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1000年前の前世の記憶が蘇った人が話題に

なんか自殺未遂をして、そのショックで前世の記憶が蘇ったとかいう人が話題になってました。

100%否定する事もできないですが、100%信じる事もできません。
なぜなら、前世の記憶があるという人はほぼ全て「前世も人間」であり、しかも時系列的に「過去」の時代に生きたというからです。

私の考える「前世」というのは、いわば「過去に読んだ本」であったり、「過去に演じた劇」と同等だからです。
この世界の主人公は「人間」ではありません。
「人間」以外の動物にも、それぞれ自分が主人公の一生の物語があるのです。
そればかりか、植物や、もしかすると「無機物」だと思われているこの「地球」や「太陽」といった星にも「意識」や「記憶」がある可能性だって否定できません。

よって、「前世」は犬だったとか、地球外の生命体だったという言う人が居ても良いはずですし、「未来」の世界に生きた記憶がある人が居てもおかしくないのです。

昔の人は地球は平らであり、果てがあると思っていましたが、実際は地球に果てはありませんでした。
ずーっと東へ一直線に進めば、最終的にスタート地点の西側から元の場所へ戻ってくるだけです。
同様に、この宇宙もずーっと一定方向に飛び出したとしても、最終的にはスタート地点に反対方向から戻ってくるだけになるでしょう。
そしてこれは「空間」だけの話ではなく、「時間」すらもそうだと言う事です。
「過去」も「未来」もすべて繋がっているという事です。
ずーっと未来に進めば、最終的には過去から現在に戻ってくるだけになると言う事です。

私はこういう考えなので、「前世」=「過去」という定義にどうしても違和感を覚えます。
また「魂」という不滅の存在が「肉体」に宿って、「人生」を「体験」して楽しんでいるだけだと思ってるので、「前世」も「人間」だったというのにも違和感ありまくりです。

もっともこれは、好みの問題であるかもしれません。
例えば、推理小説が好きで、それしか読まない人や、少年漫画が好きで、それしか読んで来なかった人には、当然別のジャンルの特徴的な話だとか絵だとか、そういうものは記憶にないでしょう。
同様に、「人間」としての「人生」を体験するのが好きな「魂」というのも居るのかも知れないと言う事です。
ただ、だとしても必ず「前世」が「過去」である事に違和感はあります。

小説や演劇や漫画でもアニメでも何でも良いですが、そういう創作物の舞台は、必ずしも「新作」は「未来」の話では無いからです。
過去の話もあれば未来の話もあるし、現代が舞台の話もある。
同様に、この世界というのは既に完成されているひとつの永遠にループする物語であるので、「時間」に縛られない「魂」が必ずしも時系列通りに「肉体」に宿って物語りを体験する必要性は無いのです。
時間が一定間隔で一定方向にしか進めないなどというのは、人間の大きな誤解なのです。

本は1ページ目の右上の文字から、あるいは左上の文字から順に読み進めていくもの。
それと同程度の決まりでしかありません。
そうしないと「本」として読めないし、意味不明になるので誰もその「規則」を破らないだけで、破ることは不可能ではありません。
同様に、この世界は動画やアニメと同じく静止した一枚絵や写真の連続で構成されていて、時系列に沿って順番にそれらを渡り歩かないと意味不明な物語になるので、誰もそうしないだけなのです。

しかし宿っていた肉体が死を迎えて、物語が終わり、魂の状態に戻った場合、次はずーっと過去に戻って別の人生を体験したって良いわけです。
何も必ずしも、次に体験するのは「現在」より「未来」の物語で無くてはならないなどという決まりは無いはずです。
そうした場合、当然「前回」の人生物語の記憶があったとしたら、それは「未来」の話である可能性もあるのです。

もっともこれらの話も、単なる私の妄想でしか無い可能性もあります。
というか、その方が大きいでしょうw

ただそれでも、「前世」=「過去」であり、性別や人種が違う事はあっても「人間」であったという変な統一性に違和感を抱かざるを得ないのです。

ラジオやテレビというのは、「電波」を読み取って映像や音声を流します。
ラジオやテレビに「意識」や「記憶」ができる機能があったら、別の固体であっても、あたかも自分の「記憶」のように思うでしょう。
同様に、人の「思い」や「記憶」が「電波」のようにこの世界に漂っていたとして、それをラジオやテレビのように読み取れる能力のある人が居たら、それを「前世」の記憶だと思っても不思議ではありません。
だから「前世」は「過去」だというなら、話はわかります。
「人間」とそのほかの動植物では、発信するこれら「思い」や「記憶」の周波数が違うので、「人間」には「人間」が発信して残した「記憶」しか読み取れない。
というのであれば、前世も必ず「人間」だったと言う人ばかりなのも納得はいきます。

でもそうだとすると、それは「前世」では無いですよね?
過去に生きた誰か別の人の「記憶」なわけですから。
それが「自分」である証明はできません。

どちらにしろ、「魂」という存在が科学的に証明でもされないかぎりは、「前世」というのはオカルトでしかありません。
あるいは「電波」のように、すぐに消えたりしない何らかの生物が発する「思念」を読み取る能力が人間にはあり、それを過去の自分の記憶だと勘違いしているという考え方のほうが、理にかなうと思います。

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