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神とか魂の存在を未だに信じてたり半信半疑な人が多い理由

それは現在主流の科学によって、それまで長年信じられてきた事の多くが否定された歴史によるところが半分ある。
地球は丸かったとか、地震は巨大ナマズが起こしてるわけじゃなかったとか。
つまり「たぶんこうだろう」という事を人類は信じられなくなったのだ。
だから科学で「神は居ない」「魂なんてものはない」と完璧に否定できるまで、もしかしたら神と呼ぶにふさわしい存在が居るかもしれない、魂と呼ばれるものがあるかもしれないと考えるのだ。

もう半分は「死」への恐怖から逃れるためである。
「死」というのは自分という存在の終わり、消滅である可能性が現代科学では大きい。
それは高度に知能が発達した人間にとっては受け入れがたい恐怖・苦痛である。
だから肉体が死んでも魂は永遠に残る、また別の人間として生まれ変わるという思想が未だに根強く残っていると考えられる。

「科学で存在を証明できていないが、否定もできていない」ために可能性として信じられているものには、たとえば宇宙人とかもそうだろう。
こちらはもっと現実的かもしれないが、この広い宇宙に無数にある星の中に、地球とまったく同じような環境の星がひとつもないという事はまずあり得ないし、そういう環境の星に生命が誕生しない可能性も否定できない。
もしくは必ずしも地球と同じ環境でなくとも、生命と呼べるようなものが生まれないとは言い切れないからだ。
知的生命体とは言うが、われわれ地球の生命と同じくタンパク質で構成された体であるとは限らないし、遺伝子とかいうものを持っているとも限らない。
一見するとこれは生命なのか?と思えるような存在が居るかもしれない。

手塚治の「火の鳥」シリーズなんかは、この辺をよく描いてたりする。
ご存知の通り、手塚治は単なる妄想癖の強い人間でも精神異常者でもない。
医学博士の資格すら持つ学者に近い頭の良い人であった。
そういう人が神と呼ぶにふさわしい存在や、魂や地球外生命体について非常に多くの独自の考察を交えた作品を「火の鳥」シリーズとして書いているわけだ。

今はまだ妄想、創作にすぎないこれらも、ガリレオやダーヴィンやアインシュタインのように、言っている事が妄想ではなく実は正しかったと証明される日が来るかもしれないのだ。

神は居るのか?魂はあるのか?宇宙人は居るのか?タイムマシンは作れるのか?パラレルワールドと呼ばれる別世界は存在するのか?
今はオカルトでしかないこれらのうちのひとつでも、生きているうちにある・ないが完全に証明されるのを楽しみにしている。

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