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不幸は魂の修行のためとか言っちゃう人達へ

宗教家や自称霊能者などの人達で、よく不幸だの困難だの障害だのってのは、魂の修行のためだとか、神が与えた試練だとか言う人が多い。

まったく的外れですw

まず「修行」というのは、自らが望み自らの意思で「修行」というのを認識した状態で行うものです。
本人に自覚のないものは、「修行」とは言えません。
前世の報いだとか、人は生まれてくる時に、望んでその環境に生まれる、修行のために。
それらは、本人にその認識があって初めて成り立つ事です。

じゃあ何なんだよ?

今まで散々述べてきたように、我々の魂は、単なる映画やアドベンチャーゲームを実際に物語やゲームの中に入り込んで、よりリアルに人生物語を「体験」しているだけです。
ホラー映画好きとか居るように、不幸な人生も辛い出来事も「修行」などという高尚な目的ではなく、単にそれを「体験」してみたいという「好奇心」です。
「自ら望んで」が正しいとしたら、そういう理由でしょう。
あるいは「この人生は困難が多い」と分からないまま、選択してしまった事もありえます。
怖い話だと知らないで見てしまった、ウツになる物語だと知らないで読んでしまったなんてこと、リアルでもありますよね?
そもそも、予備知識がまったく無い状態で見たり遊んだりする映画やゲームの方が、より楽しめます。
予告編やCMで使われている場面が、その物語で最高に面白い・怖い・悲しい場面だったために、期待して見に行ったのにぜんぜん面白くなかったなんて事も、リアルではよくある事ですよね?
だから、人は生まれる時に前世の記憶だの、生まれる前の魂だった状態の記憶だのを失うのです。
予備知識無しに、より楽しめるように。

ただリアルの映画やゲームと違い、怖いものが苦手なのに見てしまったとか、クソゲーなのにやってしまったと後悔しても、途中で止める事ができないのが、人生物語です。
なので、最後まで見続けなければならない、ゲームオーバーになるまでやり続けなければならない、その苦痛を和らげるあるいはモチベーションを保つために、「魂の修行」だとか「神の与えたもうた試練」と言っているのであれば、理解はできます。
それを分かって言ってるのであれば、賛同します。

ホラー映画と知らずに見てしまったとしても、それは自己責任ですw
怖かったり悲しかったり辛かったりする物語でも、それが「永遠」に続くわけではなく、必ず終わりがあります。
「終わり」というのは、人生物語の主人公である自分が「死」んだ時です。
それがたとえ、どんなに幸福な物語でも、どんなに不幸な物語でも、等しく平等に「死」というエンディングを迎えます。

もしこんな人生は二度とごめんだと思うのなら、それは死の間際に強く思うべきです。
そうすれば、その強い思いが魂に残って、次回は比較的楽な物語、あるいは幸福な物語を選ぶようになれるかも知れませんw

まぁもっと気楽に生きましょうやという話です。

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