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予言はなぜ的中しないのか?

定期的にネット上に現れる様々な予言。
ネットが無い、今ほど普及していなかった時代にも、予言というのはありましたね。
有名なのはノストラダムスの大予言でしょうか。
1999年に人類が滅亡するってやつね。
結局当たりませんでしたね。

また比較的新しいものだと2012年人類滅亡説なんてのもありました。
これは古代南米に栄えた非常に高度な天文学・数学を持つマヤ文明の暦が、そこまでしか作られていなかったからでしたっけね。
これも当たってません。

予言が的中しない理由は簡単に言うと2つあります。

1.そもそも予言じゃない
ノストラダムスの大予言とは言いますが、「そもそも予言じゃねーしw」とノストラダムスがあの世で笑っているかも知れないぐらい、後付の説なんですよね。
またマヤ暦にしたって、単純にこんぐらいまで作っておけば、当面困らないだろう程度の理由であった可能性が高いです。
なぜなら、似たような事を人類は現代でも体験しているからです。
2000年問題というのを覚えているでしょうか?
古いコンピュータやソフトウェアが、西暦を下2桁でしか管理してないかったために、2000年以降に不具合が起きるという問題です。
これは1999年に世界的に大問題となりました。
1980年代とか、その当時のコンピュータは計算速度も、メモリやHDD(当時はFDが主流ですが)の容量も今より遥かに低性能でした。
そのため、西暦を4桁で管理・運用するとプログラムの実行速度が遅くなる、メモリが足りなくなるなどの理由で、下2桁だけ管理して、表示の時だけ頭に「19」を付け足して使っていたわけです。
最初にその仕様を思いついた人は、「まさか20年後もこのパソコンが、このソフトウェアが使われる事はないだろう」と思ってそうしたに違いありません。

まぁそれはどーでもいいんですが、このコンピュータが西暦を下2桁しか管理しておらず、事実上1999年までしか表せないからといって、それを見て「人類は1999年に滅亡するという予言だ!」と思った人いますか?って話ですよ。

そして、そもそもインチキや嘘もありますよね?
注目を浴びたい、金儲けしたいだけのために、そういう事を言う人だって大勢いるわけですから。

2.世界線が違う
これは予言が真実であり、本当に未来を見通せる人が居る場合の話です。
もともと未来を見るとは、そんなに難しい事ではありません。
我々は、自分の人生物語という本を読んでいるようなもので、本である以上は既に結末というのは存在しています。
いきなり最後のページを開いて、「20○○年、○月○日 ○○病院にて家族に看取られながら80年の人生を終えた」という結末を見るのは不可能ではないのです。
ただ結末のわかっている物語を読む人は、普通は居ません。
面白くないからです。
だからあえてやらないのですよ。

さて、この世界の歴史という本のページを時間の流れを無視して、開いちゃいけないページを開いて読む事ができる本物の予言者が居たとして、なぜ当たらない事があるのか?

その理由が「世界線が違う」です。
「世界線」というのは、物語で言えば「もしもあの時~だったら」という、いわゆるifストーリーってやつです。
未来というは既に存在してはいますが、1つではありません。
以前も例を出しましたが、アドベンチャーゲームのように選んだ選択肢によって異なるストーリー・結末というのがあるのです。
そして、どの選択肢を選んでどのストーリーへ進むかは、完全に個人の自由であり、全人類が同じ選択肢へ進むなんて事はまずあり得ません。
正確には全魂(たましい)でしょうかね。
よって、預言者本人の魂は自分の予言どおりの未来を体験していて、100%的中しているのですよ。
預言者と同じ世界線を辿った魂が居たら「すげー、当たってる!」となるでしょう。
これが予言は100%当たらないが、100%外れるわけでもない理由です。
当たるも八卦、当たらぬも八卦 の真実です。

本物の占い師に未来を見てもらっても、それは私の人生物語のifストーリーのひとつであり、必ずしもそのルートを進むかは自分次第です。
良い未来を告げられたら、そのルートから外れないように努力し、悪い未来を告げられたら、そのルートに入ってしまわないよう気をつければ良いだけなのです。
未来は複数のifストーリーがあるというこの世の理を知らないと、せっかく良い未来を告げられたのに努力を怠って外れてしまい、損をしたり、あるいは悪い未来の忠告されたのに絶望して回避する努力をしなければ、当たってしまって不幸になるのです。
占い師や予言者が本物かどうか見分けるのは難しいです。
普通の人間は、時間の流れを無視して未来を見ることはできないように作られているし、ましてや全てのifストーリーを見る事など、本物の能力者でも不可能だからです。
それができるのは、この世界を、この世界の物語をifストーリーを含めた全てを作った全知全能の存在、神と呼べるものだけだからです。

RPGゲームで、自分より先に進んでいる人が「あ、あそこのダンジョンの4Fのボス、強いから気をつけなw」とか言ったとしても、実は4Fより手前で行った行動や条件によって、同じボスが出てこない、強さが変わるという仕様になっており、「なんだ全然ちがうじゃん」って場合もあります。
でもアドバイスをくれた人は確実にその未来を見たわけで、嘘はついていません。
自分の未来を完全に当てられるのは、そのゲームを作ったゲームの開発担当者だけです。
このゲームの開発担当者が、現実世界では「神」とか全知全能の創造主とか呼ばれるものです。

一般プレイヤーである自分が、開発担当者と会う事やゲームの全ての仕様を聞ける事はありません。
もし会って聞けたとしても、プログラムの知識のない自分には理解できないでしょう。

「神の声を聞いた」という人が居ますが、それが本当だとしても全てを理解はできないし、全てを神が伝えたとは限らないと言うことです。
なぜなら人間には理解の範疇を超えるからです。

予言する人も、聞く人も、この仕組みを知っておくべきでしょう。
自分の予言は100%正しい、当たるなどとうぬぼれない事です。
よく当たると評判の占い師に会っても、100%は信じてはならないという事です。
どちらも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の精神で、予言というのは利用しましょうw

差別とは何か?

「差別」や、あるいはそれから派生し、最近流行している「ヘイトスピーチ」。
正しくその意味を理解し、使っている人は少ない。

ひとつ例をあげよう。

・このハゲー!
・このデブー!

片方は差別であり、片方は差別ではない。
違いが分かるだろうか?
ちなみにどちらも、相手は本当にハゲだったりデブだったりするものとする。

答えは「このハゲー!」が差別だ。

理由を説明しよう。
「ハゲ」というのは、遺伝的なものや、あるいは病気や病気の治療の過程で本人が望まなくても、そうなってしまうものだ。
抗がん剤による治療の副作用で、頭髪が抜け落ちるのは有名だ。
一方で、「デブ」というのは、いくら食べても太らない人、あるいはちょっとでも食べるとすぐ太ってしまう人など個人差はあるが、基本的には自分でコントロール可能である。
「デブ」な状態というのは、自分の意思の弱さなど、自らの責任だ。

このように、自らの責任があるかどうか。
これが一番重要なのだ。
「事実」であれば、差別や名誉毀損にならないかと言えば、そうじゃない。
そこが分かっていないから、能力を正当に評価した結果、何かの試験に落ちました、出世できませんでしたって場合でも、差別だと言えば通ってしまう、あるいは通ると思ってる人が居るのだ。
きっと女性だから出世できないんだ、日本人じゃないから落とされたんだというように。
もちろん、相手にはっきりと「女性なので出世させません」とか「日本人じゃないので不合格です」と言われたのなら、それは立派な差別である。
なぜなら、女性である事は本人の責任ではないし、日本で生まれ育たなかった、日本人の両親の元に生まれなかった事は、本人には何の責任も無いからだ。

とはいえ、国籍というのは変えられないものではない。
外国人の両親から生まれたり、日本で生まれ育っていなくても、元の国籍を捨て、日本国籍を取得する事は可能だ。
従って、外国人参政権を認めないのは「差別」ではない。
元の国籍を捨て、日本国籍しか持っていないのに、元が日本人じゃないから、日本人の両親の元に生まれていないから、という理由で参政権を与えられないのであれば、それは「差別」だ。

なぜこんな簡単な理屈が理解できない人が多いのか?
それは「差別」というものが、人間の本能に基づくものだからである。
人間を含め、この地球上の生命というのは、等しく「生存競争」というのをさせられている。
それに勝ち抜くためには、より優秀な異性と交配して、より生き残れる確率の高い優秀な遺伝子を残さなければならならい。
そのためには、我こそが優秀なオスである、メスであると示さなければならない。
「いじめ」が無くならないのはこの為だ。
そしてあいつより俺の方が優秀だと見せる行為が、まさしく「差別」に繋がるのだ。

豪華な羽を持つ事で知られる孔雀だが、あれはオスがメスに、より優秀なオスであると示すために、そう進化したと言われている。
こんなに目立つ格好をしていても、俺は生き残れるぐらい強いぞと。
しかしこの孔雀の羽は、自分の努力で豪華になったり貧相になったりするものではなく、生まれつきである。
にも関わらず、貧相な羽のオスはメスと交尾できない。
孔雀のメスは貧弱な羽のオスを「差別」しているわけだw
ちょうど、人間の女性がイケメンを選ぶのと同じようなものだろうか。
全員がそうだとは言いませんがね。

下品な言い方だが、イケメンばかりに股を開き、ブサメンとは会話もしないし、近づくことすらしない。
これは立派な「差別」なのだが、それを「差別」だという人は女性にはもちろん男性にも居ないw

なぜなら顔の造形は生まれつきであり、自分の努力で変えられるものではないからだ。
もちろん女性であれば化粧したり、ダイエットしたり、あげくに整形という最終手段に出れば、ある程度は良くできる場合もある。
男性でも、ブサメンだからと何の手入れもせず、ボロボロ・ヨレヨレのロクに洗濯もしてないような服を着て、風呂にも入らず歯も磨かず、とにかく臭い。
そういう人は嫌われて当然であろう。
最低限の努力という自分の責任を放棄しているわけだから、女性が選んでくれなくても差別だとは言えない。

偉そうに言ったが、私自身も正しく差別という言葉を使えているか、本当の意味でのヘイトスピーチをしていないかと言われれば、自信はない。
ただ、だからといって、言葉の使い方や意味を正しく理解したり学ぼうという努力をせず、感情の赴くままに、自分の都合の良いように使っている連中のようには、なりたくないし、なっていないとは思っている。

自称左翼だのリベラルだのは、ここをもう一度考えて欲しいという話。
簡単に「差別」だの「ヘイトスピーチ」だの言う前に、「これは本当に差別と言えるだろうか?」「本当にヘイトスピーチだろうか?」と考え、その上で発言すれば今よりは多少は支持されたり賛同される事も増えるかもしれませんよって話。
なぜなら、きちんと考えたうえでの発言であれば、「どこか差別なんだよ」と突っ込まれても、「これこれこういう理屈で、これは差別になるでしょ?」と言い返せるから。
それがぐぅの音も出ないほどの正論であれば、賛同されないにしても批判はされなくなるでしょう。

橋下弁護士に、散々マスコミがやられたのは、これが理由でもある。
何も考えずに「差別」だ「ヘイトスピーチ」だ「言論の自由の侵害だ」言えば、誰にも言い返されなかった。
ところが、「どこかどう差別なのか?」「どの部分がどういう理由でヘイトスピーチになるのか?」と言い返されると、口ごもってしまう。
弁護士という職業柄、相手は法律にも権利の定義にも精通している。
それらの知識が無いから言い返せないのではない。
それらを便利な免罪符として、正しい意味や定義を知ろうともせずに使ってきた怠慢が招いた事、いわば自己責任だ。
橋下さんが、政界から身を引いた時に、マスコミの連中はさぞかし胸を撫で下ろした事であろうw

橋下さんほどではないが、菅官房長官も最近ではなかなか手強い。
菅さんは法政大学法学部卒という、少なからず法律や理屈や理論というもの学んだ人だから、弁護士とか裁判官とか、検察とかの出身でないにも関わらず、どこぞのヒステリー記者をあしらえるのだろう。
ちなみに法政大学というのは、その名の示すとおり、法律が専門、得意分野の大学である。
最近は知らないが、東大・京大、私立であれば早稲田や慶応などと並んで、法律に関する仕事を将来したいなら、司法試験を目指すなら、行くべき大学の候補に必ず入っていたほどだ。
まぁさっき見たら、最近は司法試験合格者は少なくなってしまったようですがw

新聞社にも、こういった法律系に強い一流大学の出身者は大勢居るはずなのだが、なぜ大学で学んだ事が生かせないのか?
忘れてしまうのか?

ここ最近のこういう人達の言い分は、まったく根拠のない、屁理屈にすらなっていないものばかりだ。
もう一度、初心に立ち返って勉強し直す事をお勧めします。

デジャヴの正体

デジャヴあるいはデジャビュ、日本語に訳すと既視感となるが、そういうものは霊感がある無いに関わらず、世界中のどんな民族や育ちの人でも、一度は体験があると思う。

これの正体について。

我々の世界は実は本で読む物語などと同様に、過去も現在も未来も既に存在している。
そして、その物語の結末というか未来は、複数存在している。
ちょうど、アドベンチャーゲームのように。
アドベンチャーゲームというのは、物語の途中にいくつかの選択枝が出てきて、選んだ行動によってその後のストーリーが変わってくるものだ。
ゲームの目的は、正解の選択枝を見つけ続けて、真のエンディングというかハッピーエンドに辿りつく事だ。
有名な「ポートピア連続殺人事件」であれば、「犯人はヤス」(笑)に辿りつくコマンドを選び続ける、あるいは探す事がゲームの目的である。
同様に、我々の現実世界もアドベンチャーゲームとは比べ物にならないほどの無限の選択枝が、それこそ1秒よりもっとずっと短い単位の時間の中にある。
それによって進むべきその後のストーリーが、これまた無限に分岐している。
選ばれなかった選択枝の先のストーリー世界は、存在しないかと言えば、存在している。
辿らなかった過去の別の世界、例えば誰かに告白した世界、あるいはどうせ断られると思って告白しなかった世界、その実際には選ばなかった世界も確実に存在しているのだ。

そして我々は、その無限の選択枝のあるリアルアドベンチャーゲームを何度も繰り返している。
ただおそらく、リアル人生物語ゲームには「正解」は無い。
どの選択肢を選んでも、いずれは「死ぬ」、つまりゲームで言えば「ゲームオーバー」「バットエンド」に相当するものしか無いからだ。
強いて言えば、自分の人生に満足して老衰で眠るように死ぬのがハッピーエンドだろうか。

ともかくそれを再現なく繰り返している。
その繰り返している読み手である自分とは何か?
それが魂と呼ばれるものである。
俺の人生物語の主人公の肉体に宿って、それを体験していく。
時には寿命ではなく、途中で事故や病気で死んでしまう事もあるだろうが、「死ぬ」のは宿っている肉体だけであるわけで、魂は過去に戻ってもう一度やり直す事ができる。
ただしこの時に、既に体験した人生物語のストーリーは覚えていない。
なぜなら、魂には「記憶」をする機能が備わっていないからだ。
「記憶」というのはあくまで肉体に存在するものであるわけで、それを離れたら当然忘れてしまうというか、思い出すのは不可能だ。

魂をCPU、肉体をHDDだと思ってくれればいい。
エロ画像を沢山保存していても、その保存先のHDDがぶっ壊れてしまえば、いくらCPUが健在でも二度と見れないのと同じ事だw

ただ場合によっては、CPUのキャッシュメモリにまだ残っている場合もある。
キャッシュメモリとは、CPUの処理を高速化するために、よく使われるプログラムやデータ、あるいは直近にHDDから読み込んだプログラムやデータを一時的に保管しておき、次に同じプログラムなりデータなりを要求された時に、読み込みの遅いHDDからではなく、キャッシュメモリからそれを読み込む事で、高速化しようという仕組みだ。
この「キャッシュメモリ」は電気の供給が途絶える、つまりパソコンの電源を切れば失われる。
しかしながら、全ての電気製品がそうだが、スイッチを切った瞬間に電気エネルギーというのは失われるわけではない。

何かの電気製品をリセットする時に、「コンセントから電源コードを抜いた後、10分程度そのままにしてから、再度コンセントに繋いで下さい」みたいなのを見た事がある人も居ると思う。
つまりこれは、内部に残った電気が自然放電などで完全に消えてくれないと、不具合のあった状態が記憶されたままになってしまい、電源を入れなおしてもエラーが解消されない事があるので、そのようにしてくれと言っているのである。

同様の事が我々の本体である魂にもあるのだと思う。
肉体から切り離された=死んだ時点でHDDである肉体にある「記憶」にはアクセスできなくなるが、直近に読み込んだ記憶(死の間際の記憶や走馬灯)、あるいはものすごく印象深くてしょっちゅう思い出す記憶、「トラウマ」など無意識にずーっと存在し影響を与え続ける記憶などは、魂のキャッシュメモリに残っている可能性があるのだ。
その状態で転生したり、あるいは過去に戻ってもう一度やり直すと、その魂のキャッシュメモリ上に残っていた記憶が何らかの要因でふと思い出される事がある。
新たなHDDやその時点ではデータとして存在しないか記録されてない過去のHDDである肉体だったとしても、本体であるCPUのキャッシュメモリの残っていれば不思議ではない。
はっきり思い出さなくても、なんとなく以前も体験したような・・・というデジャヴになるという理屈だ。

ちなみに現実のパソコンでは、このような事は不可能だ。
なぜなら、CPUはPC本体から切り離された瞬間にキャッシュメモリの内容は失われるほどデリケートなものだし、そもそも電源入ったまんまCPU外したら壊れる事だってある。
またパソコンというのは、電源を入れるたびにCPUを初めとした部品類の動作の初期化を行う。
HDDなど永続的に保存可能なものを除いて、全ての部品は設定やそれまでの記録をリセットされるのだ。
デスクトップパソコンの電源を入れると、「ピッ」とか電子音がして、まず最初に英語でマザーボードが出すメーカー情報やBIOSのバージョンや接続されているHDDのハードウェア情報などが白黒の文字で表示されるのを見た事がある人も居ると思うが、あれが初期化作業中の画面だ。

たぶん転生時に前世の記憶が失われるのは、これと同様に肉体に魂が宿った時点でこのような初期化プロセスが走るからなのかもしれない。
まぁでも神が創った、あるいは私は魂とは創造神の分身であると思っているが、それに比べて肉体は下位の不具合だらけの代物である。
ゆえに完全にリセットしきれなかったり、漏れたりする事もあるのだろう。
だから前世の記憶がある、特に小さい子供などは自分が生まれる前の記憶を持っている子が多いらしいが、そういう事象や、件のデジャブなどが起こるのだろう。

さて、我々は常に時間的に連続している同じ肉体に宿り続けてると思っているが、これも間違いである。
この現実世界は、動画やアニメーションの世界と同じように、「静止画の連続」である。
従って昨日の肉体と今日の肉体は完全に同一ではない。
昨日の記憶を持った、あるいはそのように設定された別の肉体である。
魂だけが、時間の流れに沿って1秒なのか1ミリ秒なのか、あるいはそれよりもっと短い単位で用意されている静止画世界の肉体を渡り歩いているだけだ。
なので異世界に突然飛ばされたり、あるいはタイムリープしたりなんてのも、別段不思議な事ではない。
間違って今読んでいるページの次ではなく、別のページをめくって物語の文章を読んでしまったのと同じ事だからだ。

元の世界と限りなく近いが、どこか違和感のある世界に飛ばされて来た、自称異世界人という人の書き込みなどが、オカルト関係でよく見ることがある。
それが真実か創作かは、分からないが、真実であるとしたら、元の世界からその人は消えてしまったのか?
こっちの世界に元々居たであろうその人はどうなってしまったのか?
そういう疑問が出てくると思う。
答えは元の世界も異世界も肉体は消えていない。
そもそも肉体とは、単なる物質の塊であり、しかも同じ人間でも複数存在している。
世界は連続して動いたり変化しているようで、実は静止画をパラパラ漫画のように次々と見ているだけに過ぎないわけだから、「私」の「肉体」が同時多発で存在していても何もおかしくない。
元の世界の私の肉体は消えず、その後のストーリーも存在している。
仮に元の世界の親兄弟が、魂の抜けた自分を見ても、何の違和感も感じない。
なぜなら、魂の意思なんてものは現実に反映されないからだ。
我々はRPGの戦闘のように、「武器で直接攻撃」するか「魔法で攻撃又は回復」するか「アイテムを使う」か「防御する」か「逃げる」かの予め用意されたコマンド以外の行動は取れないのだ。
そしてそのコマンドを実行した結果の世界は全てが既に存在しており、魂が宿っているかどうかなど関係なく進んで行けるからだ。

私という意識は確実に今ここに居るが、かといってあなたの意識が私と同じ時間軸・世界線上に必ず居るとは限らない。
そういうことだ。

ただ時間軸も世界線も人間にとっては無限に存在しているように思えるほど膨大であるが、無限ではない。
ものすごく低い確率ではあるが、同じ世界線・同じ時間軸に私とあなたの意識が存在している事もあるだろう。
よく漫画なんかで、改変されてしまった未来の世界へ来てしまって「なぜ誰も○○を覚えていないんだ!」と主人公が思ってるところに、「実は俺もおかしいと思ってる」なんて主人公以外にそれを理解してるキャラクターが出てくる、そいつは主人公と同じ特殊な力を持っていて、世界の改変に影響されなかったみたいなのがある。
特殊な力があるかどうかは別にして、間違って別の選択肢のストーリーのページを開いて読んでしまった人が2人居たとしたら、そういう状況があってもおかしくないだろう。
非常に限りなく0に近い確率ではあるがw

あるいはそれさえも、予め創造主によって描かれた正当なストーリーの一部であるかもしれない。

こうして我々は閉じられた空間の閉じられた時間の中で、永遠とも思える物語を読む=体験しているだけなのだ。

私は「来世から本気出す」がモットーであるが、本当に来世という別の本を読めるのかは正直分からないw
ハッピーエンドにならなかった今の人生を、セーブポイントじゃないが、どこか選択肢を間違えたと思える部分からもう一度読み直して、別の選択肢のページへ進む事になるかもしれない、覚えていないだろうがw
ただデジャブというのは、そういう間違った選択肢を選んでしまった記憶であり、本能的に次は正解の選択肢へたどり着けるようにしてくれるためにあると言う人も居る。
それもある意味正しいのかと私は思う。
よほど気に入った物語なら別だが、普通は一度クリアしたゲームや読んだ本を、もう一度最初からやる、読み直すという事は早々ない。
漫画とか、何度も同じものを読み直したりする事はあるけど、一生そうするわけではないし、ゲームの場合なんかやり直すときは、今度は違う選択肢を選んでみようとか、違う職業のプレイヤーキャラで、違うメンバーのPTで始めてみようとか、そうなるのが普通だ。

こうして全ての物語・選択肢を体験して満足してから、たぶん次の人生物語という別の本、つまり来世に行くのかも知れない。
そもそも「来世から本気出す!」とは言っているが、もし過去に戻ってやり直せるなら、それでも私は構わない。
今の人生で、もうこれ以上能動的にコマンドを選択して懸命にレベル上げしたり、魔王討伐を目指したりする気が無いというだけであるw
どうあがいても真のエンディング、「犯人はヤス」には辿りつけない、いわゆる「ハマリ」状態なのが分かっているので、やる気が無い、惰性で終わりまで読むだけ、そうしないと次に行けないし、セーブポイントに戻れないのがリアル人生オンラインというゲームだからだ。

自殺エンドもあるのだろうが、やる気が起きない。
たぶん一度体験しているのだろうw
さすがに詰まらなくても、一度体験した選択肢を不正解だと分かっていてまた選択する気は無いw

愚痴になってしまったが、私の考える世界の真実とはこういうものだ。
カウンタ
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ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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