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相撲協会と貴乃花親方のスタンスの違い

世間では、相撲協会=古い体質の頭の固い伝統重視手段、貴乃花親方=革新的で現代的な思想の持ち主
と思われているだろう。

だが実は、私はこの認識はむしろ逆ではないかと思う。

相撲協会は、このまま伝統だのしきたりだのに拘っていたら、潰れてしまうと考えた。
だから外国人力士をどんどん入れて、その外国人力士が伝統やしきたりにそぐわない行動を多少したとしても、目を瞑る事にした。
伝統だのしきたりだのに拘って瞑れるぐらいなら、それらを蔑ろにしてでも生き残る事を考えた。

これが白鳳をはじめとしたモンゴル人力士の、やりたい放題を許していた事から伺えると思う。

しかし貴乃花親方は、それをよしとしなかった。
むしろ貴乃花親方は、古い伝統的な相撲に拘る、非常に頭の固い頑固者なのだ。
だから日本人力士同士のいざこざは黙認したが、モンゴル人力士による伝統破壊とも思える行動にはキレたのだ。
横綱にあるまじき、死体蹴り相撲や八百長に我慢ができなかった。
そんな事を許してまで生き残るぐらいなら、いっそ伝統やしきたりを守って、神事としての相撲はそのまま潔く美しく滅びるべきと考えていたと思う。

このように根本的に両者の思想というのが正反対であり、しかもどちらが正しいとは一概に言えないからこそ、ここまで拗れたのだ。

私は常々、若乃花が相撲から距離を取ってしまった事が非常に残念でならないと言って来た。
なぜなら若乃花が居れば、恐らくは貴乃花と相撲協会の間をうまく取り持てたと思うからだ。

これは長男・次男の性質にもよる。
長男というのは、優柔不断と言われるが、それは自分の信念が無いわけではない。
なるべく争いを避けつつ、いかに自分の信念を貫くかを考えて行動するから、見る人によっては優柔不断に見えるのだ。
次男というのは、良く言えば非常に頑固で信念を貫き通す強い意志の持ち主であるが、悪く言えばそれは他人の意見を一切聞かない単なる自己中とも言える。

だからこそ、先頭に立ってはダメなのだよ。
人類の歴史で、多くの国家や民族や部族や家が、「長子相続」な理由がコレだ。
集団を纏める方法は、なぁなぁで緩くまとまる方法と、強権で無理やり纏め上げる方法の2つがある。
前者は物事がなかなか先に進まないという欠点はあるものの、対立や不満は非常に小さなものとなり、集団の維持が長く継続できるという利点がある。
後者は物事が迅速に進むという良い面がある一方で、対立や不満は修復不可能なほど深いものになり、集団の維持は長く続かない。
具体的に言えば、その強権を発動できていた人物が亡くなったり耄碌したりすれば、とたんに集団はバラバラになってしまうのだ。

この「なぁなぁ」で上手く纏めるのは、次男より長男の方が圧倒的に上手い傾向にある。
逆に次男は長男の事を常に見て育つ事ができるので、才能などの面では長男に勝る事が多い。
件の若乃花・貴乃花兄弟もそうだったように、特にスポーツなどの分野では、兄弟・姉妹で同じ競技をしていた場合、長男・長女より次男・次女の方が成功する事が多い。
いま話題の大阪なおみさんもそうだろう。
姉より妹の方が圧倒的にテニス上手いわけだしw
あるいは浅田まおなんかもそう。
上げればキリがない。

しかし優れた才能や力がある反面、融通が利かない。
だから兄より弟の方が優秀である事が多いのに、あえてリーダーは兄にするのだ。
リーダーである兄に集団が期待しているのは、強大な力や才能ではなく、集団を上手く纏め上げる事のできる立ち回りなのだ。

戦国時代末期の島津家なんかもそうだろう。
長子である義久より、弟である義弘の方が圧倒的に戦上手であったり、三男・四男もそれぞれ長子をしのぐ才能があった。
それはお爺さんである島津忠良(日新斎)の、孫達の総評から見てもわかる。
長子の義久については「総大将の器がある」と言っているが、裏をかえせばズバ抜けた才能が何も無いって事でもあるw
しかし次男の義弘については、「あいつすげー武力高いわ」って言ってるし、三男の歳久は「あいつすげー知力高いわ」と評し、四男の家久についても「すげー指揮能力高いわ」って言ってる。
つまり光栄の武将能力値的に言えば、長子である義久は兄弟の中で一番、武力も知力も低いというわけだw
強いていえば、魅力は兄弟で一番高かったのかも知れないが、それには島津家の長男であるという事も多分に影響してるわけで、自身の才能だけではなかったであろう事も伺える。

ちなみに世界で「長子相続」ではない、珍しい習慣を持つので有名なのが、モンゴル民族である。
チンギス・ハーンを輩出したモンゴル民族は、「末子相続」という非常に珍しい習慣を持つ。
リーダーは集団を纏める才能より、一番強い奴がなるべきという、実力主義の究極とも言える思想だと思うw
相手を思いやるとか気遣うとか、そんな甘い考えは生き残るには一切不要。
殴り倒してでも頂点に居座れる奴こそが、リーダーに相応しい。
このような思想だから、白鳳は「死体蹴り」を行えるのだろうw
モンゴル民族にとって、リーダーとはそういうものだからだ。
相撲のトップである横綱は、モンゴル民族的には、二度と自分に立ち向かって来れないように徹底的に痛めつけてでも、その地位を維持する事こそが、あるべき姿なのだろう。

だから日本人的な価値観の「横綱」とはかけ離れた言動が目立ち、それが良くも悪くも典型的で伝統的な日本人である貴乃花には許せない事だったのだ。
日本人の価値観では、リーダーとは力が一番強いだけではダメで、「気は優しくて力持ち」でなくてはならないのだ。
死体蹴りや、下のものをいじめるなんてもっての他なのだよ。

しかし相撲協会はそう考えなかった。
そんな事をしていたら、いつまでたっても圧倒的な力を持つ横綱なんて生まれないし、いつまでもどんぐりの背比べしてたら、相撲自体が魅力を無くして、滅んでしまう。
相撲はもはや神事ではなく、プロレスやボクシングなどのような娯楽格闘技なのだと。
そうならないと、相撲も生き残れないのだと。
だから実力至上主義のモンゴル人の価値観の方を、尊重せざるをえないのだ。
実際、白鳳などが活躍するようになってから、相撲人気は右肩上がりになり、連日満員御礼で大儲けという結果も出ているわけだから。
だから白鳳を、日本人じゃないからと卑下するような事件があった時は、私は白鳳を擁護する立場を取った。
それが日本人的な礼儀ってもんだからだ。

しかしいくら結果を残し、多大な貢献をしていても、日本人の価値観からすると許せない事は、やはり批判すべきだし矯正させるべきなのだ。
それが「相撲」だからだ。
プロレスやボクシングがやりたいなら、そっちへ行けと。
相手を見下し、挑発し、徹底的に打ちのめす。
それがたとえ「演出」だとしても、そういうのは日本の「相撲」においては許されないのだよ。
だから私は相撲協会よりも貴乃花を応援してきた。

ただやはり、典型的な次男である貴乃花には、集団を上手く纏め上げて主流になるだけの立ち回りはできなかった。
若乃花が貴乃花とあれだけ不仲にならず、兄弟そろって親方として協会に残っていたなら、ここまでにはならなかったと思わずにいられないのだ。
若乃花なら、貴乃花をうまくなだめて、かつ貴乃花の望む改革や伝統を死守する方向性へ、うまく協会メンバーを説得して纏められただろう。
貴乃花の考えが主流になるような、多数派工作が行えただろうと思うのだ。

貴乃花が相撲自体を引退という形で幕引きになったのは、貴乃花の考えが正しくなかったわけだからではない。
そのやり方が上手くなかっただけなのだ。
そしてそれを上手くやれたであろう若乃花と、絶縁してしまった時点で、この結果は目に見えていたように思う。

ちなみに若・貴の確執は、別に貴乃花だけに原因があったわけではないと思う。
今でも忘れない、若乃花・貴乃花が最後まで優勝を争った場所で、最終的に直接対決で若乃花が貴乃花を破って優勝した事がある。
あの時の、兄にわざと負けて優勝を譲ったように見えた取り組みと、その後の優勝パレードでの兄の優勝を心から喜ぶ満面の笑みの貴乃花と、その横で「弟にわざと負けてもらって優勝させてもらえた」という思いがあったのか、複雑な表情だった若乃花。

頑固で八百長とかを絶対に認めないような貴乃花が、自分の信念を曲げてまで兄へ優勝を譲ったその思いを、若乃花は受け止め切れなかったのだろう。
若乃花はあそこで、貴乃花の兄への強い思いを、変なプライドとか捨てて受け止めるべきだったのだ。
長男が次男に力で劣る事は、スポーツ界では珍しくない。
島津義久のように「弟達が有能だったために島津家はここまで大きくなって生き残っただけで、私は何もしてません」と自虐できるぐらいの、心の広さを持つべきだったのだ。
それを認めて、受け止めきれる人物だけが、真の長子相続者として成功できるのだ。

ちなみに、同じように弟達がすごい優秀だった長子が戦国時代の有名な家にもうひとつある。
毛利家だ。
毛利元就という天才的なリーダーの長子である毛利隆元は、吉川家を継いだ次男の元春や小早川家を継いだ三男の隆景に比べて、才能が著しく劣っている事を常に思い悩んでいたという。
光栄の戦国ゲームでも、隆元の能力値は元春や隆景に比べてすべての面で低く設定されてたりした。
しかも史実だと、早死にしてしまったために、なおさら役立たずの無能長子のように思われてきた。
しかし近年の研究により、実は隆元には戦の才能は無かったものの、戦を行うのに必須である資金調達能力が非常に高かった事が分かってきた。
つまり無能でもなんでもない、単に目立たない後方支援でその才能を発揮していただけに過ぎなかったようなのだ。
その証拠に、隆元の死後は大きな戦をしようとしても資金不足でできなかったという。
いままで戦に協力してくれていた地元の商人や領民が、非協力的になったのだというw
隆元様だから、無理にでも資金を融資したし協力したと言われたとの記録もあるらしい。
俺はダメな人間だ、無能だとうじうじした手紙とか沢山見つかっているし、それを見てきた弟達はもちろん超有能な父親さえも、「もうかんべんしてくれ、この構ってちゃんは」とうんざりして見下してたのに、その死後にはじめて「あいつ実は超有能だったんじゃね?」って気づいたとかw

若乃花はたぶんこの毛利隆元に似ているんだと思うw
自分が実は人を纏める才能に秀でているにも関わらず、派手で目立つ才能を持つ弟に劣等感を感じて、身を引いてしまった。
これが相撲協会のゴタゴタと信用失墜を招く自体にまでなってしまった。
そういう面では、若乃花自身にも責任はあると思う。

まぁもう過ぎてしまった事をとやかく言ってもしょうがない。
相撲協会がこれからすべき事は、長男系理事長を建てて上手く事を収めていくしかないんじゃないってしか言えない。
そんな人物が、今の相撲協会の親方衆の中に居るのかわからんがw

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