2ntブログ

心霊ちょっといい話系のまとめ

私は100%ではないが、魂とか霊とかは存在すると思っている。

この世と言われるリアルの我々の世界は、原初の魂というか全知全能・不老不死の本当の神とでも言おうか、そういうものが居て、それが暇をもてあまして作ったものであると。
しかしこの「世界」という作品を完成させたところで、また暇になってしまった。
そこで自らを細かく分けて、自分が作った作品の中に送りこんだ。
これが「魂」であり、だから日本では万物に魂が「宿る」という言い方をするのではないかと。

よってこの世は世界を作った原初の神によって、その行く末というかシナリオというか台本までもがある、ひとつの物語であると思っている。
我々は、様々な生物や、あるいは無機物にも宿る事ができるのかもしれないが、それに宿って決められた台本に沿って劇を演じているだけなのではないかと。

たとえば人間に宿った場合、それは「人間」という着ぐるみに、魂という本体が入ったような状態だ。
従って視野は狭まるし、動きも鈍くなる。
だから世界の一部しか見えないのだ。
霊が見えるという人は、きっと着ぐるみの目の部分が他の人より大きく開けられているか、さもなくばどっか破れていて、そこから着ぐるみを着た状態だと普通は見えないものが見えるのではないかと。

この劇を見ているのは、魂の状態で何にも宿ってない、いわゆる幽霊とか、あるいは神様とか言われるものだろうと。

しかし最近また新たに思う事ができた。
それは観客であり、劇の台本に従う必要が無い完全に自由であるはずの魂も、実は何らかの役割を与えられて、台本に沿って行動しているのではないかと。
これが、悪霊だったり神様だったり、守護霊だったり、そういうものなのではないかと。

悪霊になってしまう人ってのは、本来は着ぐるみが壊れた=死んだら自由な存在である魂に戻れるはずが、その後悪霊としてしばらくこの世に存在するという役割が設定されていて、それで仕方なく着ぐるみを脱いだ後も劇を続けているのではないかと。
神様とか守護霊とか言われる存在も同様に、そういう役割を与えられて演じている着ぐるみを着てない役者なのじゃないかと。

また劇である以上は、役者以外にも様々な役割の人が必要だ。
大道具とか証明とか、あるいは監督なんかも必要だ。
よく産まれる前の記憶がある子供が、神様のような存在に導かれて、両親を決めさせられ、そして神様の指示で赤ん坊として産まれるために現世に降りてきたみたいな事を言う子が多い。
ここでいう、産まれ先を決めさせる指導者みたいな神様というのは、実は監督とかそういう役割を与えられた魂ではないかと。

幼稚園とかの劇でもそうだが、先生とかが居ないと、みなあれやりたい、私もそれやりたいといつまで経っても配役が決まらないw
現世に産まれてくるというのは、リアル人生物語において、どんな人物を演じるのかというのを決めるのと同じ事で、当たり前だか2つの異なる魂が1つの人間という着ぐるみに入る事はできない。
なので監督なのか幼稚園の先生なのか、そういう役割を与えられた魂が居て、それがうまく役を割り振っているのではないかと。

小さな子供や霊感のある人が、神様を見たとか、あるいは霊感が無くてもなんか守護霊的なものに守られたとしか思えないような体験をしたとかある。
私はそんな体験は残念ながら一度も無い、少なくともそう認識できた記憶は無いが、それは私という人間にはそういうものが付いているという設定になっていないのだと思っているw
人間にはほぼ全員に守護霊というものが、必ず付いていると言う霊能者も居るが、それだと役者の数が足りなくなるのだろう。
だから居ない人も居るし、それも台本のうちだと思う。

いくつか魂の自由意志で、選択枝を選べる場面はあるのかも知れないが、基本的に台本に無い行動はできないし、未来というのも既に台本に書かれていて、存在しているものだと思っている。
選んだ選択肢によって、アドベンチャーゲームのように違う未来の台本を演じる場合もある。
そのときに、間違った台本を読んでしまったのが、異世界に行ったとか平行世界・パラレルワールドに迷い込んだ、あるいはそういう所から来て帰れなくなったとかって現象なのだろうと。

タイムリープは、そういう人生を送るという台本になっていたわけで、別に怪奇現象でも超能力でもない。
ここまで人生を歩んだら、何年前に戻って「うわ、なんか知らんが過去に戻った!なんだこりゃ!」と驚く演技をしなさいと台本に書かれているのだw
そういう台本が用意されてない人は、いくらがんばってもタイムリープなんて出来ないし、そういう台本がある人は、望まなくてもそういう目に会うんだろうなぁと。

つまり心霊ちょっといい話系も、そう考えれば、必ずしも嘘乙では片付けられないだろうと。
この世の不思議は、全て辻褄が合う解説が可能なのだと。

科学的では無いと言うかも知れないが、では科学ってそんなに信用できるんかと。
本当に科学を人は理解できているのかと。

よく子供の「なんで?なんで?」という対応不可能な攻撃にあった話も聞く。
「なんで?なんで?」に答えられないのは、われわれの信じている科学というのは、その程度の説明しきれないあやふやなものであり、あるいは人間がその程度しか理解できていない不完全なものという事だ。
物をはなんで落ちるの?
重力があるからだよ。
重力ってなに?
物が地球に引っ張られる力の事だよ。
なんで地球に物が引っ張られるの?
よくあるのがバケツに水を入れて、ブンブン振り回しても水が落ちない。
これが引力とか重力とか言われるものだよって説明があると思うが、じゃあなんでそうやると引力とか重力が発生するの?って言われたら、私はここで「そういうものなんだよw」しか答えようがない。
それで小さな子供は納得しないだろう。

これが我々が信奉する科学の正体であり、現実なのだw
だから科学的ではないと、全てを嘘乙で否定する事は、私は正しいとは思わないのだ。

どう生きようと、どうがんばろうと、未来は既に決まっていて、複数の候補があるかもしれないにせよ、台本に無い事はできないのだ。
そしてアドベンチャーゲームのように「正解」とかトゥルーエンドとかバッドエンドの区別も無い。
そもそもそれらは、製作者の「主観」によって決められたものであって、この世界を作って脚本を書いた、人間でない存在と必ずしもその「価値観」が一致するとは限らないからだ。
幸せな人生だった、不幸な人生だった、満足して死んだ、未練を多く残して死んだ、どっちが良いか悪いか、そんなもんは人間が勝手に思ってるだけで、真実ではないのだ。

コメントの投稿

非公開コメント

カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR