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相撲協会と貴乃花親方のスタンスの違い

世間では、相撲協会=古い体質の頭の固い伝統重視手段、貴乃花親方=革新的で現代的な思想の持ち主
と思われているだろう。

だが実は、私はこの認識はむしろ逆ではないかと思う。

相撲協会は、このまま伝統だのしきたりだのに拘っていたら、潰れてしまうと考えた。
だから外国人力士をどんどん入れて、その外国人力士が伝統やしきたりにそぐわない行動を多少したとしても、目を瞑る事にした。
伝統だのしきたりだのに拘って瞑れるぐらいなら、それらを蔑ろにしてでも生き残る事を考えた。

これが白鳳をはじめとしたモンゴル人力士の、やりたい放題を許していた事から伺えると思う。

しかし貴乃花親方は、それをよしとしなかった。
むしろ貴乃花親方は、古い伝統的な相撲に拘る、非常に頭の固い頑固者なのだ。
だから日本人力士同士のいざこざは黙認したが、モンゴル人力士による伝統破壊とも思える行動にはキレたのだ。
横綱にあるまじき、死体蹴り相撲や八百長に我慢ができなかった。
そんな事を許してまで生き残るぐらいなら、いっそ伝統やしきたりを守って、神事としての相撲はそのまま潔く美しく滅びるべきと考えていたと思う。

このように根本的に両者の思想というのが正反対であり、しかもどちらが正しいとは一概に言えないからこそ、ここまで拗れたのだ。

私は常々、若乃花が相撲から距離を取ってしまった事が非常に残念でならないと言って来た。
なぜなら若乃花が居れば、恐らくは貴乃花と相撲協会の間をうまく取り持てたと思うからだ。

これは長男・次男の性質にもよる。
長男というのは、優柔不断と言われるが、それは自分の信念が無いわけではない。
なるべく争いを避けつつ、いかに自分の信念を貫くかを考えて行動するから、見る人によっては優柔不断に見えるのだ。
次男というのは、良く言えば非常に頑固で信念を貫き通す強い意志の持ち主であるが、悪く言えばそれは他人の意見を一切聞かない単なる自己中とも言える。

だからこそ、先頭に立ってはダメなのだよ。
人類の歴史で、多くの国家や民族や部族や家が、「長子相続」な理由がコレだ。
集団を纏める方法は、なぁなぁで緩くまとまる方法と、強権で無理やり纏め上げる方法の2つがある。
前者は物事がなかなか先に進まないという欠点はあるものの、対立や不満は非常に小さなものとなり、集団の維持が長く継続できるという利点がある。
後者は物事が迅速に進むという良い面がある一方で、対立や不満は修復不可能なほど深いものになり、集団の維持は長く続かない。
具体的に言えば、その強権を発動できていた人物が亡くなったり耄碌したりすれば、とたんに集団はバラバラになってしまうのだ。

この「なぁなぁ」で上手く纏めるのは、次男より長男の方が圧倒的に上手い傾向にある。
逆に次男は長男の事を常に見て育つ事ができるので、才能などの面では長男に勝る事が多い。
件の若乃花・貴乃花兄弟もそうだったように、特にスポーツなどの分野では、兄弟・姉妹で同じ競技をしていた場合、長男・長女より次男・次女の方が成功する事が多い。
いま話題の大阪なおみさんもそうだろう。
姉より妹の方が圧倒的にテニス上手いわけだしw
あるいは浅田まおなんかもそう。
上げればキリがない。

しかし優れた才能や力がある反面、融通が利かない。
だから兄より弟の方が優秀である事が多いのに、あえてリーダーは兄にするのだ。
リーダーである兄に集団が期待しているのは、強大な力や才能ではなく、集団を上手く纏め上げる事のできる立ち回りなのだ。

戦国時代末期の島津家なんかもそうだろう。
長子である義久より、弟である義弘の方が圧倒的に戦上手であったり、三男・四男もそれぞれ長子をしのぐ才能があった。
それはお爺さんである島津忠良(日新斎)の、孫達の総評から見てもわかる。
長子の義久については「総大将の器がある」と言っているが、裏をかえせばズバ抜けた才能が何も無いって事でもあるw
しかし次男の義弘については、「あいつすげー武力高いわ」って言ってるし、三男の歳久は「あいつすげー知力高いわ」と評し、四男の家久についても「すげー指揮能力高いわ」って言ってる。
つまり光栄の武将能力値的に言えば、長子である義久は兄弟の中で一番、武力も知力も低いというわけだw
強いていえば、魅力は兄弟で一番高かったのかも知れないが、それには島津家の長男であるという事も多分に影響してるわけで、自身の才能だけではなかったであろう事も伺える。

ちなみに世界で「長子相続」ではない、珍しい習慣を持つので有名なのが、モンゴル民族である。
チンギス・ハーンを輩出したモンゴル民族は、「末子相続」という非常に珍しい習慣を持つ。
リーダーは集団を纏める才能より、一番強い奴がなるべきという、実力主義の究極とも言える思想だと思うw
相手を思いやるとか気遣うとか、そんな甘い考えは生き残るには一切不要。
殴り倒してでも頂点に居座れる奴こそが、リーダーに相応しい。
このような思想だから、白鳳は「死体蹴り」を行えるのだろうw
モンゴル民族にとって、リーダーとはそういうものだからだ。
相撲のトップである横綱は、モンゴル民族的には、二度と自分に立ち向かって来れないように徹底的に痛めつけてでも、その地位を維持する事こそが、あるべき姿なのだろう。

だから日本人的な価値観の「横綱」とはかけ離れた言動が目立ち、それが良くも悪くも典型的で伝統的な日本人である貴乃花には許せない事だったのだ。
日本人の価値観では、リーダーとは力が一番強いだけではダメで、「気は優しくて力持ち」でなくてはならないのだ。
死体蹴りや、下のものをいじめるなんてもっての他なのだよ。

しかし相撲協会はそう考えなかった。
そんな事をしていたら、いつまでたっても圧倒的な力を持つ横綱なんて生まれないし、いつまでもどんぐりの背比べしてたら、相撲自体が魅力を無くして、滅んでしまう。
相撲はもはや神事ではなく、プロレスやボクシングなどのような娯楽格闘技なのだと。
そうならないと、相撲も生き残れないのだと。
だから実力至上主義のモンゴル人の価値観の方を、尊重せざるをえないのだ。
実際、白鳳などが活躍するようになってから、相撲人気は右肩上がりになり、連日満員御礼で大儲けという結果も出ているわけだから。
だから白鳳を、日本人じゃないからと卑下するような事件があった時は、私は白鳳を擁護する立場を取った。
それが日本人的な礼儀ってもんだからだ。

しかしいくら結果を残し、多大な貢献をしていても、日本人の価値観からすると許せない事は、やはり批判すべきだし矯正させるべきなのだ。
それが「相撲」だからだ。
プロレスやボクシングがやりたいなら、そっちへ行けと。
相手を見下し、挑発し、徹底的に打ちのめす。
それがたとえ「演出」だとしても、そういうのは日本の「相撲」においては許されないのだよ。
だから私は相撲協会よりも貴乃花を応援してきた。

ただやはり、典型的な次男である貴乃花には、集団を上手く纏め上げて主流になるだけの立ち回りはできなかった。
若乃花が貴乃花とあれだけ不仲にならず、兄弟そろって親方として協会に残っていたなら、ここまでにはならなかったと思わずにいられないのだ。
若乃花なら、貴乃花をうまくなだめて、かつ貴乃花の望む改革や伝統を死守する方向性へ、うまく協会メンバーを説得して纏められただろう。
貴乃花の考えが主流になるような、多数派工作が行えただろうと思うのだ。

貴乃花が相撲自体を引退という形で幕引きになったのは、貴乃花の考えが正しくなかったわけだからではない。
そのやり方が上手くなかっただけなのだ。
そしてそれを上手くやれたであろう若乃花と、絶縁してしまった時点で、この結果は目に見えていたように思う。

ちなみに若・貴の確執は、別に貴乃花だけに原因があったわけではないと思う。
今でも忘れない、若乃花・貴乃花が最後まで優勝を争った場所で、最終的に直接対決で若乃花が貴乃花を破って優勝した事がある。
あの時の、兄にわざと負けて優勝を譲ったように見えた取り組みと、その後の優勝パレードでの兄の優勝を心から喜ぶ満面の笑みの貴乃花と、その横で「弟にわざと負けてもらって優勝させてもらえた」という思いがあったのか、複雑な表情だった若乃花。

頑固で八百長とかを絶対に認めないような貴乃花が、自分の信念を曲げてまで兄へ優勝を譲ったその思いを、若乃花は受け止め切れなかったのだろう。
若乃花はあそこで、貴乃花の兄への強い思いを、変なプライドとか捨てて受け止めるべきだったのだ。
長男が次男に力で劣る事は、スポーツ界では珍しくない。
島津義久のように「弟達が有能だったために島津家はここまで大きくなって生き残っただけで、私は何もしてません」と自虐できるぐらいの、心の広さを持つべきだったのだ。
それを認めて、受け止めきれる人物だけが、真の長子相続者として成功できるのだ。

ちなみに、同じように弟達がすごい優秀だった長子が戦国時代の有名な家にもうひとつある。
毛利家だ。
毛利元就という天才的なリーダーの長子である毛利隆元は、吉川家を継いだ次男の元春や小早川家を継いだ三男の隆景に比べて、才能が著しく劣っている事を常に思い悩んでいたという。
光栄の戦国ゲームでも、隆元の能力値は元春や隆景に比べてすべての面で低く設定されてたりした。
しかも史実だと、早死にしてしまったために、なおさら役立たずの無能長子のように思われてきた。
しかし近年の研究により、実は隆元には戦の才能は無かったものの、戦を行うのに必須である資金調達能力が非常に高かった事が分かってきた。
つまり無能でもなんでもない、単に目立たない後方支援でその才能を発揮していただけに過ぎなかったようなのだ。
その証拠に、隆元の死後は大きな戦をしようとしても資金不足でできなかったという。
いままで戦に協力してくれていた地元の商人や領民が、非協力的になったのだというw
隆元様だから、無理にでも資金を融資したし協力したと言われたとの記録もあるらしい。
俺はダメな人間だ、無能だとうじうじした手紙とか沢山見つかっているし、それを見てきた弟達はもちろん超有能な父親さえも、「もうかんべんしてくれ、この構ってちゃんは」とうんざりして見下してたのに、その死後にはじめて「あいつ実は超有能だったんじゃね?」って気づいたとかw

若乃花はたぶんこの毛利隆元に似ているんだと思うw
自分が実は人を纏める才能に秀でているにも関わらず、派手で目立つ才能を持つ弟に劣等感を感じて、身を引いてしまった。
これが相撲協会のゴタゴタと信用失墜を招く自体にまでなってしまった。
そういう面では、若乃花自身にも責任はあると思う。

まぁもう過ぎてしまった事をとやかく言ってもしょうがない。
相撲協会がこれからすべき事は、長男系理事長を建てて上手く事を収めていくしかないんじゃないってしか言えない。
そんな人物が、今の相撲協会の親方衆の中に居るのかわからんがw

秋の匂い

メンタル的な話ではなく、「秋」ってなぜか1年中で一番「あ、秋になったわ」と分かる、独特の香りがしませんか?

何というか、何かの木の実が熟したような甘い良い香りが、うちの実家近辺は秋になると毎回するんですよね。
別に地方の自然が沢山残る地方とかじゃありませんw

一応これでも首都圏と言われる都会の部類に入る場所です。
ただ、他の都会やその周辺のベッドタウンに比べると、自然が多めに残る地域ではありますが。
具体的に言うと、「こどもの国」近辺ですw
もし、大都会に住んでいらして、「秋の香り」なんて嗅いだことがない人が居たら、「こどもの国」へ行ってみて下さいw

ちなみに夏の終わりから秋の始まりにかけては、「匂い」だけでなく「音」でも判別ができます。

日本の夏といえば、「セミ」ですが、その「セミ」が夜中には鳴かなくなり、代わりに「鈴虫」でしょうか?秋の虫が鳴き始めるのが、「秋のはじまり」の「音」です。
ちなみに夏が完全に終わって「セミ」の鳴き声が一切聞こえなくなったここ最近は、昼間も虫の声が聞こえますね。

うちは家の前に花壇っぽい、植え込みっぽいのがあるんですが、そこから聞こえてきます。
この花壇っぽいのは、結構掘り返されて、いろいろ植え替えられたり、形を変えられたりしてるのに、鈴虫っぽ奴らは毎年鳴くんですよね。
どんだけ頑丈なやつ等なんだと感心しますw

そして私はこれらの秋の匂いや音が、ものすごく好きなのです。
すごく癒されるというか、落ち着くというか。
日本に生まれてよかったーと思える瞬間ですね。

ニートだから見えるもの

ニートも長年やってると、いろいろ考える事があります。
俺の人生は何だったのか?何のために生まれたのか?なぜ生きているのか?

こんな事は、毎日家族を養うために必死で働いてる人は考えないでしょう、というか考える暇なんて無いでしょうw
別に家族が居なくても、家がそんなに裕福じゃないとか母子家庭で高校卒業してからすぐ働かなければならなかった、そうしないと生きられなかったって人とかもそうだと思います。

さて、仏教の開祖と言えばゴーダマ・シッタールダ、通称「ブッダ」と言われている方ですね。
「ブッダ」というのは、「悟りを開いた人」という意味でもありますが、なぜこの方が悟りを開けたのか、今ならわかります。
ニートだったからですw

仏教関係者には怒られそうですが、よーく考えてみてください。
厳しい修行にしろ、心やすらぐ環境での瞑想にしろ、どれもこれも1円の金にもならないんですよ。
働いてないんですよ、彼は。
もともと王族で、汗水垂らして必死に働いて、それでも毎日食うものに困るような出自ではないわけです。

今も一部でそうですが、修行僧というのは1円のお金も稼いでません。
人間が働くのは食っていくためです。
金が無ければ食えません。
だから修行僧は、托鉢という、まわ悪い言い方をすれば「物乞い」で食いつないでるわけですよ。
まぁニートよりかは動いているとは言えるかもしれませんが。

つまり必死に働いてたら、悟りなんて開けないんですよw

これがニートだから見えるものがある という根拠です。

ブラック企業で自殺するまで働かされる人が、なぜ死ぬ前に仕事辞めないのか?
そういう考えが、出てこないんですよw
いじめ自殺も同じです。

まともに働いたり学業に励んでる人には、悟りが開けないのの、もっと酷いバージョンが自殺に追い込まれる人達なんです。
ゆっくり「考える」暇を与えない。
これが辞めさせずに低賃金でこき使うブラック企業の、基本的な手法です。
いじめも、自殺するまでいじめられる奴ってのは、いじめられる側の個人差はありますが、いじめる側が上手いんですよ、言い方は悪いですが。
「逃げる」とか「誰かに助けを求める」とか考える暇を与えない、あるいはそういう手段を封じるなど、巧妙だって事ですね。

世の中には「常識」が無いと言われる人達が沢山居ます。
虐待などされて育った人は、どこかしら常識がズレてたりします。
あるいはそれほど酷くなく、なんとか大学までおかしな家庭環境のまま卒業できた人とかも、どこかしらおかしい。
あるいは、兄弟が居て、自分はターゲットにならなかった、むしろ一緒に虐待する側だった人なんかも、当然歪みます。

そういう人達は、当たり前ですが悟りなんて開けませんw

人が悟りを開くには、何か必死にしなければならない事が無く、考える暇が沢山あり、なおかつ食う事に困らない状況が必要だということです。

人間だけが、「文化」を持てたのは、単に知能が高かったからだけではありません。
他の動物のように、24時間365日、生きるのに必死にならなくて済んだからです。
つまり「暇」があったからです、他の動物よりも圧倒的に長時間の。
その暇な時間のおかげで、生きるのに必ずしも必要ではない、絵を描いたり歌をうたったり、あるいは神に祈ったりみたいな、「文化」を持つようになったんですよ。

そして、この「何もしなくても良い時間」が多ければ多いほど、人は哲学的な事を考える、誰にも洗脳されたり強制されたりしない、真に自由で第三者的視点を持って、物事を見つめなおせるのです。

座禅というのは、ブッダの悟りを開く方法にならって行われる仏教の修行のひとつです。
座禅はいま海外の人にも、ストレス解消法として人気らしいです。
座禅というのは、「何も考えないで、じっと座って居る事」ですが、実は「何もしなくても良い時間を過ごす事」でもあるんですよ。
そうすることで、日々の様々な洗脳や強制から逃れて、自由を得る。
だから開放感とかストレス解消の効果があるのです。

学校であれ会社であれ、あるいは専業主婦でさえも、まともに家事や近所付き合いとかしてれば、いろんな束縛や強制や洗脳が入ります。
なので完璧に「常識」を持つ人など居ません。
みなどこかしら「非常識」であるはずなのです。
その度合いが、大きいか小さいかなのです。

そもそも「常識」とは何か?
理論的な思考をすれば、こうすべき、これが正しいと思える事が出来る、言える事です。
「非常識」というのは、理論的におかしい事を言ったりやったりする人の事を言いますから、その逆が「常識」なので当たり前ですねw
理論的な思考ができるには、誰にも影響も洗脳も束縛も強制もされてない、真に自由な状態が必要なんですよ。

世界三大宗教が誕生してから、ずいぶん経ちます。
でもそれ以降、新たな大宗教となるものは出てきません。
人類社会が、どんどん窮屈になって、自由がどんどん無くなってきてるからです。
あらたな宗教を興せるような、悟りを開ける環境が現代には無いからです。

働かなくても食えて、寝る場所が確保されてて、着るものもある。
そういう人が少ないんですよ。
そしてそういう人を「ニート」と呼ぶわけですが、実際はニートも日々インターネットしたりゲームしたりアニメ見たりと、ボーっと何もしない時間がものすごくある真のニートってそうそう居ません。

どこの寺とかにも行かずに、個人で座禅する人ってあまり居ません。
寺とかで長期間座禅をして、何かを掴んでも、寺のえらいお坊さんの価値観にそぐわなければ否定されるし、認めてもらえないでしょうw
寺に居る事自体が、仏教という価値観に縛られる事になるからです。

だから別に修行とかお坊さんになりたくて来てるわけじゃない、単にストレス解消や文化体験として来てる人の方が、たぶん悟りっぽいものを開けると思いますw
あるいは個人で、精神安定の手段として座禅を寝る前にやってるとか、休みの日に何時間かやってるとかって人の方が、寺で修行で座禅してる人より、悟りを開ける確率は高いと私は考えます。

というか、「ブッダ」自身がそうだったわけですよ。
今も残る「カースト制度」から抜け出し、ヒンドゥー教の修行方法から抜け出し、ただ菩提樹の下で座禅するだけという、真に自由な思考ができる環境を試行錯誤のうえに見つけ出して、はじめて「悟り」を開けたわけですから。

そしてそれは人間であれば、誰しも同じ結論にたどりつくとは限りません。
その人にとっては正解でも、別の人にとっては不正解である事もあるわけです。

既存の宗教や哲学や学問が無駄だとも、間違ってるとも言いません。
ただそれらは、「そういうものもある」という参考程度に考えるべきなのです。
「そういうもの」に囚われてるうちは、悟りも自由もやすらぎも得られませんという話です。

愛情が沸かない子が居るのはなぜか?

修羅場だが懺悔だかのまとめサイトで見た話に、こんなのがあった。
お金持ちだが子供が居ない親戚夫婦に、裕福ではないが子供が3人も居る投稿主が、その子供のうちの一人を養子に出した。
切欠は、親戚の集まりのたびに小梨(子供が居ない事のネットスラングのようです)夫婦が、3人も居るんだから一人うちの子にならない?と子供達に言っていたため。
もちろん小梨親戚金持ち夫婦も、3人子持ち投稿主夫婦も、祖父母もお決まりの冗談で挨拶のようなもんだと認識していたと。

ところが子供3人のうちの一人が、ある時にその金持ち小梨親戚夫婦の養子になると、本気で言い出したらしい。
何度あれは冗談だとか、そんな事を言ってはいけないと注意しても聞かず、ずーっと言い続け、それに実母である投稿主の心がついに折れてしまい、養子に出したと。
自分の腹を痛めて産んだわが子であるはずなのに、もう何の愛情も沸かなくなったと。

さて、この話を読んで思った事は、親というのは必ずしも子に無償の愛を注げるものでは無いという事だ。

まず親が子に無償の愛を注ぐのは、ひとえに人間も含めてすべての生き物の究極の目的は、自分の遺伝子を後世に残す事だからだ。
よって子ができるまで、あるいは自分が子であるうちは、たとえ親や兄弟であっても自分が生き残るのに障害になると思えば、切り捨てる。
しかし親になった瞬間から、今度は自分が生き残るためではなく、自分の遺伝子を継ぐわが子が生き残るために全力を尽くすようになるのである。
だから自分の命を犠牲にしてでも、子供を守ろうなんて事ができるわけだ。

しかしこれには、実は罠がある。
自分の遺伝子を継ぐものは、最低でも1固体だけ生き残れば良いという事。
人間以外の動物を見れば分かるが、生涯に1匹しか子供を産まないものは、恐らく居ない。
なぜなら、自分の遺伝子を継ぐ存在が残る確率が、それだと非常に低くなるからだ。
だから弱い生き物ほど、一度に沢山の卵だの子供だのを産んだりするわけだ。

人間は地球上の全生命の頂点に居るわけだが、それでも事故や病気などで大人になる前に死んでしまう子供は居る。
今より医療が発達してなかった時代は、日本でも兄弟は5人とか6人とか居るのが当たり前だった。
なぜなら、そうしないと家が途絶えてしまう可能性があったからだ。
しかし現代の日本は、よほどの事が無い限り大人になる前に死んでしまう子供というのは、少ない。
一人っ子が多くなったのは、そういった環境による必然でもあるのだ。
なにせ子供は一人でも育てるのは大変だ。
金が掛かるのはもちろん、それ以外にも精神的にも肉体的にも、ものすごく消耗するわけで。
それこそ命がけなんだから、当たり前だがw

つまり、一人居れば十分なのに2人も3人も子供が居たら、どれかに愛情が偏るのは当然なのだよ。
一番優秀な子、生き残れそうな子を本能的に優遇するのは、当たり前なのだよ。
それは野生の鳥の子育てでも見られるだろ?
人間は、「理性」でそれらを「間違った行い」と無理やり思い込んで、無理やりどの子にも同じように愛情を注ぐ振りをしてるにすぎないのだ。
だから兄弟格差のある家庭が出てくる。
私も幼少の頃に、同級生にそういう家庭があったのを見てきている。
特に正確に問題がありそうな、いわゆる毒親とかDQNとか言われるような両親でないにも関わらず、妹ばかり優遇して、姉は飯もロクに食わせてもらえず、学校で友達の弁当を盗み食いしたり、服もボロボロだったり。

「理性」が足りなかったり、精神が弱かったりすると、必然的に一番「生き残れそうな」子だけにしか愛情を注げなくなるのだよ。
人間なんて、自分たちが思うほど強くもなければ、能力が高いわけでもない。
注げる愛情の量には限りがある。
ましてや自分の命はひとつしか無いわけで、2人も3人も居たら全員に命を掛けるなんてできないでしょ?w

もっとわかりやすく言えば、兄弟のうち誰か一人が車に轢かれそうになって、それこそ命がけで守った結果、自分が死んでしまったら、他の兄弟が同じ目にあった時に、物理的にもう守れないわけですよ、だって死んじゃってるわけですからw
もちろんその子も守れませんが、親に命がけで守ってもらったという最大の愛情は、どうがんばっても、もう他の子には注げないわけですよw

だから必然的に、一番生き残れそうな子に愛情が偏る。
理性でもって、何とかそうならないよう、ある程度の努力はできます。
しかし完璧にそれをこなせる人間など、居ないです。

そして子供というのは親が思う以上に、そういうものには敏感です。
私の育った環境も、貧乏なくせに3人も兄弟が居やがったので、随分と不満はありましたよ。
もちろん、誰かに愛情が偏らないように、周りの親と比べても非常に厳格に努力していた事は分かってますし、感謝もしてますけどね。

投稿主は、血が繋がってない義理の子供ならともかく、自分の腹を痛めて産んだ正真正銘のわが子なのに、いくら子供の心ない言動が精神的に折れるまで続けられたとはいえ、それで子供に何の愛情も沸かなくなった自分の非情さをずっと嘆いているわけです。
ですが、それは生物学的な観点から言えば、当たり前であり非情でもなんでもない。
非情だと自分を責めるのは、人間が「理性」で作った価値観のせいであって、それは神様から言われた絶対的でも何でもないものに囚われているからだと思ったのです。
いわゆる「道徳」とか、そういうものですね。
もちろん「道徳」を否定する気はありませんが、それで悩み苦しみ、自分の人生、ひいては捨てられなかった他の兄弟にもそれが影響してしまうぐらいなら、所詮は人間が自分たちの都合で勝手に作った「道徳」による思い込みなんだと考えて、少しでも楽になった方が良いのでは?と思ったからです。
本能的に切り捨てた子の事を、いつまでも気にして、本能的に守ろうと思った他の兄弟に愛情を注ぎ切れなかったり、守れなかったりしたら、それこそ生物として失格だし本末転倒ですよって事です。

「理性」こそが、人間特有の、人間を他の生物と一線を画す能力のひとつであるのは確かです。
しかし逆に「理性」のせいで、生物本来の「生き残る」という最大の目標と、逆のことをしてしまうのもまた事実です。

いじめ自殺は、この「理性」のせいで起こると私は思います。
いじめを止めさせる方法というのは、モラルだの法律だのを「無視」すれば、いくらでもあるし誰にでもできるんですよ。
それこそいじめてるやつらを、全員殺してしまえば良いわけですから。
でもそれは「理性」が許さない。
自分が殺人犯になるのはともかく、まったく関係ない親なども殺人犯の親族として迷惑を掛ける事になる。
だからいじめを終わらせるために、自分が死ぬという間違った選択をせざるをえなくなるのです。
「理性」が無ければ、そんな結論には至らないでしょうって事です。

話が逸れましたが、人間はどんなにがんばっても「本能」からは逃れられないのです。
また「理性」は必ずしも人間を正しい結論に導くとも限らないのです。

つまり「過ぎたるは 及ばざるが如し」って事ですよ。
理性など一切無視して本能のままに生きるのは、もちろん間違いです。
ですが本能を殺して理性だけで生きるのも、また間違いだと言いたいのです。

理性はほどほどに働かせ、本能を押さえるのもほどほどにすべきという事です。
それが人間が人間としての形を保ちながら、生命としての「生き残る」という目標を狂わせなくて済む一番の正しい生き方だと言いたいのです。



現実が見れない人たち

私どもニートの事ではありませんw
そんなもんは、十分承知しておりますw

今回の「現実がみれない人」というのは、石破氏とその愉快な仲間やマスゴミの事です。

安倍首相は553対254という、得点制のスポーツやゲームで言えば「ダブルスコア」での圧勝をしました。
ところがなぜか、「安倍圧勝」とはどこのマスゴミも言いません。
石破氏が予想外に善戦したとかいうのばかりです。

前回の総裁選は立候補が安倍首相しか居なかったので、投票は行われていませんが、前々回は安倍・石破両氏が争っています。
正確に言えば、2012年9月26日に一度体調不良で脱落した安倍さんが、復活を決めた総裁選での事です。
この時は、安倍・石破両氏をはじめ5人もの候補が総裁の座を争いました。
最初の投票では石破氏が一番得票を得て、安倍氏は2位だったんです。
ただ差が小さかったのか、あるいは規定の得票数に1位の石破氏が満たなかったのかで、安倍・石破両氏だけでの決戦投票が行われて、安倍氏がそこで奇跡の逆転(?)で当選したわけです。

しかし今回は、前々回かろうじて勝ったはずの安倍氏は、同じ相手にダブルスコアの差を付けて「圧勝」してるわけですよ。
これをどう見たら「善戦」になるのか、不思議でなりません。

まぁ前回の総裁選のように、誰も戦おうとすらしなかったのから比べたら、対抗しようとした人が出てきて、しかもコールドゲームにならなかっただけでも、マシというか安倍さんの影響力が低下したと言えなくもないですがねw

スポーツで考えたら、今回の石破陣営やマスゴミの反応は「みっともない負け惜しみ」でしか無いのが分かるでしょう。
なぜって、前々回はリーグ戦では勝ったのに、決勝トーナメントで負けたチームに、今回はリーグ戦は無かったですが決勝トーナメントで「ダブルスコア」で「ボロ負け」したわけです。
なのに監督やコーチなどの関係者は「よくやったwww」と拍手してるのです。
その試合を見ていた観客からしたら、「何言ってんだあの監督www」ってなるでしょう?
そりゃ負けチームのOBや親からしたら、「うんうん、よくやったね」って人も居るでしょうが、どっちのチームのファンでもない人からしたら、負けチームがそんな事言ってたら「負け惜しみ」にしか聞こえませんよね?

