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デジャヴの正体

デジャヴあるいはデジャビュ、日本語に訳すと既視感となるが、そういうものは霊感がある無いに関わらず、世界中のどんな民族や育ちの人でも、一度は体験があると思う。

これの正体について。

我々の世界は実は本で読む物語などと同様に、過去も現在も未来も既に存在している。
そして、その物語の結末というか未来は、複数存在している。
ちょうど、アドベンチャーゲームのように。
アドベンチャーゲームというのは、物語の途中にいくつかの選択枝が出てきて、選んだ行動によってその後のストーリーが変わってくるものだ。
ゲームの目的は、正解の選択枝を見つけ続けて、真のエンディングというかハッピーエンドに辿りつく事だ。
有名な「ポートピア連続殺人事件」であれば、「犯人はヤス」(笑)に辿りつくコマンドを選び続ける、あるいは探す事がゲームの目的である。
同様に、我々の現実世界もアドベンチャーゲームとは比べ物にならないほどの無限の選択枝が、それこそ1秒よりもっとずっと短い単位の時間の中にある。
それによって進むべきその後のストーリーが、これまた無限に分岐している。
選ばれなかった選択枝の先のストーリー世界は、存在しないかと言えば、存在している。
辿らなかった過去の別の世界、例えば誰かに告白した世界、あるいはどうせ断られると思って告白しなかった世界、その実際には選ばなかった世界も確実に存在しているのだ。

そして我々は、その無限の選択枝のあるリアルアドベンチャーゲームを何度も繰り返している。
ただおそらく、リアル人生物語ゲームには「正解」は無い。
どの選択肢を選んでも、いずれは「死ぬ」、つまりゲームで言えば「ゲームオーバー」「バットエンド」に相当するものしか無いからだ。
強いて言えば、自分の人生に満足して老衰で眠るように死ぬのがハッピーエンドだろうか。

ともかくそれを再現なく繰り返している。
その繰り返している読み手である自分とは何か?
それが魂と呼ばれるものである。
俺の人生物語の主人公の肉体に宿って、それを体験していく。
時には寿命ではなく、途中で事故や病気で死んでしまう事もあるだろうが、「死ぬ」のは宿っている肉体だけであるわけで、魂は過去に戻ってもう一度やり直す事ができる。
ただしこの時に、既に体験した人生物語のストーリーは覚えていない。
なぜなら、魂には「記憶」をする機能が備わっていないからだ。
「記憶」というのはあくまで肉体に存在するものであるわけで、それを離れたら当然忘れてしまうというか、思い出すのは不可能だ。

魂をCPU、肉体をHDDだと思ってくれればいい。
エロ画像を沢山保存していても、その保存先のHDDがぶっ壊れてしまえば、いくらCPUが健在でも二度と見れないのと同じ事だw

ただ場合によっては、CPUのキャッシュメモリにまだ残っている場合もある。
キャッシュメモリとは、CPUの処理を高速化するために、よく使われるプログラムやデータ、あるいは直近にHDDから読み込んだプログラムやデータを一時的に保管しておき、次に同じプログラムなりデータなりを要求された時に、読み込みの遅いHDDからではなく、キャッシュメモリからそれを読み込む事で、高速化しようという仕組みだ。
この「キャッシュメモリ」は電気の供給が途絶える、つまりパソコンの電源を切れば失われる。
しかしながら、全ての電気製品がそうだが、スイッチを切った瞬間に電気エネルギーというのは失われるわけではない。

何かの電気製品をリセットする時に、「コンセントから電源コードを抜いた後、10分程度そのままにしてから、再度コンセントに繋いで下さい」みたいなのを見た事がある人も居ると思う。
つまりこれは、内部に残った電気が自然放電などで完全に消えてくれないと、不具合のあった状態が記憶されたままになってしまい、電源を入れなおしてもエラーが解消されない事があるので、そのようにしてくれと言っているのである。

同様の事が我々の本体である魂にもあるのだと思う。
肉体から切り離された=死んだ時点でHDDである肉体にある「記憶」にはアクセスできなくなるが、直近に読み込んだ記憶(死の間際の記憶や走馬灯)、あるいはものすごく印象深くてしょっちゅう思い出す記憶、「トラウマ」など無意識にずーっと存在し影響を与え続ける記憶などは、魂のキャッシュメモリに残っている可能性があるのだ。
その状態で転生したり、あるいは過去に戻ってもう一度やり直すと、その魂のキャッシュメモリ上に残っていた記憶が何らかの要因でふと思い出される事がある。
新たなHDDやその時点ではデータとして存在しないか記録されてない過去のHDDである肉体だったとしても、本体であるCPUのキャッシュメモリの残っていれば不思議ではない。
はっきり思い出さなくても、なんとなく以前も体験したような・・・というデジャヴになるという理屈だ。

ちなみに現実のパソコンでは、このような事は不可能だ。
なぜなら、CPUはPC本体から切り離された瞬間にキャッシュメモリの内容は失われるほどデリケートなものだし、そもそも電源入ったまんまCPU外したら壊れる事だってある。
またパソコンというのは、電源を入れるたびにCPUを初めとした部品類の動作の初期化を行う。
HDDなど永続的に保存可能なものを除いて、全ての部品は設定やそれまでの記録をリセットされるのだ。
デスクトップパソコンの電源を入れると、「ピッ」とか電子音がして、まず最初に英語でマザーボードが出すメーカー情報やBIOSのバージョンや接続されているHDDのハードウェア情報などが白黒の文字で表示されるのを見た事がある人も居ると思うが、あれが初期化作業中の画面だ。

たぶん転生時に前世の記憶が失われるのは、これと同様に肉体に魂が宿った時点でこのような初期化プロセスが走るからなのかもしれない。
まぁでも神が創った、あるいは私は魂とは創造神の分身であると思っているが、それに比べて肉体は下位の不具合だらけの代物である。
ゆえに完全にリセットしきれなかったり、漏れたりする事もあるのだろう。
だから前世の記憶がある、特に小さい子供などは自分が生まれる前の記憶を持っている子が多いらしいが、そういう事象や、件のデジャブなどが起こるのだろう。

さて、我々は常に時間的に連続している同じ肉体に宿り続けてると思っているが、これも間違いである。
この現実世界は、動画やアニメーションの世界と同じように、「静止画の連続」である。
従って昨日の肉体と今日の肉体は完全に同一ではない。
昨日の記憶を持った、あるいはそのように設定された別の肉体である。
魂だけが、時間の流れに沿って1秒なのか1ミリ秒なのか、あるいはそれよりもっと短い単位で用意されている静止画世界の肉体を渡り歩いているだけだ。
なので異世界に突然飛ばされたり、あるいはタイムリープしたりなんてのも、別段不思議な事ではない。
間違って今読んでいるページの次ではなく、別のページをめくって物語の文章を読んでしまったのと同じ事だからだ。

元の世界と限りなく近いが、どこか違和感のある世界に飛ばされて来た、自称異世界人という人の書き込みなどが、オカルト関係でよく見ることがある。
それが真実か創作かは、分からないが、真実であるとしたら、元の世界からその人は消えてしまったのか?
こっちの世界に元々居たであろうその人はどうなってしまったのか?
そういう疑問が出てくると思う。
答えは元の世界も異世界も肉体は消えていない。
そもそも肉体とは、単なる物質の塊であり、しかも同じ人間でも複数存在している。
世界は連続して動いたり変化しているようで、実は静止画をパラパラ漫画のように次々と見ているだけに過ぎないわけだから、「私」の「肉体」が同時多発で存在していても何もおかしくない。
元の世界の私の肉体は消えず、その後のストーリーも存在している。
仮に元の世界の親兄弟が、魂の抜けた自分を見ても、何の違和感も感じない。
なぜなら、魂の意思なんてものは現実に反映されないからだ。
我々はRPGの戦闘のように、「武器で直接攻撃」するか「魔法で攻撃又は回復」するか「アイテムを使う」か「防御する」か「逃げる」かの予め用意されたコマンド以外の行動は取れないのだ。
そしてそのコマンドを実行した結果の世界は全てが既に存在しており、魂が宿っているかどうかなど関係なく進んで行けるからだ。

私という意識は確実に今ここに居るが、かといってあなたの意識が私と同じ時間軸・世界線上に必ず居るとは限らない。
そういうことだ。

ただ時間軸も世界線も人間にとっては無限に存在しているように思えるほど膨大であるが、無限ではない。
ものすごく低い確率ではあるが、同じ世界線・同じ時間軸に私とあなたの意識が存在している事もあるだろう。
よく漫画なんかで、改変されてしまった未来の世界へ来てしまって「なぜ誰も○○を覚えていないんだ!」と主人公が思ってるところに、「実は俺もおかしいと思ってる」なんて主人公以外にそれを理解してるキャラクターが出てくる、そいつは主人公と同じ特殊な力を持っていて、世界の改変に影響されなかったみたいなのがある。
特殊な力があるかどうかは別にして、間違って別の選択肢のストーリーのページを開いて読んでしまった人が2人居たとしたら、そういう状況があってもおかしくないだろう。
非常に限りなく0に近い確率ではあるがw

あるいはそれさえも、予め創造主によって描かれた正当なストーリーの一部であるかもしれない。

こうして我々は閉じられた空間の閉じられた時間の中で、永遠とも思える物語を読む=体験しているだけなのだ。

私は「来世から本気出す」がモットーであるが、本当に来世という別の本を読めるのかは正直分からないw
ハッピーエンドにならなかった今の人生を、セーブポイントじゃないが、どこか選択肢を間違えたと思える部分からもう一度読み直して、別の選択肢のページへ進む事になるかもしれない、覚えていないだろうがw
ただデジャブというのは、そういう間違った選択肢を選んでしまった記憶であり、本能的に次は正解の選択肢へたどり着けるようにしてくれるためにあると言う人も居る。
それもある意味正しいのかと私は思う。
よほど気に入った物語なら別だが、普通は一度クリアしたゲームや読んだ本を、もう一度最初からやる、読み直すという事は早々ない。
漫画とか、何度も同じものを読み直したりする事はあるけど、一生そうするわけではないし、ゲームの場合なんかやり直すときは、今度は違う選択肢を選んでみようとか、違う職業のプレイヤーキャラで、違うメンバーのPTで始めてみようとか、そうなるのが普通だ。

こうして全ての物語・選択肢を体験して満足してから、たぶん次の人生物語という別の本、つまり来世に行くのかも知れない。
そもそも「来世から本気出す!」とは言っているが、もし過去に戻ってやり直せるなら、それでも私は構わない。
今の人生で、もうこれ以上能動的にコマンドを選択して懸命にレベル上げしたり、魔王討伐を目指したりする気が無いというだけであるw
どうあがいても真のエンディング、「犯人はヤス」には辿りつけない、いわゆる「ハマリ」状態なのが分かっているので、やる気が無い、惰性で終わりまで読むだけ、そうしないと次に行けないし、セーブポイントに戻れないのがリアル人生オンラインというゲームだからだ。

自殺エンドもあるのだろうが、やる気が起きない。
たぶん一度体験しているのだろうw
さすがに詰まらなくても、一度体験した選択肢を不正解だと分かっていてまた選択する気は無いw

愚痴になってしまったが、私の考える世界の真実とはこういうものだ。

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