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ライトノベルと小説の違い

ライトノベル原作の、2・3年前のアニメ化作品を、たまたま見返す機会があって、ふと思った事を。

ライトノベルとは、直訳すれば「軽い小説」となるだろうか。
つまり「小説」の1分野である。

しかしノーベル文学賞にノミネートされるような、専門家の高い評価を得るに至る作品はない。
同じ「小説」でありながら、何がライトノベルと村上春樹の作品との違いを生んでいるのか?

ライトノベルはよく馬鹿にされるが、「じゃあお前は書けるのかよ?」って言われたら、「おお、こんぐらい簡単じゃん」と実際に書いてみせられる人間は、ほぼ居ないw

よくネットの掲示板に掲載されるような、SSというライトノベルより更に簡易な「小説」であるものですら、まとめサイトに取り上げられるようなものは、誰にでも書けるものではない。
文章を書く事を仕事や趣味にしたいと思って、それなりに練習や努力をしている人でなければ、書けないのだ。
だが同時に、「それなりの努力」をしている人なら、才能なんぞなくても書けるとも言える。

これが「ライトノベル」がノーベル文学賞にノミネートされない理由だ。
真に高い評価を受ける人間というのは、「努力」はもちろんだが「才能」も必要になってくるのだ。

ただいくら「才能」があって、「努力」している人でも、「それなりの」努力では超一流にはなれないし、経験や実績など「時間」も必要になる。
イチローは最初からイチローではなかった。
高校時代までは、ほとんど「無名」であったわけで。
だが、いまや「世界」レベルの超一流選手だ。
高校時代に既に「一流」と言われて、ドラフト1位でプロ野球に入った人でも、イチローレベルに到達した人は少ない。

これは、最初から「小説家」としてデビューせずに、「ライトノベル」作家としてデビューした人でも、イチローのように超一流の、それこそノーベル文学賞を取れるような人が居るかも知れないという事を示唆している。

そうなるには「本人」の「才能」と「努力」が一番大切なのはもちろんだが、周りの多くの人間の「協力」も必要になる。
誰も見ない、読まないでは、評価しないでは、才能がいくらあっても、それが開花する前に本人が「努力」を止めてしまう事もあるだろう。
ライトノベル作家を超一流のノーベル文学賞作家や芥川賞作家にするのは、読者や出版社の担当など、多くの人間の「協力」も必要だということだ。

今のように、読者も出版社も、「しょせんはライトノベルwww」なんてやってたら、才能も開花しない。
また作家自身も「しょせんはライトノベルwww」と思って活動していては、イチローにはなれない。

それと、ノーベル漫画賞というのが無いので出てこないが、ノーベル文学賞を取った作品や作家より、ずーっと面白く、深い作品の漫画も私はあると思っている。
さすがに知る限りのライトノベルで、そこまでの作品はお目にかかった事はないが、大いなる才能があるかも知れない人は居ると思う。

私は、読者が、出版社が、そしてなにより作家自身が、「しょせんはライトノベルwww」という考えを捨て、もっと自信を持って、更なる高みを目指す「努力」をして欲しいと思う。
それが「ライトノベル」を、文学の1分野として、世界的に定着させる事になると思う。
そうなれば、馬鹿にされる事もなくなるし、売り上げももっと伸びるし、収入も増えるんじゃないかなぁと。
胸を張って「ご職業は?」と聞かれたら、「ライトノベル作家です(ドヤァ)」って言えるようになるんじゃないかとw

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