2ntブログ

他人には見えないものが見える人

科学的には、幻覚や幻聴などと同じく、「脳の動作不具合(エラー)」となっている。

幻覚は、別に薬やったり精神的な病気にならなくても、正常な人でも常日頃見ている。
人間の目には「盲点」という光を感じる細胞が無い場所が、目のちょうど中心あたりにある事が知られている。
従って、本来人間の視界には、真っ暗で何も見えてない部分が中心辺りに存在しているはずなのだ。
しかし実際には、人間の視界の中心に、見えない部分など存在しない。
それは「脳」が見えてない部分を、周りの映像などから推測して補完し、あたかも見えているかのように認識させるからだ。
「見えてないのに、見えるもの」
まさに幻覚だ。

子供はよくそういう見えないものが見えるというが、これは脳が未完成だからであると言われる。
正確には、脳の視界補正プログラムが構築中であり、動作が十分でないからであると考えられる。

さて、本題はもうひとつの見解。

この世界は、平行世界とか異世界とか呼ばれるものが無数にあると言われている。
霊界などと言われる想像上の世界も、実はそれらのひとつである可能性が高いと思っている。
そしてこれら別の世界は、この世界と同じ「場所」に存在している。

例えば、我々はテレビでいろんな放送局の番組を見る事ができる。
他の放送局の違う番組を見ようと思ったら、リモコンなどでチャンネルを変えれば、今見ている同じ画面で違う番組を見ることができる。
放送局の数だけテレビ画面を用意する必要はない。
これが、異なる世界が同じ場所に存在する仕組みとして、もっとも分かりやすい例であろう。

そしてこの世のものではない=別世界の人やモノが見えるってのは、このチャンネルの選択がうまくできていないためだ。

現代っ子には分からんかも知れないが、アナログのダイアルでラジオの放送局を選択していた昭和の時代、場所によっては2つの放送局の音声が重なって聞こえる事があった。
ラジオ放送局の周波数は、基本的に他の放送局と重ならないようになっているが、ぴったりその周波数に合わせなくても、雑音混じりだが聞こえる場合がある。
周波数同士が近い放送局があった場合、そしてそれらの電波が両方とも届くような範囲に置いたラジオでは、2つの放送局のちょうど中間あたりにダイアルを合わせると、両方の放送欲の音声が混じって聞こえるという現象が起きたのだ。
これと同じ現象が、この世の人やモノでないものが見える人には起こっているのだと思う。

日本は古来より、生物の本体は「魂」という永遠不滅のものであり、それらが「肉体」に宿って居るに過ぎないという考えがある。
その考え方からいけば、われわれの現実世界の映像・音・感触などはすべて「肉体」を通して魂が認識しているという事になる。
この場合、「肉体」はラジオやテレビの受信機と同じだ。
この世に存在する肉体は、この世の現象しか受信できないが、肉体は工業製品ではないので、性能に差がある。
この世以外の世界、ラジオやテレビで言えば、割と周波数が近い世界の情報も受信できる肉体があってもおかしくはない。
そういう人が、「霊感がある」みたいになるのだと思う。

またもうひとつの見方として、この世に強い未練や怨念を持ったものは、その魂が幽霊として見えるのではなく、その魂が残した強い思いのエネルギーの残骸が見えるのではないかと言う事。

もともとテレビやラジオなどの「電波」は、時間が経てば消えてしまうが、肉体が感じた強い思いなのか、魂の感情エネルギーなのか、そういのは時間が経っても残るのではないか、消えるのが遅いのではないかという事だ。
そういうものは、本来現実世界で生きていくうえでは、見えてしまったり感じてしまったりすると不都合が生じる。
なので外部からの電磁波や電波などの影響を受けないよう、通信やアンテナ線にはシールドというものが施されているが、同じように生物の肉体にもそういうものが施されている可能性がある。
だが、先にも言ったように生物の肉体というのは工業製品ではない。
かなりの性能差がある。
よってシールドが不十分な人も居るかもしれないし、犬や猫などは人間よりシールドが薄いのかも知れない。
だから人間には見えないものが見える事がある、人間には感じられないものを感じる事があるのかも知れない。

そもそも本来、「魂」というものは、どんな世界も見る事ができるし、感じることができる自由な存在だ。
しかしその能力が封じられる、不自由な肉体にあえて宿る事で、ひとつの世界でひとつの物語だけを体験するのである。
「魂」が本来持っている時間や距離を超越する能力の他に、持っている記憶や知識も封印される。
なぜそんな事をするのか?
その方が、現実世界の人生を楽しめるからだw

他人の感想や評論や、あるいは売り文句のあらすじなどをまったく聞いたり見たりしないで読んだほうが、本の物語は面白いのと同じ。
そういった過去の経験や予備知識なしに、生きるからこそ、人間は失敗をするわけだ。
人間だけでなく、すべての生物が「正解」の行動ばかりしていたら、この世は面白くないw
苦しみがあるからこそ、喜びも倍増するわけだw
逆のパターンもあるが、それすらも魂にとっては良い刺激なのだ。

前にも言った事があるが、楽しいとか嬉しいとか、そういうプラスの感情というのは、食物の味で言えば「甘い」になる。
そういった感情を「甘い」と例える事もあるが、それは魂がそう感じているからだ。
逆に苦しいとか痛いとか、そういう負の感情は「辛い」味である。
そもそも負の感情を表す言葉のひとつである「つらい」と、味の表現のひとつである「からい」は、漢字だと同じ字だw

人には甘いものが好きな人、からいものが好きな人が居るように、魂にも得られる感情の好みがあるのだろう。
また、いくら甘いものが好きと言っても、そればっか味わってたら飽きるし、たまにはからいものも食べてみたくなる。
だからずーっとつらい人生もないし、ずーっと幸せが続く人生も無いのだ。
大抵は幸・不幸はバランス良く起こるが、どちらかの割合が俺の人生は多いなぁと思ったら、それは自身の本体である「魂」がそれを望んだからだ。
甘いもの好きか、からいもの好きだったからだ。
肉体に宿った時点で忘れてしまうが、自分が望んだ事なのだよ。
ゲームとかで、強いと言われているキャラクターを選ばず、腕に自信があるからと、あえて弱い・使えないキャラクターを選んで遊ぶのと同じ。

この世は魂の修行場だとか言う奴もいるが、そんな大層なもんじゃないw
むしろ遊び場、人生ゲームをしているに過ぎないと思っているw
もちろん人以外も、犬生ゲームであり、猫生ゲームであり、ゴキブリ生や植物生もあるし、プランクトン生もあるかもしれないw
寿命が数日しかない、儚い虫けらも、数百年・数千年生きられるが一切動けない大木として過ごすのも、何でもありだ。
望んでそれに宿ったわけだ。

こう考えていれば、もっと楽に生きられるのではないかなーw
人には見えないものが見える人も、不幸続きの人もw

コメントの投稿

非公開コメント

カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR