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日本と西洋の絵に関する認識の違い

NHKスペシャルが「ねぶた祭り」を題材にしていたので、ふと思った。

ねぶた祭りの「みこし」(?)は、伝統的な「浮世絵」っぽい昔の日本の絵を立体的にしたものだ。

浮世絵は、西洋では今もなお高く評価されている日本独自の古典的な絵画(実際には版画だが)の代表である。
同時代の西洋の絵画と比べて、写実性に乏しい事もあって、日本ダメすぎと自虐する人も居るが、そうではない。

アニメや漫画もそうであるが、日本人が絵に求めるのは昔も今も「写実性」ではないのだ。
それは「誇張」された、絵でしかできない「表現」である。

浮世絵というのは、当時の「イラスト」だ。
日本の萌絵と言われる主流のイラストは、世界的に人気を博しているが、それは西洋には無い、思いつかない表現だからだ。
西洋というのは、今も昔も「写実性」を求める傾向が強い。
宗教画と言われるものも、「誇張」というのは薄めであり、「写実性」の方が強い。
また現代の「絵」である漫画も、アメコミと言われるものなんか見れば分かるが、非常にリアルな、日本で言えば「劇画」と言われる表現方法で書かれたものの方が多い。
もちろんスヌーピーや、あるいはディズニーなど「誇張」を重視した絵もある。
また日本にも「劇画」という言葉があるように、リアルさを追求した漫画もある。

だがその比率を見れば、今も昔も日本は「誇張」至上主義であり、西洋は「写実」至上主義であるのが分かる。

さて、この「誇張」表現だが、これも西洋と日本では認識が大きく異なる。
例えば西洋の有名な画家である「ピカソ」を見ればわかる。
もはや、何が書いてあるのか分からないほどまでに「誇張」された表現の典型である。
日本にはそのようなものはない。
なぜなら、日本人の好む「誇張」表現は、原型が何か分からないほどのものではなく、誰が見ても「ああ、これは人間を書いたんだな」と分かる「ギリギリの線」を超えない事を信条としているからだ。
これが、西洋の「誇張」表現とは違う、日本独特の基準であり、誰が見ても何を書いたのか分かるからこそ、世界で広く受け入れられて居るのだ。
日本のアニメや漫画の、目が大きい美少女とか実際に居たら気持ち悪いw
だが「女の子の顔」と誰が見ても分かる程度を、超える事は決してない。
ピカソレベルの誇張表現は、日本ではもはや「絵」ではないのだ。

万人が見て理解できるレベルを超えない範囲で、なおかつ「絵」でしか表現できない「誇張」を行う。
これが日本が浮世絵の時代から永遠と変わらない、伝統的な姿勢なのだ。

漫画やアニメというのは、言ってみれば現代版の浮世絵である。
だからこそ、浮世絵を見て驚き賞賛した当時のヨーロッパ人と同じく、現代でもまた欧米人が「アニメ!マンガ!」と騒ぐのだw

絵に関しては、浮世絵時代からその表現方法が顕著になったが、絵ではなく「像」で言えば、実は「リアル」より「誇張」を重視した姿勢は縄文時代とかに既にあった。
土偶とか言われるものだ。
土偶はリアルさには程遠い人形ではあるが、しかし一方で「これは女性をあらわしたものに違いない」とか、ギリギリ分かるレベルを保っている。
この時代から、「ギリギリ分かるレベルでの誇張」という価値観や信条があり、それがその後の大陸からの渡来人との混血を経てもなお、今の日本人の中に受け継がれているのだろうと思う。
リアルなものは、現実を見ればよい。
芸術とは、リアルでは決してできない事を、粘土を使った像や絵画で表現するものであり、しかしながら原型が不明なほどまで「誇張」してしまっては、それもそれで芸術ではない。
これが、古来より受け継がれる日本の伝統的な芸術観なのだと思う。

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