どっかの国の何の権限も実績もない少女が、なぜか国連で演説した件で、話題になっている。
この少女や、やらせた裏に居る大人達がどうとかは、今回は言わない。
じゃあ環境問題ってどうすべきなのか?
温暖化だ氷河期だ、正反対の意見があるが、問題はそこじゃない。
どちらにしろ、確実に地球規模の気候変動が起きているという事実に、どう人類が対応するかなのだ。
日本に関して言えば、豪雨や強風での被害が増えた。
どう対応するか?
建築基準法を見直し、豪雨や強風に耐えうる建物を増やす。
川の堤防を高く厚くする、山の斜面を固める、川や山の側に家を建てられないよう、法改正する。
避難場所を複数設置し、より安全に確実に避難できる体制を作る。
などなど、いくらでもある。
それらこそを議論し、早々に実施すべきなのだ。
また気候変動で生態系も変わってきている。
例えばコメというのは、もともとは熱い地域の植物だが、日本はそれを涼しい地域でも育つ品種に変えてしまった。
そのせいで、コメの産地がどんどん北へ移動していってる。
台風で農作物が全滅する被害も増えている。
人間というのは、いくら金があっても石油があっても、食えなければ死んでしまう。
農業というのは、人間が生きていくうえで一番大切な産業である。
気温に左右されず、また台風などの被害を受けにくい、屋内生産に切り替えていく必要がある。
いわゆる工場で農産物を生産する新しい形態だ。
頑丈な建物の中で栽培していれば、気候が変わろうが台風が来ようが、昔ながらの屋外生産より被害は少なくなる。
食い物さえあれば、家が浸水しようがポールが倒れてきて破壊されようが、とりあえず生きていく事はできる。
もはや自然がどうのとか、オーガニックだとか言ってる場合じゃない。
そういう農業政策の切り替えをしていかなければ、日本は滅亡してしまう。
だが温暖化だー、二酸化炭素の排出量だー、プラゴミだー言う連中は居ても、これらのどうするか?の具体策を言う奴は居ないし、議論すらしない。
奴らはただ誰かを叩きたいだけだからだ。
本気で環境問題を何とかしようと思ってないからだ。
そもそも環境問題が解決してしまったら、誰かを叩いて金を得る彼らの商売が成り立たなくなってしまうからねw
世界は責任の擦り付け合いや、叩きあいをしてる場合じゃないのだ。
既に兆候があらわれまくってる、この地球規模の気候変動にどう対応していくかを、とっとと議論し、実施すべきなのだよ。
そのためには、多くの人間が学校に行って勉強して知識を身に着けて、考えて策を出し合わなければならないのだ。
芸大の教授らが、例の愛知の反日プロパガンダ展に、文化庁が補助金を支給しない事を批判しているというニュースを見て。
画家・音楽家・役者等々、芸術分野の職業に就いてる人は、「左翼思想」に染まる人が多い。
もちろん、本物「左翼」であれば良いが、今の「左翼」は偽物だらけだ。
なぜ芸術家は、こういうまがい物の反日左翼思想に染まってしまうのか?
それはスポーツ選手が「脳筋」と揶揄される事と、同じなのだ。
彼らはスポーツ「だけ」、絵画や音楽や芸ごと「だけ」しかやってきてない人が多いし、それしか考えてない人が多い。
これは別に悪い事ではない。
そのぐらい打ち込まなければ、こういう仕事で食っていけるレベルになるのは不可能だからだ。
そこそこの大学を出て、そこそこの会社のサラリーマンになる多くの一般人との違いだ。
世間一般の常識が無いと言われる。
一般常識が無いから、簡単に騙されて染まってしまうのだ。
理論的な考え方、自分にとってそれが損か得か、安全なのか危険なのかという判断が出来ない。
つまり「理性」が弱いのだと思う。
絵を描くにしろ、音楽を作るにしろ、あるいは野球やサッカーを高いレベルでプレイするにしろ、理屈で考えて成功するものじゃない。
これらに「理屈」や「理論」が全くないとは言わない。
実際、野球のキャッチャーとか、ものすごい頭を使うらしいしね。
でも一番大事なのは、フィーリングだ。
頭であれこれ考えて作った絵や音楽より、ふっと浮かんだものの方が評価されるし売れる。
頭で考えるより先に、体が反応するのが一流のスポーツ選手だ。
薬物に手を出しちゃう人の割合が多いのも、同じ理由だろう。
「理性」が弱いからだ。
芸大の連中は、本当に昭和天皇や特攻隊を侮辱するプロパガンダ作品を、芸術だと思ってるのだろうか?
表現の自由だと思ってるのだろうか?
反日左翼連中に洗脳されたり感化されてしまっていないか?
「理屈」で考えれば、とても芸術なんて言えないし、表現の自由の範疇ではないと分かると思うのだが。
プロスポーツ選手と同じように、芸術家達にも、世間一般の常識教育が必要なのではなかろうか?
感情だけで喚いてるガキだから。
なぜ人類は「学校」なんてものを作ったのか?
なぜ日本人は義務教育を受けなければならないのか?
それはあの少女のようにならないためだ。
学校の勉強なんて社会に出て、何の役にも立たないとか良く言われる。
だがそれは正しくない。
少なくとも、義務教育の「国語」と「算数」は、現代日本においてはどういう生き方をするにしろ、必要である。
逆に言えば、「国語」と「算数」だけ出来ていれば、殆どの職業には就けるし、最低限食っていく事はできるとも言える。
だが国や企業を動かそうとか、何か大きな事をやる、目標がある場合は、それだけでは不十分だ。
何かを変えたい、成し遂げたいという思いだけでは、それらは実現できない。
実現するには、先人や専門の「知識」という歴史を学ぶ必要がある。
ピアノをまったく練習しなかった人は、ピアニストにはなれないし、サッカーをまったくやってなかった人が、Jリーガーになれないのと一緒だ。
まずは「学ぶ」事だ。
十分学んだうえで、はじめて国や企業を動かせる提言ができるようになるのだ。
そういう人が「大人」と呼ばれるのだ。
某不登校のYoutuberもそうだが、学校に行かないで喚いてるだけでは、何も変えられない。
学校にも行かず、勉強もせず、ノーベル賞が取れるか?
身体能力的には、ほ乳類の中でも下から数えた方が早いほど、よわい人間が地球上の全ての生命の頂点に立っているがごとく振舞えるのは、全ては「知能」の高さを生かした「知識」の量によるものだ。
もちろん「知識」は持っているだけでは、何の意味も持たない。
活用されて初めて貧弱な身体能力を補い、生存競争に勝つ道具として役に立つものだ。
「知識」が無ければ、活用も当然ながら出来ないわけで。
世界の現状を変えたいと思うなら、まずは学校にきちんと行って、そのためにはどうしたら良いのか?というのを学ぶべき。
温暖化の問題は、誰が悪いとか悪くないとか、そういう議論をするものではない。
地球規模での気候変動に、人類はどう対応していくのか?
それをみんなで考えて議論すべきなのだ。
なぜなら、気候変動に対応できなかった生物は、ことごとく絶滅したという歴史があるからだ。
他の生物は、環境の変化に対応するには、自らの遺伝子を変化させなければならない。
それはすごく時間が掛かるし、運にも左右される。
だが人間は違う。
高い「知能」を生かして、環境の変化に対応する方法や道具を作ってきた。
それは遺伝子を変化させるより、はるかに早くて確実性が高い。
だからこそ、生命の頂点に立っているのだ。
この子供達は、残念ながら親がそれをわかってないために、ロクな大人になれないだろう。
かわいそうではあるが、自らが気付いて道を修正する以外に無い。
ニュースは被災者ばかりを映す。
「こんなに人々は困ってます」と。
そして、一方で国や自治体が救援や復旧活動をしている所は、あまり映さない。
恐らくこういった災害の現場で、一番役に立っているであろう自衛隊の事は、映すどころか述べさえしない。
なぜなら、マスコミにとって自衛隊は「悪い組織」でなければならないからだ。
同様に、国や自治体の仕事を報じないのも、マスコミにとって公的な組織というのは民衆の事を一切考えない、自己中な権力集団であり、「民衆の敵」でなくてはならないからだ。
はっきり言おう。
日本に自衛隊以上に、スキルや装備が整った、何にでも対応できる万能組織は居ない。
警察や消防では対応できなくても、自衛隊なら対応できる事は多い。
逆に言えば、自衛隊が対応できない事には、誰も対応できないのだ。
とはいえ、自衛隊は「軍隊」であるので、「文民統制」の原則に縛られまくる。
いくら対応能力があっても、準備が整っていても、文民である国や自治体が「命令」や「要請」を出さなければ、動けないのだ。
つまり、野党やマスコミのような連中が国や自治体のトップになると、わざと要請を出さなかったり遅らせたりして、民衆に甚大な被害を与える。
神戸大震災の時は、実際にそれが行われた。
当時は社会党という左翼の最大野党が政権を取って与党をやってた時代だった。
いったい野党やマスコミは、誰のために仕事をしているのか?
もう一度、よく考えてほしいものだ。
マスコミがすべきは、国は自治体は、こんなに復旧のためにがんばってます。
自衛隊がこんだけがんばってくれてます。
「だから被災者のみなさんは、落ち着いて安心して下さい。」と伝える事ではなかろうか?
「日本は他の国と違って、国民の生命と財産を守るために働くので、たとえ甚大な災害に見舞われても、慌てたり絶望したりする必要はなく、落ち着いて助けを待っていれば、必ず救われます。」と、
というか、そういう思いが国民にあるから、日本は災害時にも暴動が起きないのだ。
それを壊そうとするかのごとく所業は、許すべきではない。
文大統領は「謝罪は永遠に続けろ」と言った。
日本の左翼マスコミ連中も、「日本人は永遠に謝り続けるべきだ」などとほざいている。
これらはすべて、韓国人がいつまでも日本を許さない、恨み続けるからだ。
しかし考えてみれば、おかしな事である。
なぜかと言えば、今の韓国人は戦時中にはまだ生まれておらず、日本に酷い事をされた直接の被害者は殆どいない。
もちろん、彼らの言い分である「酷い事」が事実かどうかは、議論の余地はあるがね。
外国人の中には、「日本はアメリカに原爆を二発も落とされたのに、なぜ恨まないのか?」と思う人が居るらしい。
言われるまで気づかなかったが、そこに韓国が反日を続ける原因がある。
日本人で原爆を知らない人は居ないだろう。
親も教師もマスコミも被爆者団体も、ありとあらゆる人や組織が、しつこいほど「原爆」については教えるからだ。
だがそれで「アメリカ絶対許さない!」とか「謝罪と賠償を!」とか言い出す人は、少ない。
敗戦国だからというのもあるが、多くの日本人にとって「原爆」というのは歴史的事象以外の何物でもないのだ。
アメリカやアメリカ人を恨み続ける原動力では無いのだ。
なぜそうならないかと言えば、日本人は「アメリカに原爆を二発落とされました」としか習わないから。
「だからあたたちは、アメリカを未来永劫恨み、謝罪と賠償を要求し続けなければならないのですよ」とか言われないから。
つまり韓国では、「日本に酷い事をされました」で終わらないのだよ、歴史教育とやらが。
「だから先祖の受けた屈辱を何時までも忘れず、日本を恨み続けなければならない、謝罪や賠償を求め続けなければならない、それが韓国人、朝鮮民族としての義務である」みたいな、「洗脳」を行う。
こんな事を続けてれば、いくら日本が謝罪だの賠償だのしても、永遠に終わらないのは当たり前だ。
ただこれは別に韓国に限った話じゃない。
歴史的に感情的に対立してる国や民族というのは、みなこういう「間違った民族の歴史教育」を行っているから、いつまでたっても和解できないし、争い続けるのだ。
以前から言っているが、歴史というのは、誰かを恨んだりマウント取ったりするための材料として使うべきではないのだ。
子供がいろんな事に興味を持ち、あちこち動き回り、「なんで?なんで?」と聞いてくるのは、「歴史」が無いからだ。
大人になると、そういう行動が無くなるのは、「歴史」が出来たからだ。
その個人で得た「人生の歴史」とでもいうものの中から、様々な場面で答えを探す事ができるからだ。
しかし人間一人が体験したり見聞きして貯められる「歴史」情報など、微々たるものだ。
だから人間は神話のような「物語」を作って、口頭で子孫に伝え、文字を手に入れてからは「歴史書」を作ったのだ。
人間一人が生きていて得られるより、はるかに多くの「歴史」情報を、生きていく上での参考にできるように。
つまり「歴史」とは、より良い選択を行うための参考データなのだ。
ゲームで言えば経験値。
ここ最近では「ビッグデータ」などともいわれるが、あれらも「歴史」なのだ。
そうやって使うものなのだ、「歴史」というのは。
「歴史」を特定の国や民族を恨む材料として使うのが、いかに愚かで間違った行為か、分かるだろう。
日本の「自虐史観」と言われた歴史教育も同じ。
だが日本人は自ら間違いに気付き、目覚めた。
それがここ最近の韓国に対する、毅然とした「拒否」、つまり「Noと言える」ようになった理由だ。
韓国人も、反日が単なる洗脳である事に、とっとと気付くべきだ。
これは日本が指摘しても意味がないし、洗脳は解けない。
韓国人自身が、「おかしくね?」って気付かないとダメなのだよ。
実際、チラホラそういう人が出てきてるのは見かけるが、全て親日罪とやらで潰されてしまっている。
まるで「地球が太陽の周りをまわっているのだ」と言って、教会に弾圧されたガリレオのようだ。
最近、ノーベル賞を受賞した日本人の誰かも言ってたよね?
「先生の言う事や、教科書に書いてある事を信じるな」と。
これは別にそれらは全部嘘だとか言ってるわけじゃない。
既成概念に捕らわれるな、という事だ。
そうじゃないと、ノーベル賞が取れるような偉大な発見や技術の開発なんて出来ませんよと。
「歴史は勝者によって書かれる」とよく言われる。
つまり、勝者によって都合よく書かれた歴史を、そのまま鵜呑みにするなんて、愚かな行為であるとも言える。
だから現代の歴史学は、「あの人がそー言ってました」「あの書物にそう書かれてました」だけで、事実認定される事はない。
複数の証言や書物、あるいは遺物など多数の「証拠」を探すのだ。
人間が「歴史」というものの、本当の価値と使い方に、もっと早く気付いていれば、人類社会から「戦争」なんてものは、とっくに無くなっていたと思う。
誰かに都合よく改変された歴史を書いて残したり、誰かを恨んだりマウント取ったりするために使ったりしなければ。