2ntブログ

デジャヴとタイムリープ

デジャヴを一度も感じた事が無い人って居るだろうか?
日本語では既視感、つまり既に視た事がある感じと訳される。

初めて会う人、見た光景、行った言動になぜか以前も全く同じ場面に出会った、初めてな感じがしない。
それがデジャヴだ。

オカルトの世界にタイムリープというのがある。
それまでの記憶を残したまま、過去の自分に戻って人生をやり直す現象の事だ。
つい最近では、SMAP騒動でキムタクがタイムリープしている、彼は二度目以降の人生なのではないかなどと話題になった。

科学的には何の証明もされてないし、現代科学の物理法則にも反する現象なので、オカルトの域を出ないわけだが、デジャヴという誰しも感じた事がある不思議な現象とあわせると、実はタイムリープなるものはあるのではないかと考えられる。

それは魂という不滅の、現実世界の物理法則にとらわれない生命の本体のようなものが存在し、肉体は本体でないという多くの主教が唱える世界観が本当だとすると、デジャヴの説明がつく。

タイムリープは「以前の記憶を残したまま」というポイントがあるが、そんな都合の良い現象は実は無く、あるいはあっても極まれであり、ほとんどの人は「以前の記憶を残せないまま」過去の自分に戻って人生を何度かやり直しているのではないか。
「記憶」というのは肉体、つまり「脳」に蓄積されるもので、魂には残らない。
しかし、その時に感じた事、印象などとも言えるか、そういうものは魂に肉体の「記憶」とは別に刻まれるのではないか。
それがゆえに、前回強烈な印象を持った場面でデジャヴを感じると思われる。

なんでもない場面で感じる事が多いデジャヴだが、今回はなんでもないかも知れないが、それ以前の人生ではその後を左右する重要な場面だった可能性がある。
映像や音声の「記憶」は無いが、確実に魂が前回の教訓を生かして自分にとって悪い方向に行くのを回避している。
だから「今回」は日常のなんでもない場面に感じるだけなのだ。

人生とはアドベンチャーゲームと似ている。
われわれの魂は、コンピュータゲームのアドベンチャーゲームのように、何度もそれを繰り返しプレイして、ゲームオーバーになる選択肢を学び、セーブポイントなのか始めからなのか分からないが、やり直しているのだ。

なぜこんな面倒な事をしているのか?
なんのために、わざわざ有限の命と不自由な物理法則に縛られる現実世界の肉体に宿るのか?

理由は分からないが、ひとつ似たような事がコンピュータゲームの世界で起きている。
それがVR(バーチャルリアリティ)だ。
現実世界で見たり聞いたり感じたりできるのに、わざわざコンピュータでそれを擬似的に体験できるようにしようと、必死になっている。
これが、魂がわざわざ不便な肉体に宿って苦しい人生を送る理由に通じるものがあるのではないかと思うのだ。

VRは現実では味わえない、味わう事が難しい体験を目指している。
同様に魂は、おそらく肉体に宿って一人の人間あるいは猫や犬や虫ケラすらそうかもしれないが、そういうものでないと体験できない「何か」を求めて、不便な有機物に宿るのではないか。

ちなみにネットで話題の「時空のおっさん」なるものが居るが、これはネットゲームにおける「GM」ではないかと私は思っている。
この世界がコンピュータゲームのようなものなのだとしたら、当然それを作った存在や管理する存在が居てもおかしくない。
「時空のおっさん」は人間にはできないような事ができ、人間が知らないような事を知っている存在でもあるが、これはネットゲームでシステムの不具合などで地形に嵌ってしまったりしたような人を助ける「GM」に似ている。
「GM」は神ではない。
そのゲームを作った企画・開発の人々とは別に、ゲームの運営をサポートするため、一般プレイヤーでは知りえないゲームの仕様や知識と、一般のプレイヤーができないようなこと、たとえば好きな場所に瞬間移動できるとか、そういう能力を与えられている。
これが「時空のおっさん」や、あるいは古来より「神」または「神の使い」と言われる存在なのだ。

神社でたとえば「合格祈願」をしたからといって、必ず合格はできない。
それはネットゲームの世界で「GM」に「レアアイテム下さい」と言っても、貰えないのと同じだ。
たとえそれができる力が「神」や「GM」にあっても、それは誰にでも何の理由もなくホイホイ使えるものではないのだ。
システムの不具合でレアアイテムが消失してしまった。
自分には何の過失もない。
そういう場合は、失ったアイテムを復活させてくれる事もあるだろう。
同様に、現実世界でも「神様」が助けてくれるのは、そういう自分には何の過失もない、向こうの不手際で重大な損害をこうむった場合だけなのだと思う。
だから「神様」や「守護霊」や「ご先祖様」に助けられた事がある、神や霊は居るんだという人と、見たことも感じた事も助けられた事もない、だからそういう存在は居ないという人が居るのだ。
前者はそういう存在に助けてもらえるに値する、何らかの理由があった。
後者はそうではなかった、人生ゲームの正式な仕様であった。
ということなのだ。

人間は生まれる時も苦しいらしいが、死ぬ時はもっと苦しい。
そんな何のために・・・と思うような仕様も、実は魂が望んで、あるいは許諾している事なのだと思う。
最近のネットゲームには少ないが、昔はゲーム中で死ぬと経験値だのアイテムだのお金だのを失う、「デスペナルティ(略してデスペナ)」というのがあった。
一見、なんでそんな糞みたいな仕様があるんだと思われるが、それがあるからこそゲームプレイに緊迫感などが生まれ、よりいっそう面白くなるのだ。
今のネットゲームが詰まらない事の一因に、このデスペナが無い事があると思う。

人生ゲームも同じで、死ぬほどのダメージを肉体に受けるとめちゃくちゃ痛いし苦しいのは、だからこそ「生きる」事に価値が出るから、緊迫感が生まれるから、魂が「面白い」と思えるからそうなっているのだと思う。

ただ私は、この糞ゲー、もういい加減ログアウトしたいw

コメントの投稿

非公開コメント

カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR