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オーバーロードで考える 善と悪について

AmebaTVが全話無料(現在は一部無料)をやってたので、3部までまとめて全部見直してみた。

私はアニメを見るとき、必ず海外の視聴者の反応のまとめも見る事にしている。
他人の感想、しかも価値観が異なる外国人のものは、非常に面白いからだ。
それらを見る事で、2度楽しめるというわけだ。

さてオーバーロードという作品は、主人公がアンデットである。
従って人間は基本的には敵か、あるいは取るに足らない下等生物という扱いになっている。

だから人間である我々が見ると、ダークヒーローの物語という捉え方をされる。
アンチヒーローとも言うか。

主人公の言動について、いちいちこれは正義か悪かなんて論争も起こる。

根本的に間違っている。

この作品は、善悪なんてもんは、所詮は人間が自分たちの都合で作り出した価値観にすぎないという事を教えてくれていると思う、作者がそんな事を意図しているかは不明だがw

キリスト教的価値観が今でも根強い欧米では、善悪へのこだわり、あるいはそれらの絶対視が甚だしい。
人間の価値観的に善なものが「神」であり、悪なものはすべて「悪魔」だ。
対して日本の宗教観では、善も悪も神はすべて神だ。
これが日本は無宗教と言われる理由でもある。
絶対正義の唯一神の存在を信じてない=無宗教なのだ、一神教的価値観の連中からすれば。

この考え方こそが、無意味な宗教戦争やテロの原因になっていると私は思う。
善悪なんてもんは、所詮は人間が自分たちの都合で勝手に考えたものであるわけで、現実世界には人間以外の知的生命体は居ないから気づきにくいが、オーバーロードのように人間と同等以上の知性を持つ生命体が居れば、当然ながら善悪の価値観がまったく逆である事もあり得るのだ。
つまり善悪なんて価値観は、「絶対」ではないのだ。

だから悪いことをしてもよい、良いことをしなくてもよいと言ってるわけじゃない。
なぜなら、我々は人間だからだ。
人間が生き残るために、これはした方がよい、これはしない方がよいというのが善悪の基本だからだ。
それらを否定したり従わなければ、人間は滅亡してしまう、自分が死んでしまう危険が高くなるからだ。

つまり「善悪なんてのは所詮は人間が自分たちの都合で勝手に作り出したもの」という認識をもち、そのうえで人間として生き残るために守らなければならないと考えるべきなのだ。
そうすれば、例えば宇宙人みたいな、人間とは異なる知的生命体が現れても、その対応方法を誤る事はないだろう。

そもそも人間同士だって、この善悪をはじめとした価値観は一致していない。
戦争する時は、お互いの国が「正義は我にあり」と言うわけだしねw

勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉があるが、実際は善悪なんてそんなもんなのだよ。
人間と同等以上の知能を持ち、人間より遥かに強力な力を持つ知的生命体が現れた時、それを思い知る事になるだろうというのが、オーバーロードの世界なのだよ。

善悪という価値観が、人間以外の生命にとっては、絶対的でも何でもない事を知っていれば、降伏してでも生き延びる道を選ぶのか、あるいは戦って相手をねじ伏せ、自分たちの正義を押し付けるのかの選択を誤らないで済むという事だ。

これは人間の国同士でも同じ。

このキャラクターは善だ悪だなんて論争が、そもそもばかばかしいのだ。
ましてや相手は、現実には存在しない空想上の存在であるわけだしw

人間は、地球上の他の生命と違って、膨大な経験と知識を後世に伝える「歴史」というものを持つ事ができる。
と同時に、それらを使って実際には起こっていない事を「空想」したり「妄想」する事ができる。
このアニメ・漫画・映画・小説等々の「空想物語」というのは、単なる娯楽ではなく、人間だけが持つ優れた能力だと思う。

なぜなら、今の時代は当たり前のように使われてる技術や理論も、もともとは「空想」だったものを多いわけだ。
SFの世界のものでしかなかったものが、現実になったものは沢山ある。
空想の産物を現実のものにしようと、努力した人達が沢山居る。
だからこそ、人類の科学技術は発展してきたわけだ。

人間が空を飛ぶ?
そんなもん不可能不可能、空想物語だよwwwで済ませなかった人が居たから、飛行機があるのだ。

話が逸れたが、この架空の人間の善悪とはまったく正反対とも言える生物が主人公のオーバーロードという物語も、必ずやいつか役に立つ事があると思う。
先にも述べたが、例えば地球外の知的生命体が見つかった時、そしてそれらが人類よりはるかに進んだ技術を持ってた時に、どう付き合うか、どう対処するかって時に。
あるいは人類が衰退して、人類に代わる更に賢い進化生物が現れた時に、人類はどう生き残って行くかって時とか。

まぁ近い未来にどちらも起こるとは思えないが。

どちらにしろ、善悪という価値観について、人類はもう少し認識を改める必要はあると思う。

世話やきキツネの仙狐さん と 八十亀ちゃんかんさつにっき に共通する人気の要因

これら2つの作品の、ヒロイン(?)の共通点は、どちらも「標準語ではない」という点だ。

人間というのは、聞きなれた、自分が普段使ってる言葉以外を聞くと、無条件に好感を持つのだ。
相手が男なら「かっこいい」、女の子なら「かわいい」と感じる。

日本の歌謡曲、いわゆるJ-POPというのは、戦後から一貫して「英語」がタイトルや歌詞に入るスタイルが多い。
それは「英語」が、普段自分たちが使わない「外国語」であり、それが「かっこよく」聞こえたからだ。
歌謡曲だけでなく、ありとあらゆる商売に「英語」は使われてきた。
英語圏の人が日本に来ると、そこらじゅうに母国語があって驚くほどにだ。

さて、この現象は「英語」に限った事ではない。

バブル期あたりからだろうか、テレビには「標準語」でしゃべらない人が増えた。
さんまを筆頭に、関西出身で関西弁でそのままテレビで喋る人が人気を博した。
これも、当時は「関西弁」をテレビでそのまま喋るという行為が、珍しかったからだ。
他の方言のある地方出身芸能人と同じように、標準語で喋っていたら、さんまの人気はここまで出なかったと思う。

このように、「聞きなれない言葉」には商売に良い影響を与える要因になり得るという法則がある。
しかし注意しなければならないのは、あくまで「聞きなれない言葉」であるという事。

どういう事かというと、たとえ外国語だの方言だのでも、多用されて日常的に「聞きなれ」てしまえば、効果は無くなってしまうという事だ。
いまどき、テレビで関西弁を喋る芸能人なんて、珍しくもなんとも無い。
それを売りにして、人気を出す事はできない。
気づいてないアホが多いがw
むしろ今までになかった、他の地方の方言でそのまま喋るスタイルの方が、はるかにインパクトは強いし人気が出る可能性は高い。
方言のきつい地方出身の芸能人は、考えた方が良いと思う。

というか、これがまさに「八十亀ちゃんかんさつにっき」の人気の要因なのだよ。
名古屋弁は珍しいってほどでもないが、それでも関西弁のように「聞きなれた」言葉ではない。
だからなおさらヒロインの「八十亀ちゃん」が「かわいく」感じるのだ。

同じく「仙狐さん」も、「のじゃロリ」と言われる、比較的最近になって出てきた属性のヒロインである。
「~のじゃ」という昔の人っぽい喋り方が、「かわいさ」を倍増させるのだ。

同様に、ここ最近のアニメ・漫画作品では「ドイツ語」が目立ってきている。
なぜなら、「英語」は既に見慣れた、聞きなれた言語になってしまっていて、現代日本では昭和の時代ほど「かっこいい」「かわいい」という人気に与える良い影響力が大幅に減少しているからだ。

おそらく令和以降は、「ドイツ語」だけでなく「フランス語」や、あるいはもっとマイナーなヨーロッパの言語、あるいはヨーロッパ以外の地域の言語も、作中に使われる事が増えると思う。

もし「人気」が重要な商売をしている人が居たら、この事を知っておいて欲しい。
もはや「英語」や「関西弁」は、インパクトを与える要素になりえない。
これからは、「英語」以外の外国語か、「関西弁」以外の方言を使うべきとw

AmebaTVの過去アニメ全話無料の選定の仕方

少し前から、ニコニコ動画に限界を感じたので、同じく最新話を一定期間無料で配信する、AmebaTVもお気に入りに入れた。

そしてGW頃から(あるいはそれ以前にも行われてたのかも知れないが)、過去作品を期間限定で全話無料というのをやってる。
それらのうち、まだ見たことがなかったものをいくつか見てきた。
1回目は東京グール。
2回目は魔法科高校の劣等生。
どちらも原作とともに、アニメも国内外から非常に高く評価されている作品だ。
そして、今はノーゲーム・ノーライフを見ている。
こちらは既に過去に全話視聴済みだが、暇つぶしに見直してる感じ。

さて、これらのアニメに共通するのは、今の世界を支配している価値観へのアンチテーゼだ。

東京グールというのは、人類と見た目はまったく変わらないが、人肉を食らう事でしか生きていけないグールという種族と人間との生き残りをかけた戦いを描いたもの。
魔法科高校の劣等生には、実際に世界で起きているであろう自分だけが、自分の民族や国だけが、生き残ればいいという思いで行われてる、様々な情報操作や陰謀を話に組み込んでいる。
そしてノーゲーム・ノーライフは、「知恵」とは何か?を問いかけている。

もちろん、原作者やアニメ製作スタッフにそんな思いは無いだろう。
単に面白くするために、売れるために、なんかそれらしき高尚なテーマがあるかのように見せているだけだ。
エヴァンゲリオン以降、こういう作品は増えたしね。

だが全話無料作品を選定しているAmebaTVのスタッフに、もしかしたらそういう思いがあるのかも知れないと思ったのだ。
もちろんどれも人気作品であり、それで釣って有料会員を増やそうって、よくある商売の方法だし、理にかなっている。
偶然である可能性の方が大きい。

ただあえて、裏を深読みすれば、
東京グールで、「人間」ってそんなに特別なの?人間の価値観ってそんなに正しいの?
と問いかけ、その証拠として正義を叫ぶ奴らの思惑なんて、所詮こんなもんだよ?みたいなのを魔法科学校の劣等生で示し、ノーゲーム・ノーライフで、知性の本当の使い方ってこうなんじゃないの?みたいなのを示してると見る事ができる。

現在の世界で、どの国でも民族でも「悪」とされるのは、殺人と窃盗だと思う。
中でも東京グールのように、殺人のうえ人を食らうという共食いとも言える行為は、もっとも忌避されるタブーである。
というか共食いは人間だけでなく、他の生物でもタブーである。

共食いがなぜタブーかと言えば、DNAの多様性を無くしてしまうからだ。
同種族の個体数が減れば、それだけ子孫のDNAの組み合わせが減ってしまい、それは生物にとっては「弱体化」になる。
近親相姦も同じ理由で、禁止されてるし、他の生物も本能的にそれを避けるのと同じ理由だ。

この世界は人間も含め、全ての生命が「生存競争」というゲームをしている状態だ。
そのゴールは、おそらく究極の生命体に「進化」する事だろう。
太陽の中心に放り込まれても、燃え尽きず、あるいは太陽の熱や光が届かない、超低温でエネルギー減のひとつである「光」が無い宇宙空間でも凍りつかず、そしてブラックホールに引きずりこまれようとも、潰されることがない。
いわば完全な「不死」を目指していると考えられる。
ただそのゴールに到達できるのは、1固体なのか1種族なのか、あるいは複数のタイプの異なる種族でも良いのか?
そこは分からない。

つまり、そういう生き残りゲームをしているという事だけが、人間に分かる真実であり、その他の価値観は単に人間が勝手に決めただけで、正しいも悪いもないということ。
そして我々人類というのは、生物の中では最弱の部類に入る。
なぜなら、人間より五感が優れた生物は沢山いるわけだし、腕力も体の頑丈さも、あるいは寿命ですら、1番ではない。
人間は、手足をもがれたら二度と再生はしないが、トカゲの尻尾やプラナリアなど、驚異的な再生力を持つ生物も居る。
水で洗ったり、火を通したりしないものを食っても人間以外の生物は、それで病気になったり死ぬ事はまずない。

めちゃくちゃ弱い生き物だろ?人間てw

そんな人間が、なぜ現時点で全生命の頂点に立っているかのように振舞えるのか?
それは「高い知能」を持ったからだ。
人間が唯一他の生命に勝てるものは、「知能」だけなのだよ。

つまり「知能」を正しく使えないと、人類は滅ぶ。

だが人類はまだこの「知能」を「正しく」使いこなせていない。

よって人類はいずれその自身の高い知能によって、滅ぶだろうという事だ。

人類はその高い知能を「真の平等」の実現に、まず使うべきなのだ。
個体数が増えれば増えるほど、多様性というのが生まれる。
高い教育を受けた人数が多い国ほど、スポーツだろうが勉強だろうが、天才を輩出できる可能性が高くなる。
それはオリンピックだのノーベル賞だのを見れば分かるだろう。
また身分だの何だのに拘って、真に優秀な人間を冷遇し、無能を高い地位に就けるのも、滅亡の要因になる。
これが本当の「差別」だ。
特定の価値観を否定し、弾圧し、封じるのもだめ。
どちらが優れているとか、どちらが正しいなんてのは、他人に言われて決めるものではなく、自分の頭で考えて決めるもの。
そもそもその優劣すら、必ずしもつける必要はない。
そういう「本能」をできるだけ押さえ込まないと、せっかくの「理性」が生かせない。
これが仏教でいうところの、「煩悩を捨てろ」って事だと思う。

人は「感情論」ではなく「理論」を重視すべきなのだ。
それが「高い知能」の本来の生かし方だ。
「机上の空論」などという言葉があるが、「机上の空論」になってしまうのは、理論が不完全だからだ。
同じ知性を持つ人間同士の戦いでは特にそうだ。
感情論は無視するのではなく、理論を組み立てるひとつのファクターとして扱うべきなのだ。
敵の心理をいう「感情論」の要素を抜きに、真に勝利できる作戦という理論は完成できない。

AIやロボットが人間になれないのは、「本能」が無いからだ。
将棋とかチェスとかは、実は先手が有利だと言われている。
それはどんな手順であろうとも、完璧な手を双方が打った場合、先手が必ず勝つからだ。
人間同士の対戦で、必ずしもそうならないのは、人間は「ミス」をするからだ。
完璧な計算ができるAI同士で、将棋だのチェスだのをさせたら、先手・後手が決まった時点で、後手のAIは「負けました」と言うだろうw

将棋のプロの対戦では、王の逃げ道がもう無いという「詰み」状態まで指される事はない。
その何十手も手前の段階で、「負けました」と言うのが普通だ。
なぜなら、プロは素人よりも何手先も完璧に読む事が可能だからだ。
ただAIのように、全ての手を計算できないだけ。
人間の脳でも計算可能なところまで来ないと、勝ち負けの判断ができないだけなのだ。

人間は完璧な計算はできない。
それは五感だけでは得られない情報が、この世界にはあるからだ。
五感というのがそもそも完璧ではない、進化途中の情報収集能力だからだ。
だからAIが完璧な生命になり得る事も無い。
なぜなら、人間が得られない情報は、AIやロボットにも搭載する事ができないからだ。
人間が五感で得られる情報、あるいは知的探求によって探り当てたそれ以外の情報以上のものは、AIにも分からない。
その不完全な情報での計算結果は、やはり不正確になる。
AIが完璧な生命というか知能になり得ない理由が、これだ。

不完全であるからこその多様性。
それが正解を選べる確率を高められる。
それが人間を次の生命体へ進化させる要因になる。
今のように、てめーだけが生き残れば良いという本能に従っていては、生き残れないし次の段階へもいけない。

人類と別系統の進化を人類より先にして滅んだ、多くの亜人種と同じ運命をたどるだろう。

これは別にパヨクだけに言ってる事ではない。
右翼や今の世界の主流の価値観についても同じだ。

なーんて事を訴えたい意図が、このAmebaTVの全話無料アニメの作品の選び方にあるのではないか?
と中二病的な妄想をしたという話。

個人的 今期おすすめは仙狐さんと八十亀ちゃん

この2つの作品に共通するのは、ヒロインが「超かわいい」という事である。
そう、私はいわゆるロリコンなので、小さくてかわいい子が好きである。
誤解の無いように言っておくと、3次元の幼女には興奮しない。
かわいいとは思う事はあるが、それは犬や猫を見て「かわいい」と思うのと同じ種類の感情である。
なので3次元の幼女に対して、あんな事やこんな事をしたいと思ったり、実際にして捕まるクズの心情は理解できない。

話が逸れたが、まず仙狐さんだが、複数の属性がある。
ケモノである。
私の好きなケモっ娘の中でも、特にポイントが高い狐である。
見た目は幼女なのに、年齢はおばさんを通り越して、おばあちゃんである。
つまり合法ロリとか、ロリBBAとか呼ばれるギャップ萌え要素がある。
更にその中でも上位に位置する「のじゃロリ」である。
「のじゃロリ」とは、語尾に「~のじゃ」と付けたり、自分の事を「わたし」ではなく「わし」とか「わらわ」とか、いわゆる江戸以前の古い日本語でしゃべる幼女を指す。
単なる見かけは幼女だが、実年齢は20歳以上とかいう、合法ロリよりも実在度が薄い、というか不可能なところが「のじゃロリ」のポイントだ。
実際、仙狐さんは、800年生きている神様(の御使い)であり、人ですらないw

でもかわいい。
絵はもちろんだが、声優さんの声や演技もめっちゃかわいい。
この話は、仙狐さんに主人公のおっさんが、お世話されて甘やかされるという、いわゆる「ばぶみ」とか「ママ」とか言われる分野だが、私の場合、その属性は無い。
仙狐さんを見て感じるのは、めっちゃかわいがって甘やかして幸せにしてあげたいというものだw
もちろん性的な意味でもw

八十亀ちゃんは、一応は女子高生という設定だが、とてもそうは見えないw
年齢的には合法かどうか微妙な腺だが、見た目は小学生高学年か中学生だ。
そしてなにより、「名古屋弁」がかわいい。
名古屋出身の声優さんをわざわざ使うぐらいの力の入れっぷりなので、すごく演技も自然だ。
名古屋弁は「みゃーみゃー」言う、猫みたいな口調が特徴だが、それに合わせて八十亀ちゃんも猫っぽいw
私は犬も好きだが、どちらかと言えば猫の方が好きだ。
なので八十亀ちゃんを、思う存分かわいがりたい、性的な意味でもw

とにかくこの2人、見てるだけでかわいいのだ。
話が面白いかどうか、そんなもんは関係ないw(もちろん話もそれなりに面白いよ?)
合法であり、ケモノっぽさがあり、そして見た目がロリである。
これ以上の条件を満たす萌えはない。

というわけで、是非とも多くの人に見てもらいたい。
そして同人作家のみなさんには、是非とも仙狐さんと八十亀ちゃんの薄い本を沢山出してほしいですw
よろしくお願いしますw

声優という職業の進化

今期の、いや今シーズンの最高傑作アニメではないかと言われる、大人気の「かぐや様は告らせたい」。
このアニメはストーリーの面白さという、もともとの原作の力に、原作絵に忠実にして丁寧に書かれ、崩れない作画、原作の雰囲気をうまくアニメとして再現した優れた演出や脚本によって、稀に見る最高品質の原作漫画アニメである。

そして、これらの中でも特に光るのが、「声優の演技」である。
主要人物の中には「新人」さんも居るらしいのだが、それらはもちろん、ナレーターに至るまで全てが「声優」として完成された、というか正に声優の演技とは、こういうものだと完成させたと言っても過言ではないぐらい、素晴らしいのである。

もともと「声優」という職業は、日本以外には存在しない。
海外などでは、「声優」はドラマや舞台の役者が兼業するのが普通だ。

しかし、テレビドラマにはテレビドラマの、舞台には舞台の、それぞれの演技の仕方がある。
同じ役者でも、テレビドラマや映画と、舞台では演じ方がまったく違う。

これは、たとえば舞台劇だとマイクも基本的に使わないし、最前列の観客と後ろの方の観客席からでは見える役者の大きさが違うため、不自然なほど大きな声ではっきりと、しかも動作も台詞も「わざとらしい」ぐらいに大げさにする。
そうしなければ、伝わらないからだ。
電車のアナウンスが、みな「哀川翔」の物まねをしてるかのようなしゃべり方なのも、性能の悪い昔のマイクでは、そういうしゃべり方をしないと音声が聞こえにくかったからだと言われている。

このように、同じ演じる・喋る職業でも、環境によって演じ方がまったく違うのが普通なのだ。

しかし「声優」にはそれが今まで、はっきりとは無かった。
特に「声優」という職業が存在しない、兼業ばかりの欧米では、日本のアニメに触れた人達には評判がすこぶる悪い。
プロの役者であり、ドラマや映画ではアカデミー賞を取るような名優でも、声優をやらせるととたんに感情のこもってない、大根役者のような声の演技しかできない、そういう風にしか聞こえないからだ。
その点、「声優」が職業として確立していた世界でも珍しい日本においては、素人はもちろん、普段はドラマや舞台で役者をやってるプロが、たまに声優をやると、棒読みに聞こえて仕方ないというぐらい、差が出るほど「声優」独特の演技力というかやり方というのがあった。
そして、「かぐや様は告らせたい」に見えるように、ここ最近のアニメは、海外からの注目も高く、売り上げや作品数についても、急成長し続けている事が原動力になっているのか、さらに「演技」に磨きがかかったものが多い。
そういう「声優」が多くなってきている。

ただ台本に書かれた台詞を、間違えずに絵に合うような絶妙なタイミングで、しかも視聴者が聞き取りやすいようなはっきりとした発音で、それなりの感情が視聴者に伝わるようにやれば良いというものではないし、それだけでもかなり難しい。
それに「根暗でボソボソ喋る」などのキャラクター演出などは、視聴者が聞き取りやすいよう、はっきり発音して喋るというのとはまったく正反対の演技も求められる事があるなど、それだけ見てもほぼ不可能と思えるほど困難で高い技術、独自の方法が必要な事がわかる。
それができていただけでもすごい事なのだが、ここ最近はさらにその演技力に磨きがかかって、進化しているのだ。
もうすでに、他の国の「なんちゃって声優」や演技力が高く評価される他のドラマや舞台の役者と違って、注目度も認知度も遥かに劣るにも関わらず、誰が聞いてもまったく「違う」とわかる、上手さの差がモロに出るレベルまで「声優」という職業を昇華させていたにも関わらず、さらに「すげー、進化したなぁ」と視聴者を感心させる。
それが日本の新しい「声優」層のすごいところ。

日本人はもともと、物事をとことんまで突き詰める、完璧主義者と海外からは言われるが、まさに「声優」もそうだったという事だ。
表情や身振り手振りなどが一切使えず、「声」だけで全てを表現し、伝えなければならない「声優」。
他のドラマや映画と違い、オーバーすぎるほどの喋り方をする。
この辺は舞台俳優の演技、たとえば「宝塚」などと方向性は同じだ。
中身はまったく違うがw

ここ最近の声優の進化は、この「オーバーな喋り方」が「オーバーに聞こえない」「ごく自然に」「普段の生活でも、街中でも、友達にもこういう喋り方の奴いるわw」と思わせるような「演技」が増えた点にある。

「オーバー」なんだけど「オーバー過ぎない」、感情が異常なまでに篭った喋り方なんだけど、篭りすぎてない自然な喋り方に聞こえる。

これが「かぐや様」の「声優陣」に感じた、私の「すごいなぁ」と思った点。

そして、ただでさえ完成されていた「声優」の演技というものを、更に一段階昇華させたと感じる点だ。

「かぐや様」の感想を述べている掲示板やサイトや、あるいはニコ動などのコメントでも多く見られる、「石上会計」の声優の演技。
彼はまだ二十歳そこそこの、新人でありながら、ベテラン声優にもできないような「こんなしゃべり方の奴いるわw」「こんな言い方しそうw」という視聴者に共感というか、不自然さを感じさせない素晴らしい「演技」をする。
非常に評価が高い。
かつて日本の歌謡界が絶頂期のころに、歌唱力というのを忘れて「顔の良さ」だけで歌手を名乗る「アイドル」というのが生まれた。
それが人気を更に高める一因にもなったが、同時に歌という芸術のレベル低下にもつながった。

声優界も、歌謡界と同じ現象が起きていた。
本来「顔出し」はNGなはずなのに、「アイドル声優」なんてもんが多く登場し始め、「声優」という職業が注目され、人気を上げる一因にはなったが、肝心の声優としての演技力の低下が起きる危機もあった。
しかし「声優界」はそうならなかった。
なぜだか、アイドル声優の声優としての演技力は及第点以上の人が多かった。
同じ「アイドル」でも「アイドル歌手」みたいな歌が下手糞な、「それ、歌手って名乗ってて恥ずかしくないの?」ってのは、出てこなかった。
不思議なものであるw

「声優」とは、アニメーションという近現代の技術によって、はじめて実現できた新しい「芸術」である。
従って、「声優」の歴史も、他の演技系の「芸術」とは比べ物にならないぐらい短い。
しかし、短期間でここまで「声優」という独自の職業の確立、演技の進化を見せたのは、珍しくもあり素晴らしい事でもある。

「声優」という職業は、もっと評価されるべき。
ぶっちゃけ、将来的には「文化勲章」だの「人間国宝」だのの対象にすべきレベルまで、すでに到達していると思う。

ただ声が「かわいい」だけ、「イケボ(イケメンボイスの略)」であれば声優になれるわけではない。
美人やイケメンならみなドラマに出演できる、歌手デビューできる、腐ったテレビ芸能界とは違う。
むしろそれらは「最低条件」であり、そのうえで更に「演技」が上手い人だけがプロの「声優」になれる。

かつて第二次アニメブームの時に、「赤ずきんチャチャ」という人気少女アニメがあったが、あの主人公に大抜擢された代アニ(代々木アニメーション学院)出身・・・というかまだ当時は在学中だったかな、そういう大人の事情でゴリ押しで未熟なのにやらされてた、棒読みの酷い女性声優が居たw
しかし彼女も、次の作品、その次の作品と経験を積むうちに、プロの声優として遜色ないレベルにまで到達した。
歌の下手なアイドル歌手は、何年続けても下手糞なままの芸能人とは大違いだw

また、演技が進化しているのは若い世代だけではない。
日本の戦後のアニメを最初期から支えてきたような、ベテラン声優も進化している。

男性声優でもっとも知名度や人気が高い「若本規夫」なども、若い頃の演技と今の演技ではまったく別物である。
ギレンやサウザーなどの、ダンディーな悪役男性を数多く演じてきたベテラン男性声優の「銀河万丈」さんも、初代ガンダム放送時のギレンの演技と、最近になってなんかのイベントで、当時のギレンの演説シーンを生演技した有名な動画とでは、まったく演技が違う。
棒読みっぽく聞こえる初代の演技と、聞いてる人が「これはジークジオン叫んでしまいますわw」「こんな演説聞いたら、独裁者でも支持してしまいますわw」と言わしめるほど、演技力に差がある。
ベテランになってもなお、進化し、レベルアップし続けている人が沢山居るのが「声優」なのだ。

「声」というアニメの一部でしかない要素であるにも関わらず、「大山のぶ代」じゃない「ドラえもん」なんて「ドラえもんじゃない!」と言う人が居るほど、大きな何かを占める力がある。

俳優や女優などにも、その人の死が大きな衝撃、損失だと言われる人は居るが、「声優」のように、もはやその作品は、たとえ代役が引き継いでも、別物になってしまうぐらいの影響がある人は少ない。

「声優」は世界に向けて日本が誇れる、独自の文化「職業」であると言って良いものだと思ったという話。
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Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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