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大谷5号ホームラン

メジャーリーグで大活躍中の大谷選手が、本日5号ホームランを打ったらしく、ネットでは即話題に。

こういうのがあると、必ず「大谷スゲー」→「日本人スゲー」→「日本人な俺スゲー」ってアホか。
すごいのは「大谷」であって、お前じゃないwww
と言うのが出てくる。
まぁ一理あるし、日本人というのは「謙虚」であることが尊ばれるという風習が強いので、そういう意見が出てくるのも分かる。
しかしながら、「謙虚」であれという日本人独特の価値観から出てる意見でない事の方が多い。

だいたい、こういう事を言うのは「反日」とか言われるやつ等だ。

私は、そういう連中に対してこう返したい。

「大谷がすごいのであって、日本人がすごいわけじゃない」
と言うなら、おめーら反日が言う事も、
「戦時中の一部の日本人や軍の上層部が悪いのであって、日本人全員が悪いわけではない。ましてや当時生まれてすら居ない今の日本人の大部分が、それに負い目を感じたり謝罪を求められたりするのはナンセンスだ。」
とねw

「○○の起源は韓国ニダwww」と彼らはよく言うが、1万歩ぐらい譲って仮にそれが本当だったとしても、君らの先祖の一部がすごかっただけで、朝鮮民族がすごいという話にはならないよね?大谷賞賛を批判する君らの理屈からいけば。


大谷選手がメジャーで大活躍する事で、まるで自分も優れた人間であるかのように勘違いするのは、確かに行き過ぎであろう。
だがそんな事を本気で思ってる日本人なんて居ない。
君らと同じ価値観で日本人を語ってもらっては困る。
大谷選手や、その他の「日本人」が海外で活躍する事で、「よーし、自分もがんばろう」って気になるとか、純粋に同族の成功を喜ぶとか、ただそれだけなのだよ。

戦時中にドイツと同盟を組んでいたにも拘らず、迫害されていたユダヤ人を5000人以上も助けた人が居たとか、植民地にされたと言われている台湾で、今も活躍する大規模なダムを作って現地に大きな功績を残した人とか、帰還命令や武装解除命令を無視して、インドネシアの独立のために武器を横流ししたり、一緒に戦って戦士した兵士が少なからず居たとか、そういう話に対する海外の高評価を見て、ホルホルしている日本人を馬鹿にしたり批判する。

たしかにそれを真に受けて、日本人は世界で一番高潔な民族だとか、その日本人である自分が誇らしいとか、本気で思っちゃう人が居ないとは言わない。
だが多くの日本人は、そういう記事を見て感じるのは、「高潔な先祖に恥じない言動を、現代の日本人は、自分はできているだろうか?」という自省や、ご先祖様達が築き上げた良い評価や素晴らしい行いを無駄にしない言動を、自分達は心がけないといけないなという自戒だろう。

先祖の功績の上にあぐらをかいて、堕落しきっている漢民族や、ありもしない功績をでっち上げるような事までしないと、自尊心や精神の安寧が持てない朝鮮民族と、同列で語らないで欲しいのだw

大谷選手の活躍は、純粋に同じ日本人として嬉しい、元気をもらえる、勇気づけられる、自分もがんばろうという気になれる。
そういったポジティブな気持ちになるというだけであって、それを優劣に利用しようとか、そもそも優劣を語る材料にしようなどという日本人は殆ど居ない。

ちなみに書いていて思ったが、私もよく日本人と海外の人の違いを、まるで過去や一部の日本人の活躍や功績で優劣を語るような事を良く言ってるじゃねーかと印象を持たれるなぁと思ったが、弁解をさせてもらえるなら、私がそれを言う時というのは、先に他からのネガティブな批判・・・というか誹謗・中傷のようなものが話題になった時だけである。
つまり「反論」であって、何も誰も言ってないのに、自分からそれを言いふらして良い気分に浸るなとどいう、どこぞの人達のような事はしない。

例えば、戦時中の日本の、海外でも話題になるような素晴らしい行いについても、それはあくまで結果論であって、あるいは「一部」の話であって、それによって戦時中の日本は何も悪くなかったなどと言った事は一度も無いし、思った事もない。
日本がアジアに侵攻して、欧米列強を追い出した事が、アジアの独立につながったとか本気で言う奴も居るが、私にしてみれば、それはあくまで結果論でしかなく、正しくは無いというスタンスだ。
もしあのまま米国が折れて、日本に圧力を掛けるのをやめ、戦争にならなかったり、枢軸国側の勝利で終わっていれば、おそらくは今でもアジアは日本に占拠されたままだったと思う。
欧米の植民地支配よりは、いくばくかマシであるというだけであって、「日本人」と表向きはされた朝鮮人や台湾人も、差別に苦しむ2等国民扱いだったと思うし、独立の約束をされた他のアジアの国々も、のらりくらりと交わされるか、独立国家とは名ばかりの、満州のような傀儡政権の国ばかりになっていただろう。
今でこそ、誰も差別する人は居ないどころか、差別があった事すら知らない琉球という日本ではない独立国家だった沖縄も、あのまま日本が戦争に勝ってた日には、今でも「琉球人」としての差別は残ったと思う。

話が逸れたが、過去の事であれ、現在進行形で起こっている、日々の様々なニュースであれ、それを人種の優劣や勝敗のネタにするのが、おかしいと思うのだ。

「罪を憎んで 人を憎まず」という言葉が日本にはあるが、歴史やニュースというのは、そうあるべきなのだ。

劣等感や優越感というのは、誰にでもある。
もちろん日本人にもある。
だからそういう「単語」が存在するわけだ。
それは「生物」としては、当然の事であり、聖人を目指して修行するような宗教家でもない限りは、無理に隠したり抑えたり排除する必要は無いとも思う。
それが「生き延びる」「生き残る」原動力になるのも、また真実であると思うからだ。

ただそれらは、あくまで「自分の中」だけで行うべきだ。
もちろん、本当にその人のためになる苦言や、お叱りみたいなのは、しても良いし、素直に聞くべきだ。
心の中で「コノヤロウ」とか思っても、表向きは、「なるほど、申し訳ございませんでした」と言うべきであろう。
自分に対する苦言や批判というのは、例えそれが理にかなっていても、すぐに受け入れるのは難しい。
だが、「はぁ?何言ってんだこいつwww」みたいにまったく無視するのと、心の中ではそうは思っても、「悔しいが理にはかなっている」と思うのとでは全然違う。
後者は時間が掛かっても、何かしら改善に繋がるものだ。

一番分かりやすい例が「親に対する気持ち」ではなかろうか。
反抗期のまま、何も反省せずに育ち、今でも「親は糞」とか思ってる人って、他人から見ても「君の親は酷いね、同情するよ」と言われるような親でない限りは、「こいつ、何時まで反抗期やってんだよwww」と笑われるのがオチだ。
たいていの人は、「親から離れて一人暮らししてみて、はじめて親のありがたさが身にしみた」とか、「自分が結婚して子供ができて、親となってみて、はじめて親の気持ちが分かった」みたいな感じで、反抗心が親への感謝や敬愛に変わるのが一般的だろう。

人間の優劣なんてものは、ささいなものだし、人間が判断できるものではない。
同様に完全な正義や悪なんてもんも、この世には存在しない。
人間は神にはなれない。
聖人にすら、実はなれないのだよ。
だからといって、それに近づく努力をしないとか、そういう努力を馬鹿にするつもりもない。
それはそれで、私はそういう人が居たら素直に関心するし、尊敬する。

それが「大谷」フィーバーの、正しい説明ではないかと思うという話。

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