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夢とは何か?

夢と希望とかの「夢」ではなく、寝てる時に見る「夢」について。

多くの人は「夢」は起きてしばらくすると忘れる。
見ている時は、まるで現実のように感じ、これは夢だと気づいたり疑ったりできるのも稀だ。
カラーなのか白黒なのか、現実的なのか非現実的なのか、聞いた声や自分が言った台詞も全て忘れてしまう。
そもそも夢の中の自分が、現実世界の自分と同一なのかも分からない。
なぜなら、現実世界と同じようにFPSゲームの1人称視点であり、自分の姿形を見れないからだ。
せいぜい現実世界で「男」の人は、夢の中でも「男」であるとか、その程度の自己同一性しか感じる事ができない。

夢はどこかで見たような光景であったりする場合もある。
例えば昔すんでいた町や家や、通っていた学校や。
でも微妙に構造が違ったりする。

このような様々な「夢」というのは、実は映画の本編が始まる前に見る別の作品の「予告編」や「宣伝」と同じなのだ。
我々は自分が「主人公」だと思っている現実世界の物語を日々「体験」しているわけだが、これは「映画」の本編を見ている状態。

よく誰かに追いかけられる「夢」を見ている時に、うまく走れなかったり、自分の意思通りの動きができない事がある。
この理由も、「予告編」や「宣伝」であり、「本編」ではないからという説明がつく。
「本編」と「予告偏」「宣伝」の違いは、「体験」度の違いである。
我々の本体、魂という不老不死の意識である。
それが見ている無数にある人生物語のうちのひとつを、映画の作品のように見るのだが、映画と違って魂は人生物語の登場人物そのものになる。
スクリーンの中の登場人物に入り込む事で、見るよりもリアルな「体験」をしているのだ。
これが「魂が肉体に宿る」の真相でもある。
魂は同じ存在である神のように全知全能ではないので、複数の物語を同時に「体験」する事はできない。
人間が複数の映画を同時に見る事ができないのと同じだ。
また、肉体に宿るというのは大変な作業(?)であり、そうホイホイ出たり入ったりできるものではないw
だからひとつの人生物語の登場人物に入り込んでいる状態では、そこから抜けて「予告編」や「宣伝」の物語の登場人物に入り込む=宿る事ができず、見る事しかできない。
それが、夢の中で自由に動けないと感じるもどかしさの理由だ。

つまり現実に体験中の人生物語も、自分の意思で動いたり喋っているようで、実はそうではないということ。
肉体に宿ってより物語をリアルに「体験」しているため、あたかも自分の意思で動いたり喋ったりしているように、魂が錯覚しているだけなのだ。
実際は、我々の肉体は、予め定められた「台本」に従って、動いたり喋ったり、つまり演技を自動でしているにすぎないのであるw

「夢」と「現実」の違いは、この程度だって事である。
逆に言えば「夢」物語も、登場人物に入り込む=宿れば、自由に動ける(ように感じる)事ができる。

これを利用したと思しき話もある。
それが「明晰夢」を利用した「タイムリープ」という、オカルトの世界では有名な話だ。

実は夢は必ずしも別作品の「予告編」や「宣伝」ではない。
自分の過去や未来を見る場合もある。
過去を見る、いわば「これまでのあらすじ」や「前回までのあらすじ」偏は、現実世界では「走馬灯」などとも言われる。
未来の場合は、「次回予告」であり、別の言い方をすると「予知夢」である。
この「これまでのあらすじ」偏を見ている時に、映画館のイスから立ち上がり、スクリーンの中の登場人物に入り込む=宿ることで、そちらの方を現実として「体験」し続けるという理屈だ。
ちなみに残った、本来なら目覚めてその後の人生を歩んでいたであろう、それまでの現実世界の肉体はどうなるのか?
どうもならない。
消えないし、これまで通り動いたり喋ったりする。
突然性格が変わったりもしない。
なぜなら今まで述べてきた通り、肉体は予め決まった「台本」に沿って自動で演技をしているにすぎないからだ。

あと「予知夢」も必ずしもその通りに100%当たるとは限らない。
人生物語は、映画と違って1本筋のストーリーではないからだ。
「次回予告」も、その複数あるストーリーのひとつを見ているに過ぎない。
それを見た事によって、「本編」である現実に戻った時に言動が変化する。
夢で見た通りに演じていても、記憶に夢が残っている状態というのが、もう夢の「次回予告」の「台本」とは異なるわけだから、当たり前だ。
その場合は、当然たどるストーリーも変わる。
あるいは自分の言動が多少変わったところで影響のない話であれば、限りなく予知夢と近いストーリーへ進めるだろうが、100%同じにはならない。


さて、このように「夢」が別作品の「予告編」や「宣伝」である場合、いつか「体験」する事になるかもしれない。
そう考えると、悪夢なんかを見た場合は、絶望感がハンパないだろうw
だってあれを現実として「体験」する時が、今の人生じゃなくても別の人生であるかもしれないからだ。
でも心配する必要はない。
そもそも魂は不老不死であるわけで、殺されてもそれは魂という自分の本当の本体が死ぬわけではないからだ。
映画の中の登場人物、自分が入り込んでいたキャストの一人が舞台から退場するだけにすぎないからだ。

ただしこの考え方は、あくまで悪夢をいつか現実のものとして体験するのではないかという恐怖を和らげる事にのみ使ってほしい。
でないと、肉体を殺しても魂は死なないのであればという理由で、自殺や他殺を行うのに抵抗が無くなってしまうからだ。
そもそも私が今まで述べてきた事が、真実である保障はどこにもない。
私は犯罪者になりたくないし、犯罪をお勧めするような事もしたくない。
「台本に沿って演じているだけ」と思って、良い方向へ進む努力をしなかったり考えなくなったりして、人生が破綻されてしまっても困るw

高齢ニートの馬鹿らしい妄想程度に、ネタとして見て下さい。

他の現実的な話、よく書いている政治や思想・信条に関するものは、ネタとして見てもらうのは心外ですけどねw
オカルトチックな話題は、真に受けずに、他のネットによくあるオカルト系の話と同じように、半信半疑あるいはネタとして見る程度にして下さいねw

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