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トランプvsCNNから見えてくる 人間の本質

トランプは人間として尊敬に値する人格者ではないのは、大多数の人が賛同してくれると思う。
しかしそれと対立しているマスコミを支持する人も、そう多くは無いだろう。

多くの人間が気づいてないだろうが、マスコミというのは「人の不幸で飯を食ってる」最低最悪の職業でもある。
「人の不幸は蜜の味」なんて言葉もあるらしいが、それを最も利用して金を稼いでいるのがマスコミだからだ。

ニュースというのは、良いものより悪いものの方が多い。
なぜなら、悪いニュースの方がより人々の関心を引き新聞の売り上げやテレビの視聴率が上がるからだ。
なぜ人々は他人の不幸にこれほど関心を寄せるのか?

人間は自分たちはすでに地球上の生命の頂点に立った勝ち組、王様のように考えているだろうが、実は未だに厳しい生存競争をさせられている。
この世界一安全で国土が狭いがゆえに、未踏の土地がほぼ無いに等しい現代日本においても、野生の熊に襲われてケガをしたり死んでしまったりする人だっている。
人類と他の生き物との生存競争は今も行われている証拠であり、人類は有利にそれを戦っているかもしれないが、完勝したわけでもその戦いが終わったわけでもない。
そして生存競争というのは、何も人類以外の他の生き物とばかり行われているものではない。
人間同士でもそれは行われる。
それが大きなものでいえば「戦争」であり、日常の小さなものでいえば「いじめ」や「差別」などだ。
これらが無くならない一番の理由がここにある。

この神に課せられたとでも言うべき生存競争が、他人の不幸を喜ぶと言ったら言い過ぎかもしれないが、そういった感情を多くの人に引き起こす要因になっている。
だから悲惨な事件・事故現場を見たがるし、遺族の悲しんでいる姿をテレビは映したがるのだ。

だが逆に考えてみてほしい。
不幸な目にあった人、事故・事件の遺族はその姿をテレビで全国に放送されてどう思うか?

CNNは比較的新しいケーブルテレビのニュース専門チャンネルらしい。
さっき「ひるおび」で言ってた情報が正しいならw
そのCNNを一躍有名にしたのが、「湾岸戦争」の生中継だそうだ。

命を掛けて戦っている米軍兵士はもちろん、あの戦争の中で爆弾だの銃弾だのを浴びて死んでいく多くの人々にとって、それはテレビなんかで生中継されて嬉しいと思うだろうか?
自分や自分の家族や友人が、次々と無残な死に方をしていっている過程を、それがたとえ死体そのものが映らなくても、他人には見られたくないと思わないだろうかと。
「戦争の悲惨さを伝える立派な仕事だ」と言う人も居るかもしれない。
実際マスコミ自身はそういってるし、そう思っているだろう。

しかし実際は他人が無残に死んでいく所を見て、「ああ自分じゃなくて良かった」「自分は生きている、勝ち組だw」という満足感や優越感を満たしているのもまた真実だと思う。
反対に不幸に会っている側は、自分が生存競争を負けて脱落していく姿を見られるという、生き物にとって一番屈辱的な目にあわされているのであって、それを喜ぶ人は居ないと思う。

災害報道のあり方に最近批判が多い。
当のマスコミは人間のそういった本質・エゴの塊のような連中なので、一向に改善しようとしないし、批判に耳を傾けようとすらしない。
無残に破壊されたぐちゃぐちゃの我が家の姿を全国放送で流される、何もかも失って茫然自失になってたり落ち込んでたり、あるいは大切な人を失って悲しみにくれている姿を、無神経に取材と称してカメラに写されインタビューされる。
自分が被災者・被害者だったらどう思うだろうか?

日本というのは、世界でも珍しい「思いやり」という他人を第一に考える事を美徳とする文化がある。
だからこそ、このマスコミという職業のクズさ、嫌悪感の原因が分かるのかもしれない。
自己中心主義の欧米人、トランプを支持したアメリカのマスコミ・メディアに嫌悪感を持つ人々も、なぜ自分がそんなにマスコミが嫌いなのかははっきり分からないだろう。

全ては他人の弱った姿を見れるというのは、生存競争において相対的にその人より自分が勝ったという証拠であり、本能的に気持ちよく感じる事であり、逆に自分が弱った姿を多くの人に見られるというのは、生存競争において多くのライバルに負けたという証拠であり本能的に屈辱を感じるわけだ。
この理屈をうまく利用して金儲けをする。
これがマスコミの正体であり、本質であり、ここ最近の多くの人が嫌悪感を覚える正体である。

私はマスコミ自体を否定しているわけではない。
この世に必要の無い職業というのは生き残れないからだ。
ニュースというのは、人間のエゴ的な満足感を満たすという負の面を除けば、日々の生活に必要な面もある。
たとえば気象情報は猟師などにとっては自分の命にも関わる必要不可欠なニュースであろう。
災害のニュースにしても、たとえば運よく助かった人などが居ればその人の情報はいざ自分が同じ目に会った時に役立つかもしれないと記憶に残すだろう。
事件・事故も原因を知る事で、自分が同じ目に会わないよう教訓とする事ができる。
このようにニュースやマスコミの活動自体は、まったく人々になんの役にも立たないわけではない。
ただ彼らには、「自分が人の不幸で飯を食っている」という認識が全く無いところが問題なのだ。
だからまるで選ばれた人間、特権階級のように振舞う。
警察や消防や自衛隊が懸命に生存者の捜索と救出をしているそばで、平気でヘリを飛ばし取材と称して邪魔をする。
自分たちの主義主張に沿うニュースばかり流して、都合の悪いものは報じないか、報じてもすぐにそれをやめる。
この典型例のひとつがREN4の二重国籍問題だ。
自民党の議員が日本とどこかの国の二重国籍だった、あるいはREN4の場合は日本国籍すら持っていたか怪しいわけだが、そうだったら恐らくその議員が辞職するまで叩き続けただろう。
現在、REN4はこの問題に対して国民が納得するような説明もしてないし、日本国籍を所持している、台湾国籍は破棄しましたという証拠すら出していないし、議員を辞めるどころか最大野党の党首としてふんぞり返っている。
マスコミもこの問題を「おかしい」と報じ続けるところは一社もない。

こういった姿勢も、「人の不幸で飯を食ってる」という後ろめたさが無く、逆に特権階級であるという間違った認識があるからこそ出てくるものなのだ。

私たちはこういった真理に、彼らマスコミ連中自身が気づくまで、うまく利用しつつも「No」の姿勢を突きつけ続けなければならないと思う。

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