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日大アメフト部 悪質タックル問題の異常な報道ぶりに見る今の日本のマスゴミ

ここ最近は、どこのチャンネルのニュースを見ても、どこの局のワイドショーでも、これの話題が出ない日は無いどころか、未だにトップで扱われる事が多いです。

たしかに注目すべき事件ではありましたが、これほど長く、しかもどのマスゴミも同じ論調で同じような大きさで連日扱うほどではないです。
モリカケ問題もそうですが、すでに日本のマスゴミというのは、たったひとつの大きな組織に牛耳られていると言って良い状態でしょう。

マスゴミというのは、いま世界的に信用を落としつつあります。
というのも、宗教などと同じく、設立当時の理想や理念などはとっくに失われており、単なる権力集団、既得権益集団に成り下がっているからです。

ただそれでも、たとえばアメリカのマスゴミは、トランプ大統領を叩きまくる勢力もあれば、反対に擁護する勢力がある事でも知られています。

対して、日本のマスゴミで安倍政権を擁護するマスゴミは、ほぼ無いと言っても良い状態です。
産経新聞がよく右よりだと言われますし、テレビ東京は他のNHKも含むテレビ局とは一線を画す方針を貫いた番組作りをしてたりしますが、どちらもマスゴミ界全体、テレビ業界全体からすれば、取るに足らない小さな新聞社・テレビ局にすぎません。

日本という国、日本人というのは、買いかぶりすぎ、中二病的すぎと思われるかも知れませんが、周辺諸国にとっては是非とも手に入れたい国であり民族なのです。

まず日本人というのは、例えば日本人以外の国民・民族に1000円渡して仕事を依頼したら、1000円以下の働きしかしません。
ところが日本人というのは、その性質上、1000円渡して仕事を依頼すると、1500円とか2000円相当の仕事を、何も厳命しなくてもしてくれます。
権力者にとって、これほど魅力的な人材は居ないでしょう。

また、日本人は無宗教とか無神論者といわれるように、宗教的な狂信者が非常に少ないです。
なので特定の思想や価値観を、無下に否定したり拒絶することなく、柔軟な発想ができます。
すでに真っ赤に染まってる布を、真っ青に染めるのは非常に大変ですが、真っ白な布を真っ赤に染めたり真っ青にするのは非常に簡単です。
イスラム教の文化圏に、キリスト教的価値観を浸透させるのはほぼ不可能に近いし、だからこそ十字軍の時代から永遠とアホみたいに争っているわけです。
この争いを、そもそもアホらしいと思えるのが、日本人が真っ白な布である事の証明でもあります。

このように権力者にとって、日本人とは非常に魅力的な「民族」なのです。
日本人が優良人種だと言ってるわけではありません。

たとえば、日本人の無宗教・無神論的な思想が、「過労死」や物事をはっきり言わない姿勢に影響しています。
それは決して良い事ではないですよね?
人間というのは、その知性に比べて精神は他の動物と同等レベルでしかありません。
だからこそ、宗教というものにすがって、一種の自己暗示でその弱い精神を補っているわけです。
これをしない日本人は、強欲になりきれない、自分が絶対的に正しいと自信を持てない、自ら死を選ぶような精神状態に陥りやすい事の原因のひとつなのです。

日本は現在こそ民主主義の自由で平等な国ではありますが、それは他の国と違って民衆による革命などでもたらされたものではありません。
明治維新は一部の武士階級によって、そして戦後の自由民主の国づくりはアメリカに戦争で負けた事による外圧によって作られたものです。
つまり、日本人というのは、悪い言い方をすれば「奴隷根性」が染み付いた民族であり、自らの行動で物事を大きく変革させる事ができないという弱点を持つわけです。

それが良い方向に働けば、今の日本のように世界でも稀な平等で非常に治安の良い国になりますが、悪い方向に働くと、北朝鮮と同等以上の独裁国家になる危険性もあるのです。

ともかくそんな「支配者」にとっては、非常に魅力的な民族の国である日本というのは、ロシアや中国や、あるいは同盟国であるアメリカをはじめとした西側諸国にとっても、是非とも手に入れたい国なのです。
米ソの冷戦時代から、あるいはそれよりもっと前から日本というのはずーっと世界に狙われ続け、異なる勢力がその支配権をめぐってひそかに争っている国でもあるんです。
それゆえに、日本は戦後ドイツのように分割統治されずに済み、漢字をなくしてローマ字にするとか、天皇を廃止するとかいう「民族の尊厳」を奪われずに済んだとも言えます。

わかり易く言えば、西側諸国は政治を、東側諸国はマスメディアをそれぞれ支配し操っているという事です。
ここ最近、政治の分野では自民党の一党独裁にもなりかねない圧勝は、アメリカが中国・ロシアなどの工作に大勝した結果でしょう。
しかしながらマスメディアによる情報操作の戦いでは、アメリカは大敗北を喫し、それゆえに今のマスゴミが反日といわれるほど偏った姿勢一色になったわけです。

この世界は、太古より「生存競争」というゲームをさせられています。
人間は一見するとこの「生存競争」に勝利したかのように見えますが、それは今も続いているわけです。
またこの「生存競争」は、人間対他の生命というだけではありません。
人間同士でも行われるのです。
だからいつまで経っても戦争や紛争、いじめすら無くならないわけです。

もちろん人間種に対抗しうる新たな生命種が誕生すれば、一時的にせよ人間種が結束する事はあるでしょう。
江戸時代までの日本人は、「日本人」という単一民族という認識がまったくなく、現在の都道府県のような地域単位でしか仲間意識が無かったわけですが、欧米という強大な異民族を前にして、はじめてわれわれは「日本人」という仲間なのだと結束したわけです。
同様に、「人間」が「人間種」として日本人だのアメリカ人だのアラブ人だの黒人だの関係なく結束するには、それこそ宇宙人でも攻めてこない限り、あり得ないのですw

しかもこの「結束」というのは、「博愛主義」などという崇高なものではありません。
自分一人が最後まで生き延びるために、より近しい種を仲間として「利用」するだけにすぎません。
仮に宇宙人が攻めてきて、それによって人類史上初めて世界統一がなされたとしても、その宇宙人を攻め滅ぼして、人類が新たに宇宙でも絶対的な「優位」を確立したなら、即座にまた人種間の争いは再開されるでしょうw

この世には絶対的な正義も悪も存在しません。
自分ひとりが、あるいは自分の遺伝子が最後まで生き残るには、どういう方法が最善であるかしかないのです。
それが異なる方法を取ったもの同士には、相手が悪に見えたりするだけの話です。

私は日本人が日本人として生き残るには、中国・ロシアを友とするよりアメリカやヨーロッパ、あるいはアジアを友とした方が良いと考えます。
しかしそれは正解とは限りません。
もしかしたら、中国やロシアの傘下に入って、独裁政治体制の国になった方が生き残れたと悔やむ未来もあるかも知れません。

ただどちらにしろ、自ら考える事を放棄して、簡単に一方の選択をしてしまうのは、それが良い結果であれ悪い結果になるのであれ、「成長」はしません。
だから私は「思考停止」状態の、一種の宗教の教信者のようにも見えるマスゴミをはじめとした「反日」と言われる勢力を嫌うのです。

安倍政権を支持したところで、アメリカに搾取され続ける未来でしか無いかも知れません。
逆にマスゴミ反日勢力を支持して独裁共産国家になった方が、アメリカ資本主義に搾取されるよりは、はるかに搾取額が少なくて済む、貧富の格差が小さくて済むかも知れません。
それでもやはり、私は反日勢力を支持することはできないのです。

あからさまな偏向や捏造しか出来ない頭の悪い勢力に、未来を託すべきでは無いと思うのです。
ムチしか見せず、アメを提示できない勢力には、なびけないという事です。

もっとも、別に誰が支配しようが誰が搾取しようが、別にどーでもいいんですけどね。
人間をはじめとした生命の本体は、不老不死の存在である「魂」と呼ばれるものであり、人の人生なんてものは、暇をもてあました魂の娯楽にすぎないと思っているからです。
王様だの大統領だの、あるいはものすごい富豪の子息だのに転生するのも、金も学もない、犯罪をしなければ生きていけないスラム街や、貧困にあえぐ国の下層に生まれるのも、全ては魂が臨んだ事であると思っているからです。
不思議に思われるでしょうが、例えば甘いものというのは全ての人が好きなわけではないです。
辛いものや苦いもの、すっぱいものが好きな人も居るし、またいくら甘いものが好きでもそればかり食べていては、飽きてしまいます。
同様に、王様だの金持ちだのが好きな人も居れば、無理ゲーのような環境に生まれ、すぐに死んでしまうような人生が好きな魂も居るかもしれないし、いつも恵まれた環境に生まれた人生では飽きてしまう事もあると考えるからです。

霊能力者は宗教家は、魂の修行のためにあえてそういう不遇の元に生まれる事を望むなどとアホな事を言ってますが、不老不死の魂に修行なんてものは不要ですw
単なる暇つぶしであり、娯楽の一種や日々の食事の味のようなものであるという事です。
単に辛いものが好き、あるいはたまには辛いものが食べたい、それだけの話なのです。
なので人類みな平等で、貧富の格差もなく、犯罪を犯す人間が一人も居なくなるなんて理想の世界が本当に実現したら、たぶん人間に生まれ変わる事を望む魂は減ると思いますw
だって詰まらないですからw

某異世界転生ギャクアニメである「このすば!」で、「天国なんて一日中ひなたぼっこするしか無い、詰まらない場所なのよwww」「肉体が無いからえっちぃこともできないしwww」とか言ってましたが、あれはかなり「核心」をついたギャクとは思えない素晴らしい発言だったと私は思っていますw

ともかく、そんな感じですので、日本のマスゴミと、そのご主人様はもう少し、面白く振舞って下さいねって事ですw

異世界はスマートフォンとともに

ここ最近、ネトゲにも積んであったPCゲームにも飽きて、アニメを見まくっているわけですが。

私は特に異世界ものが実は好きです、中二病なのでw
特にネトゲが題材のものとか大好きですね。

ただSAOは既に何度も見ているし、ログ・ホライズンも同様、ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?やこのすば!も結構何度も見ています。
オーバーロードも3期待ちで、つまり見るものが無くなってしまってですね。

異世界もので検索して、表題のを見始めたのですが、これが酷いw

原作はもうちょっとマシなのか分からないですが、ここまでご都合主義の万能主人公と、意味も無くやたらかわいい女の子が沢山仲間になり、さらにはギャグもこのすばやネトゲ嫁より遥かに劣り、ギャグがメインじゃないオーバーロードにすら劣る。
じゃあ世界設定や物語が面白いかと言えば、SAOやログ・ホライズンの足元にも及ばない。
よくこれで放送したなと、別の意味で感心してしまいました。

もっとも、じゃあお前作れんのかよって言われたら、小説形態だろうがアニメの脚本だろうが、この程度のものすら書けませんがね。
それに別に「つまらない」「駄作」と言ってるわけではなく、それなりに見れなくは無いですけど。

ただこんな凡作をアニメ化する予算があるなら、ノーゲーム・ノーライフやこのすばやネトゲ嫁の続編作ってくれよと思いますね。

SAOやログホラだって、原作のストックは1期分以上は、続編が溜まってるはずです。

ラノベが売れればそれでいい、所詮はラノベを売るための宣伝であり、そもそもアニメなんて作ったって、すぐに違法視聴されて流されるし、儲からないからというのもあるんでしょうがね。
テレビ番組には、今はアニメに限らずスポンサーがつきにくく、またスポンサー料も低くなっていて、ブルーレイが売れないと元が取れないのかもしれません。

しかしながら、だからといってこういう何でもかんでもアニメ化、低予算で詰め込みのものばかり作っていたら、それこそかろうじて世界第一位の実力を持つ日本のアニメも、他の国に抜かれてしまいますよ。
特に日本の近隣には何のためらいもなくパクる国もあるわけで、そこへ低予算の都合で外注してアニメ製作技術をアホみたいに伝授してるわけですから、今の日本のアニメ業界は。

つまりこういう事ばかりやってたら、他の産業と同じく中国や韓国のコピー企業にコピー作品を作られて、日本のアニメは海外で独占状態を保てなくなるだろうって話です。

角川書店はもう少し、アニメやラノベの経営戦略を考え直した方が良いのではないでしょうかね?
目先の利益より、もっと10年先・20年先も日本の「オタク」文化が世界のトップで独占状態であり続けられるように、本当に面白い原作に絞って、昔のように1期で24話とか48話とか設定して、予算も掛けて、しっかりとしたアニメ作りをするべきじゃないでしょうかね?
それができないなら、いっそのことラノベだけ売る本業に専念してくれませんかね?

日本は少子高齢化の影響で、定年がどんどん先に延ばされています。
つまり、今が良ければそれで良いという仕事しかせず、10年後・20年後に会社が無いとか、どっかと合併しないとやっていけないほど落ち目になってしまえば、自分が困るんですよ。
わかりますかね?版権元や広告代理店の社員のみなさん。

かつて隆盛を誇ったファミコン時代のゲーム企業を見てみなさいよ。
未だに規模を維持して、世界的にもトップクラスの業績を出してるのは、任天堂ぐらいじゃないですか。
スクウェアとエニックスは合併し、ナムコもバンダイと合併し、それで何とかやってる、しかもスマホゲーとか低予算のゲームと言えないようなゴミばかり作って。
そうなりたいですか?って話です。

経営者も一般の社員も、もう少し将来を見据えた仕事しませんかね?

日本は世界一、老舗と呼ばれる創業からの年数が長い会社が多い国と言われてます。
日本人によって作られた日本企業であれば、無条件に創業100年も200年も続く老舗になれると思ったら、大間違いですよ。
目先の利益しか追わない、欧米型の経営なんてしてたら、とてもじゃないけど「老舗」になんてなれませんよ。

もうちょっと考えて欲しいという話です。

オーバーロードとかいう結末が既に分かっているのに売れてる物語w

オーバーロードは原作ラノベの売り上げや、アニメの評価が国内外問わず高い人気の「異世界もの」です。

来期にはアニメ第三期が始まる事も決定しており、その人気はまだ継続中です。

さて、このオーバーロードという作品ですが、一番びっくりしたのは、他の物語だと「悪者」や「魔王」とされる側が主人公であること・・・ではありません。
もちろんそれらも珍しいものではありますが、私が一番「えっ?」と思ったのは、早々にかなり明確な物語の結末への伏線が出ていたからです。

アニメで言うと、第一期第11話ですね。
主人公のアインズが、ギルド倉庫に貴重なアイテムを取りに行く際に、そのギルド倉庫の扉を開ける「合言葉」がそれです。
「斯くて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう」

つまり主人公は世界征服を成し遂げるが、今現在の僕であり仲間でもある「守護者」と言われる面々とは別れる事になると言ってるわけです。
これほど物語の初期の段階で、明確な結末を示した伏線を出すものを、私は今まで見た事がありません。
もちろん、これは何の意味もない、それを設定したプレイヤーが中二病だったとかいうギャクの一環かもしれませんし、あるいはトラップである可能性もありますが。

小説だろうが漫画だろうが、物語の作者というのはそれを連載開始した段階で、すでに結末でま頭の中にあるのが普通です。
それは多くの人気ラノベ作家や漫画家が述べています。
というか結末がなければ、物語なんて書けないって事でしょう。

私は小説家でも漫画家でもありませんが、プログラマっぽい仕事はしていたので、「結末が決まっていなければ、物語は書けない」という理屈は納得できます。
なぜなら、プログラムもそうだからです。
どういうソフトウェアを作りたいのか、どういう機能を実現したいのか、どういう計算結果を求めたいのか、それが決まってなければ、プログラムはそもそも作れませんからねw

なので特段、こんな初期の段階で結末を匂わせるような事が出てきても、不思議ではないのですが、あまりにも露骨すぎないかと驚いたわけですw

各所で行われている読者やアニメ視聴者の考察で、主人公アインズの目的が最終的にこの異世界の世界征服である事は、ほぼ確定だと言われています。
物語の最初期の段階で、飛ばされた異世界の全体像ともいえる、地球のような惑星の形を宇宙から見ているような場面で、主人公がポロッっと「世界征服してみるのも良いかもしれないなw」とか言ったのを、付き従っていた部下の一人が聞いており、それを主人は世界制服を望んでいると解釈して、実行しはじめたというのが読者・視聴者の間の考察では主流ですし、それは作者の意図した通りなのでしょう。

だからその後に、上記のような物語の結末を予感させるような「合言葉」が出てきたと思われます。
世界征服はなされるよと。
ただし主人公は、「こうして主人公は、その仲間とともに、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」では終わらないよと。
「暗きもの」という単語で示されている主人公の仲間たちは、「離れ去る」と書かれていますからね。
それが「離反」なのか、あるいは仲間達だけ元のゲームの世界に帰ってしまうのか、あるいは「暗きもの」じゃない存在になるのか、それは分かりませんが。

主人公は現実世界では親しい友人どころか、親さえすでにこの世には存在しない、非常に孤独な人間であると述べられています。
それがネットゲームを始めた事によって、ネット上の存在かもしれないが、ギルドメンバーという親しい友人達ができたが、それらも「引退」という形で次第に人数が減っていき、最後は主人公一人だけになってしまう。
かつての「友人」達が残した忘れ形見とも言える、主人公の仲間である元NPCの「守護者」と言われるキャラクター達だけが、その孤独感をかろうじて癒してくれる存在であるが、最終的にはそれらも失い、孤独なまま物語を終えるという、とてもハッピーエンドとは言えないような結末になりますと、示唆しているように、私には見えます。

そもそもこの物語の現実は、現代ではなく「近未来」であり、しかもその「近未来」像がかなり悲惨なものです。
なんでも、環境破壊が進んで食糧難になり、現代の世界秩序は崩壊。
その隙をついて台頭した、世界的な複合企業が世界を支配するようになっているらしいです。

つまり現実も仮想世界も、どちらの設定もかなりダークな世界であり、だからこそ主人公も「リッチー」と言われるアンデットの王という、普通の中世ファンタジー風異世界では「悪者」であり「敵」でしかないものになっている。
もちろんゲームでそういうキャラメイクをしたからなのですがw

なので仲間もみな、モンスターやアンデットや悪魔ですw
見た目は人間っぽく描かれてますがね。
人間種をゴミのように思い、それらを殺そうが拷問しようが食べようがなんとも思わないし、むしろそれが当たり前という価値観であり、かろうじて元人間である主人公も、様々な影響によりそのように振舞うのが原則になっています。

示唆されている結末から見るに、欲して止まなかった「仲間」という「友達」を失う代わりに、「人間性」を取り戻すのか、あるいは「人間」と「友達だけど人間ではない、むしろ人間とは相容れない価値観の存在」のどちらか一方を選択しなければならなくなり、結局は「人間」である事を取ってしまったという風になるんでしょう。

なので私はこの物語は、「結末がどうなるんだろう」ではなく「その結末までどういう道筋を辿るんだろう」というのを楽しむものなんだと思っています。

もっとも物語というのは、作者の立場から言えば「結末までの道筋」をいかに面白く、あるいは誰にも思いつかないものすごい発想で実現するかに全力を尽くすので、ある意味、作者の側から見て物語を楽しむという新しい試みをしているのかも知れません。
つまり通常は

作者─物語─読者

ですが、

作者─物語
読者/

という構図にしたいのではないかと。

物語自体は面白いです。
でもこれが売れまくってる理由は、単に「物語が面白い」からではなく、既存の物語というものの定義に従わない、壊すような実験的な革新的な事をやっていて、それがウケたのだと思いますね。

主人公は世界征服を成す。
しかし仲間とは全員別れる。

それはどういう「経緯」を辿ってそうなるのか?
それを楽しむ、考察する、見てみたい。
それがこの作品なのではないかと思います。

人間が嫌い

私は人間が嫌いだ。

人見知りだったりする性格も、それが影響しているのだろう。
人見知りだから人間嫌いなのか、人間嫌いだから人見知りなのか、分からんけどw

私は人間嫌いの一方で、非常に動物が大好きだ。

犬や猫など身近に居る動物は特に好きだ。
インターネットでエロ動画の次によく見るのは、犬猫動画でもあるw

特に犬や猫に好かれる特殊な体質や特技を持っているわけでもない。
逆に犬に噛まれたとか、猫に引っ掻かれたと事もない。

なぜ人間嫌いで、人間以外の動物が好きかと言えば、理由は簡単だ。

動物は正直で純粋だからである。
敵意を持たなければ、相手も敵意を向けてこない。
好意を持てば、相手も好意を持って接してくれる。

初めて出会う犬や猫でも、私はそれらが好きなので、よく好意を持ってなでに行ったりする。
それで拒否られた事はない。
最初は「ん?この人間はなんなのだろう?とりあえず敵意は無いようだから、やらせたいようにやらせておくか」みたいな感じでされるがままに撫で回されてる彼らも、最後はなぜかスリスリしてきたり、尻尾ブンブン振っておなか見せてきたりする。

人間はそうではない。
こちらが好意を持っていても、相手が好意を返してくれるとは限らない。
男女の仲はもちろんだが、同性同士でも同じだ。

また人間は、好意的に見えても必ずしも純粋な、何の裏も無い好意であるかは分からない。

こちらが敵意は一切無いというのを示しても、返ってくるのは好意ではない。
それを逆手に取って、利用してやろう、いいように使ってやろうという人間に何度も出会ってきた。

これは大人だけの話ではない。
親戚の子供がかわいくて、好意を持って遊んであげていた時も、「こいつは自分に敵意が無い、怖くない人間だ」で終わらずに、「何しても怒らない奴だwww」と舐める糞ガキにも出会った事がある。
もちろん純粋に、「このお兄ちゃん好き」と接してくれた子も居るけどねw

だからロリコンでも3次元には興味ない。
2次元こそ至高だと言う人に、大いに賛同しているw

2次元と動物というのは似ている。
なぜなら、どちらも純粋である点だ。
下心も野心も野望も、一切無い。
敵意や悪意すらも、純粋なものだ。
それゆえに、理解しやすいし、回避したり改善するもの容易い。

自分は前世というものがあったなら、以前は「人間」ではなかったんだろうなぁと思う事があるw
そのぐらい、人間の複雑で理解不能な言動に嫌悪感や恐怖感を覚える。

仲良くしましょうと好意的に接すると、威圧的に来られる事がある。
こっちが下手に出てりゃ調子に乗りやがってみたいな、そういう言葉があるのは、人間の本質をよくあらわしていると思う。

動物は基本的に「敵か味方か」しか考えない。
人間のように、「こいつは俺より強いか弱いか、上か下か」を考えない。
もちろん群れで暮らす動物にも、上下関係は存在するし、単独行動の動物でも「縄張り」を守るために強い弱いを気にする事はある。
が、基本的に群れや縄張りなどに関係なければ、「敵か味方か」以上の判断はしない。
だからこちらが好意を持って接すれば、相手も好意でしか返してこないのだ。

私が人間の一番嫌いなところは、このすぐ「自分より上か下か」を判断する所だ。
これは自分自身にもそういう所があるのを、大いに理解している。
相手によって態度が威圧的になったり、あるいは逆に下手になってヘタレたりヘコヘコしてしまったり。
そういうのを嫌っていても、人間の本性というか本能で、他人を見たらまず「こいつは自分より上か下か」を気にしてしまう、そういうのがたまらなく嫌で仕方ない。

自分より上か下かなどと一切考えた事も無く、本当に純粋に対等な立場で、対等な精神状態で本音で語り合えた人間というのは、今までの人生の中で、片手で数えられるほどしか居ない。

だから私は会社員など組織の中で働くのが、続かないのだと思っている。
最終的にニートだ。
人とあまり関わらないで済む、たとえば小説家とか、そういう個人事業主であれば、今でもまともに働いていられたかも知れないが、残念ながらそんな才能も無いし、努力する気も起きなかった。

動物園の飼育員でもよかったかも知れない。
動物が好きな人や、動物に好かれる人ってのは、比較的純粋で、良い人が多いからだ。
そういう人間や動物とだけ接していれば良い職業であれば、あるいは勤め上げられたのかも知れないが、それに気づくのが遅すぎたようだw

私は人類が滅亡しても、悲しみはしないだろう。
むしろ人間以外の全ての地球上の生命にとっては、その方が良いとすら思える。

自らの身体能力を向上させたり、環境に適応させるのではなく、「知能」というもので全て解決するという方法を取った人類の、その能力の代償ともいえるものだと思う。

私は来世は純粋な好意か敵意以外を向けられる事は無い、犬や猫になりたいw

謝罪会見とかいう勘違いを引き起こす制度はやめるべき

本日は件の(元)監督とコーチが緊急の謝罪会見をしたそうですね。

その内容についての話ではありません。

謝罪会見というと、「申し訳ありませんでした」と頭を下げるのが慣例になってますが、これは止めるべきです。

例えば今回の件での謝罪会見で、テレビカメラの前で、集まっているマスゴミのクズ記者に頭を下げても意味がありません。
だって記者どもには、謝罪会見を行う人間は何も悪いことをしてない事の方が多いですからね。
頭を下げるべきは、被害者や本当に迷惑をこうむった関係者だけにすべきなのです。

まったく関係のないマスゴミや、テレビカメラの向こう側に居るまったく関係のない一般の視聴者に向かって、頭を下げるから、みな勘違いするんですよ。
まるで自分らが偉いかのようにね。

自分らよりはるかに年上だったり、すばらしい実績や社会への貢献があったり、地位や年収が上の人間が、まるで自分たちに向かって頭を下げてるように錯覚する。
謝罪会見はしいていえば、日本社会という目に見えない、実態もないようなあやふやなものに対して頭を下げてるのであって、無関係のマスゴミはもちろん、野次馬根性でテレビ見てる一般人に頭を下げてるわけじゃありません。

被害者から依頼を受けた弁護士とかならともかく、何の依頼も信任も受けてないし関係者ですらない単なる野次馬の一人にすぎないマスゴミの記者が、偉そうに問いただしたりする資格は本来は無いんですよ。
謝罪会見なんてものをするから、人の不幸を飯の種にしてるような最低最悪のクズどもが勘違いして、頭に乗るのです。

新聞記者だのテレビ局の記者だのってのは、ネットで匿名で誹謗・中傷してるような連中と、身分的にはなんら変わらんのですよw

謝罪会見なるものは、何も日本特有のものではないですがね。
世界中のマスゴミがそうです。
てめーらはただの民間人であり、民間企業の一社員でしかないのに、どいつもこいつも偉そうに上から目線で他人を批判する。
マスゴミの仕事は、事実を発信する事であり、誰が悪いとか、そういうのは一切言う必要は無いはずなんですよ。
謝罪会見は、人の不幸を飯の種にしてる最悪の職業である人間に勘違いをさせるだけで、何の意味もありません。
世界中の人間は、その事に気づくべきでしょう。
頭を下げるべきは、直接の被害や迷惑をこうむった人に対してだけで良いのです。
法律で尋問したり裁いたする権限を与えられた検察や裁判官や、弁護士に対してだけで良いのですよ、本来は。

こういった、謝罪だけでなく「会見」というもの全般が、マスゴミを勘違いさせ、頭に乗らせる大きな原因になっているのです。
彼らは偉くもなんとも無いし、真実を追究する役割を担っているとか言ってますが、誰からもそれを委託されてるわけでも、法的にそういう権限を与えられてるわけでもないんですよ。
てめーで勝手にそういって、勝手に勘違いして、勝手に偉そうに振舞ってるだけです。

差別は良くない、身分制度なんて間違ってると言うてめーらが、自ら差別をし、ありもしない身分制度を勝手に想定して、その頂点に立っているかのように振舞う。
だから世界中でマスゴミというものが、反感を持たれ始めているのです。
フェイクニュースなんて言葉が流行りだしたのです。

マスゴミという業界が業種が不要だとは言いませんが、もう少し自分たちはどういう職種なのか、自分たちはどういう人間なのかを反省し、正しく認識して振舞うべきだといいたいのです。
そうすれば、一般大衆から反感を買うような、アホな言動はしなくなるはずです。

謝罪会見を見るたびに、そう思いますって話。

日大アメフト部 加害者選手の会見を見て思うこと

アメフトは良く知らない、というかまったく知らないと言っても良い私だ。

しかし私もかつては、アメフトほどではないが激しくぶつかる事もあるサッカーや剣道といった「スポーツ」を、学生時代はそれなりにまじめにやっていた。

サッカーはアメフトとかラグビーみたいに防具っぽいのは付けない。
せいぜい「すね当て」と言われる足のすねの部分をプラスチックの板状のもので覆う器具があるぐらいだ。

私はかつてサッカーをしてて、キーパーの代理で指の骨にヒビが入ったり、バックとして試合に出ている時に相手選手と足同士が衝突して、膝をない出血して、めちゃくちゃ痛い思いと1週間の入院生活を余儀なくされた経験がある。

防具がないスポーツでもこれだ。
アメフトなんてガチガチに防具で固めないといけないスポーツが、いかに危険なのかは予想がつく。

このクズ監督は、おそらく「怪我をさせてこい」とは言ったが、最悪死んだり障害が残るような事までして来いとは言ってないと思ってるんだろう。
だがあれだけ重装備でないと、ルールにのっとった正式なタックルでも怪我をするスポーツで、ルール無視で怪我をさせようとしたら、相手を殺す気でやらないと無理なのは素人でも分かる。
つまり監督がアホすぎると思う。
この人は自分で実際にプレイした経験が無いんじゃないかと疑いたくなるぐらいに。

アメフトは文字通り、アメリカという原住民を皆殺しにして広い土地を手に入れた、野蛮な白人が作った国で生まれたスポーツなのだろう。
だからだろうか、日本古来のスポーツである「武道」と違って相手への「敬意」や「思いやり」が欠けているのではないかと思う。

柔道も剣道も相撲も、すべて相手に勝つ事だけに拘ったプレイは忌避される。
本来、スポーツとはこうあるべきなのだ。
喧嘩や戦争と勘違いしてる馬鹿が多いけど。

謝罪会見に、実名顔出しで応じた、かろうじて成人と言われる年齢に達している彼は、古きよき日本人、まるで戦時中の日本の若者のように見えた。
坊主にした顔つきといい、堂々とした受け答えといい、自分は言われて仕方なくやっただけと監督やコーチにすべての責任を押し付けるのではなく、自分が悪かったのだという自己弁護しない姿勢も。
おそらく切腹という制度が現代も残っていたら、彼はそうしたのではないかと思わせるぐらい、これぞ日本男児という見本のような、少し時代遅れにも感じる印象を受けた。

もちろん、いくら指示され追い詰められていたとは言え、そして堂々と公の場にあらわれて、潔くすべてを話したとはいえ、彼の罪が消える事はないし、それで許される問題でもない。
だが少なくとも、のらりくらりと逃げ回ってる大学や監督やコーチ連中よりは、はるかにまともで立派な人間と言えるだろう。

あの会見を見て、自らを恥じる気持ちが生まれないとしたら、日大という大学も、監督も、コーチも終わりだ、人間として。
日大関係者だけでなく、すべての日本人が彼の姿勢を見習うべきであるとすら感じた。
あの会見の後で、日大アメフト部の合宿所に張り込んでたクズゴミ記者どもが、他のアメフト部のメンバーにしつこく付きまとって、「会見を見てどう思いましたか?www」とやってるのを見て、余計に人間として質というか格の違いを感じたw

反省すべきは日大関係者でなく、お前らマスゴミもだよw
まじでテレビに出てて恥ずかしくないのかね?w

加害選手の罪は消えないし、あの謝罪会見で許せとも言わない。
しかし一方で、自分の非を素直に認め、真摯に反省した人間は、どうしなければならないのかという立派なお手本を、腐ったマスゴミや政治や社会に対して、示したと思う。
彼には罪を償った上で、社会に復帰して活躍して欲しいと思う。

なぜ日本語は擬音語が豊富なのか?

日本人は人が話す言葉以外の音も、すべて言語脳で処理するため、擬音語が豊富だと思われる。
また、1万年もの長きにわたって縄文という石器時代が続いたり、すぐそばに中国という大帝国が常に存在していたのに、海を挟んでいるので侵略を受けなかったという、いわゆる「平和」な環境も影響していると思う。
なぜなら、絵画や音楽や文学など、人間が生きるうえで必ずしも必須ではないものが発展するには、「平和」でなければならないからだ。
常に餌を探し、敵に怯えながら生きているような状態では、文化は生まれない。
それを考えたりやる「暇」が無いから。

もうひとつある。
洋画とか西洋のドラマとか見てると分かると思うが、「まるで~のように」みたいな「例え」が頻繁に出てくる。
つまり西洋は日本と違って、何かの様子をあらわすのに専用の言葉を作らずに、似たようなよくあるシチュエーションに例える事で、より詳細に伝えるという、まったく別の方法を採っているにすぎないのだ。

「もうお腹ペコペコだよー」と日本人が言うのに対して、西洋人は「まるで背中とお腹の皮膚が、くっつくぐらい空腹だよ」と言うみたいな感じだろうか。

日本のこれら擬音語は、「漫画」によって西洋にも広く知られるようになった。
なぜなら、「漫画」というのは「文学」と違って「絵」と「文字」の両方を紙の上に描くために、入れられる文字数に制限があり、「まるで~のように」なんて長ったらしい台詞は、そうそう吐けないし、読みにくくなる。
だから短い単語や音の繰り返しで、より情景を詳細に表せる日本の豊富な擬音語文化がマッチして、外国人を魅了したのだろう。

擬音語を豊富に持つ日本語は、漫画という文字を描けるスペースが限られた媒体であっても、文学や詩と同等に豊かな世界観を描けるため、西洋の「漫画は子供が読む簡易文学」という地位にならずに済んだとも言える。

外国人であっても、日本で生まれ育てば自然の音を言語脳で処理するようになるらしい。
つまり「日本」という「環境」がそうさせているのであって、別に日本人が豊かな擬音語を作り出せる感受性に優れた民族というわけではない。

擬音語の多さが「クールwww」とか外国人に言われてホルホルしてる海外の反応系の記事とかあるが、そうじゃなくて日本という環境にあった方法で表現を磨いた結果であって、西洋人のようにしょっちゅう会話に「まるで~のように」とか例えを入れない代わりの方法、やり方が違うだけに過ぎないのであるという考察。

日本は政治家も役人もクソだと痛烈に感じた出来事

昨晩、夜の9時にうちの母親が呼び出されて、帰ってきたのは0時を過ぎていた。

民生委員だかケアなんちゃら(ケアマネではない)だかで、夜に突然体調を崩した近所の一人暮らしのばぁさんの為だ。
お腹を壊したらしく、家の中も汚物が点々としているぐらい酷い状況だったようだ、さっき自治体の担当部署かなんかの報告の電話をしているのが聞いてた分には。

そのばぁさんのために、日曜の夜に病院を探し、タクシーを呼び、診察を治療が終わるまで付き添い、帰ってきたのは日付が変わってから。
もちろん民生委員というのは「公的ボランティア」であって、給料は出ない。
さすがに、立て替えたタクシー代はどっかから返してもらえるようだけどね。

うちの母ちゃんは、自分が介護される立場になっていてもおかしくない後期高齢者だ。

こういう人間に、無償24時間365日対応をさせてる日本の福祉制度。
いい加減にしろや。
いくら日本より貧しい国とはいえ、他国に何百億円も恵んでやる金があるなら、こっちに寄越せよクズどもが。
てめーは週休2日、9時5時勤務で、給料はもちろん残業代もボーナスもきっちり出る市役所だか区役所の、まだ若い体が十分に動く職員さんよ、なんとも思わないの?こういう事例を見ても。

「俺らだって休みなく、ブラック企業並みに働いてる」と言う官僚どもよ、おまえら少なくともまだ体がまともに動く高齢者じゃない歳だし、十分すぎるほどの報酬も得ているよな?
高齢者に高齢者を無償で世話させておいて、日本の福祉は素晴らしいなぁとか、まるでてめーの手柄のようにホルホルしてて、恥かしくないのか?

「議員の給料ってすごく高いように思われがちですが、自分らのために使える金なんてほんのわずかですし、むしろ足りません」
「土日は地元に帰って、支持者への挨拶まわりや要望の吸い上げや、あるいは駅前で演説とかしなきゃで、休みもロクにない大変な仕事なんです」
とか民放のバラエティーで言ってた糞議員ども。
それっていわゆる「自分が議員として当選し続けるため」のものだよね?
他人のための労働や苦労じゃなくて、てめーが議員という特権階級で居られるための苦労だよね?
てめーがおいしいもの食ったり、ほしいもの買ったりするために使える金が少ないとしても、てめーのために使ってる金だよね?
そんな自己中連中には、給与だけでなく様々な補助金で、手厚く援助されるのに、一方で無償で血のつながりも何もない赤の他人のために働いてる高齢者が居るんだけど、それについてどう思うかね?テレビに出てた与党と野党のアホ議員どもは。

日本人のためのものでないばかりか、敵国民のための学校に補助金出したり、日本人でないのに生活保護がもらえたり、おかしいだろ。
そりゃ日本人に十分な行政サービスや福祉が行き渡っていて、それでもなおかつお金があったりパワーに余裕があるなら、良いですよ、他国民のために金使ってもね。
でも十分じゃないうえに、足りないんでしょ?
税率は上げるは控除類は減らすわ、そのうえ無償奉仕までさせておいて、なんで他国民の面倒を見るのに金が使えるの?
何でてめーの地位や名誉を維持するためだけの仕事しかしねーやつらに、手厚い保護が与えられるの?

日本国民のための政策を議論するという最低限の仕事すら放棄して、てめーの「わがまま」を押し通す事しかしない連中に、なんで給料だの補助金だのが出せるの?
おかしいでしょ。

国民全員の奉仕者でなければならない議員を、(おそらく)無償でてめーの番組に呼び出して使って、それでスポンサー料を取っててめーらだけが儲けるみたいな事やってるマスゴミとかいう連中が、なんで上から目線で、議員だの役人だのを叩けるの?

少数派、弱者の味方を気取ってる、共産党や社会党の生き残りどもはさ、私が今回感じたような問題について、何か議員として、政治家として行動起こしてるのか?
安倍政権が倒れれば、うちの母ちゃんに正当な報酬が支払われるようになるか、そもそも高齢者が高齢者の面倒を見なければならない欠陥制度が改善されんのかよ?

まじでいい加減にしろよ、与党も野党も役人もマスゴミも。

搾り取るだけ搾り取って、そのうえ無償奉仕まで強制して、よく平気で居られるな。
封建社会の武士か、絶対王政の貴族並にひどいわw

私はこの歳になって、ニートなんぞに成り下がって、高齢者の親のすねかじってかろうじて生きてるクズだって自覚はあるよ。
本当に動けなくなって、寝たきりかボケたりしたら、きっちり死ぬまで自分ひとりで面倒を見る覚悟はあるよ、親のね。
たぶんそうなっても、国や自治体からの援助は望めないだろうけどね。
生活保護も出ないだろうね、日本人だしw
もしそれで生活できなくなったら、有名なお涙頂戴裁判として、マスゴミどもの金儲けのネタやアホ左翼の主義主張のために使われてる某介護殺人事件みたいに、親と一緒に心中するわ。
だって日本人だからね。
他人に迷惑かけてまで生きるぐらいなら、死を選ぶわ。

日本の一部の、あるいはもしかしたら多くのやつ等がそうであるように、恥知らずじゃないからね。
てかさ、親族居るだろ。
赤の他人、しかもヨボヨボの老人に面倒を押し付けて、よく平気で居られるな。
まじで許せないわ。

私はクズ人間だが、周りはもっとクズだらけだ日本は。

NHKの最高機密ファイルスクープの番組に見る反日組織のあせり

全部は見てない。
そもそも私は、テレビ自体を見ようと思って見る事は全く無い人間なので、実家に居るために食事の時などにたまたま見えてしまうという程度だ。

本日、NHKが表題のような番組をやってた。
なんでも、テレビだけでなくネット上でも話題になったアメリカの元諜報員であるスノーデン氏が、不当に持ち出して全世界にばら撒いた機密情報の中に、日本の諜報機関に関する情報が見つかったとのことだった。

まず、このスノーデン氏が本物であるのか、あるいはばら撒いた機密情報というのが本物であるのかという問題がある。
もし本物であれば、犯罪者によって不当にばら撒かれた機密を、公共の電波に乗せて日本はおろか世界に再度配信してる、犯罪の片棒を担ぐ行為という事になる。
もし仮に、スノーデン氏が売名行為をしているだけの偽者であり、機密情報とやらもまったくのデタラメだったとしても、それはそれで、そんな情報をさも本物であるかのように公共の電波に乗せて配信するのは、マスコミとしてもっともやってはならない行為である。

どっちに転んでも、NHKに「正義」を名乗る資格は無い。
しかも内容が、日本の諜報機関についてである。
諜報機関というのは、何もかっこいいからあったり、悪いことをするためにあるものではない。
国家の存亡に関わる重大な組織であるから、どこの国にも存在するわけだ。
それを暴くというのは、日本国の存亡を脅かす事にもつながる。
つまり、NHKというのは売国組織、日本破壊組織であるというのが、この事からも分かるだろう。

昭和の時代はまだNHKはもちろん、ほかのマスメディアも今より遥かにマトモであった。
もちろん、その当時から偏向や捏造はあったわけだが、利敵行為の度合いが最近とは段違いだ。

昭和の時代から、マスゴミの中心である新聞社は政府批判というのはやってきていた。
しかし右よりな読売、中立の毎日、左寄りの朝日と言われいたように、かろうじてバランスは取れていたのだ。
ところが最近はどこも左寄り、というか反日一色だ。

ネットの出現や、アジアでタイと並んで唯一欧米の植民地にならなかったという実績にもあるように、簡単に操作できない民族性により、旧ソ連を中心としたいわゆる共産独裁勢力による世論操作や洗脳が、効果が薄くなってきたというのがあると睨んでいる。

野党も同じで、昭和時代の最大野党であり、自民党と議席数を対等に近い力関係で争い、政権をとった事もある社会党があった時代の日本の野党には、少なくとも自分たちが政権を取るんだという意識があった。
当時から批判ばかりで対案を出さないなど、政権運営能力は疑問視されていたが、「やる気」だけはあった事は確かだ。

ところが最近の野党はどうか?
もはや政権を奪取する事など微塵も考えておらず、ひたすら日本の国政を乱して妨害する事しかしていない。
通常は、与党の支持率が落ちれば、その分野党の支持率が上がらなければおかしい。
ところが、安倍政権や与党の支持率が下がっても、一緒になって野党の支持率も下がるのが今の日本の政治の現状だw

戦後一貫して、どこの党ともくっついたり分裂したりせず、今日まで生き残り続けている老舗野党とも言うべき「共産党」が、「確かな野党」などと、政権を取るつもりが微塵もありませんと言ってるも同じスローガンを掲げたのからも分かるだろう。
今の野党は、日本に敵対する勢力の、完全な手先に成り下がり、日本を良くしようとか、国民のためにとか、そういう事は一切考えてないのだ。
敵の敵は味方という理屈で、アメリカの属国とも言える自民党政権に対抗するために、共産主義勢力と手を組んで力を借りようとしたのが、おそらくは最初だろう。
つまり敵対勢力の力を借りて、自分たちが理想に日本を作るという方針があったはずなのだ。

しかし今の野党は単なる敵対勢力の手先でしかない。
自分たちの考える理想の日本像もなく、日本を自分たちの手で良くして行くんだという気概もない。

話が逸れたが、以前も言ったようにいま、在日の反日勢力・工作員や工作期間はかなりあせっていると推察できる。
それが、なりふり構わぬ捏造や偏向のゴリ押し、国益を考えず、しかも違法にすらなりかねない事も平気でやりまくるという、このNHKの番組に現れているのだ。

日本はアメリカの犬だと、こういう連中はよく言う。
私もそれは的を射ていると思う。
しかしアメリカは、戦後の日本をずっと支えてきたと言っても良い。
日本のマスゴミは絶対に報道しないが、新幹線も東京タワーも高速道路も、アメリカの多大な資金援助があったから作れたという事実。
高度経済成長は、アメリカの力添え無しには起きなかった事であるということを。
もちろん、われわれの爺さん世代や親世代ががんばったのは事実であろう。
世界には、いくら援助してやっても、いつまでたっても貧乏なまま、政情不安なまま、途上国なままという国は沢山あるわけで。
援助を受けた側ががんばらなければ、何兆円寄付しようとも無意味なのだ。

日本はその援助を無駄にせず、明治維新と並ぶ世界を驚かせるほど、最大限に有効活用した結果、今日の「先進国」という地位を手に入れたわけだ。

中国人などは、よく台湾が親日な事について「おかしい」と言う。
お前らにはプライドが無いのか?奴隷根性が染み付いてるんじゃないかと。
しかし日本人であれば、台湾人の心情は理解できるだろう。
日本はアメリカに「必要以上」に破壊された。
世界で唯一、核兵器を使用され、それも二発も原爆を落とされたという、決して許すことのできない過去を持つ。
しかしながら、その後の日本の復興と、復興を通り越して戦前の日本よりも豊かに国になる事を手助けしてくれた「恩」があるのも確かなのだ。
だから日本人はアメリカを恨まないのだ。
憎しみからは何も生まれない などという漫画かアニメかドラマの臭い台詞を実践しているわけじゃない。
単純に、親切にされた人に牙を向く事が日本人というのはできない民族なのだ。

これが台湾がかつて日本の植民地、正確には委任統治で日本領という日本そのものであったにも関わらず、今日の日本を恨まない事と通じるわけだ。
アメリカにかつて国土をボロボロにされ、多くの日本人を殺されたにも関わらず、今日のアメリカを恨まない事と同じなのだ。

日本をアメリカをはじめ、どこの国からも影響されない真の独立国、平和な中立国にしたいのであれば、まずここを理解すべきであろう。
アメリカに借りを返したと多くの日本人が感じるまでは、いくら反米・反日運動やったって、無駄だって事。
敵の敵の力を借りて、仮にうまく権力が握れたとしても、それはご主人様がアメリカからロシアなのか中国なのかに変わるだけで、何も解決しないということ。

台湾人が中国に侵略されるぐらいなら、日本の属国になった方がマシだと言うのと同じように、日本人も中国やロシアの属国になるぐらいなら、アメリカの属国のままで良いと考えるのだw

とにかくNHKはいい加減にしろ。
政府・自民党はいい加減に、反日工作機関をつぶせ。
国会サボって工作活動ばかりやってるクズ野党もたいがいだが、国民の生命と財産を守るという一番重要で最優先の仕事をしてない与党・自民党も、野党を批判できねーぞって話。

大谷翔平を二刀流と言う日本語の正確さ

恐らく海外にも同じような諺や既成概念があると思うが、二兎追うものは一兎も得ず とか 天は二物を与えず とかってのが、大谷選手には当てはまらないと思われている。
だからこそ、国内外で「スゲーwww」「化け物だ」「人間じゃねー」と言われるわけだ。

しかし実は別に大谷選手は「二兎を追ってる」わけでもなく、「二物」という異なる2つの天才的才能を持ってるわけじゃない。
これが「二刀流」という言葉によく現れている。

「二刀流」というのは、通常は一本の刀で戦うのを、二本の刀を持って戦うスタイルである。
武士は、欧米の騎士とは違って、基本的に「盾」は持たない。
攻撃も防御も、一本の刀で全て行う。
剣道とかやってた人なら、この概念が理解できると思う。

二刀流というのは、単純にこれを二本の刀で行うだけだ。
本物の日本刀というのは非常に重く、ゲームの世界で言えば「両手剣」の部類に入る。
だからこそ、攻撃力が高く、また盾を使わずとも敵の攻撃を受け止める事もできるわけだ。

しかし二刀流にした場合、通常より軽かったり短かったりする刀を使う事になる。
実は「剣道」もルール上は「二刀流」が認められており、実際に「二刀流」で戦う人も居る。
竹刀というのは、鉄製の刀に比べて圧倒的に軽いので、一本は一刀流で戦う最もポピュラーなスタイルで使われる竹刀と同じものが使われる。
が、二本目は長さが半分ぐらいの小さな竹刀を使うのが普通だ。

そして認められているスタイルにも関わらず、それを実際に使う人が少ないのは、二刀流にしたからといって「有利」になるわけではないからだ。
RPGゲームなどでもそうだろうが、二刀流にしたからといって攻撃力が2倍になったり、防御力が2倍になったりはしない。
むしろ生半可な腕で使えば、かえって攻撃力も防御力も落ちてしまい、「不利」になる。

大谷選手の二刀流というのは、バッターとピッチャーの「2つの異なる能力」が高いわけではない。
皆がバッター一筋、ピッチャー一筋でやってるのを、単にどっちも使う、つまり刀を二本使うだけで、やってる事はどちらも「野球」であるから、「二刀流」という言葉が使われるのだ。

二刀流と似て非なる言葉に「二足のワラジ」と言うのがあるだろうか。
もともと人間は二本の足で歩くわけで、従って履く靴=ワラジも二足なのは当たり前だが、この場合の二足は異なる靴という意味になる。
極端に言えば、右足はサラリーマンが履く革靴で、左足は女性がオシャレで履くハイヒールを履いて、それで歩くようなものだ。
不可能とは言わないが、めちゃくちゃ歩きにくいのは予想できるだろうw

大谷選手のプレイスタイルが「二足のワラジ」と言われないのは、こういった不可能な事を無理やりやろうとしているのではなく、単に人と違うやり方で「野球」をプレイしているだけという事からである。

最初に大谷選手のプレイスタイルを「二刀流」と名づけた人は、よく分かっていたと思う。

高校野球までは、それこそエースで4番なんて選手はいくらでも居る。
つまり不可能ではないのだ。
実際、大谷選手はバッターとしては「DH」であり、打席数は普通のピッチャー以外の守備をやってるバッターの人に比べて少ない。
高校野球のように、選手の体というか人間の体の限界も考えずに先発で9回フルに投げさせたうえに、4番バッターとして全ての打席にも立たせる、しかも何日も連続でという「アホ」な事をやってるわけじゃない。
むしろそれが出来るやつがプロで居たら、それこそ化け物だw

そもそも野球に関して2つ以上の才能を持った選手なんてのは、過去にも居るわけだ。
例えばイチローは、その打率の高さによるバッターとしての高評価と同時に、守備の評価も高い。
その俊足を生かした守備範囲の広さや、捕球の上手さ、そして「レーザービーム」と称される強力な肩による、正確で長距離の返球がある。
イチローが二刀流と呼ばれず、単に守備も上手い一流のバッターと呼ばれるのは、バッターというのは守備とバッティングと両方やるのが当たり前だからだ。
大谷選手が二刀流と呼ばれるのは、ピッチャーとバッターを両方やるのが当たり前ではない、珍しいプレイスタイルだからにすぎない。

しかしどちらも「野球」をやってるわけで。

そもそも人間の「能力」ってのは、ゲームのように単純化した名前を付けて、それを数値で表すなんて事はできない。
その状態で「天は二物を与えず」とか言われても、当てはまるはずが無いのである。
じゃあなにか、目が良い人は必ず耳が悪くなるのか?とか、勉強が出来るやつは必ずスポーツがダメになるのかっていうと、そうじゃないだろw
そもそも例えば打たれないすごいピッチャーに求められる能力ってのは、球の速さやコントロールの良さ、変化球にキレや球質の重さなど、多岐に渡るし、それらを実現するには、腕だけでなく頭も足も腰も、体全体の能力の高さが要求されるわけだ。
防御率が超低いエースや、打率が超高い、ホームラン数が超多いバッターというのは、もともと他の人に比べて複数の「能力」が高いからそうなれるのだ。
であれば、エースで4番みたいな選手がプロの世界に居ても、別に不思議ではないのだ。

天は二物を与えず というのは人間は複数の才能を持てないという意味ではなく、どんなすごい人にも必ず欠点や不得意な事があるというのが本当の意味なのだ。

とはいえ、大谷選手は「すごい」選手であるのは間違いない。
しかしそれは、ピッチャーとバッターという2つの異なる分野で一流だからではなく、ピッチャーやりながらバッターでも活躍するという、珍しいプレイスタイルで成功している、「どっちもできる」という才能ゆえに「すごい」のである。
ピッチャーとバッターという2つの異なる才能を持っているのではなく、ピッチャーもバッターもできるという「1つの」珍しい才能を持っていると考えるべきなのである。

これが大谷選手を二刀流と言うのが、ものすごく当てはまると思った所以である。

ホラー映画と人生

主に東洋の世界には、「輪廻転生」という「人は死んでもまた生まれ変わる」という考えがある。

もちろん科学的に証明された事ではないので、真実かどうかは分からない。

人間の本体・・・というかすべての生命の本体である「魂」というのは、永遠の存在であり、肉体が死滅してもまた別の肉体に転生して、人生を繰り返すみたいな考えだ。

さて、スピリチュアルの世界の人は、この「転生」という行為は「魂の修行のためである」と説く人が多い。
だが私は違うと思うw

人間として生きれば、どんなに恵まれた人生を送っても、痛かったり苦しかったり辛かったりする経験は少なからずするものだ。
それらが、魂にとっても同様に「苦痛」をもたらす「負」の感情であると考える事が、そもそも間違っていると思うのだ。

人間はなぜ「ホラー映画」とか見るのか?
人生と違って、ホラー映画を見るか見ないかは自分の意思で、完璧に選択できるし避ける事も可能だ。
にも関わらず、「怖い」という負の感情を引き起こす事を目的に作られた「娯楽」が存在する。
そしてそれらを多くの人が見る。
おかしくないか?w

私は「負の感情」と言われているものは、実は料理の味に例えれば「辛い」とか「苦い」とかと同じだと思っている。
漢字も同じだしねw
辛い料理や苦い味は、感情とは違って「おいしさ」のひとつとして考えられている。
つまり感情というのは、料理の味と同じで、好き嫌いこそあれ、それらは良い悪い、正負で区別するのは間違いなのだ。

甘い物が好きな人でも、そればっかり食ってたら、飽きる。
同様に、「喜び」や「幸せ」や「快感」とかも、そればっか味わってたら飽きるし、薄れてくるわけだ。

人(の魂)は自ら望んで、その家庭に産まれてくると言われている。
なぜ障害児になったり、虐待で殺されるような危険のあるクズ親の元にも望んで産まれるのか?という疑問に対して、「魂の修行」だからと言われると、なんとなく納得してしまう。
でも違う。
実際は、辛い物が好物な人が居る、ホラー映画が好きな人が居るように、「負の感情」と言われているものを、より多く味わえる人生の方が好きな魂も居るという事だw
魂の状態ではなく、肉体に宿った生きた「人間」状態でも、「マゾ」という言葉があるように、痛かったり辛かったりする事が好きな人も居るわけでw

つまりもし本当に、永遠の存在である「魂」という人の意識や本体があったとして、それらが前世・現世・来世と言われるような「転生」を繰り返しているのだとしたら、それは「修行」ではなく、単なる日々の「食事」や「娯楽」に過ぎない可能性の方が高いと私は考えるのだ。

「食事」はそれでも生きるために必須の行為であるから、「意味」はあるが、「娯楽」に関しては特に「意味」は無いだろう。
つまり「転生」に「意味」を求める事自体が間違いなのだ。

ただ別に「修行」という「意味」を説く事自体は否定しない。
「宗教」というのは、もともとは自らを戒めて、よりよい生活や人生を、より多くの人が送れるように生まれたものだからだ。

小さな子供が、お母さんに「好き嫌いしないで食べなさい」と言ってるようなものなのだ。

負の感情というのは、それはあくまで「肉体」にとっての話でしかない。
「魂」というものがあるとしたら、それにとっては「負の感情」というのは「辛い食べ物」や「ホラー映画」と同じでしかない。

もっとも、「魂」なんてものは存在しない、「意識」なんてものは幻想であって、人間は死んだらそれでおしまいというのが真実であれば、「肉体」が拒絶する「負の感情」は避けるべき事である。
健康に長生きするためには、それらは極力経験しないに越した事はない。

でもスピリチュアルな観点から見れば、それらは別に無理に忌避するものではない。
マゾという性癖(?)も、別におかしな事ではなくなる。
単に辛いものが好きとか、ホラー映画が好きってのと同じなだけなのだから。

内戦が続く危険な国や、貧困にあえぐ国に自ら望んで産まれてくる「魂」があっても、何ら不思議はない。

ちなみに私は、魂が人間をはじめとした様々な生物に宿るのは、単なる「娯楽」であると思っている。
人生劇場を自ら演じて体験する事を、単に楽しんでいるだけだと思っている。
なぜなら、魂とか幽霊の状態で、他人のソレを見るより、遥かに楽しめるからだ。

音楽が好きな人が、自らも作曲したい、演奏したいと思ったり、演劇の好きな人が見るだけでは飽きたらず、自らも演じてみたいと思うのと同じ事だ。

私はこれが「輪廻転生」の真実だと考える。

NHKと中国

ここ最近、朝日もびっくりの偏向反日っぷりの筆頭に上がるNHKだが、実は昭和の時代から反日国家中国とズブズブだった。

NHKの有名な昭和の時代のドキュメンタリー大作に「シルクロード」がある。
シルクロードの大半は中国領であり、しかもあの時代はまだ米ソの冷戦真っ只中で、西側陣営の主要国と言っても過言ではない日本の、しかも半国営放送(NHKは税金が投入されてたり、法律で民放より優遇されているから)のNHKが取材を許可される事自体が、あり得ない異常な出来事であった。
三国志や西遊記など、中国発の物語も、その知名度アップやブームの火付け役となったとは、すべてNHKだ。

このように昔から、独裁国家の手先であったNHKだが、最近はそれを隠そうともしなくなってきたという感じだ。

ここ最近、民間企業の宣伝は一切せず、宣伝でなくとも民間企業名は一切出さない、モザイクかけたり、大手○○企業みたいに名前をあえて明かさない事をずーっと貫いてきたわけだが、なぜか「イオン」だけは名前を堂々と出す。
それもイオンがセールを開始しましたとか、明らかにそれニュースじゃなくて宣伝だよね?ってのまで堂々とやってる。

イオンといえば、民主党の岡田の親族企業だ。
民主党と言えば、その政権時代に日本の領海を侵犯し、あまつさえ海保の巡視艇に体当たりまでしてきた犯罪者である中国人船長を、圧力を掛けて無罪放免させた、バリバリの独裁国家中国の手先政党だ。

おとといだか昨日だかも、イオンが中国で新しい店をオープンしたんだか好調なんだか、そんなのをニュースで流していた。

中国から日本企業や日本資本の撤退が相次いでいる事に対して、それを止めようとする中国からの指令で、いかにも中国が今あつい!みたいな事をあからさまに印象操作するためなのが、ミエミエである。

そもそもシルクロードだの三国志だの西遊記だのも、日本人に中国に対する敵対心を抱かせない、中国に対する印象を良くしようという意図があるわけで。
あからさまに中国の一党独裁政治体制を賞賛して、中国は本当はアメリカが言うような悪い国ではなく、いい国なんですよーってのは出来ないので、その豊かな歴史文化を宣伝する事で、印象操作しようとしたわけだ。

昭和のテレビや新聞しか情報源が無い時代は、それで上手くいっていた。
ところがインターネットなるものが登場してから、テレビや新聞の影響力がガクっと落ち、世論操作・印象操作が効かなくなってきた。
ここ最近のマスメディアのなりふりかまわぬ反日工作っぷりは、彼らがそれだけ焦っている事の証拠である。
役に立たない工作期間に金を出すほど、中国は甘くない。
敵対国家の人間や組織を国内に存在させて、自由行動させるばかりか、補助金とかの名目でお金まで上げちゃうアホな日本政府とは違う。
つまりこのままでは、中国様からの援助が無くなってしまうから、あせっているのだ。
実際、おそらく援助を減らされてるか、尻を今まで以上に叩かれてるかしてると思う。

反日とか反中とか反韓とか、そういうのがまったく無い、どーでもいい人から見ても、最近のマスゴミの偏向っぷりは異常だし、反日野党の言動も異常だと思われ始めている。
その証拠が、安倍政権の支持率が危険水域にまでいくらやっても落ちないうえに、反日野党の支持率がまったく上がらないどころか一緒になって落ちてる、もはや自民党とまともに対峙できないレベルにまで。
それでもなお、国政そっちのけで、下らないパフォーマンスばかりやってるのは、刺し違えてでも安倍政権を倒さないと、自分らの命が危ないところまで追い詰められてるのだろうw

妄想だと言うなら、NHKはなぜ「イオン」だけ特別扱いして宣伝するのか、納得いく理由をお聞かせ願いたい。
「イオン」は確かに日本国内の小売業では大手だし、誰でも名前は知ってる企業かも知れないが、日本を代表する企業として名が挙がるほどではない。
日本人に聞いても、外国人に聞いても、日本を代表する企業の名前として上がるのはトヨタやソニーだ。
それらの企業の動向を、日本経済というみなに影響のあるニュースだからと、伝えるならまだ分かる。

トヨタやソニーの企業目が実名出るようなニュースは、これらの企業が何か不祥事や、赤字になりましたみたいな失敗をした時だけだw

中国か、イオンか、どちらがどちらを利用しているのか知らないが、少なくともNHKに対して多大な影響力があるのは確かだw

他人や他国の力を借りて、なし得た事ってのは、良い結果は生まない。
それは歴史が証明しているし、よほどの馬鹿でなければ、自分の人生でそれは学んでいるはずだ。
いい加減に目を覚ませ。

俺ガイル2期

やはり見もせずに、ネット上の評価だけで論じるのは間違っている

と題名のような思いに至りました。

すいません、ぶっちゃけ1期と並ぶぐらい面白かったです。
原作にどの程度忠実なのか知りませんが、少なくともパワーは落ちたとは感じられないし、確かにハーレム恋愛ものっぽさが濃くはなってきましたが、それでもひねくれた青春物語というこの作品の一番の魅力に沿った進行で、不自然さや作風が変わったという印象も受けませんでした。

ただ、やはり別に無理に三角関係を作らなくても、あるいはそれらに決着を付けようと試行錯誤しなくても、もっと気楽に単なる高校生のちょっと変わった日常物語で良いとは思いましたね。

はっきり言ってしまえば、3人とも大人になって、まったく関係のない人と結婚しました。
だけど今でもたまに会って、楽しくお話するぐらい仲は続いていますみたいなエピローグの終わり方でも、良いと思いますよ。

そもそもね、男女間の恋愛だの何だのの話で言えば、1人を選ばなきゃいけないなんて事はないのですよ。
一夫多妻制や多夫一妻制が、法的に認められてる国だって世界にはあるわけで、何も架空の話である小説にまで、現実の日本の法律を元に形成されている価値観に、準拠する必要はないのですよ。
そう、必ず男と女が1:1でくっ付かなければならないなんて、物理法則は無いのです。
それはあくまで現代日本において、法律がそうなっているってだけの話なのですよ。

現実や既成概念に捕らわれない、そういう物語や世界を描きたいなら、まずこの男女1:1に最終的には収まらなければならないという、そういうのを作家・漫画家などはもっと認識してぶっこわすべきです。

ヒーローとヒロインは必ずくっ付かなければならない、ヒロインが複数居たら、最後は誰か一人を必ず選ばなければならない。
そういう既成概念に捕らわれるべきではないと思いますね。

たぶんそこが、2期あるいは2期分の原作が気に入らない人達の、一番のポイントなのではないかと思いますわ。
「こんなんアニメか漫画かラノベでしかありえねーwww」ってのは、小町という可愛い妹が居るという部分だけで十分ですw

ちなみに私はロリコンなので、俺ガイルで一番好きなのは、小町ちゃんですw
次点でいろはすですかねw

でもメインヒロインである、結衣ちゃんもゆきのんも好きですけどねw

まぁでも現実世界に、性別を超えた友情とか親友って、ほぼ無いと言い切っても良いほどですよねー。
少なくとも私の経験ではw
かつて通った事のある、ホームヘルパーの資格を取るための講座の講師が言っていたんですが、そのおばちゃんの息子さんは、いわゆる幼馴染と結婚したそうです。
もうほんと、家も近所で幼少の頃から一緒で、ほとんど兄妹みたいな関係だったのに、結婚するってなって驚いたらしいですw

そんぐらい、男女間での付き合いに、恋愛感情がまったく芽生えない仲良しなんて、無いって事なのかなぁと思ったわけですよ。

それは人間も生物である以上は、仕方ない事でしょうね。
人間が、性別が無くて細胞分裂で増えるような生き物だったら、また違ったのでしょうがw

とにかく、誰もがハッピーになる物語を書きたいなら、最初からヒロインを複数出すとか、そういう売れるための小細工は止める事です。
エロゲーみたいに、ハーレムエンドとかにするなら話は別ですけどねw
そうじゃないなら、どのヒロインとくっ付いても、選ばれなかったヒロインはバッドエンドなわけですよ。
あるいはどのヒロインともくっつかず、ハーレム状態という夢のような世界を維持したまま終わらせても、中途半端だと読者に批判されるだけですからねぇ。

とにかく3期もあったら、今度はちゃんとリアルタイムで見ようと思える出来でした。
作者の方には是非とも、これからもがんばって欲しいですという話。

俺ガイル

「俺ガイル」とは、「ソノックブーム」とか玄関の前にしゃがみ小キックを連打してるガイルが居て外に出られないというネタで有名な、ストリートファイターⅡ(通称 スト2)のアメリカ代表のガイルの事ではない。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている という糞長い題名のライトノベルの略称だ。

さてこの「俺ガイル」であるが、アニメ第一期及びそれに相当する原作は、非常に高い評価を受けた。
にも関わらず、第二期や第二期に相当する原作は、非常に叩かれている。

理由は初期の頃の、ひねくれた高校生のひねくれた日常物語から、ラノベ特有のハーレム恋愛ものになってしまったからだと言われている。
聞くところによると、アニメ第一期が終わった頃から第二期及びそれに相当する原作が出るまでに、相当な期間、作者がスランプにあって物語の続きが長らく書けなかったというのがあるらしい。

そりゃそうだ。
あんなすごい名言やネタ満載の物語なんて、そうポンポン書けるもんじゃない。
アニメ化までされ、予想以上の人気が出てしまった事によるプレッシャーもあったであろう。

さて、俺ガイルの第一期のアニメしか見てない私だが、本当にアレは名作だった。
変にイケメンな主人公にせず、ヒロイン達はまぁアニメのキャラクターデザインには独特の雰囲気があって、かわいくないわけじゃないが、賛否両論あったりもした。
だからこそだろうが、「文章」で書かれた物語そのものの「面白さ」が非常に際立ち、異色の名作として非常に高い評価をされるに至った。

世の中を斜に見るひねくれ者というのは、リアルでもそれなりに居るが、あそこまでひねくれてる主人公は、今まで見た事が無く、非常に新鮮だった。
私も幼少の頃から「ひねくれている」と良く言われてきたが、そのリアルひねくれ者の私から見ても、かなりすごい。
「ひねくれもの」というのは、よく言えば、他の人と違ったモノの見方をする、できる人のことでもある。
よって、芸能分野では大いに成功する可能性が高い。

例えば、お笑いなんかそうだろう。
唐突に、本当に面白い事が言える、できる人ってのは大抵は「ひねくれもの」が多い。
他の人と違ったモノの見方や考え方ができるからこそ、それが人々を笑わせたり「面白い」と思わせられるのだ。
また小説や漫画などの創作も、他の人が思いつかないような物語が書けるからこそ、売れるわけだ。

この「誰にも思いつかない」ような発想に基づく、台詞や推理小説で言えばトリックの部分が、非常に素晴らしかったのがアニメ第一期の「俺ガイル」なのだ。
昨今の漫画とかに多い、物理法則や設定を無視した力業で問題を解決する事を一切しなかった。
「その発想は無かったわ」と関心し、同時に笑える問題解決を行ってきた。
しかもそれが、わりと現実でもできそうな、無理のないリアルさがあったりしたのも良かったw

私はこれを見て、この原作者は相当に頭が良い人だと感じた。
頭が良いと言うと、すぐに東大に現役で合格できるような、いわゆるお勉強が良くできる、記憶力の良い人や理解力のある人などを思い浮かべがちだが、ここで言う頭の良い人というのは、「頭の回転が速い人」という意味だ。

頭の回転が速い人の例としては、松本人志なんかがリアルではあげられる。
「えー?」と思う人も居るだろうが、とある番組のMCの時のしゃべりで、「ああ、こいつは頭の回転が速いなぁ」と強く思った事があるからだ。
明石屋さんまなんかも、割と頭の回転が速いと思う。

つまり咄嗟に、普通はそういう発想や答えは出てこないという、返しやネタ振りや突っ込みやボケができる人の事だ。
笑う以前に、あるいは笑うと同時に感心してしまうような事を言える人、「上手いなぁ」みたいなね。

「俺ガイル」の原作者は、そういう人なのだろうと強く感じた。
ところが、こういう人というのは、往々にして「面白い事を言おう」と考え込んでしまうと、「面白い事」は言えなくなってしまう。
それが第二期以降に評価がガクっと落ちた要因だと思う。
最初の頃のように、思いついた事をそのまま書きたいように書けば良いのだ。
他人の評価なんて、気にする必要はない。
そもそもこの主人公を通して自分を表現している作者自身が、そういう「他人の目を気にして生きる」事を嫌っていたはずではないのか?

アニメ第一期までは、主人公の比企谷本人が書いたものだとすると、第二期はヒロインの一人である由比ヶ浜が書いたものになってしまったと見受けられる。
他人の目を異常なまでに気にして、なるべく他人と合わせ、目立たないように生きる、いわゆるキョロ充と言われる、日本人に最も多いタイプの代表格として描かれていたのが、由比ヶ浜結衣である。

あと日本人ってのは、「こうして主人公とヒロインは結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」で終わらないと納得しない風潮がある。
だから物語を完結させるために、無理にラブコメに持っていったのかも知れない。

しかしそれは気にしすぎである。
「俺たちのひねくれた日常はまだまだ続く」「渡 先生の次回作にご期待下さい」みたいな、打ち切りとも思える終わり方でも、私は良いと思うし、それこそこの作品らしい終わり方ではなかろうかw

人の性格や価値観というのは、そうそう簡単に変わるものではないが、とはいえ孤独なボッチが、変にリア充になってしまったり、普通にそれなりの人付き合いや社会に溶け込んで、それなりの生活を送れるようになってしまうと、「ひねくれた」考えそのものを、する機会が無くなってしまう。
ソースは俺。

原作者は会社員をやりながら、ラノベ作家活動をしているようだが、そのプロフィールを見て、そう思った。
こういう「ひねくれ」た人は、無理やり社会や集団の中に溶け込まないといけない事態になると、実は割りと「面白い奴」として人気が出てしまう事がある。
リア充を憎み、否定しつつも実はわずかな憧れがあったりするので、そのなんちゃってリア充生活を受け入れてしまうのだ。
それが、独特の感性を鈍らせてしまう。

というわけで、会社員なんて辞めて、作家業一筋の生活をした方が、もっと面白い作品を書き続けられると、おせっかいながら思う。
作家になれば、会社員より人付き合いは減るし、一人で居る孤独な時間も増える。
ひねくれた、「世の中クソだ」という思いも高まるw
ソースは俺。

仮想通貨に投資するのはアホ

何度も言っているが、仮想通貨を買う奴はアホである。

その理由を説明するには、まず「そもそも通貨とはなんぞや?」という事を知らなければならない。

通貨というのは、人類が誕生してからあったものでないし、文明が興ってすぐに出現したシステムでもない。

この世界は生き残りゲームのようなものである。
人間も含めた全てのプレイヤーは、食べなければ生きていけないという共通のルールがある。
なので全ての生命体プレイヤーは、いかに効率良く食料を確保するかという事に、全力で取り組んできた。
世代を超え、長い年月を掛けて特定のパラメータをアップ=DNAの変化=「進化」させる事で、勝ち残ってきたわけだ。

人間は、パラメータ的には最弱の部類に入る。
にも関わらず、このゲームの覇者として君臨できているのは、この基本的な「食料調達」を最も効率良く行える方法を手に入れたからだ。
それは「農業」という話ではない。
人間が唯一他の生命体より優れているパラメータである「知能」のことだ。
人間は、キャラクターメイクの段階で、それまであまり重要視されてなかった「知能」にほとんど全振りした。
これによって、「道具を作る」や「過去の経験や編み出した技術を後世に、より正確に細かく伝える」などなど、多くのほかの生命が持っていない「スキル」を手に入れる。
この「スキル」を使う事によって、食料調達というクエストのクリアに一日を費やすのが当たり前だった糞ゲーの遊び方から、抜け出す事ができたのだ。

つまり「食料調達」以外のクエストや行動ができるようになった。
この他の生命体が今まで遊べなかったクエストやコンテンツのひとつが、「物々交換」だ。
しかしこの「物々交換」には大きな問題があった。
それは対戦ゲームなどと同じように、相手が居なければできないこと。
また相手と自分のレベル差や操作技術に差がありすぎると、面白くないということだ。

全てのプレイヤーにいつでも、そして同じぐらいの実力の相手と対戦できるようにするために編み出されたシステム。
それが「通貨」だ。

「通貨」は「物々交換」をいつでも誰でも遊べるコンテンツへと、進化させたのだ。
「通貨」はこの例えで言えば、「明日は必ずお前と対戦してやるから」という「約束」や、あるいはどんなレベルのプレイヤーも取り揃えていて、いつでも相手してやれる組織との対戦ができる「権利」のようなものだ。

つまりそれ自体は自分と同レベルの、白熱した面白い戦いができるプレイヤーという実態ではないのだ。
お金それ自体は食えないわけだ。

それがいつでもどこでも確実に、食い物と交換できるという「信頼」や「保障」の付いた「権利」でしかないのだ。

つまり「通貨」はどんなに「いつでもどこでも食料と交換できますよー」と言ったって、「信用」や「保障」が無ければ、ただの紙キレと同じなのだ。
現実世界の通過は、これを「国」という人類の社会でもっとも大きくて、もっとも力がある組織が「保障」しているので、価値があるわけだ。
だから戦争や自然災害などで、「国」が傾いたり、「国」そのものが無くなってしまったりすると、単なる「紙キレ」に戻ってしまうのだ。

日本人は70年前に、それを身をもって体験したはずなのだが、残念な事にバブルが弾けるまで、その事をすっかり忘れてしまっていたというわけだ。
そして今現在、また戦争やバブルの体験を忘れて、仮想通貨なんてもんに熱中している。
まじで馬鹿なの?と思う。

「国」という人類の社会で最大にして最強の組織が「保障」してるわけでもなく、しかも紙キレすら発行されず、電気エネルギーの供給が経たれれば、跡形も無く消えてしまう単なるコンピュータの「データ」に、どうして何百万も払えるほどの「信用」ができるのか?
仮想通貨なんぞに投資してる奴は、課金ガチャゲーに何百万も注ぎ込んでる奴らを馬鹿にできないよ?w
やってる事は同じようなもんだからね。

つまり「仮想通貨」には「信頼」や「保障」がまったく無いと言って良いほど欠けているものであり、したがって「通貨」とは呼べないのだよ。

仮想通貨の前進のようなものに「クレジットカード」がある。
クレジットカードって、不正に他人に利用された場合、その分の支払いはしなくて良いって制度があるって知ってるかな?
私もクレジットカードに関わる仕事をした事があるので、知っているのだけだけどね。
だからこそ、クレジットカードは、仮想通貨と同じような性質を持っているにも関わらず、システムとして機能してるわけ。
仮想通貨にそのような制度ありますか?
ハッキングされて所有する仮想通貨を盗まれた人達に、取引所や発行元が現金をそっくりそのまま返してくれましたか?
某取引所は全額返金するとか言ってますが、まだそれが実施されたというニュースは聞きませんよね?
件の事件のターゲットになった仮想通貨の発行元は、犯人の追跡や盗まれた仮想通貨の換金停止の措置を止めたって、さっきこの事件の特集を、まるでハッカー戦争みたいに面白おかしく脚色してやってたテレビのドキュメンタリー(?)でも言ってましたよね?
その程度のものに、よくもまぁ未だに投資する馬鹿が居るもんだということ。

ビル・ゲイツが「仮想通貨に投資する奴は馬鹿だwww」と言ったというニュースも最近あった。
ビル・ゲイツは腐ってもプログラマーだ。
理論的な思考ができる人って事だ。
そういう人から見たら、「仮想通貨」なんてシステムはプログラムできないか、あるいは不具合だらけのシステムである事は、すぐに分かる。
実際のコンピュータシステムの話じゃない。
その仕組み自体が、あり得ないしおかしいと言っているのだ。

仮想通貨ってのは、言ってみれば通貨ではなく、株式や為替なんかと同じく、「チキンレース」ゲームだ。
崖に向かって、フルスピードで車を走らせ、誰が最後までブレーキを掛けないか、誰が一番ギリギリの所で止まれるか、それを競うゲームだ。
株や為替ってのは、それでもおぼろげながらでも見える人には「崖」の端が見えるが、仮想通貨は誰にも「崖の端」が見えない。
だから多くの人間が、簡単に崖から落ちてしまうのだw

バブル崩壊やリーマンショックやサブプライムローンや、あるいは第二次大戦の切欠になったニューヨーク株式市場の大暴落。
これらの原因を言い表すのに「信用不安」という単語がよく使われる。
仮想通貨にはこの「信用不安」どころか、「信用」そのもが無いと言っても過言ではない。
発行元に「国家」に匹敵する「力」が無い、現実の通貨では行われている偽造防止のための工夫すらも、一切行われてないと言っても良い。
だから簡単にハッキングされて盗まれて、資金洗浄されて、犯人一人が、あるいは犯罪組織が大儲けして、多くの投資家が泣き寝入りするような事態が、いとも簡単に起こってしまったのだ。

われわれ人類は、キャラクターメイクで「知能」に全振りするという新しいスタイルを生み出した。
そしてそれによって、様々な「スキル」を手に入れた。
しかし10万年の間に、どうやらその「スキル」の一部を活用できなくなってしまったようだ。
すなわち「歴史に学ぶ」ということw

「歴史に学ぶ」というのは、誰が悪いとかどちらが正義だとか、そういう事を議論するためのものではない。
これもゲームに例えるなら、アドベンチャーゲームなどで、以前どこでどの選択肢を選んだらゲームオーバーになってしまったかを覚えていて、次に同じ選択肢を選ばないようにして、ゲームクリアにより近づくために使う「記憶」のようなものだ。
「あなたの前に3つに分かれた道がある。どれに進みますか?」に対して「左に進む」をしたら、落とし穴に落ちてゲームオーバーになってしまったというのを、「左に進むなんて馬鹿じゃね?www」とか「左に進んでゲームオーバーになったお前には、罰金として障害俺に謝罪と賠償をする義務があるwww」とかやってるうちは、いつまでたっても正しい道には進めないでしょうねってこと。

祖先が残した遺伝子レベルで「知能」に全振りするというキャラクターメイク方法や、それによって得られた「スキル」の詳細や使い方などを懸命に残して伝えてるのに、それを見ない・聞かない・活用しない。
こんな事をしていれば、いずれは別のキャラクターメイク方法を思いついたプレイヤーによって、人類はゲームの覇者の座から引きずり下ろされるか、あるいは自ら自滅して消えてしまうだろう。

大谷5号ホームラン

メジャーリーグで大活躍中の大谷選手が、本日5号ホームランを打ったらしく、ネットでは即話題に。

こういうのがあると、必ず「大谷スゲー」→「日本人スゲー」→「日本人な俺スゲー」ってアホか。
すごいのは「大谷」であって、お前じゃないwww
と言うのが出てくる。
まぁ一理あるし、日本人というのは「謙虚」であることが尊ばれるという風習が強いので、そういう意見が出てくるのも分かる。
しかしながら、「謙虚」であれという日本人独特の価値観から出てる意見でない事の方が多い。

だいたい、こういう事を言うのは「反日」とか言われるやつ等だ。

私は、そういう連中に対してこう返したい。

「大谷がすごいのであって、日本人がすごいわけじゃない」
と言うなら、おめーら反日が言う事も、
「戦時中の一部の日本人や軍の上層部が悪いのであって、日本人全員が悪いわけではない。ましてや当時生まれてすら居ない今の日本人の大部分が、それに負い目を感じたり謝罪を求められたりするのはナンセンスだ。」
とねw

「○○の起源は韓国ニダwww」と彼らはよく言うが、1万歩ぐらい譲って仮にそれが本当だったとしても、君らの先祖の一部がすごかっただけで、朝鮮民族がすごいという話にはならないよね?大谷賞賛を批判する君らの理屈からいけば。


大谷選手がメジャーで大活躍する事で、まるで自分も優れた人間であるかのように勘違いするのは、確かに行き過ぎであろう。
だがそんな事を本気で思ってる日本人なんて居ない。
君らと同じ価値観で日本人を語ってもらっては困る。
大谷選手や、その他の「日本人」が海外で活躍する事で、「よーし、自分もがんばろう」って気になるとか、純粋に同族の成功を喜ぶとか、ただそれだけなのだよ。

戦時中にドイツと同盟を組んでいたにも拘らず、迫害されていたユダヤ人を5000人以上も助けた人が居たとか、植民地にされたと言われている台湾で、今も活躍する大規模なダムを作って現地に大きな功績を残した人とか、帰還命令や武装解除命令を無視して、インドネシアの独立のために武器を横流ししたり、一緒に戦って戦士した兵士が少なからず居たとか、そういう話に対する海外の高評価を見て、ホルホルしている日本人を馬鹿にしたり批判する。

たしかにそれを真に受けて、日本人は世界で一番高潔な民族だとか、その日本人である自分が誇らしいとか、本気で思っちゃう人が居ないとは言わない。
だが多くの日本人は、そういう記事を見て感じるのは、「高潔な先祖に恥じない言動を、現代の日本人は、自分はできているだろうか?」という自省や、ご先祖様達が築き上げた良い評価や素晴らしい行いを無駄にしない言動を、自分達は心がけないといけないなという自戒だろう。

先祖の功績の上にあぐらをかいて、堕落しきっている漢民族や、ありもしない功績をでっち上げるような事までしないと、自尊心や精神の安寧が持てない朝鮮民族と、同列で語らないで欲しいのだw

大谷選手の活躍は、純粋に同じ日本人として嬉しい、元気をもらえる、勇気づけられる、自分もがんばろうという気になれる。
そういったポジティブな気持ちになるというだけであって、それを優劣に利用しようとか、そもそも優劣を語る材料にしようなどという日本人は殆ど居ない。

ちなみに書いていて思ったが、私もよく日本人と海外の人の違いを、まるで過去や一部の日本人の活躍や功績で優劣を語るような事を良く言ってるじゃねーかと印象を持たれるなぁと思ったが、弁解をさせてもらえるなら、私がそれを言う時というのは、先に他からのネガティブな批判・・・というか誹謗・中傷のようなものが話題になった時だけである。
つまり「反論」であって、何も誰も言ってないのに、自分からそれを言いふらして良い気分に浸るなとどいう、どこぞの人達のような事はしない。

例えば、戦時中の日本の、海外でも話題になるような素晴らしい行いについても、それはあくまで結果論であって、あるいは「一部」の話であって、それによって戦時中の日本は何も悪くなかったなどと言った事は一度も無いし、思った事もない。
日本がアジアに侵攻して、欧米列強を追い出した事が、アジアの独立につながったとか本気で言う奴も居るが、私にしてみれば、それはあくまで結果論でしかなく、正しくは無いというスタンスだ。
もしあのまま米国が折れて、日本に圧力を掛けるのをやめ、戦争にならなかったり、枢軸国側の勝利で終わっていれば、おそらくは今でもアジアは日本に占拠されたままだったと思う。
欧米の植民地支配よりは、いくばくかマシであるというだけであって、「日本人」と表向きはされた朝鮮人や台湾人も、差別に苦しむ2等国民扱いだったと思うし、独立の約束をされた他のアジアの国々も、のらりくらりと交わされるか、独立国家とは名ばかりの、満州のような傀儡政権の国ばかりになっていただろう。
今でこそ、誰も差別する人は居ないどころか、差別があった事すら知らない琉球という日本ではない独立国家だった沖縄も、あのまま日本が戦争に勝ってた日には、今でも「琉球人」としての差別は残ったと思う。

話が逸れたが、過去の事であれ、現在進行形で起こっている、日々の様々なニュースであれ、それを人種の優劣や勝敗のネタにするのが、おかしいと思うのだ。

「罪を憎んで 人を憎まず」という言葉が日本にはあるが、歴史やニュースというのは、そうあるべきなのだ。

劣等感や優越感というのは、誰にでもある。
もちろん日本人にもある。
だからそういう「単語」が存在するわけだ。
それは「生物」としては、当然の事であり、聖人を目指して修行するような宗教家でもない限りは、無理に隠したり抑えたり排除する必要は無いとも思う。
それが「生き延びる」「生き残る」原動力になるのも、また真実であると思うからだ。

ただそれらは、あくまで「自分の中」だけで行うべきだ。
もちろん、本当にその人のためになる苦言や、お叱りみたいなのは、しても良いし、素直に聞くべきだ。
心の中で「コノヤロウ」とか思っても、表向きは、「なるほど、申し訳ございませんでした」と言うべきであろう。
自分に対する苦言や批判というのは、例えそれが理にかなっていても、すぐに受け入れるのは難しい。
だが、「はぁ?何言ってんだこいつwww」みたいにまったく無視するのと、心の中ではそうは思っても、「悔しいが理にはかなっている」と思うのとでは全然違う。
後者は時間が掛かっても、何かしら改善に繋がるものだ。

一番分かりやすい例が「親に対する気持ち」ではなかろうか。
反抗期のまま、何も反省せずに育ち、今でも「親は糞」とか思ってる人って、他人から見ても「君の親は酷いね、同情するよ」と言われるような親でない限りは、「こいつ、何時まで反抗期やってんだよwww」と笑われるのがオチだ。
たいていの人は、「親から離れて一人暮らししてみて、はじめて親のありがたさが身にしみた」とか、「自分が結婚して子供ができて、親となってみて、はじめて親の気持ちが分かった」みたいな感じで、反抗心が親への感謝や敬愛に変わるのが一般的だろう。

人間の優劣なんてものは、ささいなものだし、人間が判断できるものではない。
同様に完全な正義や悪なんてもんも、この世には存在しない。
人間は神にはなれない。
聖人にすら、実はなれないのだよ。
だからといって、それに近づく努力をしないとか、そういう努力を馬鹿にするつもりもない。
それはそれで、私はそういう人が居たら素直に関心するし、尊敬する。

それが「大谷」フィーバーの、正しい説明ではないかと思うという話。

ライトノベルと小説の違い

ライトノベル原作の、2・3年前のアニメ化作品を、たまたま見返す機会があって、ふと思った事を。

ライトノベルとは、直訳すれば「軽い小説」となるだろうか。
つまり「小説」の1分野である。

しかしノーベル文学賞にノミネートされるような、専門家の高い評価を得るに至る作品はない。
同じ「小説」でありながら、何がライトノベルと村上春樹の作品との違いを生んでいるのか?

ライトノベルはよく馬鹿にされるが、「じゃあお前は書けるのかよ?」って言われたら、「おお、こんぐらい簡単じゃん」と実際に書いてみせられる人間は、ほぼ居ないw

よくネットの掲示板に掲載されるような、SSというライトノベルより更に簡易な「小説」であるものですら、まとめサイトに取り上げられるようなものは、誰にでも書けるものではない。
文章を書く事を仕事や趣味にしたいと思って、それなりに練習や努力をしている人でなければ、書けないのだ。
だが同時に、「それなりの努力」をしている人なら、才能なんぞなくても書けるとも言える。

これが「ライトノベル」がノーベル文学賞にノミネートされない理由だ。
真に高い評価を受ける人間というのは、「努力」はもちろんだが「才能」も必要になってくるのだ。

ただいくら「才能」があって、「努力」している人でも、「それなりの」努力では超一流にはなれないし、経験や実績など「時間」も必要になる。
イチローは最初からイチローではなかった。
高校時代までは、ほとんど「無名」であったわけで。
だが、いまや「世界」レベルの超一流選手だ。
高校時代に既に「一流」と言われて、ドラフト1位でプロ野球に入った人でも、イチローレベルに到達した人は少ない。

これは、最初から「小説家」としてデビューせずに、「ライトノベル」作家としてデビューした人でも、イチローのように超一流の、それこそノーベル文学賞を取れるような人が居るかも知れないという事を示唆している。

そうなるには「本人」の「才能」と「努力」が一番大切なのはもちろんだが、周りの多くの人間の「協力」も必要になる。
誰も見ない、読まないでは、評価しないでは、才能がいくらあっても、それが開花する前に本人が「努力」を止めてしまう事もあるだろう。
ライトノベル作家を超一流のノーベル文学賞作家や芥川賞作家にするのは、読者や出版社の担当など、多くの人間の「協力」も必要だということだ。

今のように、読者も出版社も、「しょせんはライトノベルwww」なんてやってたら、才能も開花しない。
また作家自身も「しょせんはライトノベルwww」と思って活動していては、イチローにはなれない。

それと、ノーベル漫画賞というのが無いので出てこないが、ノーベル文学賞を取った作品や作家より、ずーっと面白く、深い作品の漫画も私はあると思っている。
さすがに知る限りのライトノベルで、そこまでの作品はお目にかかった事はないが、大いなる才能があるかも知れない人は居ると思う。

私は、読者が、出版社が、そしてなにより作家自身が、「しょせんはライトノベルwww」という考えを捨て、もっと自信を持って、更なる高みを目指す「努力」をして欲しいと思う。
それが「ライトノベル」を、文学の1分野として、世界的に定着させる事になると思う。
そうなれば、馬鹿にされる事もなくなるし、売り上げももっと伸びるし、収入も増えるんじゃないかなぁと。
胸を張って「ご職業は?」と聞かれたら、「ライトノベル作家です(ドヤァ)」って言えるようになるんじゃないかとw

折り紙とMADE IN JAPAN

ネットの海外の反応や、外国人に関する和む話系などを見ていると、必ずと言って良いほど出てくる「折り紙」にまつわる話。

そういうのを見ていてふと思った事がある。

MADE IN JAPANと言えば高品質の代名詞とされているが、日本人が優良人種だからそうなったわけじゃない。
人間の能力なんてのは、国や民族に関わらず、ほぼ変わらないわけで、人種に優良も不良もない。
ではどこで差が出るのか?

この差を、トランプみたいな典型的な欧米の馬鹿に説明するのに、もっとも良い題材が折り紙ではないかと思ったのだ。

折り紙で有名なのは「鶴」であろうか。
鶴の折り方は、プロの折り紙師みたいなのでなくても、老若男女だれにでも折れる。
だからこそ、折り紙の代名詞にもなっているのだ。

ただ欧米人と日本人に、折り鶴を折らせたら、たぶん欧米人のはいびつな鶴になると思う。
日本人は、たとえ折り紙をそんなに得意としない人、子供のころに一度ぐらい折った事があるかなぁ程度で、折り方も忘れてるような人でも、ある程度の綺麗な形の鶴を折れると思う。

この差が、日本車とアメリカ車の差を説明するのに使えるのだ。

なぜ同じ紙を使い、同じ折り方をしたはずなのに、欧米人の鶴はいびつになり、日本人の鶴は均整の取れた美しい形とは言い過ぎかもしれないが、まぁ手本により近い形になるのか?

それは「集中力」と「妥協」の差なのだ。

恐らく日本人の多くは、より正確に折ろうと、寸分のズレも許さず折ろうとするだろう。
対して欧米人は、もともと「大雑把」と言われるように、多少のズレは気にならないか、こんぐらいは良いだろうと修正しないだろう。

しかしこの僅かなズレが、積み重なると完成品にモロに出てきてしまうのだ。

綺麗な鶴を折るには、紙と紙の端を寸分のズレもなく、きっちり合わせて折っていかなければならない。
この「集中力」と「妥協」を許さない気質が、MADE IN JAPANを高品質の代名詞とした一番の理由なのだ。

多少ネジ穴がズレてようが、フレームが歪んでようが、「大して性能に差なんかでねーよwww」と、そういう作り方をしてるから、アメ車はデカイだけで燃費もパワーも、そして耐久度も日本車に負けるのだ。

ちなみに昔、プラモ狂四郎とかいうプラモデルの漫画、いわゆるゲームセンター嵐のプラモデル版みたいなのが流行った事があるが、その時に外国製のプラモデルは日本製のプラモデルのようにきっちりしてないので、削ったりしないと嵌らないとか、とにかく作るのが大変と聞いた事がある。
欧米人の大雑把さを示すエピソードのひとつであろう。
同時に日本は子供のおもちゃにも、一切の妥協を許さないという価値観の違いであろうと思う。

日本は欧米と比べて道路が狭く入り組んでおり、アメ車のような大型の車は向かないとか、左ハンドルのまま輸出してくる傲慢さが気に食わないとか、そういうのもあるが、ならばアメリカ本土でもアメ車が売れないのはなぜかという理由には、それだけではたどり着かない。

恐らくだが、材料から部品加工から組み立てまで、全て日本企業と日本人でアメ車を作らせたら、性能も燃費も頑丈さも、全ての面において1割とかアップすると思うw

まぁ最近は、日本の企業の製品も、MADE IN CHINAばかりになってきているので、品質はその分落ちてきている。
いま私が履いてるパンツとか、タグ見るとMADE IN CHINAだし、つい最近壊れて新しくかった日立のビートウォッシュとかいう、いま一番の売れ筋の洗濯機も、側面見たらMADE IN CHINAって書いてあったしw

日本人は手先が器用だとよく言われる。
それは恐らく、箸を使って食事をする文化が大いに影響しているのだろう。
だが箸を使って食事をする文化があるのは、日本だけではない。
中国や朝鮮半島も、食事の時は箸を使う。
すなわち、中国や韓国も日本人のような一切の妥協を許さないという精神があれば、ナイフとかフォークとか、子供でも簡単に使える道具でしか食事してない欧米人より、高品質なものを作れる可能性が高いのだ。

それと欧米人に言いたい。
日本人は生まれたときから箸で食事してるわけじゃない。
固形物が食べられるようになって最初に使う道具は、やはりスプーンやフォークだ。
箸を使う事による、「集中力」や「手先の器用さ」は後天的に備わるもので、日本人でも欧米で生まれ育って、欧米式の食事をしてれば、不器用になるw
冗談だろうが、日本人は遺伝子レベルで俺らとは違うんだと言ってるのを良く見かけるが、そんな事はない。
遺伝子レベルでの人種や民族の違いなんぞ、後天的に会得される技術に比べたら、ささいなものなのだ。

何か新しい技術を生み出しても、すぐに日本が真似して、そしてより高性能なものを作ってしまうと嘆くが、それは君ら欧米人が怠慢だからそうなってしまうのだ。
トランプは、日本を脅迫してる暇があるなら、自らの怠慢を反省し、「モノヅクリ」に対する姿勢を改めさせるべきであろう。
アメリカを再び偉大な国にしたいなら、まずそこからはじめるべきだ。

企業にとってコストや利益を考える事は、もちろん大事だろうが、それだけではダメだって事だ。

国民民主党

国会開催中に、サボって結党式。
民主党時代の政党助成金を引き継ぐために中継ぎ政党として、国民党なる、まるでペーパーカンパニーのような党を1日だけ結党。

そしてこれらを一切報じないマスゴミ。

朝鮮半島情勢という、日本にも大いに影響がある問題が動いている中で、それらそっちのけで安倍政権倒せしかやらない。

国というのは、「国民の生命と財産を守る」事が存在意義であり、国会議員はそのための「法律」や「制度」を作るのが主たる仕事であるはずなのだが、彼らにとっては北朝鮮に不当に誘拐されたままの拉致被害者や、日本に向けて発射される核ミサイルより、それらに懸命に対応している政府の「妨害」をする事の方が重要なようだ。

そんな事ばっかやってる野党に忖度しておいて、「日本は北朝鮮問題で蚊帳の外www」とか言って笑ってるのマスゴミ。

こんな連中を、どうして支持できようか?
どうして信頼できようか?

日本人は本当に甘すぎる。
これは戦争に負けたからとか、平和ボケってレベルではない。

そもそも戦時中の、軍部の力が強かった時でさえ、ゾルゲ事件という有名なソ連の大規模なスパイ工作が明るみに出たぐらい、諜報・工作に関して弱い。
ましてや、諜報機関の無い現代の日本、スパイ天国・工作し放題なのは当たり前であろう。

立派な諜報機関のある欧米でさえ、トランプ政権はロシアの工作によって誕生したとか、イギリスに亡命したロシアの元工作員が暗殺されそうになったとかあるわけで。

諜報機関や諜報活動やそれに対する対応は、別に敗戦国だからできない、しちゃいけないわけじゃない。
日本は基本的に「性善説」を国も国民も信じているからだ。
しかし実際の世界は「性悪説」で成り立っているのだ。
隙あらば相手を騙そうとする、陥れようとする。
それが「人間」なのだよ。
これは、そうしないと肉体的に貧弱な「人間」という種族は滅んでしまうからだ。
そうして「人間」という種族は、地球上の生命の頂点に立つかのごとく繁栄する事ができるに至ったからだ。

この人類が誕生してから10万年間、生き残り、繁栄してきた「基本方針」とも言うべき生き様は、そうそう変わるもんじゃない。
日本人の「性善説」を信じる価値観は素晴らしいとは思うが、いい加減に目を覚ますべきと考える。

本題である野党やマスゴミの反日っぷりに踊らされるのも、この「性善説」が根にあるからなのだ。
いくらなんでも日本を滅亡に追いやろうなんて本気で考えてる議員なんて、野党には存在しない。
マスゴミは本気で日本を貶めようとか、日本がどうなっても構わないなんて考えてないはずだ。
という「性善説」に基づく「勘違い」。
これがこいつらの「暴走」を許す原因でもある。

人間には「悪意」があると疑うべきなのだ。
もしその疑いが、勘違いであれば、それはそれで「よかった」で終わればよい事だ。
疑うだけなら、物事が悪い方向に行く事は無いし、その疑いが本当であれば、被害は少なくてすむわけだ。

人間というのは、生まれながらの「善人」であったなら、とうの昔に人類は滅亡しているか、ここまで繁栄はしていない。
こずるい悪党だからこそ、今まで生き延び、繁栄してきたというのを、忘れてはならない。


日本の英語教育がダメな理由

英語が堪能な芸能人シリーズみたいなYoutubeの動画を見て ふと思った事がある。
日本の「学校英語」がまったく役に立たないのは、「翻訳」教育だからななのではないかと。

海外で子供の頃に生活していたり、それなりの期間の留学経験のある人は、英語が「話せる」という。
しかし日本でしか生活しておらず、日本の「学校英語」の勉強しかしなかった人は、英語が「読める」レベルには到達できるかもしれないが、英語を「話せる」レベルには決してならない。

なぜか?

まず自分たちが母国語を話せるようになった経緯を考えてほしい。
赤ちゃんがどうやって、日本語を覚えるか?
赤ちゃんというのは、両親の話す言葉を真似する。
両親が言う言葉を、トーンやイントネーションなども含めて、「音」として真似をするのだ。
そしてそのフレーズを、いろんな場面で使い、あるいは相手がどういう場面でよく使うのかを、「イメージ」として覚える。
こうして次第に、母国語が「話せる」ようになるのだ。
だから子供は親の口癖などを、そっくりそのまま多用するのだ。
ある程度年齢が進んで、親以外との会話や生活が増えれば修正はされるが、親の「物真似」が母国語マスターの第一歩である証拠であろう。

また、子供の方が外国語や方言とか覚えるのが速いというのは、大人と違って頭の中で「翻訳」をせず、イメージとしてそのまま真似したり聞いたりするからだ。
私は方言が無い「標準語」圏で生まれ育ち、海外や方言のある地域での生活経験が無い。
よって、「標準語」の日本語しか分からない。
しかし「関西弁」は問題なく聞き取れる。
なぜなら、テレビで関西弁が子供頃からよく流れていたからだ。
同様に、地方の「方言」が強い地域で生まれ育っても、標準語が聞き取れたり会話できたりするのは、学校で標準語の「国語」教育を受けたからではない。
テレビやラジオや、そういったものから「標準語」が流れていたからだ。

このことからも、日本の学校英語教育のように、母国語と英単語を1対1で辞書で引いて覚えるみたいなのは、はっきり言って「使える英語」という観点からは、まったく無意味であるのが分かるだろう。
単語の日本語での意味や、綴りや文法なんてのは、会話をする上で知っていなければならない事ではないのだ。

もちろん「会話」以外に、「読み書き」は現代社会を生きる上では必須である。
少なくとも日本をはじめとした「先進国」では、それができなければ生活に支障が出る。
なので英単語の綴りを覚える事は、まったく無駄とは言わない。
しかし「会話」をする上では必須ではない。
文法も英単語の日本語での意味もだ。

日本の英語教育は英語を日本語に翻訳する仕事を目指す人には良いかもしれないし、あるいは英語という言語を学問として何か研究したりする人向けの教育であって、英語で誰かと会話ができるようにする教育ではないのだ。

そんな事をしておいて、日本人は英語ができない。
もっと英語教育を強化すべきだ。
小学生とかのうちからやれば、日本人ももっと英語ができるようになるんじゃないかと、見当違いの議論をしている。

翻訳家や通訳を育てたいわけでないなら、根本的に英語教育を見直すべきであろう。
少なくとも、今の日本の学校英語の教育は、「英会話」をマスターした人が、更に読み書きや、あるいは翻訳や通訳の仕事を目指す場合に行うものである。

英語が使える事を、「英語が話せる」というように、まずは「会話」できるようになる事が、外国語を「使える」ようになる事の第一歩であり、もっとも重要な事なのだ。

英語の読み書きができるだけの文科省の役人や、大学の、英語や英語を学問として研究しているような専門家で議論するから、いつまでたっても「話せる」英語教育ができないのだ。

通訳・翻訳家・英語を言語学として研究する専門家を育てるための教育を止めないかぎり、日本人の英語力=英語が話せるレベルの人は増えない。
英語が「話せる」ようになって、更にステップアップをするための教育として、高校や大学などで今の「翻訳」英語教育を行えば良い。
小学校なり中学校なりでは、「辞書」を使わなければならないような授業は、止めるべき。

これが日本の学校英語教育の根本的な誤りだと思ったという話。

よく見る夢

寝ている時に見る「夢」の話。

一番よく見るのは、「歯が抜ける夢」だろう。
現実にも、歯が痛いとか、かぶせ物が取れて放置してる歯とかあるんで、その影響もあるだろうが、万人がよく見る夢のひとつでもあるらしい。
夢占いとか心理学の世界では、「歯が抜ける夢」というのは不安を抱えている事の裏返しであるとされている。
まぁ高齢ニートだから、毎日不安だらけだから、当たっているとは思う。
そもそも子供の頃や若い時には、そういう夢をみた覚えがない。

潜在的に抱えてる不安により見る夢として、私は他に「家の鍵が見つからない」とか「仕事で失敗しまくる」とか、あとなぜか外を歩いてるのに靴が無いとか、ズボン履いてないとかw
それら必要なものを探すが見つからないのだが、これも「歯が抜ける夢」と同じく不安の裏返しなのかも知れない。

何か恐ろしいものに追いかけられる夢ってのもある。
殺人鬼なのか、この世のものじゃないが、悪意しか感じない物体だとか、家に逃げ込んでドアを閉めても、なぜか閉まらないとか、そもそもドアが枠から外れてる、ペラペラの紙のような状態とかねw

稀にだが、良い夢も見ることはある。
ちょーかわいい女の子が、なぜか自分の彼女or嫁になってるとかねw
当たり前のようにエロい事しますがね、なんかいつもやってる当然の事みたいな感じで、あまり興奮はしませんw

それこそ中学生とか高校生とかの頃は、こんな夢みたら、夢精していたもんですが、最近はそういう夢を稀に見ても夢精しません。
悲しいですね、歳なんでしょうw

てゆーか同居してる(実家なので当たり前ですが)かーちゃんの寝言が、うるさい上に恐ろしい事が多いです。
ついにボケたかと心配になるぐらいに。
突然夜中に大声で怒り出したり、恐怖の叫びを上げたり、しかもそれら寝言なので呂律がまわってないんですよね。
びっくりしますよ。
子供の頃は、そういうの無かったと思うんですがね。

そういう時は、決まって死んだ親父に、「おい、かーちゃんに怖い夢見させんな。ちゃんと守れや!」と心の中で唱えますw
しばらくすると、収まるんですよね、それでw
まじで何か霊的に効果があるなら、いつもちゃんと悪夢を見ないよう見守っててくれよと思いますけどねw
私のように早く死にたい人間の加護なんざせんでいいから、せめてかーちゃんだけはちゃんと見てくれとw

そういえば、包丁で殺人鬼に刺される夢とかも良く見ますねぇ。
まぁ夢なんで痛くないですが、とはいえ人間は精神的な生き物なので、本当に刺されたと思ってショックで死んでしまう事もあるんじゃないかと思って期待してるんですが、残念ながら何事もなく目が覚めてしまうんですよねぇ。
寝ている間の、わけがわからないうちに死ねたらどんなに楽なことかと思うんですがねぇ。

まぁかまってちゃんみたいな事はこの辺にしておいて、自分の思うままの夢を見られる方法とかよくありますよね?
あれ、マスターしたいなぁとつくづく思いますね。

山口メンバーに見る、違和感

山口メンバーの報道やワイドショーや、ほかのメンバーへのテレビ局の扱いなどを見るに、違和感がハンパないです。

これは、今回の件だけでなく、あるいは日本国内の話だけでなく、世界中すべての左翼だのリベラルだの市民団体だのの主張がそう思えるのです。

具体的に言うと、そういった人や団体の言動が、本当にセクハラだの痴漢だのを無くしたい、差別を無くしたい、戦争のない、世界中の人間すべてが笑って暮らせる平和な世界を作りたいといろいろ運動したりしてるように見えないんですよ。

そういう事を言う、している自分は何て良い人間なのだろうか、なんて高潔な人間なのだろうと自己陶酔したり、あるいは自分や仲間がそれによって評価が上がったり、特別扱いされたりという利益を得るためにやってる、そういう風にしか感じられない場面が多々あるからです。

だから人の本音が出やすいネットなどでは、「はぁ?」という意見が噴出するのです。
現代人が冷たくなったわけでも、差別主義者が多くなったわけでもないんですよ。
そういう運動をしている、騒いでる連中が、そうさせているのですよ。

一番わかりやすい例が、海外で移植手術を受けるために募金を呼びかける運動ですかね。
昔であれば、無条件にみなが応援してくれたと思います。
ですが、実はその多額の費用というのは、金の力で移植待ちの順番に横入りするためであったり、あるいは自分たちの財産などは残して他人の善意を利用しようとしてたり、わたしたちこんなにかわいそうですwwwと注目を浴びて快感を得るためだったりと。
もちろん、そんな気はさらさらない、全財産投げ打てって言ったって生活はしなきゃならんのだから、最低限は子供が助からなくても残さなきゃならないってのはあると思いますけどね。

支援団体の会計や、募金集めたは良いが、結局助かりませんでしたって時に、残ったり使わなかったりした募金はどこへ行ったのか良く分からないとか。

本人達のその気が無くても、眉をしかめられて当然のような事しかしてないわけですよ。

これが今の世界的に見られる、慈善団体だの左翼だのリベラルだの平和主義者だの差別撲滅運動だの、あるいは「菜食主義者」が支持されない理由です。

結局、人間なんて誰しも自分が一番かわいいのです。
それは生物であれば当然の、本能とも言うべきもので、いくら人間は他の生命と違って賢いとか倫理があるとか言ったところで、その本能からは逃れられないのですよ。
神にはなれないのですよ。

憎まれっ子、世にはばかる とか良い人ほど早死にするみたいな言葉があるのも、それの表れです。
本当に神のような人間が居たとしても、そういう人は現実世界では生きていけないのですよ。

人間は神にはなれないし、聖人君子なんてものは現実には存在しない事を、みな少なからず認識している。
だからどこかうんさんくさく見えて、賛同したり支持しない人が居るのです。

そもそもこの手の人や団体は、自らの事は棚に上げて他人や他を批判したり、あるいは自らは一切実践してないのに、他人にそれを強要したりする事が多いです。
そういうのも、信用や支持を失う大きな要因でしょう。

山口メンバーのやった事は、悪くなかったなどと言うつもりはありません。
しかしながら、「枕営業」という言葉があるような業界のやつ等が、叩く資格があるのかと。
山口以外のメンバーが、なぜ謝罪しなきゃならんのかと。
しかも涙ながらに何度も。
お前らそれを見て、良い気分になりたいだけなんじゃねーかと。
もうほとんど「いじめ」だよねこれみたいな。
もっと言えば、被害者やその親は、芸能界というのはそういうのがある(かもしれない)と分かっていて、入った、入る事を許可したんじゃないんかと。
いくらNHKとはいえ、みなさまの受信料で女子高生を集めて馬鹿騒ぎするような番組を作ってるようなやつ等を、よく信用したもんだとw
てゆーか、女子高生だけ出して男子高生は出さないって、これって男女差別じゃないんかと。
若い女性の「性」を売り物にしてる典型じゃねーかと。
なんで女性団体は、今回の件で「NHKどーなってんだよ」って騒がないんだよと。

まぁ理由は分かってますけどねw
差別利権だの弱者利権だの言われる、てめーらが特別扱いしてもらいたいだけの、なんちゃって左翼・リベラル・市民団体のお仲間だからですよねw
NHK批判なんてした日には、その後てめーらがどんなに声を張り上げても、取り上げてくれない、賛同してくれなくなるからですよね?w
そんなやつ等に、本当に女性差別を無くす気があると思えるかって話です。

もし仮に、本当に自分たちの主義主張が正しい、理想の世界を実現したいと思ってるなら、自分らの言動を冷静に見つめなおして、反省する事です。
協力者だからとか、仲間だからとかで優遇したり、あるいは自分自身の事を棚に上げたりしない事です。
たとえ恩のある方や、上の立場の人に対しても、主張を貫き通せよってことです。
そして、一番重要な事ですが「法律を守れ」って事ですw

私も最近知りましたが、「名誉毀損」ってのは、それが事実に基づく事であれば該当しないわけじゃないんですよ。
事実であっても、著しく不当に名誉を傷つける行為は、すべて「名誉毀損」になるんですよ、マスゴミさんw
人を裁き、刑罰を認定できるのは、「裁判所」だけなんですよ。

何様のつもりなんですかね?w

TOKIOのメンバーの謝罪会見、NHKも含めてすべてのテレビ局が生中継したらしいですが、それって日本国民の大多数に害があるような重大な事件だったんですかね?w
人気グループだから社会への影響が大きい?w
いつまでテレビや芸能人が、一般大衆に影響を大きく与えるなんてうぬぼれているんですかw
そもそも仮に影響が大きいとして、その影響を正しく認識して使ってるんですか?あんたらは。
金儲けにしか、普段は使ってないくせに、というか大いに利用しておいて、こういう時だけ影響が大きいんだから反省しろやなんて上から目線で、TOKIOを攻める資格がお前らにあるんかと。

ぶっちゃけ、こういう人間のクズが居なくなって、はじめて世界は差別や戦争のない、平和な世界になるんですよw
逆に言えば、こういう連中が居る以上は、いくら経っても理想の世界なんて実現しないんですよ。
私はそう思いますねって話でした。

アニメ違法サイトとアニメータの給料

日本のアニメータの薄給は有名な話です。
違法視聴するやつ等が居るから、いつまで経っても日本のアニメータは薄給のままだという声も、違法視聴やサイトを批判する理由のひとつとして、よく聞かれます。

しかし、果たしてそうでしょうかね?

まず断っておきますが、違法視聴や違法サイトを擁護するつもりはまったくありません。

さて、仮に違法サイトのアクセスを遮断したり、そういうサイトが潰れたり、あるいは違法視聴者が逮捕できるようになったとして、日本のアニメータの給与が上がるでしょうか?

答えは、「変わらない」でしょうねw

なぜなら、一度作って収めてしまえば、その後にBD化したものがいくら売れようが、その儲けはアニメ製作会社にまでは渡らないと思われるからです。
「この金額で、こういうアニメを○話作って下さい」で終わってるからですよ。
発注元である大手の出版社やテレビ局や広告代理店(?)が、それをテレビ放映後にBD化して、めちゃくちゃ売れたとしても、潤うのはそういう企業だけで、それを作ったアニメ製作会社や声優さんに、追加報酬がある可能性は低いという事です。

これは漫画の原作者などが、不満を述べる形で暴露してますよね?w
BDではありませんが、大ヒットした漫画原作映画の、某ローマの風呂コメディー(?)などは、当初の原作使用料である100万円だったかな、それ以外は貰えてないと原作者が嘆いていたという話があります。
銀魂の原作者も、映画がいくらヒットしようが自分とこには1円も入ってこないので、それよりコミックを買ってくれと言ってた話もあります。
漫画の場合は、アニメよりまだ恵まれていて、コミック(単行本)に関しては、売り上げに応じて原作者にもその利益が還元される仕組みがあるからです。
これは、たぶん小説などの漫画以外の書籍もそうだと思います。

ところがアニメに関しては、そうなってない。

新しいメディアである映画・レコード・テレビは、製作者を搾取して、てめーらだけ儲かる仕組みを永遠と続けているのではないかということだ。
つまり、違法視聴を批判するなら、同時に売れた分だけ製作者にも利益が還元される制度を整えろよということです。
そうして初めて、違法視聴するやつらが居るから、違法サイトがあるから製作者がいつまでたっても薄給のままなんだ!との批判にも説得力が出てくるってもんです。

絵もかけない、文章も作れない、演技もできない、ただ他人が作ったそれらのものを利用しているだけにすぎない、寄生虫だけが肥え太る仕組み、とっとと改善すべきです。
でなければ、音楽業界と同じくどんどん衰退するでしょう。
あるいは、欧米資本などに日本のアニメは牛耳られるでしょう。
欧米資本が、「制作費としてこんだけ出す(日本よりはるかに高額)。また売り上げに応じてこんだけバックマージンを払う。」と言ってきたら、日本のアニメ製作会社は日本企業からの依頼は受けなくなるでしょうからねw

そうなってしまっても良いなら、搾取を続け、搾取制度を維持したままどんどん違法サイトを潰すなり遮断するなりしていけば良いでしょう。

最近は、定額でアニメ見放題という欧米資本のサービスも出てきてますよね?
見放題と言っても、そのネット配信企業が買い取った作品だけですけどね。
当たり前ですが、こういうサービス、いくら視聴が多い人気作品でも、欧米資本の配信企業は、版権元である日本企業には、最初に買い取った金額、あるいは契約した金額以上は払わないでしょうw
そうやって、今度は自分たちが搾取される側になるわけですw

まぁ資本主義という経済が、もともとそういう搾取される人と搾取する人で成り立ってるものなんですがね。
貧富の差、格差が広がることで成長する経済なんて、この先ずーっと人類の主要な経済システムとして続くとは思えませんね。
絶対王政が民主主義にとって変わられたように、必ずや儲けをてめーだけが独り占めできるシステムも、別の形態の経済システムに倒されるでしょう。
ちなみにそれは、共産主義・社会主義ではありませんw
今の共産主義・社会主義は、単なる独裁政治の言い訳に使われるだけだからですw

言葉と食事

人間の文化の中で、最も重要なのは、「言語」と「食事」である。

人種や民族が違う者同士が、最も早く打ち解けられるのは、相手の「言語」を話し、同じ食事を食べる事である。
これは日本が外交でもっとも重要する方法でもある。
有名なのは、小泉元首相が国際会議で外国を訪れた時に、他の国の首脳がみな晩餐会などで自国の料理を注文するのに対して、小泉元総理だけは、タイで「トムヤンクン」を頼み、タイの国民に絶大な好印象を与えた事などがある。
他にもインドではカレーをわざわざ食ったとかもある。
また言語に関しては、イラクの日本大使館がわざわざわイラク訛りのアラビア語でスピーチしたかなんかで、高い評価を現地の人から得たというのもある。

フィリピンに災害援助で行った日本の国際救助隊の人が、フィリピンの標準語だと思われ、実際に公用語でもある「英語」ではなく、昔から現地にある「タガログ語」で、現地のテレビのインタビューに答えた事で、その活動内容と相まってフィリピンの人から非常に高い評価を受けたという話もある。

このように「言語」、それも「方言」なども交えた本当に現地で使われているもの、そして「食事」の2つが、最も重要であり、逆にそれ以外の宗教だとか価値観だとか風習の違いや、肌の色などの見た目の違いなどは、実際には「ささいな問題」でしか無いと言う事だ。

これは人間が、同じ言葉を話し、同じ食い物を食う奴を、仲間と認識する動物だからだ。
まだサルだった時代の名残だ。
人間は肌の色など見た目の違いで、日本人か外国人かを区別する「能力」があるが、サルにそこまでの能力があるかは疑問だ。
そもそも人間以外の動物は、種族を超えて友達になれる事が多々ある。
犬と猫を両方飼っている人で、まるでそれらが兄弟のように仲が良いのを見てる人も居るだろう。
つまり人間より「知能」が劣る動物は、「見た目」で自分と同じ種類の動物か、違う種類の動物かを区別しきれないのだと思う。
この理屈からいくと、サルも同じような体格や姿の別種に出会っても、恐らくは自分と同じ「ニホンザル」なのか、あるいは「チンパンジー」なのか「ゴリラ」・・・はさすがに大きさが違うので、もしかしたら自分と同じでは無いと分かるかも知れないが、判別できていない可能性が高い。
ではどうやって仲間とそれ以外を区別しているのかといえば、やはり同じ「文化」を持つかどうかだろう。
それが具体的に「言語」ではないが、例えば仲間同士の「鳴き声」による合図だったり、あるいは食っているもので判別するのだと思う。
同じ群れのメンバーなら当然、みな同じ「鳴き声」の合図を承知しているし使うし、毎日同じものを食っているはずだから。

その名残が、進化した人類にも残っているのではないかと思うのだ。
だから同じ言語を話し、同じものを食っていれば、多少見た目が異なっても「仲間」というか「親近感」を持ってしまう。

欧米のように、「お前らと同じもんなんか食えるかwwwこの野蛮人どもめwww」とか「俺らの言語の方が優れてるんだから、お前ら今日から英語で話せよwww」とかやってるようでは、いつまでたっても真の友好など築けないって事だ。
価値観の押し付けなどと言われるが、その要因はひどく単純で、同じ言葉を話そうとしない、同じものを食べようとしない、これだけなのだ。
日本は敗戦国であったために、外国に自分たちの価値観、「言語」や「食事」を押し付けるような横暴ができなかったというのも、幸いしているのだろ。
だが、日本が戦争で負ける前から海外に移民した「日系人」達も、現地の言葉や食事に合わせる努力をしたので、受け入れられ、今では日系人は非常に高い地位を得られるまでになったというのがあるので、伝統的にそういう真理を知っていたのかも知れない。

ともかく海外で仕事でも移住でも、長く滞在するような事がある人は、言語はもちろんだが食事に関しても十分に用意しておいた方が良いという事。
それ以外のその国や地域独特の風習等は、現地に行ってから学んでも遅くはない。

関西弁を話し、関西地方の味付けを好む外人の方が、恐らく首都圏育ちで東京弁しか話せず、関東地方の味付けの方を好む日本人より、関西の人には受け入れられるし仲良くして貰えるだろうw

日本の外交官の間に、そういうマニュアルがあるのかどうかは知らないが、少なくともこの点においては非常に優秀だと言える。
日本のマスゴミは決して報じないし、評価しないだろうがねw
カウンタ
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ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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