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東京オリンピックのボランティアが集まらない理由

まず人間というのは、名誉では食っていけません。
いくら賞賛されるような事をやっても、飯が食えなければ死にます。

従って、ボランティアは日々生活するので手一杯の人間には、とてもじゃないけどできない訳です。

もうひとつ。

そんな長期間・長時間無償で働かされたら、自分の生活が成り立たない人に無償労働をさせようとしてる側の問題。
東京オリンピックの運営が「仕事」である都庁の職員の一部や、日本オリンピック委員会の職員などは、当たり前ですが、その仕事しかしてないわけですから、給料が貰えなければ飢え死にしてしまいます。
ですからそういう人達に適切な給料が支払われる、それが東京オリンピックの運営予算から出されるのは当然でしょう。

しかし「名誉職」とも言える、一部の人間達はどうでしょうか?
一番有名なのは「森元首相」です。
彼は元大物政治家であり、しかも高齢であり、ぶっちゃけ無償で働いたって生活に困る事はこれっぽっちもないでしょう。
また経済界の大物、経団連の元会長とか、そういう人も名誉職で委員会の一員になってます。
そういった、本当に無償でボランティアで参加しても生活に何の支障もない連中に、何百万・何千万という報酬が支払われているのに、無償でそんなに長時間拘束されたら、生活が成り立たない若年層には無償労働をしてくれと言う。

「おい、ふざけんな」ってなって当然でしょw

東京オリンピックで金儲けができるマスゴミなんかも、この辺を全てスルーして、まるで現代の若者が冷たい人間であるかのように、あるいは単に説明不足という相互不理解によるものだと、まったく見当違いの事しか言わないw

そもそもボランティアって他人に強制された時点で、ボランティアじゃないんですよ。
それは単なる「勤労奉仕」です。
戦前の日本にあった、悪しき風習であり、これこそ何かって言うとすぐに「軍靴の音か聞こえてくる」とか言う某新聞社は批判すべきと思いますが、スルーw
大学に東京オリンピックのボランティアをさせるために、授業を休みにしろとか、もはや「学徒動員」ですよw
なぜこんな戦時中のような事をやっておいて、普段はそういう事に異常に反応するマスゴミさんたちはスルーするんですかね?
まぁ答えは簡単です。
自分らが儲かるから、スルーしてるわけですw

ボランティアに給料出せとは言いません。
ですが宿泊先の手配や宿泊費・交通費の全額支給ぐらいはやるべきですし、生活に支障がない範囲でできるように、もっと条件を緩くすべきでしょう。
そのぐらいの予算は捻出できるでしょ、ボランティア募集の広告に4000万円もかける金があるならw

日本人は馬鹿じゃないんですよw
一部の人間の金儲けのために、多くの人間が損をする。
そんな状態なのに、誰もおかしいと言わないし変えようともしないで、黙って餓死だの戦死だしていったり、あるいは移民・難民として他国に逃げる事しかしない無責任で無能な人達とは違うんですよw

オリンピックで金儲けを企んでる連中と同等かそれ以上の「知能」を持ってるんですよ、みんな。
そこをまずよーく認識して、そのうえでどうボランティアという名の奴隷を集めるか、考えてくださいねw

暴力と指導の違い 日本体操協会問題

今回の件に関して言えば、個人的には「暴力」とはそもそも言えないと思うわけです。

「暴力」というのは、理性で制御できていない「力」が「暴力」であり、世に言う「体罰」だの「指導」だので相手に痛い思いをさせるような事は、「暴力」と言うべきではないと思います。

私は「体罰」肯定派でもあります。
「殴ったね? 親父にも殴られたことないのに!」という某アニメの有名な台詞があります。
本当に殴ってでも正さなければならないほど、悪い事をしたことがないならともかく、そんな子供は居ないわけです。
口で言って理解できるぐらいなら、そもそも人間社会に「体罰」という言葉は無いはずなんです。

それらはすべて、理不尽で行過ぎた「暴力」だけになるはずなんです。
「体罰」と単なる「暴力」の違いは何か?

ひとつは叩く・殴る側がどういう気持ちかというのがあります。
「ここで殴ってでも言動を正さなければ、こいつの将来のためにならない」と「相手」の事を考えてのことなのか、「俺の言う通りにしないなんて許せない」などの「自分」の事を考えてのことなのか。
もうひとつはその程度です。
相手に対して、命にかかわったり障害が残るような怪我をさせるのは「体罰」ではなく「暴力」です。

そもそも本当に相手を思って振るう拳であれば、ブレーキがかかるので、相手が大怪我する事なんてないんですよ。
憎しみをもって振るうから、「虐待」と言われるように相手が死んでしまう、骨折などの重大な怪我になる事態が出てくるのです。

スポーツ会の「体罰」というか、拳をもっての「指導」がすべて正しいとは言いません。
なぜなら、「自分たちも先輩からこうされたから」とか、そういう恨みやストレス発散で後輩や指導している選手に「暴力」を振るうアホが居るのも確かだからです。
昔の日本の軍隊にあった「鉄拳制裁」なんかも、ほとんどがこれでしょうw

ここ最近の世の中は、こういった本当の意味での「暴力」と「体罰」や「指導」とを全部一緒にして考えてしまう節があります。
だから日本体操協会も、処分をあせって重くしたというのもあるでしょう。
反日左翼やマスゴミのせいなんですよ、半分はw
偉そうに批判してますけど、やつ等は。

日本はかつて、「教育」こそが強く正しい国を作ると思って実践し、実際に成果を出してきました。
欧米は植民地に対して「教育」を一切しない、むしろ「教育」しない「無知」のままで居る事を「強制」すらしました。
それが「反乱」などのを起こさせない「支配」しやすい人間を作るのに、一番効果的だったからです。
ですが日本は侵攻した欧米植民地のアジア諸国に、「教育」を施しました。
文字の読み書きであったり、四則計算などの算数であったり、あるいは戦い方であったり。
だから戦時中の日本の行いは正しかったとか、言うつもりはありません。
相手国の求めに応じて行った事ではなく、日本が勝手に押し付けた事であるのは事実だからです。
ただそれがうまく作用したにすぎないのです。
日本が敗戦する事によって。

話がそれましたが、「暴力」も「体罰」もいっしょくたにして、それらを排除しようとする輩が何を望んでいるのか?
躾もされてない、自分勝手で無知で無能なサルの集団に日本をしたいからです。
「教育」という国の根本を破壊して、将来起こりうるであろう日本への侵攻をやりやすくするためです。
あるいは日本の競争力や国力をそぐためです。

かつてイギリスが、清国の国力を削ぐのに「アヘン」を使ったようにねw

現代では「アヘン」で敵国民を堕落させるなんて工作は、当たり前ですが使えません。
なのでそれより時間はかかるが、確実に敵国民を堕落させ、無能にさせられる「教育の破壊」という工作を行っているわけです。

子供が死んでしまうような「虐待」や、自分がされてきた事への恨みやストレス解消のための、「指導」という名の「暴力」は、絶対に許すべきではないし、そういうのは排除すべきです。
ですが、「殴ってでも言動を正さなければ、こいつのためにならない」という種類のものは、規制すべきではないのです。

「虐待」や「暴力」なのか、「指導」や「体罰」なのかの見極めなんぞ、簡単に出来ます。
「教育」を破壊したいだけのマスゴミだの反日左翼団体だのの圧力に屈せず、また一般国民もそれらにうまく誘導されたり騙されたり洗脳されることなく、本当に損害になる事だけを取り除き、必要なものは残すというのをしなければ、日本はどんどんダメになります。
世界一安全で礼儀正しくて、すばらしい国だなんて、そんな嘘か本当かも分からない「海外の反応」系のサイトや番組に惑わされてはなりません。
それらは正しい「教育」あってこそなのです。

TERA クラッシックサーバ メインクエ無視でサブクエだけでとっととレベル60にした方が良い事に気づくw

クラッシックサーバのカンストレベルである60にとっととなった方が良い事に、気づいたw

ここ最近、野良PTが組めない。
3時間とか4時間とか永遠と街で待機して、1回PTに参加できるかどうかw
時間の無駄過ぎて笑えないw

暗黒だとか名誉だとかは良く見るが、つまりやり込んでるやつ等はもうカンスト前ダンジョンはとっくに卒業、下手したらサブキャラすらもカンストしてる連中ばかりのようだ。
それにメインクエスト関係のダンジョンは、カンストしてからソロで攻略するのも可能っぽいし。
まぁ職にもよるだろうがw

カンスト前ダンジョンのドロップ装備なんて、最終装備ではないわけで、手に入らなくても問題ない。
フィールドの敵でも、そこそこの装備が結構ドロップするし、装備より操作や立ち回りの方が重要なゲームだし。

どっかのギルドに入る事も考えたが、人数が100人超えてる放置ギルドと、人数が20人前後なのにやたらギルドレベルが高い、ガチ勢しか見当たらないw
効率とか一切考えない、下手でも死にまくっても「どんまいwww」で済まされる、そういう同好会レベルのまったり初心者ギルドがないw

となるとあとはソロでとっととカンストして、最終装備だけ揃えたのちに、クラッシック期間が終わるまでにそれまでのメインクエやダンジョンをソロクリアして、ご褒美だけ揃えた方が良いw

まぁ何年も前の作品だし、人間で言えば死ぬのを待つだけの、老人のような状態のゲームなんだから、活気溢れる現役世代のようなのを期待する方が間違いだよねw

しかし本当に面白いネットゲーム出てこない。
紙芝居ガチャスマホゲーとか、とっとと滅びないかなぁw

野良PTの活性化

ネットゲームの醍醐味のひとつが、野良PTだと私は思っている。
もちろん、PTプレイのようなものは必ずしもネットゲームじゃないと出来ないわけじゃない。
なぜなら、家庭用ゲーム機には古くから2Pというのがあるし、近年の家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機でも、複数の人数でひとつのゲームやミッションを協力してプレイしてクリアするというような事は可能だからだ。

しかしネットゲームのように、いつでもどこでも誰とでもというわけにはいかない。
据え置き型の家庭用ゲーム機であれば、本体のある家に他のプレイヤーが集まらなければならない。
必然的にそれはある程度親しい友人が居なければできない。
また携帯ゲーム機は、通信距離が短いので人が沢山居る場所に行ったり、やはりどこかに集まらなければならない。

ネットゲームは「野良PT」であれば、自分の家で好きな時に遊ぶ事ができる。
これが最大の違いだ。

ちなみに「野良PT」とは、まったくの初対面同士で組むPTの事で、対義語として「固定PT」というよく見知った(といってもネットゲームでは相手の顔は見えないがw)者同士で組むPTというのもある。

野良PTの欠点は、初対面なのでその人がどのぐらいの強さなのか、どのぐらいの上手さなのか、どういう性格でどういう動きをするのかが、まったく分からないというのがある。
そのため、人数さえ揃えばクリアできるようなダンジョンは良いが、高難易度のダンジョンは全滅する事も珍しくない。
そういう状況になっても、誰が悪いとか怒ったりしない、野良PTだし仕方ないと思える心の広さが必要になってくる。

しかし慣れれば、野良PTほど楽しいものはない。
なぜなら、固定PTというのはお互いの「プレイスタイル」や「強さ」を良く知っていて、毎回同じ動きをすれば良いという単調作業になりがちなのに対して、毎回違う動きをしなければならずに刺激があり、どんな野良PTでもメンバーを死なせない盾や回復などは、それだけで尊敬に値する「上手い人間」という自己満足感を得られるからだw

さて、野良PTのもうひとつの欠点は「人口」に依存する事だろう。
特にレベル制MMOというのは、レベルが違うとPTすら組めない。
もちろん組むだけなら可能だが、それでダンジョンに行けば適性じゃないレベルのメンバーが居るだけで、メンバー全員のドロップ率が落ちたり経験値が減ったりする。
だだでさえ最近のMMOは人口が少ないのに、それに加えてレベルという制限まであっては、野良PTが組めないのも当たり前だ。

昔のMMO全盛期の頃は、午前中とか明け方とか、ニートですら寝ているような時間帯以外は、野良PTは組もうと思えば組めた。
今はゴールデンタイムである夕方から深夜でも、野良PTを組むのは難しい。
TERAクラッシックサーバで一番やっかいに感じる事だ。

これの解決法として、PT募集だけでなく勧誘希望も出せるようにしろと以前から提言はしているが、これだけではレベル差によりPTが組めない問題は解決しない。
そこでもうひとつ。
レベルに関係なくPTを組める仕様を実装する事を提言したい。

これは他のMMOでも採用してるところもあるが、廃レベルのプレイヤーが一時的にレベルを落とす事で低レベルのプレイヤーとPTを組んで一緒に遊べるというものだ。
これによって、低レベルな他のプレイヤーのドロップ率や経験値効率を落とさずに済む。

一時的にレベルを下げてまで参加する、廃レベルプレイヤーには何のメリットがあるのか?
レベル制MMOにおいては、いくらレベルを上げて装備を揃えて強くなっても、同じぐらいのレベルや強さの者同士でしかPTは組めないわけで、結局のことろ「俺つえーwww」の快感を味わう事はできないw
圧倒的な差があるその他大勢の前で、自分の強さを披露する事ができてこそ、苦労して時間と金をかけて強くなた甲斐があるというものだw
低レベルプレイヤーのPTに入る事で、それが実現できるのだ。
一時的にレベルを下げると言ったって、だいたい下がるのはレベルとそのレベルに応じた基本ステータスになるだけで、装備やスキルなどは高レベルなままである。
つまり、他の低レベルプレイヤーより圧倒的に性能は上のままだ。
それに加えて、「知識」という数値には表せない、システムでは制限できないアドバンテージもある。
みんなを先導して引っ張り、適切な立ち回りを見せ付ける事で「すげー」と思われるという快感を得る事もできるw

そもそも、固定メンバーが揃うまで永遠と街でぼーっと待ったり、あるいは適切な野良PTの募集が出るまで、メンバーが集まるまでぼーっと無駄な時間を過ごすより、自分にとってはドロップも経験値のメリットも無くても「俺つえーwww」と自慢できる機会のためだけに低レベルPTに参加出来たほうが、はるかに有効な時間を過ごせるだろうw

ネットゲームというのは、人口の多さが面白さを一番左右する。
どんなに優れた面白いシステムでも、プレイヤーが少なければ糞ゲーだし、どんなに糞なシステムや運営でもプレイヤー数が多ければ神ゲーなのだ。
ラグナロック・オンラインとか良い例だろw

そして人口の多さを一番感じられるのは、野良PTの組みやすさでもある。
街で中身が居るのか居ないのかわらかないキャラが沢山居ても、そんなもんはNPCと同じだ。
明らかに人が操作しているとわかるキャラと一緒に遊べてこそ、ネットゲームなのである。
そのためには、少ない人口をいかに野良PTとしてマッチングさせるかが最重要課題なのだよ。
レベル制とかいう寿命引き伸ばし策しか取れない無能であっても、野良PTが出来やすくする方法ぐらいは実装できるだろ?

・PTは募集機能だけでなく、勧誘希望の機能も実装すること
・レベルに関係なくPTが組める、レベル均等化や一時的なダウンのシステムを実装すること

この2つを実現するだけで、だいぶ野良PTの活性化になり、人口減少の速度を緩める事ができると思うのだが、いかがであろうか?

だだ「それを実装するコストに見合っただけの、売り上げが得られるのか?」「人口が増えるあるいは減らないという根拠をデータで示せ」と上司からは当然言われるだろう。
昨今のネットゲームは開発と運営は別会社である事が多く、仕様の追加変更は簡単には出来ないし、コストも無視できない。
個人が作った自社内だけで使ってるツールのように、ちょっと仕事の合間に改造とかっていかないのは分かる。
私だって、この機能を実装したからといって、必ずしも売り上げが上がるとか、人口減少に歯止めが掛けられるなんて保障はできない。
あくまで可能性が高いというだけの、賭けでもある。
ただその賭けに勝てば、会社の売り上げや価値はもちろん、自分の評価を大いに上がる。
そもそも、世の中の商売なんてみんな掛けである。
成功した者だけが、テレビだの雑誌だのに取り上げられて目立つが、その裏では多くの賭けに負けたものが存在する。
最初から絶対売れるなんて根拠を持って発売できるゲームもその他の工業製品やサービスなんてものは、ひとつもない。
賭けに負ける事を恐れず、可能性が少しでもあるなら挑戦する。
失敗してもあきらめない。
そういう人が成功するわけだ。

可能性が100%のものなど無いのに、それを待っていては失敗する事はないかも知れないが、成功する事もない。
ブラック企業の社畜として、死ぬまでこき使われるだけだ。
それでも良いというなら、このまま波風立てずに、所詮はたかがゲームだと現状維持をしていればいい。
所詮はゲームではあるが、自分はそれで食っているわけで、この先もこれで食っていこうと思っているなら、より良いゲームになるように、可能性が少しでもあるなら挑戦すべきという気概があるなら、検討して欲しい。

日本と西洋の絵に関する認識の違い

NHKスペシャルが「ねぶた祭り」を題材にしていたので、ふと思った。

ねぶた祭りの「みこし」(?)は、伝統的な「浮世絵」っぽい昔の日本の絵を立体的にしたものだ。

浮世絵は、西洋では今もなお高く評価されている日本独自の古典的な絵画(実際には版画だが)の代表である。
同時代の西洋の絵画と比べて、写実性に乏しい事もあって、日本ダメすぎと自虐する人も居るが、そうではない。

アニメや漫画もそうであるが、日本人が絵に求めるのは昔も今も「写実性」ではないのだ。
それは「誇張」された、絵でしかできない「表現」である。

浮世絵というのは、当時の「イラスト」だ。
日本の萌絵と言われる主流のイラストは、世界的に人気を博しているが、それは西洋には無い、思いつかない表現だからだ。
西洋というのは、今も昔も「写実性」を求める傾向が強い。
宗教画と言われるものも、「誇張」というのは薄めであり、「写実性」の方が強い。
また現代の「絵」である漫画も、アメコミと言われるものなんか見れば分かるが、非常にリアルな、日本で言えば「劇画」と言われる表現方法で書かれたものの方が多い。
もちろんスヌーピーや、あるいはディズニーなど「誇張」を重視した絵もある。
また日本にも「劇画」という言葉があるように、リアルさを追求した漫画もある。

だがその比率を見れば、今も昔も日本は「誇張」至上主義であり、西洋は「写実」至上主義であるのが分かる。

さて、この「誇張」表現だが、これも西洋と日本では認識が大きく異なる。
例えば西洋の有名な画家である「ピカソ」を見ればわかる。
もはや、何が書いてあるのか分からないほどまでに「誇張」された表現の典型である。
日本にはそのようなものはない。
なぜなら、日本人の好む「誇張」表現は、原型が何か分からないほどのものではなく、誰が見ても「ああ、これは人間を書いたんだな」と分かる「ギリギリの線」を超えない事を信条としているからだ。
これが、西洋の「誇張」表現とは違う、日本独特の基準であり、誰が見ても何を書いたのか分かるからこそ、世界で広く受け入れられて居るのだ。
日本のアニメや漫画の、目が大きい美少女とか実際に居たら気持ち悪いw
だが「女の子の顔」と誰が見ても分かる程度を、超える事は決してない。
ピカソレベルの誇張表現は、日本ではもはや「絵」ではないのだ。

万人が見て理解できるレベルを超えない範囲で、なおかつ「絵」でしか表現できない「誇張」を行う。
これが日本が浮世絵の時代から永遠と変わらない、伝統的な姿勢なのだ。

漫画やアニメというのは、言ってみれば現代版の浮世絵である。
だからこそ、浮世絵を見て驚き賞賛した当時のヨーロッパ人と同じく、現代でもまた欧米人が「アニメ!マンガ!」と騒ぐのだw

絵に関しては、浮世絵時代からその表現方法が顕著になったが、絵ではなく「像」で言えば、実は「リアル」より「誇張」を重視した姿勢は縄文時代とかに既にあった。
土偶とか言われるものだ。
土偶はリアルさには程遠い人形ではあるが、しかし一方で「これは女性をあらわしたものに違いない」とか、ギリギリ分かるレベルを保っている。
この時代から、「ギリギリ分かるレベルでの誇張」という価値観や信条があり、それがその後の大陸からの渡来人との混血を経てもなお、今の日本人の中に受け継がれているのだろうと思う。
リアルなものは、現実を見ればよい。
芸術とは、リアルでは決してできない事を、粘土を使った像や絵画で表現するものであり、しかしながら原型が不明なほどまで「誇張」してしまっては、それもそれで芸術ではない。
これが、古来より受け継がれる日本の伝統的な芸術観なのだと思う。

私が基本無料ゲームに課金しない理由

私が日本に住む理由
みたいなタイトルだがw

「ニートで金が無くて、課金したくてもできねーんだろwww」
はい、それも大きな理由のひとつですw

だがもし今現在も社会人独身貴族をやっていたとしても、課金はしないだろう。

その大きな理由は、「信用できない」からだ。

私はかつて、毎月カード限度額いっぱいまで課金しまくった廃課金厨でもあった。
そこまで酷かったのは一時期だけだが、そうでない時でも月に数万は課金するのは当たり前だった。
なので私のアカウントはかなりハッカー連中には魅力的だっただろうw
実際にアカハックされた事もある。
30万円近い課金がパーになった。
その時の運営の対応が、失ったアイテムの復活はできないし、調査もしないだった。
ちなみにこの糞対応をしてくれたのは、当時はフリー・シェアウェアの個人作成のアプリやらツールやらのダウンロードサイトの大手であったベクターだ。
まぁ話は10年以上前なので、いまは改善されてるのかも知れないが、それ以来私はベクターを利用する事すら避けている。
ましてやそこが運営に関わるネットゲームなんぞ、いくら話題作や面白そうなものでもやる気が起きない。

このように、ネットゲームの運営というのは会社の規模や創立から日が浅く、犯罪対応や法律対応が追いついてないというのもあるが、非常に信用ができないのだ。
そもそも、ハッカーとは書いたが、内部犯行の可能性も高い。
世に出る大規模な情報流出事件でもそうだが、それらの多くは凄腕ハッカーによるハッキングではなく、内部の人間による不正である場合が多い。
私は以前、コンピュータ・ネットワークセキュリティに関する仕事にも携わっていた事があるが、そこでも一番重要視されたのは、内部の人間がいかに不正を行えないようにするか?だった。
監視カメラの設置や、たとえその企業の正社員や幹部クラスであっても、自分が携わってない業務の部屋へは立ち入れないようにしたりとか、あるいはサーバルームへの出入りを、どこそこ部署の誰々が、何時何分に入室して何時何分に退出した、目的は○○作業のため、持ち込んだり持ち出した機材(主に記憶媒体)なども細かくチェックして記録に残すなど。

そもそもウィルスチェックソフトを入れる、セキュリティパッチを毎月きちんと当てる、不要な通信は遮断する、パスワードは定期的に変える、公衆回線(インターネット)には業務用のPCやサーバは物理的に繋がないなどは、当たり前の事であり、そのうえでどう漏えいを防ぐかが重要なのだ。
これはコンピュータの分野以外でもそうだろう。

また、たとえアカウントハックを食らわなくても、サービスが終了してしまえば、注ぎ込んだ金はパーだ。
リアルの形ある製品とかであれば、その扱いによって早く壊れてしまう事もあるが、それは自己責任だが、ネットゲームのサービスの終了は、いくら自分が毎月多額の課金をしてログインしてゲームを支えてやっても、向こうの都合でいつでも終わりになる。
こんな理不尽な事があるだろうか?
課金するだけ無駄だし、もしするのであればドブに捨てても惜しくない金額に抑えるべきだ。

多額の金を払っても、一時で消えてなくなってしまうもの。
おいしい料理や楽しい旅行などと同じに考えるべきだろう。

私は別に、今でも課金ガチャゲーに何十万も何百万円も注ぎ込んでる奴を馬鹿にするつもりはない。
なぜなら、そういう人達が居るおかげで、その他大勢の無課金勢がタダで遊べるわけだから。
しかし一方で、そういう商売の仕方を見直さない運営企業は擁護できない。
なぜなら、月額課金やあるいはスポンサー方式にするなどして完全無料にするなど、他に不幸な人間を出さない方法はいくらでもあるのに、やらないからだ。
また、そんだけ多額の金を顧客から搾り取っておいて、肝心の保障がまったく考えられてないからだ。
セキュリティも甘いし、従業員への教育や監視もまったくやってないとしか思えないほどだ。

だから私は絶対に今後も、宝くじの1等が当たったとしても、基本無料のゲームにだけは課金しないだろう。

ネットゲームの運営というのは、信用がおけない企業であるという事をよーく覚えておいて、その上でどうそれらの企業の提供するゲームを遊ぶかを考えた方が良いという、私の実体験からのアドバイスである。

TERA 運営は実際にプレイしているのだろうか?

ネットゲームをやっていて、良く思う事がある。
それは企画・開発・運営は、てめーらの作ったゲームを実際に遊んだ事があるのだろうか?という疑問。

というのも、前回のメンテでクラッシックサーバには経験値倍増イベントが適用されたわけだが、これが本当に困る。
このゲームは最初から最後までソロでも遊べるというものではなく、メインクエストに適正レベルだとどうしてもPTを組まなければ攻略できないダンジョン等が出てくる。
そもそもネットゲームの醍醐味は、PTを組んでの協力プレイの楽しさにあるのだから、当たり前だ。

TERAはMMORPGではあるが、非常にアクション性が高く、装備より操作の上手さや立ち回り、状況判断の早さ・的確さなどの方が重要だ。
職によって度合いは違うが、基本的にダンジョンの攻略の道順や出てくる敵の習性、そしてボスの行動パターンなどを覚えている必要があり、さらにそれに対応した操作が出来る事が求められる。
一回プレイ動画を見たりwikiの攻略情報を見ただけで覚えられて、対応する操作もすぐにできてしまう人も要るだろうが、大抵の場合は何回か実際に行ってみて、死んだりしてみないと覚えられない。
このゲームはレベル上げマゾゲーではないし、特に低レベルのうちはあっという間にレベルが上がっていく。
ダンジョンも数回で卒業になってしまう。
そんな中で経験値倍増なんぞやったら、余計に通う回数が減ってしまい、操作や立ち回りなどが未熟なまま高レベルになってしまう人が増加するだろう。
復帰組みや、既存サーバからの出張組みはそれでも問題ないだろうが、私のような新規はとても困る。

野良PTだと、最後まで埋まらないのが「盾職」であるのは、このためだ。
ガチ新規や引退期間が長い人や、あるいは既存勢でもずいぶん前にやった低レベルダンジョンの攻略法など忘れてしまってるような人は、一番それらを知っていて、かつ動ける必要のある「盾職」はやれないのだ。
なぜなら、死者を出さずに素早く効率良くクリアできる事が、暗黙の了解としてMMOというゲームに根付いてしまったからだ。
そして盾と回復は初見や不慣れでは、それを実現するのは困難になるからだ。

初見でもOKとか、死んでも泣かないなどと、わざわざ書きでもしない限り、そういう潜在的に存在しているPT入りたいけど入り難いという多くの人は、ためらってしまう。

Mありとなしで、攻略手順が変わるのもどうにかして欲しい。
効率重視の周回だろうが、Mありの面倒な攻略だろうが、どちらも同じにして欲しい。
Mありで、効率周回とルートが違うと、そういう人は入ってこれない。

ただでさえ少ない人口で、PTを組みにくくしてどーすんだとw

効率重視の、地雷認定厨や暴言厨が増えた原因は、プレイヤー自身の問題でもあるが、運営側がそうさせたものでもある。
レベルアップや戦力の高さを暗に競わせるような、そういう仕様を入れまくったせいである。
もちろん、基本無料ゲームにおいては、これは課金をしてもらうための策の一環であり、やるなとは言えないがw

だが結果的にそれらの効率マンセーの雰囲気が、新規が参入しにくくなり、アクションが不得意な層を引退に追い込み、過疎を招いているわけだ。
こんな事は、実際に自分たちでサービス中のゲームに一プレイヤーとして参加して遊んでみれば、すぐに分かりそうな事だ。
ユーザーにアンケート取ったり、サーバから出力される様々なログデータ類を分析したりするより、はるかに効率的に正確な原因を知る事ができる。
なぜやらないのか?

開発環境で、不具合チェックのためにプレイするのではなく、本番サーバで一般プレイヤーと同様の条件や環境で、不具合チェックのためではないプレイをしてみる。
これも重要な仕事のうちだと思うが、アホな上司には遊んでいるとしか見られないから、誰もやらないし提案しないのだろうかw
あるいは、「お前の感じた事なんぞどーでもいい。一般プレイヤーが感じている事を根拠のあるデータを持って示せ」という無能上司のせいだろうか?
自分が遊んで面白くないものが、多くの他人に面白いと思ってもらえるなんてあり得ないと思うのだがw
自分が不便だったり、この仕様はダメだなと思った事を、一般プレイヤーがまったく不便に感じていなかったり、むしろ良い仕様だと思ってたりする事もあり得ない。
もちろん、人の価値観というのは千差万別なので、まったく正反対の感想も無いとは言わない。

実際にクラッシックサーバでガチ新規として遊んでみれば、経験値倍増より、糞ダルイ移動をどうにかしてくれるイベントの方が何百倍も有難いと分かると思うのだがw
あるいは経験値もドロップも無くて良いので、何度でもソロで挑んで操作や立ち回りの練習ができるソロIDでも実装してくれた方が、何百倍も有難い。
MOBAやFPS系のゲームには、自分以外のPTメンバーは全てAIプレイヤーという練習用のステージとかがあるが、そのようなものがあっても良いと思う、特にこのゲームのようにアクション性を求められるものは。

ロクに練習もできないのに、いきなり試合に出されてヘマばかりして、お前明日からもう来るなとか言われる草野球みたいなもんだw

練習する時間や環境が十分に用意されていたのに、しなかった奴の事まで考える必要は無い。
だがそれが十分に与えられてない人間に、いきなり野良PTで盾だの回復だの重要なポジションをやらせて死人続出や全滅で攻略がなかなか出来ず、未熟さを非難される環境だけは、どーにかしてもらいたいw

朝日新聞の英文の慰安婦報道誤報報告が、検索サイトに引っ掛からないよう設定していた件に見るマスゴミの真実

日本国内だけでなく世界中でかなりの数の人が気付いていると思うが、中立で公正なマスコミ・ジャーナリズムなんて存在しない。
以前も言ったが、CMと同じく意図的に自分達に都合の良い情報しか流さないし、それらを信じ込ませようとしかしない。
自社製品の欠点は、わざわざ言わないし隠すのがCMだ。
朝日新聞が海外向けに英文で掲載したとされる「慰安婦報道」が真実とは違ってました、すいませんというのを、インターネットの検索に引っ掛からないよう細工していたというのは、中立でも公正でもない、CMを流すただの民間企業と同じだと示しているのだ。

CMはまだ良いほうだ。
あれは「宣伝」だと分かっていて視聴者は見るわけで、よほどの馬鹿でない限りは、CMの内容をそのまま鵜呑みにする奴は居ない。

しかしマスコミやジャーナリズムの発信する情報は、自分たちに都合の悪い情報は一切流さず、都合の良い情報だけ誇張して流しているCMとは違って、一切の偏向も誇張も捏造もない、中立公正なものですと嘘を付いている非常にタチの悪い商売だ。
マスコミ業界以外の民間企業であれば、詐欺罪で警察の強制捜査が入ってもおかしくないし、行政指導があってもおかしくない。

人の不幸を飯の種とし、平気で嘘をつき、一部の人間の利益のためにその他大勢が犠牲になる事に何のためらいも無い。
つまり戦前の新聞社と、本質はなんら変わっていないのだよ。
というか世界中のマスコミが、今やそんな状態なのだ。
朝日新聞が特に酷いのではない。
世界中のマスコミが、多かれ少なかれ同じようなクズの集まりだということだ。

もし本当に神様が居て、宗教が説くような善悪の価値観を持っているなら、マスコミ関係者は地獄に落ちるだろうw

まぁでも安心して欲しい。
宗教が説く善悪の価値観なんてもんは、所詮は人間が自分達自身のために作ったものにすぎず、従ってそれに基づく審判もなければ、天国も地獄も無いからw

なので好きにやればいい。
君たちマスコミがやってる、先祖の罪はその子孫も永遠と背負わなければならないという法則が、自分達自身に降りかかるようになるだけだ。
マスコミ関係者の親族や子供であると言うだけで、迫害される未来もありえるということだよ、今のような事をやってたらね。
君らが政治家や軍人の親族に、今現在やってるのと同じ事をされるだけ。

忠臣蔵で、悪とされた吉良上野介のボディーガードをしていた清水なんちゃらさんって凄腕の浪人の子孫は、あの間違った劇によって、苗字を変えて子孫である事を隠して生きなければならなくなったという話がある。

マスコミは自分達が将来、吉良上野介側にされてしまうかもしれないという危機感が足りないw
吉良上野介にされたくないなら、一方的で改変された情報を流布して、間違った正義の味方や悪の親玉を作るのではなく、何があったのかという「事実」だけを報じて、それについてどっちが悪いだの良いだのの意見は一切付けないことだ。

それができないなら、素直に公正中立ではありません、これはCMと同じですと公言すべきであろう。
あるいは、「感情」を持たない「AI」に記事の作成や編集を任せ、マスコミ業界から「人間」を排除するしかないw
「AI」に仕事を奪われる業界とか、他人事のように論じているが、もっとも「AI」に仕事を奪われる可能性が高いうえに、そうした方が多くの人間にとって利があるのは、君らマスコミ業界だと思った方が良いw

別に安倍首相を持ち上げろとか、戦前の日本を擁護しろとか、そういう極端な事を言ってるわけではない。
単に「公平」で「中立」な「真実」だけを報じれば良いだけなんだよ。

「報道」というのは、言ってみれば「最新の歴史」でもある。
「歴史」というのは、どっちが官軍でどっちが賊軍かを論じるために使うのではなく、そこから将来への教訓をいかに学ぶかに使うべきなのだよ。
これこそが、人間が地球上の生命で最も高い知能を持ったというアドバンテージを最大限に生かすための方法であり、生き残るための唯一にして最終の手段でもある。
それが出来なければ、かつて地球上で隆盛を極めながらも滅びていった多くの種と同じ運命を、人類も辿る事になるだろう。

任天堂 宮本茂氏「MMORPGを絶対に作りたくない」発言についての反論

某コンピュータゲームショーのイベントでの講演で語った内容らしい。
全容が規定により文字として報道できないので、要点を箇条書きしたものでのみでしか知ることができず、どういう意図で言ったのか、正確に知る事はできないが。

まず宮本氏にMMORPGを愛する者として言いたい。

MMORPG=重課金ガチャゲー ではないと。

月額課金制時代のMMORPGには、今もサービスが続くような名作も数多くあった。
だから今の作品だけ見て、MMOは糞だと言うのには賛同できない。

MMORPGというジャンルを廃れさせ、糞ゲーばかりにしたのは「基本無料アイテム課金」という商売方法であって、MMOというゲームのジャンルが糞だったわけではない。
その辺の事を、宮本氏は分かってないように思われる。

宮本氏が信奉しているであろう、「売り切り型」のゲームというのは、いわば「農業」のようなものだ。
収穫して市場に出すまでは、一切の収入は得られず、それで1年の生活を賄い、なおかつ次の作物の育成をしなければならないという、非常に不安定な商売だ。
天候にも影響され、場合によってはここ最近の豪雨などの自然災害によって、全てがパーになってしまう事すらある。
対して月額課金制のネットゲームというのは、一度に得られる収入は少ないが、それが長期にわたって得られるという安定性がある。
いわば携帯電話や電気・水道・ガスなどのインフラ、あるいは会員制のゴルフ場やらスポーツジムやら習い事などに近い。
商売の形態がまったく違うものを、同じ土俵に上げてどっちが優れているとか、劣っているとか語ってるに等しいのだ。

売り切り型のゲームには、大金を注ぎ込んで作ったのにまったく売れなかった、所謂「爆死」があるw
農業でいえば不作や自然災害により収入がまったく得られなくなる状況と同じだ。
だが月額課金制のネットゲームには、そういうものは無い。
もちろん「売れない」という事はあるが、売れなくてもアップデートなどの改良で、「売れる」作品に変えていく事はできるし、その場合にかかるコストは、また一から新しいゲームを作るより遥かに安上がりだ。

つまり「今の」MMOが糞なのは、「MMO」というジャンルが糞なのではなく、「基本無料アイテム課金」という商売形態が糞なのだと分かるはずだ。

そうは言っても、基本無料が当たり前になってしまった今の時代に、「月額課金制」ではユーザーの支持を得られないというのもあるだろう。
であれば、「完全無料」にすれば良いだけだ。

民放のテレビ局やグーグルなどの検索サイトサービスなど、ユーザーから1円も金を取らずにサービスを提供している企業はいくらでもある。
それらは主に「スポンサー形式」や、ユーザーにサービスを提供する事で得られる「情報」を、他の法人に売る事で商売が成り立っているわけだ。
そういう方式を、MMOの運営も取れば良いだけの話だ。

任天堂というネームバリューも会社の規模も超巨大な所なら、その方法を取る事も可能であろう。
天下の任天堂が、「完全無料」のMMOを作るのにスポンサーを募集していると言えば、金を出す企業はいくらでもあるだろうw
そこで得られたユーザーの行動分析情報や、ゲーム内に登場させた広告の閲覧数や、リアルの商品アイテムの売れ行きなどの情報を売りますと言えば、買う企業はいくらでもあるだろう。
ユーザーから1円も金を取らずに商売ができるなら、ガチャも要らないし、それによるユーザー格差や行動制限やアイテム保管容量や移動の制限なども必要ない。
本当の意味でのMMORPGが作れるはずだ。

これらの可能性や解決策を無視して、MMOは糞ジャンルだから作りたくないと言うのはどうなのだろうか?
彼は国内外でも有名であり、実績も十分にある天才的なゲームクリエイターであるが、その彼にしては視野が狭すぎないだろうか?
基本無料が当たり前になった時代から、ネットゲームをやり始めたユーザーや、糞ゲーしか作れないのを、ガチャゲーじゃないと商売が成り立たないんだからしょうがないと言っている無能クリエイターや運営であれば、彼の意見に賛同するであろうがw

完全無料のネットゲームのビジネスモデルを確立し、それでも糞ゲーしか出てこないのであれば、MMOというジャンルがそもそも糞なんだと言えばいい。
そうじゃないなら、一部だけ見て、歴史も知らずにMMOを語って欲しくは無い。

オープンワールド

オープンワールドとは、広大なMAPを自由に探索・攻略できるコンピュータゲームの様式の事らしい。
これだけ聞くと、MMOのように思えるが、海外ではFPSだったり普通に架空の町で生活したり探検したりする戦闘の無いものもあるらしい。

しかしオープンワールドが最も当てはまるネットゲームは、やはりMMOだと思う。
ウルティマ・オンラインがそうだ。
私はウルティマ・オンライン以外に、このオープンワールドの定義がきっちり当てはまるゲームを見た事が無い。

なぜウルティマ・オンラインが最もオープンワールドなゲームと言えるのか、理由を説明しよう。

1.フィールド世界MAPが1枚である
国産あるいは中国や韓国や台湾産のMMOは、全てフィールドMAPが繋がっていない。
MAPの端など特定の場所にある、隣のMAPへのワープポイントみたいなのを通らないと、行き来できない。
しかしウルティマ・オンラインは、このようなMAPの境界線が無い。
厳密にはあるのだが、現実世界の地球と同じように、ずーっと同じ方向に進めば、元の場所に返ってくる。
つまりMAPに「終わり」が無いのだ。

2.ストーリークエストが無い
オープンワールドの定義は、広大なMAPであると当時に、「自由」というキーワードがある。
ストーリークエストやメインクエストなどがある昨今のアジア産のMMOは、これに当てはまらない。
なぜなら、それをやらないとゲームが先に進まなかったり、行けないMAPやダンジョンがあったりするからだ。
つまり強制的にクエストをやらされる。
これは「自由」とはまったく逆だ。

こんな仕様でオープンワールドとかほざいてるMMOは、詐欺であるw

またMAPもただ広ければ良いわけではない。
FFオンラインとか、アホみたいにMAPが広い事で有名だし、私が今やってるTERAもかなりMAPは広いと思うが、単に移動が面倒だったり、移動で時間稼ぎをして寿命を延ばそうとしているに過ぎない。
ウルティマ・オンラインのように、意味のある広さでは無いのだ。
しかもウルティマ・オンラインは、フィールドであればどこでも任意の場所に移動できる魔法が存在する。
ルーンというアイテムに、予め「マーク」という魔法で位置情報を記憶させ、「リコール」という魔法でそのルーンを指定すると、記憶した座標に飛べるのだ。
ちなみに「リコール」は自分一人だけが移動する魔法だが、「ゲート」という一定時間内であれば、何人でも通過できる、一種のどこでもドアみたいな魔法もある。
広大なMAPでありながら、移動時間をプレイヤーに消費させない、そんな事をしなくても1年でも2年でも飽きない面白さがあったのだ。
今のMMOにはそれがないw
MAPだけ無駄に広いのに、ワープ魔法が無いか、特定の場所だけに制限されてるとか。

技術的に無理なわけでもないだろう。
なんといってもウルティマ・オンラインは、まだCPUがシングルコアでクロック周波数も今の1/10以下であり、メモリもウンMBの時代であり、更に通信スピードはADSLより遅いISDNやアナログしかなかった時代のものだw
そんな時代に実現できていた技術が、ハードウェアの性能がアホみたいに上がった今の時代に、できないはずがないw
多少無能でも、CPUの処理スピードやメモリ・HDDなどの記憶域の多さや通信の速さで、力技でいくらでも実現可能だ。

あとクエストが豊富に無いと売れないとかって思い込みも、いい加減捨てて欲しい。
MMOってのは、「自由」が売りなのだ。
クエストを無くせとは言わないが、絶対やらなきゃいけないクエストなんてのは無くていい。
それは「強制」であり「自由」とは反対の事だ。
絶対にやらなきゃいけないクエスト、絶対に通わなければならないダンジョン、絶対に揃えなきゃいけない装備。
そんな仕様は家庭用のソロRPGでやってくれと言いたい。

君らが作っているのはMMOじゃないんだよ。
ファミコン時代のドラクエだのFFだのを、グラフィックや音楽を綺麗にして、大勢で同時に同じ本体で遊べるようにしたに過ぎないのだよ。
ファミコンのRPGはクリアすれば、当分はやらないだろう。
それと同じで、本来はゲームクリアが存在しないはずのMMOに、ファミコンRPGの仕様を持ち込んでしまったが為に、てめーらでゲームクリアを作ってしまっているのだよ。
それでもMMO全盛期の頃は、PTプレイやチャットとかいう、ファミコンなどの家庭用ゲーム機では不可能だった仕様があって、それが目当たらしくて、盛り上がっていただけなのだ。
PTもチャットも機能すら存在しないのに、MMOを名乗ってる糞ゲーも多い。
今やってるTERAも、先に進むために必要だからダンジョンクエストが発生した時に仕方なく野良PTを組むだけだ。
その証拠に「よろー」と「おつー」しか会話が無いw
ファミコンのRPGをやってるのと、何が違うのか分からないし、そういうゲームは飽きるのも早いw

そういう一本道を辿らされてる感や、ネットゲームなのに他プレイヤーとの関わりが無かったり薄かったりする。
それがここ最近、MMOやってもすぐ飽きる原因なのでは無いかと思う。

原点に立ち返って「オープンワールド」を実現する以外に、MMOの復興は無いと思う。

TERA フィールドボス(中ボス?)に勝てないwww

レベル20ぐらいから、バシリスクでしたっけ、あれは弓はもちろん、槍でもプリでも倒せたんですが、以降どんどん倒せなくなりましたw

上手い人は殆どノーダメージで、ダンジョンのボスすらソロで倒せる人も居るみたいですが、私には無理ですw

そもそもPCのネットゲームは基本、キーボードとマウスしか使えません。
テレビゲーム機のように、アクションゲームに向いているコントローラはよほどのマニアじゃないと使わないし、使ったとしてもアホみたいにスキルやらアイテムやらを何種類も使わないといけないTERAでは、ボタン数が足りませんw

なぜアクションゲームなのに、こんなにスキルやアイテムを増やしたんでしょうかね?
もちろん、それでも対応できる人も居るわけですが、より多くの人に遊んでもらうには、もう少し簡単にする必要があると思うんですけどね。
メインクエはそれでも、中ボスっぽいのでもHPが極端に低く設定されてるので、瀕死になりながらでも倒せますが、サブクエ系の中ボスは無理ですわw

FPSやTPSなんかは、もっと使えるコマンドは少ないんですけどねぇ。
ガンオンンなんか、武器は3種類程度しかなく、しかもマウスホイールで切り替えられるので、アクションに専念できるんですよねぇ。
いや、ガンオンも下手ですけどね、私w

アクション重視の戦闘にするなら、もう少しスキルやアイテムの数を考えて欲しいですねぇ。
格下のレベルの中ボスにすら、何度も殺されてクエがクリアできないとか、萎えます。
そのうえ、何種類もあるダンジョンの何体ものボスの行動パターンまで覚えろとか、おっさんには無理w

まぁその分、装備とか揃えるのは楽ですし、他のチョンゲーと違ってカバンが無課金でも沢山入るし、そういう部分は評価しますけどね。

PTプレイは、スポーツで言えばチーム戦みたいなもんで、野球やサッカーの試合する時に、いきなり今日はじめて野球やります、サッカー知りましたなんて奴は、普通は試合に出ないです。
なのでPTでダンジョン行くのに、最低限wikiなり先行プレイヤーのプレイ動画なりを見て予習するのは、マナーかなぁとは思いますけど、それで済めば良いですが、このゲームの場合、体で覚えるしかない部分が多いですよね?
体で覚える、練習するには何度もダンジョン行かなきゃならないですが、その度に死にまくって他のメンバーに迷惑かけて、やっと何とか覚えたって頃や、それ以前にレベルが上がってしまうので、また次の新しいダンジョンw
カンストしてから毎日通ういくつかのダンジョン以外では、とてもじゃないけどまっとうなプレイが私にはできそうにないです。

昔のMMOって、そんな私でも地雷認定されず、むしろ上手いので組みませんか?言われる程度の簡単さがあったんですけどね。
ちなみにそれ言われたのは回復職の時ですが、このゲームで回復やった時はもうどのキーがどういうスキルかも分からんし、PTメンバーをワンタッチでタゲれる機能もないし(あるんですかね?)、タゲっても距離的に届かないとかあるし、まじ無理ですわ。
範囲回復も思った場所に出ないしw
これで適切な回復で、多少下手糞なメンバーでも絶対死なせない人とか居るんでしょうかね?
てゆーかMPが尽きるの早すぎですお、このゲームの回復職w

敵の攻撃は避けるのが当たり前みたいで、ヒール系魔法もアイテムも回復量が少ないし。

なんかもうちょっと、難易度下げられませんかね?
と思った今日この頃です。

名前に入っている母音が性格に影響を与える

ふと思い出したので。

私が中学の時の国語の教師が、こんな話を雑談とした。

名前に入っている母音によって、性格に影響が出ると。
その先生は、エロかったので自分の娘が男受けする性格だか容姿になるように、「まゆ」と名づけたとw

「まゆ」という名前は母音が「あ」「う」が入る。

名前に母音の「あ」のある人は、明るい性格になるらしい。
そして「う」が入る人は、色っぽくなるらしい。

ちなみにその他の母音は「い」が入ると正確がきつくなり、「え」は忘れた、「お」が入るとおっとりした性格になるらしい。

なぜ未だに何十年も前の国語の授業のほんの数分だか数十分だか話された雑談を覚えているのかというと、結構あたってると思うからだ。
私は名前に「い」音が入っていない。
従って、性格が非常に弱いw
「い」音が名前にあったり、あだ名や苗字にさえ入っているような人は、私の経験では総じてみな気が強かったw

気が強いといえば、そんなに悪い印象でもないが、裏を返せば自己中で我侭って事でもある。

名前というのは、小さい時から何度も聞く「単語」であり、人生でおそらく一番耳に入る「言葉」でもある。
その音が、脳に作用して何らかの影響を与えるのは、科学的に見てもありうると思う。

言霊なんてのがあるが、音によって脳にそれぞれ違った反応が生じるのであれば、そういうものはあると言ってもおかしくない。

日本人は子供の名前をつける時に、考えるのは主に「漢字」だ。
どういう子になってもらいたいとか、親や祖父母から一文字貰うとかもあるだろう。
最近だとキラキラネームとかが、話題だがw

もし子供にこれから名前を付けようとしている人が居たら、ぜひ「母音」が与える影響というのも、考えてみてはいかがだろうか。

報ステの意図的な誤訳と米国で発覚した中国工作員による日本叩きの実態

どちらも、実際に工作を実行したのは、それらに指示された国内企業であったり自国の政治家だ。

なぜ自分が所属する集団の害にしかならず、他集団の利になる行動を平気でしてしまう人間が居るのか?

答えは人間というのは、所詮は自分一人が、あるいは自分の血を受け継ぐ子供だけが生き残れれば良いし、その為には本来は一人では生きていけない為に作り、所属している集団の利害を平気で無視できるからだ。

これら自集団の害になるような事を、平気でやる人間は、それによって自分だけが何らかの利益を得るからやるのだ。
自分が利益を得るという事は、自分だけが生き残れるという事でもある。

これは全ての生命が持つ「生き残る」という本能に由来するものであり、防ぐ事はできない。
理性や善悪の概念というのも、そもそも自分が生き残るために最善の方法を理論的に考えた末でのものであり、本能を補完するためのシステムの一部にすぎないからだ。

ではこういう利を得れないどころか害を被るしかない、その他の多くの集団所属者はどうすれば良いのか?
答えは「騙されない」事だ。
一見正しい事を言ってるように見えても、それは本当に自分にとって利があるのか?害が無いのか?
それを見極めて、賛同や支持をしたり、反対や反論をすべきという事だ。

自由だの平等だの人権だの自然保護だの、こういう「言葉」自身に惑わされてはならない。
それらはいずれも「無制限」に保障されたり実施しなければならないものではなく、あくまで人類や集団に「害のない範囲」においてのみ、守らなければならない事柄にすぎないのだ。
一部の権力者だけが、生き残れるような事ができないように、その他大勢の平民だの農民だのって階級の人が、自分も生き残れるように、王様や貴族や独裁者が出ないよう、あるいは権力者が不当に権力を行使しないように考え出されたものだ。

自由だ平等だ差別だ言えば、何でも意見が通るのであれば、「神様がそう言ったから」とテロを行う人間を正当化するにも等しい。
そういう思考停止の狂信者と同じになりたくないなら、政治家やマスゴミや市民団体や、あるいは差別だ何だと騒ぐ人の言う事を鵜吞みにするのではなく、それは本当に自分にとって害が無いのか?その人や団体だけが得をするだけじゃないのか?というのをよーく考えてから判断すべきである。

新聞もテレビも、所詮はCMと同じだと考えて見るのが、一番良い方法かも知れない。
なぜなら、CMというのはその企業が儲けるためにやっている「宣伝」であり、その製品がその値段に見合うのか、それらの判断は自分で行うものだからだ。
それと同様に「ニュース」や他人の「主義・主張」というものも、それが本当に自分に害がない、利があるものなのか?
そういうのを考える癖を付けるのが、民主主義が衆愚政治にならない一番の方法である。

褒めて育てる

以前、なんかの番組で見たことあるのだが、褒めて育てるのが一部で流行ってる(?)らしい。
褒め方の研修なんてのもあるようで、そのセミナーで初めて会った参加者同士で、「ではまず相手を褒めてみて下さい」というのが始まった場面が映されていた。

褒めて育てるという方法自体は、別にここ最近になって発案されたものではなく、昔から育成方法のひとつとして存在している。
人間だけでなく、動物というのは褒められれば気分が良くなるし、怒られれば気分は悪くなる。
褒めて育てるというのは、この動物の性質を利用したものだ。
誰かに何かを教えたり、言動を改善させる時に、否定から入るのではなく肯定から入った方が、本人のやる気も上がるし指導者の言う事に耳を傾けようという気にもなる。

何かの企画書を作らせて、「課長、頼まれていた企画書出来上がりました」と持ってきた時に、「何だこれ?こんなもん上に出せるわけないだろ!やり直せ!」と言うのと、「おお、なかなか良いね。でもここをこうしたら、もっと良くなると思うよ?」みたいな感じで修正や訂正を求めるのでは、言われた部下の気持ちが全然違うだろうw

気持ちだけじゃない。
人間というのは気持ちが行動に影響する。
前者のように全否定でやり直しを命じられた場合と、後者のように肯定からやんわりやり直しを命じられた場合では、再提出できるものが出来上がるまでの時間も、内容も、ぜんぜん違ってくる。

仕事の効率が上がれば、その部署の成績も上がるだろう。
そして何より「否定しない」「褒める」事で、部下からの評価も高くなる。
自分の出世にとっても良いことづくめだw

子供の躾や教育も同じである。
ただ何でもかんでも肯定し、褒めれば良いわけでもない。
なぜなら、叱られた経験の無い人というのは、例えその人が性格の良いモラルの高い善人だったとしても、親以外の人間にそれが通用するとは限らないからだ。
何も悪いことをしてないのに、気に食わないだとか、あるいは良い人として人気があるのを妬む人だって居る。
そういう人から否定的な事を言われた時に、うまく対処できなくなってしまう。
突然キレる奴とかって、たぶん「親父にも殴られた事がないのに!」という某アニメの主人公のような人物なんだと思うw

叱る時は叱るのも、特に子供の躾や教育にとっては重要である。
ただ叱るのより褒める事を多くすれば良いだけである。
叱ってばかりだと、子供はだんだんいう事を聞かなくなる。
あるいは「自分はダメな人間なのだ」と自分に自信を持てない、卑屈な性格になってしまう。
否定されるというのは、否定した相手への反感・恨み・憎しみなど負の感情を生むわけで、それが溜まればいつか爆発する。

褒めながらやんわりと言動を修正できそうな場合は、できるだけ叱らない。
これはきつく叱らないと、将来この子のためにならないと思ったら、その時だけ厳しく叱る。
叱る頻度が少なければ少ないほど、いざ叱られた時の衝撃というのは大きくなるし心にも残りやすくなる。

普段あまり叱らないどころか、子供にとやかく言うことすら無いお父さんの居た家庭の子供が、思春期に入って頭を染めて粋がりはじめた。
母親が何度注意しても聞かず、いよいよこのままでは警察のお世話になるような事もやりかねないという段階になって、突然普段何も言わない父親に、「お前、ちょっと話がある」とその子は呼び出された。
そして今まで見たことも無いような剣幕で、激しく父親に叱られたそうだ。
その事が相当ショックだったようで、結果的にそいつは不良の真似事を止めたw

これが効果的な叱り方であろうと思った。

まぁ普段何も言わないのもどうかと思うが、何かにつけて叱ってばかりなのよりは、遥かに効果的であるw

「やさしい」のと「甘い」のとは違う。
否定から入らない、きちんと褒める事ができる人が「やさしい」お父さんなのであって、子供が何をやっても決して怒らない、無関心で無責任なのが「甘い」お父さんなのである。

どんな小さな事でも、褒める。
褒めた上で、修正すべき点があるなら、やんわりと促す。
これは褒めようがないし、厳しく叱らないと本人のためにならないと、よーく考えた末にそう思ったのなら、叱るべきである。
そんな場面はそうそう無いはずであり、だからこそ効果的に作用する。

ちなみにこれ、会社や子供の躾だけでなく、政治の分野でも応用がきく方法なんですよ。
相手を全否定するから、意見を聞いてもらえないし理解しようとしてもらえないのです。
相手を肯定したうえで、でもこの法案のここをこう修正した方が、さらに良くなると思うんですがいかがですかね?みたいな形でやれば、自分の意見も通りやすくなると思うんですよ、一部の野党さんw
これをうまくやってるのが、個人的には維新の党だと思いますw

刑事「お前がやったんだろ!証拠は挙がってんだ!素直に吐けゴルァ!!!」
とやるより、
刑事「ほう、いい面構えだな。お前さん、相当な修羅場を潜って来ただろ。そんなお前がこんなチンケな犯罪をするとは到底思えないが、もしやったとするならそれなりの理由があるんだろ?どうなんだ?」
とやった方が、吐きやすいと思いますw

山口2歳児行方不明を解決したボランティア爺ちゃんに見る歴史の正しい使い方

良いニュースを私の価値観の証明などという、下らない左翼がやるような事をしてしまって申し訳ないが。

このプロボランティアとも言えるお爺ちゃんは、過去に同じような行方不明幼児の捜索に参加した時の経験から、子供は山で迷ったら上に登っていくという習性(?)を学び、それを生かしたために発見できたわけだ。
何も特別に勘が優れていたとか、運が良かったとか言うのではなく、「人間」として自分の過去の経験という「歴史」を正しく使ったから、発見できたと言えよう。

過去の経験を、他人を批判する材料にしか使わない、誰かさん達では絶対に発見は無理であったろう。
2年前にも大分県で2歳の女の子が山で行方不明になった事件があったのに、今回の最後に2歳児と一緒に居た祖父は、なぜ目を離したんだ?
というように、過去の事件を誰かを叩くためにしか使わないのが、マスゴミや左翼や中・韓などの連中である。
だから彼らは「進歩」できないし、そういう連中は決して今回の捜索にボランティアとして参加してたとしても発見はできない。
過去に同じような事件があって解決しているものを、どういう経緯で発見に至ったのか?
誰かを批判するのではなく、そこに今回の件を解決するヒントがあるのではないか?
そう考えて実践したからこそ、このプロボランティアとでも言うべきお爺ちゃんは、名探偵並みの活躍ができたのだ。

前回も述べたが、「歴史」というのはこのように活用してこそ、意義があるのである。
「歴史」は誰かを批判し、マウントを取るために使うものではないし、そんな事をしても人類にとって何の利益にもならない。
人間以外の動植物は、遺伝子や親からの教育でしか、自分たちの種が生き残るのに必要な歴史を残せないし学べない。
しかし人間は、遺伝子や親からの教育なんぞより遥かに多くの情報を、書籍や写真や動画で後の世に残せるのだ。
なぜそれを「正しく」活用できないのか?
誰かが誰かを貶めたり誹謗・中傷したり、謝罪や賠償という利益を得るためにしか使われないのであれば、せっかくのより多くの情報をより正確に後の世に「歴史」として残せるという人類のアドバンテージも、単なる宝の持ち腐れにしかならない。

このニュースに対して、私はそう思ったという話。

終戦記念日 日本がすべきは「過去の反省」ではなく「教訓を生かす」こと

マスゴミや野党や市民団体や狂師みたいな、反日左翼だけでなく、中道(左翼的には右翼らしいがw)の政党・政治家などの連中も、こぞって「過去の反省」を口にする。

しかしこれは「間違い」である。

私もそうだが、今の日本人の現役世代はすべて「戦後生まれ」であり、かの戦争について何の責任もない。
「反省」というのは、何か悪いことをした時にするものだ。
自分は何も悪い事をしてないのに、なぜ「反省」する必要があるんだろうか?

自分の親が殺人で実刑判決を受けて死刑になったり刑務所に服役してたりしました。
なので、その子供であるあなたも、「反省」しなければなりません。
と言ってるようなものである。

反日左翼どもは、犯罪者の子供が親の犯罪の責任を負わされたり、それによって「反省してない」と叩かれたりしたら、絶対に「おかしい」「差別だ」「人権侵害だ」と騒ぐだろう。
しかし同じ事を、戦後生まれの日本人に彼らは行う。

では終戦記念日を、戦後生まれの日本人はどう扱うべきなのか?
自分らとは関係ないんでwと無視すれば良いのか?

そうではない。

「反省」ではなく、「教訓として生かす」が正しい。
親が犯罪者のクズの場合、子供は「こんな大人にだけは自分はなるまい」と「反面教師」として、その体験を生かす事が最も正しく有効であるのと同じだ。
自分たちのご先祖様は、なぜ「戦争」をしてしまったのか?
なぜ「勝つ見込みの無い戦い」を始めてしまったのか?
その原因や経緯を正しく理解して、後の世に同じ事が起きないようにするにはどうすれば良いか?を考えるのが、終戦記念日の正しい生かし方だ。

自分に非が無い事で、「反省」だの「謝罪」だの「賠償」だのを求められる。
だから若い世代といわれる人達は、反日左翼の言葉に耳を貸さなくなったのだ。
中国や朝鮮の工作が、まだ戦中生まれの人間が現役世代に居た昭和の時代ほど、効果が出なくなったのだ。

戦後生まれではあるが、自分の親が、あるいは祖父母が戦前の日本によって殺された。
だから日本や日本人を好きになれない、恨む、憎い。
そう思う中国人や朝鮮民族の感情を否定するつもりはない。

しかし戦後生まれの被害者の人間が、同じく戦後生まれの加害者の人間に、その事について「反省」を求めたり「謝罪や賠償」を求めるのは、間違いである。
そんな権利は戦後生まれの被害者の子孫には無いし、責任を負う義務も戦後生まれの加害者の子孫には無い。

そもそも「戦争」を一度もした事が無い国なんて、ほとんど無いわけで。
少なくとも、いまだに日本や過去の日本を極悪非道だと叩いて、今の日本人までその責任を負わせようと「反省」を口にする国々はそうじゃない。
中国・朝鮮半島の国、ヨーロッパ戦勝国、アメリカ。
これらの国は、日本が戦後70年以上もどこの国とも戦争せずに国として他国人を一人も殺してない間にも、戦争をしたり戦争に加担して、他国人を大量に殺害している。
果たして「反省」すべきなのかは、どちらであろうか?w

こういう野蛮で愚かな人間や国の言うことを、日本は聞くべきではない。
むしろこういう野蛮で愚かな人間や国と、戦争しないで済む方法を、過去の歴史から学んで模索すべきなのである。

戦争は1国ではできない。
攻める国と攻められる国があって、はじめて成立するのが「戦争」である。
日本は憲法によって「攻める国」になる事はできないが、「攻められる国」になる事はできる。
だからこそ、在日米軍や自衛隊が存在するのだ。
「攻められる国」にならない為に。

町内みんな顔見知りの、ド田舎でも無い限りは、世界でも1位2位を争うほど治安の良い日本でも、家に鍵を掛けない人は居ないだろう。
国も同じなのである。

日本は石油だの電気だのを大量に使う、明治以降の生活を支えるための「資源」に乏しい。
加えて平地が少なく、大規模な農業を行うのが困難であるうえに工業国であるために、人間が生きていくのに絶対に必要な「食糧」の自給率も低い。
ゆえにアメリカにそれらの貿易を封鎖されしまえば、戦争せざるをえない状況になってしまうのだ。
だから日本は悪くない、むしろ悪いのはアメリカの方だとか言うつもりはない。
他国にそういう「嫌がらせ」をされても、何の問題も無く国民が生活できるようにする事こそが、日本が戦争を二度としなくて済む方法なのだ。
あるいはそういった「嫌がらせ」をそもそもさせないようにする事が。

だから領土・領海をきっちり守って、少ない資源を確実に確保し、嫌がらせをそもそもされないような毅然とした態度と反撃能力を持つ事こそが、本当に日本がすべき事だと私は思っている。

核ミサイルが飛んできても、確実に打ち落とせるための防衛能力を持つことすら、反日左翼勢は反対する。
核保有国である中国を逆に刺激する事になるとか何とか言ってw
本当に戦争したくないのであれば、核ミサイルを撃ち込まれても全て落とせる能力を持ち、それらは何の効果もありませんよと示す事が、日本がもつ弱点である「攻められる国」になるのを防ぐ手段でもある。
それを否定するのは戦争をしたくないのではなく、日本が攻める国になれないままで、かつ攻めらやすい国である事を望んでいるとしか思えない。
かつてロクな軍隊や武装を持たなかったために、欧米列強に「植民地」にされたアジア諸国や、奴隷にされたアフリカ人、皆殺しにされて国を奪われたアメリカ大陸のインディアンやインカ人やオーストラリアのアボリジニ。
そういう状態に、日本をしたいだけなのだ。

日本の今の終戦記念日の使い方は、間違っている。

本当に二度と戦争をしたくないなら、他国へ攻める、先制攻撃ができない国の体制を維持するだけではなく、他国から「攻められない」国の体制を整える事も重要であり、そういう国になるためにはどうしたら良いか?を過去の歴史をヒントに考える機会にすべきなのである。
日本は過去に、他国に対してこんな酷い事をしましたとか、戦争ってのはこんなに悲惨なんですとか、アホみたいに繰り返すだけでなく、日本はなぜ戦争せざるをえなくなったのか?何が原因なのか?回避する方法は無かったのか?現代以降に同じような状況にならないようにするのはどうしたら良いのか?あるいはそういう状況になってしまった時に戦争しないで済むにはどうすべきか?などを議論する事こそが、もっとも大事なのである。

日本が二度と戦争しないで済むようにと本気で考えいるのなら、マスゴミも反日左翼も日本が他国から「攻められない」国にするにはどうしたら良いかも提示して下さいよ。
それが理にかなっていれば、今のように「お前らの言うことは信用できないwww」と無視されたり嘲笑されたりする事は減ると思いますよ?
安倍政権が行おうとしている憲法改正は、日本が攻める国になるためではなく、より「攻められ難い」国になるためのものだと、多くの日本国民が理解しているから、それをいくら争点にしようとも、与野党の支持率が逆転しないのです。
もし憲法改正なんぞしなくても、日本が他国から攻められない国にできる方法が他にあるのであれば、それを提示すべきでしょう。
それが理にかなっていれば、「憲法改正反対」の支持はぐんと上がるし、与野党の支持率逆転もあり得ると思いますよ?w

JT(日本たばこ産業) たばこ値上げwww

値上げする前に、煙が出ない、嫌な匂いが出ない、有害物質が出ないタバコ作れよ。
下らないどーでもいい銘柄変更とか、分煙がんばってますとかのCMとか、そんなもんに金掛けてる場合じゃないだろ。

昔あった、タバコの先っぽに金属の円柱みたいなのつけて、不完全燃焼が起こらないようにして、有害な煙が出ないって商品があったけど、あれどうしたの?

もう根本的にタバコがどうして嫌われてるのか、分かってないんだから、いっそタバコも大麻みたいに禁止にして、JTなんて潰しちゃえばいい。
親方日の丸の企業はどうしてこうも、アホなのか。

タバコ嫌いな人達は、タバコ吸ってる人間を苛めるのではなく、タバコそのものを違法にしてJTを潰してくださいよw
JTはそういう最悪の事態になって、てめーらが食えなくなりたくなかったら、とっとと「有害」と言われる要因を取り除くような商品の開発をしなさいよ。

タバコほどではないが、嫌われる商品にイヤホンがあった。
SONYが携帯音楽プレイヤーのウォークマンを世に出して以降、電車の中でイヤホンでシャカシャカ音漏れさせてんのが、問題になった。
数十年かかったが、最近のインナーイヤータイプのイヤホンはほぼ音漏れはしないレベルまで進歩した。
タバコは煙いとか臭いとか肺がんの元とか言われてから、何十年経ってるんですか?
オーディオ機器メーカーが、音漏れしないイヤホンの開発努力をしたように、JTは煙出ない匂いしない発ガン物質が出ないタバコの開発努力をしてきたんですか?

国会議員にも愛煙家が多くて、タバコ違法にできないってのもあるでしょう。
だったら愛煙家の国会議員のみなさんは、害の無いタバコを開発するようJTに圧力を掛けるべきでしょう。
有害な煙が出なくなるだけでも、ずいぶんと風当たりは弱まると思うんですけどね。
完全燃焼させれば、煙は出ないんでしょ?
なぜやらないの?

そういう最低限の努力もしない企業は、潰れた方が良いです。
タバコ嫌いな人達は、ぜひともタバコを違法にする運動でもして下さい。
そうすれば、大嫌いなタバコを日本で見る事は無くなりますよ。
禁煙だの分煙だのそんな生ぬるい事で、自分たちの健康は守れませんよ?w

原爆の平和の像や平和記念館と慰安婦像の違い

日本は原爆投下という、人類史上で最も最悪の犯罪の犠牲になった事がある国だ。
未だに原爆投下は正しかったとか言う戦勝国、とくにアメリカ人も多いが、私はナチスと並ぶかそれ以上の戦争犯罪だと思っている。

さて、別に私はその事について、「正しかった」とかほざくアメリカ人には嫌悪感を抱くが、当時生まれてなかった今の多くのアメリカ国民やアメリカという国家に、謝罪や賠償も求めたいとは思わない。
敗戦国だから、求めたくても求められないというのもあるだろうが、そんな事をしても意味がないからだ。
それに当時生まれてなかった今のアメリカ国民の多くに、その責任を問うたり負わせたりするのは、お門違いも甚だしいからだ。

そういう理論的な考え方が、敗戦国になったおかげで出来るというのは皮肉なものだw

広島や長崎の原爆という兵器の悪逆非道さを伝える、記念像や記念館があるが、これらはアメリカに謝罪や賠償を求めるためのものではない。
原爆の悲惨さを世界に伝えて、二度と使われないよう、人類全体を啓蒙するための施設だ。

同じく戦時中の犯罪とされている慰安婦。
こちらは原爆のそれらとは意味が異なる。
なぜなら、慰安婦像を建てる行為が、人類全体に戦争で犠牲になる女性を無くしましょう、戦争とはこういう事がどうしても起こるので戦争を無くしましょうとか訴えるためのものではないからだ。
人類全体ではなく、日本という国や日本人限定で、未来永劫それらを責め続け、マウント取るためや、賠償金をせしめるためのものだからだ。

慰安婦が戦時売春婦だったのか、あるいは韓国が主張するように性奴隷だったのか?
私は前者だと思うが、この議論は永遠に答えは出ないだろう。
なぜなら、あの戦争は戦勝国が正義であり日本やドイツは悪でなければならないからだw
単なる植民地の奪い合いという、どちらにも正義なんぞ無かった糞みたいな戦争だったにも関わらずw

ちなみに戦時売春婦というか、兵隊相手の売春婦というのは、日本にも存在した。
終戦後のしばらくの間、「パンパン」と呼ばれた占領アメリカ兵相手の売春婦が居たからだ。
これは反戦左翼のバイブルでもある、「はだしのゲン」にもきちんと書かれている。
この事について、「はだしのゲン」はアメリカを責めたりしていない。
単なる歴史的な事実として、後世に伝えているだけだ。

本来は歴史とはこういう使われ方をすべきなのだ。
どっちが悪いだの誰が非道だの、そういう現代で特定の国や民族にマウントを取るために使うべきではないのだ。

これが慰安婦と原爆の一番の違いである。

・先祖の罪が子孫まで及ぶというのは、現代の法律や価値観では間違っているとされおり、やるべきではない
・歴史は特定の国や民族に対して、マウントを取るために使うものではなく、人類全体の教訓として使うべきものである

この2点が守られてない運動というのは、私は到底支持できない。

なぜなら、これを許していたら、どこの国も犯罪者民族、犯罪者国家になってしまうからだ。
黒人奴隷、先住民を虐殺して建国されたアメリカなどの国家、植民地を持っていたヨーロッパの戦勝各国、有志以来異民族を幾度となく殺してきた中国、ベトナム戦争でレイプしまくって父親の居ないハーフの子供を多く残しまくった韓国。

キリストは罪を犯した事の無い人間だけが、罪人に石を投げる事ができると述べたという。
聖書にもはっきり書かれている逸話らしいが、そう述べた後で石を投げる者はキリストただ一人になったというw

キリストにしろムハンマドにしろブッダにしろ、彼らはマウントを取るために宗教を作ったわけではないのだ。
そんな事も分からないアホばかりだから、彼らは宗教を作り、人々に「教え」を広めたのだ。
彼らの死後に、アホの権力や価値観を押し付けるための道具にされてしまった事を、天国でどう思って見ているのだろうか?w

日本は特定の宗教を熱狂的に信奉する人が、ほぼ居ないにも関わらず、世界有数の治安が良く、清潔で、格差の小さい社会を作っている。
なぜなら、宗教だの儒教だの、偉い人がこう言ったから、神様がこう言った(とされる)から、こうしなければなりません、こういう事はしていけませんと、そういう風に教育しないと修羅の国になってしまうような、幼児並みの人間というのが日本には少ないからだ。
偉い人が言ったから、神様が言ったから、というのは理屈ではない。
だから何時までたっても身につかない。
これこれこういう理由で、これはやってはいけないのですよ、こうしなければならないのですよって説明ができないから。

人を殺してはいけませんとか、他人のものを盗んではいけませんというのは、神様が言ったからでも、昔の偉い人が言ったから守らなければならないのではないのです。
それは自分自身が生き残るためなんですよ。
だって誰にも殺されない不老不死の肉体を持つ超人なんて、この世には存在しないわけですし、自分のものを決して盗まれない結界でも貼れるような、超能力者ってのも居ないわけですからw

これをすっ飛ばして、あるいは理解しようとしないで、ただ神様が言ったから、昔の偉い人が言ったから。
この幼児並みの思考しか持たない人間が、慰安婦ガーやってるわけです。
きちんと、なぜそれが禁止されているのかの理由を理解している人間が、原爆の平和の像や記念館を作ったのです。
過去の事実を後世に伝えるためだけの、どこの国や民族が悪逆非道だとか、そういう事を広める目的じゃないから、支持できるのですよ。

韓国人だけでなく、それ以外の国の人間、とりわけ欧米人は、はやく「大人」になってください。

PT勧誘希望機能はリアルビジネスにも生かせる

前回、PTを組んでプレイする事が主体なMMOやMOでは、PT勧誘希望機能が有効であるという話をした。
この機能、実はリアルビジネスにも生かせる。

リアル社会でのPTとは、会社のようなものだ。
一人ではできない仕事も、複数人で分担して協力して行うから、成り立つわけだ。
従って、リアル社会にもPT募集機能と同じ、「求人」というのがある。
WebだったりテレビCMだったり新聞の折込だったり、あるいは雑誌だったり。

しかし企業が人材を求める方法はあっても、働きたい人が自分を売り込める方法はない。
もっとも近いのが人材派遣会社への登録だろうが、規模が小さすぎる。

PT勧誘希望機能と同じく、「私はこういう仕事がしたい」「給与はこんだけ欲しい」「勤務時間や休日の希望」「持っているスキル(資格)や前職での経験」等々の条件を、企業ではなく働きたい個人から出して公開できる「就職希望」サイトとでも言おうか。
そういうのは絶対に需要があると思ったのだ。
これは働く側だけでなく、雇う側の企業にとってもメリットがある。
高い金払って求人広告出しても、一人も来ないって事だってあるわけだ。
働きたい人の一覧が見れるサイトとかあれば、希望する人材を見つけやすくなる。
雇用契約が成立した時だけ、紹介手数料みたいなのをサイト側に払えば良く、求人に掛かる費用を大幅に節約できる。

リクルートなどの大手求人企業は、企業側からの募集だけでなく、労働者側からの就職希望も商売にできると思う。

ネットゲーム、とりわけMMOというのはリアル人間社会をコンピュータ上に再現したものである。
よって、リアルからネットゲームだけではなく、ネットゲームのシステムからリアルへの逆輸入も可能なはずなのだ。

ちなみにネトゲ企業に、以前よりおすすめしてるのにどこもやらないビジネスモデルのひとつに、「完全無料化」というのがある。
民放テレビやインターネットの検索サイト(YahooやGoogle)などは、ユーザーから一切金を取ってないのに商売が成り立っている。
なぜなら、「スポンサー」が金を出してくれるからだ。
そういう方式にすれば、「基本無料」とか詐欺みたいな運営をしなくても、「完全無料」で商売ができる。
「完全無料」であれば、無課金と廃課金の戦力差なんぞ無くなるし、人も集まるだろうし定着しやすいだろう。
だって「完全無料」なら、プレイヤーはみな数値的な強さとか同じになるはずなのだからw

ゲーム画面内に広告を貼るのか、ゲーム起動時やMAP移動時にCMを強制的に見せるのか、あるいはリアルの商品をゲーム内に登場させるのか、やり方はいくらでもある。
テレビみたいなじじばばしか見ない落ち目のメディアでさえ、未だにスポンサーが付くのだ。
ネットゲームに付けられないわけがない。
ただいくら落ち目とはいえ、今のネットゲームの人口とテレビ視聴者の人口は、天と地ほどの差があるかもしれない。
スマホゲームは人口が多そうだが、PCゲームは厳しいかも知れない。
完全無料で本当に面白い、集金とか考えないゲームを作れれば、それなりに人は集まるだろうが、それだけではスポンサーを納得させられるだけの人口が確保できないなら、「家庭用ゲーム機」バージョンも作って、参加させる。
実際、家庭用ゲーム機でもPCでも同じサーバで同じ仕様でネットゲームができるようになってきている。
家庭用ゲーム機の性能が、PCに追いついたからだ。
まぁ家庭用ゲーム機用のクライアントを作らなければならないので、コストはその分かさむだろうがw

思考停止で過去の作品の焼き直ししかできない、そんな未来のない業界より、よほどマシになると思うんですが、いかがでしょうかね?

オンラインゲームの醍醐味

TERAクラシックをやっていて、改めて思ったのですが、オンラインゲームの醍醐味って、野良PTだと思うんですよ。
なぜなら、いつも違う人と遊べるからです。
下手糞も居れば、それらをフォローして余りある活躍ができる超絶に上手い人も居る。
もっとも最近の課金が全てのなんちゃってMMOでは、操作や立ち回りなんぞ関係ないですがw
TERAは少なくとも、操作や立ち回りで非常に差が出るものらしいです、私はアクション苦手なうえにまったくの新規なので、上手い下手すら分かりませんがw

アクション系のMMOだと、戦闘中にチャットとかあまりできませんが、それでもコンピュータの自動操作、AIでないキャラクターと一緒に遊べるのは、楽しいものです。

ちなみにギルドなどの固定PTじゃないとヤダって人も居ますが、私もかつてはそういうプレイを別のMMOでやってましたが、飽きてくるんですよね。
作業になっちゃうんです。
なぜって、いつも同じメンバーで、この人はどういう動きをするかとか、分かってるからです。
自分もPTメンバーも、一番効率良く事故らない動きってが固まっちゃうので、「作業」になってしまうんですね。
それに新規というのは基本的に野良PTしか来ませんし、PTは組むけど基本的にソロでギルドにも入らないという一匹狼プレイをする人だって居るわけで、そういう人たちがPT組めないので定着しません。
新規が定着しないってことは、過疎の進行が早いって事です。

さて、野良PTが一番さかんだったMMOに、「信長の野望オンライン」があります。
今でもこれを超えるPTの組みやすさのMMOにはお目にかかってないです。
信長の野望オンラインは、PTプレイしないとレベルだけ上がってスキルがスカスカという非常によろしくない状態になる設計になっていて、PTプレイをほぼ強制(w)するような仕様でした。
そんな事もあって、ダンジョンだけでなく普段のレベル上げ(というかスキルレベル上げ)もPTで行うのが普通でした。
そして何より、シナ・チョン産のユーザーに不便を強いるだけ強いておいて、それを補う仕様がまったくない。
そういうゲームではなかった。
野良PTが非常に組みやすかったのですよ。

まずPT募集機能の無いMMOってのはまずありません。
しかしPT勧誘希望が出せたMMOって信ON以外に無いんですよ。
リアルと同様に、自分からリーダーになって募集をかけたり、募集してるPTに自分から入れてくれって言える人ばかりじゃないんです。
誰か誘ってくれないかなーって人も結構居るんですよ、世の中には。
学校で先制の「はい2人組み作ってーwww」がトラウマになってるような奴の方が、むしろネトゲのプレイヤーは多いんじゃないんですかね?w
そういう潜在的にPT組みたいと思ってても、自分から言えない人をも、野良PTに取り込める仕様が「勧誘希望」機能だったんです。
採集とか生産しながら、どういうPT希望なのかを一言書いて勧誘希望出せば、PT募集一覧の中に勧誘希望として名前と職業とレベルが載ったんですよ。
PT募集してるリーダーはわざわざ何度も全体チャットで叫ばなくても、勧誘希望出してる人に声を掛けて「どこどこダンジョンに行こうと思うんですが、いかがですか?」みたいに個別チャット飛ばして、「おねがいします」とか「初心者なんですけど、いいですか?」とか反応が返ってきて、それで双方が合意したらPTに入るみたいな。
そういう素晴らしい機能があったんですよ、信ONには。
以前、この機能を他のMMOでも使えと提案した事がありますが、それを実装してくれた運営は皆無でしたね。

その代わりに出てきたのが、PT自動マッチング機能。
TERAやToSなどが、その機能を実装してます。
一見すると勧誘希望の人も拾える優れた機能に見えますが、MMOのPTってのは盾・回復・火力と3種の職業が揃ってないと、基本的にPTが成立しません。
なのでマッチングの段階で、それらを考慮したマッチをしなければならず、かえってサーバ側の処理が複雑化かつ余計なパワーを使う事になります。
また信ONみたいに、「会話」無しに組まされるために、「思ってたPTと違う」とかってのも出てくるのです。
こいつとは二度と組みたくないってのとも、強制的に組まされることもあるため、次第にマッチング機能は使われなくなります。
実際、TERAのPTマッチング機能はほぼ使われていないに等しいそうですw

他人の技術をパクる事に、何の抵抗もないシナ・チョン企業が、なぜ日本の老舗MMOの信ONの、この優れた機能を真似しないのか、不思議でなりませんw
マッチング機能なんかより、よほどプログラム的には簡単でしょ?
だって人間が勝手に適性なメンバーを探して、判断して組んでくれるんですからw
サーバ側は、こういう人がPTに誘われるのを待ってますという情報だけを、一覧表示で出すだけで良いんですよ?
なんでやらないんですかね?

自分から声を掛けられないコミュ障ボッチ以外にも、この勧誘希望は役に立ちます。
なぜなら、PTメンバーが揃うまで永遠と待たされたり、あるいは希望のPT募集が出るまで、永遠と画面を見つめていなくて済むからです。
採集や生産など別のを事をしていたり、あるいは音さえ聞こえていれば画面は見て無くても良いわけです。
PTに誘われた時の効果音、あるいは個別チャットが来た時の効果音が聞こえれば気づけるわけですから。

個人的には勧誘希望一覧に名前が載ってる人は、ボタンひとつでPT勧誘できるってのは望みません。
なぜなら、そこに「会話」が無いからです。
信ONはどうなってたか忘れましたが、たしか個別チャットがすぐに飛ばせる、それで交渉が成立したらはじめてそこで勧誘が飛ばせるような、そんな感じになってたと思います。
なので「思ってたのと違う」とかってのが、ほとんど無く、また最初に会話をするので、一言も話さない、定型文の「よろー」と「おつー」だけの味気ない会話しかない野良PTより、よほどその後も「ああ、あの時のwwwまたどうっすか?」みたいな、友達とはいかないまでも、知り合いというつながりが生まれたもんです。

ネットげームというのは、どんなに面白いものでもいずれは飽きます。
そういう時に、ゲーム内に中の良い人とかが居ると、思いとどまれる事があるのです。
下らない課金アイテムのバラ撒きや、ログインを強制するようなログボなんかより、仲良しが同じゲーム内に居るという、人と人との繋がりの方が、はるかにゲームに引き止める力があるのです。

PT自動マッチング機能は要りません。
むしろ余計に過疎を進行させるだけです。
それよりも、PT勧誘希望が出せる機能を付けるべきです、かつての信ONのように。
PT募集・勧誘希望一覧。
そいうのが見れる画面を作るべきです。
そしてそこから、「個別チャット」などによって、「会話」を行った上でPTを組めるようにすべきです。

ネットゲームというのは、顔も名前も年齢も性別も分からない者同士が、24時間365日何時でも一緒に遊べるのが、最大の「面白さ」なんです。
それに比べたら、ゲームの仕様なんてのは屁みたいなもんなんですよ、はっきり言ってしまえばw

野良PTが盛んなMMOほど、長生きできます。

その辺をよーく考えて欲しいです。

夏の風物詩、反戦番組www

日本は右傾化している、安倍は戦争しようとしてる。
アホですか?
安倍支持が多いと言われる若者に、戦争になったら進んで志願して国を守るために戦いますか?って聞いたら、「うん」って言った人は先進国の中で最低の割合しか居なかったと話題になった事もありますw

日本の、そう遠くない過去に何があったのか?
戦争ってなんぞや?
それを知るのは別に悪い事ではありません。

ですが、自分が生まれてすら居ない時代の事で、今の世代が責任を感じたり謝罪したりする必要はまったくありません。
だって生まれてないんですから、開戦に賛成する事も、反対運動する事もできなかったわけですから。

まず日本の反戦を言う奴等のおかしい点のひとつがこれ。
もうひとつ。

戦争というのは、1国で成立するものではありません。
従って、いくら日本は戦争しませんと言ったって、どっかの国が攻めてくれば戦争になるわけです。
戦争というのは、人類全体が「良くない事だから止めよう」とならなければ無くなりません。
にも関わらず、日本だけが軍隊を無くせば、憲法9条守ってれば、戦争はおきないなどと嘘を言う。

私は戦争したくありません、武器も持ってません、だから攻めてこないで下さいといって、はいそうですかと言う事を聞くアホがどこにいるんだとw
実際、日本が武装放棄して、戦争は二度しませんと宣言した後に、韓国はこれさいわいと竹島を侵略したわけです。
当時そこに住んでいた日本人を皆殺しにして。
しかしそれについて特集番組を作ったマスゴミは居ません。
なぜなら、マスゴミの言う反戦というのは、日本が戦勝国にならないようにするためだからです。
無抵抗で中国なのか韓国なのか北朝鮮なのかロシアなのか、あるいはアメリカに完全に占領されて日本人が皆殺しにあう、日本という国が消滅する事を目的としているからです。

そんな奴等の言うことを、誰がまともに聞きますかね?

日本が右傾化したんじゃないんです。
お前らの魂胆がバレたために、誰にも相手にされなくなっただけです。

戦争したくないなら、こちらから先制攻撃したり、敵地まで乗り込んで殺戮できないようにするだけではダメだという事を、アホの左翼と違って、日本人は知っているのです。
戦争を「仕掛けられない」国にする事こそが、日本が戦争を二度としないで済む唯一の方法だと多くの人が知っているのですよ。

もちろん、日本の周辺諸国、とりわけ中国・韓国・北朝鮮・ロシアなどの敵性国家が、戦争しません、軍隊も兵器も全て廃棄して、二度と持ちませんという国になれば、日本も自衛隊という実質軍隊を持つ必要はなくなります。
米軍が居座る理由もなくなりますよ。
そういう状況になれば、左翼マスゴミさんの望む、自衛隊のない、在日米軍が居ない日本になるでしょう。
これに反対する国民や政治家なんて居なくなりますよ。

でもマスゴミさん達が望むのは、そういう日本じゃありません。
日本「だけ」が、軍隊も居ない、防衛すらできない、侵略しやすい国、簡単に国や民族を滅亡させられる国にしたいだけ。
そうとしか思えないんですよねぇw

反戦を訴えるマスゴミや左翼や市民団体が信用できない理由がこれです。
・生まれてすら居なかった人間にまで、未来永劫、第二次世界大戦の責任を負わせる。
・全世界が戦争や軍隊を放棄しない限り、地球上から戦争なんて無くならないのに、日本だけにそれを求める。

この2つの疑問を解消できない限り、いくら口で戦争反対なんて言ったって、誰も支持しませんよって事です。

中国や韓国に土下座しに行きたいなら止めません。
だって中・韓に土下座旅行しに行っちゃいけませんって法律は無いですから。
ただ他の人間にそれを強制するのは、重大な人権侵害ですよw
てか土下座行脚するなら、中・韓以外の国にも行くべきでしょう。
台湾でもフィリピンでもインドでも、東南アジア地域の日本が戦時中に占拠していた全ての国をまわるべきです。
でもそれはしないですよね?w
誰に言われて、何が目的でやってるのか、一目瞭然ですねって事ですよ。

だから信用も支持もされないんですよって話です。

TERA(クラッシック版)と3GBスイッチ

3GBスイッチとは、32bit版OSにて本来は使用できない3GB以上のメモリを、アプリケーションが使えるようにするための起動オプションです。
やり方は3GBスイッチで検索すれば沢山出てきますので、そちらをご覧下さい。

さてTERAは32bit版OSでやると、結構な頻度で落ちます。
原因は32bitOSの「アプリケーションは最大で2GBまでしかメモリを使ってはいけません」という制約に引っかかるためです。
ちょっと知識のある人なら、Windowsには仮想メモリというHDDをメモリ代わりに使用して、搭載メモリ以上の容量を使えるのに、おかしいじゃないか?と思う人も居るでしょう。
しかし32bit版Windowsの仮想メモリといのは、アプリケーションが使えるメモリの不足を補うものではありません。
32bit版OS標準搭載のPCでは、メモリは4GBまで載っているのが多いです。
マザーボードの仕様により、4GB以上のメモリを搭載できるものも多いですが、それ以上のメモリは搭載してもOSが対応してないので、意味が無いと言われています。
さて、4GB載っている標準的な32bit版Windows7搭載PCでも、アプリケーションが2GB最大まで使ってしまえば、それ以上のアプリケーションは起動できなくなってしまいます。
制約ぎりぎりの2GBを使うアプリケーションを2つ以上は起動できない。
これではアプリケーションをいくつも同時に起動できるというWindowsの売りが、意味なくなってしまいます。
そこで「仮想メモリ」という仕組みで、使用頻度の低いアプリケーションが占有しているメモリエリアをHDDへ一時的に保存してメモリを開放して、他のアプリケーションを起動したりするのに使わせているのです。
つまり「仮想メモリ」とは、アプリケーションが際限なくメモリを使えるようにするための仕様ではなく、同時起動できるアプリケーションの数の制限を無くすためのものです。
従って、「仮想メモリ」をどんなに増やそうとも、2GBを超えるメモリをアプリケーションが使えるようになることはありません。

さて本題ですがTERAをはじめとした、ここ最近のゲーム開発者は非常にレベルが低いです。
32bit版OSでは、1つのアプリケーションが使えるメモリの最大値は2GBまでという制約を知らない奴すら居ますw
仮に知っていも、「メモリ管理」ができない低レベルの開発者ばかりなので、容量オーバーしてしまうのです。
この場合、当然ながらエラーとなるのでアプリケーションは強制終了されます。
これが「落ちる」事の実態ですw

3GBスイッチというのは、この1つのアプリケーションが使える最大メモリは2GBまでという制約を、3GBまで拡張するものです、簡単に言えば。
ただ32bitOS対応のアプリケーションというのは、一応は2GB以内のメモリしか使用しないように作られています。
ですがメモリ管理できない低脳が多いので、穴だらけであり、何かの拍子にメモリオーバーする事も多いですw
なので3GBスイッチを設定してやると、落ちなくなります。
経験上、2GBを超えるメモリを使って落ちてるっぽいアプリは、100パーセントこれでおちなくなります。
TERAも例外ではありませんでしたw

さて、3GBスイッチは良い事づくめのようですが、そもそもそんなに良いものならば、デフォルトでONになってるはずです。
しかしWindowsのデフォルト(初期状態)でOFFにされてるのは、それが動作の安定性を損ねる可能性があるからです。
なぜなら、本来はOSやドライバーなどの「システムプログラム」が使うべきメモリ領域を、アプリケーションに使わせるからです。
OSやドライバー側がメモリ不足でエラーになったり動作が遅くなったりする可能性があるのは分かると思います。

よって私は3GBスイッチで、フルに3GBまで制約を解除する事はしません。
2GBの制約違反を犯して落ちるアプリってのは、大抵は3GBまでメモリを使おうとして落ちるのではなく、低脳なプログラマのずさんなメモリ管理によって、2GBをちょっとだけ超えちゃう事があるって程度だからです。
なので2GBをちょっとだけ拡張するだけで、わざわざ3GBフルに使えるよう設定しなくても、落ちなくなります。
それが2.1GBなのか2.5GBなのかは、PCの環境やアプリケーションの糞度によって変わってきますが、少なくとも3GBフルに拡張するよりは、安定動作する確率が高くなります。

Windows7では3072みたいな形で拡張するメモリの数値を具体的に書きますが、そこを2500(2.5GB)とする事によって、システム側が使うメモリの減少を抑え、かつアプリケーションのメモリ違反に対応できる拡張をする事ができるって具合です。

ちなみに私は今、3GBスイッチを使ってアプリケーション側が2.5GBまでメモリを使ってもエラーが出ないようにしてますが、これでTERAはまったく落ちなくなりました。
2.1GBぐらいでも行けるかもしれません。
Windows側への影響ですが、ディスクアクセスが体感的にちょっと遅くなった以外は特に問題は出ていません。

プログラマというのは、単に開発言語の命令語や文法だけ知っていれば良いものではないと前から言っているのですが、理解していただけないようでw
メモリ容量が今より格段に少なかった、ファミコン時代とかのゲーム開発者の苦労話で有名なのがあります。
ドラクエの呪文や町の名前は、容量の都合で全ての「ひらがな」をカセットに入れられなかった事による、苦肉の策で、入れられた文字のみ使って表現しようとしたため、というものですw
このぐらい、昔のプログラマは苦労してメモリと戦ってたんです。
その当時から見れば、今のPCの4GBというメモリは、「無限」にも近いものでしょうw
しかし実際、メモリというのは現代でも「無限」ではありません。

VisualBasic(通称VB)という開発言語には、変数の型というのがあります。
その変数に文字が入るのか、数値が入るのか、数値ならばどんな範囲の数値なのか(小数点以下を含むものなのか、あるいは整数だけなのか、マイナスの数値は扱うのかなどなど)により、変数の仕様を定義するものです。
これを行わない場合、文字でも数値でもマイナスでも小数点ありの数値でも入る「万能型」に設定されます。
当然ながら、その分メモリを食いますw
これが分からないアホが多いというのが、かつてまじめに社会人として開発をするような企業に勤めた事もある私の実体験です。
VBはBasicの一種なので、FOR ○ TO △ ~ NEXT ○といった、いわゆるループという命令が存在します。
この時の「○」の部分には、カウンターの役割をする変数が入るわけですが、回数をカウントするだけの変数なので、整数です。
マイナスになったり、小数点の数値になったりする事はありません。
また1000回とか1万回とかループするような処理を、FOR~NEXTで行う事はありません。
従ってカウンタ用の変数に使うメモリは、最小の1バイトで良いわけです。
なので私は常に全ての変数について、きっちり必ず最小のメモリで済むように型の宣言を怠りませんでした。
ちなみに、VBの変数の定義でもっともメモリを使わないのはバイト形と言われるものです。
0~255までの数値しか扱えない変数になりますが、占有するメモリは1バイトで済みます。
ループカウンタとして使う変数は、このバイト型にすべきなのですが、宣言してないと文字でも数値でもなんでも入る万能型というメモリをアホみたいに占有する変数になってしまいます。
こういうのの積み重ねが、2GBの制約を超えさせる原因にもなるんですよ。
分かりますかね?メモリは無制限に使えるものだとか思ってる低脳開発者の諸君。

TERAは3GBスイッチを設定して起動すると、「おい、3GBスイッチ使ってるみたいだけど、どーなっても知らんからなwww」という旨のメッセージがわざわざ起動前に出ますw
お前らが2GBの制約を守れないずさんなメモリ管理しかできない低レベルの技術しか持ってない事を棚に上げて、「何が起きても俺らの責任じゃねーからなw」とユーザー側にだけ、責任を押し付ける。
呆れましたw
お前らがきちんと2GBの制約をきっちり守れるレベルの高いクライアントを作っていれば、3GBスイッチなんて設定しねーんだよボケが。
それやらないとしょっちゅう落ちるような糞クライアント作っておいて、何言ってやがるって感じでしたわw

結論
・32bit版OSでTERAをやる場合は3GBスイッチの設定は(たぶん)必須
・3GBスイッチは3GBフルに拡張する必要はなく、2GBをちょっと超える程度で良い。
・システムの安定性とアプリケーションが落ちなくなる境目の拡張値は各自で探してねw
(参考までに私は2.5GB=2500で設定してます)

オーバーロードⅢが期待を裏切りまくる

オーバーロードは優れた原作と、それを高品質にアニメ化した事で、世界的に大人気になった異世界転生ものだ。
しかしアニメの方は、失速が徐々に目立ってきたように思う。

なぜか?

よく原作ありのアニメ、特にラノベなど書籍系のものは、原作組みの批判が出る。
その際もっとも言われるのが、「原作と違う!」だ。

ラノベはイラストこそ入っているが、基本的に文章で構成された物語だ。
しかも「ライトノベル」と言われるように、小難しい単語や漢字を使った繊細で、まるで目の前にその情景が浮かぶような、そういう文章は少ない。
これこそが、「ライト」な「ノベル」と言われるゆえんでもある。
したがって、読者というのはその貧弱な表現の分だけ独自の想像力を働かせる事になる。

人間の想像というのは、現実よりも過剰になる事が多い。
なぜなら想像というのは、もともと現実の危機に対応したり回避したりするため発展した能力であり、最悪の事態を想定するからだ。

他の生命より圧倒的に発達してしまった知能のために、逆にそれに精神が耐えられないという弱点も大きいのが人間だ。
死んだらどうなってしまうんだろうなんて、真剣に考えるのは人間ぐらいではないかとも言われている。
その高くなりすぎた知能による精神の負荷、死への恐怖を和らげるために、人間は「神」や「天国」を「想像」したのだ。

このように人間の想像というのは、「大げさ」「非現実的」なものになりがちなのだ。
神話からはじまった人間の「物語を作る」という行為にもそれは現れており、突拍子もないストーリーや過剰な演出にそれが見て取れる。

そう、アニメだろうが漫画だろうが小説だろうが、あるいはドラマ・映画・演劇すべてにおいて、一番重要なのは「過剰さ」なのだ。
それが今期のオーバーロードに最も欠けているものであり、ゆえに評価が芳しくないのだ。

原作付アニメというのは、ストーリーは変えようが無い。
従って、動画や声優の演技で「過剰さ」を補うしかないのだ。
日本の声優というのは、世界で恐らく一番優秀だ。
なぜなら、日本以外の国には「声優」専業の人はあまり居ないからだ。
日本は敗戦したにも関わらず、英語を強制される最悪の事態を免れた。
しかしながら、アメリカの「文化」の侵略を大いに受ける事になる。
映画もドラマもアニメも音楽も、戦後しばらくは「アメリカ製」のものばかりだった。
そうやって日本をアメリカと同化させようとしたのだろう。
しかし「言語」としては「日本語」が残った。
そのため、映画やドラマには「吹き替え」という作業が生じた。
字幕などもあるが、テレビ文化は「吹き替え」が主流だった。
だからこそ、「吹き替え」だけで食っていける職業、「声優」が発展したのだ。

アニメではよく「声優」以外の人を使う事もある。
素人は論外だが、役者や舞台俳優などといった「演技」のプロであるはずの人間を使っても、実際にアニメで見ると「棒読み」と言われるような事も多い。
これは「声優」が「声」だけで全てを表現しなければならないのに対して、役者というのは自分の体全体で演技を表現できるためだ。
舞台俳優といわれる、録画でなくて客の目の前で演技をする人も、その声の出し方が非常に独特である。
古典演劇である狂言や歌舞伎だけに限らず、西洋の影響を受けた現代の舞台劇もそうだろう。
宝塚歌劇団とか、その大げさで独特な台詞の言い方が、物真似などのお笑いのネタになるぐらいだw

映画やドラマでは、体全体を使った「オーバーリアクション」が、ボディランゲージの文化が薄い日本においても使われる。
もちろん特撮などの、現実ではあり得ない派手なアクションや爆発なんかの「過剰演出」もつきものだ。

つまり演劇や映画と同様に、アニメも「過剰さ」が無ければ詰まらないと視聴者は感じるのだよ。
オーバーロード1期がウケたのは、登場人物達の「過剰な」表情の変化と、声優の「過剰な」演技あってこそだったのだ。
オーバーロード2期で批判が多かった、謀反を疑われたセバスに直接アインズ様が尋問する場面。
なぜあれほど、特に原作組みから批判されたのかと言えば、「過剰さ」が足りなかったからだ。
かれらが文章で読んで想像した場面より、はるかに地味だったからだ。
オーバーロード3期でも、今のところ一番批判が多かったのが、ルプスレギナがアインズ様に怒られるシーンだ。
あれも「過剰さ」が足りないからこそ、批判されているのだ。

予算や人員の不足、スケジュールの関係もあるだろうが、「過剰な」演出というのは、何もすごい枚数の動画を作成して、めちゃくちゃ動きまわるだけではないのだよ。
ここ最近のアニメでよく使われる、キャラの印象が崩壊するかのような、過剰な表情の変化とそれに伴う声優の「薬でもやってんじゃないか」ってぐらいの「過剰な」演技。
あるいは古くからある、背景を使った感情表現などでも良い。
人手や時間の掛かる沢山の動画の作成なんぞしなくても、「過剰さ」を出す方法はいくらでもある。
しかし、それをオーバーロードはしないでサラっと流してしまう事が多い。

オーバーロードの声優さんは、非常に優秀で良い演技をしていると思う。
だがアニメというのは、絵と声の両方が合わさってはじめて作品となるものだ。
いくら「声」が良くても「絵」がダメなら、意味が無いのだ。
「絵」がダメというのは、「絵」が汚いとか崩れてるとかそういう事ではない。
視聴者の印象に残るような、インパクトのある「絵」という意味だ。

綺麗だったり違和感が全く無い、いわゆるパースが狂ってない絵とか、そういうのよりも、多少汚くても、多少パースが狂っていても、ワンピース風に言えば「どん!」と来る絵の方がウケるのだよ。
そもそも有名漫画家というのは、決して絵が上手い人ばかりではない。
カイジとかそうだよね?w
ドラえもんとか、非常に簡易的な絵で、今の素人お絵かきの方が、よほど細かくて綺麗で詳細な絵を描けるわけでw

にも関わらず人気なのは、やはり読者に「来る」ものがあるからなのだよ。
「過剰さ」があるからなのだよ。

オーバーロードの「演出」なのか「脚本」なのか、あるいは絵コンテ担当なのか、そういう人達は「アニメとはなんぞや」という原点をもう一度よく考えほしい。
視聴者が求めているのは、原作に忠実な表現ではない。
そもそもラノベなんだから、原作の文章を忠実に絵にしたら、動画にしたら、非常に詰まらないしそもそも絵にできないでしょ、情報が足りなすぎてw
そこを「過剰な想像」で絵や動画にするのが、アニメに一番求められている事なんですよ。
原作のイラストがそのまま、パラパラ漫画の要領で動くだけなら、誰も見ません。
時には原作の文章には無い台詞や、原作の文章には書かれていない表情とか動きとか、そういうのを入れてでも「過剰に」表現すべきなんですよ。
原作では、特に外国のファンは気づかなかった蒼の薔薇のリーダーであるラキュースの中二病。
あれもアニメで初めて「そういう事だったのかw」と気づいた人が多いのも、非常に分かり易く過剰な表現をしたからです。
ゆえにあの場面は非常にウケが良かったですw

アニメでも漫画でも、映画でもドラマでも、演劇でも、人の心をうつのには、「過剰さ」が必要なんです。
それが無いものは、駄作として酷評されるのです。
その辺を、オーバーロードのアニメスタジオは再度確認すべきと思った次第。

TERA クラッシックサーバー

TERAが過去の仕様で新しいサーバを8月8日よりオープンしました。
実質、新サーバであり既存サーバの廃人も過去に引退した人も、まったくの新規も一緒に遊べるわけで、早速やってみました。

TERAというMMOがあるのは知ってましたが、私はやった事がありませんでした。
月額課金制だった事(現在は基本無料)と、別の月額課金制MMOなどをやっていたからだったと思います。
そんなわけで初見なわけですが、古い仕様とはいえ、よくこれで月額課金制でやってたなぁと思うほど、不便です。
ゲームとしては、よくあるレベル上げや強くなる事だけが目的ですが、つまらなくはありません。
ノンターゲッティングシステムという、いわゆるターゲットを固定してショートカットキーだのマウスだのを連打するだけで倒すクリゲーではない所なんかは、眠くならない戦闘システムで結構良いと思います。
ノンタゲのネットゲームは、私は過去にドラゴンネストというのをやった事がありますが、あちらよりは操作性はよく、アクションもそれほど難しくはないように感じます。

ただ悪い所も目立ちますね。
まず受けられるクエストがどこにあるのか分からない。
そのうえ自動移動が無いので、移動がダルイ。
主な村や町を結ぶテレポートのような役割のペガサス移動というのが、いちいち無駄な演出で無理に移動時間を引き延ばしてイライラさせる。
そのくせ、きっちり金を取るw

レベルアップの速度が、過去のレベル上げマゾゲーに比べて緩いので、その分とっととカンストされないよう、移動時間で引き伸ばしてる感じがアリアリですねw
あと、かなり落ちますw
サービス始めたばかりのゲームであれば、不具合が残ってたり最新のPCスペックでないと足りなくて落ちたりというのは分かりますが、10年以上前の、しかも不具合の検証が十分なされてある程度の安定動作するはずの過去バージョンで、スペック不足で落ちるってあり得ないですw

良い所は、元が月額課金制のゲームだったので、倉庫やカバンの拡張とかが、ゲーム内通過で行えるうえに、わりと余裕のある枠が無課金でも確保できる所ですかね。
課金でしか手に入らない、課金者と無課金の戦力差がありすぎるような装備やアイテムも、今のところは無いようです。

みんな一からスタートで、PTとかも組みやすいと思ったのですが、さすがに既存サーバの廃人や復帰組みが多いのか、初日から結構な時間を掛けてやってるのですが、既に先頭集団は私の現在の2倍のレベルになってますねw
まぁこの辺は仕方ないでしょう。
こっちはロクにwikiも見ず、というか今の仕様とかなり違うのであまり役に立たないというのもありますが、初見プレイですからね。

最新仕様の既存鯖は、この糞ダルい、無駄な時間稼ぎ移動は修正されてるんでしょうかね?

まぁ今のところは楽しめてるので、一応続けてみようかと思いますが、幻想神域と同様に1ヶ月程度で飽きそうな気もしますw

被爆者は何を求めいるのか?

米大使館前で原爆投下についての、謝罪や賠償を求めるデモをした連中が居るとのニュースを見て思った。

果たして被爆者が求めているのは、米国からの謝罪や賠償なのかと。

私はバリバリ左翼の両親の元で育ったので、はだしのゲンとか全巻読まされた。
まぁ「はだしのゲン」は、物語としても面白い・・・と言ったら失礼かもしれないが、そういう部分もあるので繰り返し、それこそボロボロになるまで読んだ。

はだしのゲンの作中には、米国に謝罪や賠償を求めるような台詞は「一切出てこない」。
また、昨日のニュースでも被爆者のインタビューとか講演会の様子のVTRとか流れてたが、その中で米国に「謝罪と賠償」を求める言葉は一言も出てきていない。

そう、被爆者が求めているのは、二度と原爆が使われないこと、核兵器の廃絶なのだ。
もちろん被爆者や遺族には、米国に謝罪や賠償を求めたい気持ちが無いわけじゃないだろう。
だがそれらをあえて抑えて、核兵器の廃絶だけを訴え続けているのだ。
その気持ち、直接の被爆者でも無い、単なる反米なのか反日なのか糞左翼なのか知らんが、分かっててやったんかと。
原爆をてめーらの糞みたいな運動に、単に利用してるだけじゃねーのかと。

本当にこういう連中には、反吐が出る。

君たち朝鮮民族と違って、日本人ってのは「謝罪や賠償」をしてもらったところで、亡くなった人は帰って来ないし、今もなお癌などに苦しむ被爆者達が、健康体になる事もないのを分かっている。
それに「謝罪や賠償」さえすればそれで済むという事になれば、次にまたどっかで使われるかも知れない。
だって核兵器使っても「謝罪や賠償」さえすれば良いのだからw

そうじゃないんだよ。
だから被爆者は、はだしのゲンの作者は、戦争や核兵器そのものを無くそうと訴えているのだよ。

ここ最近、ネットでは相手より「優位に立つ」事を、「マウントを取る」と言うのが流行っているらしいが、まさに米国大使館で原爆の謝罪や賠償を求めるデモやった奴らは、それが目的なんだよね。
もうね、ここ最近の糞左翼どもの全てがそう。
単に「マウントを取りたい」だけ。

だから解決策も提示できないし、何が問題なのかを説明する事もできないし、原因すら分かっていない。

金持ちの馬鹿息子が、車で乱暴な運転をして、誰かを轢き殺しました。
刑事裁判で有罪になり、刑務所で服役しました。
謝罪の言葉も述べたし、家が金持ちなので莫大な賠償金も遺族に払いました。

そして出所してから、また車で乱暴な運転をしてます。
そんなのを見たら、遺族は「はぁ?」と思うでしょう。

謝罪や賠償を求めるなと言っているのではありません。
被害者や遺族が求めるのであれば、それはきっちり行うべきです。
ですが「謝罪と賠償」というのは、「二度と同じような事が起こらない」ようにするのに、何の効果も無いんですよ。
ましてや無関係の人間が、勝手に代弁者を気取ってそれを求めるとか、意味が分かりません。

日本は核兵器廃絶の国際条約に、世界で唯一の被爆国でありながら、署名しませんでした。
「肝心の核保有国が署名してないようなものは、意味がない」というのが理由です。
しかし私は本当の理由は別にあると思っています。
それは国防上の観点から、参加しなかったという事です。

日本の近隣には、中国やロシアなど核兵器を保有している「大国」があります。
また現在進行形で核兵器を新たに開発して保有してるのか、保有が完了したのかの北朝鮮という国も居ます。
これらの国が、日本に核ミサイルを撃ち込んで来ないのは、米国の核の傘に入っているからです。
しかし日米同盟が永遠に続くなんて保障はどこにもありません。
将来的に、核兵器を保有せざるをえなくなる事だってあり得るわけです。

日本はその気になれば、数ヶ月で核兵器を作れるなんて海外からは思われています。
実際、自前の原発が何基もあるわけで、核兵器の材料や核を扱う技術を持っているからです。
原子力を研究する学者や専門家や技術者も沢山居ます。
だから日本はかたくなまでに原子力発電を止めようとしないのです。
原発と核兵器の技術はまったく違うなどと言う輩も居ますが、原発をまったく持っていない、それらの技術がまったく無い状態から核兵器を開発するのと、原発を持ってる状態で核兵器を開発するのとでは、開発期間には雲泥の差が出るのを否定できる人は居ないでしょう。
ぶっちゃけ素人目には、包丁を作っているのか、刀を作っているのかの違い程度にしか思えないんですよ、原発と核兵器ってw

日本は核兵器をその気になればいつでも保有できる。
そういう状態を維持しておきたいから、あえて被爆国でありながら参加しなかったのです。
もちろん核保有国が全て参加するというのであれば、日本も参加したでしょう。
これが真実です。
それを分からない馬鹿なのか、あるいは分かっていてあえて「憲法九条」みたいに「足かせ」として利用したかった、反日国家の工作なのか、そいういう理由で条約に参加しなかった事を批判してるだけでしょ。

戦争も核兵器も、全人類が一斉に「止め」ってしなければ、無くせないんですよ。
一部の国だけがそれをやれば、いずれは全ての国がそれに追従してくれるなんて、お花畑にもほどがあります。

なんで警察が居ると思いますか?
それは日本国民は全員、殺人とか窃盗とかしちゃいけません、しませんって法律があっても破る奴が居るからですよ。
この糞狭い、人口だって大国に比べたらすくない、しかもほとんど同じ民族で構成されている「日本国」という小さな単位でさえ、みなで決めた事を守れない人が居るわけです。
そんな人類が、一部の国だけしか賛同してないような約束事を、守れると思いますか?w

戦争というのは仕掛ける国と仕掛けられる国があって、はじめて成立するんです。
核兵器は使う国と使われる国があって、はじめて効力を発揮するんですよ。
憲法九条や核兵器廃絶条約あっても、それを批准してない国が「仕掛ける国」「使う国」になってしまえば、意味が無いのです。
全世界の全人類が「仕掛ける国」や「使う国」になれないようにしないと、意味が無いのです。

この理屈をあえて無視して、特定の国だけにそれを求める連中ってのが、どういう考えなのか分かりますよね?

被爆者は謝罪や賠償では何の問題解決にならない事を理解している。
そして全世界が一斉に核兵器を廃棄しなければ、核兵器が二度と使われない世界にならない事も理解しているのです。
だから特定の国にマウントを取りにいくのではなく、全世界に訴え続けているのです。
理解を求め、お願いし続けているのです。

これがマウント取りたいだけの理由で、謝罪や賠償を求める糞みたいな国や、そういう連中とつるんで人権だの差別だの騒ぐ連中と、被爆者の違いです。
実際につらい苦しい思いをした人と、そうじゃない癖に味方や代弁者を気取って騒ぐアホどもとの違いです。

私が「はだしのゲン」を支持しながら、マスゴミどもの糞みたい口だけ反戦だの反核だの平和だのの番組を支持しない理由です。

なぜヤクザや不良に憧れる男が後を経たないのか?

例のワイドショーが現在の目玉ネタのひとつとしてやってる、ボクシング協会の会長を見てそう思いました。

男というのは、多かれ少なかれ誰でもワルぶったり俺は強いぞとアピールしたがるものです。

なぜか?

それは他の動物と同じように、人間にも強いオスほどモテるという本能があるからです。
それは馬鹿な男が勝手に思い込んでるだけではなく、実際にお勉強できるマジメだけど弱そうな男より、校則守らない先生に反抗する乱暴ものの、いわゆる不良の方がモテたりするのを見れば女側もそれを求めてるのが分かるでしょうw
ヤクザって以外とモテるとも言われています。

こういった動物的な本能によって、男はいきがる奴が多いのです。

日本ではヤクザの象徴として、刺青(タトゥー)は忌避されます。
もともと刺青ってのは、「俺は強いぞ!」とアピールするためのものです。
刺青を入れる時って、めっちゃ痛いわけですよ、医学が発展した現代においてもね。
だからそんなすげー痛い事にも耐えられる俺つえーって事でもあるんですw

孔雀のオスは綺麗で目立つ羽を持ってるオスほどモテると言われています。
これは外敵に襲われやすくなるような、目立つ姿をしていても生き残ってます=俺は強いという証だからだと。
人間の刺青も、基本的には同じ思考が働いていると思いますねw

女性でもタトゥーをする人は居ますが、女性の場合はまた別の本能です。
それは化粧の延長であり、より自分を美しく目立つようにするためです。
女が男に求めるのが、基本的に腕力や体の大きさなどの「強さ」なのに対して、男が女に求めるのは「美しさ」だからです。

だから女は某国ではみな整形するし、日本だとすっぴんと全然違うじゃう、化粧こえーwwwと言われるぐらいの厚化粧をするんですよw

他の生物とは異なる、賢い存在であるなんて人間は自分たちの事を思ってますが、しょせんは野生の動物と同じなんですよw

ヤクザっぽい見た目であること、あるいはそういう連中と交友関係がある事は、「かっこいい」事であり、実際モテる要因になり得るんですよw
件の会長はスマホの着信音がゴッドファーザーのテーマになってましたが、あれ見てもどんだけこの会長はワルに憧れるアホであるか分かりますよね?w
暴走族がゴッドファーザーのテーマをよくクラクションとして使ってるのと同じですよ。
あの歳になっても糞ガキと同じ思考なんですよw

なぜそういう人間が、組織のトップになれてしまうのか?
なぜなら、人間の集団というのは動物の群れと同じだからです。
一人の力が弱いために、人間は集団でないと生きていけない、生き残れない動物です。
だから野生の草食動物のように、群れを作るのです。
群れというのは自分たちを守るための手段なので、当然ながらそのリーダーというのは群れで一番強い「オス」がなるわけですよ。
一番強いやつがリーダーをやった方が、生き残れる確率が高くなるからです。

ヤクザみたいな反社会勢力と関係があるのはけしからん、とマスゴミも政治家も言いますが、お前らだってヤクザとお友達な奴は沢山いるだろうとw
だからこそ、ヤクザは居なくならないんです。
全員、ブタ箱にぶちこんで壊滅させるなんて簡単にできる事です。
フィリピンの大統領がやってるようにねw
人権だとか法律だとか証拠がないと逮捕できないなんてのは、お友達をかばう言い訳にすぎないのですよw

日本人を拉致し、ミサイルまで飛ばしてくるような敵性国家の組織や人間が、堂々と日本に存在して表を歩けるのも、北朝鮮のお友達な日本人が沢山居るからですw
それもいろんな業界の上の方にねw

そういう悪い奴らとお友達になる連中ってのは、「あ?お前いいの?俺の友達、この辺で1番喧嘩強いよ?w」と粋がる小物な不良みたいなもんですw
本当にやばい奴らの評判を使って、てめーもさも強い人間であるかのように振舞う、いわゆる虎の衣を借るなんとやらですw

この風潮は全世界のすべての人間が持つものであり、それを無くすのは不可能です。
それは人間と言えど逃れれない動物のオスの本能であり、また人間であってもメスはそういうオスを求めるという本能があるからですw

そういう事を踏まえたうえで、どう改善していくか?
単に悪い悪いと叫ぶだけでは、解決しない問題なのですよ。
マスゴミお得意の世論操作や洗脳を使ってでも、いくら強くてもワルい男はないわーという風潮を作り、男はもちろん女の側も意識を変えるしかないのですよ。

デイリークエストとかイベントとかログボとかの悪習

幻想神域、ついに飽きてここ10日間ぐらいまったくログインしなくなりましたw

次の暇つぶしMMOを探してるのですが、その時に気づいた事。

最初は面白いよ!って評価があるゲームは結構あるという事です。
確かに幻想神域も最初は面白かったと思います。
右も左も分からないところから、だんだんと仕様を理解して育成の方向性を試行錯誤したり始めた時が、たぶん最高潮だったかとw
もっとも、UOやMoEや信長の野望やROといったMMO全盛期の頃に私がハマったものには及ばないですがね。
それこそあの当時は「寝る間も惜しんで」やったもんですが、幻想神域はそこまでではありません。

なぜかと言えば、ネットゲームでありながら家庭用ゲーム機のRPGと変わらないからです。
一人で黙々と、製作者の意図に従って「作業」をするゲームだからです。
それが疲れるので、寝る間も惜しんでやる気にはなれない。
家庭用ゲーム機のRPGは、当たり前ですが誰でもゴールにたどりつけるように作ってあります。
MMOには明確なゴールはありませんが、それでもレベルカンストやある程度の戦力になる等のゴールらしきものはあります。
ところが、基本無料であるため無課金・微課金はそこまで到達できないんですよ。
こりゃ無理だわってのが見えてしまうわけです。
まずそこで萎えます。
そして表題にも書いたデイリークエストやイベント・ログボのためのログインなどたいした報酬もレベルアップもできない「作業」を永遠とやらされるからです。

完全スキル制MMOであったUOやMoEだけでなく、レベル上げマゾゲーであったROや信長の野望などには、このような「やらなければならない」デイリークエストとかはありませんでした。
レベル上げしかやる事がなくても、どこの狩場でどういう敵で稼ぐかは、自らの意思で決定していたわけです。
完全スキル制の場合は、経験値稼ぎのためのダルい狩りすらする必要はなく、今日はダンジョン行こうとか、今日は素材集めしようとか、そろそろ装備が痛んできたから生産しようとか、色々な選択肢があって、それを自由に自分の意思で選らんでやっていました。

この「やらされてる感のなさ」が、長期間に渡って人口が維持できた理由でもあると思うのです。

私はこのデイリークエストやイベントやログボという悪習は、止めるべきと考えます。
これらのために、あんまやる気おきないけど仕方なくログインし、仕方なくデイリー作業をこなし、そして精神的に疲れてやーめたになる。

そもそもこれらの仕様は、プレイヤーに無理やりゲームを続けさせるために考え出されたものです。
家庭用ゲーム機のRPGのように、ソロでひたすら製作者の意図に従って行動する。
ネトゲにわざわざする必要もない、本場の家庭用ゲーム機のRPGにも劣る底の浅さや魅力のないものしか企画できない製作できない、運営できない無能さをごまかすためでしか無いのです。

スマホの普及により、PCという媒体自体を使用する人が減った、あるいはPCを使う時間が減ったという背景があるのも事実でしょう。
しかし決して、PC専用の本格的なネットゲームを求める層が居なくなったわけではありません。
ネトゲを題材にしたアニメやラノベが人気なのが、それを物語っています。
これらのアニメやラノベに出てくる架空のネトゲというのは、全て古き良きMMO全盛期の頃の仕様ばかりです。
絵とタイトルだけ変えただけの、紙芝居コピーゲーやデイリー作業に追われ、それ以外にやる事が無いような今のクソゲーを想起させるようなものは出てきません。
せいぜい、課金が全て!というのを、ギャグや皮肉ネタとして使うぐらいですw

PC使用者が減ったと言っても、全世界規模で見ればまだまだ相当の人数のPCゲーマーというのは存在しています。
また、MMO全盛期には性能的に無理があってできなかった、家庭用ゲーム機でのMMOというのが、今は可能な時代です。
決して、集客が見込めない分野ではないのです。

MMOの衰退はテレビの衰退に似ています。
テレビの衰退は昔のように魅力的な番組を作れる能力のある人が減った事や、視聴者を無視して世論操作や洗脳をあからさまに行うような番組が増えた、そこへネットという新しい媒体が登場した事が重なって起きた事です。
なのにネットが全て悪い、自分らは悪くない、無能になったのではない。
だから衰退が止まらないのです。
ちなみに面白い番組を作れる人が減ったのは、日本人の知的水準が下がったわけでも、若い世代の人口が減少したからでもないと私は思います。
コネ入社により、無能が増えたからですよ。
在日とかねw

国連も以前からもう衰退してんじゃないかとは言われてましたが、決定的になったのは韓国人が事務総長になってからですよね?w

別に韓国人が人類の劣等種であるとは言いません。
彼らはその民族性によって、他の民族と同様の知能が発揮できないだけですw
努力しない、問題を人のせいにして解決しようとしない。
それが彼らから、本来持っているはずの能力を奪い去っているのです。
前日も書きましたが、才能があっても努力しなければ、それは発揮できないのです。

話がそれましたが、今のMMOはこのままでは復興はしません。
少なくとも日本・中国・韓国のアジア勢のネトゲ企業は全て潰れるでしょう。
欧米は今でも新しいネトゲの大作を作り続けています。
VRに対応したりMOBAという新しいジャンルを開拓したり、対戦ゲームをスポーツにまでのし上げたりと、いろいろやってます。
顧客無視の自分たちの都合だけを優先させた低コスト集金ゲームばかり作って、延命をはかっているだけのアジア企業が淘汰されるのは当たり前ですw

そうなりたくないなら、もう一度原点に立ち返るべきでしょう。
個人的にはニートで金が無いので、基本無料で作って欲しいですが、難しいなら月額課金制でもかまいません。
無理に基本無料でクソゲーを作り続けて国内のPCネトゲが全滅してしまうぐらいなら、月額課金制ばかりになっても、ふたたびPCネトゲという分野が国内で勢力を回復する方がマシだからです。

スマホやブラウザゲームを作るなとも言いません。
PCのような高解像度の広い画面を必要としないゲームというのは、確実に存在するからです。
PCでなくても面白いゲームは作れるはずだからです。

私はかつて国内のPCネトゲを牽引した韓国企業を筆頭に、当時から消極的だったがそれでも少ないながら良作を出していた日本企業、そしてコピークソゲーやあからさまな集金システムという悪習しか持ち込まなかった中国企業にも、全てにがんばって欲しいのです。

おかあさんはおばちゃんになったのに、どうしてあむろちゃんはおねえちゃんのままなの?

みたいな事を小さい娘に言われてショックを受けたという笑い話が、ツイッターに上がっていたそうです。

子供は残酷だなぁw

さて、これに対して教育的に回答してあげるとしたら、どうしますか?

・いつまでも若く美しい姿で居られるからこそ、彼女は歌手・アイドルという職業をしていられる
元の造形という一種の才能みたいなものがあるにしろ、老化しない人間というのは居ないわけです。
歌手・アイドルという職業を続けるために、相当な美貌の維持の努力をしているのです。
もちろん、歌や踊りの練習もですが。
だからこそ、今でもおねえちゃんなのです。
よく努力すれば夢は叶うは嘘だと、才能が無ければいくら努力したって無駄だと言われます。
ここ最近、ネットという媒体が登場して、匿名で本音を言える環境が整ったために、こういう今までの道徳なのか美徳なのかに対する反論が、同調圧力を逃れて出てきたわけですがw
しかし逆に、いくら才能があっても努力をしなければ、夢は叶わないというのも真理ですw
あむろちゃんがあむろちゃんなのは、あむろちゃんで居られるためのすごい努力をしているからなのです。
と、努力の大切さを教えるのに使ってみては如何でしょうか?w

・お母さんは怠け者で、あむろちゃんより劣った人間ではない。
自分で言っても効果は薄いので、これは旦那さんとかに言って貰うべきでしょうが、お母さんはあむろちゃんとは違う方面、違う形だけど、努力をしたから、結婚してかわいい娘さんを持って幸せになれたのです。
お母さんが、あむろちゃんより老けて見える事に、がっかする事も、卑下する事も、かわいそうに思う事も無いのです。
人の幸せや、求めるものというのは、人によって千差万別なのです。
また、全員があむろちゃんになってしまっては、他の職業が成り立ちません。
例えば、身分制度を無くして全員貴族になって、誰も働かないくなってしまえば、食べるものが無くなってしまうので、全員死んでしまいます。
おかあさんが、あむちゃんだったら娘さんは生まれなかったかも知れないですし。

このように教育的観点から娘さんに回答するのであれば、
・あむろちゃんはあむろちゃんで居られるように、日々すごい努力をしている
・お母さんはあむろちゃんとは違う役割をきちんとやっている立派な人だ
というように努力の大切さと、人間には優劣なんてものはないんだという事を教える絶好の機会として活用すれば良いのになぁと思ったという話ですw

生き残る

人間も含めて、この地球に存在する全ての生命の行動原理は「生き残る」ためだ。
「進化」というのも、生き残るために行われるもの。
この「生き残る」という神に課された使命とでも言うべきものは、何のためかと言えば子孫を残すためだ。
不老不死の生命というのは、無いのだから、子孫を残さなければ種が絶滅してしまう。
もっとも一部のクラゲなどは不老不死なのではないかと言われているが。

なので自分の子供が出来ると、自分が「生き残る」から自分の子供を「生き残らせる」に行動指針が変わる。
自分の「命」より子供の「命」を守る事が優先される。
この世でもっとも強い愛情というのは、親が子に対して向けるものなのも、そのためだ。
ちなみに親子愛というのは、子が親を思う気持ちも含まれるが、その度合いは圧倒的に親から子への方が強力。
なぜなら親が子に向ける愛情は、子供を生き残らせるという本能から来ているのに対して、子から親への愛は、親が居ないと生き残れないという、自分自身の為のものから来ているからだ。
つまり自分の力である程度「生き残る」事が可能な大人になるにつれて、親の必要度というのは低下するわけだw
ましてや結婚して子供が出来たら、自分も子供の命の方が大事になるわけであって、親の面倒を見る事で子供の命が危険になるなんて事はあってはならないのだ。
だから姥捨て山というのがあったのだ。
親は自分の子供が大人になっても、子供の命が一番なのは一生変わらない。
年老いた自分のせいで子供の命が危険、具体的には食料が足りないとか、そういう事態になった場合に、子供を生き残らせるために、自ら命を捨てる行動に出ても、何ら不思議ではない。
姥捨て山というのは、食い扶持を減らすための非人道的な風習を老人に強制したものであるかのように思われるが、実は違うのである。

女人禁制という場所。
おんなこども というのは弱者の典型としての言葉である。
生き残る力が大人の男性より弱い「おんなこども」を生き残らせるために、危険だけれど行かなければならない事がある場所、行けてしまう場所を、神様などの宗教的な理由をダシにして「女人禁制」というルールを作って守ったのだ。
差別利権や逆差別が目的のアホどもが、「女人禁制」を「男尊女卑」の証拠として騒ぐが、まったくの間違いなのだ。
もちろん、昔より科学技術が発達して、「女人禁制」というルールが作られた当時より遥かに安全になった現代において、それらはもはや時代遅れの無意味な風習であるから、廃止しても良いのではないか?という理屈ならば、私も賛同する。

相撲の土俵に女性が上がれないというのも、そもそも今ほど医療が発達・充実してない時代は、命を落とす事だってあり得た相撲という危険なスポーツを、女性にやらせたくないという考えから来ていると私は思っている。
だからそれを男尊女卑の象徴として叩く連中には賛同できないのだ。
これが、昔はそういう理由があったかもしれないが、現代では医療のレベルも昔とは段違いであり、それほどの危険は無い。
事実、女性で相撲を楽しむ人だって居るわけだし、そういう観点から女人禁制にしておく必要はもう無いのでは?という理屈で、女人禁制を解こうと主張するのであれば、反対する人も少なくなったと思う。

このように、全ての法律・習慣・伝統・マナー等々の「決まり」のようなものには、差別なんぞ本来は無かったはずなのだ。
差別というのがなぜ悪とされるかというと、それをしなくても生き残れるのに、不必要に生き残れない人間を作るから悪なのだ。
それをする事で、生き残れない人間が出ないのであれば、それは差別でも何でもないのである。

自分が生き残るためや、生き残れない人を生き残れるようにするために行うのが、本来のそういった自由だの平等だの人権だのの運動であるべきなのだ。
しかし現在のそれらは、自分が生き残るためでも、生き残れない人が生き残れるようにするためではない。
自分や一部の人間が、「優遇」されるためである事が多い。
「優遇」というのは、金であったり力であったりを生き残る以上に求める行為とも言い換えられ、ひとえに「欲望」によるものである。
だから支持されないのだw
人が持ってよい「欲望」というのは、「生き残る」事だけである。
なぜならそれ以外の欲望を実現させようとすると、生き残れない人が出てくるからだ。
当然、それら生き残れない人間から反発を食らう。
ましてや自分は絶対にどんな状況でも生き残れるなんて自信を持てる人間なんて居ないのだ。
だから「生き残る」以外の「欲望」に対して、人間は拒絶反応を起こす。
これが、今の左翼どもが支持されなくなった理由である。

自由だの平等だの人権だのを訴える連中も、それが自分が生き残るためであれば、支持してくれる人はもっと多いと思う。
自分が生き残る、あるいはそのネタにしている「弱者」と称される人々が生き残るための運動ではなく、自分がそれによて金なのか力なのか、何か生き残る以外の「欲望」に基づくものであるから、支持されないのだ。

この世の「善悪」などというものは、所詮は人間の都合で生み出されたものであり、神様が決めたものではないのだよ。
神様というものが本当に居て、人間に求めている事があるとしたら、それは「生き残る」事だけなのだよ。
「生き残る」ための行動であれば、たとえそれが人間の倫理観において「悪」とされるものであっても天罰は下らない。
「生き残る」ための行動でなければ、たとえそれが人間の倫理観において「善」であっても、神様は評価してくれないのだよw
憎まれっ子世にはばかる のはそのためだw
いくら熱心にお祈りしようが、厳格に戒律を守ろうが、必ずしも天寿を全うできるとは限らないのもそのため。
なぜなら、お祈りや戒律を守る事は、「生き残る」ための行動ではないからだ。
お祈りは別として、宗教の教義や戒律の中には、それが作られた当時は「生き残る」ために必要だった事も含まれる。
しかし現代においては、それを守らなくても「生き残れ」るのだ。
だからいくら熱心にそれらを守っても、神様はそれを評価してその人間を守ってくれたりしないのだw

日曜の礼拝に来ていた熱心な信者が、皮肉にも協会でイスラムテロで多数死傷したなんてニュースもあったが、そういう目に逢うのも、その時にGODが守ってくれなかったのも、全ては「生き残る」ために必要な行動ではなかったからだよw

宗教が不要だとは言わない。
それが無いと心の平静を保てずに、「生き残れ」ない人も居るからだ。
しかしそれを利用して、自分が「生き残る」以外の欲望に基づく行動をするような人間が沢山居る。
だから日本人は「宗教」=「インチキ」とか「胡散臭い」ものとして忌避するのだ。
神社で初詣を行い、教会で結婚式を挙げ、寺に死後の世話をお願いするような事をしていても、「自分は無宗教です」と答えるのだw

体罰が躾なのか虐待なのか、その境界線はどこにあるのか?
それは子供が生き残れるようにするためなのかどうかで判断できるのだよ。
体罰と称して、暴力で子供が死んでしまうようなものは、躾でも何でもない。
子供の命に危険はないし、障害が残るような事も無いが、ちょっと痛い。
でもそれは痛い思いをしてでもわかって貰わないと、子供が将来生き残れない。
そういう類のものは、躾であって誰にも批判される謂れは無いのだよ。
この理屈がわかってないから、いつまでたっても体罰は善か悪かの論争が続くのだ。

この世の全ての生命は「生き残る」事が行動の原理である。
物事の善悪などというものは、所詮は人間がてめーの都合で決めた屁理屈である。
よって物事を「正しい」か「間違い」か「支持」するのか「反対」するのかは、全て自分が生き残るために、自分の子供が生き残るために「必要」なのか「不要」なのかで判断すれば良いし、それこそが神が(本当に存在すればであるがw)人間に求めている事なのである。

心霊ちょっといい話系のまとめ

私は100%ではないが、魂とか霊とかは存在すると思っている。

この世と言われるリアルの我々の世界は、原初の魂というか全知全能・不老不死の本当の神とでも言おうか、そういうものが居て、それが暇をもてあまして作ったものであると。
しかしこの「世界」という作品を完成させたところで、また暇になってしまった。
そこで自らを細かく分けて、自分が作った作品の中に送りこんだ。
これが「魂」であり、だから日本では万物に魂が「宿る」という言い方をするのではないかと。

よってこの世は世界を作った原初の神によって、その行く末というかシナリオというか台本までもがある、ひとつの物語であると思っている。
我々は、様々な生物や、あるいは無機物にも宿る事ができるのかもしれないが、それに宿って決められた台本に沿って劇を演じているだけなのではないかと。

たとえば人間に宿った場合、それは「人間」という着ぐるみに、魂という本体が入ったような状態だ。
従って視野は狭まるし、動きも鈍くなる。
だから世界の一部しか見えないのだ。
霊が見えるという人は、きっと着ぐるみの目の部分が他の人より大きく開けられているか、さもなくばどっか破れていて、そこから着ぐるみを着た状態だと普通は見えないものが見えるのではないかと。

この劇を見ているのは、魂の状態で何にも宿ってない、いわゆる幽霊とか、あるいは神様とか言われるものだろうと。

しかし最近また新たに思う事ができた。
それは観客であり、劇の台本に従う必要が無い完全に自由であるはずの魂も、実は何らかの役割を与えられて、台本に沿って行動しているのではないかと。
これが、悪霊だったり神様だったり、守護霊だったり、そういうものなのではないかと。

悪霊になってしまう人ってのは、本来は着ぐるみが壊れた=死んだら自由な存在である魂に戻れるはずが、その後悪霊としてしばらくこの世に存在するという役割が設定されていて、それで仕方なく着ぐるみを脱いだ後も劇を続けているのではないかと。
神様とか守護霊とか言われる存在も同様に、そういう役割を与えられて演じている着ぐるみを着てない役者なのじゃないかと。

また劇である以上は、役者以外にも様々な役割の人が必要だ。
大道具とか証明とか、あるいは監督なんかも必要だ。
よく産まれる前の記憶がある子供が、神様のような存在に導かれて、両親を決めさせられ、そして神様の指示で赤ん坊として産まれるために現世に降りてきたみたいな事を言う子が多い。
ここでいう、産まれ先を決めさせる指導者みたいな神様というのは、実は監督とかそういう役割を与えられた魂ではないかと。

幼稚園とかの劇でもそうだが、先生とかが居ないと、みなあれやりたい、私もそれやりたいといつまで経っても配役が決まらないw
現世に産まれてくるというのは、リアル人生物語において、どんな人物を演じるのかというのを決めるのと同じ事で、当たり前だか2つの異なる魂が1つの人間という着ぐるみに入る事はできない。
なので監督なのか幼稚園の先生なのか、そういう役割を与えられた魂が居て、それがうまく役を割り振っているのではないかと。

小さな子供や霊感のある人が、神様を見たとか、あるいは霊感が無くてもなんか守護霊的なものに守られたとしか思えないような体験をしたとかある。
私はそんな体験は残念ながら一度も無い、少なくともそう認識できた記憶は無いが、それは私という人間にはそういうものが付いているという設定になっていないのだと思っているw
人間にはほぼ全員に守護霊というものが、必ず付いていると言う霊能者も居るが、それだと役者の数が足りなくなるのだろう。
だから居ない人も居るし、それも台本のうちだと思う。

いくつか魂の自由意志で、選択枝を選べる場面はあるのかも知れないが、基本的に台本に無い行動はできないし、未来というのも既に台本に書かれていて、存在しているものだと思っている。
選んだ選択肢によって、アドベンチャーゲームのように違う未来の台本を演じる場合もある。
そのときに、間違った台本を読んでしまったのが、異世界に行ったとか平行世界・パラレルワールドに迷い込んだ、あるいはそういう所から来て帰れなくなったとかって現象なのだろうと。

タイムリープは、そういう人生を送るという台本になっていたわけで、別に怪奇現象でも超能力でもない。
ここまで人生を歩んだら、何年前に戻って「うわ、なんか知らんが過去に戻った!なんだこりゃ!」と驚く演技をしなさいと台本に書かれているのだw
そういう台本が用意されてない人は、いくらがんばってもタイムリープなんて出来ないし、そういう台本がある人は、望まなくてもそういう目に会うんだろうなぁと。

つまり心霊ちょっといい話系も、そう考えれば、必ずしも嘘乙では片付けられないだろうと。
この世の不思議は、全て辻褄が合う解説が可能なのだと。

科学的では無いと言うかも知れないが、では科学ってそんなに信用できるんかと。
本当に科学を人は理解できているのかと。

よく子供の「なんで?なんで?」という対応不可能な攻撃にあった話も聞く。
「なんで?なんで?」に答えられないのは、われわれの信じている科学というのは、その程度の説明しきれないあやふやなものであり、あるいは人間がその程度しか理解できていない不完全なものという事だ。
物をはなんで落ちるの?
重力があるからだよ。
重力ってなに?
物が地球に引っ張られる力の事だよ。
なんで地球に物が引っ張られるの?
よくあるのがバケツに水を入れて、ブンブン振り回しても水が落ちない。
これが引力とか重力とか言われるものだよって説明があると思うが、じゃあなんでそうやると引力とか重力が発生するの?って言われたら、私はここで「そういうものなんだよw」しか答えようがない。
それで小さな子供は納得しないだろう。

これが我々が信奉する科学の正体であり、現実なのだw
だから科学的ではないと、全てを嘘乙で否定する事は、私は正しいとは思わないのだ。

どう生きようと、どうがんばろうと、未来は既に決まっていて、複数の候補があるかもしれないにせよ、台本に無い事はできないのだ。
そしてアドベンチャーゲームのように「正解」とかトゥルーエンドとかバッドエンドの区別も無い。
そもそもそれらは、製作者の「主観」によって決められたものであって、この世界を作って脚本を書いた、人間でない存在と必ずしもその「価値観」が一致するとは限らないからだ。
幸せな人生だった、不幸な人生だった、満足して死んだ、未練を多く残して死んだ、どっちが良いか悪いか、そんなもんは人間が勝手に思ってるだけで、真実ではないのだ。
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異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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