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日本の英語教育がダメな理由

英語が堪能な芸能人シリーズみたいなYoutubeの動画を見て ふと思った事がある。
日本の「学校英語」がまったく役に立たないのは、「翻訳」教育だからななのではないかと。

海外で子供の頃に生活していたり、それなりの期間の留学経験のある人は、英語が「話せる」という。
しかし日本でしか生活しておらず、日本の「学校英語」の勉強しかしなかった人は、英語が「読める」レベルには到達できるかもしれないが、英語を「話せる」レベルには決してならない。

なぜか?

まず自分たちが母国語を話せるようになった経緯を考えてほしい。
赤ちゃんがどうやって、日本語を覚えるか?
赤ちゃんというのは、両親の話す言葉を真似する。
両親が言う言葉を、トーンやイントネーションなども含めて、「音」として真似をするのだ。
そしてそのフレーズを、いろんな場面で使い、あるいは相手がどういう場面でよく使うのかを、「イメージ」として覚える。
こうして次第に、母国語が「話せる」ようになるのだ。
だから子供は親の口癖などを、そっくりそのまま多用するのだ。
ある程度年齢が進んで、親以外との会話や生活が増えれば修正はされるが、親の「物真似」が母国語マスターの第一歩である証拠であろう。

また、子供の方が外国語や方言とか覚えるのが速いというのは、大人と違って頭の中で「翻訳」をせず、イメージとしてそのまま真似したり聞いたりするからだ。
私は方言が無い「標準語」圏で生まれ育ち、海外や方言のある地域での生活経験が無い。
よって、「標準語」の日本語しか分からない。
しかし「関西弁」は問題なく聞き取れる。
なぜなら、テレビで関西弁が子供頃からよく流れていたからだ。
同様に、地方の「方言」が強い地域で生まれ育っても、標準語が聞き取れたり会話できたりするのは、学校で標準語の「国語」教育を受けたからではない。
テレビやラジオや、そういったものから「標準語」が流れていたからだ。

このことからも、日本の学校英語教育のように、母国語と英単語を1対1で辞書で引いて覚えるみたいなのは、はっきり言って「使える英語」という観点からは、まったく無意味であるのが分かるだろう。
単語の日本語での意味や、綴りや文法なんてのは、会話をする上で知っていなければならない事ではないのだ。

もちろん「会話」以外に、「読み書き」は現代社会を生きる上では必須である。
少なくとも日本をはじめとした「先進国」では、それができなければ生活に支障が出る。
なので英単語の綴りを覚える事は、まったく無駄とは言わない。
しかし「会話」をする上では必須ではない。
文法も英単語の日本語での意味もだ。

日本の英語教育は英語を日本語に翻訳する仕事を目指す人には良いかもしれないし、あるいは英語という言語を学問として何か研究したりする人向けの教育であって、英語で誰かと会話ができるようにする教育ではないのだ。

そんな事をしておいて、日本人は英語ができない。
もっと英語教育を強化すべきだ。
小学生とかのうちからやれば、日本人ももっと英語ができるようになるんじゃないかと、見当違いの議論をしている。

翻訳家や通訳を育てたいわけでないなら、根本的に英語教育を見直すべきであろう。
少なくとも、今の日本の学校英語の教育は、「英会話」をマスターした人が、更に読み書きや、あるいは翻訳や通訳の仕事を目指す場合に行うものである。

英語が使える事を、「英語が話せる」というように、まずは「会話」できるようになる事が、外国語を「使える」ようになる事の第一歩であり、もっとも重要な事なのだ。

英語の読み書きができるだけの文科省の役人や、大学の、英語や英語を学問として研究しているような専門家で議論するから、いつまでたっても「話せる」英語教育ができないのだ。

通訳・翻訳家・英語を言語学として研究する専門家を育てるための教育を止めないかぎり、日本人の英語力=英語が話せるレベルの人は増えない。
英語が「話せる」ようになって、更にステップアップをするための教育として、高校や大学などで今の「翻訳」英語教育を行えば良い。
小学校なり中学校なりでは、「辞書」を使わなければならないような授業は、止めるべき。

これが日本の学校英語教育の根本的な誤りだと思ったという話。

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