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政教分離とマスゴミ

日本は政教分離の原則というものがある。
wikiを見ると、政教分離を採用している国は日本以外の多くの国も採用しているが、その方針は様々なようだ。
日本の政教分離は、世界でも厳しい部類に入るらしい。
というのも、日本は人類の歴史を先入観無しに見た結果、あるいは戦前の自国の体制の反省などから、「宗教が政治に絡むとロクな事にならない」という結論に至ったためだ。
「宗教は政治に関与してはいけない」その代わり「政治も宗教には一切関与しません」。
これが日本の政教分離の原則の姿です。
日本より緩やかな政教分離の国は、主に人類の歴史の中の「宗教弾圧」などによる混乱の方を重視し、「政治は宗教に一切関与しません」の部分だけ採用している。

どちらにしても、過去の人類の歴史という教訓から学んだ結果である。

宗教というのは、例えればいわばアイドルのようなものである。
神という架空のプロデューサーによって作り上げられた教祖や開祖と呼ばれるアイドルと、そのファンである信者で成り立っている。
人間というのは思想・信条はもちろん、食べ物や人の好き嫌いなど、国や民族や、あるいは親兄弟でも違うのが普通だ。
それら考え方がバラバラの人間を、国だの部族だの一つの群れとして統率するのは、非常に難しいのである。
野生動物の群れのリーダーだって、一生リーダーで居られるわけではないし、ましてや人間界のように世襲などというのはあり得ない。
なまじ変に賢くなってしまったため、他の野生動物の群れより更に統率が難しい。
しかし宗教の場合、ファンである信者は一種の「思考停止」に陥り、教祖や開祖の言う事であれば何でも聞くし賛同する。
これに群れの統率に苦労していた人類のリーダーが目をつけ、自らが宗教の指導者を兼ねる事で、国の統治をやりやすくしようとした。
中世のヨーロッパや、あるいは日本も戦前はそうだったわけだ。

しかしながら「思考停止」するのは、末端の信者だけで宗教を利用して権力や富を得ようと、信仰心の欠片もない幹部連中も居るわけで、これも上手くいかなかった。
上手くいかないどころか、無駄な争いが増え、しかも他の戦争や紛争や内戦と違い、宗教が絡んだ争いは解決が難しい。
織田信長も宗教には手を焼いている。
当時の日本は内戦状態であり、今の都道府県単位でそれぞれが独立国のような状態であったわけだが、他の戦国大名が統治している国は、基本的に大将である大名や大名一族を討ち取ってしまえば、家臣や領民は降伏して自分に従ったわけだが、宗教によって統治されている国はそうはいかなかった。
だから焼き討ちしてまで、皆殺しにせざるを得なかったわけだ。

このように宗教というのは、非常にやっかいで危険な「権力」なわけだ。
だからこそ日本は政教分離の原則を厳しく適用した。
無用な争いを避け、独裁を防ぐためである。

その他に三権分立というのもある。
政治家などで構成される立法と、裁判官などで構成される司法、実務を行う公務員で構成される行政。
これも「独裁」を防ぐために、主な権力を3つに別けて、それぞれを独立させたわけである。

これらは全て過去の人類の歴史の教訓から、人類がより安全に公平に生き残っていくために考え出されたものだ。

ただここに来て、今までの人類の歴史には登場しなかった、新たな「権力」が登場した。
それが「マスゴミ」である。
「言論の自由」をかさにきて他の権力の干渉を退け、宗教よりも巧妙に視聴者という名の信者を「思考停止」状態へ陥らせ、操作する新しい集団だ。
テレビや新聞は嘘を言わない、テレビや新聞の言うことは絶対に正しい事だ。
そう思ってる人が少なからず居るから、支持率なんてものが簡単に上下するわけだ。

これは日本だけに限った問題でなく、アメリカでもそうである事がトランプ大統領の登場によってわかって来た。
「フェイクニュース」という新たな単語が広まったのも、公平中立が原則であるはずのマスゴミが政治的な権力を意図した宗教などに代わる勢力として台頭してきた事の証拠でもある。

独裁や少数が多数を支配できるような体制を、可能な限り防止するのが現代の「権力」に対する世界標準である。
かつての一大権力である宗教は、政治とは相互不干渉とする事で独裁を防ぎ、政治の権力も立法・司法・行政と3つに分けてる事で、同様に独裁にならないようにしている。
しかしマスゴミという宗教に代わる一大勢力に対しては、独裁を防ぐような制限もバランスを取れる対抗勢力も無いのが現状。

モリカケ問題での安倍叩き一色などの異常な光景を目にした日本人や、法や制度にのっとって正当な手段で大統領になったトランプに対する口撃を目にしているアメリカ、世論調査や既存メディアの世論操作に反発する形で、それらの予想を裏切ってEU離脱が可決されたイギリスなど。
世界はマスゴミの危険性に気づき始めている。

私は政教分離と同じく、政治とマスゴミも分離するよな原則が必要と考える。
そもそも政治の監視は国民自身が行う事であって、マスゴミが行う事ではない。
独裁独裁と騒ぐが、もし本当に独裁なら今の日本の三権分立や政教分離は無駄な制度であり、機能していない事になる。
それらを否定しているも同然であり、なおかつ政治の監視を国民ができていないと馬鹿にしている事にもなる。
マスゴミ教の信者でない者達は、この権力の暴走に気づき警鐘をならしているが、日本においてはテレビ・新聞しか見ずに、それらを妄信する年配信者が多く居るので、気づかれないしもみ消され放題である。

これはマスゴミ自身が生き残るためにも、必要な措置だと思う。
かつての宗教のようになりたくなければ、政治とマスゴミの相互不可侵などの対策を、先手を打って提案すべきでもある。
国家権力に屈すると思われる人が大勢居るだろうが、そうではない。
政治のような異なる思想・信条が争う世界の出来事は、双方の主張を公平に公正に報じ、それに対して一切のコメントをしなければ良いだけの話である。
双方の主張を見て、どちらが正しいとかどちらを支持するかを決めるのは、国民や視聴者に任せるのである。
従って少なくとも政治を題材とした社説はご法度になる。
政治評論家という、居ても居なくても良い職業は廃業になるだろう。
北朝鮮や中国の新聞のようになりたくないのであれば、政治的野心は捨てるべきである。

もう一度言うが、政治権力の監視は国民ひとりひとりが行うものであって、マスゴミが代行するものではないし、そんな法的な根拠や権限も無いというのをマスゴミも一般国民も自覚すべきである。
すでに日本は、戦前に軍部と結託して世論を煽って戦争を起こし、それによって発行部数を大幅に伸ばして利を得た朝日新聞のような前科があるわけですよ。
日本は戦前の体制の反省から、政教分離・三権分立を取り入れた新しい国の仕組みを作ったわけですが、この時になぜか政治とマスゴミの相互不可侵の原則は議論さえされていません。
言論の自由という、一方的にマスゴミに有利な権利を設定し、制限を一切設けないという過ちを犯しているわけです。
戦犯である軍事産業や財閥は、解体や廃業などの罰を受けたにも関わらず、新聞社は一切お咎めがなかったわけです。

ここがそもそもの間違いの始まりでしょう、日本においては。
財閥と同じく、新聞社も共犯として扱うべきだったのです。
そして政教分離・三権分立と同じように、政治と報道も政教分離のように相互不可侵とするか、三権分立のように対抗勢力を設定してお互いを牽制させるような仕組みを作るべきだったのですよ。

私は第三次世界大戦が起こるとしたら、必ずやマスゴミが大きく関わるだろうと予測しています。
そして第三次世界大戦後にまだ人類が生き残っていたら、そこではじめて第二次世界大戦の教訓から出来上がった政教分離や三権分立に加えて、新しく政治とマスゴミの分離の原則が誕生するでしょう。

人類が馬鹿でないのなら、最悪の犠牲を伴った最悪のシナリオをたどる前に、政治とマスゴミの分離を早く確立すべきです。

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