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人間の「恐怖」の根源は「未知」である

人が一番恐怖を感じるものというのは「知らないもの」「分からないもの」ではないかと私は思う。
幽霊がなぜ怖いか?
それが未だに居るのか居ないのかはっきりしない、「よく分からないもの」であるからだ。
「死」をなぜ恐れるのか?
それは死んだあとに人はどうなるのか、だれにも分からないからだ。
人間はなぜありとあらゆるものに「名前」を付けたがるのか?
それは「名前」を付ける事によって、とりあえず「知らないもの」から「知っているもの」に変化させ、恐怖心を和らげる効果があるからだ。

このように人の恐怖の根源は「未知」なのである。

知的探究心とは、人間が高度に発達した「脳」を持ったがゆえに発生した「未知」なるものへの恐怖を克服するための「自己防衛」である。

「死」の恐怖を克服するために、人間は「宗教」を作り死後の世界を想像し、それを正しいと思い込むことにした。
「未知」の現象は、霊や精霊や妖怪や、時には「神」の仕業として、無理やり納得した。

現代で、古い昔話に出てくるもの、例えば日本だと「鬼」や「天狗」や、そういったものを本気で信じている人は居ない。
なぜなら、そういうものの仕業とされてきた(主に)自然現象の数々の仕組みが解明されたからだ。
しかし「死」に関しては未だに謎のまま、特に「死後」に関しては現代の科学を持ってしても解明されていない。
「死後」の世界があると確認はされいないのはもちろん、そういったものは「無い」と証明もできていない。
だから非科学的な「宗教」というものが無くならないし、今も多くの熱心な信者が世界中に居るのだ。

最後に、ホラー小説などの「怖い」話を作ろうと思っている人へ。
人に一番怖いお思わせる方法は、誰にも分からない、理論的な、あるいは納得できる想像すらできない、そういう話を作ることだ。
ものすごい人気だった「リング」が第三部になってとたんに評価が落ちたのは、理論的・・・ではないかもしれないが、納得できうる不可解な現象の仕組みを表に出してしまったからだ。
第一部の時のように、何もかもが分からないままであれば、ホラー小説として今も高い評価をされていたであろう。
人は「未知」が「既知」になったとたんに、「恐怖」心がなくなり、さらにそれを克服するための「知的探究心」である「興味」という感情も薄れてしまうのだ。

この事を小説でも漫画でも映画でもドラマでも何でもいい、作り話の作り手は覚えておいてもらいたい。

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