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幼稚園に通ってた時の事、覚えてるか?

という話題がネットにあがっていた。

私はかなりのおっさんだが、未だにいくつかは覚えている。

・雨が降ると敷かれたゴザ
うちの幼稚園は校庭というか、お庭というか、そこの水はけがものすごい悪かった。
なので雨の日は泥だらけになってしまうので、門から幼稚園の教室の建物までの間に、ゴザが通路のようにひかれて、それで泥んこにならずに教室まで辿り着けるようにしていた。
そのゴザを踏んで歩くのが、すごい嫌だった記憶がある。
これは日本人の遺伝子に刻まれてるのでは?と思われるぐらい、靴で畳やゴザの上を歩くことに非常に抵抗を感じる習性のためだったんだなぁと、大人になって改めて思った。

・授業中に迷子になったw
うちの幼稚園は、東京で言えば八王子のように、もともと山ばかりの田舎だった地域を、高度経済成長期のベッドタウンとして切り開いた所にあったので、昭和の当時はまだ山が結構残っていた。
ある日、みんなで裏山を散策しましょうとかいう授業(?)があったのだが、なぜか私はひとりはぐれて迷子になってしまった。
迷子といっても、幼稚園の裏山であり、幼稚園の建物も見える位置だったため、問題は無かったのだが、「あれ?いつの間にかみんな居ない」とあせって幼稚園の建物に戻ってみたけど誰もおらず、仕方なくしばらくその辺を探し回っていると、いつの間にかみな戻ってきた。
園児が一人、居なくなってるのに気づかないとか、なんてずさんな先生達だと、園児心に思った覚えがあるw

・ちゃいるどぶっく
園児向けの雑誌のようなもので、チャイルドブックというのが毎月(?)幼稚園からもらえた。
それが楽しみだった覚えがある。

・うんこ漏らした友達
お遊戯かなんかやってた時に、一緒に踊ってた男の友達の足元に、かりんとうのようなものが転がっていた。
そいつは、足で蹴ってそれをどっかへやっていたが、後にそいつがうんこ漏らしてた事が判明したw
いやまぁ、うんこの欠片っぽいなぁとは思ったけどさw
性格はおとなしかったが、結構なイケメソだった子で、「こんなイケメソでもうんこ漏らすんか・・・」と思った覚えがある。

・スカート覗き見
たぶん健康診断の時かなんかだと思う。
私は某民族の血でも入ってんじゃないかと思うほど、性欲が子供の頃から強かった。
まぁ別に犯罪おかすほどじゃないけどね。
んで、健康診断なので女の子はみな上半身裸でスカートだけはいてるという、非常にエロい格好だったのに妙に興奮して、スカートの中をむしょうに見たくなり(笑)、健康診断表を落として、それを拾うふりをして一生懸命スカートの中を覗こうとした記憶があるw
今やったら、ロリコンどころかペドであるが、当時は自分も幼稚園児だったので、セーフであろうw
ちなみにパンツが見えたかどうかの記憶は無いw

・野ぐそしてた女の子
これは幼稚園の外、家に帰って遊んでる時の思い出だが、団地の1階のベランダの下という、あまり周りからは見えない場所を通りがかった時に、同い年かひとつ下ぐらいの、わりとかわいい顔をした女の子が、野グソしてたw
今ならロリもののエロ漫画でありそうなシチュエーションを、実際に目にしたわけだ。
もちろんエロエロ魔人だった私は、近づいてじっと見たかったが、エロいくせに気が弱いヘタレだったので、気づかないふりして通り過ぎた。
そして、しばらく時間を置いてから、その現場をもう一度見に行ってみた。
女の子はもう居なかったが、そこにうんこがやっぱりあった。
なんか未消化の人参の欠片みたいのが、混じってたのを妙に覚えてるw
さすがに、見ただけで触ったり匂ったりするほど変態ではなかったので、それだけだがw

・ちこしま先生
どういう漢字なのか覚えてない、ってか幼稚園児では分からないが、「ちこしま先生」という名前の先生が居た。
みんなから「ちこく先生」とか言われてた覚えがある。
別に特に遅刻してたわけじゃない。
ただ珍しい苗字で印象深いのと、子供は残酷なので(笑)、すぐにそういう珍しい苗字を面白がったりしたなぁという思い出。

ちなみにうちの幼稚園は、先生が若くて美人な方が多かったように思う。
自分の母親より明らかに若くて綺麗な人ばかりだなぁと、エロ魔人だったので、余計にそう思ったのかも知れない。
なお園長先生は、優しそうな顔の、メガネかけた白髪のおじいちゃんだったw

・肺炎
幼稚園の時に、肺炎にかかって1ヶ月ほど入院して休んだ事がある。
当時の私は体が弱く、しょっちゅう風邪ひいたりちゅうじゅ炎になったりしていたのだが、ついに咳が止まらなくて風邪かと思ってかかりつけの病院に行ったら、顔なじみのおじいちゃん先生が「あー、こりゃだめだ」「すぐ入院、タクシー呼んで」と、そこから即日入院した覚えがある。
別に死ぬほど苦しかった覚えはないのだが、親は修羅場だったと思うw
修羅場だったであろう親とは正反対に、むしろ自分は人生初の入院というイベントにワクワクしていた。
小児病棟のある、電車で2つか3つぐらい離れた場所の総合病院に入院した。
子供だけの大部屋で、当時数少ないながらやっていたアニメ番組を、思う存分見れる事が嬉しかった覚えがある。
まだ小さい子供ばかりの部屋だったので、親とかしょっちゅう見舞いにきていた。
その度に大きなおもちゃとか貰ってる子とかもいて、羨ましかった覚えがある。
また親がそろそろ帰るっていう段階になると、帰っちゃやだと泣き出す子が多かった。
私はといえば、親によると、「お前は他の子たちが、親が帰ろうとすると泣き出すのに、テレビに夢中で、泣かないどころか、帰るって言ってるのに振り向きもしなかった・・・」と後に言われたw
当時の心情をわずかながら覚えているが、もう一生会えないわけでもないのに、なんでそんなに泣くのか理解できないと思ってた事は覚えている。
テレビも好きなだけ見られて、怖い親に怒られる事もないし、面倒な幼稚園に通わなくても良いし、天国のような場所だと感じていたしw
年の割りに妙に大人びていたのかも知れない。

ちなみに、隣りのガキんちょが(当時は私もがきんちょだが)、自分の薬が苦くて嫌だったのか、私の薬を私だと偽って飲んでしまった事がある。
私の所にそいつの薬を持ってきた看護婦が、「え?あなたが○○君なの?」と驚いていて、「もう、しょうがないから××君が飲むはずだった薬を今日は飲んで。」「××君、今度うそついたら承知しないからね」とか言って、飲まされた覚えがある。
今から考えると、他人の薬とか飲ませて大丈夫なのか?と思うがw
まぁ生きてるし、そんなに強い薬じゃなかったのかも知れんが、あの人、看護婦として失格だろw

・おじいちゃん
母方の祖父母は家が割りと近く(といっても車で30分はかかる距離だが)、1月に1回は祖父母宅に家族で出向いていた。
ある時、うちの親父が爺ちゃんの事を「お父さん」と呼んでいる事に気づいた。
なぜ「おじいちゃん」なのに「お父さん」とお父さんは呼ぶのだろう?
もしかして、大人はお爺ちゃんの事を「お父さん」と呼ぶのが常識なのかも知れない。
とか、子供独特のとんでも理論を思いついた記憶があるw
もう幼稚園の年長で、大人だし、俺もお爺ちゃんの事はお父さんと呼ぶべきではないか?
とか思って、一度だけ爺ちゃんにむかって「お父さん」と呼んでみた事があるが、反応したのはお爺ちゃんではなく、親父だったw
それからはやってないが、あの一度だけでよかったと大人というか仕組みが分かってから思ったw

・家計簿
うちの母親は小まめな人間で、きっちり「家計簿」を付けていた。
当時はまだパソコンなんて無かったので、買い物から帰るたびに食卓に座ってノートになにやら難しげな文字や数字を書き込んでいるのが、すごくかっこよく見えて、真似をしていた覚えがある。
まぁ広告の裏に謎の文字を書き連ねていただけだがw

・コンバトラーV
世代がバレるがw
当時テレビでやってた合体ロボットものの傑作である、「コンバトラーV」がすごく好きだった。
何故かは分からないが、あの合体シーンに非常に惹かれた。
近所の友達が、その「コンバトラーV」の超合金のおもちゃを持っていて、めちゃくちゃ羨ましかった覚えがある。
あの時に感じた、乗り物が合体してロボットが完成するという、なんとも言えない感情を持ち続けていれば、今頃は工学部に進んで、ロボット工学の仕事をしていたかも知れない。

なお大人になった現在は、Youtubeなどで当時のコンバトラーVの合体シーンとか見ることができるが、見ても懐かしさは感じるものの、当時感じたかっこいいとか気持ちいいとか興味深いとか、そういう感情は湧き上がってこないw

うんまぁ幼稚園ぐらいの記憶って、結構のこってるねって話。

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