2ntブログ

俺ガイル

「俺ガイル」とは、「ソノックブーム」とか玄関の前にしゃがみ小キックを連打してるガイルが居て外に出られないというネタで有名な、ストリートファイターⅡ(通称 スト2)のアメリカ代表のガイルの事ではない。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている という糞長い題名のライトノベルの略称だ。

さてこの「俺ガイル」であるが、アニメ第一期及びそれに相当する原作は、非常に高い評価を受けた。
にも関わらず、第二期や第二期に相当する原作は、非常に叩かれている。

理由は初期の頃の、ひねくれた高校生のひねくれた日常物語から、ラノベ特有のハーレム恋愛ものになってしまったからだと言われている。
聞くところによると、アニメ第一期が終わった頃から第二期及びそれに相当する原作が出るまでに、相当な期間、作者がスランプにあって物語の続きが長らく書けなかったというのがあるらしい。

そりゃそうだ。
あんなすごい名言やネタ満載の物語なんて、そうポンポン書けるもんじゃない。
アニメ化までされ、予想以上の人気が出てしまった事によるプレッシャーもあったであろう。

さて、俺ガイルの第一期のアニメしか見てない私だが、本当にアレは名作だった。
変にイケメンな主人公にせず、ヒロイン達はまぁアニメのキャラクターデザインには独特の雰囲気があって、かわいくないわけじゃないが、賛否両論あったりもした。
だからこそだろうが、「文章」で書かれた物語そのものの「面白さ」が非常に際立ち、異色の名作として非常に高い評価をされるに至った。

世の中を斜に見るひねくれ者というのは、リアルでもそれなりに居るが、あそこまでひねくれてる主人公は、今まで見た事が無く、非常に新鮮だった。
私も幼少の頃から「ひねくれている」と良く言われてきたが、そのリアルひねくれ者の私から見ても、かなりすごい。
「ひねくれもの」というのは、よく言えば、他の人と違ったモノの見方をする、できる人のことでもある。
よって、芸能分野では大いに成功する可能性が高い。

例えば、お笑いなんかそうだろう。
唐突に、本当に面白い事が言える、できる人ってのは大抵は「ひねくれもの」が多い。
他の人と違ったモノの見方や考え方ができるからこそ、それが人々を笑わせたり「面白い」と思わせられるのだ。
また小説や漫画などの創作も、他の人が思いつかないような物語が書けるからこそ、売れるわけだ。

この「誰にも思いつかない」ような発想に基づく、台詞や推理小説で言えばトリックの部分が、非常に素晴らしかったのがアニメ第一期の「俺ガイル」なのだ。
昨今の漫画とかに多い、物理法則や設定を無視した力業で問題を解決する事を一切しなかった。
「その発想は無かったわ」と関心し、同時に笑える問題解決を行ってきた。
しかもそれが、わりと現実でもできそうな、無理のないリアルさがあったりしたのも良かったw

私はこれを見て、この原作者は相当に頭が良い人だと感じた。
頭が良いと言うと、すぐに東大に現役で合格できるような、いわゆるお勉強が良くできる、記憶力の良い人や理解力のある人などを思い浮かべがちだが、ここで言う頭の良い人というのは、「頭の回転が速い人」という意味だ。

頭の回転が速い人の例としては、松本人志なんかがリアルではあげられる。
「えー?」と思う人も居るだろうが、とある番組のMCの時のしゃべりで、「ああ、こいつは頭の回転が速いなぁ」と強く思った事があるからだ。
明石屋さんまなんかも、割と頭の回転が速いと思う。

つまり咄嗟に、普通はそういう発想や答えは出てこないという、返しやネタ振りや突っ込みやボケができる人の事だ。
笑う以前に、あるいは笑うと同時に感心してしまうような事を言える人、「上手いなぁ」みたいなね。

「俺ガイル」の原作者は、そういう人なのだろうと強く感じた。
ところが、こういう人というのは、往々にして「面白い事を言おう」と考え込んでしまうと、「面白い事」は言えなくなってしまう。
それが第二期以降に評価がガクっと落ちた要因だと思う。
最初の頃のように、思いついた事をそのまま書きたいように書けば良いのだ。
他人の評価なんて、気にする必要はない。
そもそもこの主人公を通して自分を表現している作者自身が、そういう「他人の目を気にして生きる」事を嫌っていたはずではないのか?

アニメ第一期までは、主人公の比企谷本人が書いたものだとすると、第二期はヒロインの一人である由比ヶ浜が書いたものになってしまったと見受けられる。
他人の目を異常なまでに気にして、なるべく他人と合わせ、目立たないように生きる、いわゆるキョロ充と言われる、日本人に最も多いタイプの代表格として描かれていたのが、由比ヶ浜結衣である。

あと日本人ってのは、「こうして主人公とヒロインは結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」で終わらないと納得しない風潮がある。
だから物語を完結させるために、無理にラブコメに持っていったのかも知れない。

しかしそれは気にしすぎである。
「俺たちのひねくれた日常はまだまだ続く」「渡 先生の次回作にご期待下さい」みたいな、打ち切りとも思える終わり方でも、私は良いと思うし、それこそこの作品らしい終わり方ではなかろうかw

人の性格や価値観というのは、そうそう簡単に変わるものではないが、とはいえ孤独なボッチが、変にリア充になってしまったり、普通にそれなりの人付き合いや社会に溶け込んで、それなりの生活を送れるようになってしまうと、「ひねくれた」考えそのものを、する機会が無くなってしまう。
ソースは俺。

原作者は会社員をやりながら、ラノベ作家活動をしているようだが、そのプロフィールを見て、そう思った。
こういう「ひねくれ」た人は、無理やり社会や集団の中に溶け込まないといけない事態になると、実は割りと「面白い奴」として人気が出てしまう事がある。
リア充を憎み、否定しつつも実はわずかな憧れがあったりするので、そのなんちゃってリア充生活を受け入れてしまうのだ。
それが、独特の感性を鈍らせてしまう。

というわけで、会社員なんて辞めて、作家業一筋の生活をした方が、もっと面白い作品を書き続けられると、おせっかいながら思う。
作家になれば、会社員より人付き合いは減るし、一人で居る孤独な時間も増える。
ひねくれた、「世の中クソだ」という思いも高まるw
ソースは俺。

コメントの投稿

非公開コメント

カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR