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声優という職業の進化

今期の、いや今シーズンの最高傑作アニメではないかと言われる、大人気の「かぐや様は告らせたい」。
このアニメはストーリーの面白さという、もともとの原作の力に、原作絵に忠実にして丁寧に書かれ、崩れない作画、原作の雰囲気をうまくアニメとして再現した優れた演出や脚本によって、稀に見る最高品質の原作漫画アニメである。

そして、これらの中でも特に光るのが、「声優の演技」である。
主要人物の中には「新人」さんも居るらしいのだが、それらはもちろん、ナレーターに至るまで全てが「声優」として完成された、というか正に声優の演技とは、こういうものだと完成させたと言っても過言ではないぐらい、素晴らしいのである。

もともと「声優」という職業は、日本以外には存在しない。
海外などでは、「声優」はドラマや舞台の役者が兼業するのが普通だ。

しかし、テレビドラマにはテレビドラマの、舞台には舞台の、それぞれの演技の仕方がある。
同じ役者でも、テレビドラマや映画と、舞台では演じ方がまったく違う。

これは、たとえば舞台劇だとマイクも基本的に使わないし、最前列の観客と後ろの方の観客席からでは見える役者の大きさが違うため、不自然なほど大きな声ではっきりと、しかも動作も台詞も「わざとらしい」ぐらいに大げさにする。
そうしなければ、伝わらないからだ。
電車のアナウンスが、みな「哀川翔」の物まねをしてるかのようなしゃべり方なのも、性能の悪い昔のマイクでは、そういうしゃべり方をしないと音声が聞こえにくかったからだと言われている。

このように、同じ演じる・喋る職業でも、環境によって演じ方がまったく違うのが普通なのだ。

しかし「声優」にはそれが今まで、はっきりとは無かった。
特に「声優」という職業が存在しない、兼業ばかりの欧米では、日本のアニメに触れた人達には評判がすこぶる悪い。
プロの役者であり、ドラマや映画ではアカデミー賞を取るような名優でも、声優をやらせるととたんに感情のこもってない、大根役者のような声の演技しかできない、そういう風にしか聞こえないからだ。
その点、「声優」が職業として確立していた世界でも珍しい日本においては、素人はもちろん、普段はドラマや舞台で役者をやってるプロが、たまに声優をやると、棒読みに聞こえて仕方ないというぐらい、差が出るほど「声優」独特の演技力というかやり方というのがあった。
そして、「かぐや様は告らせたい」に見えるように、ここ最近のアニメは、海外からの注目も高く、売り上げや作品数についても、急成長し続けている事が原動力になっているのか、さらに「演技」に磨きがかかったものが多い。
そういう「声優」が多くなってきている。

ただ台本に書かれた台詞を、間違えずに絵に合うような絶妙なタイミングで、しかも視聴者が聞き取りやすいようなはっきりとした発音で、それなりの感情が視聴者に伝わるようにやれば良いというものではないし、それだけでもかなり難しい。
それに「根暗でボソボソ喋る」などのキャラクター演出などは、視聴者が聞き取りやすいよう、はっきり発音して喋るというのとはまったく正反対の演技も求められる事があるなど、それだけ見てもほぼ不可能と思えるほど困難で高い技術、独自の方法が必要な事がわかる。
それができていただけでもすごい事なのだが、ここ最近はさらにその演技力に磨きがかかって、進化しているのだ。
もうすでに、他の国の「なんちゃって声優」や演技力が高く評価される他のドラマや舞台の役者と違って、注目度も認知度も遥かに劣るにも関わらず、誰が聞いてもまったく「違う」とわかる、上手さの差がモロに出るレベルまで「声優」という職業を昇華させていたにも関わらず、さらに「すげー、進化したなぁ」と視聴者を感心させる。
それが日本の新しい「声優」層のすごいところ。

日本人はもともと、物事をとことんまで突き詰める、完璧主義者と海外からは言われるが、まさに「声優」もそうだったという事だ。
表情や身振り手振りなどが一切使えず、「声」だけで全てを表現し、伝えなければならない「声優」。
他のドラマや映画と違い、オーバーすぎるほどの喋り方をする。
この辺は舞台俳優の演技、たとえば「宝塚」などと方向性は同じだ。
中身はまったく違うがw

ここ最近の声優の進化は、この「オーバーな喋り方」が「オーバーに聞こえない」「ごく自然に」「普段の生活でも、街中でも、友達にもこういう喋り方の奴いるわw」と思わせるような「演技」が増えた点にある。

「オーバー」なんだけど「オーバー過ぎない」、感情が異常なまでに篭った喋り方なんだけど、篭りすぎてない自然な喋り方に聞こえる。

これが「かぐや様」の「声優陣」に感じた、私の「すごいなぁ」と思った点。

そして、ただでさえ完成されていた「声優」の演技というものを、更に一段階昇華させたと感じる点だ。

「かぐや様」の感想を述べている掲示板やサイトや、あるいはニコ動などのコメントでも多く見られる、「石上会計」の声優の演技。
彼はまだ二十歳そこそこの、新人でありながら、ベテラン声優にもできないような「こんなしゃべり方の奴いるわw」「こんな言い方しそうw」という視聴者に共感というか、不自然さを感じさせない素晴らしい「演技」をする。
非常に評価が高い。
かつて日本の歌謡界が絶頂期のころに、歌唱力というのを忘れて「顔の良さ」だけで歌手を名乗る「アイドル」というのが生まれた。
それが人気を更に高める一因にもなったが、同時に歌という芸術のレベル低下にもつながった。

声優界も、歌謡界と同じ現象が起きていた。
本来「顔出し」はNGなはずなのに、「アイドル声優」なんてもんが多く登場し始め、「声優」という職業が注目され、人気を上げる一因にはなったが、肝心の声優としての演技力の低下が起きる危機もあった。
しかし「声優界」はそうならなかった。
なぜだか、アイドル声優の声優としての演技力は及第点以上の人が多かった。
同じ「アイドル」でも「アイドル歌手」みたいな歌が下手糞な、「それ、歌手って名乗ってて恥ずかしくないの?」ってのは、出てこなかった。
不思議なものであるw

「声優」とは、アニメーションという近現代の技術によって、はじめて実現できた新しい「芸術」である。
従って、「声優」の歴史も、他の演技系の「芸術」とは比べ物にならないぐらい短い。
しかし、短期間でここまで「声優」という独自の職業の確立、演技の進化を見せたのは、珍しくもあり素晴らしい事でもある。

「声優」という職業は、もっと評価されるべき。
ぶっちゃけ、将来的には「文化勲章」だの「人間国宝」だのの対象にすべきレベルまで、すでに到達していると思う。

ただ声が「かわいい」だけ、「イケボ(イケメンボイスの略)」であれば声優になれるわけではない。
美人やイケメンならみなドラマに出演できる、歌手デビューできる、腐ったテレビ芸能界とは違う。
むしろそれらは「最低条件」であり、そのうえで更に「演技」が上手い人だけがプロの「声優」になれる。

かつて第二次アニメブームの時に、「赤ずきんチャチャ」という人気少女アニメがあったが、あの主人公に大抜擢された代アニ(代々木アニメーション学院)出身・・・というかまだ当時は在学中だったかな、そういう大人の事情でゴリ押しで未熟なのにやらされてた、棒読みの酷い女性声優が居たw
しかし彼女も、次の作品、その次の作品と経験を積むうちに、プロの声優として遜色ないレベルにまで到達した。
歌の下手なアイドル歌手は、何年続けても下手糞なままの芸能人とは大違いだw

また、演技が進化しているのは若い世代だけではない。
日本の戦後のアニメを最初期から支えてきたような、ベテラン声優も進化している。

男性声優でもっとも知名度や人気が高い「若本規夫」なども、若い頃の演技と今の演技ではまったく別物である。
ギレンやサウザーなどの、ダンディーな悪役男性を数多く演じてきたベテラン男性声優の「銀河万丈」さんも、初代ガンダム放送時のギレンの演技と、最近になってなんかのイベントで、当時のギレンの演説シーンを生演技した有名な動画とでは、まったく演技が違う。
棒読みっぽく聞こえる初代の演技と、聞いてる人が「これはジークジオン叫んでしまいますわw」「こんな演説聞いたら、独裁者でも支持してしまいますわw」と言わしめるほど、演技力に差がある。
ベテランになってもなお、進化し、レベルアップし続けている人が沢山居るのが「声優」なのだ。

「声」というアニメの一部でしかない要素であるにも関わらず、「大山のぶ代」じゃない「ドラえもん」なんて「ドラえもんじゃない!」と言う人が居るほど、大きな何かを占める力がある。

俳優や女優などにも、その人の死が大きな衝撃、損失だと言われる人は居るが、「声優」のように、もはやその作品は、たとえ代役が引き継いでも、別物になってしまうぐらいの影響がある人は少ない。

「声優」は世界に向けて日本が誇れる、独自の文化「職業」であると言って良いものだと思ったという話。

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