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記者のレベルが下がった理由

新聞や新聞記者というのは多くの情報を集め、精査して導き出した真実のみを伝えるのが、本来の姿です。

しかしここ最近のマスゴミは、情報をロクに集めないし精査もしないし、酷いときは情報そのものを捏造したり、切り貼りして自分らの主義・主張に合わせて都合よく編集したりします。

だから信用されないし、すぐにボロが出るし、橋下みたいなプロの論戦家に勝てないのです。

記者会見だの定例会見だのってのは、いわば官房長官だったり地方自治体の首長だったりが、自分の描いた絵を展示しているようなものです。
どういう絵だったかを、題材や色使いや手法(油絵なのか水彩画なのか)などの情報と共に、より正確に分かりやすく伝えるのが「記事」です。
画家は何を書こうとしたのか、作品にはどういう思いが込められているのか、名作か駄作かを論評するのが、「社説」です。

しかし昨今の新聞記者は絵画を鑑賞するのではなく、「ウォーリーを捜せ」をやっているのですw
会見を行っている人は、ウォーリーを探せではなく、自分の描きたいものを描いた絵を展示しているわけで、ウォーリーなんぞ居るわけがないです。
だから無理やり似たようなものを探して、捏造して、誇張して、「ウォーリー見つけたwww」という記事を書くのです。

なぜ新聞記者は「ウォーリーを探せ」しかしないようになったのか?

始まりはおそらく、真実を伝えるのではなく、「どういう情報を報じたら新聞が売れるか?テレビを見てくれるか?」です。
新聞やテレビは、ボランティアではなく商売です。
真実を正確に伝えても、売れなければ食っていけないのです。
だから情報を面白おかしく加工したり誇張したりする。
これがそもそもの間違いだったのです。

より多くの情報を集められる人、それを精査してより真実に近いものを見出せる人より、面白おかしく伝えられる人の方が重宝され、出世するようになったのでしょう。
つまり売れる記事を書ける人、売れる番組を作れる人って事です。
真実かどうかは関係ないし、正確な分析なんぞするだけ時間の無駄ということです。

そして第二段階として、この記者失格の人間が幹部に蔓延る事によって、次第に「こういう結論を読者は、視聴者は求めてるはずだ」と勝手に決めて、それに沿うような情報を持ってこれる人、加工できる人ばかりが重宝されるようになったのです。

これ、かなり好意的に解釈してますからね?
実際は、読者や視聴者の求める結論ではなく、てめーらの政治的な思想・信条に沿うものと言っても過言ではないわけですからw

だから人の話を、まともに聞かないのです。
この人はどういう意図で言っているのか?何を言わんとしているのかというのを、前後も含めて理解しようとしないのです。
記者は人の話を「文章」ではなく、「単語」でしか聞いてません。
「悪い印象」の「単語」、つまりこれが「ウォーリー」なのですが、それだけ抜き出して使うのです。
人の話を単語で聞いているわけですから、理解なんぞできるはずもありません。
というか理解する気もないのでしょう。
ぶっちゃけ、日本語の単語を知っていれば、日本人でなくても良いわけですw

だから理論が破綻している小学生の作文以下の記事や社説しか書けなくなったのです。
論戦をすると簡単に負けてしまうし、ボロが出る、というか論戦すらできないのです。
だって文章の読解力や理解力や理論的な思考が、今の記者には求められていないですからね、雇い主から。
誰かの話を、「あ、いま○○って言った」「いーけないんだ、いけないんだwせーんせいに言ってやろwww」
って言える人の方が優秀であり、出世できるとされているからです。
たぶん小学校低学年の男子生徒に混じったら、人気者になれますよ、今の新聞記者どもはw

まぁそんなレベルに同調する、特に年配の読者や視聴者が多いのも問題なんですがねw
戦後の間違った国語教育の弊害でしょう。
間違った国語教育とは、文章読解力とか言っておきながら、評論家や先生の解釈を言い当てるクイズをやってる事です。
本来は同じ絵画を見ても、受ける印象は個人によって違うものです。
同様に国語の文章というものも、登場人物の気持ちや、ましてや作者の意図など読んだ人によって違って当然であり、みな同じになる方がおかしいわけです。
ところが日本の戦後の国語教育では、「この時の主人公の気持ちとして、正しいものを以下から選びなさい」とか「作者の意図を述べなさい」とか、特定の誰か(高名な研究者や評論家、あるいは問題を作成した先生)の意図が正解であって、自分はどう感じたのかはどーでもいいし、考える必要はないという。
国語教育におけるこの絶対的正義である、評論家だの先生だのが、大人になるとマスゴミになるわけですw
日本人は個性が無いと言われるのも当然ですし、自己主張ができないのも当然です。
だって求められてないし、否定されますから、学校教育でw

国語は数学と違って、絶対的な正解などないというのが本来の姿です。
数学はある意味ウォーリーを探せですが、国語はウォーリーなんぞ居ない単なる絵画だと言う事です。

日本の国語教育は、言ってみれば独裁国家のそれと何ら変わりません。
えらい人の言うこと、地位や名誉や権力のある人の言うことが正解であるという間違った価値観を植えつけているからです。
その偉い人だの地位や名誉や権力のある人が、戦後の日本ではまだ「大きな間違い」を犯してないから、従順な国民による世界一平和で安全な社会が実現されているにすぎません。
マスゴミの連中が偉ぶるのも、こういう理屈を知っているからでしょうかね。

ただ人間というのは、そこまで馬鹿ではありません。
子供って、「なんで?どうして?」って良く聞くと思います。
親の言うことを聞かないのは、子供の「なんで?どうして?」に答えられてないからです。
「なんででもこうしなきゃいけないの!」「どうしても何もこれが正しいの!」としか言わないからです。
はい、今のマスゴミがまさにそうですねw

体罰を否定しながら、自分たちが体罰を行っているのが今のマスゴミや反日左翼です。
口で言っても分からないと言い訳をして、相反する運動や言論を力でねじ伏せよう、弾圧しようとする。
まさに体罰以外の何者でもないでしょう。

横暴で無能な親のように、言葉の暴力を躾や体罰だと言って振るっているのが、今のマスゴミ。

新聞記者のみなさん、本来の役割を思い出して下さい。
本来あるべき姿を取り戻して下さい。
あなたがたの仕事は、「ウォーリーを探せ」をする事ではありません。
絵画をより詳細に見て、どういう絵なのかを正確に伝える事です。
どういう印象を持ったとか、作者の心情だの作品に込められた思いだのを語るのは、社説でやって下さい。
自分が気に食わない、嫌いな絵であっても展示されていた以上は、スルーしたり勝手に改変したせず、そのまま伝えるべきです。

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