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魂 の存在を信じたくなる理由

以前も述べた事があるが、バブル期の人気テレビ番組に「トリビアの泉」というのがあった。
知る人ぞ知る、日常にはたいして役に立たない無駄知識を紹介する番組だ。

その中で「ダンゴ虫は歩いていて壁などの障害物に当たると、その都度、右・左・右・左と交互に進路を変更するというものがあった。
もちろん永遠にそうするわけではなく、回数や時間が経つと、「前回どっちに曲がったっけ?」というのを忘れてしまうらしいがw
この障害物に出会った時に、左右順番に進路変更をしていく方法は、迷路などを抜ける場合などに非常に理にかなっているらしい。

まるで誰かがダンゴ虫に、プログラムしたかのようにも思えるこの現象。

これが「肉体」と「魂」が別ものであり、「魂」こそが「意識」の本体だと信じたくなる理由だ。

人間というのは、ダンゴ虫より遥かに知能が高い。
それはコンピュータで言えば、四則計算しかできない電卓と、スーパーコンピュータの違いのようなものだ。
あるいはもっと差はあるかも知れない。
だから人間は、あたかも「自由意志」のようなものがあり、考えも行動も千差万別で、一人として同じ事をする人間は居ない。
しかし実際は、人間自身でも解明できない緻密な計算とプログラムによって、動いてるだけだということだ。

つまり「意識」なんてものは、所詮は高度なプログラムによって生み出された「まやかし」であって、人間死んだらそれで終わり。
綺麗さっぱり、意識も何も消えてしまう。

それを示唆しているのが、このダンゴ虫の習性なのだ。

人間が「死」を恐れるのは、死ぬときはすごく痛かったり苦しかったりするからではない。
死んだ後にどうなるのかが、分からないから怖がるのだ。
その恐怖をやわらげるために生まれたのが、宗教や神や天国や地獄だと言っても過言ではない。

人間は死という概念を理解できるまでに知能が発達してしまったために、新たに死の恐怖というのを地球上の生命でもっとも大きく持ってしまったと言っても良い。
だから「不老不死」を求める。
古代はオカルト的な伝説や方法を追い求め、現代でも医学などで、不老やなるべく長く生きられる方法を模索しているのがその証拠だ。

人間は、自分という存在がいつかは消えてしまうという事実に、精神が耐えられないわけだ。

「魂」の存在について、いろいろ私が考察するのも、結局のところ精神が耐えられない事の逃げの一種であるわけだ。
もちろん、「魂」なんてものは無いとも「証明」されたわけではないので、すべて妄想に逃げているだけと言い切れもしないが。

人間の意識や思考というものを、完全に解明するのは、恐らくAIでも無理だろう。
なぜなら、知能というのは同等以上の存在や事柄は決して理解できないという「真理」が存在するからだ。

人間というのは「理解」できない事も、「恐怖」の対象となる。
死に対する恐怖も、この「理解できない」「分からない」が故に恐怖するとも言える。

どんなに仲が良くても、どんなに近しい血縁でも、相手を完全に理解できるなんて事は無い。
相手を完全に理解できないという事は、そこに「恐怖」が生まれる。
だから「友情」だの「愛情」だのって言葉を作って、自分を騙して「恐怖」を和らげているのだ。

ペットなどが人間に「癒し」効果を与えるのは、人間より劣る知能しか持たない存在であるため、理解しやすいからだ。
三次元の女なんて糞だ。
二次元嫁こそ至高というオタクの心理も、二次元のキャラクターは「理解」しやすいからだ。
三次元のリアルの女の子と違って、見た目や言動に「裏表」が無く、心の奥底では何を考えているのか分からないみたいな部分が一切無いからだ。
つまり「怖く」ないのだよ。

ロリコンなども同様の理屈が通る。
幼児というのは、大人と違って、まだ「思考」が未熟である。
好きなものは素直に好きという言うし、嫌いなものは素直に嫌いという。
ペットなどの動物に近い。
だから理解しやすく、その分「恐怖」を感じない。

しかしながら、それは幻想でもある。
後天的に作られる行動原理のプログラムが、まだ未完成であり、学習中であるだけで、知能というCPUの性能は大人と変わらない。
だからこそ、幼少の時にしか愛せずに、年齢が上がるにつれて「恐怖」を感じる瞬間が増えるために嫌いになっていくのであるw

何の損得感情もなく、たとえ世界中が自分の敵になっても、たとえ病気や怪我で手足をなくしたり、顔の形が変わって醜くなっても、あるいは肉塊になっても、絶対にこの人だけは自分を愛し続けてくれる。
そんな思える人に出会えるのは、非常に稀である。
釣り馬鹿日誌かなんかで、主人公の奥さんが主人公と結婚するか否かを決定する時に、「この人が障碍者になっても、見捨てずに最後まで愛せるだろうか?」と自問したという話があったのだが、単なる漫画でありながら非常に哲学的で真理をついた台詞だと思って、印象に残っている。

あるいはこれも漫画の話で申し訳ないが、「マスター・キートン」という某人気漫画家の人気作品のひとつにも、「あなたが奥さんも自分を心の底から愛していたというのは、単なる幻想かもしれないよ」というような台詞が出てくるが、それも上述した事と同じだ。

つまり人間の思考や意識や意思なんてものは、しょせんは高度な脳内プログラムによる計算処理の結果であって、そこには本当の意味での、損得勘定を越えた愛なんてものは「無い」というのが事実かも知れないのだ。
そしてそれを受け入れられるほど、人間は賢くないし強くない。
だからいろいろ屁理屈を考え、「愛」だの「友情」だのという単語を作って、誤魔化しているのだ。

そんなものを信じられる人間というのは、よほど環境や運に恵まれた人生を送って来れたか、あるいは知能レベルが低いかのどちらかだと言える。
主人に忠義を尽くして死ぬ兵士や、自分の身を犠牲にして愛する人を助ける話などが賞賛されるのは、綿密な計算の結果で動いているだけのロボットであるという事実を受け入れたくないからとも言える。

ログ・ホライズンで、イズモ騎士団が、「お前らは作られたプログラムだ」という事実を突きつけられて、精神が耐え切れずに消滅したり永遠の眠りという「逃げ」に入ってしまったりしたという設定があるが、これは非常に理にかなっている。
なぜなら、イズモ騎士団の姿は我々リアルの人間にも起こりえる事だからだw
ある日突然現れた、自分たちの知能も能力も超える「神」と呼ぶに相応しい「存在」が現れて、人類に「お前らは俺らが作ったロボットだよwww」「意識?wwwそんなんプログラムが作った幻想だよwww馬鹿じゃね?」とか言って、それが真実であると証明するような何かを見せ付けたとしたら、恐らく人類の大半は精神が耐え切れずに狂ったり自殺したりしてしまうだろうからw

これに耐えるには、「魂」という存在を信じるしかない。
確かに「肉体」は単なるロボットかもしれないが、そこに宿っている「意識」の本体である「魂」という永遠不滅の何かが、絶対にあるんだと信じる事で、精神を安定させ、恐怖を取り除く事ができるからだ。

自爆テロを行うような人間の思考と、基本的に同じなのだよw

「洗脳」というのは、自分の遺伝子を後世に残すというもっとも最優先されるべきプログラムの「方針」を、無理やり捻じ曲げ、改変する事なのだ。
主人に忠義を尽くして死ぬ、誰かを守るために自分を犠牲にするというのも、この「改変」が働いたか、さもなくば何らかの不具合やおかしな計算処理によって、自分より主人や守りたい誰かの遺伝子を残す方が、自分の遺伝子を残すより良いという計算結果が出てしまったためなのである。

ちなみに親が子を命がけで守るのは、これとはまた異なる。
なぜなら自分の「子供」というのは、自分の遺伝子を継ぐものであり、どうがんばっても自分の方が先に寿命などで死ぬのは、普通に考えれば確定であり、故に自分の遺伝子を守るより、自分の遺伝子を継ぐものを守る方が優先順位が高くなるのは当然だからである。

カマリキのオスは交尾後にメスに食われるのが分かっていても、逃げたり抵抗しないのも、サケが産卵のために全体力を消費して川を上るのも、全てはこの「自分の遺伝子を後世に残す」というのが、全生命が最も優先すべき唯一の目標である事の証拠でもある。

すべての生命のすべての行動は、これが原理になっているのである。
人間は知能が高く、いかにその目標を達成するのに最適な行動をするかの計算処理プログラムが非常に複雑かつ精密であるために、あたかも「意識」や「自由意志」などというものがあるかのように見えるだけなのだ。
人間より何倍も、何百倍も高い知能を持つ生命が居たら、恐らく人間には「自由意志」や「意識」などない、魂など宿ってない単なるロボット、人間から見たダンゴ虫のごとく見える事だろう。

これが「魂」を信じたくなる理屈なのだ。

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