人はなぜ「装B」にあこがれるのか?
「装B」とは、アニメの海外の反応を翻訳している某サイトで知った言葉です。
日本ではあまり馴染みが無い単語でありますが、非常に便利なので覚えました。
意味としては、
本来はAランクの実力があるのに、それを隠して「B」ランクを「装」う
という事らしいです。
日本語では「脳ある鷹はツメ隠す」が最も近いでしょうか。
漫画やアニメなどではよく見られるもので、わざと弱者を装い、いざという時に「しょーがねー、本気出すか」みたいな感じで急に圧倒的な強さを見せる主人公やその他のキャラクターに対して、あるいはその振る舞いに対して「中国」のオタクの間で使われるのが、この「装B」らしいです。
ちなみに中国も含めて、日本以外では強さをランク付けでアルファベットで表す場合は、最高位は「A」です。
日本だけが、「A」ランクを超える存在として「S」を使います。
これは外国人には理解できない習慣のようです。
Sはもちろん「スーパー」や「スペシャル」など、特別や「超」という意味だと日本人は理解していますが、外国には英語ネイティブな国も含めて、そういう発想は無いみたいです。
さて全世界共通とも言えるこの「装B」に対する憧れ。
これは人間はみな、自分が圧倒的な力を持っているなどと自信を持てない事の裏返しでもあります。
全員がそうだとは言いませんが、いくら金だの強大な権力だの持っていたとしても、更にそれらを求めるのは自分に絶対的な自信が無いからです。
人類の歴史を見てもわかるとおり、「世界征服」というものを成し遂げた人間や国や民族というのは、未だに居りません。
つまり人間の力の優劣なんてものは、誤差程度のものでしかないとみな自覚しているわけです。
だからこそ、「装B」にあこがれるのです。
わざと弱者を装っていても、いざとなれば誰にも負けない最強の力を発揮できる自信や心の余裕がある人間なんてものが、この世には存在しないからです。
むしろ人間というのは、地球上の生命体の中では最弱の部類に入るものであり、それを「知能」で補ってあたかも地球上の生命体の覇者であるかのように振舞っているにすぎません。
逆「装B」とでもいうような存在です。
本来は弱者なのに、強者を装って生き残ってきたのが人類なのです。
弱いくせに威勢だけ良く、主人公を煽って一発で倒されてしまうような、典型的な「かませ犬」と呼ばれる敵こそが、現実世界の我々の姿なのですw
この「装B」は何もアニメや漫画だけの話ではありません。
例えば、大企業の社長だの会長だのが、新入社員や新人バイトの振りをして、現場を視察するというバラエティー番組があります。
ものすごい人気だそうですw
これも一種のリアル「装B」と言えるでしょうw
しかしこんな事ができるのは、人類でもほんの一握りの人間でしか無いでしょう。
大企業の社長だの会長だのと言えども、世界征服できるような金や権力はありませんし、そもそも「人間」なわけですから、不老不死ではいられませんw
だれも適わない圧倒的な力ではなく、限られた世界・組織・場面でのみ通用する限定的な「装B」です。
ご都合主義だの、非現実的すぎるだの言われてもなお、そういった物語がなくならないのは、人類にとって永遠の憧れだからです。
「魔法」などと同じように、いくら努力しても、才能があっても、金や権力を持っても、決して実現できない事だからです。
だから人は「装B」にあこがれるのです。
というのを、オーバーロードの海外の反応を見ながら思いましたという話ですw
日本ではあまり馴染みが無い単語でありますが、非常に便利なので覚えました。
意味としては、
本来はAランクの実力があるのに、それを隠して「B」ランクを「装」う
という事らしいです。
日本語では「脳ある鷹はツメ隠す」が最も近いでしょうか。
漫画やアニメなどではよく見られるもので、わざと弱者を装い、いざという時に「しょーがねー、本気出すか」みたいな感じで急に圧倒的な強さを見せる主人公やその他のキャラクターに対して、あるいはその振る舞いに対して「中国」のオタクの間で使われるのが、この「装B」らしいです。
ちなみに中国も含めて、日本以外では強さをランク付けでアルファベットで表す場合は、最高位は「A」です。
日本だけが、「A」ランクを超える存在として「S」を使います。
これは外国人には理解できない習慣のようです。
Sはもちろん「スーパー」や「スペシャル」など、特別や「超」という意味だと日本人は理解していますが、外国には英語ネイティブな国も含めて、そういう発想は無いみたいです。
さて全世界共通とも言えるこの「装B」に対する憧れ。
これは人間はみな、自分が圧倒的な力を持っているなどと自信を持てない事の裏返しでもあります。
全員がそうだとは言いませんが、いくら金だの強大な権力だの持っていたとしても、更にそれらを求めるのは自分に絶対的な自信が無いからです。
人類の歴史を見てもわかるとおり、「世界征服」というものを成し遂げた人間や国や民族というのは、未だに居りません。
つまり人間の力の優劣なんてものは、誤差程度のものでしかないとみな自覚しているわけです。
だからこそ、「装B」にあこがれるのです。
わざと弱者を装っていても、いざとなれば誰にも負けない最強の力を発揮できる自信や心の余裕がある人間なんてものが、この世には存在しないからです。
むしろ人間というのは、地球上の生命体の中では最弱の部類に入るものであり、それを「知能」で補ってあたかも地球上の生命体の覇者であるかのように振舞っているにすぎません。
逆「装B」とでもいうような存在です。
本来は弱者なのに、強者を装って生き残ってきたのが人類なのです。
弱いくせに威勢だけ良く、主人公を煽って一発で倒されてしまうような、典型的な「かませ犬」と呼ばれる敵こそが、現実世界の我々の姿なのですw
この「装B」は何もアニメや漫画だけの話ではありません。
例えば、大企業の社長だの会長だのが、新入社員や新人バイトの振りをして、現場を視察するというバラエティー番組があります。
ものすごい人気だそうですw
これも一種のリアル「装B」と言えるでしょうw
しかしこんな事ができるのは、人類でもほんの一握りの人間でしか無いでしょう。
大企業の社長だの会長だのと言えども、世界征服できるような金や権力はありませんし、そもそも「人間」なわけですから、不老不死ではいられませんw
だれも適わない圧倒的な力ではなく、限られた世界・組織・場面でのみ通用する限定的な「装B」です。
ご都合主義だの、非現実的すぎるだの言われてもなお、そういった物語がなくならないのは、人類にとって永遠の憧れだからです。
「魔法」などと同じように、いくら努力しても、才能があっても、金や権力を持っても、決して実現できない事だからです。
だから人は「装B」にあこがれるのです。
というのを、オーバーロードの海外の反応を見ながら思いましたという話ですw