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オーバーロードⅢが期待を裏切りまくる

オーバーロードは優れた原作と、それを高品質にアニメ化した事で、世界的に大人気になった異世界転生ものだ。
しかしアニメの方は、失速が徐々に目立ってきたように思う。

なぜか?

よく原作ありのアニメ、特にラノベなど書籍系のものは、原作組みの批判が出る。
その際もっとも言われるのが、「原作と違う!」だ。

ラノベはイラストこそ入っているが、基本的に文章で構成された物語だ。
しかも「ライトノベル」と言われるように、小難しい単語や漢字を使った繊細で、まるで目の前にその情景が浮かぶような、そういう文章は少ない。
これこそが、「ライト」な「ノベル」と言われるゆえんでもある。
したがって、読者というのはその貧弱な表現の分だけ独自の想像力を働かせる事になる。

人間の想像というのは、現実よりも過剰になる事が多い。
なぜなら想像というのは、もともと現実の危機に対応したり回避したりするため発展した能力であり、最悪の事態を想定するからだ。

他の生命より圧倒的に発達してしまった知能のために、逆にそれに精神が耐えられないという弱点も大きいのが人間だ。
死んだらどうなってしまうんだろうなんて、真剣に考えるのは人間ぐらいではないかとも言われている。
その高くなりすぎた知能による精神の負荷、死への恐怖を和らげるために、人間は「神」や「天国」を「想像」したのだ。

このように人間の想像というのは、「大げさ」「非現実的」なものになりがちなのだ。
神話からはじまった人間の「物語を作る」という行為にもそれは現れており、突拍子もないストーリーや過剰な演出にそれが見て取れる。

そう、アニメだろうが漫画だろうが小説だろうが、あるいはドラマ・映画・演劇すべてにおいて、一番重要なのは「過剰さ」なのだ。
それが今期のオーバーロードに最も欠けているものであり、ゆえに評価が芳しくないのだ。

原作付アニメというのは、ストーリーは変えようが無い。
従って、動画や声優の演技で「過剰さ」を補うしかないのだ。
日本の声優というのは、世界で恐らく一番優秀だ。
なぜなら、日本以外の国には「声優」専業の人はあまり居ないからだ。
日本は敗戦したにも関わらず、英語を強制される最悪の事態を免れた。
しかしながら、アメリカの「文化」の侵略を大いに受ける事になる。
映画もドラマもアニメも音楽も、戦後しばらくは「アメリカ製」のものばかりだった。
そうやって日本をアメリカと同化させようとしたのだろう。
しかし「言語」としては「日本語」が残った。
そのため、映画やドラマには「吹き替え」という作業が生じた。
字幕などもあるが、テレビ文化は「吹き替え」が主流だった。
だからこそ、「吹き替え」だけで食っていける職業、「声優」が発展したのだ。

アニメではよく「声優」以外の人を使う事もある。
素人は論外だが、役者や舞台俳優などといった「演技」のプロであるはずの人間を使っても、実際にアニメで見ると「棒読み」と言われるような事も多い。
これは「声優」が「声」だけで全てを表現しなければならないのに対して、役者というのは自分の体全体で演技を表現できるためだ。
舞台俳優といわれる、録画でなくて客の目の前で演技をする人も、その声の出し方が非常に独特である。
古典演劇である狂言や歌舞伎だけに限らず、西洋の影響を受けた現代の舞台劇もそうだろう。
宝塚歌劇団とか、その大げさで独特な台詞の言い方が、物真似などのお笑いのネタになるぐらいだw

映画やドラマでは、体全体を使った「オーバーリアクション」が、ボディランゲージの文化が薄い日本においても使われる。
もちろん特撮などの、現実ではあり得ない派手なアクションや爆発なんかの「過剰演出」もつきものだ。

つまり演劇や映画と同様に、アニメも「過剰さ」が無ければ詰まらないと視聴者は感じるのだよ。
オーバーロード1期がウケたのは、登場人物達の「過剰な」表情の変化と、声優の「過剰な」演技あってこそだったのだ。
オーバーロード2期で批判が多かった、謀反を疑われたセバスに直接アインズ様が尋問する場面。
なぜあれほど、特に原作組みから批判されたのかと言えば、「過剰さ」が足りなかったからだ。
かれらが文章で読んで想像した場面より、はるかに地味だったからだ。
オーバーロード3期でも、今のところ一番批判が多かったのが、ルプスレギナがアインズ様に怒られるシーンだ。
あれも「過剰さ」が足りないからこそ、批判されているのだ。

予算や人員の不足、スケジュールの関係もあるだろうが、「過剰な」演出というのは、何もすごい枚数の動画を作成して、めちゃくちゃ動きまわるだけではないのだよ。
ここ最近のアニメでよく使われる、キャラの印象が崩壊するかのような、過剰な表情の変化とそれに伴う声優の「薬でもやってんじゃないか」ってぐらいの「過剰な」演技。
あるいは古くからある、背景を使った感情表現などでも良い。
人手や時間の掛かる沢山の動画の作成なんぞしなくても、「過剰さ」を出す方法はいくらでもある。
しかし、それをオーバーロードはしないでサラっと流してしまう事が多い。

オーバーロードの声優さんは、非常に優秀で良い演技をしていると思う。
だがアニメというのは、絵と声の両方が合わさってはじめて作品となるものだ。
いくら「声」が良くても「絵」がダメなら、意味が無いのだ。
「絵」がダメというのは、「絵」が汚いとか崩れてるとかそういう事ではない。
視聴者の印象に残るような、インパクトのある「絵」という意味だ。

綺麗だったり違和感が全く無い、いわゆるパースが狂ってない絵とか、そういうのよりも、多少汚くても、多少パースが狂っていても、ワンピース風に言えば「どん!」と来る絵の方がウケるのだよ。
そもそも有名漫画家というのは、決して絵が上手い人ばかりではない。
カイジとかそうだよね?w
ドラえもんとか、非常に簡易的な絵で、今の素人お絵かきの方が、よほど細かくて綺麗で詳細な絵を描けるわけでw

にも関わらず人気なのは、やはり読者に「来る」ものがあるからなのだよ。
「過剰さ」があるからなのだよ。

オーバーロードの「演出」なのか「脚本」なのか、あるいは絵コンテ担当なのか、そういう人達は「アニメとはなんぞや」という原点をもう一度よく考えほしい。
視聴者が求めているのは、原作に忠実な表現ではない。
そもそもラノベなんだから、原作の文章を忠実に絵にしたら、動画にしたら、非常に詰まらないしそもそも絵にできないでしょ、情報が足りなすぎてw
そこを「過剰な想像」で絵や動画にするのが、アニメに一番求められている事なんですよ。
原作のイラストがそのまま、パラパラ漫画の要領で動くだけなら、誰も見ません。
時には原作の文章には無い台詞や、原作の文章には書かれていない表情とか動きとか、そういうのを入れてでも「過剰に」表現すべきなんですよ。
原作では、特に外国のファンは気づかなかった蒼の薔薇のリーダーであるラキュースの中二病。
あれもアニメで初めて「そういう事だったのかw」と気づいた人が多いのも、非常に分かり易く過剰な表現をしたからです。
ゆえにあの場面は非常にウケが良かったですw

アニメでも漫画でも、映画でもドラマでも、演劇でも、人の心をうつのには、「過剰さ」が必要なんです。
それが無いものは、駄作として酷評されるのです。
その辺を、オーバーロードのアニメスタジオは再度確認すべきと思った次第。

メイドインアビスより現実の方がずっと残酷である

メイドインアビスの最終回は、かなり残酷というか残虐なシーンがあった。
にも関わらず、海外はもちろんだが日本でも評価が更に上がったがw

さて、最終回で一番残虐なシーンと言えば、白笛ボンボルドによるミーティとナナチを使った人体実験だろう。
かわいい幼い女の子が、ぐちゃぐちゃな化け物へと崩れていくシーンは目を覆ったものを多かっただろう。

しかしこれはあくまでアニメ・漫画の話であり、現実ではないだけマシである。
現実世界の人類の歴史や、今現在生きている一般の我々でさえ、日々もっと残虐な事をしているわけだ。
戦争などにより、幼い子供が無残に殺される事は世界中で起こっているし、起こってきた事だ。
また、人間じゃなきゃ良いのかってのもある。

例えば、私は子供のころに高級レストランに何かのお祝いかなんかで、一度だけ行った事がある。
そこで出された洋食の高級料理の名前は、「子羊のステーキ」だった。
私は子供心に、「人間はなんて残酷なんだ」と思った。
成長した大人の牛・豚・鳥など様々な肉を、人間は殺して料理して食べているわけだが、まさか肉が柔らかくておいしいからと、まだ子供の羊までをも殺して平気で食うことに、衝撃を受けたのだ。
こちらの方が、もっと残酷ではないだろうか?

アニメや漫画では、いくら女子供が残虐な目に会おうと、それは現実に起こっている事ではない。
だが現実世界で、我々が普段食べている食事は、生きていた何かを人間が殺したものだ。
メスもオスも大人も子供も関係なく。
菜食主義者だから、俺はセーフみたいな奴も居るだろうが、植物だって生きているわけで。
あるいは人間が生きていくためには、仕方がない事だと言う人も居るだろうが、それは人間様の都合であって、神様が許したわけでもなんでもない。

じゃあお前は何も食わないのかと言われれば、肉も野菜も食いますけどねw

ただ「残酷だ」と純情ぶったり、良い人ぶったりするのはどうよ?って事を言いたいだけです。
そう言っている裏で、自分の手を汚さないだけで人間は日々生き物の命を奪って生きているわけですよ。
だから私は菜食主義者が嫌いです。
イルカやクジラを取る日本は非道だとか非難し、暴力まで使って妨害する偽善者団体が嫌いです。

いくら神の教えとやらを守ろうが、お祈りしようが、お経を唱えようが、人間というのは綺麗にはなれないのですよ。
生きているだけで、罪を重ねるのです。


とはいえ、メイドインアビスの最終回を見て、心を抉られたり目を覆いたくなったりする気持ちは大切だとも思います。
あれを見て、何とも思わなかったり、快感や興奮を感じたりしたら、それこそ人間として終わりですからねw
小さな子供向けの作品でもないし、そういう時間に放送されたわけでもないので、誰にも批判される理由もありませんしね。
プラス方向だろうがマイナス方向だろうが、人間の感情を大きく揺さぶるような作品ほど、高く評価されるべきで、下らない偽善的な理由で規制されるべきではないのです。

メイドインアビスは第二期があるとしたら、是非とも1期と同じく変にぼかしたり隠したりしないで、全てを原作に忠実に再現して作って欲しいと思います。

けものフレンズ騒動 なぜKADOKAWAは叩かれるのか?

けものフレンズを大ヒットに導いた最大の功労者とも言える「たつき監督」なる人物が、期待されていた2期の製作から外されたとのツイートが騒動を巻き起こしましたw
国内のみならず、海外からも版権元のKADOKAWAに批判が集中しています。

KADOKAWA側は、いくら功労者といえど版権元の許可なく同人感覚で勝手にショートアニメを作成して公開した事をあげて、クビにした理由として公表しました。

にも関わらず、KADOKAWA叩きは収まりませんでした。

なぜなのか?

まず基本的にKADOKAWAの人間は、実際に何かアニメや小説を作ったりできる人が居る会社ではありません。
ただの出版社です。
言ってみれば、他人が作ったものをてめーの名前で売ってるだけの、いわば寄生虫です。
にも関わらず、KADOKAWA以外もそうですが、クリエイターより金を取ってるわけです。

アニメ化・ドラマ化・映画化された作品の原作者の多くが公言してますが、これらが大ヒットしても、当初の契約で決められた金額しか貰えません。
それでも売れっ子漫画家などは、大豪邸を建てたりして億万長者になってる人も居ますが、漫画の場合は、コミックが売れれば売れただけ、作者にもバックマージンが入るからです。
しかしアニメ・ドラマ・映画の場合は、いくら売れても原作者の収入が増える事がない仕組みになっている事が、ネットの普及により世に知れ渡ってしまいました。

これが正にKADOKAWAが叩かれる理由です。

寄生虫のくせに、宿主より超え太ってるだけでも視聴者やファンからしたら許せないのに、あまつさえ製作者をクビにするような横暴な事までしたからですよ。

以前テレビに、鳥山明を育てた有能編集者として、よく初期の鳥山作品にもネタとして登場してた鳥島さんという編集者が出ていました。
ネットによく「わしが育てた」のAAがありますが、まさにあんな感じでインタビューに応じてましたが、ぶっちゃけ鳥山明が天才だったのであって、お前は運よく鳥山明の担当編集になっただけだろwとしか思えませんでしたね。

以前も別の話題の時に書きましたが、この世で職業の貴賎があるとしたら、物を作れる人が一番偉くて、それに寄生してる連中ってのは、下なんですよ。
なのになぜか現代の世界では、寄生虫連中の方が収入が高く、偉いと思われてる。

今回の騒動のアニメ業界は、まさにその典型なのです。

KADOKAWAの社員というだけで、絵も描けないし話しも作れない、ただ製作委員会に名前が入ってるだけ、プロジェクトリーダーという肩書きが付いてるだけの人間の方が、売り上げの多くの部分を持っていく。

今の世界は第三次産業、いわゆる江戸時代の身分制度でいえば、士農工商の「商」がなぜか一番偉くて一番給料が良いというおかしな仕組みになっています。
第三次産業の従事者や経営者や幹部は、まず自分達は寄生虫であり、第一次産業の人や会社が無くては生きていけないのだという事を認識すべきです。
そうすれば、横暴な契約や下請けいじめなどできないでしょう。

KADOKAWAは批判をかわしたい、名誉を挽回したいのであれば、今のこの狂ったアニメ業界の制度を自らが先頭に立って改革するしかありません。
すなわち、コミックなどと同じように、売り上げに応じた相応のバックマージンを製作側にも還元するって事です。
実際に絵を書いたり話を作ったりしてる人間が、食うのもやっとなのに、それらの人々が作った物を権利まで奪ってただ売ってるだけで、そういう人より良い生活ができる給料が貰えるなんておかしな状況を改善すべきなのです。

もちろん必ず売れるかどうかも分からない物に金を出してるんだから、多少は取り分が多くても仕方ない部分もあるでしょう。
ですが予想を超える売り上げが出たなら、作った人間にもそれらは還元すべきです。
黒船率いて武力で脅して不平等条約を結ばせた欧米列強のような真似は止めるべきです。
全ての業界、会社が。

日本の企業というのはそれでも世界的に見れば、収入の格差が小さい社会ですけどね。

「一億総中流」などという政策が、奇跡的にうまくいっていた時代とは違うんですよ。

創業者だろうが社長だろうが、てめーひとりの力だけでは売り上げの1%も稼げません。
下請けを使いまくってる大企業だって、下請け部品メーカーなくして自動車は作れないわけです。

俺が作った俺の会社だ。
社員を生かすも殺すも俺の自由だ。
そういうワタミみたいな奴、KADOKAWAの社員や幹部だって見たら「こいつ、人間のクズだな」と思うでしょう。
でもまさか自分が、自分の会社がその「人間のクズ」と同じ事をしているのには気づかないのです。

もういちど、自分は、自分の会社は人として恥ずかしい仕事をしてないか、考えてみてください。

風の谷のナウシカとメイド・イン・アビス

メイド・イン・アビスは原作が、出版社の公式ページで試し読みの形で初回から10話までと、最新話を見ることができます。

この原作をいくつか読んでいて気づいたのですが、この作者は風の谷のナウシカの影響を非常に受けているのではないか?ということです。
風の谷のナウシカといえば、宮崎駿のスタジオジブリ映画の第一作ですが、実はあのアニメ映画はその後の他の作品と違って宮崎駿自身が原作漫画を書いています。
原作漫画版の風の谷のナウシカは、すべて鉛筆で書かれたかのような淡いタッチで、腐海の森やそこに住む異形の形の蟲達、そして文明が人類の過ちにより滅んでしまった後の世界と、非常にメイド・イン・アビスに似ています。
キャラクターのタッチこそ違いますが、画面構成や鉛筆で書いたような淡い絵柄や、機械的でない有機物的というかナマモノ的というか、そういう「異世界」設定もよく似ていますし、決して愉快で楽しい物語でなく、もっと暗いドロドロしたストーリーである点も似ています。

私はナウシカの原作漫画を全て所有していますので気づいたのですが、この漫画版ナウシカは一部で非常に評価が高いものの、古い作品であり、ジャンプの人気漫画のようにハッピーエンドの明るい話でもないため、認知度は低いです。
なので私のように古くからのオタクでなければ気づかないでしょう。

メイド・イン・アビスの作者が、漫画版のナウシカに多大な影響を受けているとするなら、この物語の結末は現生人類との決別になると思われます。
ネタバレになりますが、漫画版ナウシカの登場人物達は全て現生人類ではありません。
現生人類が汚染された地球環境を、腐海というバイオテクノロジー科学の粋を集めた浄化システムで、人類をはじめとした全ての現代の地球の生命が再び地球上で生きられるようにするため、そのシステムの維持のために作った蟲と同じく人工生命体が、ナウシカ達その時代に生きる人類です。
人間そっくりだが、人間ではないのです。
しかも腐海システムによって、地球環境の浄化が完了した後は、ナウシカ達は死滅してしまうように作られているのです。
腐海の毒にある程度の耐性を持たせる反面、清浄すぎる環境では生きられないようになっているのです。

メイド・イン・アビスの主人公であるリコやレグやナナチは、みな「人間」のようであって「人間」ではありません。
リコはアビスの力によって「動き出した」物体であり、レグはロボットであり、ナナチはアビスによってケモ耳っ子に変形させられた「元人間」です。
物語というのは、主人公が死んでしまった時点で、あるいは消滅した時点で終わりですので、人ならざるものたちが生き延びるには、人と決別するか人を滅ぼして自分たちがこの星の覇者になるしかありません。
どちらにしても、ハッピーエンドとは言い難いですね。
ナウシカの最後もそうでしたからw

メイド・イン・アビスが好きな人、面白いと思えた人は、ぜひとも「風の谷のナウシカ」の原作漫画も読んでみてください。
一般的なコミックと違って、値段が少し高めなうえに、A4サイズとデカイですが、必ずや気に入るはずです。
なにより既に完結してますので、「続きが気になって夜も眠れない」事にはなりませんw

メイド・イン・アビスのアニメは8話まで公開されましたが、未だに大好きな「ナナチ」が出てきません。
はやく動いて喋るかわいい「ナナチ」を見たいですw
等身大ナナチぬいぐるみとか、どっか作ってくれないですかね?w
そのぐらい好きですw
お腹とかモフモフすると「んなぁ~!」と声を出してくれたりすると、更に最高ですw

まぁニートなんで発売されても買えないんですがねw

メイドインアビス

今期で一番面白いと思う。
某所ではグルグルのリメイクや、天使の3Pの方が評価高かったが、私はメイドインアビスを推す。

グルグルは原作漫画を全て揃え、初代のアニメも見たが、今回のリメイクは本当に詰まらない。
特に演出がクソ。
天使の3Pは、「ごちうさ」だの「金もざ」だのと同じく、「かわいい幼女を沢山出しておけば人気出る」と思ってる中身の薄いもの。
まぁ異論・反論はあろうが、私にはそういう風にしか見えなかった。

さて、「メイドインアビス」だが、絵は原作に忠実で一見するとロリ・ショタのエロ同人誌かと思うような絵柄と場面が多いが、ストーリーや舞台設定が非常に良い。
しかもこの「かわいらしい」ロリ・ショタ・ケモ耳達が、精神的にも肉体的にも酷い目に会う心が抉られる作品でもあるw

私は基本的に「変態」ではあるが、エロ同人誌でも「レイプ」とか「リョナ」とかって言われる可愛そうだったり、痛かったりする系は大嫌いだ。
でも「メイドインアビス」は、それ系であるが「無意味」な残酷さが無く、それゆえに高く評価せざるをえない。

原作漫画はちょこっとしか読んで居ないので、アニメやwiki等で見た情報しか知らないが、たぶん物語の核心である主人公「リコ」の母親は、もはや「人」ではなくなっている気がする。
身分証以外に様々な役割のある自分の「白笛」や、メインウェポンを手放し、それでいて「死んではいない」と様々な場面で示されている。
しかし人間が社会で生きるのに必要な「身分」=「白笛」と、身を守る手段=メインウェポンを放棄してなお生きているのであるとすれば、それらを既に必要としない、「人」ではない何かとして生き続けていると考えるのが一番理屈に合うだろう。
実際、アビスは人を人ならざるものに変えてしまう場所である事は、何度も示されているわけで。
主人公のリコも、「人」として死んだのにアビスの遺物により「動き出した」と述べられている。
「生き返った」じゃなくて「動き出した」という点がポイントで、人のように見えるが人ではない可能性が示唆されている。
アビスにより新たな命を授けられたゆえに、アビスの力で再び動き出したものはアビスへ向かおうとする。
アビスでしか生きられないのだ。

これは現実世界の我々人間も実は同じだ。
人は「地球」でしか生きられないからだ。
「地球」によって命を与えられたが故に、「地球」上でしか生きられない、「地球」から離れられないのだ。
しかも人間なんて地球のさらに限られた環境でしか生きられない。
「地球」の大部分は「海」であるが、「海中」では人間は生きられない。
ゆえにアビスに囚われ、アビスの中でしか生きていけない生命を憐れと思うのは間違いだ。

アビスは言うなれば現実世界の人間社会の縮図でもある。
きれいごとばかりじゃない。
むしろ汚い・厳しい・辛い事の方が多い。
それでもなお、この「地球」にしがみつかなければ生きていない。

作者にそんな意図は無いかもしれないが、そういう風にこの作品を見ているから、私は惹きこまれたのかもしれない。

そんな読書感想文を書いてみましたw
カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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