2ntブログ

芸術と政治的プロパガンダ

芸術ってのは、本来は人の心に「感動」を与えるものを言うと思うんですわ。

見た人が綺麗だなぁとか、楽しいなぁとか、そういうプラスの感情が沸き起こるものを言うと思うんですわ。
見た人が「おぇー」ってなったり、妬み嫉み憎しみの感情が沸き起こったり、そんなものは芸術とは言わないと思うんですわ。

戦争中のプロパガンダと言われる映像作品が、「芸術」と言われない理由もここにある。

さて、例の愛知の「芸術」と言い張るプロパガンダ作品の数々。
慰安婦像ばかりが取り上げられているが、実は慰安婦像なんてどーでもいい。
天皇陛下の写真に対する無礼な行い、安倍首相の踏み絵等々、明らかに「芸術」ではなく「プロパガンダ」作品がある事が問題なのだ。
しかもこのイベントの開催には、多額の「税金」が投入されている。

マスゴミ左翼は、これを慰安婦像に絡めて、単なる政治的思想的な対立だとしたいようだが、騙されてはいけない。
名古屋市長も、そういうマスゴミの思惑にのっかって慰安婦像が問題であるなどと言うべきじゃなかった。
むしろ慰安婦像はスルーして、天皇陛下や安倍首相への無礼=政治的プロパガンダ作品であり、芸術ではないものが展示されている事と、こんなイベントに多額の税金が投入されていた事を声高に言うべきだった。

犯罪者の責任能力とやらを調べるために、よく精神鑑定というのが行われる。
この精神鑑定では、対象者に絵を描かせて、それで精神の異常の有無を判断する方法もあるのは有名だ。

今回の愛知の「芸術」作品と言い張るものを、精神鑑定医が見たら、精神異常者という判定が出てもおかしくないw

「はだしのゲン」には、まだ原爆が落とされる前の話の中で、ゲンの母親と兄弟の誰かが町での買い物の帰りに、憲兵に呼び止められて、ビビる場面がある。
憲兵が呼び止めたのは、ゲンの家が反戦を訴えている(当時の)「非国民」だったからではない。
歩道に書かれた日本最大の敵である米英のトップである、チャーチルやルーズベルトの顔を踏まないで通ったからだった。
そして母親は憲兵に「気づきませんでした」と謝って、憲兵の指示に従ってその絵を子供と一緒に踏みまくって、解放された後に、
「あんな事で戦争に勝てると思ってるなんて・・・」とつぶやく。

つまり、安倍の踏み絵なんてやってる連中は、はだしのゲンに出てくる軍部や憲兵と同じ種類の人間と言うこと。
「あんな事で政権が変わるなんて・・・」とまともな人間に思われる恥ずかしい行為という事。

そもそも「芸術」だの「表現の自由」だのは、無制限に認められてるわけじゃない。
現代の人類社会は、前時代の王様や貴族や宗教が行っていた「行き過ぎた規制」が二度と行われないように「法律」至上主義になっている。
そして「権利」や「自由」というのは、「法律」が前時代のように権力者の都合の良いように変えられないように、勝手に解釈や運用を変えられないための、対抗措置としてあるわけだ。
よってそれらは法律の範囲内で、法律に沿ったものでなければならないのだ。
そもそも自由や権利が無制限に認められるなら、人を殺すのも自由だし、その権利があると言っても正しい事になってしまう。
そうじゃないよね?
なぜ人を殺す自由や権利は認められないの?
法律で禁止されてるからじゃないの?
つまり、自由や権利は法律の範囲内でのみ認められるという証拠じゃないの?

この仕組みを左翼連中はあえてスルーする。
言わない。
教えない。

だから騙される人が多いのだ。
自由だ権利だ言われると、反論できずに黙ってしまう人が多いのだ。
それは一般人だけでなく、政治家や役人まで同じだ。

だからこういうプロパガンダが後を絶たない。
こんなもんに税金を使われる自体になる。

あと、この作品展がダメなら、原爆ドームはどうなんだ?
と反論したアホが居るらしいが、原爆ドームは「芸術」作品などとは一言も言ってない。
むしろあれを「芸術」と称して、美術館に写真でも飾ろうもんなら、それこそ君ら左翼は一斉に「不謹慎だ!」と怒るだろ?w

なのになぜ慰安婦像は「芸術」と称して、芸術展に飾るのが許せるのか、意味が分からないw

「芸術」という名目を隠れ蓑にした、政治プロパガンダショーだからじゃないの?w

コメントの投稿

非公開コメント

カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR