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戸塚ヨットスクールに見る体罰

例の相撲事件で、「根性を叩きなおそうと思った」と加害者が言ったとか、言わないとか聞いたので。

昭和の話題になった事件に、「戸塚ヨットスクール」がある。
これはどうしようもない糞悪ガキの更生施設として評判だった「戸塚ヨットスクール」に、なぜか不良でもなんでもない奴を入れてしまったために、しごきに耐えられずに自殺してしまった事件だ。
当時は異常な体罰&しごきで、世間から猛バッシングを受けた「戸塚ヨットスクール」であるが、更生した糞ガキも沢山居て、そういう人達からは擁護された。

根性とか性根とかってもんは、鉄の棒のようなものだ。
ぐにゃぐにゃに曲がっていても、叩きまくれば真っ直ぐにする事はできる。
ただし、「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、すでに冷え固まったものや、そんなに曲がってないものを、ぐにゃぐにゃに曲がったものを真っ直ぐに直す場合のように、めちゃくちゃ力いっぱい叩きまくったら折れてしまうのだ。
つまり、「戸塚ヨットスクール」で更生した悪ガキってのは、熱い状態の鉄だったわけだ。
自殺してしまった子は、曲がってもないし熱くもない鉄だったという事だ。
だから悪ガキと同じように叩いた結果、折れてしまった。

そうは言っても人間の根性は鉄のように、目に見えるものではない。
だからこそ難しい。
厳しいしごきや体罰で、必ずしも全員が更生するわけじゃないし、逆に自殺みたいな最悪の結果になる事もある。
しかしだからといって、これらを全否定してしまっては、ぐにゃぐにゃに曲がりくねった鉄の棒だらけになってしまう。

こいつは本当に根性が捻じ曲がっているのか?
まだ熱い状態で叩けば真っ直ぐになりそうなのか?
そこの見極めができる人間が行わなければならない。

そもそも鍛冶屋だって、一人前になるには多くの鉄を破損させたであろう。
ただ力いっぱい叩けば良いというものではないからだ。
鉄の状態を見て、力加減を変えて叩かなければ、真っ直ぐにならないし、ヒビが入ったり折れたりしてしまう。
「戸塚ヨットスクール」だけじゃないが、体罰やしごきを行う人間に多いのが、未熟な鍛冶の腕しかないくせに、たまたま何本かうまく打てたからといって、一人前の鍛冶職人なのだと勘違いして、鉄の状態を見ないところだろう。

未熟な鍛冶屋しか居ないから、鍛冶は必要ないという暴論は、未熟な鍛冶屋であるとの認識が無い指導者達の怠慢が招いたとも言えるのだ。
鉄の状態、すなわち個人の性格や資質やそういったものを細かく観察したうえで、どういう指導をすべきか、しごきの加減を調整すべきなのだ。
熱い鉄もあれば、冷えかかってる鉄もあるし、どうしようもなく曲がりくねった鉄もあれば、ちょっと修正するだけでよいほぼ真っ直ぐな鉄だってあるのが、人間なのだ。
その見極めもできない、というかしようとしないで指導者ぶってる、先輩ぶってる人間の何と多い事か。

全ての人間に同じ指導方法が通じるなら、誰でも名監督である。

体育会系と言われる団体や組織や業界の人間は、これを理解すべきである。

そうすれば、行き過ぎた体罰やしごきや、事件にまで発展するような問題は起きないのである。

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