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山口2歳児行方不明を解決したボランティア爺ちゃんに見る歴史の正しい使い方

良いニュースを私の価値観の証明などという、下らない左翼がやるような事をしてしまって申し訳ないが。

このプロボランティアとも言えるお爺ちゃんは、過去に同じような行方不明幼児の捜索に参加した時の経験から、子供は山で迷ったら上に登っていくという習性(?)を学び、それを生かしたために発見できたわけだ。
何も特別に勘が優れていたとか、運が良かったとか言うのではなく、「人間」として自分の過去の経験という「歴史」を正しく使ったから、発見できたと言えよう。

過去の経験を、他人を批判する材料にしか使わない、誰かさん達では絶対に発見は無理であったろう。
2年前にも大分県で2歳の女の子が山で行方不明になった事件があったのに、今回の最後に2歳児と一緒に居た祖父は、なぜ目を離したんだ?
というように、過去の事件を誰かを叩くためにしか使わないのが、マスゴミや左翼や中・韓などの連中である。
だから彼らは「進歩」できないし、そういう連中は決して今回の捜索にボランティアとして参加してたとしても発見はできない。
過去に同じような事件があって解決しているものを、どういう経緯で発見に至ったのか?
誰かを批判するのではなく、そこに今回の件を解決するヒントがあるのではないか?
そう考えて実践したからこそ、このプロボランティアとでも言うべきお爺ちゃんは、名探偵並みの活躍ができたのだ。

前回も述べたが、「歴史」というのはこのように活用してこそ、意義があるのである。
「歴史」は誰かを批判し、マウントを取るために使うものではないし、そんな事をしても人類にとって何の利益にもならない。
人間以外の動植物は、遺伝子や親からの教育でしか、自分たちの種が生き残るのに必要な歴史を残せないし学べない。
しかし人間は、遺伝子や親からの教育なんぞより遥かに多くの情報を、書籍や写真や動画で後の世に残せるのだ。
なぜそれを「正しく」活用できないのか?
誰かが誰かを貶めたり誹謗・中傷したり、謝罪や賠償という利益を得るためにしか使われないのであれば、せっかくのより多くの情報をより正確に後の世に「歴史」として残せるという人類のアドバンテージも、単なる宝の持ち腐れにしかならない。

このニュースに対して、私はそう思ったという話。

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