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しょうがないの精神

休日の14時~16時ぐらいとか、よくいかにも「良い話」「考えさせられる話」のドキュメンタリーとかテレビはやります。
その中でさきほど見た韓国在住の「日本人妻」の話がありました。
もちろん、戦前に韓国人の妻となり戦後はもちろん朝鮮戦争時もそこでがんばって、いまなお生き続けている方です。
102歳だそうです。

この方の話や生き方の根底に流れているのは「しょうがない」の精神だと思います。
中国で事業を起こして成功した孫の一人が「苦しいことやつらいことを、そのまま受け入れる。あたらしい環境を嫌うのではなく、適応していくという精神は祖母から受け継いだと思います」と話していましたが、まさにこれが「しょうがない」の精神です。
日本人と結婚したアメリカ人だかカナダ人だかの女性Youtuberとかも、この「しょうがない」の精神について語っていたことがありますが、どうやら日本人独特のもののようです。
英語には「しょうがない」に該当する単語が無いそうです。
もちろん英語が日本語より劣っているわけではありません。
文化や歴史の違いにより、日本語に該当する単語がない英語も沢山あるわけですから。

日本に自らの意思でやってきた、あるいは祖国に帰らずに留まる事を選んだ「在日」と言われる連中と、ドキュメンタリーで見た「在韓日本人妻」の一番の違いも「しょうがない」の精神があるかないかです。
在日にはそれがない。
というか韓国人にはそれがない。
いや、世界中でそういった精神があるのは日本人だけかもしれない。
だからこそ、在日は日本人と未だに軋轢があり、問題を起こす。
世界中で争いが絶えない。
テロだの紛争だの戦争だのが無くならない。

戦前にアメリカ大陸に渡った日本人移民は、いまや現地で国の重要な地位を占めるまで出世しています。
商売や政治など様々な分野で成功している人も多く居ます。
これは在日のように、不平・不満を言い続け、てめーの主義・主張を押し通した結果ではありません。
そういう事をしなかった結果です。
差別や日本との文化の違いなど、苦労やつらい事は沢山あったはずですが、それらをすべて「しょうがない」で受け入れた結果です。
同様にこのドキュメンタリーの「日本人妻」が、反日感情の強い韓国で102歳になるまで生きて来られたのも、「しょうがない」の精神があったからです。

「しょうがない」というのは、「諦める」事とはまた少し違うと思います。
もっとこう、肯定的な「諦め」とも言いましょうか、「諦めた」ように見えて「諦めてない」と言いましょうか。
ドキュメンタリーで愚かなスタッフが、「韓国人に生まれていたら良かったのにと思った事はありますか」とこの「日本人妻」に聞いてましたが、「そんな事は一度も思った事がない、ありえない、なぜそんな事を聞くのか?」と逆ギレとも思える反論をされていましたw
「私はずっと日本人としての気概を持って生きてきた」ともおっしゃっていました。
つまり、「日本人」である事を「諦めて」いないわけです。
ただでさえ祖国よりも生き難い反日国家韓国で、それらを全て受け入れてなお「日本人」である事の誇りを捨てたわけではないと。
郷に入りては郷に従え とでも言いましょうか。

在日の方々も「韓国人」や「朝鮮人」である事を一向に止めようとしません。
通名などという偽名まで使って、むしろ隠して生きています。
そこにはこの102歳の在韓日本人妻のお婆さんのような、気高い民族の誇りなどというものは全くありませんね。
戦前日本にひどい事をされた(と本人たちが言ってる)韓国人だから、朝鮮人だから、優遇しやがれ。
お前らが俺らに合わせろ、譲歩しろ、謝罪しろ、金よこせ。
1世が言うならまだ気持ちも理解できないわけじゃないですが、2世・3世も同じ事を言うw

しょうがないの精神が無いからです。
もう戦後70年も経ったし、日本は謝罪も賠償も十分にしてきているのに、いつまでもグダグダ言っててもしょうがないじゃないか。
そういう思考の転換や現実の受け入れができないのです。
別に韓国人・朝鮮人が劣っていると言っているわけではありません。
戦勝国側だった欧米人ですら、未だにそうです。
てめーらが被害を受けたわけでもないのに、日本は悪い国だった、謝罪賠償は当然。
正義は我らにあった。
連合国は酷い事は何もしてないが、ドイツや日本は世界に対して酷い事を沢山した。
こう本気で思ってる愚か者のなんと多い事か。

人の力ではどうしようもない事、それに拘っていたら何も先に進めない事、そういうものを受け入れる時に自分を納得させる文句が「しょうがない」です。
「仕方ない」という言葉もありますかね。

ただこの「しょうがない」は正しく使われないと、滅びます。
「もう生きていてもしょうがない」と言って自殺する人が日本には多いですが、その為です。
「しょうがない」はあくまで肯定的に現実を受け入れる事に使うものです。
納得しきれてない、どうしても嫌だと思う事に抵抗するのを、疲れたから諦めるという後ろ向きの感情で使うべきではありません。
「しょうがない」は生き延びるために使うものなのです。
無用な争いやマイナスの感情を避けて、前に進むために使うのです。
本来は自殺の言い訳に使うものではないのです。

アフリカの方が日本の「もったいない」の精神を世界へ広げようと運動して、有名になったことがありましたが、同様に「しょうがない」の精神も、もっと世界に広めるべきと思います。
日本はアメリカに原爆を2発も落とされて、なんで誰もアメリカに謝罪や賠償を求めないの?
なんでそんな憎きアメリカなんかのポチやってんの?
と不思議に思う欧米人は少なくないようですが、それもすべて「しょうがない」の一言で説明がつきます。
今更そんな事を言って、日本になんの利があるのか?
むしろ害しか無い。
そもそも現代を生きる日本人の多くは、戦後生まれであり、自分達自身は戦争で直接的な被害は何も受けてないわけです。
そんな70年も前の事をグダグダ言っても「しょうがない」じゃないか。
そう説明しても、たぶん理解できないでしょうが、まさにこの「しょうがない」精神が、そうさせているのです。
だからこそ、日本はアメリカの支援を、過去の恨みだの屈辱だの全てを捨てて全面的に受け入れて復興を果たせたわけです。
最大の貿易相手として、手本にすべき最も進んだ国として、アメリカを受け入れた事が日本を敗戦国でありながら、世界第二位の経済大国にまでしたのです。
あの戦争はナチスが、ヒットラー一人が悪かった、俺らはむしろ被害者であるという理屈で復興したドイツとの違いです。
だからドイツは、いままたEUの中心となって移民・難民を「無条件」に「無制限」に受け入れるという愚かな方針で、ヨーロッパに「迷惑をかける」という第二次大戦と同じ事をしているのです。

別にドイツを嫌ってるわけでも、勝ち組を気取って叩いているわけではありません。
ドイツが世界大戦を起こした背景も、日本と非常に似通っており、そうせざるをえない状況に追い込まれたからです。
私はナチス・ドイツやヒットラーが人類史上で最も極悪非道だったなどとは思っておりません。
そもそも、日本語やドイツ語を母国語とする国は日本やドイツという当事国だけです。
ドイツ語の場合はスイスやオーストリアなど、歴史的にも距離的にもドイツに近い周辺諸国でも使われますけどね。
対して英語やポルトガル語やスペイン語は、距離的にも遠く、歴史的にも何の共通点もない多くの国で使われています。
これこそが、欧米が人類史上でどんだけ極悪非道だったかの証拠です。

ただそんな事を今更言っても「しょうがない」ので、日本はあえてそれを言わないだけです。
「お前らは過去に極悪非道国家だった」といわれても、「はいはい、そうですね」と流せる理由です。

人が人として生きていく上で、絶対に譲れないもの、捨てられないものというのは、あるでしょう。
しかし良く考えれば、それって本当に必要なの?というものもあるのです。

日本は地震は多いし台風も毎年来るし、火山が噴火する事だってある。
そんな地域に長年住み続けるには、いちいちそれらに対して憎んだり悲しんだり神を呪ったりしても、何も変わらないし始まらないわけですよ。
だから「しょうがない」が生まれたのです。

もういっそ、「しょうがない」教でも作って、世界に広めてもいいぐらいですw
何もかも諦めるためではありません。
受け入れるべきは受け入れ、それを「しょうがない」で済ませる事で、前に進めるならそうすべきという考え。
もっと広めましょうw

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