好きな人と結婚する人は違う
よく本当に好きな人、恋人にしたい人と、結婚する人は違うと言われる。
もちろん、そうじゃないパターンも存在するだろうがw
それを証明するかのような体験談が、まとめサイトにあったので。
その体験談では、投稿主が学生の頃に好きな人に告白しようと手紙を下駄箱に入れたのだが、誤って苗字が同じ別人のところへ入れてしまい、「人違いですwww」とは言えずそのまま告白したら、なぜかOKされてしまい、そして今は旦那になっているというものだったw
もちろん間違えた相手が、生理的に無理というほど嫌いだったり合わない人だったらこうは行かないだろうw
だが特に異性として好きではないが、嫌いでもないという程度の人だったら、こんな事もありえる。
むしろうまく行き過ぎてしまうという例だ。
なぜか?
本当に好きな異性には、それが男であれ女であれ、自分の勝手な理想や思い込みなどの幻想を抱いてしまうからだ。
「イケメンだから優しいはず」とか「かわいい子だから、性格も良いはず」とか。
それが結婚まで行けない理由だ。
そういうちょっとした、相手へ抱いていた勝手な幻想と現実の違いの積み重ね。
恋人同士という、距離が離れた関係の場合はそれでも我慢できたりするのだろうが、結婚というのは今後死ぬまで一緒に暮らすという事だ。
すごく好きだからこそ、こうあってもらいたいという幻想と現実のギャップに耐えられなくなるのだ。
しかし嫌いではないけど、異性としては特に好きだったわけでもない。
まぁ嫌じゃないし、別にいいかって程度で結婚した場合は、上手くいってしまう。
なぜなら、相手に変な幻想を抱いてないし、求めてないからだ。
「まぁそういう事もあるよねw」「しょうがないよねw」で自分を納得させられ、それほど思い悩んだりせずに受け入れられるからだ。
件の投稿主も、相手はなんかそこそこモテるイケメンらしいけど、自分はそれほどでもないなー程度の人だった。
相手側の男性も、あーなんかかわいい子だなぁとは思うけど、特に自分から告ってまで付き合いたいという程ではないなーだったのだろう。
お互いが恐らく、告られたら断る理由もないので付き合うかもしれないけど、自分から告ろうとかは思わないという程度だった。
だからこそ、勘違いでの告白が上手くいき、そしてそのまま結婚に至るまでずっと付き合えたのだと。
実はこれは、自分の経験からも「恐らくそうなんだろうな」と思える節があるからだ。
中学生ぐらいの男子というのは、大抵クラスや学年でかわいい子のリストを頭の中に持っており(笑)、夜に布団の中で寝付くまで、その子たちと日替わりでいちゃいちゃしたりする妄想をするw
しかし、そういうリストに入ってない子から、突然告白・・・ではないがバレンタインに本命チョコを渡された事があるw
最初は何かの罰ゲームか、からかっているのかと思ったが、中学三年間ずーっとチョコくれたし、なんか手紙とかもついてたし。
「ああ、罰ゲームでもなく、からかわれているわけでもなく、本気で俺の事を好きになってくれたんだ」と思えた。
正直、最初は驚きと疑いしかなかったが、同時にすごくうれしかった。
男というのは、最初はどうしても女性を見た目で選んでしまいがちだ。
だからこの子が「こいつとだけはないわーw」という不細工リストに入ってるような子だったら、即効で、中学生男子らしいかなり酷い言い方かやり方でお断りしていただろうw
だが夜の甘い妄想する子リストにこそ入っていなかったものの、実はかわいい部類に入る子だった。
顔はもちろんだが、背が小さくて性格がおとなしいというか、あまり目立つ事をしないし、大きな声ではしゃいだりもしない、どストライクな子だったのだ。
なぜリストに入れてなかったのか、後になって不思議になるぐらいにw
背が小さいのに巨乳だったのもポイントが高かったw
まぁ別におっぱい星人ではなかったが、ギャップ萌えってやつだw
もともと人見知りの激しい性格なうえに、家族で女はかーちゃんだけという環境で育った事もあり、特に女の子は苦手だった。
「こいつとだけはねーわw」というドブス(失礼w)はともかく、特に美人だったりかわいかったりするわけでもない、普通の子とでも、相手の目をみて離せない、妙に意識して顔が赤くなってしまうなどがあったからだ。
ちなみに今でも、超かわいい子じゃなくても、たとえ告白されても全力でお断りしたいレベルの子(容姿やスタイルや年齢といった見た目だけでなく、性格的なものも含めて)以外の女性と話すのは苦手だw
話が誰も聞きたくない高齢ニートの甘酸っぱい青春の思い出になってしまったが、なぜこの体験が「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」の理屈を納得できる経験なのかというと、エロい妄想をする相手リストに入っていなかったので、変な幻想とか抱いてなかったからだ。
