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ヌーハラに見る何かを叩きたくてしょうがない人間の性

ヌーハラとは、日本人が「麺類」を食べる時に「すする」事が外国人を不快にさせる行為のことらしい。
マスゴミなどが盛んに「改善すべき」「やめるべき」などと偉そうに言っている。

そもそも「麺類」はすすって食べた方がおいしいというのは、科学的にも証明されている。
それに日本でも「麺類」以外をすするのは、行儀の悪い食べ方だ。

マスゴミや評論家というのは、とにかく誰かを、何かを叩きたくてしょうがないのだ。
そのくせ自分らが叩かれると差別だとか言うけどねw

何かを批判すると、さも自分が偉くなったように、賢くなったように感じる。
人間というのは、地球上の他の生物とはもちろん、人間同士でも「生存競争」をさせられているからだ。
だから自分がより優れた生物である事を示さなければならない。
本来であれば、沢山勉強したり体を鍛えたり、あるいは自分の精神を律したりして優れた生物になるべきだが、そう簡単にもいかない。
例えどんなにがんばったとしても、それが報われない事も多い。

だから自分を高めるのではなく他人を貶めることで自分の優位をアピールする。
この方が簡単だからだ。

日本のマスゴミや野党などは、この典型だ。
何かを誰かを叩く事で自分の優位さをアピールするだけで、自分自身を高めようとか律しようとかってのが無い。
あるいは本当に国民のために何かしようという気が無い。

だから支持されないのだ。
人の悪口ばかり言う人間が嫌われるように。

もちろん日本は完璧な国ではない。
政治はもちろんだが、海外から賞賛される(と自画自賛している)文化や風習についても、変えたほうが良いものもあるだろう。

だがしかし、それは外の人間に言われて強制されてやるものではない。

ヌーハラを叫んでる人に聞きたい。
欧米では家に入るのに靴を脱ぐなんて習慣はないし、面倒だから日本国内の日本人の家にも靴で上がらせろと言ったら、「はいわかりました」と聞くんですか?
逆に欧米に移住して、「日本では家に入る時は靴を脱ぐのが当たり前だし、汚いので土足で家に入る習慣を改めろ!」とか言ったら彼らは「たしかにそうですね」といって変えると思いますか?

「おもてなし」というのは、相手の嗜好に自分を全て合わせる事ではありません。

取材であれば何をしても許されるみたいな思考を持っているから、外国人が日本に旅行に来て感じた単なる文化の「違い」を「ハラスメント」などにしてしまえるのです。

俺は偉い、賢い、正しい人間アピールがしたいなら、何かを叩くのではなく自分を高める努力をすべきだと思います。

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