるかもしれないが。

少なくともそれなりの規模の企業の経営者や、政治家や官僚は、それなりの規模の組織に属しているわけで、組織の力で正しくないものは、選別して跳ね除ける事ができないとは思えないんだよね。
それができないのは、単に馬鹿なのか、あるいは自己保身しか考えない、組織のトップや幹部として失格なクズかどちらかでしかない。

軽蔑され、支持を失いたくなければ、正しく使われていない「差別」には従うべきじゃないし、受け入れるべきでもないという話。

アズールレーン(アズレン) 行動できなくなるパターン

愚痴ばかりだったので、久しぶりにゲームの話題でも。

ここ最近、ネットサーフィンしたり違うゲームしながら、自動戦闘で裏でアズレンを動かし続けてという「ながらプレイ」をずっとしている。
ニートとは言え、1日中とは行かないが、ほぼ半日は毎日やり続けている。
これだけ長時間やり続けると、「燃料不足」で出撃できなくなるのが、一番多いパターンだろう。
1サーバだけでやってると、こういう事態に陥るので、3サーバでやってるが、一番最初に始めて育っているサーバは「燃料」が尽きるのが早い。
艦隊はレベルが高ければ高いほど、そして★の数を増やす「突破」をすればするほど、燃費が悪くなるからだ。

しかしこの一番最初に始めて、一番育っているサーバで行動できなくなる理由は、「燃料不足」だけではない。
もうひとつの理由であり、深刻なのが「ドッグが満員」ということw

「ドッグ」に空きが無いと、一部の艦娘(?)がドロップしないイベント戦闘等を除き、出撃そのものが出来なくなる。
初期状態の一切拡張してない状態だと、150隻のスペースがある。
もちろん、艦種が150そろったわけじゃない。
というか、全て揃えても150未満なんじゃなかったかな。

ドッグが一杯なのは、「突破」の材料としてダブった艦を確保してあるからだ。
あまりにもドッグが一杯になるので、ノーマル艦はダブりはすぐ強化や引退で処分するようにして、青色のレア以上だけを貯めておくようにしたのだが、それでも一杯になる。

この経験から、いくつかプレイする上での注意点を新たに導き出した。

1.建造は最低限に抑える
調子こいて、建造できるだけ建造してしまうと、キューブと資金が足りなくなるというのもあるが、「建造」は得られる艦の種類が多岐になるので、同じ場所やイベントの周回よりドッグが埋まりやすい。
育てなければならない艦が増えてしまうためだ。
なので建造はクエスト消化のための、最低限の数に抑えた方が良い。

2.委託と休憩と講義に出す艦は、優先度をよく考える
委託業務の中で、大量の経験値が得られるものは、「オススメ」で自動でメンバー選択せずに、面倒でも手動でレベルを上げたい艦を選択すべき。
経験値が180とかしか得られないショボイ委託は自動でも良いが、経験値が4桁以上得られるものは、「突破」の生贄が揃っているものを優先にする。
特にレベル70の最終突破を残すのみの艦は、生贄を2隻確保しておかなければならないので、最優先で。
またレベル70超えの艦でも、「進化」ができるもので、かつ生贄の1隻が確保できているものも、最優先でレベル上げるべき。
レベル70あるいは進化ありの艦ならレベル85まで、育てるのはかなりの経験値が必要となり時間が掛かる。
その間、生贄を必要数分確保し続けなければならない。
金ブリ・銀ブリで代用するのも手だが、これらはダブり艦が手に入る確率よりも低い。
効率よく全ての艦を最終突破させるには、やはりダブり艦を生贄として確保しておいた方が良いので。

同様の理由で、「寮舎」での「訓練」をさせる艦、「大講堂」で「講義」を受けさせる艦も、「演習」や新しい海域やイベントクリアのための金レアの強い艦以外は、「最終突破」や「改造進化」を残すのみまで育っていて、かつ生贄が揃っているものを優先的に配置した方が良い。
また常設委託も、指揮官レベルによって50レベル以上が出るようになってくると、レベル100の艦隊に組み込まれてない艦が最低でも1つ、できれば2隻必要になってくる。
なので、それ用の艦もできれば早い段階で用意しておきたい。
おすすめは、初期から必ず居て「改造進化」まで用意されていてレベルが高くなりがちな「ロングアイランド」が良い。
この娘は常に常設委託の一番上に必ずある、最大の18000の経験値が入るやつの常連にしておき、なおかつ余裕があるなら、「訓練」や「講義」もガンガンやらせよう。


ドッグは課金するなら拡張ができる。
無課金でも「ダイヤ」は手に入るが、これらは「結婚指輪」の購入以外で使うべきではないので、実質無課金者はドッグの拡張はできないと思った方が良い。

幼稚園に通ってた時の事、覚えてるか?

という話題がネットにあがっていた。

私はかなりのおっさんだが、未だにいくつかは覚えている。

・雨が降ると敷かれたゴザ
うちの幼稚園は校庭というか、お庭というか、そこの水はけがものすごい悪かった。
なので雨の日は泥だらけになってしまうので、門から幼稚園の教室の建物までの間に、ゴザが通路のようにひかれて、それで泥んこにならずに教室まで辿り着けるようにしていた。
そのゴザを踏んで歩くのが、すごい嫌だった記憶がある。
これは日本人の遺伝子に刻まれてるのでは?と思われるぐらい、靴で畳やゴザの上を歩くことに非常に抵抗を感じる習性のためだったんだなぁと、大人になって改めて思った。

・授業中に迷子になったw
うちの幼稚園は、東京で言えば八王子のように、もともと山ばかりの田舎だった地域を、高度経済成長期のベッドタウンとして切り開いた所にあったので、昭和の当時はまだ山が結構残っていた。
ある日、みんなで裏山を散策しましょうとかいう授業(?)があったのだが、なぜか私はひとりはぐれて迷子になってしまった。
迷子といっても、幼稚園の裏山であり、幼稚園の建物も見える位置だったため、問題は無かったのだが、「あれ?いつの間にかみんな居ない」とあせって幼稚園の建物に戻ってみたけど誰もおらず、仕方なくしばらくその辺を探し回っていると、いつの間にかみな戻ってきた。
園児が一人、居なくなってるのに気づかないとか、なんてずさんな先生達だと、園児心に思った覚えがあるw

・ちゃいるどぶっく
園児向けの雑誌のようなもので、チャイルドブックというのが毎月(?)幼稚園からもらえた。
それが楽しみだった覚えがある。

・うんこ漏らした友達
お遊戯かなんかやってた時に、一緒に踊ってた男の友達の足元に、かりんとうのようなものが転がっていた。
そいつは、足で蹴ってそれをどっかへやっていたが、後にそいつがうんこ漏らしてた事が判明したw
いやまぁ、うんこの欠片っぽいなぁとは思ったけどさw
性格はおとなしかったが、結構なイケメソだった子で、「こんなイケメソでもうんこ漏らすんか・・・」と思った覚えがある。

・スカート覗き見
たぶん健康診断の時かなんかだと思う。
私は某民族の血でも入ってんじゃないかと思うほど、性欲が子供の頃から強かった。
まぁ別に犯罪おかすほどじゃないけどね。
んで、健康診断なので女の子はみな上半身裸でスカートだけはいてるという、非常にエロい格好だったのに妙に興奮して、スカートの中をむしょうに見たくなり(笑)、健康診断表を落として、それを拾うふりをして一生懸命スカートの中を覗こうとした記憶があるw
今やったら、ロリコンどころかペドであるが、当時は自分も幼稚園児だったので、セーフであろうw
ちなみにパンツが見えたかどうかの記憶は無いw

・野ぐそしてた女の子
これは幼稚園の外、家に帰って遊んでる時の思い出だが、団地の1階のベランダの下という、あまり周りからは見えない場所を通りがかった時に、同い年かひとつ下ぐらいの、わりとかわいい顔をした女の子が、野グソしてたw
今ならロリもののエロ漫画でありそうなシチュエーションを、実際に目にしたわけだ。
もちろんエロエロ魔人だった私は、近づいてじっと見たかったが、エロいくせに気が弱いヘタレだったので、気づかないふりして通り過ぎた。
そして、しばらく時間を置いてから、その現場をもう一度見に行ってみた。
女の子はもう居なかったが、そこにうんこがやっぱりあった。
なんか未消化の人参の欠片みたいのが、混じってたのを妙に覚えてるw
さすがに、見ただけで触ったり匂ったりするほど変態ではなかったので、それだけだがw

・ちこしま先生
どういう漢字なのか覚えてない、ってか幼稚園児では分からないが、「ちこしま先生」という名前の先生が居た。
みんなから「ちこく先生」とか言われてた覚えがある。
別に特に遅刻してたわけじゃない。
ただ珍しい苗字で印象深いのと、子供は残酷なので(笑)、すぐにそういう珍しい苗字を面白がったりしたなぁという思い出。

ちなみにうちの幼稚園は、先生が若くて美人な方が多かったように思う。
自分の母親より明らかに若くて綺麗な人ばかりだなぁと、エロ魔人だったので、余計にそう思ったのかも知れない。
なお園長先生は、優しそうな顔の、メガネかけた白髪のおじいちゃんだったw

・肺炎
幼稚園の時に、肺炎にかかって1ヶ月ほど入院して休んだ事がある。
当時の私は体が弱く、しょっちゅう風邪ひいたりちゅうじゅ炎になったりしていたのだが、ついに咳が止まらなくて風邪かと思ってかかりつけの病院に行ったら、顔なじみのおじいちゃん先生が「あー、こりゃだめだ」「すぐ入院、タクシー呼んで」と、そこから即日入院した覚えがある。
別に死ぬほど苦しかった覚えはないのだが、親は修羅場だったと思うw
修羅場だったであろう親とは正反対に、むしろ自分は人生初の入院というイベントにワクワクしていた。
小児病棟のある、電車で2つか3つぐらい離れた場所の総合病院に入院した。
子供だけの大部屋で、当時数少ないながらやっていたアニメ番組を、思う存分見れる事が嬉しかった覚えがある。
まだ小さい子供ばかりの部屋だったので、親とかしょっちゅう見舞いにきていた。
その度に大きなおもちゃとか貰ってる子とかもいて、羨ましかった覚えがある。
また親がそろそろ帰るっていう段階になると、帰っちゃやだと泣き出す子が多かった。
私はといえば、親によると、「お前は他の子たちが、親が帰ろうとすると泣き出すのに、テレビに夢中で、泣かないどころか、帰るって言ってるのに振り向きもしなかった・・・」と後に言われたw
当時の心情をわずかながら覚えているが、もう一生会えないわけでもないのに、なんでそんなに泣くのか理解できないと思ってた事は覚えている。
テレビも好きなだけ見られて、怖い親に怒られる事もないし、面倒な幼稚園に通わなくても良いし、天国のような場所だと感じていたしw
年の割りに妙に大人びていたのかも知れない。

ちなみに、隣りのガキんちょが(当時は私もがきんちょだが)、自分の薬が苦くて嫌だったのか、私の薬を私だと偽って飲んでしまった事がある。
私の所にそいつの薬を持ってきた看護婦が、「え?あなたが○○君なの?」と驚いていて、「もう、しょうがないから××君が飲むはずだった薬を今日は飲んで。」「××君、今度うそついたら承知しないからね」とか言って、飲まされた覚えがある。
今から考えると、他人の薬とか飲ませて大丈夫なのか?と思うがw
まぁ生きてるし、そんなに強い薬じゃなかったのかも知れんが、あの人、看護婦として失格だろw

・おじいちゃん
母方の祖父母は家が割りと近く(といっても車で30分はかかる距離だが)、1月に1回は祖父母宅に家族で出向いていた。
ある時、うちの親父が爺ちゃんの事を「お父さん」と呼んでいる事に気づいた。
なぜ「おじいちゃん」なのに「お父さん」とお父さんは呼ぶのだろう?
もしかして、大人はお爺ちゃんの事を「お父さん」と呼ぶのが常識なのかも知れない。
とか、子供独特のとんでも理論を思いついた記憶があるw
もう幼稚園の年長で、大人だし、俺もお爺ちゃんの事はお父さんと呼ぶべきではないか?
とか思って、一度だけ爺ちゃんにむかって「お父さん」と呼んでみた事があるが、反応したのはお爺ちゃんではなく、親父だったw
それからはやってないが、あの一度だけでよかったと大人というか仕組みが分かってから思ったw

・家計簿
うちの母親は小まめな人間で、きっちり「家計簿」を付けていた。
当時はまだパソコンなんて無かったので、買い物から帰るたびに食卓に座ってノートになにやら難しげな文字や数字を書き込んでいるのが、すごくかっこよく見えて、真似をしていた覚えがある。
まぁ広告の裏に謎の文字を書き連ねていただけだがw

・コンバトラーV
世代がバレるがw
当時テレビでやってた合体ロボットものの傑作である、「コンバトラーV」がすごく好きだった。
何故かは分からないが、あの合体シーンに非常に惹かれた。
近所の友達が、その「コンバトラーV」の超合金のおもちゃを持っていて、めちゃくちゃ羨ましかった覚えがある。
あの時に感じた、乗り物が合体してロボットが完成するという、なんとも言えない感情を持ち続けていれば、今頃は工学部に進んで、ロボット工学の仕事をしていたかも知れない。

なお大人になった現在は、Youtubeなどで当時のコンバトラーVの合体シーンとか見ることができるが、見ても懐かしさは感じるものの、当時感じたかっこいいとか気持ちいいとか興味深いとか、そういう感情は湧き上がってこないw

うんまぁ幼稚園ぐらいの記憶って、結構のこってるねって話。

声優という職業の進化

今期の、いや今シーズンの最高傑作アニメではないかと言われる、大人気の「かぐや様は告らせたい」。
このアニメはストーリーの面白さという、もともとの原作の力に、原作絵に忠実にして丁寧に書かれ、崩れない作画、原作の雰囲気をうまくアニメとして再現した優れた演出や脚本によって、稀に見る最高品質の原作漫画アニメである。

そして、これらの中でも特に光るのが、「声優の演技」である。
主要人物の中には「新人」さんも居るらしいのだが、それらはもちろん、ナレーターに至るまで全てが「声優」として完成された、というか正に声優の演技とは、こういうものだと完成させたと言っても過言ではないぐらい、素晴らしいのである。

もともと「声優」という職業は、日本以外には存在しない。
海外などでは、「声優」はドラマや舞台の役者が兼業するのが普通だ。

しかし、テレビドラマにはテレビドラマの、舞台には舞台の、それぞれの演技の仕方がある。
同じ役者でも、テレビドラマや映画と、舞台では演じ方がまったく違う。

これは、たとえば舞台劇だとマイクも基本的に使わないし、最前列の観客と後ろの方の観客席からでは見える役者の大きさが違うため、不自然なほど大きな声ではっきりと、しかも動作も台詞も「わざとらしい」ぐらいに大げさにする。
そうしなければ、伝わらないからだ。
電車のアナウンスが、みな「哀川翔」の物まねをしてるかのようなしゃべり方なのも、性能の悪い昔のマイクでは、そういうしゃべり方をしないと音声が聞こえにくかったからだと言われている。

このように、同じ演じる・喋る職業でも、環境によって演じ方がまったく違うのが普通なのだ。

しかし「声優」にはそれが今まで、はっきりとは無かった。
特に「声優」という職業が存在しない、兼業ばかりの欧米では、日本のアニメに触れた人達には評判がすこぶる悪い。
プロの役者であり、ドラマや映画ではアカデミー賞を取るような名優でも、声優をやらせるととたんに感情のこもってない、大根役者のような声の演技しかできない、そういう風にしか聞こえないからだ。
その点、「声優」が職業として確立していた世界でも珍しい日本においては、素人はもちろん、普段はドラマや舞台で役者をやってるプロが、たまに声優をやると、棒読みに聞こえて仕方ないというぐらい、差が出るほど「声優」独特の演技力というかやり方というのがあった。
そして、「かぐや様は告らせたい」に見えるように、ここ最近のアニメは、海外からの注目も高く、売り上げや作品数についても、急成長し続けている事が原動力になっているのか、さらに「演技」に磨きがかかったものが多い。
そういう「声優」が多くなってきている。

ただ台本に書かれた台詞を、間違えずに絵に合うような絶妙なタイミングで、しかも視聴者が聞き取りやすいようなはっきりとした発音で、それなりの感情が視聴者に伝わるようにやれば良いというものではないし、それだけでもかなり難しい。
それに「根暗でボソボソ喋る」などのキャラクター演出などは、視聴者が聞き取りやすいよう、はっきり発音して喋るというのとはまったく正反対の演技も求められる事があるなど、それだけ見てもほぼ不可能と思えるほど困難で高い技術、独自の方法が必要な事がわかる。
それができていただけでもすごい事なのだが、ここ最近はさらにその演技力に磨きがかかって、進化しているのだ。
もうすでに、他の国の「なんちゃって声優」や演技力が高く評価される他のドラマや舞台の役者と違って、注目度も認知度も遥かに劣るにも関わらず、誰が聞いてもまったく「違う」とわかる、上手さの差がモロに出るレベルまで「声優」という職業を昇華させていたにも関わらず、さらに「すげー、進化したなぁ」と視聴者を感心させる。
それが日本の新しい「声優」層のすごいところ。

日本人はもともと、物事をとことんまで突き詰める、完璧主義者と海外からは言われるが、まさに「声優」もそうだったという事だ。
表情や身振り手振りなどが一切使えず、「声」だけで全てを表現し、伝えなければならない「声優」。
他のドラマや映画と違い、オーバーすぎるほどの喋り方をする。
この辺は舞台俳優の演技、たとえば「宝塚」などと方向性は同じだ。
中身はまったく違うがw

ここ最近の声優の進化は、この「オーバーな喋り方」が「オーバーに聞こえない」「ごく自然に」「普段の生活でも、街中でも、友達にもこういう喋り方の奴いるわw」と思わせるような「演技」が増えた点にある。

「オーバー」なんだけど「オーバー過ぎない」、感情が異常なまでに篭った喋り方なんだけど、篭りすぎてない自然な喋り方に聞こえる。

これが「かぐや様」の「声優陣」に感じた、私の「すごいなぁ」と思った点。

そして、ただでさえ完成されていた「声優」の演技というものを、更に一段階昇華させたと感じる点だ。

「かぐや様」の感想を述べている掲示板やサイトや、あるいはニコ動などのコメントでも多く見られる、「石上会計」の声優の演技。
彼はまだ二十歳そこそこの、新人でありながら、ベテラン声優にもできないような「こんなしゃべり方の奴いるわw」「こんな言い方しそうw」という視聴者に共感というか、不自然さを感じさせない素晴らしい「演技」をする。
非常に評価が高い。
かつて日本の歌謡界が絶頂期のころに、歌唱力というのを忘れて「顔の良さ」だけで歌手を名乗る「アイドル」というのが生まれた。
それが人気を更に高める一因にもなったが、同時に歌という芸術のレベル低下にもつながった。

声優界も、歌謡界と同じ現象が起きていた。
本来「顔出し」はNGなはずなのに、「アイドル声優」なんてもんが多く登場し始め、「声優」という職業が注目され、人気を上げる一因にはなったが、肝心の声優としての演技力の低下が起きる危機もあった。
しかし「声優界」はそうならなかった。
なぜだか、アイドル声優の声優としての演技力は及第点以上の人が多かった。
同じ「アイドル」でも「アイドル歌手」みたいな歌が下手糞な、「それ、歌手って名乗ってて恥ずかしくないの?」ってのは、出てこなかった。
不思議なものであるw

「声優」とは、アニメーションという近現代の技術によって、はじめて実現できた新しい「芸術」である。
従って、「声優」の歴史も、他の演技系の「芸術」とは比べ物にならないぐらい短い。
しかし、短期間でここまで「声優」という独自の職業の確立、演技の進化を見せたのは、珍しくもあり素晴らしい事でもある。

「声優」という職業は、もっと評価されるべき。
ぶっちゃけ、将来的には「文化勲章」だの「人間国宝」だのの対象にすべきレベルまで、すでに到達していると思う。

ただ声が「かわいい」だけ、「イケボ(イケメンボイスの略)」であれば声優になれるわけではない。
美人やイケメンならみなドラマに出演できる、歌手デビューできる、腐ったテレビ芸能界とは違う。
むしろそれらは「最低条件」であり、そのうえで更に「演技」が上手い人だけがプロの「声優」になれる。

かつて第二次アニメブームの時に、「赤ずきんチャチャ」という人気少女アニメがあったが、あの主人公に大抜擢された代アニ(代々木アニメーション学院)出身・・・というかまだ当時は在学中だったかな、そういう大人の事情でゴリ押しで未熟なのにやらされてた、棒読みの酷い女性声優が居たw
しかし彼女も、次の作品、その次の作品と経験を積むうちに、プロの声優として遜色ないレベルにまで到達した。
歌の下手なアイドル歌手は、何年続けても下手糞なままの芸能人とは大違いだw

また、演技が進化しているのは若い世代だけではない。
日本の戦後のアニメを最初期から支えてきたような、ベテラン声優も進化している。

男性声優でもっとも知名度や人気が高い「若本規夫」なども、若い頃の演技と今の演技ではまったく別物である。
ギレンやサウザーなどの、ダンディーな悪役男性を数多く演じてきたベテラン男性声優の「銀河万丈」さんも、初代ガンダム放送時のギレンの演技と、最近になってなんかのイベントで、当時のギレンの演説シーンを生演技した有名な動画とでは、まったく演技が違う。
棒読みっぽく聞こえる初代の演技と、聞いてる人が「これはジークジオン叫んでしまいますわw」「こんな演説聞いたら、独裁者でも支持してしまいますわw」と言わしめるほど、演技力に差がある。
ベテランになってもなお、進化し、レベルアップし続けている人が沢山居るのが「声優」なのだ。

「声」というアニメの一部でしかない要素であるにも関わらず、「大山のぶ代」じゃない「ドラえもん」なんて「ドラえもんじゃない!」と言う人が居るほど、大きな何かを占める力がある。

俳優や女優などにも、その人の死が大きな衝撃、損失だと言われる人は居るが、「声優」のように、もはやその作品は、たとえ代役が引き継いでも、別物になってしまうぐらいの影響がある人は少ない。

「声優」は世界に向けて日本が誇れる、独自の文化「職業」であると言って良いものだと思ったという話。

外国人に生活保護を支給するのが、なぜおかしいのか?

まとめサイトにそんな話題があったので。
未だに一般人の中にも、そしてなにより官僚様が理解してないようなので。

まず国というのは「人間の群れ」である。
人間は一人では生きていけない弱い生き物なので、野生の草食動物と同じように「群れ」を作って生きる道を選んだのだ。
人間の祖先である「サル」の頃から、それは変わっていないのだ。

「群れ」というのは、数の暴力で一匹では到底適わないような外敵に対抗するのが、主な目的だ。
だが、せっかく「群れ」になっていても、外敵が襲ってきた時に、我先にとバラバラに逃げたりしたら、意味が無いわけだ。
だからリーダーという司令塔を立てて、それに従う事で、群れ本来の力を発揮できるようにしている。
あるいは「掟」と呼ばれる、群れのメンバーが従わなければならないルールが定められている。

群れのメンバーは、群れの危機の際には協力して、外敵に立ち向かい、群れを守る義務があるのだ。
つまり国民には、自分の所属する国が危機の際には、逃げ出さずに戦わなければならない。
立ち向かわなければならないという、義務や責任が課せられている、みな見て見ないふり、分かっていて知らん振りしているがw

しかし外国籍の人間には、当たり前だが日本国という群れのメンバーじゃないので、そういう責務は無い。
日本が戦争の当事国になれば、逃げても良いわけだし、別に戦争とか物騒なものでなくても、例えば大地震などで日本列島が壊滅的ダメージを受けて、生活がままならなくなっても、日本人は復興作業をしなければならない。
戦後の日本人が、飢えに苦しんでも食い物が沢山あるアメリカなどに逃げ出せなかった事を見てもわかるだろ。

そういった、いわば国と命運を供にする事を、嫌でも義務付けられているからこそ、その代償として平時はできる限りサポートしましょう、安全を保障しましょうと、群れの力を使ってくれるわけだ。
そういった代償のひとつが「生活保護」である。

日本国という日本人の群れを維持するために、全力を尽くしてください。
でも運悪く、それが適わぬ状況になった時は見捨てずに生活保護で面倒みてあげますから。

在日外国人というのは、会社で言えば、派遣社員のようなものだ。
同じ場所で、同じ仕事をしてはいるが、正社員や直接その会社に雇われているパート・アルバイトとは違う。
当然ながら、給料だって派遣先の企業が派遣元に払ってる金で、派遣元から支給されてるわけだ。
同じ場所で同じ仕事してるのに、給料が派遣先の社員より低いとか言って、じゃあ同じにしましょうねなんてなるか?
派遣先の業績がすごく良かった。
なので社員はもちろん、パートやアルバイトにまでボーナスが出た。
同じ仕事して、業績に貢献したんだから、派遣のみなさんにもボーナスあげますなんて会社あるか?

官僚は「人道的」というのを理由に、在日外国人への生活保護の支給を正当化しているが、それは派遣社員にまで派遣先がボーナスを出すのと同じぐらい、あり得ない事なんだよ。
「人道的」で許されるのは、きっちり法律守って税金払ってるなら、殺されたり盗まれたりしない権利を保障しましょう。
病気になったら、救急車呼んでもいいですよ。
犯罪被害にあったら、警察が捜査して犯人捕まえてあげます。
裁判できちんと処罰してあげますし、民事で賠償請求しても良いです。
ゴミを出せば、きちんと回収しましょう。

とかそういうレベルまでなんだよ。
生活保護は「人道」に含まれないの。
派遣社員は、ウツになったのでしばらく会社休みますって言っても、「ではその間は、満額ではないですけどいくらかお金を支給しましょう。ゆっくり休んで直して、復帰してくれる事を待ってますよ」なんてやってくれないでしょ。
有給も育休も、派遣社員には無いわけ。
あったとしても、それは派遣元の規定に沿うはずで、派遣先の福利厚生がいくら良いからって、同じものは受けられないのは当たり前だよね?
なんでこんな簡単な事がわからんのか?

正社員や直接雇用のパート・アルバイトは、その会社が倒産でもした日にゃ、甚大な被害を受けるわけ。
まともな会社なら、雇用保険とかがあるだろうから、即時食えなくなる事はないけど、それでも今まで通りの生活はできない。
ローンは払えなくなるし、子供の学費だって出せなくなる場合だってある。
しかし派遣社員は、派遣元がすぐに次の仕事先を紹介してくれるわけ。
派遣元との雇用形態によっては、正社員なら派遣先が倒産しても給料は出るわけ。
なぜなら、派遣元が給料支払ってるからw

国籍も同じ。
日本国が滅亡したら、日本人はそれこそすぐにでも餓死したり、治安悪化で命が危ないとか、そういう状況になるわけ。
しかも簡単に逃げ出せないわけ。
でも外国籍の人間はそうじゃない。
祖国という面倒見てくれる、自分の所属する本来の群れがあり、また逃げ帰れる場所もある。

なぜそういう人と、日本人が同じ待遇なのか?
おかしいと思わないのか?

感情論でなく、理屈で言ってもおかしいのだよ。

そもそも人道だの人権だのってのは、「国」が与えてるものにすぎない。
「国」が保障しているにすぎないのだよ。
日本人がみんなで、がんばって維持・運営している「日本国」に、決める権利があんの。
外国籍の人間には生活保護は出しません。
飢え死にするなり、祖国へ逃げ帰るなり、好きにしてくださいってやって、「非人道的だ!」なんて批判されるいわれはないわけ。

これは「参政権」なんかもそうなんだけど。

「人道」だの「人権」だの、そういう言葉に惑わされ、騙されてはいけない。
無制限に、無条件に認められる、与えられる権利なんてもんは、この世には無い。
もっと「人道」だの「人権」だのの、本当の意味をきちんと教育すべき。
そうすれば、クズどもにだまされないですむ。
単に暗記力が優れているってだけで、偏差値の高い立派な大学をお出になられた、中身からっぽの上級国民様に振り回されないで済むのだよ。

まぁ役所の人間にも、その辺分かってるのは居ると思う。
だがそういう団体の「暴力」が怖いから、言われた通りにしてるだけってのもね。
何度も言うが、人間は弱い生き物なので「群れ」でないと生きられない。
そういう反日利権団体とかいう「群れ」に、役所の人間が一人で立ち向かえるわけがない。
政治家どもは、そういうのをもっと認識して、日本国という「群れ」の力を正しく使うべき。
そういう奴等は、国から追い出し、入れないようにすべきなんだよ。
お前らの懐を潤すために、税金払ってんじゃねーんだよ国民は。
いい加減にしろ。

他人には見えないものが見える人

科学的には、幻覚や幻聴などと同じく、「脳の動作不具合(エラー)」となっている。

幻覚は、別に薬やったり精神的な病気にならなくても、正常な人でも常日頃見ている。
人間の目には「盲点」という光を感じる細胞が無い場所が、目のちょうど中心あたりにある事が知られている。
従って、本来人間の視界には、真っ暗で何も見えてない部分が中心辺りに存在しているはずなのだ。
しかし実際には、人間の視界の中心に、見えない部分など存在しない。
それは「脳」が見えてない部分を、周りの映像などから推測して補完し、あたかも見えているかのように認識させるからだ。
「見えてないのに、見えるもの」
まさに幻覚だ。

子供はよくそういう見えないものが見えるというが、これは脳が未完成だからであると言われる。
正確には、脳の視界補正プログラムが構築中であり、動作が十分でないからであると考えられる。

さて、本題はもうひとつの見解。

この世界は、平行世界とか異世界とか呼ばれるものが無数にあると言われている。
霊界などと言われる想像上の世界も、実はそれらのひとつである可能性が高いと思っている。
そしてこれら別の世界は、この世界と同じ「場所」に存在している。

例えば、我々はテレビでいろんな放送局の番組を見る事ができる。
他の放送局の違う番組を見ようと思ったら、リモコンなどでチャンネルを変えれば、今見ている同じ画面で違う番組を見ることができる。
放送局の数だけテレビ画面を用意する必要はない。
これが、異なる世界が同じ場所に存在する仕組みとして、もっとも分かりやすい例であろう。

そしてこの世のものではない=別世界の人やモノが見えるってのは、このチャンネルの選択がうまくできていないためだ。

現代っ子には分からんかも知れないが、アナログのダイアルでラジオの放送局を選択していた昭和の時代、場所によっては2つの放送局の音声が重なって聞こえる事があった。
ラジオ放送局の周波数は、基本的に他の放送局と重ならないようになっているが、ぴったりその周波数に合わせなくても、雑音混じりだが聞こえる場合がある。
周波数同士が近い放送局があった場合、そしてそれらの電波が両方とも届くような範囲に置いたラジオでは、2つの放送局のちょうど中間あたりにダイアルを合わせると、両方の放送欲の音声が混じって聞こえるという現象が起きたのだ。
これと同じ現象が、この世の人やモノでないものが見える人には起こっているのだと思う。

日本は古来より、生物の本体は「魂」という永遠不滅のものであり、それらが「肉体」に宿って居るに過ぎないという考えがある。
その考え方からいけば、われわれの現実世界の映像・音・感触などはすべて「肉体」を通して魂が認識しているという事になる。
この場合、「肉体」はラジオやテレビの受信機と同じだ。
この世に存在する肉体は、この世の現象しか受信できないが、肉体は工業製品ではないので、性能に差がある。
この世以外の世界、ラジオやテレビで言えば、割と周波数が近い世界の情報も受信できる肉体があってもおかしくはない。
そういう人が、「霊感がある」みたいになるのだと思う。

またもうひとつの見方として、この世に強い未練や怨念を持ったものは、その魂が幽霊として見えるのではなく、その魂が残した強い思いのエネルギーの残骸が見えるのではないかと言う事。

もともとテレビやラジオなどの「電波」は、時間が経てば消えてしまうが、肉体が感じた強い思いなのか、魂の感情エネルギーなのか、そういのは時間が経っても残るのではないか、消えるのが遅いのではないかという事だ。
そういうものは、本来現実世界で生きていくうえでは、見えてしまったり感じてしまったりすると不都合が生じる。
なので外部からの電磁波や電波などの影響を受けないよう、通信やアンテナ線にはシールドというものが施されているが、同じように生物の肉体にもそういうものが施されている可能性がある。
だが、先にも言ったように生物の肉体というのは工業製品ではない。
かなりの性能差がある。
よってシールドが不十分な人も居るかもしれないし、犬や猫などは人間よりシールドが薄いのかも知れない。
だから人間には見えないものが見える事がある、人間には感じられないものを感じる事があるのかも知れない。

そもそも本来、「魂」というものは、どんな世界も見る事ができるし、感じることができる自由な存在だ。
しかしその能力が封じられる、不自由な肉体にあえて宿る事で、ひとつの世界でひとつの物語だけを体験するのである。
「魂」が本来持っている時間や距離を超越する能力の他に、持っている記憶や知識も封印される。
なぜそんな事をするのか?
その方が、現実世界の人生を楽しめるからだw

他人の感想や評論や、あるいは売り文句のあらすじなどをまったく聞いたり見たりしないで読んだほうが、本の物語は面白いのと同じ。
そういった過去の経験や予備知識なしに、生きるからこそ、人間は失敗をするわけだ。
人間だけでなく、すべての生物が「正解」の行動ばかりしていたら、この世は面白くないw
苦しみがあるからこそ、喜びも倍増するわけだw
逆のパターンもあるが、それすらも魂にとっては良い刺激なのだ。

前にも言った事があるが、楽しいとか嬉しいとか、そういうプラスの感情というのは、食物の味で言えば「甘い」になる。
そういった感情を「甘い」と例える事もあるが、それは魂がそう感じているからだ。
逆に苦しいとか痛いとか、そういう負の感情は「辛い」味である。
そもそも負の感情を表す言葉のひとつである「つらい」と、味の表現のひとつである「からい」は、漢字だと同じ字だw

人には甘いものが好きな人、からいものが好きな人が居るように、魂にも得られる感情の好みがあるのだろう。
また、いくら甘いものが好きと言っても、そればっか味わってたら飽きるし、たまにはからいものも食べてみたくなる。
だからずーっとつらい人生もないし、ずーっと幸せが続く人生も無いのだ。
大抵は幸・不幸はバランス良く起こるが、どちらかの割合が俺の人生は多いなぁと思ったら、それは自身の本体である「魂」がそれを望んだからだ。
甘いもの好きか、からいもの好きだったからだ。
肉体に宿った時点で忘れてしまうが、自分が望んだ事なのだよ。
ゲームとかで、強いと言われているキャラクターを選ばず、腕に自信があるからと、あえて弱い・使えないキャラクターを選んで遊ぶのと同じ。

この世は魂の修行場だとか言う奴もいるが、そんな大層なもんじゃないw
むしろ遊び場、人生ゲームをしているに過ぎないと思っているw
もちろん人以外も、犬生ゲームであり、猫生ゲームであり、ゴキブリ生や植物生もあるし、プランクトン生もあるかもしれないw
寿命が数日しかない、儚い虫けらも、数百年・数千年生きられるが一切動けない大木として過ごすのも、何でもありだ。
望んでそれに宿ったわけだ。

こう考えていれば、もっと楽に生きられるのではないかなーw
人には見えないものが見える人も、不幸続きの人もw

NZのモスク襲撃事件 なぜ日本では宗教テロが起こらないか?

日本は神道と仏教が2大勢力ではあるが、それらはお互いに共存している。
「お前の信仰は間違ってる。俺らの方が正しい。」みたいな事は、お互いに一切言わない。
むしろ仏教の坊さんでも初詣に行くし、神道の神主の家でも死ねばお寺の墓に入る。
少数だがキリスト教の教会もあるし、イスラム教のモスクだってあるが、争いは起こってない。

そもそも宗教の正しい形が、信仰を他人に押し付けない事なのだ。
キリストもブッダもムハンマドも、他の宗教を信仰してる人のところへわざわざ出向いて、「お前らの信仰は間違っている。」とかやってない。
ただ話しを聞きに来た人のみに、説法をしただけだ。

なぜ話を聞きにくる人が沢山居たかといえば、それら3大宗教の創始者達がみな人間的に尊敬できる人だったからだろう。
他の宗教を既に信仰していても、なんかキリストとか言う人は、めっちゃ悩みとかなさそう、幸せそう、なぜなんだろう?
とその理由を聞きにくる。
みたいな事で、信者を増やすのが正しいやり方だったはずなのだ。
わかりますかね?
子供まで使って訪問してくる某キリスト系の新宗派とか、不幸のあった人の話を聞きつけると、よんでもないのに大勢で押しかける某仏教系の宗派の人達はw

移民による争いも同じ。
俺らは自分の民族のルーツに誇りを持ってる。
それは誰が何と言おうと譲れないし、捨てれない。
それは結構。
だがだからお前らは、俺らに配慮しろとか、俺らのやり方を認めろとか、そういう押し付けをするから嫌われる。

そもそも移民なんてのは、信用されなくて当たり前、嫌われて当たり前なんだよ。
かつてアメリカ大陸に渡った日本人移民だってそうだった。
だが彼らは嫌われても差別されても、文句ひとつ言わずに、移民先の文化・風習に合わせる努力をし、まじめに働いて悪いことをしなかった。
そういう態度が、徐々に先住民に「あれ?こいつらもしかして危険な奴らじゃやないんじゃね?」という信用を植えつけたのだ。
アメリカ合衆国の日本人移民なんて、全財産没収のうえ、強制収容所に入れられたわけですよ、太平洋戦争の時は。
そんな扱いを受けてもなお、「われわれはアメリカ人であり、祖国と殺しあう事になってもそれは変わらない」と兵隊に志願してまで忠誠を示した。
そういう態度や実績が、アメリカ人達の信用を勝ち取り、一定の影響力を持つ勢力にまでのし上げたわけだ。

わかるかね?
日本にあわせようともせず、文句ばっか言って、何の生産性もないパチンコとかそういう商売しかしない、あるいは生活保護で寄生する事しかしない某在日外国人のみなさんはw

別に日本国が世界で一番、優れたシステムを持った国であるとか、優れた民族であるなどとは言わない。
しかし少なくとも、テロや移民問題に苦しむ国や当事者達は、参考になるような実績や歴史を日本や日系人は持っている。
なぜ学ぼうとしないのか?
なぜ真似しようとしないのか?

自分たちの文化や価値観を捨てる事と、他民族の文化を学んだり新しい価値観を取り入れる事は、両立できない事じゃない。
日系移民は、日本語をまったく話せないような2世・3世も日本民族としての誇りは捨てていない。
日本の仏教や神道も、信仰をうやむやにしたりしてるわけじゃない。
きちんと昔からの教えや戒律は守って、そのうえで他の宗教の人と上手く付き合ってる。

なぜそれが出来ないのか?

自分の民族の価値観や信仰を保ったまま、他の価値観や信仰にも理解を示す事ができないなら、てめーの国に住み続けろって事だよ。
てめーの国から外に出るなよ。
貧しかったり、危険だったりしても、住み続けろよ。

自分たちの力で、自分たちの国を良くする事が出来ない、そういう努力を放棄して逃げ出してきたくせに、別の場所で自分らの理想の通せると思うなよw

日本に帰化しないで、住むような人を否定はしない。
それだけで追い出せとか言うつもりもない。
最低限、日本の文化・風習を尊重し、法律やルールを守って生活するなら、別に日本が好きじゃなくても、戦時中の日本を恨んでたって、別にいいよw

他人に迷惑を掛けない。

これが日本人が、日本国が世界的に見ても平和で治安の良い、そして豊かな国になった事の、一番の理由。
価値観の押し付け、信仰の押し付け、日本語分からんから英語で表記しろとか、そういうの、全部「他人に迷惑を掛けない」行為じゃないよね?
それを基準に行動すれば、日本だけじゃなくどこの国でも、どんな宗教を信仰してても、すくなくとも殺し合いに発展するまでの軋轢を生む事はないんだよ。

だいたいが人間なんてのは、どんなに「他人に迷惑を掛けない」ように心がけても、誰にも一切迷惑掛けずに生きるなんて無理なの。
だから少しでも、迷惑掛ける度合いを減らそう、必要以上に迷惑掛けないようにしよう、それが自分や自分の子孫が生き延びる、生き残っていく上で、もっとも良い方法だと悟ったのが、日本人という民族なのだよ。
最近じゃ、生粋の日本人でもこれが分かってない、出来ない奴が増えてるけどね。

銃を規制するとか、単一民族だからとか、そんなもんは日本が平和で治安が良い国である理由の一旦でしかない。
そもそも、お前らの国でそれが出来んのかって言ったら出来ないだろw
「他人に迷惑を掛けない」という、たったひとつの信念なのか価値観なのかを、てめーらの心に付け加えるだけでよいのだよ。
今ある価値観や信仰や文化を変えたり捨てたりするんじゃなくて、付け加えるだけでいいの、これを。
家庭なのか学校なのかの教育や躾に、それを入れて実践すれば、何十年後かには、日本と同等レベルの平和で治安の良い国なると思うよ?

好きな人と結婚する人は違う

よく本当に好きな人、恋人にしたい人と、結婚する人は違うと言われる。
もちろん、そうじゃないパターンも存在するだろうがw

それを証明するかのような体験談が、まとめサイトにあったので。

その体験談では、投稿主が学生の頃に好きな人に告白しようと手紙を下駄箱に入れたのだが、誤って苗字が同じ別人のところへ入れてしまい、「人違いですwww」とは言えずそのまま告白したら、なぜかOKされてしまい、そして今は旦那になっているというものだったw

もちろん間違えた相手が、生理的に無理というほど嫌いだったり合わない人だったらこうは行かないだろうw
だが特に異性として好きではないが、嫌いでもないという程度の人だったら、こんな事もありえる。
むしろうまく行き過ぎてしまうという例だ。

なぜか?

本当に好きな異性には、それが男であれ女であれ、自分の勝手な理想や思い込みなどの幻想を抱いてしまうからだ。
「イケメンだから優しいはず」とか「かわいい子だから、性格も良いはず」とか。
それが結婚まで行けない理由だ。
そういうちょっとした、相手へ抱いていた勝手な幻想と現実の違いの積み重ね。
恋人同士という、距離が離れた関係の場合はそれでも我慢できたりするのだろうが、結婚というのは今後死ぬまで一緒に暮らすという事だ。
すごく好きだからこそ、こうあってもらいたいという幻想と現実のギャップに耐えられなくなるのだ。

しかし嫌いではないけど、異性としては特に好きだったわけでもない。
まぁ嫌じゃないし、別にいいかって程度で結婚した場合は、上手くいってしまう。
なぜなら、相手に変な幻想を抱いてないし、求めてないからだ。
「まぁそういう事もあるよねw」「しょうがないよねw」で自分を納得させられ、それほど思い悩んだりせずに受け入れられるからだ。

件の投稿主も、相手はなんかそこそこモテるイケメンらしいけど、自分はそれほどでもないなー程度の人だった。
相手側の男性も、あーなんかかわいい子だなぁとは思うけど、特に自分から告ってまで付き合いたいという程ではないなーだったのだろう。

お互いが恐らく、告られたら断る理由もないので付き合うかもしれないけど、自分から告ろうとかは思わないという程度だった。
だからこそ、勘違いでの告白が上手くいき、そしてそのまま結婚に至るまでずっと付き合えたのだと。

実はこれは、自分の経験からも「恐らくそうなんだろうな」と思える節があるからだ。

中学生ぐらいの男子というのは、大抵クラスや学年でかわいい子のリストを頭の中に持っており(笑)、夜に布団の中で寝付くまで、その子たちと日替わりでいちゃいちゃしたりする妄想をするw
しかし、そういうリストに入ってない子から、突然告白・・・ではないがバレンタインに本命チョコを渡された事があるw
最初は何かの罰ゲームか、からかっているのかと思ったが、中学三年間ずーっとチョコくれたし、なんか手紙とかもついてたし。
「ああ、罰ゲームでもなく、からかわれているわけでもなく、本気で俺の事を好きになってくれたんだ」と思えた。
正直、最初は驚きと疑いしかなかったが、同時にすごくうれしかった。

男というのは、最初はどうしても女性を見た目で選んでしまいがちだ。
だからこの子が「こいつとだけはないわーw」という不細工リストに入ってるような子だったら、即効で、中学生男子らしいかなり酷い言い方かやり方でお断りしていただろうw
だが夜の甘い妄想する子リストにこそ入っていなかったものの、実はかわいい部類に入る子だった。
顔はもちろんだが、背が小さくて性格がおとなしいというか、あまり目立つ事をしないし、大きな声ではしゃいだりもしない、どストライクな子だったのだ。
なぜリストに入れてなかったのか、後になって不思議になるぐらいにw
背が小さいのに巨乳だったのもポイントが高かったw
まぁ別におっぱい星人ではなかったが、ギャップ萌えってやつだw

もともと人見知りの激しい性格なうえに、家族で女はかーちゃんだけという環境で育った事もあり、特に女の子は苦手だった。
「こいつとだけはねーわw」というドブス(失礼w)はともかく、特に美人だったりかわいかったりするわけでもない、普通の子とでも、相手の目をみて離せない、妙に意識して顔が赤くなってしまうなどがあったからだ。
ちなみに今でも、超かわいい子じゃなくても、たとえ告白されても全力でお断りしたいレベルの子(容姿やスタイルや年齢といった見た目だけでなく、性格的なものも含めて)以外の女性と話すのは苦手だw

話が誰も聞きたくない高齢ニートの甘酸っぱい青春の思い出になってしまったが、なぜこの体験が「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」の理屈を納得できる経験なのかというと、エロい妄想をする相手リストに入っていなかったので、変な幻想とか抱いてなかったからだ。
告られてはじめて、「あれ、こいつかわいいし、なんかうれしい、いいんじゃね?」と思った、というかこっちも何か好きになってしまったからだ。
だからもしあの時、「俺には女なんて必要ないぜw」とか変な方向に粋がった中二病の糞ガキでなっかったら、そのまま付き合って結婚までいってたと思う。
というか、私の事を勇気を振り絞って告ってまで好きだと言ってくれる人なんて、もう一生現れないと思ったしw
ちなみに、その思いは正しかったらしいw

しかしながら相手はどうだったか分からない。
そのままもし変な中二病の症状を出さずに、「ありがとう、僕も君の事が好きです。付き合って下さい」と返事できて、そのまま何年か恋人で居たとしたら、もしかしたら相手は幻滅したかもしれない。
別れ話が出るとすれば、おそらく相手からだっただろうとも思う。
なぜなら、相手は私に変な幻想とか理想とか思い込みを持ってる可能性が高かったからだ。
そもそも女性に好かれる要素が、まったく当時の自分には見当たらなかった。
特に家が近くて幼稚園ぐらいの時から顔見知りの幼馴染とかいうわけでもなかったし、たしかに小学校の頃から同じクラスに何度かなった事はあったが、その時も特に親しくなかったどころか、話をした記憶さえない。
唯一、何か班でやる工作の宿題かなんかを、その子の家に班のみんなで集まってやった事があったなぁぐらい。
結構大きいけど、古い農家っぽい家だった覚えがあるが、それだけだ。
とても好きになって貰える切欠が思い当たらない。

だから自分は相手に対して、何の幻想も思い込みも理想も抱いてなかったので、そのままもし付き合ってたとしても、「あ、こいつこんな所があるんだ」と好きになるポイントが増える事はあっても、減る事なんぞ無かったと思うw

二次元限定だが、つるぺたロリ好きな自分にとっては、ロリ巨乳も大いに有りであり、私の人生の中で三次元に存在した唯一の人でもあったから、もしタイムリープでもして当時からやり直せたら、もうこっちから頭を下げてでも彼女になってもらうだろうw
まぁ今は変な相手への幻想や、思い出補正がかかってるので、当時に戻って付き合えても結婚までいけるかは分からんがw

つまり結婚とはそういうものだ。
相手に変な理想や幻想を抱いているほど、好きな人との結婚は、それゆえに上手くいかない事が多いのだ。
だから昔の人達は、その体験から「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」「恋人になる人と、結婚する人は違う」という格言を残したのだろうと思うw

ちなみにうちの両親も、恋愛結婚ではなく、お見合い結婚だった。
だからこそ、親父が死ぬまで離婚とかしないで済んだし、子供3人ももうけるほどの良い家庭だったんだと思う。
親父もお袋も、相手に対して特にこの人じゃなきゃ絶対ダメとかいう気持ちが無く、「まぁ歳も歳だし、悪い人じゃなさそうだし、いっかwww」みたいな、軽い気持ちで結婚したんだと思うw
それが結果的に、熟年離婚もしないで長く一緒に生活できた理由だと思うのだ。

だから「お見合い」とか「親が勝手に決めた相手と」みたいな、昔の日本の風習は、そんなに悪いもんじゃないんではないかと思う。
駆け落ちしたいほど好きな人が居たのに、当時付き合ってた人が居たのにとかいう「恨み」みたいな負の感情が無ければ、なんだかんだ上手くいって「あれ?なんかそんなに期待してなかったけど、幸せな結婚だったんじゃね?」ってじいちゃんばぁちゃんになってからも思える、仲良し夫婦で居られるのではないかと。
少なくとも離婚したいほど嫌いになる確率は低いのではないかと。
むしろ大恋愛の末の結婚の方が、あとあとそうなる確率が高いのではないかと。
「こんなはずじゃなかった」というのが多々出てくるのではないかと。

そういう事を思ったという話。

「悩む」とはどういう事か?

悩むのを止めたら人生が楽になった
という話題が某まとめサイトに載っていたので。

そもそも「悩む」とはどういう事か?

複数の選択肢があり、どれを選んで良いかわからない。
あるいはそもそも選択肢が出てこない。

こういう状態を、いわゆる「悩む」とか「悩みがある」とか「悩んでいる」などと言う。

しかし実際これらは、「錯覚」である事が多い。
理論的に考えれば、とるべき選択肢はひとつ、あるいは解決方法はひとつしかない場合が殆どである。
にも関わらず「悩む」のは、「欲望」というのものが邪魔をするからだ。

仏教などでは「煩悩」とも言うが。

例えば、明日までにこの仕事をしなきゃいけない、あるいは宿題やらなきゃいけない、レポート提出しなきゃいけない。
そういう時に、それを最優先して全力で行うしか選択肢は無いはずだ。
だが実際には、「面倒くさい」「やりたくない」という「感情」が邪魔をする。
だから「悩む」のだ。
明日までにやらなきゃいけないけど、とてもじゃないけど明日までに終わる気がしない。
どうやったら終わらせられるだろうか?
そんな事を考える=悩む必要は本来は無いのだ。
そんな暇があるなら、とにかく一刻も早く行動した方が良いに決まってるし、そうすべきと分かっているはずだ。

つまり「悩まない人生」というのは、「煩悩を捨てろ」っていう仏教の教えを実践すれば良いだけなのだ。

本能の赴くまま生きる事でも、何も考えずに生きる事でもない。
また誰にも相談しないとか、人の意見を聞かないとかって意味でもない。

「悩む」と「煩悩」や「本能」に左右された、正しくない答えを出しがちになる。
そして余計に物事が上手く行かなくなって、さらに「悩む」のだ。

うちの会社、どう考えても残業時間が多すぎるし、残業代も出ないし、おかしい。
辞めるべきなのだろうけど、でも辞めても次の仕事が見つかる保障はないし、同じようなブラック企業しか見つからないかも知れないし、そもそも貯金も無いし働き続けないと食っていけないしと悩む。
そして結局、ズルズル続けて体を壊して倒れる、過労死するか、精神を壊して自殺するかしてしまう。
「悩む」事を止めれば、とっととブラック企業を辞めるという正解の行動を取れるはずだ。

あのかわいい子、何か俺に気があるような感じがする。
付き合いたい。
でも告白して断られたら・・・
告白さえしなきゃ、彼女には出来ないけど友達では居られるかも知れないし・・・
こういう「悩み」もそう。
「嫌われたくない」「恥をかきたくない」という気持ちが、思い切って告白するという「正解」の行動を取らせないのだ。
「告白が成功するかどうか」は、重要なポイントではないのだ。
悩んだところで、告白の成功率は変わらない。
告白してOKして貰えるか、ごめんなさいされるかは、てめーが悩んだところで変わらないからだ。

俺みたいなキモメンが告白しても迷惑なだけだと思うなら、きっぱり諦めれば良い。
悩んだところで、キモメンがイケメンになる事はないw

このように、だいたいの悩みというのは、正解が出ている場合が多いのだ。

全てにおいてそうだとは言わないが、これが「悩まない人生」の実践の仕方だろう。
悩んでも結論が出ない事に、無駄な時間や労力を使うなという事だ。
悩まなくても結論は既に出ている事を、潔く認めろって事だ。
その方が、人生は楽になるという事だ。

まぁ理屈では分かっていても、実践するのは難しいわけですがw
そもそも私自身が実践できてないわけでw
実践できているなら、とっくにニート生活なんてしてないわけでw

世界中に迷惑を掛けた米ソ冷戦はまだ終わっていない ベネズエラの惨状

ソ連の崩壊により、米ソ冷戦という世界的な危機は終わったとされるが、実は何も終わってない。
実際、ソ連からロシアに変わった後も、規模が小さくなっただけで、相変わらずこの2国は他国に干渉しまくり、迷惑を掛けている。

つい最近ニュースになったベネズエラの停電。
これは政権側をロシアが、反政権側をアメリカが支援している事により、対立が激化・長期化している事が原因だ。

米ソ時代は、多くの国で代理戦争や代理内戦をやらせてきたが、未だにやってる証拠である。

ベネズエラは本当に独裁政権とかで国民が困ってるなら、アメリカという国ではなく、国連に助けを求めるべきだったのだ。
国連も完璧とは言えないが、少なくとも米・露というクズ大国に助けを求めるより、はるかに混乱は抑えられただろう。

それと米・露に言いたい。
勢力争いしたいなら、てめーらだけで直接対決しとけと。
他の国を巻き込むなと。

てめーらだけで、好きなだけ殺しあえよ。

かつて世界中を侵略し、迷惑を掛け捲ったイギリスを始めとしたヨーロッパの列強が、今どうなってるか見えてないのか?
みな落ちぶれてるだろ。
武力で脅し、国民の生活に何の利もない兵器しか援助しないような国は、かならずしっぺ返しを食らうという良い見本。

歴史をどっちが正義でどっちが悪かとか、そういうアホみたいな外交戦略、マウント取るための材料としてしか使わないから、せっかく人類だけが持っている「歴史」というアドバンテージを生かせないのだよ。

ベネズエラは政権側も反省権側も、米露それぞれの支援を断るべき。
それが混乱の収拾へのもっとも近道になる。
どうしても支援が必要なら、国連に頼むべき。

そして国連は、その存在意義を示したいなら、「内政干渉」をもっと厳しく禁止し、取り締まるべき。
それこそが、世界平和に繋がる。
世界の安定に繋がるのだよ。

天才は親の教育で作れる

世の中には「天才」と呼ばれる人達が居る。
そういう人達の生い立ちとかを見ると、まず間違いなく「親」が子供の進む道を強制していないってのがある。

子供が夢中になっている事を止めさせない。
むしろそれを応援する、サポートしている事が多い。

「○○ばっかしてないで、××もやりなさい!」
とか
「○○はもう禁止!」
とかってのは、一切言ってないしやってない。

もちろん、子供が夢中になっている事が違法だったり、あるいは健康に害があるならば、無理にでも止めさせるべきだ。
だがそうでないなら、それを止めさせるべきではないのだ。
大抵の親は、学校の勉強を一生懸命やれと言う。
だが学校の勉強なんてのは、社会に出てどんな職に就こうとも、どんな人生を歩もうとも、役に立つのは国語と算数だけだ。
最悪、学校に毎日きちんと通って授業を受け、宿題とか言われた事さえやっていれば、成績なんてもんは気にしない方が良いのだ。

漫画ばっかり読んで、アニメばっか見て、ゲームばかりしてって場合でも、学校にちゃんと行って宿題もやってるのであれば、止めるべきではない。
本ばっか読んでた子供が、大物小説家になることだってある。
漫画やアニメばっか見てた奴が、売れっ子の漫画家になる事だってある。
ホンダのアシモを作った人達は、子供の頃に鉄腕アトムに夢中になり、大人になって実際にそれを作ろうとしたわけだ。

本来、人間はみな何かの才能がある。
それを多くの親が、てめーのエゴや趣向で潰してしまっているということだ。

やりたい事をやらせ、すきなものを何でも買ってやって甘やかせとか、放任しろとか言ってるわけじゃない。
たとえ親自身が気に入らない事でも、子供が異常なほど執着したり集中したり夢中になってるならば、それが違法だったり健康に害が無いものなら、躾や最低限の学校教育の障害にならない範囲で、全力で応援してサポートしてやるべきという事だ。

大人になれば、やりたくなくてもやらなければ行けない事はある。
我慢しなければならない事も多い。
ただし、それは子供が一番好きなものを禁止したりする事で、教えてはいけないという事だ。

むしろ何でもかんでも禁止、親の意に沿わない事は全部ダメ、こうしろあーしろと口うるさく言って従わせる。
それを教育だの躾だの勘違いしてるのが多い。
その結果が、不良やニートになるのだよ。

うちはしっかり躾したし、教育も十分してきた。
塾にまで行かせて良い大学にも入れさせたし、そのためのお金は惜しまなかった。
なのになんで引き篭りニートなんぞに・・・
って言ってる親は、その教育方針が子供をそうさせたと反省して欲しい。

子供が本当にやりたい事をやらせず、子供がやりたくない事ばかりを強制した結果なんだよ。

勉強しないでサッカーばっかやってる、野球ばっかやってる。
結構じゃないか。
そういう子供が、将来Jリーガーになったりプロ野球選手になるんだよ。

人間の能力の差なんて、誤差程度しかない。
天才と凡人の差は、どれだけそれを長い期間、集中してやってきたかによるんだよ。
つまり、ガキの頃からずーっと好きで集中してやってきた事は、天才と呼ばれるにふさわしいものになるんだよ、大人になった時に。

・子供が夢中になってやってる事は、それが違法だったり健康に悪い事で無い限りは、絶対に止めない。
・我慢ややりたくなくてもやらなきゃいけない事が世の中にはあるんだと教える事も大事だが、それは例えば嫌でも義務教育中は学校に毎日行かせる、宿題はきちんとやらせる等の、本当にその時に必要な事で教える。
無理にあれこれわざとそういうものを作るべきじゃない。

これが天才を作る方法であり、たとえ最初とは違う道に進んでも、落ちぶれた人生にならないで済む方法。

植松被告が正論を言っているという話題

相模原の「知的」障碍者の施設での大量殺人の罪に問われている、有名な植松被告。
彼の言い分が正論ではないか?というのが、おそらく某有名掲示板で議論されていたらしく、そのまとめサイトでもコメントで更に議論がされていたので。

どうも植松被告は、自分が殺した知的障害者は「人間」ではなく、ペットの犬や猫と同じであり、従って「殺人罪」ではなく、他人のペットを殺した時と同じ「器物破損」として扱うべきだと言ってるらしい。

さて、実は私も「知的障碍者」は「人間」として扱うべきではないと思っている。
冷たい・薄情・人の心がない精神異常者と思われるかも知れないが、障碍者の権利を主張するアホどもと違い、その理由を理論的に説明できる。

まずそもそも「殺人」が違法なのは、「人間」がそう決めたからである。
「人権」というのも、人間が勝手に作ったものである。
神から与えられた、誰にも犯すことのできない権利 などとアホな事を言ってた教師も居たが、ではなぜ神から与えられたものを、犯せる人間が居るんだとw
本当に神から与えられた、誰にも犯すことのできない権利であるなら、本当に誰も犯せないはずだ。
殺人事件や窃盗事件なんて、起こるはずがないのだよ。
でも実際は起こるし、その犯人を捕まえたり、処罰したりするのも「人間」がやっている。
そもそも捕まらなければ、処罰される事すらない。

これが「人権」なんてもんは、「人間が勝手に作ったもの」である証拠。

次に「人権」というのは、無条件に与えられるものではない。
「人権」とは、法律を守るという「義務」を果たしてこそ、与えられるものである。
だから違法行為をすれば、警察に捕まって「人権」の一部である自由な言動を制限されるし、刑務所に入れられて強制労働という、人権侵害とも取れる事をされるわけだ。

つまり「人権」は「法律を守る」という「義務」を果たしてない、果せない奴には「無い」のだよ。

この「人権」というのは、言葉通り「人間」だけのものである。
「犬権」だの「猫権」だの「猿権」だのってのは無いw
いくらペットの犬は、うちの家族だと言ったって、それを他人に殺されたり傷つけられたりしても、「殺人」や「傷害」にはならない。
「器物破損」になるだけだ。

つまり「人権」というのは、「法律を守る」という義務が果せる「人間」にのみ与えられるものと解釈できる。
「人間」の姿形をしていても、「法律を守る」という義務が果せないどころか、理解すらできない者は、「人権」を主張する資格は無いのだよ。
良くてペットと同じ、誰かの「所有物」であり、むやみに他人に害されないという扱いをされるぐらいの権利があるだけ。

極論を言えば、人間の言葉を解し、法律を理解してそれを守るならば、例え人間でなく、サルだったとしても「人権」が与えられるべきなのだ。
その一方で、人間の姿形をしていても、知能に障害があって「法律」を「理解」したり「守る」事ができないなら、サル」と同じ扱いをされるべきという事だ。

知的障碍者をひとくくりに、「動物」として扱えとか言ってるわけではない。
少なくとも最低限の人間社会の「決まり」を理解し、守れるなら「人権」は保障されるべきだ。
しかしそれすらかなわないような、重度の障害がある場合は「人間」として扱うべきではないのだ。
当然、「知能」は普通だが、目が見えない、耳が聞こえない、手足が無いあるいは不自由という障碍者は「人間」であるし、「人権」も保障されなければならない。

「権利」というのは、自分が所属する「群れ」の「決まり」を守るからこそ与えられるものというの、スルーしたり見ないようにしたりしてる奴が多すぎる。
会社と雇用契約を結び、会社の与えた仕事をします、会社のルールに従います、社外に情報を漏らしたりしませんとか、そういうものを「守る」から、部外者以外は入れない会社の建物に入れたり、あるいはICチップを埋め込んだ社員証などを与えられて、それでゲートとか部屋のセキュリティロックを「ピッ」ってやって解除して入れる権利が与えられるのだ。
「人権」というのは、いわば「国民」が「国」とそういう「契約」をして与えられているものでもある。
だから紛争地域なんぞに行って、人権をいくら主張してもテロ組織に捕まって殺されたりするわけだw

これらの事から、法律を理解し守れるだけの「知能」が備わっていないものは、「人間」ではなく「動物」であると定義されるべきという植松被告の主張は正しいと言える。

しかし一方で、それが「人間」であろうが「動物」であろうが、「むやみに殺してはいけません」という法律がある以上、それを守らなかったわけだから、刑罰は受けるべきである。
彼は別の形でこの主張をすべきだったのだ。
人なのか動物なのか、「生き物」を殺す事で、それを主張すべきではなかった。

人間は「群れ」でないと生きられない、弱い「動物」である。
人間以外の「群れ」でないと生きられない「動物」も、例えば毛の色が違う突然変異なのか障害なのかの個体を、いじめて群れから追い出す事は珍しくない。
この行為を「野蛮」であると言えるだろうか?
他の個体と毛色が大幅に違えば、外敵の標的になりやすい。
当然、その個体の近くに居る他のメンバーは、毛色が同じ仲間の側に居るより危険度が増すわけだ。
誰も近くに居たくない、そもそもそいつが居る事で群れの危険度が上がるとなれば、追い出すのは当然であろう。
冷たいとか野蛮とか、そういう問題ではないのだよ。
「群れ」というのは、大勢集まることでターゲットを分散したり、数の暴力で敵に応戦し、やられないようにするためのものである。
そういった「群れ」の本来の性質に合わないもの、乱すものは追い出されて当然であろう。

人間社会というのも、「群れ」である。
「群れ」のメンバーには、他のメンバーと協力する「義務」がある。
それは法律を守る事だったり、他のメンバーを殺したり傷つけたり、あるいは所有物を強奪しない事だったり、兵役なんかも実はそうなのだ。
それでも一部の権力者の都合によって、そのルールが決められていた時代であれば、それを守らなかったり反抗したりしても、支持はされたであろう。
しかし現代の日本における法律をはじめとした「ルール」というのは、一部の権力者が、てめーだけが得をするために、てめーの都合の良いように作ったものではない。
「いや、俺は日本の法律の作成なんかに一切関わってないし、それに賛同した覚えも無い」というアホも居るだろうが、「選挙」でその意思表示はしているわけだよ。
選挙に行かないのは勝手だし、野党の支持者であっても、民主主義という多数決で物事を決める体制の日本国に居る以上は、たとえ自分の意にそぐわない結果でも、従う「義務」がある。
嫌なら別の国に行けって話。

何度も言うが、今まで述べてきた理由や理屈から、法律を理解できない、守れない奴は、「人間」として扱われるべきでないし、「人権」なんて主張できないのだよ。
知的障碍者だから、精神異常者だから、「無罪」とか「減刑」なんてのは、あってはならないのだ。
それは、独裁者や貴族の「特権」と同じ、不平等で許されない「ルール」である。

しかしだからといって、破ってよい事にはならない。
「法律」がおかしい、間違っていると思うなら、賛同者を得て、選挙で当選して国会議員などになって、さらに国会で法律を改正させるのが、現代の日本の人間社会、民主主義体制での正しいやり方なのだ。

彼の主張を犯罪者のたわごとして封じ込める、間違った考えだと民衆を洗脳するような、糞メディアや団体と、正しいやり方をせずに、違法行為でそれを主張した彼とは、どちらも同じ種類の「クズ」なのだ。

この悲劇を繰り返したくないなら、根本的におかしい、「人間」の基準を満たしてないものも、姿形が人間ってだけで「人間」扱いしなければならない、今の法律を変えるべきであるし、少なくとも真剣に「議論」されるべきなのだ。

糞メディアや障碍者団体のやってるように、感情的に封じ込めるような事をしていれば、第二第三の植松被告が現れてもおかしくないだの。

てめーが人権を尊重する良い人間、障碍者とかそういう弱者にも優しい聖人であると見られたいとか、そういう糞みたいな自己顕示欲や自己満足で、この問題を封殺すべきではない。
その影で、植松被告のように、違法な手段に訴えてでも世の中の認識を変えようとするまでに追い詰められる奴が生まれるのだよ。
死刑制度は非人道的であり、人権に反するから、死刑判決が出そうな裁判には、弁護士として出頭せずに裁判を妨害しますとか、そんなのがまかり通るのと同じぐらいに、おかしいし、そういう奴らがやってる事は、基本的に植松被告と同じだということ。

人間はロボットではない。
だから感情論が出てくるのも否定はしない。
だが、感情論で動いて良いものと、そうでないものが世の中には、人間社会にはあるって事。
そもそも感情論で述べても、おかしい仕組みであろう。
お前らのかわいい娘がレイプされたが、犯人が知的障碍者だったので無罪になりましたって、それを植松のいう事は間違ってるとか言うやつ等は、納得できるのかよって。
感情論で言ったって、結局のところおかしい、納得できないのに変わりはないだろw

沖縄の基地問題の最も現実的な解決方法

騒ぐ連中の誰一人として言わないので。

沖縄から米軍基地を無くすか、少なくとも減らせる最も現実的で、難易度が低く、可能性が高い方法がひとつだけある。

それは、「米国領」になる事だ。
「日本国沖縄県」ではなく、「アメリカ合衆国沖縄州」になれば良いw

独立を唱えるアホも居るが、独立するより、所属を日本から米国に変える方が遥かに難易度は低い。
それに独立したって米軍基地は無くならない。
日本国が行っていた交渉を、沖縄だけでやらなければいけなくなるだけw
日本というそれなりに力のある勢力が交渉してもダメなものが、独立したばかりの小国である沖縄なのか琉球国なのかの交渉で、どうにかなるはずがないだろw
米軍基地は無くならないのに、日本国が負担していた在日米軍の駐留費の負担は沖縄だけで負担する羽目になるだけw

まぁそもそも独立唱えてる奴も、基地外みたいな反基地運動してるやつらも、単に日本国を困らせたいだけか、もっと金寄越せか、あるいは中国の属国にしようとする工作員とか、とにかく本気で沖縄の環境や生活を考えてる奴なんざ居ないw

もし本当に沖縄に住んでる沖縄県民のためを思って運動してるなら、「アメリカ合衆国の一員になる」という方法が出てきてもおかしくないはずだ。

まず沖縄の基地反対運動が激しくなった切欠は、米軍兵士による少女のレイプ事件だった。
レイプ犯罪自体は、別に在日米軍だけが起こしてるわけじゃない。
特定在日外国人なんかしょっちゅう起こしてるわけで、つい最近も有名な役者が逮捕されたよね?w
でもなぜか、それを切欠に特定在日外国人排斥運動は起きないw

理由は分かる。
在日米軍兵士の犯罪は、治外法権なので日本で裁けないって事(当時)。
厳重な処罰もされなければ、損害賠償請求する事もできない。
これが沖縄の人達の怒りに火をつけたわけだ。

日本人より米国民の方が優遇されるという、敗戦の負の遺産だ。
しかし沖縄が日本でなく米国になってしまえば、この遺産は無くなる。
治外法権が成立しなくなる。
兵士だろうがなんだろうが、一般アメリカ国民と同じように捕まって裁かれて、更に被害者は損害賠償の民事訴訟も起こす事ができるだろう。

沖縄が米国領になるメリットは、ほかにもある。
いま米軍基地の交渉というのは、沖縄→日本国→米国→米軍 という形になっているわけだが、沖縄が米国領になれば、
沖縄→米国→米軍 となってスムーズに意見が通りやすくなる。
更に外国人からの意見と、自国民からの意見では、重みが違う。
沖縄の在日米軍というのは、日本の防衛だけでなくアメリカの軍事戦略にも関わっている。
きちんと日本国と契約して駐留してるにも関わらず、その一地方の住民、米国から見れば外国人になるわけだが、そんな連中に米国の軍事戦略に口出す権利はないし、内政干渉とも取れる。
だが、沖縄が米国領になれば、沖縄の人は日本人ではなくアメリカ人となる。

そう、米国の政治や政策に口を出す権利、参政権が得られるわけだよw

沖縄州になれば、当然ながらアメリカの国会である上院・下院に沖縄州選出の議員を送り込める事になる。
更には沖縄出身の大統領でも誕生すれば、沖縄の米軍基地を減らすも無くすもたやすいだろうw
あるいは沖縄出身者で沖縄米軍基地の兵士を占めるとか、幹部を占めるとか、あるいはもっと上の米軍の上層部に沖縄出身者が入る事だってできる。
だって日本人という外国人じゃなくて、アメリカ人になるわけだからねw

デメリットは、公用語が英語になるので、言葉を覚えるのが特に年配の人達は大変だろうなという事ぐらいw
独立するより遥かにハードルは低いし、気持ちを分かってくれない本土日本人と一緒に居るより遥かに精神衛生上も良いだろうw

沖縄がすべきは、基地建設の是非を問う県民投票でなく、米国への帰属を問う県民投票なのだよw

だいたいが、戦後沖縄は米国に占領され、そのままいけば今頃はハワイやグアムなどと同じように、合衆国の州のひとつになっていたはずだ。
アメリカ人として、アメリカの州として、国政へ意見を反映させる事も出来たであろう。

しかし沖縄はそれを望まなかった。
日本への復帰を日本国へ頼み込んだのは沖縄の方だ。
その時に、独立という選択肢もあったはずだが、それも選ばずに。

住民投票によって、一部の地域が所属する国を変えるという事例は、つい最近あったばかりだ。
そう、クリミアだw
だがあれは、世界から批判された。
なぜなら、ロシアからの移住者によって賛成多数になってしまったからだ。
元からそこに住んでいた連中ではなく、外部から「侵略」してきた移住者によって、領土を奪われたからだ。
だから、一見民主的に見えたのに世界が認めなかった。

しかし沖縄の場合は違う。
沖縄に住んでる米国人は、軍関係者だけで、しかも日本国籍ではない。
ゆえに沖縄でいま、日本国籍沖縄県民の資格を持つものだけで、日本から米国への帰属の是非を問う県民投票を行えば、その結果に文句を付けられる奴は居ない。
そもそも日本と米国は敵対してるわけではないうえに、日本は米国の言うことには逆らえないというのもあるw

米国も領土が増えるし、なによりアラスカのように、軍事的に重要な場所が自国領土となれば、いくら下僕国とはいえ外国である日本の領土にしておくより、はるかにメリットがあるので、喜んで受け入れるだろうw
日本に沖縄県民の意思を尊重して、沖縄を渡せと迫ってくれるだろうw

ね?
このまま意見の合わない、負担ばっか押し付けて知らん振りしてる本土日本人と同じ国で居るより、あるいは独立なんて実現性も薄いし、実際やったら今以上に大変になるのは分かりきってる事をするより、はるかに実現性が高く、しかも害が少ないよね?w

沖縄米軍兵士は、信用ならない他国民ではなく、平等な真の仲間である自国民になるわけだよ、一斉にw
くそ面倒な国籍変更の手続きもせず、自動的にアメリカ人になって、アメリカの国政に参加できるんだよw
これ以上のメリットは無くない?w

ねぇ、沖縄の反日左翼知事と運動家さんたち?
ぜひともアメリカの州になる選択も考えられたらいかが?w
沖縄の地を地元民の意向を反映させた場所にするには、これ以上の策はないよ?
もともと明治期に、戦後に独立した台湾や朝鮮半島と同じように強制的に日本にされただけなんでしょ?
だったらアメリカの州になったって、変わらないじゃん、気持ち的にはw
アメリカは日本より遥かに経済力も国土も人口も大きい。
日本本土に出稼ぎに行くより、はるかに良い経済状況が実現できる。

是非とも検討してみて下さいw

人生のピークは小学校5年生~中学卒業までだった

Youtubeでナツメロを聞いていて、ふと思った。
私の人生のピークは小学校5年生~中学卒業までだったと。

この時代、高度経済成長が最高潮に達し、バブルに入っていた時代。
ガキんちょが夢中になったテレビや歌謡曲などのメディアが、一番元気で、ジャンプも黄金期、その他の産業も最高潮に達し、MADE IN JAPANが世界を席巻していた。

さて、人の記憶は音楽によって呼び覚まされる事がよくある。
だから懐メロというのは人気があるのだ。

その曲を聴いていた時代の映像記憶はもちろん、気持ちというか感情までが再現される、不思議なものだ。

さて、私が当時一番よく聴いていたのは、「おにゃん子くらぶ」だw
当時も本当に下手糞だなぁwwwと思っていたが、酷いのは音痴なだけじゃなく、レコードもひどかった。
当時はまだデジタル技術がなく、音痴な歌手をなるべく上手く聞こえるように細工するには、アナログ編集技術が必要だった。
その編集技術も、とにかくバブルでレコード(途中からCD)出せば売れる時代で、たぶん編集する人手が不足していたんだと思う。
特にポニーキャニオンはひどかったw
私はおにゃん子の中でも、「うしろ指さされ組」が一番好きで、当時人気の漫画原作アニメであった「奇面組」のオープニングにも使われまくった事があり、とにかく好きだった。
でもレコードが酷い。
どう酷いかと具体的に述べれば、音が歪みまくっているのだ。
音痴な歌手の音程を伴奏の音程と合わせるには、アナログの場合は再生速度を変えるしかない。
そのせいで、不自然にスピードが細かく変化する、うねった音になってしまっている。
これでよく製品化したと思うw

ただ音痴揃いの「おにゃん子」の中でも、稀にすごい上手いのがいた。
「河合その子」とかだ。
あの人のレコードは、今聞いても音のうねりは無い。
なぜなら、音程を合わせる必要が無かったからだろうw

また「おにゃん子」ほど酷くはなかったが、あまり歌が上手くなく、単に「かわいい」だけで歌手やってたアイドルの中にも上手い人は居た。
代表的なのは「中森明菜」だ。
「山口百恵の再来」とまで言われた。
それと当時は下手糞とか言われてたが、「松田聖子」も実はそんなに下手じゃない上に、独特の声色があり、歌手として今でも活躍できている。
歌が駄目な奴は、その後は女優とかに転向するからね。
未だに「歌手」として活動できる人は、たとえテレビとかに出て無くても「本物」だと思う。

それと学生時代に合唱部だったからか、比較的上手かったのが、「薬師丸ひろ子」。
彼女は曲自体もよい物が多く、おすすめだ。

いま、海外ではこの頃の日本の歌謡曲のうち、アイドルではなく数少なくがんばってたシンガソングライター系の「シティポップ」というのが人気だそうだ。
代表的なのは、山下達郎とか松任谷由美とかだろうか。
山下達郎といえば、「クリスマス・イブ」が有名な曲なので、だいたいシティ・ポップというのはどういう曲のジャンルか分かると思う。

それ以外にも男の歌手なら、C・C・Bとか好きだった。
あと杉山清貴&オメガトライブとかw

あと中学後半ぐらいに、槇原敬之もデビューした。
今でも覚えてるが、彼のデビュー曲である「どんなときも」は、当時CD1枚買ったら終わってしまう糞貧乏だった我が家の小遣いで買った数少ないシングルCDのひとつだw
そのぐらい衝撃を受け、好きだったのだ。
出せば売れる時代にあって、この人は本物だと思った。
そして、それは間違いではなかった事は証明されたわけだがw

まぁ本当に当時は良い時代だった。
ガキなりの悩みや苦しみも確かにあった。
だが、未来に希望や夢が溢れていた時代だった。
「これはすごい」ってものが次から次へと生まれた時代でもあった。

たぶんあの時代に、中学生ではなく、もうちょっと上の大学卒業して就職ぐらいの年代なら、それなりの企業に入社し、バブルが弾けて不景気になっても、何とか生き残って普通に家庭を持って、今頃は普通に孫を持つ爺ちゃんになっていただろう。

本当に運がないw

MMORPGとかいう良くできた仮想現実

全てがそうではないが、特に創世記の頃のMMORPGというのは、非常に良くできた仮想現実であった。

現実世界の事象を推測するのに、MMORPGは非常に有効であるとも言える。

例えば、日本の戦後の高度経済成長と、バブル崩壊後の暗黒時代。
これはMMORPGで、やった事のある人にはすごく納得いく説明ができる。

事は第二次世界大戦・太平洋戦争の敗戦から始まるわけだが、これは「大日本帝国オンライン」というネットゲームが、サービス終了したと例えられる。
それまでそのゲーム内でがんばって上げたレベル、集めた装備やアイテム、投じた現金など全てがサービス終了でパーになってしまったわけだ。
それと同時に始まった「日本国オンライン」が現在まで続く日本だと思ってもらえば良い。

戦後の高度経済成長は、以前やっていたゲームがサービス終了し、新しく始まったゲームでみなレベル1の初心者から一斉スタートした状態が起こしたもの。
今ではそんな事は起こりえないが、MMORPGの最盛期には、新しいゲームのサービスが開始されると、それこそログインする事すら困難なほど人が殺到し、狩場は埋め尽くされ、そこらじゅうで全体チャットが飛び交い、PT募集などもどの時間帯、どの職業やレベルでも組めるほどに出来た。
このサービス開始からしばらくまでの、熱気あふれる状態こそが「高度経済成長」なわけだ。

しかしMMORPGに限らず、ネットゲームというのはサービス開始からある程度の年月が経つと、必ず廃れる。
「過疎化」なんて言われる現象が起きる。
レベルが上限に達し、高難易度のダンジョンも攻略しつくし、レアアイテムも手に入って、もうやる事がない状態になった人が増え、引退者が続出するからだ。
その頃になると、新規が入ってきても、低レベルのPT募集もないし、チャットも静かで、大きな町に放置露天が並ぶだけで、活気を感じられず、また放置露天で売ってるアイテムも、低レベルでは使えなかったり必要でなかったり、そもそも高すぎて買えないようなものばかり。
古参プレイヤーに追いつくのは、ほぼ不可能な状態であり、それで萎えて辞めていく。
だから一向に人口は増えずに減るばかりで、運営がいくらアップデートやイベントでテコ入れしようとも、活気が戻らないのだ。

これがバブル崩壊後から現在まで続く、日本の状態と非常に似ていると思わないかね?
アップデートやイベントでテコ入れしようとしている運営というのは、すなわち日本国政府である。
しかしネットゲームがそうであるように、そんなもんいくらやってもオワコンと言われる状態は改善できない。

日本が高度経済成長のような活気を、もう一度取り戻したいと思ったら、戦後から始まった日本国オンラインのサービスを終了するしかない。
そして新たに「日本国オンラインⅡ」みたいなものを、開始するしかないのだよw

全員レベル1で装備もアイテムも何もない、今まで投じてきた現金も全てパーという状態にして、「さぁ、いちはやくゲームの仕様を理解し、だれが一番最初にレベル上限に到達するか、誰が一番最初に最高レアを手に入れるかの競争を、もう一度始めましょう」ってやらないと無理って事だよw

それが前回言った、高度経済成長のような好景気は、日本がもう一度焼け野原にならないと起こらないと言った根拠だ。
そういう考察の元になったネタが、このMMORPGというゲームの性質やその歴史を見てきた経験だ。

そして現実世界のMMORPGは、「飽きたからやーめた」とか「詰まんねぇから引退」とか、そういう事ができない。
ゲームの世界にはない、キャラクターの寿命というのが尽きて、強制終了されるまで、続けなければならないw
もうMMORPG自体がコリゴリとか思っても、新しいのがサービス開始したら、全員やらなきゃいけないのが現実世界オンラインなのだw

一部のベテランや高レベル者という「廃人」しか楽しめないような、イベントやコンテンツを追加したところで、ゲームの活気や人口は戻らない。
同じように現実世界で、一部の金持ちや勝ち組にしか利が無い政策やったって、日本国の経済や活気は戻らないのだよ。
ゲームやり始めたレベル1の初心者から、ゲームを遊びつくした「廃人」まで全員が、夢中になるようなイベントやコンテンツの追加をしない限り、日本の経済は高度経済成長期のような状態にはならない。
そして、そんなイベントやコンテンツの追加なんて、人間には出来ない、不可能な事をMMORPGが証明してしまってる。
たかがゲームですら、そういう全員に利があり夢中になれるものを考えられない人間が、現実世界というゲームより遥かに複雑でシビアな世界で、そういうものを考えられる、作れるわけがないだろうとw

そしてもうひとつ。
MMORPGの企画・開発というのは、現実世界では「神」に相当する。
現実世界での政府は、「運営」でしかない。
今はそういうゲームは少ないが、昔は「PK」というのが出来るゲームがあった。
「PK」とは「プレイヤーキラー」の略で、簡単に言えば「殺人」システムだ。
「PKあり」のゲームでも、一部のユーザー連中は「PKはすべきではない!」と騒いでいた。
しかしゲームの仕様として出来るわけで、ユーザーごときが「禁止」なんぞ出来るはずもない。

つまり現実世界も同じで、いくら人権だのなんだの騒いだって、殺人や窃盗が行える以上、この世界を作った「神」は、それを仕様として認めているという事だ。
神様がそういうのはやっちゃいけません、人権は尊重しなければいけませんって言ったとか、ちゃんちゃらおかしいのだw

ではやって良いのかというと、そうではない。
現実世界オンラインは、PTプレイやギルド所属が必須だ。
ソロプレイは非常に困難な仕様になっている。
従って、PTが組めなくなるような、ブラックリスト入りする行為はすべきではないし、ギルドが禁止している行為はすべきではないのだ。
なぜなら、ゲームのプレイに支障が出るから。
ゲームのプレイに支障が出るというのは、現実世界では「生きる」のに支障が出るという事に相当する。

つまり「PK禁止」「窃盗禁止」は、あくまで人間がそう言ってるだけで「神」が言ったわけではない。
だからそれを守るのも人間自身が行わなければならない。
多くのプレイヤーが、そういう仕様では行えるが迷惑する行為をするプレイヤーを、ブラックリスト入りして仲間に入れない、ギルドから追放してギルドに入っている事で受けられる恩恵を受けさせない事が必要なのだ。
つまり「犯罪者」に「人権」なんてもんを認める事自体が間違いなのだ。
暗黙のルールやギルドの規則を破ったプレイヤーを、ブラックリストに入れるな、ギルドから追放するな、きちんとPTに入れて一緒に遊んであげろとか、そんな事言われて納得する奴がいるはずがないだろw
そのぐらいアホな事を言ってるのが、一部の過激な左翼連中なのだよ。

まぁそんな話。
ネットゲーム全盛期の頃を知らない、やった事ない人にはトンチンカンな例え話かも知れないがw

なぜ戦後のような好景気が来ないのか?

少し考えれば、当たり前のように分かるはずなのに、学者も政治家も企業の経営者も投資家も言わない事。

経済は永遠に成長し続けられるものではない

という事。

経済は、RPGゲームのキャラクターレベルのように、「上限」が存在する。

日本は戦後になぜあれだけ長期間、好景気が続いたのか?
簡単な話だ。

戦争によって日本全土が焼け野原になったからだ。
つまりレベル1の状態にされたからだ。
そこからレベル100になるまでは、上がる一方だし、上がり幅もでかいのですごい好景気に感じただけ。

これと同じ事は江戸時代にも言える。
江戸の商人は、明治以降に財閥と呼ばれるほど巨大な金持ちになれたのか?
それは江戸の町がしょっちゅう大火事で、破壊されていたからだ。
これはNHKがドキュメンタリーでもやっていた事だ。

江戸の町の広さというのは、有限である。
全ての土地に家が建ってしまえば、町を作っている最中のような大量の木材の注文も出ないし、大工の仕事も無くなる。
修理とか建て替えはちょこちょこあるだろうが、それでも0から町を作るのに比べたら、必要な材木の量も大工の人数も微々たるものだ。
ところが、江戸の町は非常に燃えやすかった。
頻繁に大火事に襲われ、かなりの広範囲が数年ごとに焼け野原になった。
当然、その部分を再建する時には大量の材木や大工が必要になる。
それだけ物や金が必要になり、動く。
だから江戸時代の商人には、商品が行き渡ってしまって誰も買わないという不景気が、あまり無かったのだ。
むしろどんどん売れる好景気が、この大火事によって何度も訪れた。
そのたびに、財を増やして財閥の元となるぐらいの大金持ちになったというわけだ。

今の日本は高度経済成長で、ほとんどの土地を開発しつくしてしまった。
車だの電化製品だのだって、殆どの家庭に行き渡ってしまい、大勢がこぞって買うような現象は起こらない。
つまり物や金の動く量が、どうがんばっても増えないのだよ。

バブル経済とは、国民が全てレベル100まで到達している事に気づかずに、レベル上げのための経験値を持ったモンスターを作り続けたから、崩壊したのだ。
いくらモンスターを倒しても、それ以上レベルが上がらないのに、わざわざ経験値稼ぎの狩りをするやつは居ないだろ?
そういう事だったのだよ。

今の日本で売れるものなんて、何もしなくても生きてるだけで減るHPを回復するための薬=食料ぐらいだ。
後は以前はなかった、すごく高性能な武器・防具などの装備品が出れば、まぁ買い換える人が居るかもってぐらいだ。

強大な力を持った、レベル100でも適わないドラゴンの群れが襲ってきて、みんなが死にまくって、デスペナ(デスペナルティの略 死亡して生き返る際に所持金や経験値、場合によってはレベルが下がる、主にMMORPGなどにあった仕様)で、みんながレベル1になり、装備も所持金も全て失うような状態にでもならないかぎり、戦後の好景気は来ないんだよ。

そのドラゴンの集団が、戦争なのか、あるいは日本全土を巻き込むような大災害なのかは分からないが、今の状態では何をやっても好景気なんて来るわけが無い。

中国の成長も同じで、もともとレベル10程度の国民ばかりだった社会主義政策を、資本主義経済に転換させたことで、レベルが一気に上がり始めた事によるものだった。
ここ最近の原則は、上限レベルの100に達した国民が増えてきた事によるのだよ。

レベル100まで到達してしまった国で、好景気を起こそうと思ったら、思い切った事をやるしかない。
ひとつの方法として、古くなったインフラの一斉改築がある。
道路や橋や上下水道、ガス管や電線や電話線、それと建築基準法を大幅に改正して、今より更に厳しくし、それに適合しない建物は猶予や特例を認めず、全て即刻建て替えろって法律を作る。
国が主導でこれをやれば、困る国民は出てくるし、当然反対はすごく出るだろうが、戦後の好景気を再現するのは、これしか方法は無い。
金がいくら掛かろうとも、これをやらない限りは、真の好景気なんて来ない。
車や電化製品も、基準値を厳しくして、それに満たない車は走っちゃいけません、満たない電化製品は即刻使用を中止しないと、刑務所にブチ込みますぐらいやらないと、無理w

まぁこれは、金にがめついアメリカでも出来てない事なので、日本ができるかは疑問だがw

小手先の証券だの投資だのの、マネーゲームで景気なんて良くなるわけがないのは、もう十分すぎるほど分かったんじゃないかね?
そんなものは、一部の人間が大損して、一部の人間だけが大儲けするだけだよ。

別に世界大戦や大災害を望んでいるわけではない。
そういう状況にでもならないと、戦後の好景気みたいなのは二度と来ないと、いい加減に気づけって事だよ。
諦めろって事だよ。
それで諦めきれないなら、それこそ今あるもの全てを強制的に捨てて0になる覚悟をしろと。
今の豊かで便利な生活を維持したまま、更に金儲けなんて、夢みたいな事言ってんじゃねーと。
本当の事を言わない経済学者だの政治家だの経営者だの投資家だのに、騙されてんじゃねーと。

右翼が政権取ろうが、反日左翼が政権取ろうが、変わらねーんだよ。
アメリカの犬で居ようが、中国や韓国に侵略されようが、あるいは逆に在日を全て日本から追い出そうが、変わらないんだよ。
変わらないってのは景気の話ね?
犯罪率の低下とか、社会保障の回復とかには効果あるかもしれんけど、在日追い出せばw
でもそんだけだよ。
戦後のバブルに至るまでの好景気は、そんな事では再来しない。

NHKがついにネットからも金を取ろうと動き始める

そもそもNHKの受信料というのは、当時世界から遅れていたテレビ業界の発展のためである。

NHKは他のテレビ局に比べて、給料が異常に高いというのはあるが、同時に税金の補助と受信料という反強制の税金のような制度が法律で保障されていることもあり、その豊富な資金源で最新の撮影機材を沢山買うという、本来の役目も果たしている。

今、世界の撮影機材の殆どはソニーやパナソニックなど日本のメーカーが占めているが、これはNHKという存在があったからでもある。
いくら多額の研究開発費を投じて、高性能で最新の撮影機材を作っても、買ってくれる所がなければ、企業は作らないわけで。
また買ってくれる人や法人が無ければ、値段も下がらない。

なのでNHKや受信料という制度は、必ずしも「悪」では無いと私は思っている。

NHKが「悪」なのは、税金の補助や法律での優遇があり、さらに放送法は政治だの思想・信条だのに関しては「公平」な放送をするよう定めているのに、それを平気で破って、しかも反日活動をする所。

そういうクズどもが、落ち目のテレビではなくネットから金を取ろうとしている。
その根拠はなんですかね?

ネット環境は日本は特に諸外国に比べて遅れてはいない。
NHKを使って資金を集めて、ネット関連企業に流して発展を促す必要性も感じない。
ただ単に、反日運動や職員の高額な報酬を維持するためだけに、テレビ無い世帯が増えて受信料の徴収がどんどん落ちる中で、テレビに代わって新たに台頭してきたネットから金を取ろうってだけの話。

金が欲しけりゃ、税金や法律の優遇に頼らず、てめーらの力でやれや。
鉄道・電話・郵便など、今まで多くの公営企業が完全民営化されてきた。
NHKもそろそろ、完全民営化しても良い頃じゃないかね?
テレビ業界の発展という役目は十分果たしたわけですしw

NHKに新たな資金調達減を与えるべきではない。
それどころか、むしろJRやNTTや郵便のように、完全民営化させるべき。
反日活動したいなら、てめーら自身の力で金を集めろ。
国や法律に頼るなよw
恥ずかしくないの?

優先順位

人生において、最も大切なものは何か?というような命題の時に、必ず出てくるもののひとつに「優先順位」というのがある。

米朝首脳会談の失敗は、まさにキム委員長がこの「優先順位」を間違えたからだと言える。

というのも、北朝鮮には今回の会談で2つの大きな目的があった。

すなわち、キム独裁体制の維持と経済制裁の解除だ。

北朝鮮側は体制を維持したまま、経済制裁の解除を目指したわけだが、うまくいかなかった。
今まではその場限りの約束をして、利益を得る外交が成功してきたせいもあるかも知れないが、既に何度も騙された米国と、更に核兵器所持という一線を越えてしまった現在、その方法は通用しないというのが分からなかったのだろうと思う。

つまり体制維持か、経済制裁の解除か、どちらかひとつを目標とすべきだったのだ。
そして「優先順位」からいけば、「経済制裁解除」の方が高い。
なぜなら、いくら独裁体制を維持して、核兵器を保持して粋がったところで、人間というのは食わなければ生きていけないからだ。
全ての国民が餓死し、最後に核兵器を抱いたまま、自身も餓死するつもりなのかと。
そもそも一人も国民が居ない国で、「俺が一番偉いんだ!」とか言ったって、むなしいだけだよね?

「俺様」ができるのは、それに従う多くの人間が居てこそ効果があるし、気持ちが良いのだ。
つまり「俺様」を続けるには、まず国民の飢えを何とかする方が先なのだ。
こんな簡単な事をも分からないようだから、失敗したのだ。

ぶっちゃけ、カメラある場所は別にしても、トランプ大統領に土下座してでも経済制裁の解除をお願いすべきだったのだよ。
そのためなら、どんな条件も飲みます。
核施設も核兵器も全て破棄します。
査察も受け入れます。
その代わり、国民の飢餓を助けて下さいとお願いすべきだったのだよ。

日本の昭和天皇が敗戦後に、国民を飢えから救うために、自分の命はどうなっても構わないから、助けてくれとマッカーサに頭を下げたという逸話もある。
同じ事を、キムはすべきだったのだ。
これが「優先順位」というものだ。

敵である米国の、しかも国の最高位ではなく、単なる占領軍のトップといういくらか下の者に、欧米では「エンペラー」と訳されるような地位に居る人間が、いくら負けたとはいえ頭を下げるなんて、そうそう出来ることじゃない。
天皇という地位にあるプライドが許さないからだ。
天皇自身もそうだろうし、周りもそれを許さないだろう。

だがあえて頭を下げた。
プライドよりも頭を下げて日本の現状を何とかしてもらう方が優先順位が高いと判断したからだ。

これは明治維新の成功した理由にも当てはまる。
欧米列強の武力による脅しに屈して開国し、不平等条約まで結ばされた。
そんな事をすれば、幕府の威信は地に落ちるのは目に見えていたが、あえて日本という「国」を植民地化させない方法を選んだ。
結果的に徳川幕府の時代は終わってしまったが、日本は植民地化を免れ、最終的にアジアで独立を守った数少ない国として、そして欧米列強に追いつき、ドンパチできるアジアで唯一の国にのし上がったのだ。

このように、「優先順位」を間違わなければ、プライドなんてもんは本人達が思ってるほど傷なんぞつかないのだよ。
徳川最後の将軍である慶喜氏が、無能呼ばわりされてるかね?
敵であるマッカーサに頭を下げた昭和天皇が、国民や世界から笑われたりしてるかね?

キム委員長は、このすぐ近くにあって優先順位を間違えずに生き残り、しかも発展した日本の歴史から学ぶべきだったのだ。
歴史を、マウントを取る道具にしか考えないから、本来の「歴史」の使い方である「過去から学ぶ」「教訓とする」事ができないのだ。

このように、失敗する人ってのは「優先順位」を間違えている事が多い。

今の野党もそうだ。
なぜ支持率が上がらないのか?
「優先順位」を間違えているからだよ。
来年度予算案の成立を阻止するって、それって国民にとっては非常に害のある行為だよね?
自民党政権に勝つというか、対抗する事しか考えてないから、やる事なすこと「優先順位」がめちゃくちゃなんだよ。
君ら野党に求められてるのは、「自民党政権に勝つ」事じゃなくて、「日本をより良い国にする」事なんだよ。
優先順位は自民に勝つ>日本を良い国にする じゃなくて日本を良くする>自民党に勝つ なんだよw

そもそも予算の審議が不十分って、君ら予算委員会で予算の話したの?w
予算とはまったく関係ない、スキャンダルだの失言だの大臣の資質だの、自民党や政権の支持率をダウンさせるパフォーマンスしかしてないよね?
そのうえ、難癖つけてしょっちゅう審議拒否とかしといて、審議が十分でないとか、アホかとw

優先順位がめちゃくちゃなの、自分らで分からんのかね?

このように、「優先順位」を間違う奴は、いくらやったって成功できないのよ。

人生において、何か目標を達成するためには、そのために「何をしなければならないか」をまず考える。
そのためにやらなければいけない事って、沢山出てくると思う。
そしたら次は、「優先順位」を決めるんだよ。
まず何からすべきか、どれを先にすべきか、何に一番時間や労力を割くべきか、それを考えるんだよ。
優先順位を考えずに、思いついたものからアレコレやった所で、成功はしないのだよ。
そもそも人間は、そんな何でもかんでもこなせるほど器用でもないし、時間だって無いんだよ。
どうがんばったって1日は24時間しかないし、1年は365日にしかないの。
どうがんばったって、200歳とか300歳までは生きられないわけ。

限られた時間で目標を達成するには、優先順位を決めて、それが高いものからやっていくしかないんだよ。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」という故事は、「目標をひとつに定めろ」とか「欲張るな」みたいな意味で使われる事が多いが、本当はそうじゃない。
「優先順位」をしっかり決めろって事なんだよ。
どっちの兎を先に捕まえるべきか、優先順位を決めて、そちらを追えと。
もしそれでもう一兎が捕まえられなくても、どちらも捕まえられないよりはるかにマシだろうと。
また一兎捕まえられたなら、次の一兎を追うのは両方同時に追うよりはるかに難易度は低いし、楽だろうと。

片方を諦めろって事じゃないんだよ。

北朝鮮の例で言えば、せっかく作った核兵器や各施設を放棄しして、経済制裁の解除、できれば援助を取り付ける方を取れって事なんだよ。
そうして国力が回復してから、あらためて核兵器作ればいいじゃんw
日本人としてはやってほしくないけど、理屈としてはそうじゃん?

野党もそう。
予算案を阻止するんじゃなくて、対案や修正案を叩きつけて、少しでも自分たちの意見が反映された予算案を成立させる事をまずすべきなの。
そういうのの積み重ねで実績を作って、それを国民にアピールすべきなの。
そうやって支持率を上げていくべきなの。
それが政権を取るという目標を達成するために、すべき事の最優先事項なのよ。
予算委員会で誰かを吊るし上げるなんてのは、はるかに優先順位の低い戦略なの。

だから北朝鮮はせっかくの米朝会談で何の成果も得られなかった。
野党は一向に支持率を上げられないわけ。

会社で働くにしろ、友達との関係だの恋愛だの何でもいい。
一般人の一般的な日々の事柄も、すべて「優先順位」を考えて行動する事で、上手く行くんだよ。

まぁ、優先順位が分かっててもやれないない、頭では分かってるけどどうしても感情を優先してしまうってのは分かるよ?
そもそも私がそうだしw

そういう社会のゴミになりたくないなら、「優先順位」というものを常に考えて、生きたほうが良いですよって話。
カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR