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人が死ぬとき

私は霊感0の人間なので、ネットに転がってる話を読んで自分なりに考えて出した結論なので間違ってるかもしれないが。

人にはみな守護霊なるものが憑いていると言われている。
霊能者の中には、憑いてない人も居るって意見もあるらしいが、先祖がない人など居ないのと同様に守護霊が1人も憑いてない人も居ないと私は思う。

よく「守護霊に守ってもらった」っぽい話を良く聞くと思う。
事故や災害や病気で死にそうになってた所を間一髪で助けられたみたいなものだ。

そういう話が多くある一方で、事故や災害や病気で若くして亡くなってしまう人も居る。
ではそういう人たちの守護霊は何をしていたのか?という疑問が出てくる。

守ってもらえた人と亡くなってしまった人、どちらに守護霊が居たと考えてつじつまの合う考察をすると次のようになる。

人にはもともと定められた寿命がある、あるいは現世において一定の修行(仏教では徳を積むなどと言う)が終了したら死ねる。
ともかくそういう天から「もう死んでもいいよ」って許可が出る前に死にそうになった場合にのみ、守護霊が助けてくれるのではないかと。
仏教の概念だったと思うが、現世で生きる事は魂を磨くための修行だと言われている。
毎日食べなきゃ死んじゃうし、そのためには嫌でも働かなければならない。
気の合う人ばかりでなく、嫌なやつとも付き合わなきゃならないし、病気や怪我で痛かったり苦しい思いをする事もある。
とにかく現世で生きるってのは比較的豊かで政情も安定していて、治安もよく社会福祉も充実している日本ですら大変だ。
途上国などはもっと大変だろうし、昨今の中東のように内戦が続く国の人はそれこそ死んだ方がマシという状態だろう。
だからそれらの国は平均寿命が短い。
苦労の量が多いので、修行もそれだけ早く終わるのか、あるいはあらかじめ定められた期間が短いのだろう。
日本が世界一長寿国なのは、それらの国に比べたら楽園なので、より長く居ないと修行にならないのだろう。

そもそも私がこんな宗教じみた悟りのような事を考え始めたのも、40歳を過ぎてからだ。
決して順風満帆の人生を送ってきたわけでもない、むしろその逆だったがそういう思いに至るのに40年も掛かった。
そしてまだ神様が納得して下さるような境地には到底至っていないので、こんなに不摂生しているのに死ねないのだろう。
やっと第一段階をクリアしただけなのかもしれない。

話が逸れたが修行のための試練なのか何なのかで、命の危険に合うような事もあるのだろう。
その時に、間違って卒業じゃないのに落第とか中退状態になってしまわないよう、ギリギリの所で守護霊が助けてくれるのだと。
また現世と同じように、霊界にもときたま不良とかヤクザとかそういう悪い奴が居て、そいつらに不当に殺られそうになる時にも助けてくれる。
それが不当じゃない場合、例えばいじめをしてた奴がいじめられてた人の祖母の怨霊に苦しめられたり取り殺されたって話も聞いた事がある。
その場合、いじめっ子の守護霊は自業自得なので、助けたくても助けられないのだろう。
上司である神様が許してくれないとかね。
すさまじいパワー過ぎて、助けられないのかも知れない。
それだけの負のパワーを打ち負かすには、相当のプラスのパワーが無いと無理だが、いじめをするような奴は、日々先祖の霊に感謝したり祈ったりなんてしないだろうから、そんなパワーも守護霊には貯まらないだろうし。

善人ほど早死にするとか、憎まれっ子世にはばかるなんてのも、結構当たってるのかもしれない。

他人を恨まず妬まず、日々いろんな事に感謝しながら生きるのが、一番平和で安からに死ねる。
そんな気がする。

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