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高木豊さん、Youtuberになるw

今ではプロ野球自体にそんなに興味が無いが、私は子供の頃からずっと横浜(当時は大洋ホエールズ)のファンだった。

なぜ大洋のファンになったかと言えば、プロ野球というものを初めて知った頃に、どこを応援すれば良いのか分からなかったので、親に「地元のチームはどこか?」と聞いたところ、「大洋ホエールズだ」と言われたから、以来ずーっとファンなのだw

ちなみに当時は、横浜ではなかったが、ロッテオリオンズも川崎球状を拠点にしており、地元といえば地元であった。
なのでパ・リーグでファン球団を決めろと当時言われていたら、たぶんロッテになっていたと思う。

さて私が子供の頃の、プロ野球に熱中しはじめた時代の当時の大洋ホエールズで、一番好きだった選手といえば、「高木豊」さんだ。
万年Bクラスの弱小チームにありながら、唯一新聞に毎回名前が出る選手で覚えやすかったというのもある。
なぜ毎回新聞に名前が出るかと言えば、打率ランキングで常にトップ10に大洋の選手で唯一入っていたからだ。
当時の新聞のスポーツ欄は、プロ野球の試合のあった日は、各試合の結果とともに、打者・投手ランキングを必ず載せていた。

そう、高木豊といえば3割打者の代名詞なのだ。

また「不遇」であった事も、応援したくなる要因であった。
3割以上毎年打っていながら、減俸を提示されて調停にまでもつれ込んだり、弱小大洋を一人で支えてきたと言っても過言ではないのに、チームの若返りをはかるからと、いきなり戦力外通告されてクビにされたり。

高木豊さんは、野球の技術はもちろんだが、その優秀な「頭脳」の方に球団はむしろ期待していたのだ。
将来はフロントに入ってコーチや監督はもちろん、更にその上の経営陣の幹部になる事さえ望まれていた。
だがこの戦力外通告で、それも絶たれてしまった。
ドラフト外で入団し、大洋ホエールズ一筋で、クビにされても決して他の球団に行かなかった。

そんな大好きだった高木豊さんが、最近ふとした事からYoutubeをやってるということを知った。
私が子供の頃には、既に「おっさん」(笑)だったが、更に老けたというのが第一印象だった。
当たり前だ。
当時子供だった私が「おっさん」になってるわけだからw

でもあのやさしそうな目はそのままだった。
頭が薄くなり、皺も増えたが私が現役時代に、憧れ、応援してやまなかったあの「高木豊」がそこに居た。

球団と喧嘩別れして、捨てられたも同然なのに、その後に横浜ベイスターズのコーチもやったらしい事も知れた。
まじで「良い人」すぎるでしょ、高木さんw
でも大洋ホエールズの時代から、一途に愛し続けてきた球団の、名前は変わってしまったが後継である横浜ベイスターズに、コーチとして戻れて、本当に良かったとも思う。

横浜ベイスターズとなって、初優勝までした、高木豊と引き換えに主力となった当時の若手メンバーの中には、大リーグに渡った斉藤隆や大魔神佐々木、あるいは中日へ移籍してそのまま監督までやった谷繁など、見方によっては「裏切りもの」(笑)も多い中で、やはり大洋一筋だった高木豊さんの功績は光るものがある。

高木豊さんのYoutubeのチャンネルには、優勝時代の「左のエース」だった、最多勝投手の野村もゲスト出演していた。
野村さんは、あまり当時と変わらなかったw

そんな感じで、当時を知っていればだが、非常に面白くて懐かしい高木豊さんのYoutubeチャンネルは是非おすすめ。

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