韓国人が反日し続ける原因
文大統領は「謝罪は永遠に続けろ」と言った。
日本の左翼マスコミ連中も、「日本人は永遠に謝り続けるべきだ」などとほざいている。
これらはすべて、韓国人がいつまでも日本を許さない、恨み続けるからだ。
しかし考えてみれば、おかしな事である。
なぜかと言えば、今の韓国人は戦時中にはまだ生まれておらず、日本に酷い事をされた直接の被害者は殆どいない。
もちろん、彼らの言い分である「酷い事」が事実かどうかは、議論の余地はあるがね。
外国人の中には、「日本はアメリカに原爆を二発も落とされたのに、なぜ恨まないのか?」と思う人が居るらしい。
言われるまで気づかなかったが、そこに韓国が反日を続ける原因がある。
日本人で原爆を知らない人は居ないだろう。
親も教師もマスコミも被爆者団体も、ありとあらゆる人や組織が、しつこいほど「原爆」については教えるからだ。
だがそれで「アメリカ絶対許さない!」とか「謝罪と賠償を!」とか言い出す人は、少ない。
敗戦国だからというのもあるが、多くの日本人にとって「原爆」というのは歴史的事象以外の何物でもないのだ。
アメリカやアメリカ人を恨み続ける原動力では無いのだ。
なぜそうならないかと言えば、日本人は「アメリカに原爆を二発落とされました」としか習わないから。
「だからあたたちは、アメリカを未来永劫恨み、謝罪と賠償を要求し続けなければならないのですよ」とか言われないから。
つまり韓国では、「日本に酷い事をされました」で終わらないのだよ、歴史教育とやらが。
「だから先祖の受けた屈辱を何時までも忘れず、日本を恨み続けなければならない、謝罪や賠償を求め続けなければならない、それが韓国人、朝鮮民族としての義務である」みたいな、「洗脳」を行う。
こんな事を続けてれば、いくら日本が謝罪だの賠償だのしても、永遠に終わらないのは当たり前だ。
ただこれは別に韓国に限った話じゃない。
歴史的に感情的に対立してる国や民族というのは、みなこういう「間違った民族の歴史教育」を行っているから、いつまでたっても和解できないし、争い続けるのだ。
以前から言っているが、歴史というのは、誰かを恨んだりマウント取ったりするための材料として使うべきではないのだ。
子供がいろんな事に興味を持ち、あちこち動き回り、「なんで?なんで?」と聞いてくるのは、「歴史」が無いからだ。
大人になると、そういう行動が無くなるのは、「歴史」が出来たからだ。
その個人で得た「人生の歴史」とでもいうものの中から、様々な場面で答えを探す事ができるからだ。
しかし人間一人が体験したり見聞きして貯められる「歴史」情報など、微々たるものだ。
だから人間は神話のような「物語」を作って、口頭で子孫に伝え、文字を手に入れてからは「歴史書」を作ったのだ。
人間一人が生きていて得られるより、はるかに多くの「歴史」情報を、生きていく上での参考にできるように。
つまり「歴史」とは、より良い選択を行うための参考データなのだ。
ゲームで言えば経験値。
ここ最近では「ビッグデータ」などともいわれるが、あれらも「歴史」なのだ。
そうやって使うものなのだ、「歴史」というのは。
「歴史」を特定の国や民族を恨む材料として使うのが、いかに愚かで間違った行為か、分かるだろう。
日本の「自虐史観」と言われた歴史教育も同じ。
だが日本人は自ら間違いに気付き、目覚めた。
それがここ最近の韓国に対する、毅然とした「拒否」、つまり「Noと言える」ようになった理由だ。
韓国人も、反日が単なる洗脳である事に、とっとと気付くべきだ。
これは日本が指摘しても意味がないし、洗脳は解けない。
韓国人自身が、「おかしくね?」って気付かないとダメなのだよ。
実際、チラホラそういう人が出てきてるのは見かけるが、全て親日罪とやらで潰されてしまっている。
まるで「地球が太陽の周りをまわっているのだ」と言って、教会に弾圧されたガリレオのようだ。
最近、ノーベル賞を受賞した日本人の誰かも言ってたよね?
「先生の言う事や、教科書に書いてある事を信じるな」と。
これは別にそれらは全部嘘だとか言ってるわけじゃない。
既成概念に捕らわれるな、という事だ。
そうじゃないと、ノーベル賞が取れるような偉大な発見や技術の開発なんて出来ませんよと。
「歴史は勝者によって書かれる」とよく言われる。
つまり、勝者によって都合よく書かれた歴史を、そのまま鵜呑みにするなんて、愚かな行為であるとも言える。
だから現代の歴史学は、「あの人がそー言ってました」「あの書物にそう書かれてました」だけで、事実認定される事はない。
複数の証言や書物、あるいは遺物など多数の「証拠」を探すのだ。
人間が「歴史」というものの、本当の価値と使い方に、もっと早く気付いていれば、人類社会から「戦争」なんてものは、とっくに無くなっていたと思う。
誰かに都合よく改変された歴史を書いて残したり、誰かを恨んだりマウント取ったりするために使ったりしなければ。
日本の左翼マスコミ連中も、「日本人は永遠に謝り続けるべきだ」などとほざいている。
これらはすべて、韓国人がいつまでも日本を許さない、恨み続けるからだ。
しかし考えてみれば、おかしな事である。
なぜかと言えば、今の韓国人は戦時中にはまだ生まれておらず、日本に酷い事をされた直接の被害者は殆どいない。
もちろん、彼らの言い分である「酷い事」が事実かどうかは、議論の余地はあるがね。
外国人の中には、「日本はアメリカに原爆を二発も落とされたのに、なぜ恨まないのか?」と思う人が居るらしい。
言われるまで気づかなかったが、そこに韓国が反日を続ける原因がある。
日本人で原爆を知らない人は居ないだろう。
親も教師もマスコミも被爆者団体も、ありとあらゆる人や組織が、しつこいほど「原爆」については教えるからだ。
だがそれで「アメリカ絶対許さない!」とか「謝罪と賠償を!」とか言い出す人は、少ない。
敗戦国だからというのもあるが、多くの日本人にとって「原爆」というのは歴史的事象以外の何物でもないのだ。
アメリカやアメリカ人を恨み続ける原動力では無いのだ。
なぜそうならないかと言えば、日本人は「アメリカに原爆を二発落とされました」としか習わないから。
「だからあたたちは、アメリカを未来永劫恨み、謝罪と賠償を要求し続けなければならないのですよ」とか言われないから。
つまり韓国では、「日本に酷い事をされました」で終わらないのだよ、歴史教育とやらが。
「だから先祖の受けた屈辱を何時までも忘れず、日本を恨み続けなければならない、謝罪や賠償を求め続けなければならない、それが韓国人、朝鮮民族としての義務である」みたいな、「洗脳」を行う。
こんな事を続けてれば、いくら日本が謝罪だの賠償だのしても、永遠に終わらないのは当たり前だ。
ただこれは別に韓国に限った話じゃない。
歴史的に感情的に対立してる国や民族というのは、みなこういう「間違った民族の歴史教育」を行っているから、いつまでたっても和解できないし、争い続けるのだ。
以前から言っているが、歴史というのは、誰かを恨んだりマウント取ったりするための材料として使うべきではないのだ。
子供がいろんな事に興味を持ち、あちこち動き回り、「なんで?なんで?」と聞いてくるのは、「歴史」が無いからだ。
大人になると、そういう行動が無くなるのは、「歴史」が出来たからだ。
その個人で得た「人生の歴史」とでもいうものの中から、様々な場面で答えを探す事ができるからだ。
しかし人間一人が体験したり見聞きして貯められる「歴史」情報など、微々たるものだ。
だから人間は神話のような「物語」を作って、口頭で子孫に伝え、文字を手に入れてからは「歴史書」を作ったのだ。
人間一人が生きていて得られるより、はるかに多くの「歴史」情報を、生きていく上での参考にできるように。
つまり「歴史」とは、より良い選択を行うための参考データなのだ。
ゲームで言えば経験値。
ここ最近では「ビッグデータ」などともいわれるが、あれらも「歴史」なのだ。
そうやって使うものなのだ、「歴史」というのは。
「歴史」を特定の国や民族を恨む材料として使うのが、いかに愚かで間違った行為か、分かるだろう。
日本の「自虐史観」と言われた歴史教育も同じ。
だが日本人は自ら間違いに気付き、目覚めた。
それがここ最近の韓国に対する、毅然とした「拒否」、つまり「Noと言える」ようになった理由だ。
韓国人も、反日が単なる洗脳である事に、とっとと気付くべきだ。
これは日本が指摘しても意味がないし、洗脳は解けない。
韓国人自身が、「おかしくね?」って気付かないとダメなのだよ。
実際、チラホラそういう人が出てきてるのは見かけるが、全て親日罪とやらで潰されてしまっている。
まるで「地球が太陽の周りをまわっているのだ」と言って、教会に弾圧されたガリレオのようだ。
最近、ノーベル賞を受賞した日本人の誰かも言ってたよね?
「先生の言う事や、教科書に書いてある事を信じるな」と。
これは別にそれらは全部嘘だとか言ってるわけじゃない。
既成概念に捕らわれるな、という事だ。
そうじゃないと、ノーベル賞が取れるような偉大な発見や技術の開発なんて出来ませんよと。
「歴史は勝者によって書かれる」とよく言われる。
つまり、勝者によって都合よく書かれた歴史を、そのまま鵜呑みにするなんて、愚かな行為であるとも言える。
だから現代の歴史学は、「あの人がそー言ってました」「あの書物にそう書かれてました」だけで、事実認定される事はない。
複数の証言や書物、あるいは遺物など多数の「証拠」を探すのだ。
人間が「歴史」というものの、本当の価値と使い方に、もっと早く気付いていれば、人類社会から「戦争」なんてものは、とっくに無くなっていたと思う。
誰かに都合よく改変された歴史を書いて残したり、誰かを恨んだりマウント取ったりするために使ったりしなければ。