これが今、多くの人が「マスゴミは何を言ってるんだ?」と違和感を覚える事の正体ですよ。
前回戦った時よりも、差が縮まったのであればまだ分かりますが、前回より差を広げられて、「ダブルスコア」で負けたわけですよ。
どこをどう見たら「善戦」になるんでしょうか?って話です。
正確に言えば前々回は最後の最後で逆転負けされ、前回は戦いを見送って練習に励んで満を持して今回は戦いを挑んだにも関わらず、前々回とは比べものにならない圧倒的な負けを期したわけです。
これを「善戦」したなどと喜んでいるようでは、「成長」しないでしょう。
スポーツならそうですよね?
だって前回の惜敗をバネに、この6年間死に物狂いで練習し、対策してきたのにボロ負けしたわけで、普通ならこれまでやってきた事を見直さないといけないわけですよ。
練習内容や戦略を大幅に見直すような、「反省」を大いにしなければならないはずです。
ところが「善戦」したと、まったく「反省」してない。
そんな人が、強くなれるわきゃないですよね?
成長できるわきゃないですよね?

私が子供の頃の野党第一党といえば、今は亡き(笑)社会党でした。
当時も自民党は強かったですが、それでも社会党の支持率は自民党が45%ぐらいなら社会党は25%ぐらいはあったと思います。
それが今やどうですか?
自民党が50%近い支持率を誇りながら、野党はのきなみ1桁ではないですか。
これをどう見たら、国民は自民党を、安倍首相を実は支持していないなんて言えるんですかね?

そういう「現実をみれない」「妄想の中で生きる」ニートのような事をしているから、成長できないし勝てないんですよ。
それが最もよく現れたのが、今回の自民党総裁選と、その結果に対する石破陣営及びマスゴミの反応でしょうw

安倍氏は今回かぎりで、総裁戦には二度と出ない、つまり「引退」を表明しています。
政治家そのもを辞めるかどうか分かりませんが、師匠である小泉純一郎氏にならうのであれば、国会議員すら引退するかも知れません。
なので普通に考えれば、次回はほぼ確実に石破総理が誕生するでしょう。
ですが、今回のように「現実がみれない」ニートのような醜態をさらしてしまったために、私は難しいと考えます。
わざと立候補せず、表舞台にも極力出ないで影でこそこそやってた、見方によっては「卑怯者」でもある小泉Jr氏なんかが、次回立候補でもしたら、確実に負けるでしょうね、石破氏は。
だって「反省」してないですからw

次回も「時期尚早」と見て小泉Jr氏や、その他の有力候補が立候補を見送って、石破政権が誕生したとしても、こんなまともに「現実をみれない」ニート政権に日本を任せるなんて、不安を通り越して絶望ですよ。
また影でこそこそやってた卑怯者が政権取ったとしても、良い気持ちにはなれませんね。
別に安倍信者でも何でもないし、今の安倍氏の政策ややり方のすべてが良いなどとは思っていません。
むしろ、もっとマトモな人が居るなら、すぐにでも変わって欲しいぐらいですよ。
ですが、もっとマトモな人が出てこないどころか、野党はもちろん自民党内にすら「マトモ」とは遥かにかけ離れた「無能」しか居ないのが、今回わかってしまった。

私はもう早く死にたい人間なので、正直どーでも良いですが、この先何十年もまだ生きなければならない家庭を持った「マトモ」な日本人の多くや子供たちにとっては、「絶望」以外の何者でもないでしょうね。

安倍氏やその愉快な仲間達には、マスゴミなどのアホに踊らされて、する必要も無い「反省」に時間を割かずに、「マトモ」な日本人や子供たちの未来への「絶望感」を少しでも減らせるよう、全力で「予防線」を張って欲しいと思います。
この「予防線」とは、憲法改正の事を言ってるんです。
私は憲法九条はいずれ全国家が導入すべき、素晴らしい理想的な条文だと思いますが、現在の国際情勢というか人類には早すぎるものです。
理想と現実のギャップが大きすぎて、このままでは日本国そのものが潰されかねません。
ですから九条そのもは放棄しても良いぐらいに考えています。
しかしそれは無理でしょう。
であればせめて、最低ラインとご自身も考えておられるであろう「自衛隊の明記」ぐらいは、実現してから引退して欲しいのですよ、安倍首相。
それが「マトモ」な多くの日本人や子供たちに、あなたが残せる最後で唯一の「希望」なのですよ。

お師匠様である小泉純一郎元首相は、「郵政民営化」という自身の最大目標を達成してから引退しました。
ちなみに私は「郵政民営化」は、自身の政治生命を掛けてまでやるべきものでは無かったと思いますし、インフラは民営化すべきでないと今でも思ってますがねw
ただその姿勢だけは評価しますというだけですw
なので安倍首相にもぜひともその「姿勢」だけは見習って欲しいし、実現して欲しいと願う次第です。

安倍さんの自民党総裁三選にみる、感情論と現実論

さすがに町の声とか、ほぼ圧勝してる安倍さんを批判する意見ばかりだと、「なんかおかしくね?」って思われると思ったのか、賛同と批判の半々でまとめてきたNHKの夜のニュースw

その(恐らくヤラセの)町の声とやらで、面白い傾向が見れる。

賛同派は経済や外交や、そういった具体的なものに対して安倍さんにこうして欲しい、あーして欲しいと言っている。
しかし反対派は、一人が何期もやるのはーとかモリカケ(笑)ガーとか、具体的なものが一切なく、感情論だけ。

これは非常に今の日本をあらわしているなぁと思った。

別に安倍さんの政策の全てが良いなどとは、誰も思ってない。
にも関わらず圧勝してしまうのは、「俺ならどーする」という具体的な事を言う奴が居ないからだ。

もうね、散々言ってきた事だけど、批判すら単なる感情論、安倍が嫌いなだけ。
だから具体的に「俺ならどーする」って政策が示せないんだよ。
うちの左翼親もそうだが、とにかく安倍の顔さえ見れなくなればそれでいいって、そういう思考ね。
安倍の何が悪いのか、どーすれば良いのかの愚痴は一切ない。

こんなアホどもに、賛同できるわきゃない。

安倍さんの何がどう悪いのか、「具体的」に教えて欲しい。
そして「俺ならどーする」というのを「具体的」に言って欲しい。

これだけでも、かなり安倍一強は崩れるのだが、石破も小泉ジュニアすらもそれが言えない。
だから負けるし、どんどん支持を失う。
むしろ、何も言わずにこっそり陰口でも叩いてた方が、国民を騙せたであろうに、なまじ勘違いして口を開くから無能さが露呈してしまう。

国民が政治家に求めてるのは、「他人の悪口」じゃないの。
自分達にいかに利があるか、害が無いか、そういう「具体的」な「政策」なの。
分かるかな?

埋蔵金があると言って政権を取っておきながら、「ありませんでした テヘッ」とか平気で言うような無責任で無能でお花畑な理想論じゃないの。
少数野党だろうが、国会議員には「国政調査権」ってのがあって、それできっちりデータは得られるはずなの。

自衛隊の日報問題がそうだよね?
あれは日報の内容ではなく、国政調査権を持つ議員に対して、データを提供しなかった=文民統制ができてないってのが問題になったわけね。
だから私も日報問題では、防衛省の対応は支持してない。
たとえ敵国の工作員だったとしても、国会議員にしてしまったら洗いざらい情報は出さなきゃいけないのよ。
そういうのを当選させない、きっちり法に基づいて公安とかが事前に排除しなかった、職務怠慢なの。
だから後になって、下らない工作しないと機密が守れなくなるわけ。

そもそもね、何で具体的な政策とか出せないかって言うと、政治家としての思考ができてないから。
というか政治家以外の職種や人間でもそうだけどね。
何か「問題」があったら、まずその問題がどうして起きたのか、起きてるのかの「原因」を調査するわけ。
原因が分からなければ、対応のしようがないからね。
きっちり確実に原因を調査して、今度はそれに対して「じゃあどうしたら良いか?」ってのを考えるわけね。
この3つのプロセス(?)があって、初めて人は「進歩」できるわけ。

でも今の特に左翼とかいう連中は、この「問題」の部分で足踏みするわけよ。
「問題」を提起する事しかしないのね。
しかも無理やり作った中身の無い問題だから、原因も対策も出せないの。
そして自分たち自身がまったく「進歩」できないわけ。

「戦争はよくない」「二度と戦争はしてはならない」と言うなら、まずどうして戦争が起きるのか、何が原因なのか、そういうのをきっちり細かく分析すべきなわけよ。
そのうえで、それに対してどう対策するか、どう対応するかを考えて、予防線として実施する。
こうしてはじめて、日本は二度と戦争をしない国になれるわけ。
まぁ未来永劫そういう国であり続けるのは不可能だとは思うけどねw

この原因の調査・分析と、対策の考案を一切してないでしょ?
だから誰も支持してくれなくなったわけ。
面白半分に、いじめと同じ理屈で、ストレス解消のために「そーだそーだ」と賛同してくれてたのに気づかずに、それを続けてきた。
だから「いじめ」と同じように、国民が大人になってしまい、「お前ら、まだそんなつまんねーことやってんの?」って笑われるだけになったのね。
同窓会で、昔いじめてたやつらが大人になって謝ってきたり、気さくに普通に接してくれ、「ああ、みんな大人になったんだなぁ」と思ってたら、ガキのままのクズが居て「おい、昔みたいにこいつボコろうぜwww」とか言って一人で浮いてた。
いじめのリーダー格だったそいつが、同窓会ではみなからドン引きされ、批判され、同窓会から追い出されたって話がどっかのネットにあがってたけど、まさしくそれと同じ事が日本の左翼には起こってるわけよ。

「おい、安倍気に食わねーから、みんなで反対デモやろーぜwww」とか言っても、大人になった国民に「まだそんなつまない事してんの?」ってドン引きされ、白い目で見られ、誰も一緒にシュプレヒコールあげてくれなくなってるわけよ。
いい加減、大人になれよw

ってのが、NHKの夜のニュースの町の声(笑)とやらで見えたって話ですわ。

外国語はイメージで覚える

まず人間が言葉を覚える時にどーするか?
赤ん坊は両親の話す言葉を真似て、反応を観察する。
同時に両親がどういう時にその「言葉」を言うのかを覚える。

そして次第に「言葉」と「イメージ」の整合性が取れた「会話」ができるようになるだ。

同様に日本語をマスターした日本人が英語なりの外国の言葉を覚える場合、日本語-英語のセットで覚えのではなく、その英単語が、英語の文章が、どういった場面でどのように使われるのかの「イメージ」で覚えるべきなのだ。
日本語ー英語の「翻訳」作業を勉強させられるので、難しいしモノにならないのだ。
翻訳はそもそも両方の言葉がマスターできてから、本来はやるべき勉強だ。

子供が外国語を覚えるのが速いのは、頭が柔軟だからではない。
自分の母国語を覚えたやり方と同じく、「言葉」を「イメージ」で覚え、理解しようとするからだ。
ネイティブの会話を聞いて「イメージ」で覚えれば、わざわざ「文法」なんて覚えなくても話せるようになる。
日本人だって日本語の文法なんて知らなくても、会話できるし文章が書けるだろう。
主語だの述語だの動詞だの助詞だのって言葉の分類を知らなくても、あるいはある単語が動詞なのか形容詞なのか、過去形なのか未来系なのか、そんなもん知らなくなったって何の問題もない。
そんなもんは、言語学者とかにでもならないかぎりは不要だ。

そんな不要な事を無理に絡めるから、余計に難しく時間が掛かってしまう。

小さな子供に言葉を覚えさせる教材とか、単語と一緒に絵とかでそれが何を意味するのか書いてあったりするだろう。
もちろん日本語をこれ以上別の手段で説明できないからだが、英語も本来はそのように学習していくべきなのだ。

そしてやはりネイティブと日常一緒に生活して会話しないかぎり、覚えられないのだ。

辞書が無い時代でも、外国語を話せる人は居た。
例えば、そもそも学校なんぞ無かった時代の、単なる漁民が遭難して、たまたま流れ着いたアメリカでしばらく生活した事で、英語が話せるようになって帰ってきた話だってあるだろ?
外国語を話せるようになるのに、「辞書」なんて不要だという証拠だよ。

翻訳家でも育てたいなら、今のままの英語教育を続ければ良い。
だが、英語を「話せる」人を育てたいなら、根本的に外国語教育を日本は見直すべき。

苦労しないで得たものは、後で必ず失う

私がそれなりに生きた人生で得た教訓。

いまでこそ「ブラック企業」なんて言葉があるが、そんな言葉も無い時代に、ほんとうに肉体も精神もボロボロになるまで薄給で働いた時期があった。
そこを辞めた後で、人生で初にして最高金額の懸賞に当たった。
といっても、10万円分の旅行券ってやつだけどw
たぶん本当なら100万円ぐらいの宝くじにでも当たったんだろうけど、そのブラックを辞める時に最低限人としてやらなければならない1ヶ月前に辞める意志を伝え、きちんと退職手続きをせずにバックレの形で辞めた事に対する罰が差し引かれたんだと思った。

その後、職を転々としながらで、それでもブラック時代より遥かに楽で高額な給与が貰える仕事ばかりしてた。
まじでブラックから転職した最初の所は、「こんな楽な仕事で、こんなに貰っていいの?」と衝撃を受けたぐらいだ。

しかし、今はそれらの金は一銭も残ってないどころか、その時に買ったものは、このPC以外にほぼ残ってない。
だから苦労しないで得た金やそれで買ったものは、後に必ず失われる、苦労とそれで得られるものというのは比例するんだという結論に至ったのだ。

悪い事をすれば、必ず後で報いを受けるなんてのも同じ理屈なんだろうな。

「努力は必ず報われる」というのは、嘘であるが、同時に真実でもあると思う。
例えば、プロ野球選手になりたくて、それこそみんなが遊んでいる間も胃液吐くような練習をし続けても、結局は才能が無くてプロ野球選手になれなかった。
これだけ見れば、「努力は必ず報われる」は真実ではないという事になる。
しかし、そういう人ってのは別の形で実は報われてたりする。
プロ野球選手という夢はかなわなかったが、その時に磨かれた「根性(?)」により、人の倍以上働いても精神病まないし続くので、結局金持ちになったとか、あるいは子供が野球の才能を開花させて甲子園に出たとか、あるいは昔とった杵柄で、少年野球の監督になって、教え子やその親から感謝されまくるようになったとか。
まぁどんな形にせよ、かならず努力した分のご褒美は返ってきてるもんだ。

「人様に迷惑を掛けるな」が口癖だったうちの親父が、自分は人様の迷惑をこうむりまくりながら、それを迷惑と考えずにひたすら働き続け、最後は心筋梗塞で、家族に介護や医療費などの負担を掛ける事も無く、自分もそれほど苦しまずに突然死できたのは、やはり今までの人生のおかげだろうと思う。

バブルまでの日本に比べて、今の日本の若者や現役世代は明らかに恵まれていないし、その時代の亡霊とも言えるじじぃばばぁに振り回されてる。
だが今の若者や現役世代は、必ず後でその苦労は報われるだろうし、じじぃばばぁは必ず報いを受けると思っている。
現役時代に散々やらかしたであろう老人の患者が、自分の子や孫ぐらいの歳のヘルパーに舌打ちされ、嫌な顔されながら毎日オムツ交換されている現場とか、見てきたしねw

幸福量保存の法則みたいのは、あると思いますよって話。

文章を書くということ

ネットでいろいろ見てると、つくづく感じる。

みんななんであんなに文章が上手いのかと。
個人の趣味の日記はもちろん、掲示板のまとめに載ってる人生話とか、本当に引き込まれるように読めて、なおかつ情景が浮かぶような文章を、なぜプロでもない一般人が書けるのかと。

SSという情景描写が少なく、登場人物と会話だけで構成された、演劇の台本のようなショート小説(?)とか、書ける人尊敬する。
もちろん、上手く書けてるからこそ「まとめサイト」に載ってるんだろうけど。

ラノベなんてよく馬鹿にされるけど、あの程度の文章すら私には到底書けない。
小難しい辞書で引かないと普通の人には書けなかったり、意味が分からない単語や言い回しが無いだけで、本当に読者を引き込み、かつ最低限の日常使われる誰でも知ってる言葉だけで情景描写できてるわけで、直木賞作品にノミネートされるような本格的な小説と中身の差は無いと思うんだよね、売れてるもんは特に。

一時期流行った、携帯小説だっけ?
「スイーツwww」って馬鹿にされてたけど、あれすら私には書けないよw

私は国語や現代文の学校での成績は、悪くは無かった。
むしろ常に半分より上に居たと思う。
にも関わらず、この体たらくだ。

普通の人が普通にできる事が出来ない。
同調圧力というか、「普通」への執着や不安が強いと言われる生粋の日本人の遺伝子を持つものとして、本当にこれが耐えられないw
いっそ、実は在日でしたとかの方がまだ諦めがつくが、親父が亡くなった時にたまたまいろいろ知る事となった戸籍や系図を見ても、どこにも大和民族じゃない人の血が見当たらないんだよねw

もうまじ、脳のどこかに欠陥があるんじゃないかと思ってるw

それでも欠陥があるなりに、人にはこれだけは負けないって異常な才能でもあれば救われたのかもしれないが、それもないw
アインシュタインもそうだったらしいけど、そういう大天才の人ってのは脳の使われ方が他の人と違うから、一般人には劣る部分がある一方で、その分天才的な才能があるわけだ。
であれば、私は脳の容量そのもが一般人に劣っているのか?

10年以上も前に母親から聞いた話では、生まれてすぐに保育器に入れられるような病気したり、おっぱいが上手く吸わせてもすぐにむせて吐き出したりしたので、この子は脳に障害でもあるんじゃないかと本気で心配してそういう検査もしたらしい。
だが、病院の回答は「この子は単に不器用なだけです」だったそうなw
つまり脳の異常は無いとw

まぁ今と違ってMRIも無い昭和がまだまだ続く時代だったし、今検査したら違うのかも知れないけどね・・・

なんか構ってちゃんみたいで、こういうのを書く自分に更に嫌悪感を感じずにいられないwww

なぜ子供には大人に見えないものが見えるのか?

某心霊ちょっと良い話系のまとめを見ていて、ある人がこんな事を言っていて、なるほどなと思いました。

「霊は見ている人が霊だと認識してしまうと、見えなくなってしまうのではないか?」と。

本来、霊というのは人が見えないだけで、その辺にうようよ居る。
だが、当然ながら実態が無いので触れる事はできない。
というか、この現実世界とは異なる世界で生きており、この現実世界の物理法則が通じない。
そのため、むしろ見えて居た方が、人間が普通に生活するうえでは不都合が多い。
実際、「見える」人は多かれ少なかれそれで苦労してるわけで。
だから、本来は見えているのだけれども、「脳」が「見えていないもの」として処理していると。

「脳」は目で見たものをそのまま正確に認識しているわけではないのは、「盲点」というもので科学的にも証明されている。
「盲点」というのは、人間の目にある「見えていない点」の事で、目の中心部分辺りにあるらしい。
なので本来は、人間は目の中心辺りは何も見えてないのだが、実際には目の中心部分の見えてない部分なんてものは多くの人が無い。
それは「脳」が周辺の風景などから、「たぶんここにはこんなモノが見えているだろう」と「補完」して認識してくれるからだ。

この「補完」があれば、見えては困るものを見えないものとして処理する能力もあっておかしくないと、私は思っている。

子供の頃に、霊が見える事があるのは、脳がまだ不完全だからだ。
「見えてはこまるもの」という認識が無いからではないかと。
だから成長していくにつれ、これは見えてはいけないものなのだという認識が出来ると、見えなくなってしまう。
心が綺麗とか、そういう問題じゃないのだとw

たぶん人間は賢くなりすぎたんだ。
霊は見えなくても困らないし、逆に見えたほうが不都合が多い事を理解してしまった。
そして見えてないものを見えていると錯覚させる「盲点」の補完機能と同様に、見えているものを見えていないものとして処理する、高機能な脳システムを持ったのだと。

写真やテレビなどには、「霊」と思しきものが写る事がある。
カメラには、人間の脳のように見えているのに見えてないと処理する機能とか無く、見えたものをそのまま写すからだと考えれば、説明がつく。
写真やテレビの映像というのは、人間の脳にとってはあくまで非現実(そこに実際あるわけではない)の二次元の映像でしかない。
だから見えては困る霊と認識せずに、そのまま見えているものとして処理するから、心霊写真とかは誰にでも認識できる。

私は十中八九、すべての生物には「肉体」とは別に、その本体ともいえる「霊」が宿っていると思っている。
だからそれを無理やり納得させるために、こんな屁理屈を思いつくだけかも知れない。
だが現代の科学では、「それは屁理屈だ」とも証明できないのも、また事実なのだ。

その屁理屈を補完できるような、新たな見解をネット上で見られたという話です。

浮気や不倫について

ここ最近、ネットゲーム(TERAのクラッシックサーバ)にも飽きて、他にやる事がないので、ひたすら他人の人生話のまとめを読んでるわけだがw

いろいろそういうのをまとめてるのを見てると、一番多く目に付くのがやはり「離婚」に関する話。

そして面白いことに、そういう話は不倫されて別れた夫側の独白が多いこと。
世間だと「男の浮気」の方が多く話を聞くのに、ネットでの自虐話は男の方が多いw

さて、私も基本的に浮気だの不倫だのはするべきではないと思う。
が、一方でそれが現代日本人の価値観や法律がそうだからに過ぎないという事も理解している。

なぜなら、ボビー・オロゴン氏の母国のように、一夫多妻が認められている国も存在するし、日本だって側室とかそういうのが認められていた時代もあったわけだから。
それに野生動物の世界では、一夫一妻の方が珍しく、オスもメスも複数の相手と交尾して子供を作るのは当たり前だからだ。

日本が一夫一妻しか認められないのは、なにも価値観やモラルの問題だけなく、単純に「経済的」な問題でもある。
当たり前だが日本は世界でも一番といわれるほど「貧富の格差」というものが小さい。
飢え死にするほどの人間が珍しい代わりに、何人もの女や子供を養えるほどの大金持ちもまた少ない。
つまり、現代の日本でたとえ多夫多妻が認められていたとしても、それを実践できる奴は極端に少ないって事だ。

まぁ奥さん一人に旦那が複数ってのだったら、経済的には十分やっていけそうだがw

つまりそういった経済的な理由などもあって、そうなったに過ぎず、神様が一夫一妻制が人のあるべき姿であると決めたわけではないと言う事だ。
だからしても良いとかいうのではないけどね。
少なくとも「現代日本」で生きていくのであれば、たとえそれが自分の価値観と合わなくても、法律だのモラルだのは守らなければならない。
なぜなら、そうしなければ生きていけないからだ。
人間は群れでしか生きていけない弱い生物であり、群れで生きていく以上は群れの「掟」には従わなくてはならないからだ。
そして、その「掟」がどうしても無理ならば、別の群れに移る事は禁止されいるわけではない。
それこそ、たくさんの女を妻にしてセクロスしまくって子供作りたい、その経済力にも俺にはあるという人であれば、ボビーさんの国にでも移住して帰化すれば良いわけだ。

あるいは、日本でも多夫多妻が認められるよう、法律を変えればいいのだ。
一夫一妻なんて、法律のうちでは「民法」といわれる、刑事罰の無い一番緩いものであって、憲法や刑事罰のある法律より変えるのは簡単だし、変えてはならないなんて決まりもない。
国民が納得するのであれば、法というのは変えても良いのだよ。
そこが左翼どもには分からないらしいけどねw

自分がするべき努力もせずに、掟に逆らうような事をするのは、左翼と同じだ。
だから現代日本においては、浮気や不倫は絶対にすべきでないし、擁護もできない。

ただそれにとらわれ過ぎて、気が狂うほど悩んだり恨んだりしている人が多いなぁと思ったので、割り切る方法としての「考え方」を提示している。
日本には「仕方ない」とか「しょうがない」とかいう、英語にはない言葉がある。
これはもちろん、自然災害の多い日本において、そういう人間の力ではどうしようもない事に対する絶望に、立ち向かい、立ち直るための方便として生まれたものだ(と思う)。
だがそれは、現代日本で「正しい」とされる価値観による「苦しみ」を和らげるのにも使えるのではないかと。

浮気された不倫された、離婚した。
俺はダメな人間だ、私は最低の女だ。
そう思い続けて生きるのも、その人の自由だが、特に子供が居る場合は、何の罪もない子供にまで迷惑が掛かる事になる。
ましてや、いくら理不尽で酷い仕打ちを受けたとしても、それで相手を恨んで殺したりでもすれば、それこそ子供が居た場合は、理由はどうあれ子供は犯罪者の子供になってしまい、いじめられたりするわけだ。
そういう行き過ぎた感情を抑える手段として、そもそも人間は一人の男性・女性しか愛してはならない、子供を作ってはならない、セクロスしちゃいけないなんてのは、単なる現代日本においての価値観であり、神様が決めた「絶対正義」ではない。
だから「しょうがない」「仕方ない」でとっとと嫌な事は忘れて、これからの人生を考えろということだ。

浮気した相手を許せとか、浮気した人間が反省する必要はないとか言ってるわけじゃない。
難しいかもしれないが、それはそれとして、周りのためにも行過ぎた感情は持つなということだ。
裁判にしろ示談にしろ、法律で定められた「決着」がついたら、それ以上は考えるべきではないということだ。
それは自分の精神にも良くないし、なにより周りの人間にとっても迷惑になるよという事だ。

人間はただでさえ一人で生きていけないし、どんな聖人君子であろうと、周りに一切迷惑を掛けずに生きるなんて不可能なのだよ。
だから日本人は極力「人様の迷惑」にならないように、気を使うし、それを一番に考えるのだ。
何も世話になった覚えがなくとも、会社で電話に出れば「お世話になっております」と言う。
何も迷惑をかけてなくても「ご迷惑でしょうが・・・」と前置きをする。
引越した先のご近所への挨拶で、何か品物を渡すときに「つまらないものですが・・・」と前置きをする。

これらは相手に対して、いわば「私はあたなに迷惑を掛ける事は一切しません」という自己防衛でもあるのだ。
「つまらないものを渡す方が失礼だろwww」みたいに、それをからかう皮肉的なお笑いのネタもあるが、それはあくまでネタであり、もし本気で言ってるのなら、日本人ではないw

話が逸れたが、何事も深く考えすぎないこと。
過ぎたるは及ばざるがごとし ですよとそういう体験をして現在も苦しい思いをしている人に言いたいなぁと思ったって話です。

今の3Dは本当の3Dではない

いまやゲームは3Dが当たり前だ。
しかし現在の3Dは、本当の意味での3次元グラフィックではない。

安い3Dツールとか見れば分かるが、髪の毛や手や足が、衣服を突き抜ける事がよく見られるが、それが証拠なのだ。

現実世界では、モノが突き抜ける事はない。
なぜなら、「物質」だからだ。
密度を持つ物体だからだ。

コンピュータの3Dには「密度」が無い。
現代の3Dグラフィクスは、それこそ実写並みの見た目にはなったが、「ポリゴン」と呼ばれるカクカクした所期の3Dと、根本的に仕組みは変わっていない。
ワイヤーフレームと呼ばれる骨格をつくり、その柱と柱の間に壁を入れるように、「テクスチャ」と呼ばれる「壁」を貼り付けているだけだ。
だから突き抜けるし、爆発などモノが壊れる表現をさせると、ペラッペラの破片が飛ぶ表現しかできないのだ。

では本当の意味での3Dとは何か?

現実世界の物質というのは、原子と、異なる原子が結びついてできた分子で構成されている。
3D動画では突き抜けてしまう髪の毛も肉体も服も、すべて「原子」や「分子」の集まりだ。

原子同士はぶつかってもすり抜けたりしない。
止まるか、跳ね返るか、あるいは方向を変えるかするしかない。

物質には3つの状態がある。
小学校の理科で習うので、みな知っていると思うが、液体・固体・気体の三種類だ。
通常、「モノ」と言ったら「固体」である。
「固体」というのは原子や分子の結びつきが非常に強く、そして隙間が無い状態だ。
よって固体同士がぶつかれば、どちらかが破壊される=原子や分子の結びつきが解除されて離れて隙間ができなければ、通り抜けることはできない。
「液体」の場合、原子や分子の結びつきは緩やかで、隙間ができやすい状態。
水に手を突っ込む事ができるのは、手が入ってきた場所にもともとあった水の分子が、お隣さん達との結びつきを一時的に解除して、「手」という固体が入り込める隙間を作るように「移動」するためだ。
そして、手が居なくなったら、また元の場所にもどって水の分子同士が手をつなぐ感じ?
「気体」は液体よりさらに原子や分子が自由な状態で、お隣と手を繋いでないし、隙間も多く広いし、そして障害物によって移動し、その障害物が居なくなってもとの場所に帰れるようになっても、必ずしも帰らない。

これらの状態を、コンピュータで再現できないと、真の3Dにはならないのだ。
少なくとも「固体」の概念が再現できなければ、髪の毛や手足が衣服を突き抜ける不自然な状態は無くならない。

従って、骨組みを作って、その骨と骨の間に紙を貼り付けるみたいな、いわゆる「張り子」方式を止めるしかない。
原子あるいは分子単位で、積み重ねていってひとつの絵を作るようにしなければならない。
マインクラフトとかドット絵とか、そういう方式だろうか。
レゴブロックで何かを作るのも、それに近いだろう。

原子あるいは分子、あるいは3D画像における最小単位の「固体」を何か考える。
そしてその「最小単位」の「固体」に、周りの「固体」との結びつきの強さや隙間の大きさを設定。

つまり
・「固体」の最小単位を決定
・最小単位の「固体」にそれぞれ「結びつきの強さ」「隙間」というデータを持たせる。
・衝突判定を「結びつきの強さ」「隙間」の計算で行う

これによって、本当の意味での3Dができるというわけだ。
当然、今より遥かに多くの計算処理が必要となるので、相当高い計算処理能力を持ったCPUやGPUが必要になるし、データ量も遥かに増えるので、今より高速で大容量のメモリなども必要となる。
つまり今のCPUやGPUやメモリでは「無理」って事でもあるw
プログラム的にも無理だ。
なぜなら、今の3Dグラフィクスの処理プログラムは、「張り子」というニセの三次元のためのものだからだ。
根本的に計算方法が違うわけだ。

ただまったく無駄というわけではない。
3Dの画像を作る計算処理の中で、光がどの方向からどのぐらいの強さで当たっていて、それによって物体の陰影がどのようになるかの計算などは、そのまま真の3Dになっても使えるだろう。

より骨組みの細かい「張り子」を再現する研究開発も結構だが、そろそろ真の3Dとも言える、リアル世界の原子・分子を再現する方法も、もっと行った方が良いと思う。

北海道大地震&台風と日本人

北海道の方々のご無事と、一刻も早い復旧を願いつつ。

日本は古来より自然災害の多い国であります。
火山・地震・台風などなど。

海外からはそのたびに、日本人が略奪も暴動も起こさずに、規律をもって行動する姿が賞賛されます。
まるで敬虔な信徒のように。

しかしこれは間違いです。
日本人がどんな大規模な災害にあっても、略奪や暴動を起こさないのはモラルが高いからではありません。
必ずや国が助けてくれる、何とかしてくれるという「安心感」や「信頼」があるからです。
そしてそれに日本国は海外が絶賛するレベルで応え、実績を残してきました。
インフラの復旧の速さや、適切で素早い救助や援助など。

大規模な自然災害により、今も災害前の生活を取り戻せない方は大勢居ます。
ですが、生き残った被災者で、餓死するような方は居ません。
世界には、大規模な自然災害で被災したわけでもないのに、餓死する人間が大勢居ます。
つまり、日本国民というのは自然災害で被災してもなお、恵まれた生活ができるのです。
被災してない人間と比べて、不幸であり生活レベルが下がりっぱなしになるのは事実ですが、死んでしまうほどではないという事です。
いくらマスゴミが、被災者の「かわいそう」な姿を、政権叩きのために宣伝しようとも、多くの人には何とか我慢できるレベルの対応を国はしてくれるという風にしか写らないのですよ。

だかこそ、海外が不思議がるほどに規律を保った行動ができるのです。

日本全土が壊滅し、海外からの救援や援助しか望めない状況になれば、日本でも暴動や略奪は多発するでしょう。

そもそも略奪や暴動が一切起きてないわけではありません。
それらを行ったり、自分達だけが救援物資を多く受け取ろうとする自己中な連中は居るわけです。
ただそれらは、ニュースにならないだけです。
そういう連中が、いわゆる「在日」であったりする事が多いからですw
もちろん、生粋の日本人にも居るでしょうけどね。

何が言いたいのかというと、大規模な自然災害の前では「宗教」なんてものは、何の役にも立たないって事です。
神も仏も助けてくれないって事です。
最終的に頼れるのは、「人間」だけって事です。

他人を信じ、自分も他人から信じられるような言動をする事こそが、最終的に「群れ」の崩壊を防ぐのに一番重要であるという事です。
法律だのモラルだのは、それを分かりやすい形にしたに過ぎないのです。

これが海外が理解できない、災害時でも失われない日本人の「規律」の正体です。

オーバーロードⅢ エピソード8

私は今期はニコニコ動画で「オーバーロードⅢ」を見ている。
他のアニメもそうだが、1話見終わると「海外の反応」も見る。

今回のエピソード8は、海外では非常に評価が分かれていた。
特にアインズ様の行いの是非についてw

まったくもって、バカバカしいw

まずオーバーロードは、ただの「作り話」である。
そして、作り話でさえ人間の、というか主に西洋の価値観に沿って作られなければならないという、アホな思い込みを真っ向から否定したところが売りでもある。
むしろアインズ様が、人間的な価値観で情けをかけたり、あるいは罪悪感を感じたりする方が、おかしいと思うべきだろう。

現代の世界は少なからず、西洋キリスト教の価値観こそが、もっとも正しいという傾向がある。

だが、そもそも人間の価値観なんて千差万別であり、しかもそれはあくまで「人間にとって」の正義や悪でしかない。
人間以外の生き物や、あるいは神が本当に存在したとしても、それらとまったく同じである可能性は100%ではない。
むしろ0%に限りなく近いと思うべきだろう。
なぜなら、人間の正悪の価値観は人間が生き残るためのものだからだ。
少なくとも地球上の生命というのは、種が違えば全て「敵」である。
同じ種である人間同士でさえ、やれ宗教が異なるだ、民族が異なるだで殺しあうのに、他の生命や神が人間の味方や仲間と認識するはずがなかろうw

そういった「リアル」な世界の描写をするなら、人間ではなくなったアインズ様が、人間を仲間と思うはずがないw
まぁ同じく今期では、アインズ様に気に入られた「人間」も登場はしたがねw
あれは「人間」だからではなく、単にその「個体」を気に入っただけと見るべきだろう。

このような事から、現代の、人間の、「価値観」をもってアインズ様は当然の罰を与えただけだ、いや極悪非道だなどと論戦する方がアホらしいと分かるだろうw
この世に絶対の正義も悪も、そもそも無いのだよ。
そんなものは、自分が生き残るための方便にすぎない。

繰り返しになるが、戦争がそれを証明しているだろう。

それが何時までたっても分からないから、特に西洋文明はテロ攻撃を受けているのだよ。
てめーが絶対正しいと、価値観の押し付けをしたり、相手の価値観をまったく認めないから。

日本のやり方が必ずしも正しいとは言わないが、異なる価値観も認めたうえで、どう落としどころを見つけるかが、生き残る方法としては、力で捻じ伏せるよりも、より安全というか生き残れる確率は高いのだよ。
力で捻じ伏せたり、あるいは過去の某国のように諦めて自ら隷属したりするよりねw

話が逸れたが、今回のエピソードを作った原作者は、私は天才だと思う。
既存の価値観にとらわれない、素晴らしい発想だと思う。
今回のアインズ様の言動が好き嫌い別にして、受け入れられないなら、これ以上この作品を見るべきではないと思う。

コピペまとめ系について

前回はあんな事を書きましたが、実はこのコピペ集ってのは結構面白いです。
特に「スカっとする話」「感動する話」「修羅場」「なごむ話」等々は、原則的には1億人の日本人の誰かが実際に体験した話です。
まぁ作り話もあるでしょうがねw

なので同じような話、どっかで聞いたような話というのは少ないし、本当に読んでいてスカッとしたり泣けたりなごんだりしますw
どこかの誰かのリアルの人生の話ほど、面白いものはないからです。

そもそも作り話って、そうそう面白いのは考えられません。
なぜなら、人は自分が見聞きしたもの、体験した範囲の事しか考えられないからです。
その証拠に、家に引きこもってロクに外にも出ず、誰とも関わらず、せいぜい小説だのアニメだの漫画だのしか見てないような人は、本当に面白い漫画なのかラノベなのかは書けないと、多くの有名漫画家や作家が述べています。

「事実は小説より奇なり」
という言葉もありますしね。

なぜ他人の体験談ほど「面白い」というか「興味深く」感じるのか?
それはこの地球上で、人間だけが「歴史」を持つ特性に関係しています。
人間以外の動物は、基本的に会話はできません。
まぁ簡単な会話はしているのではないか?と言われている動物は居ますけど(イルカとか?)、絵や文字なども使って、より正確に複雑な体験を、より多くの後世の仲間に伝えらえっるのは「人間」だけですよね?
人間は身体能力だけで言えば、最弱とも居える部類です。
同じ先祖を持ち、遺伝的にも近く、でも体の大きさだけで言ったら人間よりも小柄な「サル」にすら、素手では勝てないほど弱い動物です。
そんなホモ・サピエンスがなぜ地球上で一番繁栄しているかといえば、「高い知能」による情報量の多さと優れた分析能力の結果です。
つまり「歴史」を持てるからです。
「歴史」というのは、どこの国が西暦何年何月何日になになにをしたというものだけではありません。
ひとりひとりの人間が、短い一生の中で体験したものの「積み重ね」が「歴史」なのです。
だから他人の体験談の方が、作られた話よりも面白く、興味深く感じるのです。
それは実際にあった事であり、今後の自分にも起こる可能性が小説などの作り話よりも高く、そしてその時にどうすべきかの非常に重要な参考資料になるからです。

ここ最近、せっかく明治時代の人が、豪雨で川が氾濫してここまで水が来て多くの死者が出たという記念碑を建ててくれていたのに、誰も気づきもせずにまた同じ被害を出してしまった、みたいなニュースとかもありましたよね?
このように人間というのは過去の「歴史」を活用できないと、簡単に死んでしまう弱い生き物なのです。

だからこそ、「歴史」を捏造したり偏向したり、マウントを取るためだけに利用したりしてはならないと、常々訴えているのです。

冷たい言い方ですが、洪水被害の記憶を残すために記念碑を建てて、それで満足して終わってしまったのが、被災地の過去の人々の失敗です。
なぜ被害が出たのか?どうすれば良かったのか?
その歴史的事実から、原因を考えて対策を練る事をしなかったから、悲劇が繰り返されてしまったのです。

東北地震で被害を受けた建物を保存しようとか、いや取り壊そうとか、話題になります。
しかし一番重要なのは、「忘れない事」ではありません。
原因と対策をしっかり考える事なのです。
それが大勢の死を「無駄にしない」ために、一番重要な事なのですよ。

話が逸れましたが、人の人生の体験談ほど面白いものはありませんが、それは後の自分の人生に「教訓」として生かしてこそなのです。
もちろん、すべての話を常に覚えておいて、あるいは1話よむごとに、原因と対策とか考えるなんて、そんな面倒な事はできませんw
「親を大事にしろよお前ら、俺はこんな後悔をしている」といかいう話を呼んで、「ああ、俺も反省して明日からは親を大切にしよう」とか思って、その気持ちが3日ぐらいでなくなって、「くっそばばぁ!はよしねや!」になっても仕方ないです。
そしたらまた、別の感動話でも読んで、反省すれば良いのですw
それが自分のものになるまで、何度でも繰り返せば良いのですよ。

ただそういった体験談って、そうそうリアルで他人から聞けるものではありません。
でも今はインターネットがあります。
そういう話を沢山、いつでも好きな時に好きなだけ読める環境があるのです。
これを生かさない手はないのでは?というお話です。

Youtubeの2chまとめコピペ動画みたいなのにコメントしてる人へ

よくYoutubeには、恐らく2ch(今は5chですかね?w)に書き込まれた、匿名の人のスカッとする話や泣ける話や面白い話などなどを、まとめコピペ風に動画に仕立ててるのがあります。

そういう系のをたまに見ていて、コメント欄とか読むと思うことw

なぜか動画の作成者が、まるでその話の本人であるかのように、賞賛やら同情やらされてるのが見られる。
おかしくてたまらないw

こういった系の動画に出てくる悲惨な思いをした人、あるいはヒーローのような活躍をした人、感動の主は、すべて動画投稿者とは何の関係もない、別人ですよ?w

匿名の掲示板への投稿なのを良い事に、勝手に拝借して動画に仕立て上げて、それで再生数稼いで小遣い稼ぎしてる、いわばこういった系の話に出てくる「悪者」と同類の人間が動画投稿者の正体ですよw
2chで嫌われていた、まとめアフィサイトを作ってる人間の動画版ですよw
そんなクズに、すげーとかかわいそうとか、感動したとか賞賛するコメントをする人達が沢山居る。
おかしいでしょ?w

これがネットの闇であり、真実です。
そういうのが分からない人は、テレビや新聞に簡単に騙されてしまうジジババと同じです。

別に見るのが悪いとは言いません。
実際私も2chまとめサイトやまとめ動画は見ますし、それを見て感動したりスカッとしたりしてますからw
でもその感想や賞賛は、まとめサイトの管理人や動画投稿主に向けられるものであってはならないのです。
なぜなら、彼らもそれらの話に出てくるクズ人間と同類だからです。

感想を書かなくてもそれらを見るだけで、動画再生数やWeb閲覧数が回って、結局はクズの小遣い稼ぎに協力してしまっている。
お前も偉そうに言える立場じゃないじゃないかと言われれば、そうですねとしか答えようがありませんがw

ですからそういうサイトや動画を見る事、あるいは見て何か感じる事は否定しません。
嘘か本当かも分からない、匿名の人のそれらの投稿を見て、何も感じない人よりかは、遥かに良いですし、コメントの内容はだいたい「この人は常識のある、良い人なんだろうな」と思えるまともなものです。
だからこそ、そういう「正直者が馬鹿を見る」状態に一言言わずに居られないのですw

ネットはみなさんが思っているほど清廉潔白な世界ではありません。
マスゴミと同等か、それ以上に汚い世界でもあるんですよ。
一部のYoutuberとかバカッターだけがクズなのではありません。
見えないだけで、よーく考えれば「こいつもクズじゃね?」ってのは沢山居るのです。
それを承知の上で、うまく付き合う事が大切なのではないかと思った次第です。

TERA クラッシックサーバ だめだこれ

夏休みも終わってしまったので、本当にPTが組めないw

そもそもTERAというゲームは、PTが組みにくい要因が多すぎる。

・レベル制MMOなので、レベルが同じぐらいでないと組めない
・周回とMクエでルートややる事が違ったりして、目的が違うと組みづらい
・求められる予備知識とプレイヤースキルが多すぎて、組めない(特に盾職)

そしてPTが組めないと、Mクエの進行具合によっては、先に進めない。
正確にはMクエだけなら、無視して先に進めなくはないが、適切な狩場やサブクエストがどこにあるのか分からないので、非常に効率が悪くなる。
更に英雄譚イベント(?)もあるので、飛ばし難い。

ギルドにでも入ればまた違うのかも知れないが、ギルド一覧がとにかく不親切。
ギルド紹介文が一言・二言しか書けない。
どんなメンバーが居るのか見れない。
これが分からないと、自分と同じぐらいのレベルの人や被らない職の人が居て、PT組みやすそうなのか分からない。
できれば、アクティブか非アクティブかも見れるとさらに良いが。

あと回復職やってる時に困るのが、メンバーのHPバーが見えない時があること。
PT組めば、画面左端につねにHPやMPやバフ・デバフ状態まで見れる一覧が常時表示されるが、このゲームの場合、他のクリゲーMMOと違って、そこから回復や解除魔法を掛けられない。
あくまで画面内を動いているキャラクターそのものにターゲットを合わせなければならないので。
従ってキャラクターの頭上に出るタイプのHPバーが見えないと、非常に困る。
あと敵のバフを解除する魔法なんてのもあるが、それもやはり敵をターゲットしないとそもそも見えないので、使いづらい。

バフが掛からない時がある。
掛かってる状態で再度掛けなおすと、逆に解除される場合がある事が原因か?

他のMMOだと、バフはスタート前にまとめて掛ければ、余程の事がなければクリア後もしばらくは切れないぐらいの時間的余裕があるが、このゲームは効果時間が短すぎる。
たたでさえ、スキルの数が多くてショートカットが足りないうえに、操作も複雑になるのに、バフまでそんな状態では、超絶に上手い人以外は対応できません。
まぁだからプレイヤースキルの高い人が光やすいってのもあるかも知れませんが、そういうのは人数がめちゃくちゃ居る状態にしてからやって欲しい。
アクション主体なんだから、戦闘時に使うスキルの種類はもっと減らすべきだろう。

カバンや倉庫が無課金でも倉庫キャラを作らなくて良い程度に確保できるとか、レア装備ガチャみたいなのが無いので、無課金と廃課金でステータス的な強さの差が無い、あるいは小さいなど、他の基本無料ゲームには無い良さもあるのに、残念でならない。
カウンタ
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