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貴乃花親方の思いと相撲協会&マスゴミの非常識

貴乃花親方が重い口を開いた事で、ネット上では噂されていた事の真相が間違いではなかった事が証明されました。
すなわち、これはモンゴル人力士協会とも言える、相撲協会のもうひとつの派閥に対する抵抗であると。

そしてマスゴミが必死に加害者側を擁護する背景についても、納得が行きました。
つまりマスゴミやその他の業界内にもあるであろう、在日韓国人同盟のようなものを守るためであるとw

相撲というのは、言ってみれば自動車業界協会みたいなもんです。
各部屋というのは、それぞれがトヨタであり日産でありホンダであるわけです。
お互いはライバルであり、会社が経営の方針として、一部協力したり合併したりというのはあるにしても、会社を離れて同郷協会みたいなものを、勝手に作られたら困るわけですよ。
なぜなら、それによって公平な競争が妨げられる恐れがあるからです。
相撲で言えば、いわゆる「八百長」の温床になりかねないからです。
自動車業界にもし特定の国の在日外国人協会みたいなものがあれば、そこで企業秘密のやり取りや談合があったら困るでしょ?

もっと分かりやすい例えで言えば、日本相撲協会というは、「日本野球機構」と同じです。
貴乃花部屋というのは、巨人であり阪神でありといった球団のようなひとつの独立した企業と同じなわけで、貴乃花親方は巨人の監督であり、同時に巨人という球団の社長でもあるわけですよ。
同じ高校や大学の出身者の集まりを勝手に作って、そこで「俺、いま勝ち星がやばくて、このままだと来年二軍落ちしちゃうから、頼むよw」とかライバル球団の同士に頼んで手を抜いてもらう、いわば「八百長」とかされたら困るでしょ?w
というかファンは許さないですよね?
日本野球機構の中に、球団を超えた「PL学園協会」みたいな選手会があったら、え?なにそれ?八百長の団体?wってなりますよね?

だからこそ、貴乃花親方はそういった部屋を越えたモンゴル人力士協会みたいなものが出来つつあるのを警戒していたわけです。
貴乃岩には、そういう連中とつるんであらぬ疑いをかけられないよう、もっとはっきり言えば「八百長」に巻き込まれないよう保護していたわけですよ。
それをだまし討ちで呼びつけて、制裁を加えたというのが、今回の事件の真相でしょう。

ここまで明らかになって、なおマスゴミが日馬富士引退に追い込まれちゃってかわいそうだとか、貴乃花親方が悪いみたいに叩くのは、てめーらと重ね合わせてるからです。
すなわちマスゴミに蔓延る在日韓国人協会みたいなものが、あるって事です。
マスゴミが一様に反日的なのも、裏づけとしては十分ですからねw
そういう異常で不公平で業界の公明正大な発展を妨げる組織を、はっきり言えば日本人に潰されたくない。
だから貴乃花親方を叩きまくるのです。

一般の日本人にとっては、貴乃花親方は今回の事件では巨悪にたった一人で立ち向かうヒーローではあっても、諸悪の根源みたいにはならないのです。
それを無理やり捻じ曲げて、ありとあらゆる手段を使って貴乃花親方こそが諸悪の根源であり、モンゴル人力士協会なのか同盟なのかそういうのは悪くないとしたい。
というかそういう集まりがある事すら、知ってて隠してた。
八百長の温床にもなりかねないし、他の業界では社を超えた一部の人間同士の同盟があったらおかしいしというのを隠して、印象操作を懸命にしてた。

これがやっと見えてきた真の姿でしょう。

言葉もロクに分からない外国にたった一人で来て、大変な思いをして成功しているんだから、同郷の士の集まりとかあってもいいじゃないかと言ったアホコメンテータが居ます。
そんな事は十分承知の上で、日本に来たのでしょ?
力士になり、最高位である横綱になればモンゴルにそのまま居て、日本に比べれば決して豊かではない平凡な人生を終えるより、地位も名誉もお金も手に入る、そういう世界へ望んで足を踏み入れたのでしょ?
「八百長」というインチキをせずに、自らの努力と実力で勝ち取ってこそ、横綱だの三役だの幕内力士だのってのは、価値があるんですよ。

相撲協会がひとつの会社のようにミスリードして、親方は重役なんだからその責務を果たさない貴乃花はおかしいじゃないんですよ。
おかしいとしたら、日本野球機構と同種の組織でありながら、現役の球団の監督だの球団社長だのが、機構の役員や執行部を兼ねているところです。
貴乃花親方は役員である前に「貴乃花部屋」というひとつの球団の監督であり社長であるわけで、自分の球団や所属選手を守るために、加害者の球団の監督兼社長が同じ役員として居る、加害者球団役員の味方が多い機構とは距離を置いて、「警察」という中立かつ第三者であり、司法の権限を持つ組織に委ねたのです。

この問題で、貴乃花親方をヒーローとして扱ってしまうと、てめーらの業界にある在日韓国人協会みたいなものに抵抗する日本人が出てくるかも知れない。
必死で反日一色に在日協会の力で塗り替えたマスゴミが、そうじゃなくなってしまうかもしれない。
それが怖いし恐ろしいから、マスゴミも必死に相撲協会側に加担し、モンゴル人力士協会といかいうあってはならない「八百長」の温床を隠し、それに立ち向かう改革者である貴乃花親方をヒーローではなく、悪の大ボスとして描いているわけです。

ネットの情報は嘘ばかり、フェイクニュースだとマスゴミどもは言いますが、マスゴミだって同じなわけですよ。
ネットの情報が全て真実だとは私も思いません。
ただマスゴミしか情報源が無かった時代に比べて、遥かにいろんな情報や意見が見れるようになり、その上で何が真実で何が嘘か、世のニュースは何を意図してそういう報じ方をしているのかがを考えられるようになりました。
マスゴミが情報を一手に握って発信する事でやってきた、世論操作が出来づらくなったために、ネットを一方的に敵視して、ネットの情報は嘘ばかりで、自分たちの情報は全て真実だみたいな事をやってるのですw

いまさらネットの規制なんて無理でしょう。
それこそ言論の自由に対する弾圧です。
言論封鎖ですよ、マスゴミ&在日韓国人協会のみなさんw
あなたがたは自らの意思で、マイノリティであるわけですよね?
嫌なら多数派になれる祖国に帰ればいいわけです。
マイノリティである事を、自分たちの主義・主張を通す、優遇されるためにあえてそうしているに過ぎないわけですよね?
もうその汚いやり方は、通じませんよ?って話です。

戦後重大事件の新事実とかいうクズ番組

お前は何かテレビに恨みでもあるんか?と言われそうだが、感じた事をそのままにw

晩飯を食ってる時にたまたまついてたテレビ番組であって、見るつもりなど毛頭なかったのだが、旅客機が胴体着陸をしなければならなかった過去の事件を再現ドラマ(笑)でやってた。
もうね、悪意しか感じませんでしたね。
当時の乗客の証言では、比較的機内の乗客は落ち着いていたと言っているのに、わざと騒ぎたて、機長や機内スタッフに雑言・罵倒のようなものが飛びかう様子を再現w
盛り上げるための誇張された演出なのだろうが、本当に気持ちが悪い。

そもそもこれら事件の当事者は、被害者がほとんどであり、忘れたい不幸な出来事かも知れない。
それをわざわざ掘り起こして、テレビで全国に垂れ流す。
もちろん、ボランティアでやってるわけではないので、スポンサーが付いてテレビ局には金が入る。
私は常々マスゴミというのは「人の不幸で飯を食ってるクズだ」と言ってきたが、まさにその典型であろう。
建前は「事件を風化させない」とかなんとかなのだろうが、これをやったからといって、いったい事件にどんな影響があるのか?
これを見た視聴者が、二度とこんな事件が起こらないよう、何かできるのか?
過去の重大事件とかいう他人の不幸を、金儲けの手段にしている言い訳でしかないじゃないか。

福知山線の事故が次にやるみたいだったが、飯も食い終わったし大勢の不幸な被害者の出た事件の、救出現場とか見てもしょうがないし、これでスポンサーから金を貰うテレビ局のクズさに吐き気がするので、その後は部屋に戻ったので見てない。

そもそも新事実なんてどこにあるのか?
たとえそれがあったとして、一般の視聴者にどう役に立つのか?
再現ドラマで過剰な演出で悲惨さや悲壮さを出して、当時の被害者に取材までして忘れたい過去を思い出させて、それでてめーらは金儲けとは、おめでたい。

事件当時に報道するのは致し方ない。
事件・事故のニュースを報じるのは、マスゴミの役目だからだ。
ただ執拗に被害者や遺族にインタビューしたり、家に押しかけて取材したり、事故現場の上空にヘリ飛ばして救出作業を妨害したり、他人の神経を逆撫でしなければの話だがw

単に昔を懐かしむような昭和の出来事こんなのがありましたみたいのならまだ良い。
東京オリンピックがありましたとか、現天皇陛下の皇太子時代のご成婚だとか明るいニュースを当時の映像を流して、視聴者も「ああ、あの時私はこうしてたなぁ」と思い出に浸って良い気分になるようなものなら。
しかし今回の番組は、当時の被害者にまで取材をしているうえに、過大な演出で事実を誇張して再現したり、悲惨な事件ばかりで他人の思い出したくない過去を掘り起こしたりしている。
もう本当に、こいつらには人間の心とか常識ってもんが無いのかと思う。
下種な視聴者の野次馬根性だけを考え、当時の被害者の気持ちなど何も考えてない。
それで金儲けをする。

私がマスゴミがゴミクズだと思うのは、こういうところなのだ。
この事件を教訓に、現在はこのような対策が取られています、だから安心・安全ですとかって話ならまだ分かるけどね。

マスゴミの人間は、「俺たちは他人の不幸で飯を食ってるクズなんだ」という認識を常に持ち、他人の心情を配慮した番組作りをして欲しいと思う。
これならまだ、下らないお笑い番組でもやってた方がマシだ。

自分らは何の被害も受けてないのに、日本人を憎み続ける某民族がテレビ局に多く居るという噂もあるが、この番組を見るとあながち間違いではないとも思えてくる。
日本人の不幸を過大に演出して喜んでるんじゃないかとw

そう思われたくないなら、もっと配慮した作りにすべきであろう。
本当にこのクズどもは、いつになったらまともな常識や良心というのを持てるのだろうか?

戸塚ヨットスクールに見る体罰

例の相撲事件で、「根性を叩きなおそうと思った」と加害者が言ったとか、言わないとか聞いたので。

昭和の話題になった事件に、「戸塚ヨットスクール」がある。
これはどうしようもない糞悪ガキの更生施設として評判だった「戸塚ヨットスクール」に、なぜか不良でもなんでもない奴を入れてしまったために、しごきに耐えられずに自殺してしまった事件だ。
当時は異常な体罰&しごきで、世間から猛バッシングを受けた「戸塚ヨットスクール」であるが、更生した糞ガキも沢山居て、そういう人達からは擁護された。

根性とか性根とかってもんは、鉄の棒のようなものだ。
ぐにゃぐにゃに曲がっていても、叩きまくれば真っ直ぐにする事はできる。
ただし、「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、すでに冷え固まったものや、そんなに曲がってないものを、ぐにゃぐにゃに曲がったものを真っ直ぐに直す場合のように、めちゃくちゃ力いっぱい叩きまくったら折れてしまうのだ。
つまり、「戸塚ヨットスクール」で更生した悪ガキってのは、熱い状態の鉄だったわけだ。
自殺してしまった子は、曲がってもないし熱くもない鉄だったという事だ。
だから悪ガキと同じように叩いた結果、折れてしまった。

そうは言っても人間の根性は鉄のように、目に見えるものではない。
だからこそ難しい。
厳しいしごきや体罰で、必ずしも全員が更生するわけじゃないし、逆に自殺みたいな最悪の結果になる事もある。
しかしだからといって、これらを全否定してしまっては、ぐにゃぐにゃに曲がりくねった鉄の棒だらけになってしまう。

こいつは本当に根性が捻じ曲がっているのか?
まだ熱い状態で叩けば真っ直ぐになりそうなのか?
そこの見極めができる人間が行わなければならない。

そもそも鍛冶屋だって、一人前になるには多くの鉄を破損させたであろう。
ただ力いっぱい叩けば良いというものではないからだ。
鉄の状態を見て、力加減を変えて叩かなければ、真っ直ぐにならないし、ヒビが入ったり折れたりしてしまう。
「戸塚ヨットスクール」だけじゃないが、体罰やしごきを行う人間に多いのが、未熟な鍛冶の腕しかないくせに、たまたま何本かうまく打てたからといって、一人前の鍛冶職人なのだと勘違いして、鉄の状態を見ないところだろう。

未熟な鍛冶屋しか居ないから、鍛冶は必要ないという暴論は、未熟な鍛冶屋であるとの認識が無い指導者達の怠慢が招いたとも言えるのだ。
鉄の状態、すなわち個人の性格や資質やそういったものを細かく観察したうえで、どういう指導をすべきか、しごきの加減を調整すべきなのだ。
熱い鉄もあれば、冷えかかってる鉄もあるし、どうしようもなく曲がりくねった鉄もあれば、ちょっと修正するだけでよいほぼ真っ直ぐな鉄だってあるのが、人間なのだ。
その見極めもできない、というかしようとしないで指導者ぶってる、先輩ぶってる人間の何と多い事か。

全ての人間に同じ指導方法が通じるなら、誰でも名監督である。

体育会系と言われる団体や組織や業界の人間は、これを理解すべきである。

そうすれば、行き過ぎた体罰やしごきや、事件にまで発展するような問題は起きないのである。

因果応報

因果応報とは、仏教の用語であるが、日本人の伝統的な価値観でもある。
悪い事をすれば、必ずその報いを受けるという意味だ。
そして、その報いを与えるとは、必ずしも「神」ではなく、もっと理論的で物理法則的なものでもある。
これが、キリスト教的価値観の欧米と日本の一番の違いであろう。

たとえば、いま欧米は移民・難民など外部からの人間による犯罪の増加やテロに苦しんでいる。
これは、過去に欧米が世界中を侵略しまくったという「因果」に対する「応報」である。
自分たちがもともと暮らしていた土地で、自分たちだけでささやかな富で満足し、他の地域へ武力を持って進出して植民地だの奴隷だのやらなければ、今の欧米には移民も難民も黒人も居なかったし、居ても旅行とか少数の欧米にあこがれた欧米の事が好きで移住してくる人しか居なかったであろう。
当然、犯罪も増加しないし、テロなんて起きるはずもない。
だって欧米に対して、他の民族は恨みも何も持たないからである。

じゃあ韓国が日本を世界を巻き込んでたたくのは、日本が過去に韓国に対して悪い事をした「因果」に対する「応報」ではないか?
と言う人も居るだろう。
確かにそうだ。
しかしながら、日本は戦後70年間どことも戦争をせずに、叩かれてもなじられてもひたすら耐え、言われるがままに謝罪も賠償もしてきたわけだ。
「因果」に対する「応報」は十分に受けきったであろう。
ところが、まだ「応報」が足りないと勝手に思い込んでる連中が居る。
行き過ぎた「応報」は、逆に彼らにとっての「因果」になる。
だから韓国は何時までたっても日本と友達になれないし、日本になれないのだ。
日本からの観光客が激減し、政治も経済も不安定。
これは「反日」という「因果」に対する「応報」である。

日本において、「神」は「善」でも「悪」でもないし、人間に対して必ずしも「褒美」を与えたり「罰」を与えたりはしない。
日本人は「無神論者」だと言われるが、別に「神」の存在を否定しているわけではない。
欧米キリスト教圏の人が考える「神」とは、認識が違うだけの話なのだ。

なにか悪いことが起きても、それは「神」が与えた「罰」でも「試練」でもない。
自分自身のこれまでの言動に原因があると考える。
だから正しく自分を見つめなおして分析し、反省して改善ができるのだ。

何かで「成功」を収めたとき、「神に感謝します」ではないのだ、日本人は。
自分が努力をした結果であるわけで、そこに「神」は介在していない。
だから後輩や弟子に、正しく「技」を伝授できるのだ。
「神」に助けてもらったと思考停止せずに、冷静に何をどうしたら良くなったのかを理解する。
それを後世の人間に正しく伝えてこそ、同じ成功者が出るわけだ。

これも一種の「因果応報」である。
成功や良いことは、「神」が起こした事ではなく過去の自分の言動に原因があるという事だ。
「因果応報」は何も悪いことに対してのみ、言い表している哲学ではないのである。

「歴史を正しく認識しろ」などと言う人が多いが、良いことも悪いこともすべて「神」のせいにしている輩が、「歴史を正しく認識」しているとは思えないw
敗戦国でありながら、世界でも3本の指に入るような豊かで平和な国に日本がなれたのは、「因果応報」という価値観があったからである。
正しく過去を認識して反省し、自身の考えや言動を改めた結果なのだ。

トヨタが世界に発信している「改善」という運動も、「因果応報」という価値観があってこそ生み出されるものだ。
毎週日曜日に、教会へ行ってお祈りさえすれば、良い事が起きる、悪いことが許されると思っている連中には、「改善」なんて発想は出てこないという事だ。
日本人も正月や受験の時に、いわゆる「神だのみ」をしに神社へ行くが、それは「縁起を担ぐ」程度の思いしかない。
基本的には自分の幸せや受験の成功は、自分自身の努力が無ければ成就しない事を、日本人は理解している。
もうこれ以上できないという所までやるべき事をやって、なおかつ「不安」を打ち消すために、「精神的」な安定を得るために、神社に行ってお願いをするのだ。
せっかく1年間、寝る間も惜しんで勉強し、事前の模擬テストでも合格ラインに十分達する結果が残せていても、いざ本番となったら緊張して、頭の中が真っ白になってしまって実力を出せない。
そういう「心」の問題を解決するのに「神頼み」を利用しているにすぎない。
1年間遊びほうけて、ロクに勉強もしなかったのに、「神頼み」したからって受かるわけが無い事を知っている。
「因果応報」だからだ。

ちなみに仏教と言っても、日本は独自に改良された「日本仏教」であるので、「因果応報」が仏教用語であるとしても、必ずしも仏教国の人間がそれを知っていたり、同じような理解をしているかは分からない。
ただ少なくとも仏教哲学とは異なる価値観の国の人達については、「因果応報」は役に立つと思う。
日本はなぜ犯罪が少なく、テロも起きないのか?と欧米は不思議がるが、「因果応報」ですべて説明できる。
誰も見ていなくてもルールを守る、悪い事をしない、なぜだ日本人!と思う人も多いが、「因果応報」だからである。
なぜ日本人は異常なまでに親切なのか?と思う欧米人。
「因果応報」で説明がつく。

誇張や捏造までして世論操作しているのに、なぜ自民党が圧勝してしまうのか?
「因果応報」だからであるw

黒歴史とか中二病とかっていうもの

某まとめサイトで、面白い黒歴史の話が載っていた。
まぁ話自体は、数年前に某掲示板に書かれていたものらしいので、再掲載かも知れないが、私は初めて読んだ。

中二病とか黒歴史とか良く聞くけど、ネットで爆笑されるような面白いものを持ってる奴なんてそうそう居ない。
自分の中学時代の同級生にも、めちゃくちゃな中二病は居なかった。

せいぜい居たのは、たぶん今そいつに会ってその時の話をしたら、耳を塞いで逃げると思うが、わざと裏声で話す奴は居た。
いっつも「キーキー」言ってるので、「キー」というあだ名がついていた。
もともと人とあまり話すような奴ではなく、いわゆる今の流行で言うと陰キャとかいうやつだ。
一昔前ならボッチか。
こいつのすごいところは、同級生だけでなく先生にまでそれをやったところだw
でもなぜか、一人だけ居た同じボッチの親友(?)とは普通の声で喋っていたようで、ある時たまたまそれを聞いてしまった私は、その場で「あー、キーが普通の声で喋ってるー!」と大声で囃し立てた。
「キー」君は、「キー」と謎の雄たけびを上げながら走って逃げていったのを、友達と一緒に大爆笑で見送った思い出は今でも忘れない。
そう、中学まではいわゆるリア充だったのた、女の子にはモテないし、まともに目を見て話せないなんちゃってリア充だったけどw

女の子の話で思い出したが、人生でたった一度だけ「告白」のようなものをされた事もある。
それがこの人生で一番輝いていた中学時代の話だ。
リア充を気取っては居たが、実は極度の人見知りの陰キャだった私は、女の子とまともに話せないのを、「女になんか興味ない」俺カッコイイという中二病を発病させる事で、乗り切っていた。
だからぶっちゃけ、いきなり私の事を好きな女の子が居る、名札(うちの中学は学年の色の着いたプラスチックの名札を必ず制服に付けなければならず、好きな男のそれを貰う事が流行っていたらしい 一応紛失した時のために入学時に2個貰えたので)をクレと言われた。
当然、お断りした。
直接その女の子から言われたわけでなく、代理の子から突然夜に電話が掛かってきてその旨を伝えられ、翌朝の学校でクレと言われたのだ。
しかもその代理の子が小学校の頃から割りと好きだったかわいい子だったので、私は顔を真っ赤にしながら逃げたのだったw

あいつ代理って言ってたけど、本当はあいつが俺の事を好きなんじゃないか。
だとしたらどうしようと、ものすごく甘酸っぱい青春を味わっていたw

だが結局、その子は本当に代理だったw
それが分かったのは、その年のバレンタインに人生初にして、唯一の本命チョコを女の子から貰ったからだ。
ぶっちゃけ、私の事を好きなんて女が居たとしても、どうせブスだろうと諦めていた。
このままブサメンな私は、不細工な嫁と結婚して、給料の安い底辺サラリーマンでたいして幸せでもなんでもない家庭を、後悔と共に送るのだろうと、当時は思っていたからだ。
今から思えば、それさえも何百倍もマシな人生なのだがw

しかし予想に反して、私なんぞにチョコをくれた女の子は、かわいかった。
いや、ひそかにチェックしていた同学年の「かわいい女の子リスト」には、おとなしくて目立たないので入って居なかっただけで、よく見れば超絶にかわいかった。
背が小さくておとなしくて、しかも巨乳だったw
まさにロリ巨乳が三次元に現れたと、今なら思えるぐらいだった。
だが、超絶な人見知りでテレ屋で女の子と話せない私は、チョコを貰っても、一言「ありがとう」と言うのが精一杯だった。
同じクラスだったが、席替えでその子が隣になっても、何も話せなかったし、その子の方を見ると顔が赤くなってしまうので、ひたすら反対方向を向いてシカトしたw
今思えば、何て馬鹿でもったいないことをしたのかと・・・
タイムマシンでもあれば今すぐ当時の自分に会いに行って、おまえカッコ付けて中二病やってる場合じゃねーと叱り説得するのに。

そんなわけで、一方的にチョコを毎年貰って、ロクに話さずに、高校が別々になったので、そのまま終わってしまった。

今でもその子の名前は覚えていますが、本当にすいませんでした。
私にはもったいないぐらい、あなたはかわいかったし、好みだったです。
土下座して謝りたいぐらいです。
その子がそれで更に奥手になって、その後の人生で恋愛が上手く行かなかったりしたら、死んでも詫び切れません。

これが私の黒歴史というか中二病の思い出w

しかしその子が居たおかげで、実は俺はイケメンではないけど、ブサメンでもないんじゃね?とほんのちょっとだけですが自信が持てるようになった。
確かに女の子には意地悪だったため、小・中学校ではめちゃくちゃ嫌われたが、その後の人生で「生理的に受け付けない」みたいな酷い扱いを女性から受けた事もないので、たぶんフツメンで合ってると思う。
普通に喋りかけてもらえるし、遊びや飲みにも普通に誘ってもらえる程度には。
まぁ未だに「こいつとだけはねーわ」という女として見れないような人や、すごく年上の女性以外とは、目をみてまもともに話せないんだけどねw

できるなら、その子が現在は幸せな結婚をして幸せな人生を送ってくれていますように願うだけです。

しかしネットで爆笑されるような中二病の黒歴史を持ってる人って、大物になってるような気がするんだけとねぇ。
私や私の周りに居たような、中途半端な中二病よりよっぽど才能があると思うんだが。
みなさん、平凡な人生を送られているのでしょうか?

熊本市議 そういえばパワハラおばちゃんもそうだったw

別に熊本の女性市議が酷いのが多いとか言いたいわけではないです。

なぜ政治家というものは、官僚や地方自治体の職員に偉そうなのか?について。

政治家はテレビドラマにあるような、一般人に対して「先生www」なんて言われてヘコヘコされません。
なぜかって、そんな事をさせたら当選できない、政治家としての地位や特権を簡単に失ってしまうからです。
選挙の時だけ、一般人にヘコヘコしてるように見えますが、常日頃から有権者にはヘコヘコしなければならないのです。

よほどのドMでなければ、精神が崩壊してしまうでしょうw

その積もり積もった鬱憤を、唯一政治家に逆らえない(事になっている)公務員で晴らすのです。
役所の職員どもは、選挙で選ばれたわけでもないのに、非常に強大な権力を持っています。
有名な話ですが、中央省庁に入った新人が、自分より10歳以上も年上のどっかの企業のお偉いさんが来て、タダでいろんなものを就職祝いでくれたうえに、今後ともよろしくとかヘコヘコしていった、これは狂ってしまうわけだと思ったというのがあります。
そういうのを知っているのです、政治家は。
自分たちには、「先生www」とか言っておきながら、とても先生扱いとは思えないような、まるで自分の部下か奴隷のように物を申してくる、しかも金貰ってるから逆らえないのに、官僚にはヘコヘコしやがる。
官僚はよほど悪い事をしない限りは、クビになる事はありません。
地方自治体の職員もそうですね。

だから政治家は役人に厳しく当たるのです。
つまり、自分らは一般人にヘコヘコしなければ地位も権力も維持できないのに、こいつらは一般人をヘコヘコさせても、地位や権力を維持できる、ズルいじゃないかと言うわけです。

大臣と官公庁の衝突なんて、珍しくもないでしょ?
あれはどっちもどっちなんですよ。
政治家は妬み嫉みで必要以上に官僚をいじめる。
官僚は官僚で、政治家と違って誰に頭を下げなくても、誰もが頭を下げる地位や権力を維持できるので、政治家を見下してる。
見下してる連中に、アゴで使われたらブチ切れて当然でしょうw
だからありもしない疑惑とかをリークしやがるんですよ。

まぁどっちもクズですねw
お互いがお互いを見下し、憎んでいるのが政治家と役人の関係なわけです。

大物政治家が警察に圧力かけて、自分や親族の不法行為を揉み消すなんて、できっこないのですw
そりゃ警察出身の政治家だったら、可能かもしれないですがね。
そうでもなければ、お互い敵だと思ってる相手に、有利な事なんてするわけがない。
そんな事をすれば、すぐマスゴミにリークされて政治生命終わりですw
なんら違法行為が無いモリカケが、疑惑があるとネタを提供したのも官僚側ですよね?w
稲田を追い落としたのも、防衛省の役人ですw

誰も監視できてないし、誰もクビにする事ができない、強大な権力を持つ人間。
それが官僚や役人なのです。
ちなみにマスゴミもそうです。
この2者が結託したから、モリカケなんてもんが出てきたとも言えます。

政治家の権力なんて、しょせんは有権者の気分次第でどうにでもできるのですよ。
誰も監視できず、やめさせる事もできない権力をどうするのか?
これが人類社会の未来の課題でしょう。

熊本市議による議場への乳児同伴入場強行に見る左翼の闇

海外でも取り上げられた、熊本の女性市議による、議場への規則で禁止されている乳児同伴入場の強行。
なぜか賞賛するマスゴミが多いですw

これを賞賛するってことは、自分の主義・主張に合わない法や規則は、守らなくても良いと言ってるも同じなんですけどね。
そもそも市議というのは、市の条例などの法や規則を作るのが主な仕事です。
法や規則を作る側の人間が、自ら法や規則を破る。
それでどうして、市民に市の作った法や規則や条例を守れと言えるのですか?

少子化だとか子育て支援だとか、そういうものとは別の問題なのですよ、今回のこの市議の行動は。
それを分からない人が多すぎる。

私は常々、こういった左翼と言われる馬鹿どもの身勝手で自己中な行動には苦言を呈しています。
テレビを買ったら必ずNHKに受信料を払わなくてはいけない、たとえ全く見ないとしても。
そう法で決まっている以上は、それが悪法だから守らなくても良いはダメだとも言っています。
破るのではなく、変えるのが正しいやり方です。
そもそもマスゴミどもは、このNHKの受信料契約拒否については賛同しないでしょう。
同じ悪法だから守らなくても良いというスタンスの人を、擁護はしてくれないでしょう。

だから信用されないし、たとえ正論を言ったとしても聞いてもらえないのです。
てめーに都合の良い時だけ、法を破り、それでいててめーに都合の良い法は守れと言う。

戦前までの日本は、一家に2人以上の子供が居るのは当たり前でした。
5人・6人兄弟なんて今ではテレビで取り上げられるぐらい珍しいですが、戦前の日本では珍しくもなんともない光景でした。
その時代にどうやって子育てをしていたのか?
基本的に昔の日本で一番多い職業は「農家」です。
農家の嫁は、てめーの子をおぶって野良仕事をするのも当たり前でした。
子供が乳離れした後は、先に生まれた他の兄弟が面倒を見たのです。
あるいは一緒に住んでいたお爺さんやお婆さんや、まだ未婚の叔父・叔母など親族や近所の人がみんなで子供の面倒を見ていたのです。
だからこそ、子沢山のお母さんでも仕事ができたのです。

ぶっちゃけ、昔は幼稚園や保育園も無いし、日本ではあまり居ませんが欧米社会に居るようなベビーシッターだって居なかったわけですよ。
それでも人類は、今よりはるかに沢山の子供を育てられたわけです。
今よりはるかに大変な仕事をやってこれたのです。

たった一人の乳幼児さえ、規則を破ってまで同伴させないと育てられないなんて、おかしいわけですよ。
てめーの主義・主張・・・というかもはやワガママのために、子供を利用してパフォーマンスしているに過ぎないのです。
もちろん昔と今とでは社会の仕組みも違います。
でも親族が一人も居ない人なんて、そうそう居ないでしょう。
あるいは女性の権利を叫ぶこの馬鹿議員と同じ種類の人間どもは、男性も育児しろとか言ってるじゃないですか。
つまり女性議員の夫が、妻が議会に出席している間は子供の面倒を見ろと言うべきでしょう。
離婚したとかなら話は別ですが、それでも離婚はてめーの責任であって、他の議員には関係ありません。

人間社会というのは、動物で言えば「群れ」と同じなのです。
「群れ」は固体がそれぞれ好き勝手に行動していては、成り立たないのです。
すべての固体が、何かしらの我慢をして、統一した行動をする事で初めて「群れ」として機能するのですよ。
より多くの固体が、より少ない我慢で済むように作られた、群れの行動規範やルール、それが人間社会では法であり規則であるわけです。
だれか特定の人を苦しめようとか、意地悪しようとか、そういう目的で作られたわけではないのです。
左翼どもはそう思ってるかも知れないですけどねw

別に法やルールや規則を変えるなと言っているわけではありません。
憲法9条を宗教の教義か何かのように、絶対に変えてはならない神聖不可侵なものなどと言ってるのは、左翼のほうですけどねw
時代や状況に合わないものは、積極的に変えた方が良いとさえ思います。
しかしそれは、正規の手続きを踏んで行われるべきです。
時代や状況の合わないからと、勝手に破ってうやむやにしたり、勝手に無いものにしたり、そういう事は許されるべきではありません。

正規の手続きとは、何をどう変えたいのか、なぜ変える必要があるのか、納得の行く説明をきちんと行って賛同者を集めて多数派を構成して、それによって議会なりに変更案を提出して審議して採決させる事です。
これが民主主義社会における、正しい法の変え方です。

都合の良い時だけ「民意」などと、多数派であるというデータも根拠も示さずに「民主主義」を掲げるくせに、少数派の時はマイノリティーの意見を無視するなとか、差別だとか言って自分の主義・主張を押し通そうとする。
だから世界中で支持を失いつつあるんです、リベラルだか左翼だか差別利権団体だか自然保護だの人権だのの団体は。

たとえそれがどんなに正しい事でも、賛同を得て多数派にならなければ、それは正しく無い事なのです。
「悪」なのです。
なぜなら、少数の意見が多数を支配するというのは、「独裁」だからです。
左翼の方々は独裁者になりたいのですか?
おろかな民衆は、優秀なわれわれが指導し導いてこそ人類は生き残れるとでも言いたいのですか?
独裁と何が違うのですかね?

熊本市議会の「関係者以外立ち入り禁止」の議場のルールを、例外的に議員の実子である乳幼児に限り認める事にするのかどうかと、今回の議員の行動とはまったく別問題というのをまず認識しましょう、議員本人もマスゴミも。
平気で規則を破るような人の主張を、誰がまともに聞いてくれるのか、常識で考えたら分かると思います。
また熊本市議会も、このようなワガママに流されないようお願いしたいです。
在日どもは、こうやって特権や優遇措置を勝ち取ってきたのです。
だから頭に乗るのです。
少数派が主義・主張を通す場合は、多数派に賛同してもらう必要があるのです。
それが民主主義であり、法治国家です。

少数派のやつ等がうるさいからとか、ウザいから認めたくないけど認めてやろう、それで静かになるなら安いもんだ。
こういう考えが、一番よくありません。
今回の件を切欠にして、渋々議員の実子である乳幼児は例外として同伴を認めるなんて事にしたら、それこそ味を占めて後から後からワガママを言い続けますよ?
それらを全て聞くんですか?
それで多数派である無関係な多くの人間が、我慢を強いられたり苦労をさせられたりしても良いのですか?

すくなくとも議会の議員の過半数が、たしかに君の主張には一理ある、変更を認めようとなるまでは、どんな規則だろうが守るべきなのです。
てめーだけが正しいと思っている事は、世間では単なる「ワガママ」なのです。
その「ワガママ」を押し通すために規則を破るような人間、議員失格ですよ。
下らない漢字の読み間違えなんぞで、議員の資質が無いとか叩かれるより、はるかに叩かれなきゃいけない事案です。
だって法を守る気が無い議員なんですから。
なぜ叩かれないばかりか、逆に賞賛されるのか、理解できません。

この辺りの矛盾、どう説明してくれるんでしょうかね?件の議員や賞賛してるマスゴミは?

死を怖がる暇があるなら

最近、ネットで「まだ20代なのに癌で余命を宣告された」とか「婆ちゃんが死ぬの嫌だって言ってる」とか、そういうのを立て続けに読んだので。

「死」というのは、どんなに怖がっても嫌がっても絶望しても、逃れる事はできません。
現代に至るまで、全ての人間が、金持ちであろうが貧乏人であろうが、聖人であろうが大悪党であろうが、絶世の美女であろうが超絶なキモデブだろうが、みな等しく死んでいったのです。
科学技術や医療が飛躍的に発展して、大昔には考えられなかったような長さまで寿命が延び、治らなかった病気が治るようになりましたが、「死」だけは克服できていません。
大昔の王様よりはるかに強大な、世界的な権力や財産を持つ人も居ますが、そういう人達も死から逃れられていません。

つまり「死」に怯えたり怖がったりしても、無駄なのです。
そんな事を考えてる暇があったら、残り少ない人生でやりたい事をできるだけ沢山やった方が遥かにマシでしょう。

いくら健康な人や若い人を妬んでも、どうせいずれそういった人達も死ぬのです。
寿命が20~30年だった人と、100歳まで生きた人で、後者の方が幸せだったか、満足できたかと言えば、必ずしもそんな事はないでしょう。
長生きしたって、体が言う事をきかなくなるばかりか、日常的にどっかが痛いとか目が霞むとか耳が聞こえないとか、不自由さや不快さが増します。
そんな状態で何十年も生き続けなければならないぐらいなら、まだ体が十分健康である年齢で、ぽっくり逝ってしまった方が楽かもしれません。

とは言うものの、これを自殺の理由にされても困りますがw

死に対する恐怖が、まったくの無駄だと言っているわけではありません。
「死ぬ気になって」という言葉があるように、死に対する恐怖をバネに、ものすごくがんばったり、すごい力を出せたりする事もありますから。
「命がけで」という言葉もありますね。
これらはみな「死」が怖い、死にたくない事が前提になっています。
それが他人に対して発揮された場合、自らの命を犠牲にするのも厭わない場合もありますが、それは例えば親が子を守るためなど、自分より他の誰かの「死」の方が恐怖であり嫌であるがためであり、根本的には「死」への抵抗という意味において同じです。

何が無駄なのかと言うと、「死」の恐怖に怯えて、何もしない事です。
そればかり考えて、時間を無駄に過ごす事です。

座間の殺人事件のように、死の恐怖を利用されて、結局殺されてしまうのを見ても、それがいかに無駄で良くない結果しかもたらさないか分かるでしょう。

「死」の恐怖に怯えるなら、それを別の力に変えるべきなのです。
人はなぜ働くのか?
食うためです。
なぜ食うのか?
食わないと死んじゃうからです。

あなた一人だけが、「死」が怖いわけではないのです。
みな多かれ少なかれ「死」の恐怖に怯えながら、日々暮らしているのです。
死にたくないから働き、死にたくないから戦争やテロに反対するのです。
スラム街の子供達は、死にたくないから窃盗や殺人をするのです。
ヤクザも死にたくないから、拳銃だの刃物だのを不法に所持するのです。
死にたくないから、誰かをいじめ、見て見ぬ振りをするのです。

できれば他人に迷惑の掛からない事へ、「死」の恐怖に抗うためのエネルギーが行ってくれた方が良いのですがね。
どうせ死ぬんだからと、犯罪をされても困りますw
そうじゃない事へ、思考を転換し、それこそ「死ぬ気」で残りの人生を送った方がずっと有意義ですよという話です。

日本相撲協会 評議委員会議長の発言に見る偏向報道

警察の動きなどと連動して、なぜか被害者側である貴乃岩や貴乃花親方側を叩くマスゴミの流れは弱まってきました。
しかしながら、白鵬関の土俵上での許されていない審判への異議申し立てと、貴乃花親方が相撲協会の危機管理委員会の協力要請を断ったという、新たなニュースについてコメントを発表した評議委員会議長の発言に偏りが見えます。
それらをさも当然の発言であるかのごとく、何の疑問も呈さないで垂れ流すマスゴミ。

どこがおかしいかというと、白鵬の土俵上での行動に対しては一定の理解と擁護するような発言をした一方で、貴乃花親方の態度については理解も擁護もなく否定的な事しか言っていないというところ。
相撲協会に従え、規則に従えと言うなら、白鵬関の問題行動についても理解も擁護もすべきではないはずです。

ここに相撲協会&マスゴミと貴乃花親方側との対立が、不公平な形で報道されている事がわかります。

私は今回の件では、どちらかといえば貴乃花親方の味方です。
特に貴乃花のファンでもないし、次男特有の自己中さというか独立心の強さというか、そういうのも好きではないので、この問題が出るまでは応援も批判もしてません。
しかしながら、第三者的な目から見て、明らかに相撲協会&マスゴミ陣営は卑怯であり、その卑怯な大軍団に対して一人で立ち向かっている貴乃花親方は応援せざるをえません。

そうは言っても貴乃花親方側がマスゴミの取材にいっさい応じない、何も言わないのだからしょうがないじゃないかと、奴らは言うでしょう。
当たり前ですが、敵の広報にベラベラ喋るほど馬鹿な奴は居ません。
何か言ったところで、切り貼りされて不利な報道がされるであろう事は、政治の報道とかを見ていれば、まともな人間なら分かりますからね。

相撲協会の言い分や立場にも、一定の理はあるとは思います。
ですが、マスゴミの偏向報道や印象操作がそれを台無しにしてるんですよ。
相撲協会は隠蔽体質だと言われようとも、事実だけをマスゴミを通さず、ホームページなどで発表するに留め、貴乃花親方と真摯に話し合うべきでしょう。
貴乃花親方も、相撲協会がマスゴミとこの問題に関しては手を切ると約束してその通りの言動をしたなら、話し合いに応じ、協力すべきと思います。

つまり問題をこじれさせてる一番の害虫は、マスゴミだと言う事です。
このゴミどもは人の不幸を面白おかしく引っ掻き回して、金儲けする事しか考えてません。
一方の側からの情報だけ報道して、「たぶんこうだろう」と勝手に妄想して、それをさも事実であるかのように、放送する。

ではマスゴミはどうすれば良かったのか?

相撲協会からしか情報が無いのであれば、それを一方の言い分ですとことわった上で報じ、どっちが悪いとか問題があるとか、一切のコメントをしなければ良かったのです。
あるいは貴乃花親方側の言い分を、それこそお得意の「関係者」でもいいですから、どうにかして情報を得て、報じるべきだったのです。
それが公平中立な報道というものです。

マスゴミを信用してないため、非協力的な貴乃花親方側を、勝手な妄想で批判すべきではなかったということです。

政治と違って、相撲界の問題については一般の視聴者は「色眼鏡」を掛けません。
どういう事かと言えば、自民党が嫌い、安倍が嫌いという層は確実に居り、そういう「色眼鏡」をかけてくれる視聴者に対しては、捏造だろうが誇張だろうが切り貼りだろうが印象操作だろうが、真実として捉えてくれるし支持もしてくれるでしょう。
しかし今回の相撲の問題に関しては、よほどの相撲ファンでもない限りはもともとがどちらが好きも嫌いもないわけですよ。
無関係な第三者なのですよ、視聴者は。
そこに政治のように偏向報道をしたら、それこそバレますしおかしいと思われますし、それに反発してマスゴミの意図とは逆に貴乃花親方への同情や支持が集まってしまうでしょう。
普段はマスゴミの言う事を信じてくれるじじばば世代にすら、支持されない結果になるのです。
色眼鏡を掛けてみる人が殆ど居ないですからねw

ネットの無い時代であれば、広く公に情報を発信するのはどうしてもマスゴミを使わざるをえなかったでしょう。
しかし今の時代は違うのです。
日本相撲協会とその関係者は、もし一般の人に公平な視点で見て支持してもらいたい、真実を語りたいのであれば、マスゴミを通さずに自らのホームページなどで情報を発信するべきです。
貴乃花親方側も同様に、ホームページとかあるならそちらで少しでも言い分を発信すべきでしょう。
マスゴミの変な偏向やコメントが付いていない、そのままの両者の言い分という情報を、一般人がネットで見てこそ公平な判断が下される事でしょう。
まぁ判断といっても、しょせんは評判レベルですがねw
どっちが悪いとか、それを決めるのは司法の役割ですからねw
一般人にもマスゴミにもそんな権限は無いので。

記者のレベルが下がった理由

新聞や新聞記者というのは多くの情報を集め、精査して導き出した真実のみを伝えるのが、本来の姿です。

しかしここ最近のマスゴミは、情報をロクに集めないし精査もしないし、酷いときは情報そのものを捏造したり、切り貼りして自分らの主義・主張に合わせて都合よく編集したりします。

だから信用されないし、すぐにボロが出るし、橋下みたいなプロの論戦家に勝てないのです。

記者会見だの定例会見だのってのは、いわば官房長官だったり地方自治体の首長だったりが、自分の描いた絵を展示しているようなものです。
どういう絵だったかを、題材や色使いや手法(油絵なのか水彩画なのか)などの情報と共に、より正確に分かりやすく伝えるのが「記事」です。
画家は何を書こうとしたのか、作品にはどういう思いが込められているのか、名作か駄作かを論評するのが、「社説」です。

しかし昨今の新聞記者は絵画を鑑賞するのではなく、「ウォーリーを捜せ」をやっているのですw
会見を行っている人は、ウォーリーを探せではなく、自分の描きたいものを描いた絵を展示しているわけで、ウォーリーなんぞ居るわけがないです。
だから無理やり似たようなものを探して、捏造して、誇張して、「ウォーリー見つけたwww」という記事を書くのです。

なぜ新聞記者は「ウォーリーを探せ」しかしないようになったのか?

始まりはおそらく、真実を伝えるのではなく、「どういう情報を報じたら新聞が売れるか?テレビを見てくれるか?」です。
新聞やテレビは、ボランティアではなく商売です。
真実を正確に伝えても、売れなければ食っていけないのです。
だから情報を面白おかしく加工したり誇張したりする。
これがそもそもの間違いだったのです。

より多くの情報を集められる人、それを精査してより真実に近いものを見出せる人より、面白おかしく伝えられる人の方が重宝され、出世するようになったのでしょう。
つまり売れる記事を書ける人、売れる番組を作れる人って事です。
真実かどうかは関係ないし、正確な分析なんぞするだけ時間の無駄ということです。

そして第二段階として、この記者失格の人間が幹部に蔓延る事によって、次第に「こういう結論を読者は、視聴者は求めてるはずだ」と勝手に決めて、それに沿うような情報を持ってこれる人、加工できる人ばかりが重宝されるようになったのです。

これ、かなり好意的に解釈してますからね?
実際は、読者や視聴者の求める結論ではなく、てめーらの政治的な思想・信条に沿うものと言っても過言ではないわけですからw

だから人の話を、まともに聞かないのです。
この人はどういう意図で言っているのか?何を言わんとしているのかというのを、前後も含めて理解しようとしないのです。
記者は人の話を「文章」ではなく、「単語」でしか聞いてません。
「悪い印象」の「単語」、つまりこれが「ウォーリー」なのですが、それだけ抜き出して使うのです。
人の話を単語で聞いているわけですから、理解なんぞできるはずもありません。
というか理解する気もないのでしょう。
ぶっちゃけ、日本語の単語を知っていれば、日本人でなくても良いわけですw

だから理論が破綻している小学生の作文以下の記事や社説しか書けなくなったのです。
論戦をすると簡単に負けてしまうし、ボロが出る、というか論戦すらできないのです。
だって文章の読解力や理解力や理論的な思考が、今の記者には求められていないですからね、雇い主から。
誰かの話を、「あ、いま○○って言った」「いーけないんだ、いけないんだwせーんせいに言ってやろwww」
って言える人の方が優秀であり、出世できるとされているからです。
たぶん小学校低学年の男子生徒に混じったら、人気者になれますよ、今の新聞記者どもはw

まぁそんなレベルに同調する、特に年配の読者や視聴者が多いのも問題なんですがねw
戦後の間違った国語教育の弊害でしょう。
間違った国語教育とは、文章読解力とか言っておきながら、評論家や先生の解釈を言い当てるクイズをやってる事です。
本来は同じ絵画を見ても、受ける印象は個人によって違うものです。
同様に国語の文章というものも、登場人物の気持ちや、ましてや作者の意図など読んだ人によって違って当然であり、みな同じになる方がおかしいわけです。
ところが日本の戦後の国語教育では、「この時の主人公の気持ちとして、正しいものを以下から選びなさい」とか「作者の意図を述べなさい」とか、特定の誰か(高名な研究者や評論家、あるいは問題を作成した先生)の意図が正解であって、自分はどう感じたのかはどーでもいいし、考える必要はないという。
国語教育におけるこの絶対的正義である、評論家だの先生だのが、大人になるとマスゴミになるわけですw
日本人は個性が無いと言われるのも当然ですし、自己主張ができないのも当然です。
だって求められてないし、否定されますから、学校教育でw

国語は数学と違って、絶対的な正解などないというのが本来の姿です。
数学はある意味ウォーリーを探せですが、国語はウォーリーなんぞ居ない単なる絵画だと言う事です。

日本の国語教育は、言ってみれば独裁国家のそれと何ら変わりません。
えらい人の言うこと、地位や名誉や権力のある人の言うことが正解であるという間違った価値観を植えつけているからです。
その偉い人だの地位や名誉や権力のある人が、戦後の日本ではまだ「大きな間違い」を犯してないから、従順な国民による世界一平和で安全な社会が実現されているにすぎません。
マスゴミの連中が偉ぶるのも、こういう理屈を知っているからでしょうかね。

ただ人間というのは、そこまで馬鹿ではありません。
子供って、「なんで?どうして?」って良く聞くと思います。
親の言うことを聞かないのは、子供の「なんで?どうして?」に答えられてないからです。
「なんででもこうしなきゃいけないの!」「どうしても何もこれが正しいの!」としか言わないからです。
はい、今のマスゴミがまさにそうですねw

体罰を否定しながら、自分たちが体罰を行っているのが今のマスゴミや反日左翼です。
口で言っても分からないと言い訳をして、相反する運動や言論を力でねじ伏せよう、弾圧しようとする。
まさに体罰以外の何者でもないでしょう。

横暴で無能な親のように、言葉の暴力を躾や体罰だと言って振るっているのが、今のマスゴミ。

新聞記者のみなさん、本来の役割を思い出して下さい。
本来あるべき姿を取り戻して下さい。
あなたがたの仕事は、「ウォーリーを探せ」をする事ではありません。
絵画をより詳細に見て、どういう絵なのかを正確に伝える事です。
どういう印象を持ったとか、作者の心情だの作品に込められた思いだのを語るのは、社説でやって下さい。
自分が気に食わない、嫌いな絵であっても展示されていた以上は、スルーしたり勝手に改変したせず、そのまま伝えるべきです。

キリスト「罪を犯した事のない者だけが、石を投げなさい」

よくネットで話題になる、キリストが言ったとされる言葉です。

キリストがそう言ったら、最後はキリストだけが石を投げていたとオチがネットの話ではつきますが、調べたところ、その文章は無いそうですw
というか、この話自体がネタだと思ってたんですが、福音書とかいうのに、きちんと書かれている正式なものだったんですねw

なぜこの言葉をいまさら持ってきたかと言うと、国連人権委員会とかいうあやしげな組織が、慰安婦について蒸し返したからです。
慰安婦問題は、裁判で言うところの「和解」が成立したはずです。
日本と韓国が裁判所代わりにアメリカを立会い人にして、もうこれで終わりという「合意」をしたはずです。

国連というのは、地球の統一を目指す全ての国が参加して、認めた地球上で最も権威ある最高組織のように思われがちですが、単なる第二次大戦の戦勝国の正義を守るための組織ですw

欧米人というのは、よく第二次大戦時の日本をネタに、現代の日本も叩きます。
なぜなら「正義は自分たちの側にあった」というのを、守らなければならないからです。
中国や韓国の反日政策に欧米が乗っかるのも、そのような理由からです。

さて欧米というのはキリスト教国でもあります。
そこでこの言葉が出てくるわけです。
罪を犯した事のない国だけが、日本を叩きなさい
とでも言い換えれば、黙るのではないかとw

そもそも70年以上も前に終わった事であり、日本はもちろん欧米も韓国も当時の加害者・被害者など殆ど生きていません。
子孫が子孫に、永遠に謝罪だの賠償だのを要求できるなんて、どこの国にもそんな法律は無いはずです。
そういう正論を言っても、やつ等には通用しません。
なので、やつらが信じる者の言葉を使えば少しは効果があるのではないかと思ったのですw

戦争をした事がない国や民族など居ません。
ましてや、戦勝国どもは植民地や奴隷といった恥ずべき悪事を行った歴史がある国ばかりです。
キリストの言葉を引用すれば、日本を叩ける資格など無いのです。
なぜなら、日本が戦時中に行った行為は、全て欧米戦勝国が過去に行った事を真似たに過ぎないからです。

日本はよく閉鎖的な国のように言われますが、日本ほど他国の文明・文化を取り入れて発展した国はありません。
日本の伝統的な文化の殆どは、中国由来です。
もちろん、あくまで由来なだけであって、日本風にアレンジされていますけどw

明治維新後に非白人のアジアの小国でありながら、軍事大国になり、そして戦後は経済大国になったのも、欧米の文化を取り入れたからです。
かつての東洋の大国であった中国や、同じ中華文明圏であった朝鮮半島が出遅れたのは、欧米文化の取入れをしなかったり、それを導入するのをためらったりしたからです。

日本の失敗は、欧米の進んだ科学技術や法律などの行政制度だけでなく、植民地や他民族の見下すという悪い文化まで取り入れてしまったところにあるのです。
つまり戦前の日本を叩くというのは、てめーらの歴史を叩いている、てめーらの先祖を叩いてるも同じって事ですよ。
だって日本は欧米に侵略されないように、欧米の真似をしたに過ぎないのですからw

そもそも日本は未だに謝罪も賠償もしてないとか、戦前の行いを悔いていないとか、教えていないとか、どっからそういうデマが出てくるのでしょうかね?
日本はかつてアジアを侵略したという事実は、日本人なら誰でも知ってますよね、学校で必ず教わりますから。
だから戦後、土下座と言われるほど低姿勢な外交を行ってきたわけです。
求められるままに、謝罪も賠償もしてきました。

しかしもういい加減、当事者でもない奴らに、当事者でもない我々が頭を下げるのも批判されるのもうんざりなんですよ。
そういう法もどこにも存在してませんし。
むしろ、もうこれで終わり、今後は過去の事は蒸し返ず水に流して、新たな関係を築いていきましょうと「約束」を多くの国と行ったわけです。
にも関わらず、いつまでもゆすりたかりいじめをされるから怒っているし、反論するのです、現代の日本人は。
反省してないわけでも、過去を正しく認識してないわけでもないのです。

てめーらこそ、いつまでも「俺らは悪くなかった」と言うために、歴史を正しく認識しないし反省もしないで日本を叩き続けるのかと。

ナチスドイツを誕生させたのは、当時のドイツ国民の責任ですが、そこまでドイツを追い詰めたのは第一次大戦の戦勝国であるその他の欧米の国です。
今の日本にやってるような事を、永遠と第二次大戦が勃発するまでドイツにやってたからです。
歴史を正しく認識し、反省していれば、今の日本に行っている事がどんなにまずい事であるか分かるはずです。

歴史は勝者によって書かれる というのは正確な表現ですが、人類の行いとして決して正しいものではありません。
免罪符に使ったりして良いものではなく、皮肉として使われるべきものです。

これが分からないようでは、いつまでたっても戦争もテロも無くならないでしょうw
どうぞ勝手に移民・難民の暴動なり犯罪なり、イスラムのテロなりで、自滅して下さいw
日本はそんな愚かな連中の愚かな争いに巻き込まれたくないので、どちらにもつきませんからw

少女終末旅行の世界は人類滅亡寸前の超未来か?

設定上はそう思わせるようになっている。
が、私は死後の世界か、ネットによくある「時空のおっさん」の世界では無いかと思う。

主人公達は生きていると思わせて、実は全員死んでいましたってオチの物語は、過去にもあった。
そう、有名な「ひょっこりひょうたん島」だ。
もちろん私もリアルタイムで見ていたほど、高齢者じゃないので、どこかで聞いたウラ話だが。

まず死後あるいは時空のおっさんの世界であると思った根拠は、「有機物」の少なさである。
人類が戦争で滅亡しかかっているのか、あるいは疫病やその他の理由で生物が死滅しかかってるかにしても、「死体」すら無い。
おかしい。
「死体」だけじゃない。
何話か前に、マンションのような建物の中を探索していたシーンがあったが、「家具」がまったくない。
やっと見つけた家具のある部屋は、ソファーのようなものがあるだけだった。
あまりにも、生活観が無いというか無機質すぎるのだ、この世界は。

人が絶望的に少なく、その他の生命とおぼしきものは、死んだ魚が一匹と、人工栽培された芋のようなのが出てきただけである。
旅の始まりの回想シーンでは、明らかに第二次大戦時のヨーロッパと思しき風景が描かれており、人ももっと居た。
戦火を逃れて遠くへ行ったとしても、同じような行動を取る人間が、主人公の2人以外に居ないのがそもそもおかしい。

つまり逃げる過程で、2人は仲良く死んでしまっているのではないかと思う。
あるいは死ぬほどの攻撃なのか爆撃なのかを受けたショックで、時空の狭間に飛ばされたか、どちらかであろう。
そうすれば、極端に有機物の少ない無機質な世界の説明がつく。

あるいは、本当に人類も含めて全ての有機生命体が滅亡し、骨すら風化してしまうほど時間が経った、超未来に飛ばされたか。

Web版の原作ではロボットが出てくる。
アニメでもそのうち出てくるだろうが、人類が滅んだ後も、そういったシステムだけが何百年なのか何千年なのか動き続け、無機物の塊である街を維持していたとも見える。

原作者が「ひょっこりひょうたん島」を知っているか、あるいは「漂流教室」のようなSFを読んだ事があって、それらに影響されていれば、あの「まったり」した「ゆるい」作風とはうらはらに、絶望的な結末になるであろう。

メイド・イン・アビスとともに、非常に興味深い作品である。

日本人は手先が器用というステレオタイプについて

日本人のステレオタイプに「手先が器用」というのがある。
日本製品が高品質であることや、アニメ・漫画などに見る緻密で繊細な線の絵や、あるいは様々な競技やパフォーマンスの芸が細かい、他を圧倒する緻密さがあるなどの印象から、そう言われるのでしょう。

しかしながら、人間というのは日本人だろうがアメリカ人だろうが、黒人だろうが白人だろうが、「能力」というものに大差は無いと思っています。
たしかに皮膚の色が違ったり、髪質が違ったり、あるいは黒人の方は相対的に運動能力が優れていたりしますが、それは先祖から受け継いだ遺伝子や育った環境によるもので、日本人でも長年狩猟生活をしていたら、今頃は筋肉モリモリで運動能力に相対的に優れた人種になっていたかもしれないのです。
つまり「平均値」の違いであり、「最大値」や「最低値」は人間である以上は同じであろうと。

では日本人は「手先が器用」というステレオタイプは、正しくないのか?と言えば、それも正しいと考えます。
それは他の人種や民族と比べて「相対的」に、あるいは「平均値」が優れているという意味で。

どういう事かと言えば、人間の能力をゲームのステータスのように数値で表せたとした場合を考えてみましょう。
「器用さ」というのはゲームではよく「DEX」と表されます。
「器用」を意味する英単語の略称だったと思います。
これの最大値や最低値は、白人も黒人も日本人も「人類」である以上は同じです。
しかし国や民族ごとに、この「DEX」の平均値を取った場合、日本人が平均60だとしたら、その他の外国人は40ぐらいみたいな、そういう違いはあるだろうと。

日本人のDEXの平均値が高くなる根拠は2つあります。
1つは「箸」を使って食事をする文化である事。
もうひとつは「漢字」を使う民族である事。

箸は古代中国の影響を受けている国、現代の中国自身や朝鮮半島の国と日本、台湾もそうですね。
それらの国においては、幼少の頃より箸で食事をします。
西洋化、欧米化が進行した日本においても、箸が使えない日本人は皆無です。
そして箸で食事をするのは、スプーンやフォークや、あるいは手づかみの民族も居ますが、それらより遥かに難しいです。
つまり箸を日常的に使う日本人は、手や手の指のコントロール能力がその分「鍛えられてる」事になるのです。
だから細かい作業が得意であったり、匠の技術みたいなのを持っている人が多い。

これは例えれば、野球をした事はないが、体を鍛えるためか、健康のためかで幼少より素振りはしていた人と、はじめてバットを持った人では、同じ時期に「野球」を始めても上達スピードが違うみたいな事です。
素振りをしていた人は、腕の筋肉もそうですが、バットコントロールの能力値がすでにある程度高い状態。
それを実際に球が撃てるレベルまで上げるのに、必要な経験値が少なくてすむ。
こういう理屈で、文化や生活環境の違いから、手先の器用さの平均値が相対的に高い日本人は、欧米人より短期間で高いレベルまでそれを上げる事ができると考えてもおかしくないでしょう。

もうひとつの漢字を使う事が、どう手先の器用さに影響するのか?
最近はパソコンなどの普及により、特に大人は手で文字を書く機会が極端に少ないですが、それでも子供の頃から漢字を書いてきたわけで、漢字がまったく書けないとか、書いたことない人は居ないでしょう。
「漢字」というのは、欧米の「アルファベット」に比べて、非常に複雑な文字です。
画数も圧倒的にアルファベットより漢字の方が多いです。
これは、漢字をコンピュータ上で再現する時に、アルファベットより多くの「ドッド」を使う事からも分かるでしょう。
アルファベットというのは、日本で言う「半角」で表現できますが、漢字やひらがなは「全角」でないと表現できません。
単純に考えて、2倍のドットを使わないと正しく表示できないのです。
ちなみに日本語でも「カタカナ」は例外的に半角で表現が可能な文字です。

コンピュータの文字でもこれだけの違いが出るものを、日常的に「書く」ことを日本人をはじめとした漢字文化圏の人はしています。
これはつまり、ペンで何かを書くという技術、ペンをコントロールする能力が日常的に鍛えられていると言えるでしょう。
だから日本人の書くアニメや漫画の絵は、外国人から見るとすげーとなるのです。
真似しようとしてもできないのです。
ちなみに、日本人が英語の筆記体の文字を書くと、そのあまりの上手さや綺麗さに欧米人は驚くそうです。
常日ごろからアルファベットより複雑で細かい構造の漢字を書いている日本人ですから、より単純な英語の筆記体を欧米人より上手く書けるのは、別に不思議ではありません。
対して、欧米人が漢字を書くと、小学生でももっと上手く書けるぞってレベルで下手糞です。
ひらがなですら、何とか読めるレベルでしか書けません。
アルファベットに比べて、構造が複雑で細かいからです、日本の文字は。

普段から高度な数学の計算を行っている人が、算数の問題を解くようなものなのです、日本人が英語を書くというのは。
欧米人はその逆になるって事ですね。

そしてこのペンのコントロール能力というのは、絵を描く際にも当然ながら発揮されます。

日本にはプロの漫画家・イラストレータであると言われても納得してしまうほど、絵の上手い素人が沢山居ます。
欧米人のオタクが書いた、何かのアニメや漫画の絵と、日本人のオタクが書いたそれとを比べてれば、上手さの違いは一目瞭然でしょう。
漢字を書くことにより、日本人のDEXは60あり、欧米人は40しかない。
アニメや漫画の絵を上手に描けるのに必要なDEXが80だとしたら、日本人は20だけ上げれば良いわけですが、欧米人は40上げないといけない。
レベルアップにかかる時間や、稼がなければいけない経験値が欧米人は多いわけです。
だから日本人のプロレベルの絵が描ける人が少ないのです。

ちなみに同じ箸と漢字を使う文化である中国人や台湾人は、日本のオタク絵の分野でもすでに欧米より優れている事が証明されています。
中国や台湾のオタクの人の書く、日本のアニメや漫画のファンアートは日本人の素人で上手い人と比べても遜色がありません。
箸は使うが、漢字は使わず、東洋版のアルファベットとでも言うべき「ハングル文字」を使う韓国人よりも、上手いですw

最近のアニメは、海外に動画の作成を発注する事も当たり前ですが、韓国のスタジオより中国のスタジオの方が、クオリティが遥かに高いです。
エンディングのクレジットを見なければ、中国人が作画に参加している事が分からないほどでしょう。

このように中国や台湾、次点で韓国などは、日本同様に高品質な製品を作れる素養が実はあるのです。
なぜ劣化コピーしか作れないのかといえば、それは「作れない」ではなく「作らない」だけなのです。
アニメや漫画のファンで、自分でもそれらのイラストを書こうって人は、当たり前ですがそれが好きで好きでたまらない、ものすごい情熱で一生懸命書く練習をしたり、実際に描いたりしてるはずです。
だから箸や漢字で鍛えられた手先の器用さが、遺憾なく発揮されるのです。
上手くなるスピードも速いのです、欧米人に比べて。

ところが中国人や韓国人というのは、仕事に対して情熱が発揮される事はありません。
昨日も書きましたが欧米人と同じく「いかに楽して金儲けするか」しか考えないからです。
中国人や韓国人が情熱を燃やすのは、「反日」活動だけですw
その情熱を仕事に向ければ、それこそ本当の意味で日本に追いつくのも追い越すのもできるはずなのに、馬鹿だなぁと思います。

欧米人で手先が器用になりたい人、アニメや漫画の絵を上手く書きたい人は、普段から箸で食事をしたり、漢字を書く練習をすれば良いと思います。
子供の頃からそれらをやっていれば、日本人並みの器用さは身につきます。
日本人である必要はありません。
人間でさえあれば、生活習慣や文化によって、能力はいくらでも上下するのです。

元のDEXの平均値が60ある日本人を見て、悲観する必要はありません。
日本人の倍の時間、鍛錬を積んでDEXを上げれば良いのです。
そうすれば欧米人でもアニメや漫画の絵を上手に書けるDEX80に到達できます。
日本車並みの品質を誇るアメ車だって作れるでしょう。

これが「手先が器用」の真実です。
アニメや漫画や反日に捧げるのと同じぐらいの情熱を、仕事にも捧げなさい。

今も昔も、国力というのは人口に比例するのです。
日本が小国でありながら、先進国になれた、その地位を維持できているのは、日本人が優秀だからではありません。
日本より人口も国土も広い国の人間が「怠慢」なだけです。
中国・アメリカ・ロシア・EUとして一つに纏まったはずのヨーロッパに言ってるのですよ?

電源に見る日本製と海外製の違い

どこかで電池の詐欺商品の話が出ていたので。

自作機において、一番高品質が求められるのは、CPUでもグラフィックカードでもHDDでもない。
実は電源ユニットなのだ。
電源ユニットの品質とは、長持ちする「耐久性」と、最大出力でもいかに電気を供給し続けられるかという「安定性」がある。
また最近では節電だのエコだのの影響で、ロスの少なさも求められている。
80PLUS GOLDだのSILVERだのって規格がそれだ。
これら全てにおいて、圧倒的な品質を誇るのが、日本製の電源ユニットである。
もっと言えば、日本製コンデンサ搭載製品である。

コンデンサというのは、電気を貯める事のできる部品の事で、どんな電気製品にも必ず電源部分にこれが入っている。
なぜなら、家庭用の電源というのは「交流」であり、電気製品は「直流」じゃないと動かないからだ。

このコンデンサは日本製が世界でも抜きん出て性能が良い。
長持ちするうえに、出力の安定度やエネルギー効率などが良いと言われている。
なぜ日本製はこのように優れた部品類が多いのか?

まずインチキを悪い事だとも思わないし、むしろどんだけインチキできるかしか考えない国の人達は論外。
欧米は品質よりもコストにこだわる。
それは経営者から末端の労働者までそうだ。
どこまでコストを削っても、訴えられない程度の品質が保てるかを経営者は考え、労働者はどこまで手を抜いてもクビにならないかを常に考える。
だから同じものを作らせても、品質が悪いのだ。

トランプがアメ車が日本で売れないのは、日本の規制が厳しいからだなどとほざいたらしいが、そもそも品質が違うから売れないのだ。
右ハンドルの国へ左ハンドルのまま輸出してくるような、コスト最優先、客のニーズや満足は二の次三の次で、どうして売れると思えるのか?
日本の官僚や政治家どもは、その辺をビシっと言ってやればよかったのに。

日本は労働時間当たりの生産性が悪いと言われる。
だから長時間労働が日常茶飯事なのだと批判される。
だが逆に考えれば、とことんまで品質を高める、一切の手抜きや妥協を許さない。
だから1つの製品を作るのに、他の国の人間の倍以上の時間が掛かるとも考えられないだろうか?

コンデンサという、非常に単純な構造の部品でさえ、日本製と他国製では圧倒的な差が付く。
それらの積み重ねが、日本車がアメ車に勝る理由でもある。
それが分からない無能っぷりを、日本のありもしない規制のせいにするとか、どんだけ自己中なのかw

同じ予算で同じ製品を日本人と外国人に作らせたら、確実に倍の時間を働いてでも「そこまでしなくてよい」というレベルの品質のものを作るのが日本人だ。
この程度の予算なら、このレベルで十分だろうと勝手に判断し、手を抜き少しでも早く作業が終わる事を優先する。
そんな賃金でそんなに長時間働くなんて、馬鹿じゃね?と笑い見下すのが欧米人。
しかしその結果、日本製品に市場のシェアを奪われ、あろうことかそれを何かインチキしてるに違いないと言う。
君らの怠慢が原因です。
できるだけ楽をして金を沢山稼ごうという、日本では忌み嫌われる価値観が原因なんですよ。
いくら有能な社員を高給で雇って対抗しようとしても、その半分のコストで日本はそれ以上の品質の製品を作るでしょう。

日本人が人類の中でも特に器用だとか有能なわけじゃないのです。
ただ病的なまでに拘る民族性があるだけなのです。

もし日本製品に勝ちたいのであれば、日本にてめーらの製品を押し売りするのではなく、日本人に「できるだけ楽をして沢山金を稼ごう」という怠慢な価値観を植えつければ良いのです。
世界中にてめーらの価値観を押し付け、洗脳してきたようにね。

ちなみにこれを実践している国内企業の代表が、ソフトバンクですw
あれほど顧客の評判が悪い事で有名なのに、他の日本企業より遥かに儲けて、成長して大企業になった。
コスト最優先の経営だからです。
お客様のためなんてこれっぽっちも思ってないし、やる気もないからです。
契約取っちまえば、売っちまえばこっちのもんだからです。
だから他の日本企業が、それはさすがに客に失礼だろって所までコストを削り、品質を落とせるのです。
つまり「安かろう悪かろう」の典型ですね。

欧米企業はそれでも、訴訟王国なのでこれ以上削ったら訴えられて裁判で負けてかえって損害を被るという限界点があります。
しかしソフトバンクや中国・韓国企業にはそれが無いんですよw
日本は欧米のような訴訟王国ではありませんので、実際にそういう経営をすれば欧米より限界点は低くできます。
中国や韓国はそもそも法律を守るって概念が、育ちや貧富に関係なく、ほぼ全ての人間に無いですからねw
それこそ段ボール肉まんでも、プラスチックが混じった米でも、何でもやりますよねw

私は日本人は確かに働きすぎだと思います。
しかし世界中が日本と正反対ともいえる、労働の価値観をもっている以上、そうしないと生き残れないのです。
だから世界にあわせて日本人も、もっとてきとーに仕事しよーよ。
時間内に品質落としてでも終わらせようよ。
とはなってほしくありません。
トヨタが改善という理念を世界に広げているように、いかに賃金が安くても、いかに時間が掛かっても、受けた仕事は最高の品質で仕上げるべきという日本人の価値観や美徳を、もっと世界に広めるべきだと思います。
そうすれば、時間当たりの生産性や労働時間は日本並みに落ちるはずです。
相対的に日本人の労働時間は短くなるのですw

労働時間を減らすために、人員を増やしたり給与を上げてご機嫌を取ったりするでしょう。
それにより人件費という、コストのなかで一番大きな割合を占める部分が増えるので、おのずと売る製品やサービスにもそれが上乗せされ、高くなっていきます。
そうすれば、日本は無理して長時間のサービス残業をしなくても、十分売れるレベルの値段設定を行えるようになります。
今まで100円じゃないと売れなかった商品が、1000円で売れるようになれば、従業員の給料を上げるなり、人員を増やすなりもできるわけで、労働時間も短くなるでしょうから。

そもそも日本は言われるほど、経営者は高給ではないです。
欧米に比べてればですけどね。
日産の社長に欧米人であるカルロス・ゴーン氏が就任した時に、その報酬の高さが批判されましたが、あれが欧米では当たり前なんです。
逆に言えば日本は大企業の社長といえど、何億・何十億なんて年収は貰ってないって事なんですよ。
自分の才能を売り物にして食べている、スポーツ選手や漫画家や芸能人や、あるいは企業でも創業者なんかは別ですけどね。
経営者からしてこうなのですから、労働者の給料が時間換算して欧米並みになんてなるわけがないんです。
資本主義でありながら、世界でもっとも共産主義的な社会なのです、日本は。

日本人はお金に対して、良い印象を持ちません。
お金というのは、基本的に「悪」だと考えます。
欧米人にっとては、お金は「善」であり「全」です。
その辺の価値観や文化の違いも影響しているのでしょうね。

俺はこんなにお金を貰えるような人間じゃない、そんなに仕事してないと考えるのが日本人。
俺はこんだけすごいんだから、これぐらい貰うのは当然、ってゆーか足りねーよwwwってのが欧米人。
だから同じ給料でも、欧米人より仕事をしてしまう。
結果として、高品質な製品が、高品質なサービスがどんどん生まれてしまった、値段の割りに。
これが今の日本を欧米人にすげーと言わせてるカラクリです。

日本みたいになろう、日本製に勝てる品質のものを作ろうとしたら、まず価値観を変えなければ一生かかっても無理です。
お金が全て、お金が人間の価値を表すなんて思ってるようじゃ、無理ですおって話です。

精霊の守人の宣伝番組www

のようなものをNHKでやってますね。

こんなにすごいCG技術使ってます、こんなにすごい音響効果を作ってますと、自画自賛で気持ち悪いですw
本場のハリウッドが見たら、鼻で笑うでしょう。
下手な映画や特撮よりも、手間と金が掛かっているであろう事はわかりましたし、それはそれですごいとは思います。
ただ、それら豊富な資金はてめーの努力で稼いだものではなく、半強制的に日本人から巻き上げたものであるという事実も、お忘れなきよう。

日本はアニメや漫画と並んで、特撮ものといわれるものも、海外では人気です。
いわゆる仮面ライダーとかウルトラマンとかですね。
戦隊ヒーローものもそうです。
これらはヤクザNHKと違い、非常に低予算しかありません。
にも関わらず、海外でも人気が出るほどの作品を作り続けてきました。
子供向けなので、子供だましのような技術でも通用した。
とNHKのスタッフは笑うかも知れません。
しかし、私はこの限られた予算で工夫の限りを尽くして作った、本当の魂の篭った作品だからこそ、長年愛され続けられる、本物の名作になったのだと思いますね。

さて、精霊の守人は決して詰まらない物語ではありませんし、大金を注ぎ込んで作っているので、見た目も悪くはありません。
東洋版のファンタジー、指輪物語やハリーポッターと言っても良いでしょう。
普段はアニメだのラノベだの馬鹿にしたり、何か事件があるとすぐ規制すべきだと言うような連中が、これを作り、おもしろーいってみてるのかと思うと、笑えますがw
つまり、作品としては十分鑑賞に値する、駄作ではないが、特に新しいわけでもない。
既存の技術や、アニメや漫画でとっくにあったようなストーリーや背景や舞台設定の組み合わせにすぎない。

アニメや漫画にありそうな物語を、金の力で、ものすごくリアルに実写化したようなものです。

何度も言いますが、作品をけなしているわけではありません。
俺らすげーだろってNHKの態度を笑っているだけです。

公共放送を名乗りながら、偏向や捏造を繰り返し、税金のごとく強制徴収で得た金を、てめーらの自己満足のためだけに使う。
そもそも税金というのは、一部なりとも払った人に還元されているんですよ。
払った国民のために使われているのですよ、全てとは言いませんが。
あんたらNHKはどうなのよ?
すんげー黒字でしたわーい、でも受信料は下げませんw
そればかりか、ネットからも徴収しようかなーと思ってます。
今回の黒字はその工作資金として使うので、おめーらに還元はしませんw
そう言っているクズの集まりがNHKです。

公務員は給料高すぎだ、政治家はお金貰いすぎだ、税金なんだぞ、わかってんのか?
と言って置きながら、てめーらは税金のごとく徴収した金で高給生活。
というかNHKには税金も投入されてますからね。

NHKが社会の役に立ったところなんて、豊富な資金で民放が買えないような最新機材をどんどん購入し、それによって映像機器メーカーが儲かって、世界最先端の放送機材を次々と開発し、世界中に売り込み、シェアを独占する事になった。
つまりソニーとかパナソニックとか、その他のAV機器メーカー、プロ用の放送機材を作る電機メーカーですね。
そういう世界的な企業になった日本の電機メーカーの躍進には、一役も二役もかってるのがNHKです。
NHKが無かったら、世界の放送機材をこれほど日本メーカーが独占するまでにはなれなかったでしょう。
開発スピードももっと遅かったでしょうし、、最新技術を使った製品の低価格化も実現できなかったでしょうからね。
買ってくれる人が居なければ。

つまりそれだけです。
世界ではこんなに貧困に苦しんでる人が居ます、日本にはこんなに貧乏な子供が居ます。
と言っておきながら、てめーらは貴族生活をしている。
これは大手新聞社などにも言える事ですがね。
黒柳徹子がネットで人気なのは、自らも身銭を切って貧しい人のために寄付をしたり働いたりしているからです。

NHKに一番足りないもの、それは「謙虚」さです。
日本らしさ、日本人らしさです。
そういうものがあれば、今回のような気持ち悪い自画自賛の宣伝番組なんぞ作ろうって話すら出てこないでしょうし、そもそもそんな金と最新技術をふんだんに使ったファンタジーなんぞ作らなかったでしょう。

お金だの名誉だの地位だのってのは墓までは持っていけませんし、ボケたり寝たきりになったら何の意味もありません。
介護の仕事をした事のある私は、現役時代はそれはそれは有名な大学教授であらせられた方のオムツ交換もした事があります。
その方が現役時代にどんなにすごい権勢を誇ったか知りませんが、自分の孫よりも若い、学も無い人間に下の世話をされ、オムツ交換中にしょんべん漏らして、嫌な顔をされる。
半分ボケていても、それが屈辱的な事である事は認識できるらしく、なにか悔しそうな情けなさそうな表情で涙を堪えている顔を今でも忘れません。
そういう風になりたくなかったら、もっと生き方を考えた方がいいですよって話です。
昨日までピンピンしてたのに、今朝突然眠るように死んでいた。
そういう理想的な死に方ができる人は、生前の行いもやはりそれ相応なんですよ。
まずマスゴミ、メディア関係者は無理でしょうねw

必要最低限の稼ぎと、必要最低限の地位や才能、それに満足し、ごく平凡な一生送る。
全世界の全人類がこれを実践すれば、格差も戦争もなくなりますよ?w

しょうがないの精神

休日の14時~16時ぐらいとか、よくいかにも「良い話」「考えさせられる話」のドキュメンタリーとかテレビはやります。
その中でさきほど見た韓国在住の「日本人妻」の話がありました。
もちろん、戦前に韓国人の妻となり戦後はもちろん朝鮮戦争時もそこでがんばって、いまなお生き続けている方です。
102歳だそうです。

この方の話や生き方の根底に流れているのは「しょうがない」の精神だと思います。
中国で事業を起こして成功した孫の一人が「苦しいことやつらいことを、そのまま受け入れる。あたらしい環境を嫌うのではなく、適応していくという精神は祖母から受け継いだと思います」と話していましたが、まさにこれが「しょうがない」の精神です。
日本人と結婚したアメリカ人だかカナダ人だかの女性Youtuberとかも、この「しょうがない」の精神について語っていたことがありますが、どうやら日本人独特のもののようです。
英語には「しょうがない」に該当する単語が無いそうです。
もちろん英語が日本語より劣っているわけではありません。
文化や歴史の違いにより、日本語に該当する単語がない英語も沢山あるわけですから。

日本に自らの意思でやってきた、あるいは祖国に帰らずに留まる事を選んだ「在日」と言われる連中と、ドキュメンタリーで見た「在韓日本人妻」の一番の違いも「しょうがない」の精神があるかないかです。
在日にはそれがない。
というか韓国人にはそれがない。
いや、世界中でそういった精神があるのは日本人だけかもしれない。
だからこそ、在日は日本人と未だに軋轢があり、問題を起こす。
世界中で争いが絶えない。
テロだの紛争だの戦争だのが無くならない。

戦前にアメリカ大陸に渡った日本人移民は、いまや現地で国の重要な地位を占めるまで出世しています。
商売や政治など様々な分野で成功している人も多く居ます。
これは在日のように、不平・不満を言い続け、てめーの主義・主張を押し通した結果ではありません。
そういう事をしなかった結果です。
差別や日本との文化の違いなど、苦労やつらい事は沢山あったはずですが、それらをすべて「しょうがない」で受け入れた結果です。
同様にこのドキュメンタリーの「日本人妻」が、反日感情の強い韓国で102歳になるまで生きて来られたのも、「しょうがない」の精神があったからです。

「しょうがない」というのは、「諦める」事とはまた少し違うと思います。
もっとこう、肯定的な「諦め」とも言いましょうか、「諦めた」ように見えて「諦めてない」と言いましょうか。
ドキュメンタリーで愚かなスタッフが、「韓国人に生まれていたら良かったのにと思った事はありますか」とこの「日本人妻」に聞いてましたが、「そんな事は一度も思った事がない、ありえない、なぜそんな事を聞くのか?」と逆ギレとも思える反論をされていましたw
「私はずっと日本人としての気概を持って生きてきた」ともおっしゃっていました。
つまり、「日本人」である事を「諦めて」いないわけです。
ただでさえ祖国よりも生き難い反日国家韓国で、それらを全て受け入れてなお「日本人」である事の誇りを捨てたわけではないと。
郷に入りては郷に従え とでも言いましょうか。

在日の方々も「韓国人」や「朝鮮人」である事を一向に止めようとしません。
通名などという偽名まで使って、むしろ隠して生きています。
そこにはこの102歳の在韓日本人妻のお婆さんのような、気高い民族の誇りなどというものは全くありませんね。
戦前日本にひどい事をされた(と本人たちが言ってる)韓国人だから、朝鮮人だから、優遇しやがれ。
お前らが俺らに合わせろ、譲歩しろ、謝罪しろ、金よこせ。
1世が言うならまだ気持ちも理解できないわけじゃないですが、2世・3世も同じ事を言うw

しょうがないの精神が無いからです。
もう戦後70年も経ったし、日本は謝罪も賠償も十分にしてきているのに、いつまでもグダグダ言っててもしょうがないじゃないか。
そういう思考の転換や現実の受け入れができないのです。
別に韓国人・朝鮮人が劣っていると言っているわけではありません。
戦勝国側だった欧米人ですら、未だにそうです。
てめーらが被害を受けたわけでもないのに、日本は悪い国だった、謝罪賠償は当然。
正義は我らにあった。
連合国は酷い事は何もしてないが、ドイツや日本は世界に対して酷い事を沢山した。
こう本気で思ってる愚か者のなんと多い事か。

人の力ではどうしようもない事、それに拘っていたら何も先に進めない事、そういうものを受け入れる時に自分を納得させる文句が「しょうがない」です。
「仕方ない」という言葉もありますかね。

ただこの「しょうがない」は正しく使われないと、滅びます。
「もう生きていてもしょうがない」と言って自殺する人が日本には多いですが、その為です。
「しょうがない」はあくまで肯定的に現実を受け入れる事に使うものです。
納得しきれてない、どうしても嫌だと思う事に抵抗するのを、疲れたから諦めるという後ろ向きの感情で使うべきではありません。
「しょうがない」は生き延びるために使うものなのです。
無用な争いやマイナスの感情を避けて、前に進むために使うのです。
本来は自殺の言い訳に使うものではないのです。

アフリカの方が日本の「もったいない」の精神を世界へ広げようと運動して、有名になったことがありましたが、同様に「しょうがない」の精神も、もっと世界に広めるべきと思います。
日本はアメリカに原爆を2発も落とされて、なんで誰もアメリカに謝罪や賠償を求めないの?
なんでそんな憎きアメリカなんかのポチやってんの?
と不思議に思う欧米人は少なくないようですが、それもすべて「しょうがない」の一言で説明がつきます。
今更そんな事を言って、日本になんの利があるのか?
むしろ害しか無い。
そもそも現代を生きる日本人の多くは、戦後生まれであり、自分達自身は戦争で直接的な被害は何も受けてないわけです。
そんな70年も前の事をグダグダ言っても「しょうがない」じゃないか。
そう説明しても、たぶん理解できないでしょうが、まさにこの「しょうがない」精神が、そうさせているのです。
だからこそ、日本はアメリカの支援を、過去の恨みだの屈辱だの全てを捨てて全面的に受け入れて復興を果たせたわけです。
最大の貿易相手として、手本にすべき最も進んだ国として、アメリカを受け入れた事が日本を敗戦国でありながら、世界第二位の経済大国にまでしたのです。
あの戦争はナチスが、ヒットラー一人が悪かった、俺らはむしろ被害者であるという理屈で復興したドイツとの違いです。
だからドイツは、いままたEUの中心となって移民・難民を「無条件」に「無制限」に受け入れるという愚かな方針で、ヨーロッパに「迷惑をかける」という第二次大戦と同じ事をしているのです。

別にドイツを嫌ってるわけでも、勝ち組を気取って叩いているわけではありません。
ドイツが世界大戦を起こした背景も、日本と非常に似通っており、そうせざるをえない状況に追い込まれたからです。
私はナチス・ドイツやヒットラーが人類史上で最も極悪非道だったなどとは思っておりません。
そもそも、日本語やドイツ語を母国語とする国は日本やドイツという当事国だけです。
ドイツ語の場合はスイスやオーストリアなど、歴史的にも距離的にもドイツに近い周辺諸国でも使われますけどね。
対して英語やポルトガル語やスペイン語は、距離的にも遠く、歴史的にも何の共通点もない多くの国で使われています。
これこそが、欧米が人類史上でどんだけ極悪非道だったかの証拠です。

ただそんな事を今更言っても「しょうがない」ので、日本はあえてそれを言わないだけです。
「お前らは過去に極悪非道国家だった」といわれても、「はいはい、そうですね」と流せる理由です。

人が人として生きていく上で、絶対に譲れないもの、捨てられないものというのは、あるでしょう。
しかし良く考えれば、それって本当に必要なの?というものもあるのです。

日本は地震は多いし台風も毎年来るし、火山が噴火する事だってある。
そんな地域に長年住み続けるには、いちいちそれらに対して憎んだり悲しんだり神を呪ったりしても、何も変わらないし始まらないわけですよ。
だから「しょうがない」が生まれたのです。

もういっそ、「しょうがない」教でも作って、世界に広めてもいいぐらいですw
何もかも諦めるためではありません。
受け入れるべきは受け入れ、それを「しょうがない」で済ませる事で、前に進めるならそうすべきという考え。
もっと広めましょうw

日馬富士 暴行事件に関するマスゴミの不可解な報道

この事件、一番悪いのは横綱 日馬富士関です。
しかしながら、なぜかそちらよりも被害者側の貴乃花親方の姿勢への批判とも報道ばかりが目立ちます。
なんなんでしょうかねこれ?

日本相撲協会だの加害者側の伊勢ヶ濱部屋だのからの圧力か、マスゴミとの癒着でもあるんじゃないかと疑いたくなりますねw
むしろこういうのが分かってたから、警察という公権力に訴えて不当に揉み消されないようにした、貴乃花親方の自衛行動が、悪代官と越後屋である、相撲協会やマスゴミから不可解な行動に映ってるだけ、不都合なだけじゃないかとw

だいたいマスゴミ連中は偉そうに正義の味方なのか、真実を明らかにする探偵なのかを気取って、連日ワイドショーでもやってますけどね、君ら他人に偉そうに言える立場ですかと。
つい先日も、朝日新聞の記者が盗撮で捕まったり、毎日新聞の元局長が他人のキャッシュカードで不正に現金を下ろしたとかで、詐欺だか窃盗だかで捕まってます。
それはスルーですか?w
もう1年も2年も前の出来事だとか言うならまだ分かりますが、数日・数週間前の事件ですよw
どんだけ恥知らずなんでしょうかw

そんなマスゴミへの反発や不信感もあり、私は今回の一連の報道やマスゴミの姿勢に疑問を感じざるをえません。
馬鹿な主婦や年配者は、これで「貴乃花親方おかしい」と洗脳されてしまうのでしょうが、私はむしろ「貴乃花親方こそが、巨悪にたった一人で立ち向かう正義の味方」であると思ってますw

ちなみに私は別に貴乃花のファンではありません。
現役時代もどちらかと言えば、お兄ちゃんの若乃花のファンでした。
貴乃花は確かにめちゃくちゃ強かったですが、融通が利かないというか、悪く言えば自己中心的というか、ともかくあまり好きになれる性格じゃなかったので。
ですが、今回の事では貴乃花親方を全力で応援しますし、信用します。

あるいはマスゴミとの癒着などないし、圧力もないかもしれません。
単に反日勢力であるマスゴミにとっては、被害者は常に日本人であってはならないし、加害者は常に日本人でなければならない
そういう下らない思想・信条的なものが働いた結果、貴乃花親方を一番の悪者に仕立て上げるという統一した動きが出来たとも見えます。

普段はマスゴミは~などと言っているネット民の多くも、それに乗せられている。
まったくもって、馬鹿な連中です。
昭和の時代じゃないんですから、もっとニュースというのは違った視点や観点や立場からも見るべきです。
マスゴミの言うことを100%信じる、鵜呑みにするなど、愚かな真似をすべきではないと思います。

移民・難民政策について

いま欧米で深刻な社会問題になっている、移民・難民問題。

これによって、欧米では移民受け入れ派と排除派が対立していますね。

私は移民受け容れ派にも排除派にも賛同できません。
なぜなら、両者とも考え方が極端すぎるからです。

まず受け容れ派の問題点は、全てを受け入れなければならないとしているところでしょうか。
受け入れ先の国の文化はもちろん、法律すら尊重する気が無い人間まで含めて受け入れるのは、間違いでしょう。
だから犯罪が増えるのです。
そして排除派。
全てを排除すれば問題は解決するでしょうが、それはあまりに横暴すぎるでしょう。
受け入れ先の国の法律も文化も尊重する、その国の言語や習慣を学び、それに合わせる努力をする、母国の国籍を捨てて受け入れ先の国の国籍を取得し、その国の平和と発展のために働く決意のある人まで、排除すべきではないでしょう。
特に日本のように、労働人口の減少に悩む国であればなお更です。

そもそも人間は、遺伝的により遠い存在と結婚した方が、より優れた子孫が生まれるというのがあります。
優れたというのは、別にイケメン・美女とか天才とか驚異的な身体能力とか、そういう表面的な事を言ってるわけじゃありません。
科学的にも言われているのは、病気に強くなる事などが挙げられます。
人類が農作物に行ってきた品種改良も、もともとは環境への適応能力を高めたり、病気に強くなったりさせるためですよね?
お米って、東北などの寒い地域でないと作れないように日本では誤解されがちですが、もともと米は熱い地方の植物です。
それを品種改良により、寒冷地でも育つようにして、それがいつの間にか日本では常識になってしまっただけです。

まぁ人類の品種改良なんてのは、倫理的にもどうかと思うのでそれを目的に移民・難民の受け入れとかはすべきでないと思いますが、利点のひとつとしては挙げても良いでしょう。

今、日本も含めて世界がすべき移民・難民対策というのは、「条件付で受け入れる」事だと思います。
犯罪者やその予備軍、その国の文化や価値観を破壊する、破壊しないまでも受け入れる気も合わせる気もないような人間は排除し、その国の国民として生き、その国に骨を埋める覚悟のある人間だけを受け入れるという事です。
もちろん、その国が好きで移住してきたけど、母国の国籍や価値観は捨てる気が無い。
最低限、法律は守るけれどもそれ以外は自由にさせて欲しい。
そういう人でも来るなとは言いません。
ただその国の国民と同じような待遇を求めるのは間違いです。
あくまで、お客さんか居候として生きるのであれば、どうぞお好きにいらして下さいという感じです。

移住先の国民と同じ待遇を求めるのであれば、移住先の国民になるべきなのです。
それ以外の「わがまま」は一切聞く必要もないし、断固として跳ね除けるべきです。
そうしないと、「クリミア」のようになってしまいますからね。

日本に関して言えば、問題となっている在日について、最低限の生命と財産の保障はしますが、それも日本の法律を守った場合のみです。
自分たちの価値観に合わせろだの、ましてや優遇しろなんて言語道断であり、受け入れる義務はありません。
リベラルと言われる人達は、そこがわかっておらず、あるいは分かっていてわざとやっているのかも知れませんが、だから支持されないのです。
日本人と同じ待遇を求めるなら、日本の法律はもちろん文化も尊重し、それに合わせる努力をし、祖国の国籍を捨てて日本国籍を取得して、日本人になるべきです、書類上だけでなく中身も含めてね。
そのうえで、日本に生まれ育ってない、肌や髪や目の色が違う、大和民族ではないなどの理由で平等な扱いを受けられないのであれば、その時にはじめて差別だと訴えるべきです。
そういう差別に関しては、厳しく対処すべきでしょう。

日本は少子高齢化を簡単に解決する手段として、移民受け入れを言っているにすぎません。
それでは欧米と同じように、犯罪の増加や軋轢を生むだけです。
日本の法律を遵守するのはもちろんですが、日本の文化を尊重し、学び、それに合わせられる人、母国の国籍を捨てて日本国籍を取得し、日本人として生き、そして死ぬ覚悟がある人。
そういう人のみを、日本人として受け入れ、それ以外の人はあくまでお客さんか居候の待遇しか認めない。
そういう規定を、法律を作るべきでしょう。
日本人になる覚悟がある人へは、日本人に必要な日本語や日本の文化や価値観を学ぶのに必要な手助けを、税金で行って頂いても構いません、というかむしろそうすべきでしょう。
日本人として生活できるまで、多少面倒を見るのも許容しましょう。
ですが、無条件にそのようなサポートをするのは反対です。
在日も、あくまでお客さんか居候として生活していくなら、日本に住み続けて頂いても構いませんよ。
でも日本人と同じ、あるいはそれ以上の待遇を要求するとか、ましてや犯罪をおかすとか、そういう輩は国外追放すべきです。
在日でも、日本の法律・文化を尊重してそれに合わせて、母国の国籍を完全に捨てて日本国籍を取得し、日本人として生きて死ぬ事を望む人間であれば、元在日だからと差別すべきではありません。
日本人として同等の扱いをすべきです。

これはいわゆる、日本的な「妥協」でもあるんですよ。
これができるのは、日本以外にあり得ないのです。
日本が世界に先駆けて、このような移民・難民受け入れ制度を作って実施し、結果を残す事で成功例のモデルとなり、世界が同じような制度や認識を持てば、争いはなくなります。
どちらか一方の主張を100%通そうとするから、争いが無くならないのです。
もちろん、侵略行為のようなものには「譲歩」や「妥協」など一切する必要はありません。
心の底から「仲間になりたそうに、こちらを見ている」人を、戦力にならんからと排除するような事は、ゲームじゃないんですからすべきでないと言う事ですw
一緒になって敵と命がけで戦ってくれるなら、元はモンスターであっても差別せず、プレイヤーの仲間として受け入れる。
こういえば分かりやすいでしょうかね?w

リベラルは自分たちの主義・主張に賛同しない者を差別主義者などと呼びますが、私から言わせればリベラルも差別主義者ですよ。
民族主義者、血が穢れるとか前時代的な価値観を持った人は差別主義者でしょうが、無条件になんでもかんでも受け入れて、問題が発生しても知らん振りして、受け入れろばかり言い続けるリベラルも同じ差別主義者だと言う事です。
多数派に対する差別主義です。

そもそも人間というのは、同じ国の同じ民族であっても、家族であっても価値観が異なる事は珍しくないし、当たり前であり、それゆえにみながどこかで何かを我慢しながら生きているわけです。
この世に、一切の我慢をしないで生きている人など居ないのです。
てめーばかりが我慢を強いられていると思うなど、単なるわがままです、自己中です。
移民受け入れ派も排除派も、感情論ではなく、もっと理性的に問題の根本をよく見て、理性的な解決策を考えるべきです。
そうすれば、世の中から戦争やテロも無くなるでしょう。

グランブルー・ファンタジー(グラブル) スキルの使い順について

グラブルのスキルには様々な種類がありますが、使えるものから何も考えずにどんどん使うより、きちんと考えて使った方が良いという話です。

スキルの使い順は基本的に
バフ→デバフ→攻撃スキル→回復スキル
の順が私は一番良いと思います。
ただこれはあくまでソロ戦闘の時です。

マルチバトルなどは、特に無課金だとロクに攻撃できないまま終わってしまい、報酬がショボい事も珍しくないでしょう。
こういったマルチバトルでは、スキルの使い順を考えて、少しでも貢献度を稼ぎ、報酬や経験値を多く貰いたいものです。
なのでマルチバトルの場合は、デバフ→攻撃スキル→バフ→回復スキルの順が良いと思います。
デバフはダメージこそ与えられませんが、入る貢献値が高いです。
こうして可能な限り敵を弱体化して貢献度を稼ぎつつ次の攻撃スキルの与ダメージを少しでも増やす。
これが賢いやり方でしょう。
まぁ無課金のショボイ戦力では、それでも違いは僅かなんですがねw

また、アサルトタイムなどマルチバトルの参戦時に最初から、奥義ゲージ100%ボーナスが付く場合などは、スキルも召還もせずに、いきなり通常攻撃=奥義攻撃&4連チェインバーストをした方が、稼げる場合も多いです。
下手にデバフやバフを入れて、少しでも与ダメを上げようとすると、それだけで戦闘が終わってしまう事も多いからですw

・デバフ 敵の能力を下げるスキル
敵の攻撃力・防御力・属性攻撃力・防御力のダウンや連撃確率ダウンなどの他に毒や麻痺や魅了などもデバフです。
・バフ 自分又は味方の能力を上げるスキル
反撃やバリア系、状態異常耐性アップor無効もバフの一種です。

不幸は魂の修行のためとか言っちゃう人達へ

宗教家や自称霊能者などの人達で、よく不幸だの困難だの障害だのってのは、魂の修行のためだとか、神が与えた試練だとか言う人が多い。

まったく的外れですw

まず「修行」というのは、自らが望み自らの意思で「修行」というのを認識した状態で行うものです。
本人に自覚のないものは、「修行」とは言えません。
前世の報いだとか、人は生まれてくる時に、望んでその環境に生まれる、修行のために。
それらは、本人にその認識があって初めて成り立つ事です。

じゃあ何なんだよ?

今まで散々述べてきたように、我々の魂は、単なる映画やアドベンチャーゲームを実際に物語やゲームの中に入り込んで、よりリアルに人生物語を「体験」しているだけです。
ホラー映画好きとか居るように、不幸な人生も辛い出来事も「修行」などという高尚な目的ではなく、単にそれを「体験」してみたいという「好奇心」です。
「自ら望んで」が正しいとしたら、そういう理由でしょう。
あるいは「この人生は困難が多い」と分からないまま、選択してしまった事もありえます。
怖い話だと知らないで見てしまった、ウツになる物語だと知らないで読んでしまったなんてこと、リアルでもありますよね?
そもそも、予備知識がまったく無い状態で見たり遊んだりする映画やゲームの方が、より楽しめます。
予告編やCMで使われている場面が、その物語で最高に面白い・怖い・悲しい場面だったために、期待して見に行ったのにぜんぜん面白くなかったなんて事も、リアルではよくある事ですよね?
だから、人は生まれる時に前世の記憶だの、生まれる前の魂だった状態の記憶だのを失うのです。
予備知識無しに、より楽しめるように。

ただリアルの映画やゲームと違い、怖いものが苦手なのに見てしまったとか、クソゲーなのにやってしまったと後悔しても、途中で止める事ができないのが、人生物語です。
なので、最後まで見続けなければならない、ゲームオーバーになるまでやり続けなければならない、その苦痛を和らげるあるいはモチベーションを保つために、「魂の修行」だとか「神の与えたもうた試練」と言っているのであれば、理解はできます。
それを分かって言ってるのであれば、賛同します。

ホラー映画と知らずに見てしまったとしても、それは自己責任ですw
怖かったり悲しかったり辛かったりする物語でも、それが「永遠」に続くわけではなく、必ず終わりがあります。
「終わり」というのは、人生物語の主人公である自分が「死」んだ時です。
それがたとえ、どんなに幸福な物語でも、どんなに不幸な物語でも、等しく平等に「死」というエンディングを迎えます。

もしこんな人生は二度とごめんだと思うのなら、それは死の間際に強く思うべきです。
そうすれば、その強い思いが魂に残って、次回は比較的楽な物語、あるいは幸福な物語を選ぶようになれるかも知れませんw

まぁもっと気楽に生きましょうやという話です。

グランブルー・ファンタジー(グラブル) タブった武器・召還石の使い道

グラブルの武器・召還石の容量が満杯になるのが早くなりました。

課金石を使えば、倉庫というのを買って別の保管場所を確保できますが、300=課金ガチャ1回分を消費しなければならないので、完全無課金でやってると、なるべく買いたくありません。

同じようなハマりに嵌らないために、必要なものだけが残る、余った武器・召還石の使い方などを。

基本方針
武器も召還石も、最終的には全属性PTでSSRが揃います、完全無課金でも。
3凸(最大まで上限開放)し終わった武器や召還石はSSRならタブっても残すべきです。
SR以下の武器・召還石は全て強化の材料や分解に使うと考えておいて下さい。

例外
SR武器「朽ち果てた~」シリーズ→バハムート武器の作成・強化、十天衆武器の強化に必要なので、合成素材の材料に使わないように3凸まで上限アップさせつつ、保管しておきましょう。
+1付き→最大上限までアップし、なおかつLvも最大値にまで上げた武器・召還石・キャラクターは、+値を付ける事で更に性能をアップさせる事ができます。
これは材料にする武器・召還石に+1が付いて無いと上げられませんので、+1付きはそういう場合にのみ使いましょう。
なお、キャラクターの+値は、上げてもあまり強くならないとの事で、SSR召還石や武器の中でも特に使えるもの・強いものに対して優先的に使って+99を目指しましょう。
デビルエレメント・プチデビルエレメント→武器スキル上げの素材として非常に優秀ですので、それ以外の合成に使わないように気をつけましょう。
なお使用の際はデビルエレメントLv1をプチデビルエレメント×2を使って、あらかじめスキルレベルを2に上げてから使うと、ちょっとだけスキルレベルアップ確率が増えるそうです。

「おすすめ選択」ボタンの設定について
武器強化→同一武器種・ボーナス無し・スキル無し・Lv1 エンジェル系の設定にしておく
召還石強化→同一属性・ボーナス無し・Lv1 レア以下の設定にしておく
キャラ強化→同一属性・ボーナス無し・スキル無し・Lv1 レア以下の設定にしておく


武器
Nランク→全て騎空艇の強化材料にします。
Rランク→武器スキル付のものは武器スキルレベル上げの材料に、スキル無しのものはキャラクターレベル上げの材料にします。
なおキャラクターレベル上げに使う際は、おすすめ選択ボタンの設定の「同じ属性」のチェックを入れておき、属性ごとに消化した方が、多少ですがボーナスが付くのでお得です。
SRランク→SSR武器で装備欄を埋められるようになるまでは、攻撃力アップの武器スキル付のもののみ、保護や装備するなどして取っておいて構いませんが、他は全て武器スキル上げの材料にしてしまいましょう。
武器スキルLv1→Lv2でSR武器2個で100%合成成功になります(ただしバハムート武器は除く)。
Lv2→Lv3はSR武器4個という具合に、以降は必要数が倍に増えていきますので、取りあえずは攻撃がアップするスキルの付いたSSR武器から優先的にLv1→Lv2にしていき、それが済んだらその他のスキルのSSR武器をLv1→Lv2にしていきましょう。

召還石
Nランク→受け取り設定で問答無用で売却でも良いかも知れません。ただしたった2ルピですが・・・
Rランク→SSRの同属性のレベル上げの材料
SRランク→分解して素材を取り出す。ただし分解費用が高いので注意。

なおエンジェル武器・召還石は全て光属性です。
同属性材料使用によるボーナスがある強化に使う場合は注意しましょう。
というか、闇属性のゴミ武器・召還石が無いので、光属性と闇属性のキャラ・召還石の強化に優先的に使う事になると思います。

以上です。

少女終末旅行にみる人類の終末観

今期のアニメの中に「少女終末旅行」というのがある。
最近流行のWeb漫画が原作のものらしい。
1話を見てみたが、なかなか面白そうでもあり、ウツになりそうでもある。

アニメを見ると、主人公である少女2人以外は登場しないので、人類は滅亡したように見えるが、ウィキで作品の紹介を見ると、原作の方では彼女ら以外に2人の「人間」と出会っているらしい。
まぁどちらにしろ、絶望的な世界には変わらないがw

さて、人類の未来を描いた作品というのは漫画にしろ小説にしろ映画にしろ、いろいろ存在する。
これらには大きく分けて2つある。

1つは人類は結局宇宙へ進出する事もできず、戦争や地球規模の自然災害などで地球上でゆるやかに滅亡していくというもの。
もう1つは、無限に広がる宇宙空間へ、ある程度自由に飛び出す事が可能なレベルまで科学を発展させる事に成功し、争いは絶えないものの、まだ当分の間は滅亡なんぞと無縁であるというもの。

有名なSF映画の「猿の惑星」や「マトリクス」、日本の人気漫画・アニメである「北斗の拳」などが前者だろうか。
後者は「ガンダム」シリーズや「銀河英雄伝説」や、あるいは「スター・ウォーズ」を未来の世界と考えれば当てはまるだろう。
なお「スター・ウォーズ」は設定的には遥か昔の話らしいが。

現代の人類の状況を見る限りでは、割と絶望的に描かれる未来の方が現実的に思える。
リアル嗜好の強い欧米の作品に、そういったものが多いのも人類が本能的に感じている、もっとも可能性の高い未来だからだろう。
対して、ものすごい科学技術の発展により、地球という狭い場所を離れ、宇宙を人類の生活の場とすることで、明るい未来像を示す作品は日本の方が多いように感じる。

いずれにせよ、どちらの未来が現実になっても、私は特に恐怖も絶望も、あるいは夢も希望もそれほど感じない。
というのは、今までオカルト的な話題で述べてきたように、不滅の魂を持ち、永遠に物語の世界に生きるのが、この世界の本当の姿、自己の本当の姿だと思っているからだ。
たとえ人類が滅亡しようとも、地球上の生命が全て全滅しようとも、あるいは地球や太陽が無くなってしまうような世界になろうとも、自己の本体である魂は永遠に存在し続けられるからだ。
つまり、死や終わりといった事に対する恐怖は現実的では無いと考えている。
私が恐怖するのは、むしろ「永遠」という言葉だ。

人類は不老不死を昔から求めてきたが、ではいざ不老不死になったらどうだろうと考えた時に、絶望しか感じないと思う。
漫画やアニメやゲームに登場する、不老不死の敵は読者やプレイヤーや主人公にとって絶望を与える一方で、不老不死の敵も、また自身に絶望している。
人気漫画であるジョジョに出てきた不老不死となった敵の大ボス(?)は、最後は無限の宇宙空間へ追放される事で人類の脅威から切り離されたが、無限の宇宙空間を永遠に彷徨うという事に絶望し、「考えるのを止めた」で終わっている。

つまり、我々が本当に恐怖を感じるのは、古来より多くの人間が求めてきた「不老不死」そのものにあるのではないかと。
死ぬことよりも、死ねないことの方が遥かに怖い、ということだ。
有限よりも無限の方が、はるかに怖い。

その本能的な恐怖が、終末思想や人類滅亡というバッドエンドの未来物語を多く作らせていると思う。
そういう予測をする事で、ワクチンのように恐怖をやわらげる、耐性をつけようとしているのではなく、永遠に存在し続けるという「恐怖」を避けるための、ハッピーエンドの物語なのだ。

もし本当に前世・現世・来世というものがあるなら、あるいは超古代文明のように、人類は今まで何度も滅びかけている、今の人類は第○世代の人類・文明であるという思想が的を射ているとしたら、生まれ変わる度にそれまでの記憶や経験や実績を失ってしまうのは、「永遠」を忘れるためではないかと。
「永遠」に耐えられなくなった存在が、仮初の「有限」の中に逃げ込んでいるだけなのではないかと。
そう考えると、なぜ生き物は死ぬために生まれるのか?という疑問も解決すると思う。
なぜ「前世」の記憶が無いのかも、説明がつく。
「無限」という「現実」を忘れるため、考えないようにするため、その恐怖から逃れるためだ。

少女終末旅行という、一見すると最初から絶望しかない物語に惹かれるのも、そういう理由かも知れない。

族議員

最近めっきり聞かなくなりましたね。
言い出したマスゴミが、全く言わなくなったからです。

「族議員」ってのは、簡単に言えば何かの「業界(利権)団体」と繋がってる国会議員の事です。
例えば日本医師会と繋がってる、医者出身だったり元厚労省の職員だったり製薬会社出身だったり、あるいは日本医師会から献金を貰ってたり、そういうことで医療改革などを行おうとすると、反対する「自民党」議員限定で使われてた言葉です。

加計学園問題はこの最近めっきり聞かなくなった「族議員」が関わっています。
かつてマスゴミが散々批判した「自民党」の国会議員ではありません。
そう、この問題を持ち出した張本人であり、元民進党(現希望の党)の「玉木雄一郎」です。
香川県獣医師会副会長の父を持ち、日本獣医師会から献金も受けているズブズブの「族議員」です。

加計学園問題は、ご存知のように日本獣医師会が学部新設に猛反対しています。
つまり、かつてマスゴミが散々批判した利権団体と族議員(それと省庁)による、改革への抵抗運動です。
これ、玉木が自民党議員だったら、マスゴミは確実に加計学園側についてます。
「族議員」だの「癒着」だの、これまでマスゴミが散々使ってきたキーワードを総動員して叩いたでしょう。

ですが、今のマスゴミはとにかく「安倍政権打倒」しか頭にありません。
そのためなら、かつて自分達が「民意の代弁」として行ってきた、改革の抵抗勢力たる「族議員」も、それと癒着している「利権団体」への批判は全て封印・・・するどころか寧ろそちらの言い分の方が正しいと主張する。

それでも本当に、違法行為があればまだ良いですが、これだけやっても検察の特捜部がピクリとも動きません。
かつて自民党の大物政治家であり、首相を何期も務めた実力者である田中角栄は、収賄の罪で有罪になった大きな事件がありました。
有名なロッキード事件です。
この事は、いくら政権与党を長年努めている自民党といえども、違法行為は握り潰せない事を証明しています。
つまり検察が動かない、野党やマスゴミが動かせないというのは、違法性が無いという事なんです。

こう言うと、「いや違法性の問題ではなく、政治倫理の問題だ!」と屁理屈をこねるのも居ますけどねw
失言だの漢字の読み間違いだの、そういう下らない事で、今まで辞任に追い込めた実績があるので、その手で行こうとしているのでしょう。
しかしそれすらも、「ではどこがどう問題なのですか?証拠はあるのですか?」と言われればだんまり。
挙句に「やましい事は何もないというなら、その証拠を出せ!」と言う始末w
いやいや証拠はあなた方、野党やマスゴミが出すのですよ。
捏造されたり、証拠にならないようなメモとかそういうのでなくてねw

だいたい、散々敵視していた「族議員」を、安倍を倒すためなら徹底的に援護する。
散々叩き続けた業界(利権)団体である、日本獣医師会の言い分ばかりを報道する。
どう見ても、あやしいのは玉木側なのに、そういった都合の悪い情報は一切報道せず、安倍は不正をしている(はず)と。

あのね、別に私は安倍首相の信者でもないし、全ての政策を支持しているわけでもない、もっと他にふさわしい政治家が、政党が居ればすぐにでもそちらを支持するつもりでいる「消極的支持者」ですけど、これでは安倍さんを擁護せざるをえないですよ。
だってあまりにも「おかしい」ですもん、野党やマスゴミのやってる事が。

そもそもね、文科省と日本獣医師会の意見がまったく一致して、しかも協力しているっておかしいですよ。
学部の新設を特区制度を使って文科省に申請した今治市の市長は、その申請を12回も却下されたそうです。
たぶんこれね、文科省と日本獣医師会のどちらか、あるいは両方に「根回し」という名の、まぁ「賄賂」ですね、贈ってればすんなり通ったと思いますね。
でもそれを良しとせず、あるいは単にそういう仕組みを知らなくて、正攻法で行ってしまった。
だから意地でも認めない。

江戸時代だったら、たぶん赤穂浪士の討ち入りみたいなので、文科省のトップなのか日本獣医師会のトップなのか、どちらかは暗殺されてたでしょうねw
だってまるっきり赤穂浪士の話そのものですもん。
中央の「しきたり」なんぞまったく知らない田舎の市長が、「挨拶が無かった」と言う理由で、意地悪され、申請を却下され続ける。
文科省と日本獣医師会が、悪代官と越後屋にしか見えませんw
中国の賄賂文化を批判できない、酷さですよ。

ねぇマスゴミさん、かつて散々叩いた自民党の「族議員」と玉木の違いって何なのですかね?
かつて「抵抗勢力」として散々批判した、「業界(利権)団体」と癒着した「族議員」にしか、玉木と日本獣医師会は見えないんですが、何がどう違うんですかね?
国民が納得しうる解説をして下さいよ、できないでしょうがねw

加計は認可が下りそうなので、クズどもは最終手段に出ました。
加計は韓国人留学生ばかりを受け入れる、日本の税金を使って外国人を教育する気だ、許せんとw
あのね、朝鮮学校に補助金あげないのは差別だとか散々批判してたの誰ですかね?
そもそも加計学園は、日本人の運営者や講師陣による、日本の文科省の方針に沿った教育をする学校ですよ?
教師も運営も全て北朝鮮人であり、日本の教育方針に沿わないどころか反するような事までしている朝鮮学校は、生徒が外国人だからって差別するな、補助金出せとか言っておいて、なんで韓国人留学生(の受け入れ予定が多いとされる)という同じ外国籍の人間を教育する学校は、税金の補助受けちゃだめなんですかね?

加計学園を批判するなら、朝鮮学校なんて解体すべきぐらいの事を言って叩かなければ、おかしいでしょw
マスゴミさん的には、韓国人が日本人を差別するのは全く問題ない、むしろ差別じゃないが、日本人が韓国人を差別するのは絶対に許さん、たとえそれが「氏ね」と加でなく、単に「嫌い」と言っただけでも差別だというのに、明らかに加計問題では韓国人差別してますよね?

自分達の主義・主張・・・というかもはや主義・主張とすら呼べない単なる感情的な暴論を押し通すためなら、今までの主義・主張も簡単に覆すし、今までの敵とも簡単に手を組むし、今までの味方も簡単に裏切る。
これでどうして信用して貰えると思うんですかね?
マスゴミだけでなく、その愉快な仲間達である野党のみなさんも同じですよ?

もうここまでくると、単なる「わがままなガキ」ですよ。
おもちゃを買って貰えなくて、地面に寝そべって手足をバタバタさせながら泣き喚いている、アレと同じですわ。

いい加減、大人になりませんか?

それと中央省庁と業界団体。
いい加減、天下りを完全に禁止して、繋がりを絶った方が良いですよ。
悪代官と越後屋をいつまで続けるんですか?
あんたら本当に日本のためや、業界の「健全な」発展のために働く気あんの?
金はいくら稼いだって、墓の中までは持っていけないし、いくら地位だの名誉だの手に入れて、子孫のために磐石な地盤を築いたって、墓の中からは見ることもできないし、圧力も掛けられないんですよ?
天皇家ぐらいでしょ、いくつもの政権や王朝が滅びても未だに日本で「権威」を持ち続けられている「名家」なんて。
加系問題みたいな下らない事して、ちっぽけな威厳だの利権だの守る小悪党ごときが、天皇家に並ぶ名家になれるとでも?w

歴史に悪名しか残らない、いや悪名すらもあまりにショボすぎて残らない事するより、もっと世の為、人の為になる事をしませんか?
たとえ子孫が、家が滅びたとしても、歴史に名が残る、あの世で自慢できる人になれるかも知れませんよ?w

イバンカ基金報道の危険性

トランプ大統領に先立って、彼が一番信頼する肉親であり側近でもある、娘のイバンカさんが来日されていましたね。
この時に、安倍首相がイバンカさんも設立に携わったとされる、国際基金に57億円出資した事を伝えた事が、マスゴミに大きく取り上げられました。

まるで安倍首相が独断で、日本人の血税57億円を、イバンカの機嫌をとるために差し出したと。
実際はイバンカ氏が来日したから決まった事ではなく、7月とかいう数ヶ月も前に決まっており、その時に発表もされていた事でした。
そしてなにより、基金は国際的な機関であり、イバンカ氏は単に発起人なのか、設立運動に携わった一人なのか分かりませんが、少なくとも、設立後の運営や資金には一切関わってないし、今後も関わることはないと言われているものです。
つまり「イバンカ基金」などというものは存在しないわけです。
安倍首相を叩くためなら事実を捻じ曲げ、切り貼りなどの細工を施してでも印象操作する、いつものマスゴミの下らない「フェイクニュース」です。

ただマスゴミや、このニュースを支持して拡散している某野党の反日議員に言いたい。
不正(とマスゴミが印象操作している)の相手は、アメリカの公人であると。
モリカケ問題のように、日本人の民間人ではないのだと。
つまり、このようなフェイクニュースが事実として、当のアメリカにも伝われば、イバンカ氏が安倍首相から賄賂を受け取ったと叩かれる事になります。
トランプ大統領はロシアの工作により誕生したとの疑惑もあり、その強硬な言動から未だに反トランプ派も多く、そういった人達と組んでいるアメリカの大手マスコミは、日本同様、日々ありとあらゆる手段を使って、トランプ大統領を叩き続けています。
ここへ、「安倍首相、イバンカ基金に57億円プレゼント」なんてフェイクニュースが伝わったら、トランプ政権叩きの格好の材料にされてしまいます。
しかし事実は異なりますから、日本のように安倍憎し一色のマスゴミと違って、トランプ支持のマスコミもアメリカには少なからずあるので、それらによって「フェイクニュース」である事が報じられるでしょう。

それで終わればよいですが、終わらなかった例がかつてありましたね。
そう「慰安婦問題」です。
朝日新聞の捏造(本人たちは誤報だと言いますが)記事が、今日まで影響を及ぼす、日韓関係を悪化させて止まない問題になったわけです。

これの二の舞になりかねないと言う事です。
世界的には、独裁国家でもないかぎり、マスメディアは嘘の情報、不正確な報道はしない事になっていますから。
これにより、日本が意図的にトランプ政権にとって都合の悪い嘘の情報を流した。
日本とアメリカの間での外交問題にまで発展する可能性も、0ではありません。
その事を、日本のマスゴミや野党議員は認識されていますか?ということです。

これにより、日米の関係が悪化すれば、ただでさえトランプ大統領の煽った対日貿易不均衡による反日感情が少なからずあるアメリカで、日本企業が商売をしにくくなります。
しにくくなるだけで済めば良いですが、追い出されてしまう事もあるかもしれません。
そうなれば、日本経済にとっては大ダメージです。
また防衛に関しても在日米軍に大きく依存している日本です。
在日米軍が引き上げでもしてしまったら、それこそ日本はいつ北朝鮮にミサイルを撃ち込まれても、いつ中国に攻められてもおかしくない状態になります。

そこまで事態が悪化する事はないとは思いますが、日本にとって無視できないダメージをがあるのは確実でしょう。
そうなった時に、マスゴミや野党議員は責任を取れるのですか?
これが事実の報道であれば、致し方ないでしょう。
本当に、イバンカさん個人の私的な基金があり、そこへ日本が国として57億円の税金を「寄付」したのであれば、それを報道した事によって日米関係が悪化しても、それは日本政府の責任です。
しかし事実はそうではありません。
イバンカさん個人の基金でもなければ、「寄付」でもありません。
そもそもこの基金は、世界的に女性の社会進出を助ける、女性の起業を助けるため、いわば女性の権利向上や女性差別を無くすためのものです。
表向きは、賞賛される事はあれど、批判の対象になるものではありません。
これをフェイクニュースと言わずして、何と言うのか?
朝日新聞をはじめとしたマスゴミ連中は、捏造した慰安婦報道が日韓関係を悪化させた反省をしているのか?

もっとも、マスゴミや一部の野党議員は日米関係の悪化も目的かもしれませんがねw

われわれは真に日本ためを思って、報道や政権批判を日々しているのだというなら、早急にやり方を変えるべきでしょう。
「イバンカ基金」などというものは存在しない、まったくの「誤報」でしたと謝罪し、それを広く発信すべきでしょう。
でないと第二の「慰安婦問題」になりかねません。

そうやってどんどん日本を事実無根のフェイクニュースで孤立に追い込み、戦前の日本と同じ状況にして、日本がまた無謀な戦争を仕掛ける側にまわる事をお望みなら、「イバンカ基金」でも「慰安婦は日本軍が主導した性奴隷」でも、事実無根のフェイクニュースを垂れ流し続けなさい。
戦前と同じように、フェイクニュースで日本を破滅に追いやりなさい。

ただ2度目は無いと思いなさい。
つまり日本が次に戦争を始めて負けた時、日本が独立国として存在を許されるにしろ、どこかの属国にされてしまうにしろ、マスゴミや反日勢力の人間が、無罪放免される事はないだろうという事です。
戦争犯罪の共犯として、裁かれますよって事です、外国の正式な工作員以外はねw

少数派(マイノリティ)の価値観は尊重しなくて良いのか?

ここ最近、価値観について色々述べてきました。
その中で、多数派の価値観こそが「善」であり、明文化された法律や宗教の教義、明文化されていない、あるいは罰則があるほどではない伝統やモラルやマナーや倫理になると書いてきました。

では少数派の価値観は無視して良いのか?
答えはノーです。
私がここ最近、多数派こそが正義という理論を展開してまで多数派の価値観に拘ったのは、少数派が失礼だからです。
最近の少数派は少数派である事を理由に、多数派に価値観を押し付けるのが、多数派が我慢するのが当然と言わんばかりの強引な主張が多いからです。

順番に説明しましょう。
まず少数派の価値観をなぜ尊重しないといけないか?
これは例えば「障害者」の待遇などで、その理屈が分かります。
「障害者」というのは現在は多くの国で、健常者よりも余分に保護される制度や法律やシステムがあります。
なぜ多数派の「健常者」が少数派の「障害者」のために我慢を強いられなければならないか?
これは、人道とか優しさとか、そういったあやふやな感情論で、そうしなければならないわけではありません。
人は誰しも自分が「障害者」になる可能性を持っているからです。
「障害者」というと、生まれつきのように思われますが、病気や事故や怪我で「障害者」になる人も多く居ます。
特に昔と違って医療技術が発達した現代では、腕や足を失うような大怪我を負っても、命は助かる場合が多いですよね。
だから昔と比べて、生まれつきではなく、人生の途中で「健常者」jから「障害者」になった人が増えたのです。
自分は絶対「障害者」にならないなんて言い切れる人は居ません。
つまり「障害者」を保護するのは、「自分自身」のためです。
自分がもし「障害者」になった時に、後悔しても遅いからです。
つまり「保険」と同じなのですよ。

例えば、車椅子の移動のためにスロープを作る、目の見えない方のための点字ブロックや点字で様々な表示、「健常者」よりできる仕事が限られ、稼ぐことが難しい&障害によっては永続的に高額な医療費が掛かる事もあり大変なので、障害者年金がある。
これらは我々の税金が主に使われますが、その分の税金を他へ使ったからといって、大して健常者に利があるわけでもありません。
また「障害者」の方へ手を貸すことは、介護のように永続的に全ての面倒を見るのでなければ、ちょっとした苦労や我慢でできる事が殆どです。
ちょっとした苦労や我慢をするだけで、良いことをした気分になれますし、まったくの損ではありません。

このように自分自身の将来の保険としてや、我慢や負担の度合いが目くじらを立てる程のものでもないもの、あるいはそれを行う事で自分も「良い事をした」という満足感や充実感を得られるものについては、大いにやるべきなのです。
結果的にそれが多数派の利にもなるのです。

ではなぜ少数派を批判したのか?
まずもって少数派の価値観を取り入れる事は、あくまで多数派の善意によるものであって、義務ではないという事を分かっていない人が多いからです。
義務でも仕事でもない事を、人にやってもらう時ってどうします?
「頼む」んですよね?
「頼む」ってのは上から目線で、やってもらって当然なんてしますか?
それはもはや「お願い」ではなく「命令」ですよね?
少数派が多数派に「命令」して従わせる事、人はこれを「独裁」や「絶対王政」などと呼びます。
不公平な「身分制度」もそうです。
ましてや、その「頼み」というのは、多数派に我慢や損を強いるものである事が多いです。
程度の問題ではありませんよ?
人として、誰かに我慢や損や苦労をかける場合、丁寧に相手にお願いし、そしてやってもらったらお礼を言うものです。
私が接客業をしている時に習ったのですが、人に何かお願いするときの一番丁寧な言い方は、「~して頂けますか?」です。
「~して下さい」は一見丁寧なようですが、命令形です。
大して「~して頂けますか?」は命令ではなく、相手の意思を問う疑問系であり、命令ではありません。
この辺、特に少数派の人は良く覚えておいて下さい。
政治的・思想・心情的、あるいは被差別者を語る者や障害者の方、日本在住の宗教の信者の方などなど。

言い方ひとつで、双方が気持ちよくなれるのです。
大した手間じゃない、たいした損はないとしても、日本人ならこの辺の事は礼儀として分かると思います。

シルバーシートに座ってる若者に、席を譲ってもらう時は、「すいませんが、席を譲って頂けませんか?」ですよ。
「てめー、若いくせに何座ってんだ!」じゃありません。
礼儀に年齢も地位も関係ないんですよ。
シルバーシートは空いている時は座って良いが、お年寄りや体の不自由な人が乗ってきて、他に座れる席がなさそうな時は、譲ってあげて下さいというものです。
つまり義務ではないのです。
あくまで人の「善意」に頼るものです。
そこを勘違いしている少数派の年配者が多いです。

年配だから偉い、障害者だから手助けしてもらって当然、マイノリティだから自分の意見が通って当然。
これがダメだと言ってるんです。

ましてやそれが法に関わるものなら、なおさらです。
「9条守れ」じゃないでしょ?
選挙の結果を見ても分かるように、護憲は少数派なのです。
しかも命令口調で、まるで改憲派は悪者か愚か者のごとく言う。
だから嫌われるし、賛同されないんです。
民主主義ってのは多数派が「正義」であり「善」なんですよ、いくらわめこうが屁理屈並べようが。
少数派の主義・主張は通らなくて当たり前なんです。
通す義務は無いんです。
それでも自分達の主義・主張を通したいなら、まず丁寧にお願いするところからはじめるべきでしょう。
そして、自分達が多数派になる事です。
丁寧にお願いし、説明し、説得し、「わかった、確かに君達の言う事のほうが正しい」あるいは「その程度の我慢や損で済むなら、いいじゃないか?」という「賛同者」を増やす事ですよ。
自衛隊が居なくても、在日米軍が居なくても、日本は9条さえ守っていれば、絶対に攻め込まれる事はない。
そういうなら、改憲派が「確かにそうだな」と納得できる根拠を示すべきです。
その上で、丁寧にお願いすべきでしょう、少数派なのですから。
護憲派が多数派なら、「9条守れ」「改憲なんて許さん」でもいいですよ。
そもそも9条さえ守っていれば絶対大丈夫だという、根拠を示せてないですよね?
理由も理屈もなく、ただ反対反対と喚くだけで、多数派になれるはずもないし、主張も通るわけがないでしょ。
むしろそういう態度が少数派をより少数派にし、多数派の反感をより強めるのです。

枝野さん、質問時間を多数派より少数派の方に多くまわせというなら、まず多数派の自民党にお願いするべきですよ。
あなた方は選挙で当選したとはいえ、少数派なのです。
少数派だから質問時間が多いのは当然である!じゃないでしょw
そんなんで本当に自民が折れると思ってるんですか?
丁寧にお願いし、どうして少数派の質問時間の方が多くないといけないのか?多数派にも利がある、あるいは害は少ない、確かに一理あるなと納得させられる理論を、押し付けでなく説得として展開し、それで最後に「いかがですか?」でしょ。
枝野の言う事には一理も二理もあるし、我々がそれによってこうむる損害も目くじらを立てるほどじゃない、むしろ我々がこれを聞き入れない事の方が損が大きい、誠意を尽くしてお願いしている相手を無下に扱う事も日本人の良心が許さない。
となれば、100%通らなくても、半分は通るかもしれないじゃないですか?

少数派はまず自分達は少数派であるという事を認識すること。
そして自分達の主義・主張が通らないのは、「当然」であるという民主主義の理念を理解すること。
どっちが偉いとか、権利だとか義務だとか、そういうものを盾にとって「戦う」のではなく、あくまで「お願い」に徹する事。
相手を納得させうる丁寧な説明をする事。
そして、最後にできれば自分達の主義・主張が支持をされ、多数派になる事。

多数派が注意すべき点は、自分が絶対に少数派にならない保障はないという事を覚えておくこと。
その上で、多数派だからと聞く耳を持たないのではなく、少数派の意見を良く聞いて、このぐらいなら我慢できるというものであれば、あるいは自分が少数派になった時に、このぐらいはして貰わないと生きていけないかもしれないという予測と、そういうものを考慮して、聞き入れられるものは聞き入れる事です。
全てを受け入れる必要はありませんし、「~しろ!」なんて失礼な命令調のものや、理論的な説明が一切ない単なる感情論であれば、聞く必要はないです。

これが少数派も多数派も、お互いが気持ちよく生きていける社会を作れる一番の方法だと思います。

そもそもこの世に全ての面において常に多数派に立てる人間は居ません。
ここまで言うと、馬鹿にされそうですが、私は転生を信じています。
現世は豊かな日本の中流家庭に生まれる事ができましたが、来世はアフリカの飢餓に苦しむ世界や、あるいはスラム街のどうしようもない家庭に生まれ代わるかも知れない。
そうなった時に困らないよう、飢餓や貧困の根絶が必要だと感じています。
かわいそうだとか、高尚な使命感だとか、そんなもんじゃなくて良いのです。
自分の将来の為、保険でいいんですよ。
そういう風に全人類が考えられる時が来れば、本当の意味で平等で差別や格差の無い社会が実現できるでしょう。
転生を証明するのはおそらく不可能ですけどねw
そもそも人間に生まれ変われるかどうかすら分かりません。
猫かもしれないし、人間に食べるためだけに育てられてる牛や豚になるかもしれないし、あるいは蚊になって殺虫剤を浴びて短い一生を終える事だってあるかもしれませんw

余計な事でしたねw

価値観とは何か?

前回も述べましたが、価値観というのは簡単に言えば「好き・嫌い」であり、人類が社会を構成するうえで最も重要な要素です。

世界の多くで、「殺人」や「窃盗」が罪になるのは、多くの人間が「殺されたくない」し「盗まれたくない」からです。
人間というは、地球上の他の生命と同じく「生き残る」事が、最も優先度の高い目標というか目的というか、あるいは行動原理や何かを思考する際の条件です。
人間の価値観は千差万別ですが、にも関わらず国や人種や民族に関わらず「殺されたくない」し「盗まれたくない」と共通しているのは、このためですね。
死は生の正反対の状態なわけですし、生きるには食料やお金や、様々な財産が必要ですから、それを盗られるというのは「生き残れない」可能性が高くなるわけですから。

ただこれすらも、全人類ひとりの例外もなくそうだと言う物ではありません。
嘱託殺人罪という言葉が、例の座間の事件で出てきたように、「殺される」事を望む人が居て、誰かにそれを頼んで実行してもらう事があるということです。
まぁこの場合は、「殺されたい」というより「死にたい」なのかも知れませんが。

また「窃盗」が必ずしも罪にならないというルールを持つ人達も居ます。
とある砂漠地帯の遊牧民族だったと思いますが、他人の食料を盗んでおいて、その盗んだもので作ったご馳走を盗られた人も呼んで振舞う、そしてそれが当たり前の伝統であるというのを見たことがあります。

このように、人類共通とも思える価値観にさえ、例外が存在します。

だからこそ、日本人は伝統的に「私がされて嬉しい事は、相手もされたら嬉しいはず」とか、「私がされて嫌な事は、相手も嫌なはず」と単純に考えずに、「私はされて嬉しいが、相手は必ずしもそうじゃないかも知れない」という考え方をするのです。
これが、日本の「おもてなし」が素晴らしいと言われる所以であり、日本でテロが起きない要因のひとつでもあります。

ただそんな日本でさえ、日本が良い国だ、日本の政治は素晴らしいと考える人は少ないですし、ブラックじゃなくても会社に不平・不満のある人は大勢います。
つまり、そこまで考える民族性があっても、全員が賛同したり幸せになれる社会が作れないのです。

うちの会社は社員みんな仲が良くて、週末には必ずみんなで飲み会するし、休日にはみんなで一緒に遊びに出かける事も多い。
本当に和気藹々とした、素晴らしい会社です。
ってのがあったとしても、全員が本当にそうだとは言い切れません。
まずもって、お酒が飲めない人で飲み会を楽しめる人はあまり居ません。
また休日は家で一人でゆっくりするのが好きな人にとっては、いくら仲間の事は嫌いではなくても、一緒に遊びに行くのが嫌な人だって居るでしょう。
そういう人にとっては、その会社は決して良い会社ではありません。

大津のいじめ自殺事件で、加害者とされる元同級生がいじめをしたという認識は、未だに無いと言ったとかで、人間じゃないみたいな叩かれ方をしていました。
恐らくは弁護士からそう発言しないと裁判で不利になるからと言われて言ってるのだと思いますが、本当にそう思ってる可能性だって否定できないわけです。
本当に自分ならこの程度は悪ふざけの範疇で、死にたいなんて思わないと感じているかも知れません。
軽く殴ったつもりが、本人にとっては命の危険を感じるほど痛かったとか、そういうのもあるかも知れません。
なぜなら、価値観が違うからです。
もちろん価値観が違うから加害者は悪くないとか、そういう事を言ってるわけじゃないですよ?
本人がスキンシップの延長で軽く殴ったつもりでも、相手が恐怖や不快感を感じたなら、価値観が違うから仕方ないでは済みません。
済まされてはいけません。

欧米でのテロや移民問題の根底にあるのが、この価値観の相違であり、価値観を押し付けあってきた歴史に起因してるのです。
これは自分の価値観を「疑う」事ができる日本人でないと、理解できない事かも知れません。
絶対の正義なんて無いし、絶対の悪なんて無いのです、この世には。
少なくとも人類社会には。

だから俺は悪くないとか、俺は間違ってないという自己弁護に、これを使って貰っては困りますけどね。

ただこの、自分の価値観を「疑う」事をしながら生きた方が、無用なトラブルに巻き込まれたり、身に覚えの無い恨みを買うことが少なくなりますよって話です。

屁理屈を言えば、これすらも価値観の押し付けであるわけですけどねw

ヒジャブを被っている事を理由に不採用、差別だ

馬鹿ですか?

人類社会には、法律をはじめ、伝統・モラル・マナーなど様々な「これをやってはいけない」という決まりがあります。
イスラム教の「女性はヒジャブを被らなければならない」というもの、そのひとつに過ぎません。

これら法律や伝統やモラルやマナーや宗教の教義というのは、神様が人間にそうしなさいと言ったわけでもなければ、独裁者が多くの人間の反対を押し切って、勝手に決めたものではありません。
そういうものも、中には存在するでしょうが、基本的に独裁国家の法律でもない限りは、多くの人間の支持を得たからこそ、法律として制定され、あるいは伝統やモラルやマナーといった明文化されていないけど、長年残っているわけです。

このような物が出来たのには理由もあります。
人間の価値観というのは千差万別で、誰一人として全ての価値観が他の誰かと一致する人など居ません。
「価値観」というと難しいかもしれませんが、簡単に言えば「俺はこうされるのが嫌だ」「俺はこうするのが好きだ」「俺はこうしたい」
「俺はこうしたくない」という「好き・嫌い」です。
当たり前ですが、それが人によっては正反対である事も珍しくありません。
思想・信条の自由と言いますが、全員の「好き・嫌い」を認めてしまったら、そこかしこで喧嘩ですよ。
何も物事が先に進みませんよ。

ここまでの理屈は、宗教や民族に関わらず理解できると思うし、確かにそうだと思っていただけると思います。

さて、このままでは人類社会は崩壊してしまいます。
だから法律や伝統やモラルやマナーや宗教の教義というものが出来たのです。
より多くの人が「好き」と思う事を善とし、より多くの人が「嫌い」と思う事を悪として、それらをやってよい事、やったらダメな事として決めたのです。
そして、それを明文化してより分かりやすく示し、その集団に属するものは全員例外なく守る事、納得できるものだけが所属することとしたのが、国や会社や民族や宗教の法律であったり教義であったりするわけです。
明文化はされていないが、自然とそうなっていったものが、伝統やモラルやマナーでしょうか。

どちらにしろ、自分の好きな事を守るためには、自分の嫌いな事をされないためには、全員がそれらのうちどれかを我慢しなければなりません。
より多くの人が我慢しないで済むよう、より少ない我慢で済むようになっているんですよ、法律だの伝統だのモラルだのマナーだの宗教の教義だのっては。
特にそれに属する人達にとっては。

だから思想・信条の自由だ、言論の自由だ、信教の自由だ言ったって、完全に自由ではないのです、実は。
日本ではこれら自由の保障の規定には、必ず「公共の福祉に反しない限り」という但し書きがあります。
法律の学者や弁護士や裁判官などの法律の専門家などでなくても、日本人であれば義務教育で習うので、誰でも「公共の福祉に反しない限り」という文章は見た事があるはずです。
この「公共の福祉」というのは、言い換えれば法律や伝統やモラルやマナーや、あるいは「常識」とも言えるでしょうか。
そういう物に反する事を、俺の自由だと言ってやるのは認められませんと言ってるんですよ。

さてここで件のヒジャブについて。
イスラム教の教義ではヒジャブを被らなければならないとなっていますが、それはあくまでイスラム教の信者となった人が守るべき決まりです。
イスラム教徒で無い人に守る義務はありませんし、そのような法律もありませんし、伝統もモラルもマナーもありません。
つまり日本において、ヒジャブを被る事をイスラム教徒でない人に強制したら、「信教の自由の侵害」になります。
ここまでいいですかね?
では「俺はヒジャブが好きではないので、俺の前で被るな」と言ったら「信教の自由の侵害」になるでしょうか?
答えはなりません。
その理屈はこうです。
日本には法律にはもちろんですが、伝統やモラルやマナーといった明文化されていない決まりや常識の中に「ヒジャブを被らなければならない」というものも「他人がヒジャブを被ってるのを止めさせてはならない」というものもないからです。
つまり「公共の福祉」に反しないわけです。
ヒジャブが嫌いだという好みを、誰にも止める権利は無いし、ヒジャブを認めろと強制されない自由が保障されているということになります。

恐らく接客業でしょうが、日本では伝統的に被り物をして、顔を見せずに相手と話をしたりするのは、失礼とされています。
ですから、接客業では客が不快に思わないよう、失礼が無いように、被り物をして接客をしてはいけないという規則があるのです。
この規則は違法でもなんでもありません。
「公共の福祉」に反してないので、そんな規則は無くせと強制する事もできません。
むしろ「被り物をして接客してはいけません」という違法でもなんでもない規則を、無くせと「強制」したら、逆に「自由の侵害」です。
ヒジャブを被っている事を理由に不採用というのは、「信教の自由」の侵害にも当たらないし、違法でもない。
ヒジャブを被っていても接客できるように規則を変更しろと強制する方が、日本人に価値観を変えろと言ってる事も同義ですから、「思想・信条の自由」の侵害です。
多くの日本人が不快だ、失礼だと感じる被り物をしての接客。
それを認めろと、多数派である日本人に対して、少数派であるイスラム教徒、しかも日本人ですらない、強制的に日本に連れてこられて住まわされてるわけでも、働かされてるわけでもない人が言うのは、一方的な価値観の押し付け、強制です。
日本人に嫌だと思う事を、少数派の外国人のために我慢しろと言ってるのも同じです。

宗教差別になりうるとしたら、「イスラム教徒だから雇えません」と言ったり、そういう規則があったりする場合でしょう。
これは立派な「信教の自由」の侵害です。
なぜなら、どの宗教を信じるかは、個人の心の中だけで済む問題だからです。
イスラム教を信仰したら、他の非イスラム教の日本人が息苦しくなったり、気持ち悪くなったり、頭痛やめまいがしたり、そういう実害が一切ありません。
なぜなら、人の心の中というのは見る事ができないからです。

しかしいくら教義とはいえ、ヒジャブ着用で接客をしたら、少なからず不快に思う日本人が居ます。
それは日本人の価値観に反する事ですし、心の中で思っている事と違って、はっきり目で見えてしまうからです。
あそこは失礼な店員が居るという評判が立ち、店の売り上げが落ちるという実害が出るわけですよ。
それをなぜ我慢しなければならないのですか?って話です。
ヒジャブを着用してその辺を歩く。
これも目に見える行為ですが、日本人はそれだけで不快感は感じません。
単なるファッションとしてしか見ないからです、日本人的価値観で言えば。
それでもイスラム教徒が世界各地でテロ行為を起こし、その映像の中にヒジャブを被った女性がテロ組織側の人間として映ったりしたら、不快に感じる人も出てくるかも知れません。
この人はテロリストかもと恐怖を覚えるようになるかもしれません。
それが日本人の大多数の価値観になってしまったら、ヒジャブ着用で歩く事すらできなくなる可能性もあるのです。
なぜなら、より多くの人が「嫌い」な事が「悪」として法やモラルやマナーや伝統しての禁止事項になるからです。

そうならないためには、私たちは非イスラムの日本人に危害を加えたり、法律や規則を破ったり、価値観を押し付けたりしませんという姿勢を見せなければならないのです。
なぜイスラム教徒側がそんな努力をしなければならないのか?
それは日本においては少数派だからです。
人間社会は多数派の価値観が「善」であり、少数派の価値観は「善」にはならないからです。
それをしてしまったら、より多くの人間が我慢を強いられ、少数の人間だけが我慢をしないですむという、いわばこれは中世までの絶対君主制や、あるいは現代の独裁など、否定されている、「悪」とされている政治形態と同じになるからです。
というか、独裁そのものです。
この少数が多数に我慢を強いる、価値観を強制できるというのはおかしい、悪い事だとなったので、多くの国で民主主義が採用されるようになったのです。
多くの国の法律で様々な権利や自由の保障が明文化されるようになったのです。
人権などという言葉が生まれたのです。
差別はいけないというのも、実はこの一環なのですよ。
少数の王様や貴族の方が、多数の農民や庶民より偉い。
これらの身分制度は自分の努力ではなく、単に王族に生まれた、貴族の家に生まれたというだけで、多数派である農民や庶民が「それでいいですよ」と言ったわけでもないのに、勝手にそう決まってる。
だからこれら自分の努力で変えられないもの、多数派の意見に沿わない一方的な身分制度を「差別」と呼び「悪」と認定されるようになったのです。
それがどんどん拡大して行って、本来とは異なる使い方で、自分の主義・主張を一方的に、法律も既存の価値観やモラルも無視して通せる便利な言葉として使われるようになってしまったのです。

もう一度言います。
ヒジャブ着用を理由に雇用されないのは差別でも何でもありません。
単なるあなたの「我がまま」です。
嫌なら国に帰ってください。
ここは日本です。
日本人の価値観が「善」であり、イスラム教徒の価値観は必ずしも「善」ではないのです。
なぜ少数派であり、しかも日本人ですらないあなたのために、多くの日本人が我慢を強いられなければならないのですか?
そういう姿勢が、せっかく世界的に見てもイスラム教に寛容な日本を欧米と同じく「嫌悪感」を抱く国にさせてしまう事がなぜ分からないのですか?
そもそもイスラム教を日本で信仰する事自体を禁じられたわけではないでしょう?
このような自己中な主張を繰り返せば、最悪の場合、日本ではイスラム教が禁止されますよ?
というか欧米では既にそういう動きが出てますよね?

日本はわざわざ手間とお金を掛けて、つまり多数派である日本人が我慢や損をして、観光客として来てもらうためとはいえ、礼拝施設を用意してあげたり、ハラールの食事を用意してあげたりしてるわけですよ。
それをイスラム教の教義が日本では「善」として扱われ、それに反するものは「悪」として扱ってくれるんだなんて勝手に思ってもらっては困ります。
日本においてはイスラム教やイスラムの教義は「悪」ではありませんが、「善」でもないんです。
そこを勘違いされないよう。
そしてその勘違いと押し付けが、今は「悪」でないイスラム教そのものを「悪」に変えてしまう危険性があるという事を、心に留めておくべきです。
特に日本に住むのであれば、日本の価値観とイスラム教の教義が対立した場合は、あなたがたイスラム教徒が「我慢」をすべきです、「損」を受け入れるべきです。
それが嫌なら祖国に帰るか、他のイスラム教の教義を完全に「善」として扱い、それに反するものは「悪」として矯正したり変えたり弾圧したり押し付けるのが許される国に移住すべきです。

少数派の主義・主張を通したいなら、一方的に多数派に「お前らの考えは間違ってる、変えろ」というのではなく、「私たちの考えはこんなに素晴らしいし、理にかなっているんですよ」と丁寧に、押し付けにならないよう十分配慮して、何度も根気強く「説明」をして理解と賛同を得るべきです。
それが本当に良いものであれば、日本人は受け入れます。
そうやって日本人は、先祖代々歩んできたわけです。
漢字は中国の文字ですし、農業より工業を重視した方が国は発展するし、強くなれるという西洋の思想を取り入れて、先進国になったわけです。
イスラム教が、本当に日本人に「これは良いものだ」と思われれば、ヒジャブ着用での接客も認めるべきという意見が多数派になるでしょうし、ヒジャブ着用を理由に不採用にしてはならないという法律もできるかもしれません。

それができないなら、帰れ。
これは在日どもも同じ。
野党やマスゴミも同じ。
以上。


夢とは何か?

夢と希望とかの「夢」ではなく、寝てる時に見る「夢」について。

多くの人は「夢」は起きてしばらくすると忘れる。
見ている時は、まるで現実のように感じ、これは夢だと気づいたり疑ったりできるのも稀だ。
カラーなのか白黒なのか、現実的なのか非現実的なのか、聞いた声や自分が言った台詞も全て忘れてしまう。
そもそも夢の中の自分が、現実世界の自分と同一なのかも分からない。
なぜなら、現実世界と同じようにFPSゲームの1人称視点であり、自分の姿形を見れないからだ。
せいぜい現実世界で「男」の人は、夢の中でも「男」であるとか、その程度の自己同一性しか感じる事ができない。

夢はどこかで見たような光景であったりする場合もある。
例えば昔すんでいた町や家や、通っていた学校や。
でも微妙に構造が違ったりする。

このような様々な「夢」というのは、実は映画の本編が始まる前に見る別の作品の「予告編」や「宣伝」と同じなのだ。
我々は自分が「主人公」だと思っている現実世界の物語を日々「体験」しているわけだが、これは「映画」の本編を見ている状態。

よく誰かに追いかけられる「夢」を見ている時に、うまく走れなかったり、自分の意思通りの動きができない事がある。
この理由も、「予告編」や「宣伝」であり、「本編」ではないからという説明がつく。
「本編」と「予告偏」「宣伝」の違いは、「体験」度の違いである。
我々の本体、魂という不老不死の意識である。
それが見ている無数にある人生物語のうちのひとつを、映画の作品のように見るのだが、映画と違って魂は人生物語の登場人物そのものになる。
スクリーンの中の登場人物に入り込む事で、見るよりもリアルな「体験」をしているのだ。
これが「魂が肉体に宿る」の真相でもある。
魂は同じ存在である神のように全知全能ではないので、複数の物語を同時に「体験」する事はできない。
人間が複数の映画を同時に見る事ができないのと同じだ。
また、肉体に宿るというのは大変な作業(?)であり、そうホイホイ出たり入ったりできるものではないw
だからひとつの人生物語の登場人物に入り込んでいる状態では、そこから抜けて「予告編」や「宣伝」の物語の登場人物に入り込む=宿る事ができず、見る事しかできない。
それが、夢の中で自由に動けないと感じるもどかしさの理由だ。

つまり現実に体験中の人生物語も、自分の意思で動いたり喋っているようで、実はそうではないということ。
肉体に宿ってより物語をリアルに「体験」しているため、あたかも自分の意思で動いたり喋ったりしているように、魂が錯覚しているだけなのだ。
実際は、我々の肉体は、予め定められた「台本」に従って、動いたり喋ったり、つまり演技を自動でしているにすぎないのであるw

「夢」と「現実」の違いは、この程度だって事である。
逆に言えば「夢」物語も、登場人物に入り込む=宿れば、自由に動ける(ように感じる)事ができる。

これを利用したと思しき話もある。
それが「明晰夢」を利用した「タイムリープ」という、オカルトの世界では有名な話だ。

実は夢は必ずしも別作品の「予告編」や「宣伝」ではない。
自分の過去や未来を見る場合もある。
過去を見る、いわば「これまでのあらすじ」や「前回までのあらすじ」偏は、現実世界では「走馬灯」などとも言われる。
未来の場合は、「次回予告」であり、別の言い方をすると「予知夢」である。
この「これまでのあらすじ」偏を見ている時に、映画館のイスから立ち上がり、スクリーンの中の登場人物に入り込む=宿ることで、そちらの方を現実として「体験」し続けるという理屈だ。
ちなみに残った、本来なら目覚めてその後の人生を歩んでいたであろう、それまでの現実世界の肉体はどうなるのか?
どうもならない。
消えないし、これまで通り動いたり喋ったりする。
突然性格が変わったりもしない。
なぜなら今まで述べてきた通り、肉体は予め決まった「台本」に沿って自動で演技をしているにすぎないからだ。

あと「予知夢」も必ずしもその通りに100%当たるとは限らない。
人生物語は、映画と違って1本筋のストーリーではないからだ。
「次回予告」も、その複数あるストーリーのひとつを見ているに過ぎない。
それを見た事によって、「本編」である現実に戻った時に言動が変化する。
夢で見た通りに演じていても、記憶に夢が残っている状態というのが、もう夢の「次回予告」の「台本」とは異なるわけだから、当たり前だ。
その場合は、当然たどるストーリーも変わる。
あるいは自分の言動が多少変わったところで影響のない話であれば、限りなく予知夢と近いストーリーへ進めるだろうが、100%同じにはならない。


さて、このように「夢」が別作品の「予告編」や「宣伝」である場合、いつか「体験」する事になるかもしれない。
そう考えると、悪夢なんかを見た場合は、絶望感がハンパないだろうw
だってあれを現実として「体験」する時が、今の人生じゃなくても別の人生であるかもしれないからだ。
でも心配する必要はない。
そもそも魂は不老不死であるわけで、殺されてもそれは魂という自分の本当の本体が死ぬわけではないからだ。
映画の中の登場人物、自分が入り込んでいたキャストの一人が舞台から退場するだけにすぎないからだ。

ただしこの考え方は、あくまで悪夢をいつか現実のものとして体験するのではないかという恐怖を和らげる事にのみ使ってほしい。
でないと、肉体を殺しても魂は死なないのであればという理由で、自殺や他殺を行うのに抵抗が無くなってしまうからだ。
そもそも私が今まで述べてきた事が、真実である保障はどこにもない。
私は犯罪者になりたくないし、犯罪をお勧めするような事もしたくない。
「台本に沿って演じているだけ」と思って、良い方向へ進む努力をしなかったり考えなくなったりして、人生が破綻されてしまっても困るw

高齢ニートの馬鹿らしい妄想程度に、ネタとして見て下さい。

他の現実的な話、よく書いている政治や思想・信条に関するものは、ネタとして見てもらうのは心外ですけどねw
オカルトチックな話題は、真に受けずに、他のネットによくあるオカルト系の話と同じように、半信半疑あるいはネタとして見る程度にして下さいねw

三遊亭園楽が嫌い

日曜日といえば、「笑点」です。

私も「笑点」は好きで、時々見ます。

私は「笑点」のメインコーナーである「大喜利」のメンバーの中で、三遊亭園楽が一番嫌いです。
なぜなら、政治のブラックジョークしか言わないからです。
ちなみに一番好きなのは、三遊亭小遊三さんです。
下らないが悪意が無い、本当に笑えるジョークが多いからです。

私は常々、芸能人は「政治的発言はすべきでない」と思っています。
なぜなら、芸能人というのはより多くの人に好かれること、少なくとも嫌われないことが大原則だからです。
政治的な思想・信条というのは、同じ国の同じ民族であっても、千差万別です。
親兄弟でさえ異なる事も、珍しくありません。
つまり政治的な発言というのは、必ずしも好かれるとは限らず、むしろ嫌われる事の方が多いからです。

昔の芸能人というのは、決して「政治的な発言」はしませんでした。
この理屈を理解していたからです。
ところが最近の芸能人は、大御所と呼ばれる人達ですら、平気で政治的発言をします。

そうは言っても、落語など昔の芸能には、政治的なブラックジョークが沢山あったじゃないか?
と思われる方も居るでしょう。
これが許された、ウケたのには理由があります。
それは江戸時代以前の政治家というのは、武士だったからです。
武士というのは、現代の政治家・議員のように庶民の支持を得てなったわけではありません。
単に武士の家に生まれたというだけです。
それなのに、民衆を一方的に支配していたわけです。
だから特に庶民の芸能である、落語などでは武士や幕府の政策を批判するような、ブラックジョークがウケたのです。
それを言って嫌われる事が無かったのです。
なぜならお客さんである庶民にとって、武士や幕府は自分達の信任なく勝手に権力を握って振りかざす敵でしか無かったからです。

でも現代は違いますよね?
与党の政治化だろうが、野党の政治家だろうが、親日愛国者だろうが反日売国奴だろうが、左翼だろうが右翼だろうが、保守だろうが革新だろうが、みな選挙で国民の支持を得て当選しているわけです。
つまり誰かを批判すれば、その誰かに投票した、支持した人をも批判してるも同じなわけで、そういう少なくない人達の反感を買うのは当然なのです。
こんな簡単な理屈すら分からない奴が多すぎる。

だから私は、その代表格とも言える現在の三遊亭園楽が嫌いなのです。
それでも歌丸師匠が司会をやっていた頃は、まだ良かったですよ。
基本的に「腹黒」という自虐をネタにしたり、あるいは歌丸師匠をいじる事で笑いを取るスタイルがメインで、政治的なジョークは殆ど言わなかったですからね。
でも今の園楽はダメです。
面白くもないし、悪意しか感じません。
それでも、与党も野党も等しく批判するようなジョークであればまだ良いのですが、マスゴミのように偏った一方的な批判しかしません。

歌丸師匠が、一番仲が良いと思われていた、先代司会の名前を継いだ6代目園楽を選らばなかったのも、そこを見抜いていたからなのかもしれません。
落語はより多くのお客さんに笑ってもらうものであり、政治への不平・不満を言う場所ではないと。

園楽をはじめとする芸能人のみさなん、ここをもう一度良く考えてみて下さい。
あなたがたは政治評論家でも思想家でも、庶民の代弁者でもなんでもないのです。
そういう事がしたいなら、芸能人を止めて議員になれば良いのです。
山本太郎とか、私は好きではありませんが、芸能人をきっぱり辞めて、選挙できちんと当選するという筋を通して物を申すその姿勢は評価しますし、簡単に政治的な発言をする大御所芸能人よりよっぽど偉いと思いますね。
だから彼は稀に、嫌われてるネットでも「ぐぅ正論www」と評価されるような発言ができるのです。

そんな事を、さっき「笑点」を見てて思ったという話w

憲法9条とは何か?

本気でそう思ってる「馬鹿」なのか、あるいは分かってて「守れ」と言ってる確信犯なのか、憲法9条を宗教の経典か何かのように言う人達が多いので。

憲法9条というのは、「日本が絶対に他国から攻撃されないもの」ではなく、「他国が日本から絶対に攻撃されないもの」ですw

これは、現行の日本国憲法の監修に携わった、当時のアメリカの意向が色濃く反映された結果です。

アメリカは勝ちはしましたが、予想以上の損害をこうむったばかりか、武器も弾薬も食料も無い状態で戦い続けたり、神風特攻隊などのように、自らの命を犠牲にしてまで突っ込んで来る、クレージーとしか思えない日本の狂戦士とは、二度と戦いたくないと強く思ったのです。

だから「日本が戦争をできなくする」のではなく、「日本がアメリカを二度と攻撃できないように」したのが、憲法9条なのです。
つまり憲法9条が守っているのは、日本や日本人ではなく、外国や外国人なのですよ。
お分かりですかね?

それでも日本の周辺は、日本を侵略する意図などさらさらない、友好国ばかりだと国民が思わされていた時代は、憲法9条の本質に気づかれる事なく、アメリカの意図どおりの効果を発揮していました。
しかし時代は変わり、ネット社会になり、真実が隠し切れなくなると、実は日本の周辺国は日本を隙あらば侵略しようとする、友好国ではなく、仮想敵国ばかりである事が、一般人に知れ渡ってしまいました。

ロシア・中国・北朝鮮・韓国ですね。

そして更に竹島問題、尖閣問題、拉致、海洋資源の強奪、日本の権利・権益を一切守る気がないこれら周辺諸国の「侵略行為」が、日本人に「平和憲法」に疑問を抱かせる結果になりました。
更に北朝鮮は実際に「ミサイル」を日本に向かって撃ちました。
最初は日本の手前に、そしてついには、日本の領土を飛び越えるという、一歩間違えれば日本に落ちて被害が出たかもしれないような暴挙に出ました。
ここまでされちゃあ、いくら平和ボケ、あるいは平和主義の日本人でも流石に今まで通り、憲法9条を守ろうなんて気にはならないでしょう。

そして憲法9条が守っているのは、日本ではなく中国・北朝鮮・韓国・ロシア、加えて今でこそ同盟国ですがアメリカであると馬鹿でも気づきますw

国会前で人数水増ししてまで「憲法守れ」デモやってるみなさん、嘘や不正確なニュースを流してまで「憲法9条は守らなければならない」と世論操作・洗脳し続けるマスゴミ。
もう誰も聞きませんよ。
あなた方のように、一般の日本人は「馬鹿」じゃないんです。
まだ西洋ですら、識字率が5割も無かった時代から、識字率5割を超える「教育」熱心な民族性と優秀さを持った日本人ですよ。

本当に戦争をしたくないのであれば、日本人に対して9条守れというのではなく、中国・北朝鮮・韓国・ロシアに9条を広め、採用させる事です。
これが一番、平和裏に日本の安全を確保できます。
日本の憲法9条を今まで通り維持したまま、真に日本の安全が保障されるでしょう。

まぁ採用した全ての周辺諸国が、日本並みに憲法9条を病的に信仰し、守ってくれるという前提がありますがw

そういう世界になれば、在日米軍は不要ですし、自衛隊すら解散するか、単なるレスキュー隊にしてもいいですよw
そういう運動をしても、多くの日本国民から圧倒的な支持を得られるでしょう。

でも現実的にそんな事は不可能ですよね?
やる気ないですよね?

だったら憲法改正するしかないじゃないですか。

北朝鮮が核兵器を持ちたがる、アメリカを批判する理屈にも実は一理あるんですよ。
だって俺らは核兵器もつけど、お前らが持つことは許さんなんて、不公平だし横暴もいいとこですよね?
北朝鮮の肩を持つなら、日本が憲法改正するのも支持すべきでしょw
理屈に合いませんからw

日本は絶対に他国へ攻撃をする事はできないけど、他国は日本を攻撃できる。
おかしくないですか?
これでどうして、安全だと言えるんですか?
戦争にならないと言えるんですか?

これでもなお憲法9条改正反対と言うなら、勝手に無人島に自分たちの理想国家でも作って、憲法9条と共に独裁国家に皆殺しにでされて下さいよw

そうじゃないなら、日本ではなく今一番の脅威の北朝鮮に対してデモすべきです。
中国に対して、ロシアに対して、そして竹島を不法占拠し、国と国との約束すら守らない、反日仮想敵国である韓国対してデモすべきです。
「憲法9条をお前らも採用しろ!」とねw
カウンタ
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ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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