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人生のピークは小学校5年生~中学卒業までだった

Youtubeでナツメロを聞いていて、ふと思った。
私の人生のピークは小学校5年生~中学卒業までだったと。

この時代、高度経済成長が最高潮に達し、バブルに入っていた時代。
ガキんちょが夢中になったテレビや歌謡曲などのメディアが、一番元気で、ジャンプも黄金期、その他の産業も最高潮に達し、MADE IN JAPANが世界を席巻していた。

さて、人の記憶は音楽によって呼び覚まされる事がよくある。
だから懐メロというのは人気があるのだ。

その曲を聴いていた時代の映像記憶はもちろん、気持ちというか感情までが再現される、不思議なものだ。

さて、私が当時一番よく聴いていたのは、「おにゃん子くらぶ」だw
当時も本当に下手糞だなぁwwwと思っていたが、酷いのは音痴なだけじゃなく、レコードもひどかった。
当時はまだデジタル技術がなく、音痴な歌手をなるべく上手く聞こえるように細工するには、アナログ編集技術が必要だった。
その編集技術も、とにかくバブルでレコード(途中からCD)出せば売れる時代で、たぶん編集する人手が不足していたんだと思う。
特にポニーキャニオンはひどかったw
私はおにゃん子の中でも、「うしろ指さされ組」が一番好きで、当時人気の漫画原作アニメであった「奇面組」のオープニングにも使われまくった事があり、とにかく好きだった。
でもレコードが酷い。
どう酷いかと具体的に述べれば、音が歪みまくっているのだ。
音痴な歌手の音程を伴奏の音程と合わせるには、アナログの場合は再生速度を変えるしかない。
そのせいで、不自然にスピードが細かく変化する、うねった音になってしまっている。
これでよく製品化したと思うw

ただ音痴揃いの「おにゃん子」の中でも、稀にすごい上手いのがいた。
「河合その子」とかだ。
あの人のレコードは、今聞いても音のうねりは無い。
なぜなら、音程を合わせる必要が無かったからだろうw

また「おにゃん子」ほど酷くはなかったが、あまり歌が上手くなく、単に「かわいい」だけで歌手やってたアイドルの中にも上手い人は居た。
代表的なのは「中森明菜」だ。
「山口百恵の再来」とまで言われた。
それと当時は下手糞とか言われてたが、「松田聖子」も実はそんなに下手じゃない上に、独特の声色があり、歌手として今でも活躍できている。
歌が駄目な奴は、その後は女優とかに転向するからね。
未だに「歌手」として活動できる人は、たとえテレビとかに出て無くても「本物」だと思う。

それと学生時代に合唱部だったからか、比較的上手かったのが、「薬師丸ひろ子」。
彼女は曲自体もよい物が多く、おすすめだ。

いま、海外ではこの頃の日本の歌謡曲のうち、アイドルではなく数少なくがんばってたシンガソングライター系の「シティポップ」というのが人気だそうだ。
代表的なのは、山下達郎とか松任谷由美とかだろうか。
山下達郎といえば、「クリスマス・イブ」が有名な曲なので、だいたいシティ・ポップというのはどういう曲のジャンルか分かると思う。

それ以外にも男の歌手なら、C・C・Bとか好きだった。
あと杉山清貴&オメガトライブとかw

あと中学後半ぐらいに、槇原敬之もデビューした。
今でも覚えてるが、彼のデビュー曲である「どんなときも」は、当時CD1枚買ったら終わってしまう糞貧乏だった我が家の小遣いで買った数少ないシングルCDのひとつだw
そのぐらい衝撃を受け、好きだったのだ。
出せば売れる時代にあって、この人は本物だと思った。
そして、それは間違いではなかった事は証明されたわけだがw

まぁ本当に当時は良い時代だった。
ガキなりの悩みや苦しみも確かにあった。
だが、未来に希望や夢が溢れていた時代だった。
「これはすごい」ってものが次から次へと生まれた時代でもあった。

たぶんあの時代に、中学生ではなく、もうちょっと上の大学卒業して就職ぐらいの年代なら、それなりの企業に入社し、バブルが弾けて不景気になっても、何とか生き残って普通に家庭を持って、今頃は普通に孫を持つ爺ちゃんになっていただろう。

本当に運がないw

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