ふと、いまニコ動などで見れる最新話を見ていて、気づいた事がある。
「かぐや様」の作画品質が高いのは、ひとえに「動き」が少ないからではないかと。
もともとこの作品は、少年ジャンプの漫画のように、派手なアクションとかそういうので楽しませるタイプではなく、シチュエーションや登場人物の会話や心理描写などで、読者を楽しませたり笑わせたりする漫画だ。
そのため、通常のアニメ化作品より、もともと動画枚数が少なくてすむ。
しかも場面のほとんどが「生徒会室」という、人口建造物の中なので、屋外のように風とか天候による影や光の動きとか、そういうものを考慮する必要がほぼないので、背景は一枚絵で長時間、何度でも使えるという利点もある。
極端に言えば、登場人物の動きでさえ、台詞に合わせた口パクだけでも違和感が無いのだ。
一枚絵である背景が、本当に一枚あるいは数枚で済む上に、動きがあるセル画の登場人物も、動かすのはほぼ「口」だけで良いので、1話毎に作成しなければならない作画数や手間が非常に少ない。
もちろんこれは、漫画をアニメ化するにあたって変更や手を加えなければならない部分を考える、脚本や演出が非常に上手いという事もあるだろう。
作成する作画枚数が少なければ、その分一枚一枚に手間を掛けられる。
だから「かぐや様」は、毎週放送のテレビアニメでありながら、異常に作画レベルが高いのだ。
「このすば」とかのラノベ作品なんか、よく作画で手抜き場面とか指摘されたり、原作の挿絵に比べて線が少ない簡易化されたような登場人物などを批判する奴とか居るが、漫画より更に少ない枚数しか描かないで済むために、1枚にかけられる手間が圧倒的に多いラノベの挿絵と比べて、アニメの作画が簡易化されるのは当たり前の事なのだよ。
一瞬しか映らない動画の「中ぬき」と言われる場面で、キャラが変顔になっていても、仕方ないのだよw
こう考えれば、「がくや様」は非常に恵まれたアニメ化だったと言えるし、その作画品質が高いのも当たり前なのである。
もちろん、前話の会長のバレーの特訓みたいな動きが多い回もあるが、それでも見返すとわかるが、通常のスポーツアニメより圧倒的に動画数が少ないように工夫されているのが分かるだろう。
原作漫画の構図をそのまま使って、単に色を付けただけという、一見原作に忠実に作られているという高評価を得られやすい演出を上手く使って、手抜きと感じさせない方法を使っている。
この「かぐや様」は、原作はもちろんだが、アニメ化にあたって、監督・脚本・演出・作画・そして音楽や声優に至るまで、すべての人がかなり高いレベルの職人で構成されているのだと思う。
あまり動きのない動画を、声優の素晴らしい演技でそれを視聴者に感じさせないようにも出来ている。
もともと、台詞回しや掛け合いがこの作品の面白さであるのだから、当たり前だが。
これはアニメに限らず、他の業種でも実は同じなのだ。
無能な人は、全てにおいて全力で取り組もうとする。
だから結果的に全てが中途半端で、手抜きって見えるような駄作や駄目な仕事ぶりになってしまうのだ。
有能な人間というのは、全てに全力は出さない。
てきとーで良い所や、すこしぐらい手を抜いても良いところと、ここだけは全力でやらなければならない所の判別ができる。
だから同じ時間働いても、無能な人間より良い物を作れるし量をこなせるし、結果を残せるのだ。
アニメで言えば、0.1秒とかしか映らない絵に全力で、線もいっぱい描かれてる、一枚絵としても完璧な絵をがんばって描くより、そういう部分はどうせ一瞬しか見えないのだからと、そこそこで仕上げて、映る時間の長い絵により労力をかけて高い品質の絵を描くみたいな事だ。
人間の能力の差なんてのは、実は言うほど圧倒的な差なんてない。
アホなゲームのように、レベル1とレベル100みたいな差なんて無いのだよ。
差が出るのは、力の使い方。
どこで全力を出すのか、どこで手を抜くのかを上手く見極められる人。
100%じゃないとダメなところと、50%でも問題ない、他人には分からない、品質には影響ない部分を見極められる人。
それが、長時間残業しても仕事が終わらなくてヒーヒー言ってる人と、ちょっとの残業だけで他の人より仕事がこなせる、結果が出せる人の違い。
もちろん、ブラック企業に関してはいくら有能でもヒーヒーいわざるをえない仕事量を割り当てる、経営者や上司が無能なクズの場合はこの限りではないけどw
そんな事を感じたという話。
ニコ動での無料視聴なので、最新話しか見れないが、それでも何度も見てしまうほど面白い。
完璧な作画と、もともと面白いと評判の原作に忠実な脚本、そして何より声優の演技力の高さ。
音楽の評価も高い。
まさに全てが高レベルな作品だ。
しかもストーリー物ではなく、基本的に1話完結型なので、最新話だけしか見れなくても問題ない。
さて、かぐや様のあまりの「おかわいさ」に夢中になってしまったわけだが、ここでふと思った事がある。
人はなぜアニメの登場人物という、架空の、しかもかなり現実離れしたヒーローやヒロインに夢中になってしまうのだろうかという事。
「俺の嫁」って最近はあまり聞かなくなったが、そう言ってはばからないほど、入れ込んでしまう人も多いわけだ。
ここまで人を夢中にさせてしまう要因は2つある。
・完璧な見た目
現実世界の人間は、どんなにイケメン・美女であっても必ず欠点がある。
ある角度から見ると、それほどでもないとか、もうちょっと顔のあのパーツがこうなら完璧なのにとか、あるいは顔は良いのだが背が低いとか。
また現実世界の人間は、アニメや漫画などの「絵」と違って、歳を取る。
どんなイケメン・美女でも、必ずヨボヨボのじじぃばばぁになるわけだ。
まぁ歳取ってもかっこいい人や綺麗な女性は居る事には居るが、流石に70とか80歳とかの人に欲情できる人はそうそう居ないだろうw
つまり、アニメや漫画などの二次元のイケメン・美女というのは、永遠に完璧であり続ける「見た目」ゆえに、人を夢中にさせられるのである。
・完璧な性格
人間が人間を好きになるには、容姿の他に、例えば優しいとか頭が良いとかスポーツができるとか、そういう内面やその人の能力みたいなものも含まれる。
いくらイケメンでも、女を軽視するDV野郎とかは好かれるはずもないし、いくら美女でも金に汚い陰湿なクズであれば、付き合っても長くは続かないだろう。
現実世界の人間は、容姿と同様に中身に関しても必ず欠点がある。
普段はすごく優しいのに、ちょっとした事でものすごくキレる事があるとか。
しかし、アニメや漫画のキャラクターには、こういった「裏表」が無い。
悪人はとことこん悪人だし、善人は完璧なまでの善人。
あるいは作者が設定した性格から外れた言動は決してしない。
つまり、「純粋」で「単純」なのだ。
現実世界の人間のように、この人はこういう人だろうと思っても、実際は違ったとか、そういうのが一切無いのだ。
性格の不一致で離婚する人も居るように、人間の本質を理解するのはほぼ不可能と言っても良い。
だがアニメや漫画のキャラクターは、そういう事が絶対にない。
イケメンヒーローは内面も完璧なイケメンであるし、ヒロインの美女は内面も聖母のような清く美しい性格である。
もちろんそうじゃない登場人物も居るが、それらも基本的に実は悪人だけどわずかに良心があるみたいな設定が前もってされていて、それが読者に伝わっていれば、現実世界の人間のように予想外の行動や違った一面を見るみたいな衝撃は無い。
現実世界の人間は、これら予想外の面というのは、大抵は悪いものである事が多い。
良い人だと思ってたのに、とんでもないDV野郎だったとか、良くある話がそれを証明している。
ヤクザや不良が何かたまに良い事をやっても、本当は良い人なんだとは素直に思えない。
何か裏があるんじゃないかとか、疑ってしまうのが現実世界の人間だ。
だがアニメや漫画で同じ状況を見た場合、その人物は間違いなく「本当は良い人」であり、そう信じられるのだ。
なぜなら、作者の意図した通りの言動しかしないからだ。
決して自分の意思で、勝手に動いたりしゃべったりしないからだ、アニメや漫画のキャラクターってのは。
当たり前だけどねw
完璧な見た目と、わかりやすく、決して裏切らない内面。
これが「3次元の女(男)なんて糞だ」「二次元嫁(彼)で十分だわwww」とかまで、ハマってしまう人が出てくる理由だ。
この世に完璧な人間なんて居ない。
なぜなら、この世の生物は人間も含めてすべてまだ発展途上の未完成品だからだ。
究極の完璧な組み合わせの遺伝子に、いつかは辿り着くための実験段階だからだ。
だから一人として、同じ遺伝子構造の人間は居ない。
一卵性双生児だとしても、他の人よりはそっくりだし、お互いの考えが完璧に近いほど判ったとして、どこかに必ず違う部分がある。
なぜなら、この世界はコピーを求めていないからだ。
不完全さとか多様性とかがありまくる、誰にも真理が見出せない世界、それが現実世界だからだ。
それと完全に相反する世界が、アニメや漫画などの二次元の世界なのだ。
二次元の世界は、予想外の事が起こりまくる、不安定で不規則な現実世界に比べて、安心できるのだよ。
ただ裏を返せば、現実世界と同等以上の感情は湧き上がらないとも言える。
アニメや漫画の完璧な美少女に告白されるより、現実世界の女の子に告白された方が、はるかにドキドキする、みたいな。
非モテDTフツメンの私だが、幸いな事に中学時代になぜかこんな私に告白してくれた、結構かわいい同級生の女の子が居たので、そういう感情が理解できる。
中学3年間、中二病全開で女となんかイチャイチャできるかと強がって、ずっと返事しなかったにも関わらず、毎年チョコくれたほどの強烈な好意というのを、受けたわけだが、その時に感じたドキドキ感や胸がキュッとなる感覚は、ぶっちゃけアニメや漫画では味わえた事はないw
だから件のかぐや様も、「面白い」とは思うが、なんか中学の頃を思い出して切なくなるとか、そういうのは無いのだ。
というどーでもいい事を思ったという話。
かぐや様は告らせたい は今期というかここ数十年で見てもかなりレベルの高い恋愛コメディーであるので、おすすめですw
ゾンビランド・サガのLiveがYoutubeにあがっていた。
それを見る限りだとリリィ役の 田中美海さんの上手さがものすごい際立つ。
他のメンバーも、かわいいだけの単なるアイドル歌手やアイドル声優に比べれば上手い方だが、やはり音程が外れてる場面があったり、声量が足りなかったり、後は踊りながら歌ってるので息があがってしまってる所が見受けられる。
だが 田中美海さんだけは、それらをまったく感じさせない、レコーディングスタジオで歌ってるかのような声を出している。
声優が歌を歌いはじめた頃に、上手いと言われていた一番最初は「林原めぐみ」だろう。
最近あまり見ないがw
だが「林原めぐみ」は、めちゃくちゃ上手いってわけじゃない。
まぁ歌手としては及第点かなってレベルだった。
その時代に、「林原めぐみ」なんぞよりぜんぜん上手いと感じたのが、「三田ゆう子」さんだ。
生歌は聴いたことが無いが、少なくともCDでは、単に音程を外さないとか声量があるとかじゃなく、歌い方というか、そういうのが絶妙に上手かった。
アニメにはならなかったが、今のラノベの元祖であるオタク小説が80年代後半ぐらいからあったのだが、その中に「聖エルザクルセイダーズ」というのがあった。
これのイメージアルバムみたいなのがあったのだが、それの中で当時人気声優だった「鶴ひろみ」さんとこの「三田ゆう子」さんが2人で歌う曲があったのだが、音程が不安定な「鶴ひろみ」さんに比べて「三田ゆう子」さんの音程外さないのは当たり前、さらにその上の歌を上手く聴かせるテクニックを駆使した歌い方は際立っていた。
また第二次ぐらいのアニメブームの時に「爆裂ハンター」というアニメがあったが、そのOPを林原めぐみと一緒に歌った主人公役の「古本新之助」さんも、めちゃくちゃ上手い事が、聴けば分かる。
決して下手じゃない「林原めぐみ」が素人に聞こえるほどに、「歌い方」が上手い。
このように、声優の中に稀にめちゃくちゃ歌が上手い人が居る。
これは声優だけでなく、一般人の中にもたまにめちゃくちゃ上手い人が居るのだがw
昔、某パソコンショップでアルバイトしてた時のバイト仲間に、オタクなのにめちゃくちゃ歌が上手い奴が居た事があるw
話が逸れたが、久しぶりに「こいつはめちゃくちゃ歌が上手い」と関心させられる声優に出会ったという話。
私が今期で一番おすすめするアニメは「ゾンビランド・サガ」である。
ちなみに前期は「あそびあそばせ」であるw
ゾンビランド・サガは一応は佐賀県のPRアニメであるが、笑いあり涙ありのなかなかよくできた作品。
そもそも現代日本は、遺体はすべて火葬されるはずで、腐った死体が動くという「ゾンビ」は出来ないはずであるw
その事は、話の中でも触れられているが。
つまり、この物語の主人公とその仲間は死体ではない。
恐らくは何らかの物体をヨリシロとして、成仏できずに彷徨っていた霊を憑依させたものだろう。
この辺は最終話で明らかになるだろうが。
なぜそう思うかといえば、以前にそういう漫画原作のアニメがあったからだ。
「かんなぎ」というもの。
寂れて廃社となった神社の、切り倒されたご神木から作られた木人形に神様が宿って動き出すという設定。
これがヒロインの「なぎ」という、平安チックな容姿の美少女なわけだが。
なので過去のアニメの設定を参考にする事が多い、実際にそういったものをギャクとして出してきてる事からも、この設定は十分あり得ると思う。
また主人公の「さくら」は交通事故で死んだかのような演出がなされているが、多くのアニメファンがネットで推察しているとおり、恐らくは交通事故は直接の死因ではないのだろう。
私も、多くのファンが推察しているように、交通事故が原因で顔に大きな傷が出来てしまい、目指していたアイドルになれなくなった事に絶望して風呂で手首を切って自殺したという説を支持している。
この世に未練を残して死んだために、成仏できずに霊として彷徨うものは、その未練を解消してやれば成仏するというのが、日本で広く信じられている事でもある。
従って、アイドルになりたかったのになれなかった主人公の「未練」を解消して成仏させてやる事が、本アニメの主要人物の一人であり、唯一の生身の人間か、少なくとも「ゾンビ」では無いと思われる「たつみ幸太郎」の目的であろう事が推察される。
そのついでなのか、その目的のために、かつてアイドルだった人間や芸能人で若くして未練を残して死んだ他のメンバーを集めたと。
まぁサキは地元の若い女の子の霊という事でw
伝説のたえは、最後まで良くわからないままだろうw
花魁のゆうぎり姐さんは、やっぱり地元で明治維新の時代に死んだ。
明治維新に関わって死んだ人間の多くは、よりより未来の日本を目指したわけで、現代日本が良いかどうかは別として、少なくとも豊かで安全でそれなりにみなが幸せに暮らせてるわけで、それを見せる事によって未練が解消されるのだろう。
だから特に「ゆうぎり回」はファンの期待通りには作られないと思うw
軽く触れられる事は、最終話であるだろうが。
ちなみに、ヨリシロとなっている体は、おそらく粘土かなんかだと思う。
なぜなら、ばらばらになってもくっ付くからだw
「かんなぎ」のように「木」で作られた体であれば、車に轢かれるなど大きな衝撃でバラバラになったら元には戻らないw
ソンビィ達が動くたびに「グシャ」とか「グチャ」って鳴る効果音も、体が「粘土」であると考えれば、不思議はない。
肝心の「佐賀」はどこに?と思うかも知れないが、実際は「佐賀」はどーでもいいのだよ。
たまたま「佐賀県」がスポンサーだったというだけ。
これが「青森県」でも「鳥取県」でも、話自体は変わらなかっただろうw
アニメによるご当地PRってのは、実際にある場所がアニメの中に登場する、舞台になれば良いだけなのだからw
何も「佐賀」に関係ある昔話や言い伝えを素材にする必要はないのだw
まぁそんなネタバレ的考察も交えて、イチオシのアニメだという話でした。
私は今期はニコニコ動画で「オーバーロードⅢ」を見ている。
他のアニメもそうだが、1話見終わると「海外の反応」も見る。
今回のエピソード8は、海外では非常に評価が分かれていた。
特にアインズ様の行いの是非についてw
まったくもって、バカバカしいw
まずオーバーロードは、ただの「作り話」である。
そして、作り話でさえ人間の、というか主に西洋の価値観に沿って作られなければならないという、アホな思い込みを真っ向から否定したところが売りでもある。
むしろアインズ様が、人間的な価値観で情けをかけたり、あるいは罪悪感を感じたりする方が、おかしいと思うべきだろう。
現代の世界は少なからず、西洋キリスト教の価値観こそが、もっとも正しいという傾向がある。
だが、そもそも人間の価値観なんて千差万別であり、しかもそれはあくまで「人間にとって」の正義や悪でしかない。
人間以外の生き物や、あるいは神が本当に存在したとしても、それらとまったく同じである可能性は100%ではない。
むしろ0%に限りなく近いと思うべきだろう。
なぜなら、人間の正悪の価値観は人間が生き残るためのものだからだ。
少なくとも地球上の生命というのは、種が違えば全て「敵」である。
同じ種である人間同士でさえ、やれ宗教が異なるだ、民族が異なるだで殺しあうのに、他の生命や神が人間の味方や仲間と認識するはずがなかろうw
そういった「リアル」な世界の描写をするなら、人間ではなくなったアインズ様が、人間を仲間と思うはずがないw
まぁ同じく今期では、アインズ様に気に入られた「人間」も登場はしたがねw
あれは「人間」だからではなく、単にその「個体」を気に入っただけと見るべきだろう。
このような事から、現代の、人間の、「価値観」をもってアインズ様は当然の罰を与えただけだ、いや極悪非道だなどと論戦する方がアホらしいと分かるだろうw
この世に絶対の正義も悪も、そもそも無いのだよ。
そんなものは、自分が生き残るための方便にすぎない。
繰り返しになるが、戦争がそれを証明しているだろう。
それが何時までたっても分からないから、特に西洋文明はテロ攻撃を受けているのだよ。
てめーが絶対正しいと、価値観の押し付けをしたり、相手の価値観をまったく認めないから。
日本のやり方が必ずしも正しいとは言わないが、異なる価値観も認めたうえで、どう落としどころを見つけるかが、生き残る方法としては、力で捻じ伏せるよりも、より安全というか生き残れる確率は高いのだよ。
力で捻じ伏せたり、あるいは過去の某国のように諦めて自ら隷属したりするよりねw
話が逸れたが、今回のエピソードを作った原作者は、私は天才だと思う。
既存の価値観にとらわれない、素晴らしい発想だと思う。
今回のアインズ様の言動が好き嫌い別にして、受け入れられないなら、これ以上この作品を見るべきではないと思う。