告られてはじめて、「あれ、こいつかわいいし、なんかうれしい、いいんじゃね?」と思った、というかこっちも何か好きになってしまったからだ。
だからもしあの時、「俺には女なんて必要ないぜw」とか変な方向に粋がった中二病の糞ガキでなっかったら、そのまま付き合って結婚までいってたと思う。
というか、私の事を勇気を振り絞って告ってまで好きだと言ってくれる人なんて、もう一生現れないと思ったしw
ちなみに、その思いは正しかったらしいw
しかしながら相手はどうだったか分からない。
そのままもし変な中二病の症状を出さずに、「ありがとう、僕も君の事が好きです。付き合って下さい」と返事できて、そのまま何年か恋人で居たとしたら、もしかしたら相手は幻滅したかもしれない。
別れ話が出るとすれば、おそらく相手からだっただろうとも思う。
なぜなら、相手は私に変な幻想とか理想とか思い込みを持ってる可能性が高かったからだ。
そもそも女性に好かれる要素が、まったく当時の自分には見当たらなかった。
特に家が近くて幼稚園ぐらいの時から顔見知りの幼馴染とかいうわけでもなかったし、たしかに小学校の頃から同じクラスに何度かなった事はあったが、その時も特に親しくなかったどころか、話をした記憶さえない。
唯一、何か班でやる工作の宿題かなんかを、その子の家に班のみんなで集まってやった事があったなぁぐらい。
結構大きいけど、古い農家っぽい家だった覚えがあるが、それだけだ。
とても好きになって貰える切欠が思い当たらない。
だから自分は相手に対して、何の幻想も思い込みも理想も抱いてなかったので、そのままもし付き合ってたとしても、「あ、こいつこんな所があるんだ」と好きになるポイントが増える事はあっても、減る事なんぞ無かったと思うw
二次元限定だが、つるぺたロリ好きな自分にとっては、ロリ巨乳も大いに有りであり、私の人生の中で三次元に存在した唯一の人でもあったから、もしタイムリープでもして当時からやり直せたら、もうこっちから頭を下げてでも彼女になってもらうだろうw
まぁ今は変な相手への幻想や、思い出補正がかかってるので、当時に戻って付き合えても結婚までいけるかは分からんがw
つまり結婚とはそういうものだ。
相手に変な理想や幻想を抱いているほど、好きな人との結婚は、それゆえに上手くいかない事が多いのだ。
だから昔の人達は、その体験から「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」「恋人になる人と、結婚する人は違う」という格言を残したのだろうと思うw
ちなみにうちの両親も、恋愛結婚ではなく、お見合い結婚だった。
だからこそ、親父が死ぬまで離婚とかしないで済んだし、子供3人ももうけるほどの良い家庭だったんだと思う。
親父もお袋も、相手に対して特にこの人じゃなきゃ絶対ダメとかいう気持ちが無く、「まぁ歳も歳だし、悪い人じゃなさそうだし、いっかwww」みたいな、軽い気持ちで結婚したんだと思うw
それが結果的に、熟年離婚もしないで長く一緒に生活できた理由だと思うのだ。
だから「お見合い」とか「親が勝手に決めた相手と」みたいな、昔の日本の風習は、そんなに悪いもんじゃないんではないかと思う。
駆け落ちしたいほど好きな人が居たのに、当時付き合ってた人が居たのにとかいう「恨み」みたいな負の感情が無ければ、なんだかんだ上手くいって「あれ?なんかそんなに期待してなかったけど、幸せな結婚だったんじゃね?」ってじいちゃんばぁちゃんになってからも思える、仲良し夫婦で居られるのではないかと。
少なくとも離婚したいほど嫌いになる確率は低いのではないかと。
むしろ大恋愛の末の結婚の方が、あとあとそうなる確率が高いのではないかと。
「こんなはずじゃなかった」というのが多々出てくるのではないかと。
そういう事を思ったという話。
もちろん、そうじゃないパターンも存在するだろうがw
それを証明するかのような体験談が、まとめサイトにあったので。
その体験談では、投稿主が学生の頃に好きな人に告白しようと手紙を下駄箱に入れたのだが、誤って苗字が同じ別人のところへ入れてしまい、「人違いですwww」とは言えずそのまま告白したら、なぜかOKされてしまい、そして今は旦那になっているというものだったw
もちろん間違えた相手が、生理的に無理というほど嫌いだったり合わない人だったらこうは行かないだろうw
だが特に異性として好きではないが、嫌いでもないという程度の人だったら、こんな事もありえる。
むしろうまく行き過ぎてしまうという例だ。
なぜか?
本当に好きな異性には、それが男であれ女であれ、自分の勝手な理想や思い込みなどの幻想を抱いてしまうからだ。
「イケメンだから優しいはず」とか「かわいい子だから、性格も良いはず」とか。
それが結婚まで行けない理由だ。
そういうちょっとした、相手へ抱いていた勝手な幻想と現実の違いの積み重ね。
恋人同士という、距離が離れた関係の場合はそれでも我慢できたりするのだろうが、結婚というのは今後死ぬまで一緒に暮らすという事だ。
すごく好きだからこそ、こうあってもらいたいという幻想と現実のギャップに耐えられなくなるのだ。
しかし嫌いではないけど、異性としては特に好きだったわけでもない。
まぁ嫌じゃないし、別にいいかって程度で結婚した場合は、上手くいってしまう。
なぜなら、相手に変な幻想を抱いてないし、求めてないからだ。
「まぁそういう事もあるよねw」「しょうがないよねw」で自分を納得させられ、それほど思い悩んだりせずに受け入れられるからだ。
件の投稿主も、相手はなんかそこそこモテるイケメンらしいけど、自分はそれほどでもないなー程度の人だった。
相手側の男性も、あーなんかかわいい子だなぁとは思うけど、特に自分から告ってまで付き合いたいという程ではないなーだったのだろう。
お互いが恐らく、告られたら断る理由もないので付き合うかもしれないけど、自分から告ろうとかは思わないという程度だった。
だからこそ、勘違いでの告白が上手くいき、そしてそのまま結婚に至るまでずっと付き合えたのだと。
実はこれは、自分の経験からも「恐らくそうなんだろうな」と思える節があるからだ。
中学生ぐらいの男子というのは、大抵クラスや学年でかわいい子のリストを頭の中に持っており(笑)、夜に布団の中で寝付くまで、その子たちと日替わりでいちゃいちゃしたりする妄想をするw
しかし、そういうリストに入ってない子から、突然告白・・・ではないがバレンタインに本命チョコを渡された事があるw
最初は何かの罰ゲームか、からかっているのかと思ったが、中学三年間ずーっとチョコくれたし、なんか手紙とかもついてたし。
「ああ、罰ゲームでもなく、からかわれているわけでもなく、本気で俺の事を好きになってくれたんだ」と思えた。
正直、最初は驚きと疑いしかなかったが、同時にすごくうれしかった。
男というのは、最初はどうしても女性を見た目で選んでしまいがちだ。
だからこの子が「こいつとだけはないわーw」という不細工リストに入ってるような子だったら、即効で、中学生男子らしいかなり酷い言い方かやり方でお断りしていただろうw
だが夜の甘い妄想する子リストにこそ入っていなかったものの、実はかわいい部類に入る子だった。
顔はもちろんだが、背が小さくて性格がおとなしいというか、あまり目立つ事をしないし、大きな声ではしゃいだりもしない、どストライクな子だったのだ。
なぜリストに入れてなかったのか、後になって不思議になるぐらいにw
背が小さいのに巨乳だったのもポイントが高かったw
まぁ別におっぱい星人ではなかったが、ギャップ萌えってやつだw
もともと人見知りの激しい性格なうえに、家族で女はかーちゃんだけという環境で育った事もあり、特に女の子は苦手だった。
「こいつとだけはねーわw」というドブス(失礼w)はともかく、特に美人だったりかわいかったりするわけでもない、普通の子とでも、相手の目をみて離せない、妙に意識して顔が赤くなってしまうなどがあったからだ。
ちなみに今でも、超かわいい子じゃなくても、たとえ告白されても全力でお断りしたいレベルの子(容姿やスタイルや年齢といった見た目だけでなく、性格的なものも含めて)以外の女性と話すのは苦手だw
話が誰も聞きたくない高齢ニートの甘酸っぱい青春の思い出になってしまったが、なぜこの体験が「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」の理屈を納得できる経験なのかというと、エロい妄想をする相手リストに入っていなかったので、変な幻想とか抱いてなかったからだ。
告られてはじめて、「あれ、こいつかわいいし、なんかうれしい、いいんじゃね?」と思った、というかこっちも何か好きになってしまったからだ。
だからもしあの時、「俺には女なんて必要ないぜw」とか変な方向に粋がった中二病の糞ガキでなっかったら、そのまま付き合って結婚までいってたと思う。
というか、私の事を勇気を振り絞って告ってまで好きだと言ってくれる人なんて、もう一生現れないと思ったしw
ちなみに、その思いは正しかったらしいw
しかしながら相手はどうだったか分からない。
そのままもし変な中二病の症状を出さずに、「ありがとう、僕も君の事が好きです。付き合って下さい」と返事できて、そのまま何年か恋人で居たとしたら、もしかしたら相手は幻滅したかもしれない。
別れ話が出るとすれば、おそらく相手からだっただろうとも思う。
なぜなら、相手は私に変な幻想とか理想とか思い込みを持ってる可能性が高かったからだ。
そもそも女性に好かれる要素が、まったく当時の自分には見当たらなかった。
特に家が近くて幼稚園ぐらいの時から顔見知りの幼馴染とかいうわけでもなかったし、たしかに小学校の頃から同じクラスに何度かなった事はあったが、その時も特に親しくなかったどころか、話をした記憶さえない。
唯一、何か班でやる工作の宿題かなんかを、その子の家に班のみんなで集まってやった事があったなぁぐらい。
結構大きいけど、古い農家っぽい家だった覚えがあるが、それだけだ。
とても好きになって貰える切欠が思い当たらない。
だから自分は相手に対して、何の幻想も思い込みも理想も抱いてなかったので、そのままもし付き合ってたとしても、「あ、こいつこんな所があるんだ」と好きになるポイントが増える事はあっても、減る事なんぞ無かったと思うw
二次元限定だが、つるぺたロリ好きな自分にとっては、ロリ巨乳も大いに有りであり、私の人生の中で三次元に存在した唯一の人でもあったから、もしタイムリープでもして当時からやり直せたら、もうこっちから頭を下げてでも彼女になってもらうだろうw
まぁ今は変な相手への幻想や、思い出補正がかかってるので、当時に戻って付き合えても結婚までいけるかは分からんがw
つまり結婚とはそういうものだ。
相手に変な理想や幻想を抱いているほど、好きな人との結婚は、それゆえに上手くいかない事が多いのだ。
だから昔の人達は、その体験から「本当に好きな人とは結婚しない方が良い」「恋人になる人と、結婚する人は違う」という格言を残したのだろうと思うw
ちなみにうちの両親も、恋愛結婚ではなく、お見合い結婚だった。
だからこそ、親父が死ぬまで離婚とかしないで済んだし、子供3人ももうけるほどの良い家庭だったんだと思う。
親父もお袋も、相手に対して特にこの人じゃなきゃ絶対ダメとかいう気持ちが無く、「まぁ歳も歳だし、悪い人じゃなさそうだし、いっかwww」みたいな、軽い気持ちで結婚したんだと思うw
それが結果的に、熟年離婚もしないで長く一緒に生活できた理由だと思うのだ。
だから「お見合い」とか「親が勝手に決めた相手と」みたいな、昔の日本の風習は、そんなに悪いもんじゃないんではないかと思う。
駆け落ちしたいほど好きな人が居たのに、当時付き合ってた人が居たのにとかいう「恨み」みたいな負の感情が無ければ、なんだかんだ上手くいって「あれ?なんかそんなに期待してなかったけど、幸せな結婚だったんじゃね?」ってじいちゃんばぁちゃんになってからも思える、仲良し夫婦で居られるのではないかと。
少なくとも離婚したいほど嫌いになる確率は低いのではないかと。
むしろ大恋愛の末の結婚の方が、あとあとそうなる確率が高いのではないかと。
「こんなはずじゃなかった」というのが多々出てくるのではないかと。
そういう事を思ったという話。