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ダンゴムシの行動のトリビアに見る「意識とは何か?」

昔、トリビアの泉って人気番組がありました。
そこでダンゴムシを迷路に入れると、右左交互に曲がるというトリビアがありました。

どういう事かというと、歩いていて壁にぶち当たった場合、最初に右に曲がったとしたら、次の壁に当たった場合は今度は左にに曲がる。
これを交互に繰り返す事で迷路から脱出するという。

これは非常に理にかなった動作であり、当たり前だが同じ方向にばかり曲がったのでは、同じ場所をぐるぐるまわる事になり、そこが迷路じゃなくても遠くに進めないわけだ。
左右交互に曲がることで、より遠くに進める。
これは障害物を自動で避けるロボットなんかを作った場合、同じような行動プログラムをするだろう。

人間の頭脳であれば、当たり前の事だが、それをあの小さな頭脳でやっている。
しかも誰からも教えられる事無く、いわゆる本能ってやつだ。

ちなみに最初の壁で右に曲がるか左に曲がるかは、決まっていないらしい。
一見すると、ここに「意思」が働いているように思えるが、実は恐らく壁に当たった瞬間に右足が前にあるか左足が前にあるかで曲がる方向が決まると私は思う。
人間が歩く時もそうだが、右足・左足で順番に重心が移動しており、右足が前にある時は体は右に微妙に傾いているはずだ。
その状態で左に曲がろうとすると、余計な力、すなわちエネルギーを使う事になるので、自然と右に曲がる。
ダンゴムシさんの最初にどちらに曲がるかを、どちらの左右どちらの足が前にあるかの関係性を調べれば、このような法則が見えるのではないかと思う。

これらから読み取れるのは、一見すると小さな虫でさえ自分の意思で行動してるかのように見えるが、実は非常に理にかなったプログラムに沿って行動しているにすぎず、そこには「意識」は無いのではないかということ。
昔の日本人は、一寸の虫にも五分の魂と言って、小さな虫にも魂、すなわち人間と同じように意識があると考えた。
でもそうじゃない可能性があるって事だ。
人間も「我思う故に我あり」などと言っているが、実はその行動や思考は人間が気づかない、あるいは考慮しえないほど膨大な条件の結果の産物であり、そこには意識などというものは無い可能性もある。
親から受け継いだ遺伝子によるものと、後天的に得られる経験により、生き残るのに最適な行動をするようにプログラムされている。
あるいはプログラムが日々変化していると思われる。
コンピュータのAIが未だ人間と会話すらできないのは、学習という経験をどういう条件で生かすのか?プログラムをどう変化させれば良いのか?の法則が見つからないからでもある。
つまり人間が人間自身の思考の法則を解明しない限り、完璧なAIはできないということだ。
そしてそれが解明できたとき、「意識」だの「魂」だのってのは幻想であると気づくだろう。
人間もコンピュータプログラムと同様に動いているだけであると。
ただそのプログラムが非常に膨大かつ複雑なので、あたかも個々が「意識」というか「魂」を持っているかのように見えるのだと。

私はこのダンゴムシのトリビアから、そう考えるに至った という話。

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