本日の「ひるおび」の、たぶん維新と安倍・菅は仲良しとかいう話題で、「自称」政治評論家の「伊藤惇夫」が言った一言が、まさに野党の言動がめちゃくちゃな原因そのものだと思ったのでw
維新は基本的に自民と手を組んでるわけではないので、「野党」である。
しかし自民の一部と仲良しだったり、政策が一致する部分がある事が「気に食わない」反日左翼の一員である「伊藤惇夫」が、維新を野党だと認めたくないために言った言葉。
「与党の政策に賛同するようなのは、野党じゃない」「野党は与党のやることなすこと全てに反対しなければならないからだ」
だとさw
そもそもこの考えが間違い。
この「野党」の定義が間違い。
政権や与党のやる事は、内容にかかわらず全て否定しなければ、野党じゃないという考えだから、「具体的にそれの何がどう悪いのか?」という説明ができない。
反対する事が野党の仕事だと思ってるので、「じゃあ君らならどうすんの?」って言われると答えられない。
そしてこれらの野党のおかしい所を突かれると、反論できないので、「差別だ」「ヘイトだ」といって、言論封鎖するしかないのだw
「お前みたいなのは大臣やる資格はない」「辞めろ」→大臣辞任→「辞めるなんて無責任だ!」
みたいな「はぁ?」という言動をするのも、与党のやる事なす事すべてを否定する事が、自分らの野党としての使命だとか思ってるから。
極端な話、野党が何か法案出して、与党が「うん、それいいアイディアだね、うちも賛同するよ」って言ったら、たぶん成立させないと思うw
人間の価値観というのは、一人として全てが一致するなんて事はあり得ない。
しかし逆に言えば、わずかにこの部分だけは一致するというのもあるわけ。
どんなに嫌いで、どんなに趣味・趣向が合わない人同士でも、わずかにここだけは同じ考えってのが必ずある。
つまり、相手のやる事なす事すべてに反対なんてのが、そもそも不自然だしあり得ないのだ。
あり得ないし無理な事をしているから、野党の言動はめちゃくちゃになるのだ。
そもそも野党だろうが与党だろうが、お前らは日本国民のために政治をしているんじゃないのか?
表向きの一番の政治目的は、野党も与党も一致するはずだろ?
与党が国民のための政治をしますと言ったら、野党は常に与党の言う事に反対しなきゃいけないなら、「じゃあ我々は国民のためにならない政治をします」「だからお前らの言うことには賛成できません」って言わなきゃならないよね?w
つまり野党をはじめとした反日左翼のこの精神が、根本的に間違ってるんだよ。
与党の出してきた政策や法案であっても、国民のためになると思ったら賛成したって別におかしくもなんともないし、あるいは一部修正すれば賛同できるって場合だって多々あるだろう。
だって与党だって表向きは国民のための政策や法案を出してるはずなんだから。
本当に国民のためにならない政策や法案を出し続けてるなら、そもそも選挙で勝てるわけがない。
野党は国民は馬鹿だ、国民の頭がおかしいと言いたいのか?
野党とは、与党という「多数派」の意見に、「少数派」の意見も取り入れさえ、よりよい政策や法案に、より国民のための政治が行われるようにするために存在してるし、それが役割なの。
「反対」する事が役目じゃないの。
「反対」というのは、より良い政治にするための「手段のひとつ」に過ぎないの。
つまり賛同や一部賛成という場面もあり得るわけ。
だから国民は「維新こそが真の野党だ」「唯一のまとな野党だ」と思うわけよ。
なんでもかんでも賛成する人の事を、イエスマンだとか腰ぎんちゃくだとか言って、馬鹿にする、正しくない行いだと批判するが、その逆に、なんでもかんでも反対する人も、またイエスマンと同じように、人々からは支持されないのよ。
なぜそれに気づかない?
なぜそれが理解できない?
「野党は与党のやる事なす事すべてに反対しなければならない」という思想を捨てろ。
支持率が2桁いかない一番の原因がそこにある。
野党みたいなのが戦争とか起こしたら、それこそ虐殺とかしかねないよ、そういう思想を持ってるなら。
女子供であろうとも、反抗する意思が無かろうとも、敵である以上は皆殺しにすべきって思想だからねw
そんな危険な思想を持つ輩を、誰が支持できますかって話だよ。
伊藤惇夫をはじめとする反日左翼は、自分らがいかに危険でおかしい思想を持ってるか、分かってないんだろうね。
だから公共の電波で、平気で、しかもドヤ顔でこういう事が言える。
これ、かなりの問題発言だよ?
いち民間人の発言ではあるけど。
これの何が問題なのか、どこがおかしいのか、悪いのか、分からないし分かろうともしないようじゃ、いつまでたっても支持なんて得られませんよって話。
本当に国民のためを思って活動してるならね。
日本人以外の勢力が日本を支配する事を望んで、その手助けをする事で特権を得ようとか、そういうクズな考えてやってるなら、そのまま突き進めばいいと思うよw
いつもの様に、アズレンの日課を自動プレイでやりながら、ネットサーフィンしてた時に、「犬に好かれる人とそうじゃない人」みたいな記事を見たので。
まずよく言われるのが、犬(猫も同じ)を怖がっている人は、犬に懐かれるどころか吼えられる。
これは、犬には人間には無い超能力のようなものがあって、心を読んで警戒心や恐怖心を見抜くからとかではない。
人間が例えば喧嘩する時や、あるいは剣道・柔道・相撲・プロレスなんでもいい。
そういった対戦格闘スポーツなどで、いわゆる「戦う」時ってどうするか?
相手の目をじっと見ると思う。
それは相手の攻撃を見極めるのには、相手の目を見るのが一番だと本能的に知っているからだ。
相手の視線を注意深く見ることで、どこを狙ってるのかが分かる。
つまり人間は「警戒」モードの時は、「警戒」対象の目を自然にじっと見つめてしまうのだ。
動物も実は同じで、犬を怖がってる人は、犬の目をじっと見ている可能性が高い。
それを自分に対する警戒や攻撃の意思と感じるのだ。
野生のサルが居る観光地に、「サルと目を合わせないでください」という注意書きがあるのも、このためだ。
犬でも猫でもサルでも、動物にとって相手の目をじっと見るのは戦闘の意思の表れになるのだ。
人間は、話すときは相手の目を見なさいなんて教育されるが、それは本来は間違いなのだw
よって、まず対象の目を見ないこと。
これが重要。
顔を見るなというわけではない。
目線を合わせるなということ。
そして体の力を抜く。
怖い時ってのは、人間からだに力が入りまくるものだ。
それは攻撃に対して、すぐに防御できるように、あるいはすぐ逃げられるように筋肉が準備をしているからだと思うが、それもまた相手に対して警戒心を抱かせる。
体に力が入っているという事は、自分を攻撃する準備とも取れるからだ。
だから体の力を抜く。
ふにゃふにゃにして、もう噛み付くなら噛み付け、どうせそれで死ぬとか(少なくとも野良犬とか野良猫じゃない限り)無いんだし。
そして自然な速さで近づく。
自然な速さというのは、ゆっくりでもなく、かといって速くもない速度。
なぜかと言えば、ゆっくり近づくと、これまた相手の様子を伺いつつ攻撃できる距離まで詰めていると思われるからだ。
急な速さで近づくのも、同様に攻撃の準備動作と見られる。
難しいが、何も考えずに無心で相手の方へ歩いていくスピード。
これがベスト。
そして触れられるほど近づいたら、しゃがむ。
人間でも自分より圧倒的に背が高い人に近づかれたら、恐怖を感じるだろう。
犬や猫も同じだ。
だからなるべく、彼らと同じぐらいの高さにまで体を縮めて、恐怖心を抱かせないようにする。
そして最後にやさしくなでてあげる。
動物というのは、等しく「撫でられる」のが好きである。
人間以外の動物は、親愛の情をあらわすのに、相手を舐めるが、人間の場合はそれやったら病気になるからねw
だから撫でる。
やさしく舐められる感覚にもっとも近い「撫でる」をするのだ。
撫でるという行為は、あたなに愛情を感じています、好意を持っていますという意思表示なのだ。
これだけで、特にペットとして飼われてる犬や猫は、すぐに懐く。
猫ならスリスリ、犬ならペロペロしてお返しをしてくれる。
あるいはお腹見せて、自分もあなたに敵意はありませんと示してくれる。
動物は人間のように、見た目などで差別はしない。
もちろん、同じ犬や猫同士なら、「あいつ顔が気にくわねー」とか「あいつキモい」とかあるのかもしれないが、少なくとも種の違う人間の容姿は、イケメンなのか不細工なのかなんて判別できない。
だから単純に、こちらが敵意が無く好意を示せば、相手も同じように好意を持ってくれるのだ。
だから私は犬や猫が好きだ。
ちなみに犬は、そうやって初対面でも仲良くなれると、「もっとなでで、遊んで、お散歩いこ」みたいに、非常にアグレッシブな好意を示してくるw
対して猫は、「うむ、まぁ仲良くしてやらん事もないぞ」みたいな、逃げないだけで、あまりアグレッシブにもっと撫でれとかアピールてこないで、反応が薄いw
でもそこがまたかわいいw
まぁ人間同士は仕方ない部分もある。
特に異性の場合は、下心とか持ってしまう場合もあるしね。
ヤリたいとか、あるいは金目当て、権力目当て、人脈目当て、いろいろなそういうのがあって、近づいてくる場合も多いからw
だから素直に好意に対して、好意で返せない。
でも動物に対してはそれはない。
まぁ一部特殊な性癖の人は居るが、少なくとも犬や猫とヤリたいとかいう感情を抱く人は居ないだろうw
金や権力を持ってるわけでもないし、仲良くなりたいなぁ、かわいいなぁ、撫でたいなぁという純粋な思いだけしか抱かないはずだ。
だからこちらが敵意が無い事、そして好意がある事を正しく示せれば、相手も好意で返してくれるのだ。
あ、あと犬だけでなく猫も嗅覚は人間より優れているからね。
においのきつい香水とか、そういうのは止めたほうが良い。
犬でも猫でも、対象物がどんなものなのか、安全なのか危険なのかは、基本的に臭いをかいで確かめるから。
そういう理由で、野良の動物の子供をむやみに触るのは良くないとも言われる。
なぜなら、人間の臭いがついてしまうからだ。
あくまで撫でるのは、野良なら成体にしておこう。
あと撫でる前に、ちょっと手を出して臭いを嗅がせるというテクニックもよく紹介されている。
臭いを嗅がせてやる事で、相手の警戒心を解くのだと思う。
まぁペットとして飼われている子は、よほど臆病な性格でない限り、それは省略しても大丈夫な場合が多いが。
以上、ペットの犬や猫によく懐かれる私の経験上からのお話でした。
犬や猫を撫でるのは、相手も愛情を感じて気持ちいいが、人間側も気持ち良くなれるから。
喫煙者の立場から、タバコについて語ってみたいと思う。
よく「タバコを吸うと落ち着く」と、その効能を述べる人が居る。
実はこれは、正確ではない。
タバコには精神を落ち着ける効果なんぞない。
例えば、お酒などは初めて飲んでも体質的に合わない人以外は、フワフワして良い気分という、「酔っ払う」ことができる。
またやった事ないから知らないが、大麻だの覚せい剤だのも、恐らく初めてやっても気分が良くなれるのだろう。
だからこそ、医療用で使われる事もあるのだ。
しかしタバコに関しては、これらはない。
初めてタバコを吸った人は、ただケムいだけで気分が落ち着くなんて感じはとてもじゃないけど、得られない。
これは喫煙者である私が、最初そうだったからだ。
タバコを吸うと気分が落ち着く
のではなく、
タバコを吸わないと気分が落ち着かない
が正解なのだ。
喫煙中毒の禁断症状で「気分が落ち着か」なくなっているのが、タバコを吸うことで解消されるので、まるでタバコに気分を落ち着かせる効果があるように錯覚するだけだ。
つい最近、某芸能人が麻薬で逮捕された事で、ワイドショーなどでタバコはじゃあどうなんだってのをやってた。
タバコは麻薬並みに中毒性が高いと言われていたが、まったくもってその通りなのだ。
ではなぜ、そんなケムいだけで酒や麻薬のように、特別気分が良くなるわけでもないものを、人間は吸うのか?
答えは「かっこいい」からである。
もちろん、「かっこよさ」の価値観は人それぞれではあるが、少なくとも喫煙者というのは、「かっこいい」から吸い始めた人が多い。
怪獣が口から火を吹く映画とか、よくあるだろう。
なぜ怪獣は口から火を吐くのかといえば、それが「強そう」→「かっこいい」からだ。
「火」というのは、生物にとっては「死」に結び付く危険なものであり、だからこそ「人間」以外の生物は等しく「火」を恐れる。
だから現実世界には「火」を吐くような生物は居ないのだ。
だから「火」を吐く行為が、生物の常識を超越した強さの象徴として、「かっこいい」と感じるのだ。
もちろん人間も例外ではなく、火を吐ける人なんて居ない。
だがサーカスやマジックで、火を吐く「芸」はある。
口にアルコールなどの可燃性で人体に害が少ない液体を含み、それを霧状にブーっと噴出した所に火をつけると、まるで火を吐いているように見えるという仕組み。
実際に火を吐いてるわけじゃない。
タバコも同じで、口から煙を吐くという姿が、「かっこいい」に結び付くのだ。
煙というのは、「火」に付随するものであり、連想させるものでもある。
火を吐くのは不可能だが、煙ならば人間は吐けるのだ、タバコ吸えばだけど。
火じゃないけど、煙を吐くという行為が、まるで火でも吐けるよと言っているかのような、強さのアピールになるのだ。
そして喫煙にまだ厳しくない時代などは、タバコのCMは「かっこいい白人男性」が吸ってる姿を散々流して、「タバコはかっこよさの象徴」として、人々を洗脳してきた。
だから単にケムいだけで、精神が高揚するとか具体的な効果が無いのに、吸い始める人が後を経たなかったのだ。
昭和のアイドルである松田聖子の「赤いスイトピー」という名曲にも、「タバコの臭いのシャツに~」という歌詞が入っている。
これはタバコを吸ってるような、「かっこいい」(当時の価値観)男の彼氏を描写してるわけだ。
不良とか、ヤクザとかがよくタバコ吸うのも、「かっこよさ」の象徴だから。
つまりヤクザの「刺青」と同じなのだよ。
だから喫煙者は男の方が圧倒的に多い。
なぜなら、男というのは「かっこよさ」に憧れ、追い求める生き物だからだ。
これは動物の「本能」からくるものである。
生物というのは、子孫を残すことが最大の生きる目的であるが、自己分裂するような単細胞の単純な生命ではなく、オスとメスがあるような生物、植物全般と昆虫や魚類以上の生命は、交尾とかしないと子供は産まれない。
そのため、たくさんのライバルの中から自分を選んでもらえるように、オスは強さを、メスは美しさをアピールするようになっていったのだ。
つまり、サルだった頃の名残である本能なのだ、男が「かっこよさ」や「強さ」に憧れ、追い求めるのは。
その象徴のひとつが「タバコ」なのだよ。
しかし近年は、タバコの害が大きく注目され、それにともなってタバコ=「かっこいい」という価値観が崩れつつある。
松田聖子の時代はタバコの臭いのする男性は、「かっこいい」かったかも知れないが、今の時代は逆効果になりかねない。
だから近年は、新規にタバコを吸い始める人は減ってるわけだ。
何の効能もなく、害しかないもん、とっとと禁止しちまえよと、喫煙者の私ですら思う。
だが「違法」にしようって言葉は、政治家からも官僚からも、学者からも出てこない。
なぜなら、タバコは国の貴重な税収源だからだ。
原発やアメリカの銃と同じで、それが無くなってしまったら食っていけない人が多いからだ。
だから規制できないのだよ。
いま話題の高齢者による車の暴走事故。
あれも高齢者に免許を持たす事を禁止すれば、根本的に解決するわけだが出来ない。
なぜなら、いまの若者や現役世代は、とてもじゃないけど車を買う余裕なんて無いからだ。
若者の車ばなれ とか言われるが、若者が車に興味が無いのではなく、買えないだけなのだよ。
高度経済成長期を現役で過ごして、老後の蓄えも十分にあるうえに、年金もそれなりに貰える裕福な高齢者しか車は買わないからだ。
高齢者から免許取り上げたら、車が売れなくなっちゃうから、できないのだよ。
つまりタバコも銃も免許も、すべて「人の命より金が大事」だから規制できないのだよ。
これが世の中の真理だ。
いくら口では綺麗ごとを言ったって、しょせん人間なんてこんなもんなんだよ。
タバコを禁止すれば、日本たばこ産業はもちろん、タバコの原料を作ってる農家、ライターや灰皿などタバコ関連商品を作ってる会社など、かなりの数の人間の収入が無くなるのだ。
アメリカはこんだけ悲惨な事件が起きても、金のために醜い圧力を掛ける業界団体のせいで規制ができない。
なんて野蛮で遅れた国なんだろう などと日本人は馬鹿にするが、日本人も同じなのだよ。
自分らが思ってるほど、アメリカよりも道徳的に優れてるわけじゃない。
タバコを完全に禁止にしたり、高齢者から免許を取り上げるという案すら出てこない事が、それを証明しているのだよ。
生物というのは、極論すれば自分と自分の子孫だけが生き残れれば良いのだ。
お金という、現代の人類社会で生き残るうえで必須のもののほうが、他人の命より大事なのは当たり前なのだ。
タバコを本気で無くしたいなら、ただただ喫煙者を叩いても、実現しないのだ。
上で述べた通り、様々な要因をひとつひとつ取り除き、解決していかなければならないのだよ。
それを無視して、ただただ叩くのは「いじめ」でしかない。
タバコの値段を上げたり、タバコの有害性をアピールするのも、別に悪いとは言わないが、それだけでタバコが日本から消滅すると思ったら、大間違いだということだ。
日本タバコ産業は、臭いしない煙も出ないし、いくら吸い込んでも煙を吐く事ができない、そういうタバコを開発して、それだけしか売らないようにする。
煙を吐くという行為が「かっこいい」と思って喫煙者を増やしていた一因でもあるので、煙が吐けない、単に棒を加えてるだけになれば、少なくとも「かっこよさ」にあこがれて喫煙を始める人は居なくなる。
喫煙を始める人が居なくなれば、自然と売り上げも落ちる。
売り上げが落ちれば、タバコ産業で食ってる人たちも自然に転職や業務の転換などを、生き残りために強制しなくてもはじめるわけだ。
タバコ農家も別の農作物を作るようになるだろうし、ライターだの灰皿だの作ってる所も、それらのノウハウを生かした別の製品の開発と販売へ、業務を転換するだろう。
日本たばこ産業だって、既にタバコを作る事以外の様々な分野へ進出してるのは、タバコに未来が無い事がわかってるからでしょ?
そうやって時間を掛けて徐々に消滅させいくしかないのだ。
とっとと煙が出ないタバコを作らなかったタバコ産業。
タバコはかっこいいんですよと民衆を洗脳したテレビや映画などの映像業界。
そういうCMを作ってきた広告業界。
昔からタバコの葉を生産してきたタバコ農家。
タバコがある事で、商品が売れて商売が成り立ってきた、マッチやライターの業界。
喫煙者だけじゃなく、様々な人や業界に責任があるんだよ。
喫煙者だけ叩いても問題は解決しないし、「いじめ」でしかないと言うのは、そういう理由から。
死んだ人間は、いくら金を積んでも生き返らない、金で命は買えないとは真理ではあるが、だからといって金より命の方が大事なんてのは綺麗ごとでしかない。
人間は本能的にその考えに賛同してないし、できないわけだからw
人類全体で、そこを変えない限り、命より金が大事という理屈で動く、様々な不都合は解決しないだろうという話だ。
外国人が日本に帰化する事に、嫌悪感があるが、おかしいか?という話題がネットにあがっていた。
私はおかしいとは思わないし、その人が差別的で非人道的な酷い人間だとも思わない。
なぜなら、当然の事だから。
国籍というのは、国の一員であるという資格や証明である。
日本には、結婚式でも葬式でも「○○家」という表示の仕方をする。
「家」というのは家族や親族など、血のつながりを持った一蓮托生の人間の「群れ」の中でもっとも小規模で強いものだ。
国家というのも、人間の「群れ」であり、最大規模ではあるが、その繋がりは「家」にも匹敵する強力なものである。
つまり国籍とは、「苗字」に等しいのだ。
自分の生まれ育ちやルーツや価値観などに、大きな影響を与えるものであり、縛るものでもある「○○家」と同じなのだよ。
よって「帰化」とは、「結婚」に等しいと言える。
自分の今までの苗字を捨て、まったく違った苗字になり、自分の実家ではなく、嫁いだ先の一員として生きていく。
死んだら実家ではなく、嫁ぎ先の墓に入る。
半端な覚悟で、出来るもんじゃないよね?
これが日本人の一般的な結婚感だと思う。
もちろん、婿養子という言葉があるように、必ずしも女性側だけがそういう覚悟を求められるわけじゃないよ?w
日本という国は、いろいろ反日勢力が「もうダメだ」とか「良い国じゃない」とか「経済は中国に抜かれた」とか、いろいろ貶めているが、世界的に見れば裕福で、しかも治安も良いという、結婚相手としては最高の条件を持つ国である。
つまり日本に帰化しようとする外国人が、財産目当てで愛も無いし、家の仕来りに従う意思もないし、家の一員として命をかけて家を守る気もない、そういう人間に見えてしまうのだよ。
これが日本が、たいして豊かでもないし、しょっちゅう暴動や内戦が起こるような政情不安な国だったら、帰化しようって人にそういう感情は抱かないだろうw
実際、日本に帰化しようって人の中には、日本の経済的な豊かさや、治安の良さ、充実した社会福祉と国際的な発言力とか、そういったもの目当ての人も多い。
二重国籍を認めろとか言ってる奴らは、重婚を認めろとか浮気や不倫を認めろと言ってるに等しい。
結婚と同等以上の覚悟が必要なのに、それがまったく感じられない。
だから嫌悪感を抱く。
かつて太平洋戦争時に、日系アメリカ人が強制収容所に入れられた有名な歴史がある。
これらは正しい事だったとは思わないが、理解はできる。
なぜなら、当時の日本はアメリカに比べたら遥かに貧しい国であり、アメリカの豊かさを求めて移民したという、財産目当ての結婚と同じ側面があったからだ。
当然、その家の人間に信用されるわけがない。
ましてや、実家と嫁ぎ先が殺し合いの喧嘩なんぞはじめたら、離婚されてもおかしくない。
むしろ、納屋に閉じ込められる程度で済んで良かったとすら思える。
つまり「国籍」というのは、それほどの意味や価値を持つものであり、「国籍」を変えるという行為は、そのぐらいの「覚悟」が必要な事なのだ。
それなのに、簡単に帰化を許可したり、ましてや二重国籍なんて、信用できなるわけがないし、支持できるわけがない。
先にも言ったように、これで日本が貧しかったりして、日本人になったところで、何の得もないとか、むしろ祖国の国籍を捨てる事による、損の方がはるかに大きいとかだったら、疑いなんぞ起きないだろう。
二重国籍でも、どうぞどうぞになるだろう。
これが日本人が、外国人の帰化に抱く嫌悪感や不信感や不安感の正体である。
生活保護を受ける時って、いくら縁を切ったとか言っても、親族一同に「面倒みてやれませんか?」ってハガキが役所から来るんだよ。
家族・親族ってのは、そういうもんなの。
国籍も同じなのよ、本来は。
日本が今のような豊かさを失い、治安も悪くなり、社会保障も崩壊し、むしろどっかへ移民したいって人が多数出るような国になっても、まだ日本人のままで居て、祖国・母国へ逃げ帰らずに、日本を復興させるために命を掛けて働けますか?って事なんだよ。
日系アメリカ人は、これを示したからこそ、戦後に地位や名誉を回復するどころか、大いにそれらを上げる事ができたのだ。
文字通り、我々はアメリカという国のために、命をかけられますってのを、アメリカ軍の中で最大の死傷者を出しながらも最後まで戦った日系人部隊という存在が示したわけ。
別に戦争で嫁いだ先のために、命を掛けて、たとえ相手が実家でも戦えとか言ってるわけじゃないよ?
そのぐらいの「覚悟」を示せないと、信用してもらえなくて当たり前だと言っているのだよ。
別の「群れ」の一員になるってのは、そんな簡単な事じゃないの。
差別でも何でもないの。
だから外国人が日本に帰化することに、嫌悪感や不信感や不安感を感じる人が居ても、おかしくもないし差別的な人間と悪く言う事はできないわけ。
二重国籍を認めろとか、外国人の帰化を嫌がる人は差別主義者だと言う人は、自分の大事な息子の元に、容姿が優れているわけでもないし、家事もロクにできない、おまけに相手の実家は借金漬けのギャンブル狂いの父親と、しょっちゅう男をとっかえひっかえして遊んでる母親が居ますなんて人が、嫁になりたいとかで結婚を申し込んできても、ホイホイ認めるんですか?って話だよ。
大切な娘の元に、たいして稼ぎもないばかりか、しょっちゅう仕事を変える不安定な身分で、実家が前述の例のような男が、結婚して婿養子になりますからwwwって来ても、認めるんだろうな?って話。
たとえ興信所とか使って調べて、結婚相手本人には何の問題もないし、そんなクズな実家とは縁を切ってる事が分かっても、それで結婚を認められるような度量のある両親って、そうそう居ないと思うんだよ。
ましてや二重国籍なんて、別の人間と既に結婚して子供も居るし、そっちと離婚はしないけど、あなたとも結婚しますwwwって言ってるようなもんだぞ?
どうして認められるんだよって話。
明らかに財産目当てで、結婚したところで家事はしない、あるいは働かないで婿養子先の財産を食いつぶして生活するだけ、子供も作らない、作ってもロクに面倒もみないで放置、あるいは虐待しかしない。
そんな未来しか見えない嫁あるいは婿養子との結婚みたいにしか見えないんだよ、今の日本に外国人が帰化するってのは。
もちろん先進国と言われるような、経済的にも政情的にも安定していて、祖国でも十分生きていけるのに、わざわざ日本に移住してきて、日本人になりたいって人ならば、財産目当てじゃないのは分かるし、そこには確実に「日本」に対する愛が感じられるわけだから、歓迎されるだろうけどね。
そうじゃない移民・難民の受け入れには、抵抗があるのは当然なんだよ。
そういう不信感や不安感を払拭する努力もしないで、差別だ認めろなんてやってたって支持されるわけがないんだよ。
そういう不信感や不安感を払拭する努力ってのは、かつての日系アメリカ人がやったように、命をかけて国に貢献するぐらいの「覚悟」を示さなければならないわけで、簡単な事じゃないのだよ。
そうしたかつての日系移民の努力の万分の一もしないで、ただただ単に差別だー人道だー認めろーって、無理なの分からないかなぁって話。
当たり前である。
科学の発展により、神が居る事より居ない事の可能性の方が、どんどん大きくなっているうえに、日曜の教会で神に祈りを捧げている最中に、銃乱射されて皆殺しとかいう事件が起これば、そりゃ神を信じなくなってもおかしくないw
私は別に神の存在を否定はしない。
ただし一神教の欧米人が考えるような、神は居ないと思っている。
神が居る証拠は見つかってないだけで、居ない証拠が見つかったわけではない。
これが神の存在を否定しない根拠。
そしてもうひとつ、殺人や窃盗が行える事と、それらは人間自身が犯人を見つけて処罰しないとならない事。
これは神という存在が居たとしても、必ずしも人間と同じ価値観や倫理観を持っていない証拠だ。
なぜなら、神が人間と同じ価値観・倫理観を持っていたり、多くの宗教が述べるように「神がそうおっしゃった」と言う決まりは、人間ごときにはどんなにがんばっても破れないし、破ったとしても神が「天罰」を下すので、人間が犯人を捜したり裁判で刑罰を決めたりする必要が無いはずだから。
そもそも人間だけが神から愛されているとか、思い上がりにも程がある。
日本のような多神教では、一神教では悪魔とされるものですら、「神」の一種として扱われる。
日本で生まれ育ったからかもしれないが、こちらの方が神の姿としては納得がいく。
人間が神を模して作られたと言う宗教もあるが、ならば人間に良い人と悪い人が居るように、神にも良い神と悪い神が居てもおかしくないではないかw
そもそも人類社会の価値観や倫理観なんてもんは、人間の「群れ」を維持していく事を目的に作られていて、人間以外の生物の事は一切考えられていない。
これすなわち、人間が勝手に作ったものである証拠ではないのか?
全ての生物は神が創ったというなら、なぜ人間だけ特別扱いすんのか?
なぜ他の生物を「差別」的な扱いをするのか?
つまり神は居ないんじゃなくて、一神教の言うような全知全能絶対正義の唯一神なんて居ないってのが正しいと思う。
じゃあキリストは詐欺師だったのか?
多くの宗教の創始者や聖人と言われる人達は、単なる大嘘つきだったのか?
っていうと、それもまた違う。
例えば人間社会では、幼い子供にやって良い事と悪い事を教える時に、理屈で長々と説明して納得させるのは不可能に近い。
だからバチがあたるとか、サンタさんが来ないよとか、ナマハゲなんかもそうだ。
あるいは親がビンタしたりゲンコツしたり、お尻ペンペンしたり、物置や押入れに閉じ込めたり、廊下に立たせる、正座させ続けるなど肉体的・精神的な痛みを与えることで、理屈ではなく体に覚えさせるのだ。
それと同じで、愚かな民衆に対しては、理屈で長々と「これこれこういう理由で、これはやってはいけません、こうした方が良いでしょ?」って言っても、納得も理解もしないのだよ。
だから「神様がそうおっしゃったんです」の一言で済ませたのだ。
しかし多くの宗教の創始者や聖人の思惑をはずれ、それが悪い事にも利用されるようになってしまった。
爆弾抱えて異教徒の群れに飛び込んで自爆すれば、神様がほめてくれて天国へ連れて行ってくれます とかねw
少し考えれば、神がそんな事いうわけないし、褒めもしてくれない事ぐらい分かると思うんだが、理屈抜きで相手の言う事を正しい、聞かなければならないという子供のまま大人になったような狂信者には、それで通じちゃうんだよね。
今の世界で左翼がやってるのはまさにこれ。
かつての絶対王政時代の独裁者や特権階級である王や貴族がやってた事も同じ。
そしてその原型を作ってしまったのは、残念ながら宗教なのだ。
人間の子供の教育と同じで、ある程度の「知性」が育ったら、問答無用で「ダメ」じゃなくて、なぜ、どういう理由でそれが「ダメ」なのかをきちんと説明し、理解させる事が必要なのだ。
つまり宗教は、最初は「神がそうおっしゃったので」とか「そうしないと天罰が下ります」でも最初は良いが、ある程度教義通りの生活ができるようになった人には、きちんとこれこれこういう理屈で、こうしなければならないのですよと説明すべきだったのだ。
理屈で理解させるべきだったのだ。
それをやらなかったから、どんどん悪いやつに利用されるようになったのだ。
人類が生き残るためのものであった筈の宗教が、逆に人類を苦しめ、滅亡へと追いやるかのような間違った方向へ導いていく結果になったのだ、一部だけど。
左翼の思想も同じだ。
本来左翼思想というのは、宗教と一緒で人類全てが安寧に暮らせるには、どうすれば良いかというのを、理論的に考えた結果のものだったはずだ。
ところが、ここ最近のこいつらは、単に自分らが権力を握りたい、金を儲けたい、良い人間だと思われたいとかいう、自己の都合だけを考え、押し通す手段として使っている。
だから宗教が昔に比べて、信用や信頼や支持を失ったように、左翼思想もそうなっているのだよ。
疑問や反論に答えず、差別だヘイトだ人権だと封殺しかしない。
有名なガリレオの地動説を、教会で否定させられたのと同じだよ。
「それでも地球は動いている」とつぶやかせた、あの異端審査会と同じような事を、宗教は常にやってきたし、今の左翼連中もやってるのだ。
本当に自分の言ってる事が正しい、人類のためになるなら、その理由を説明できなくてはならない。
かつての宗教の創始者や聖人は、それが出来たからこそ、これだけ長い間、多くの人間に信仰されるものを作れたのだ。
「神がそうおっしゃったからです」で「あー、神がそう言ったんならそうなんだろう」「仕方ない」で終わる奴は、テロの鉄砲玉にされる愚か者。
「なぜ神はそのような事をおっしゃったのでしょう?」と疑問をぶつけられる人、「それはこれこれこういう理屈です」と説明できる人。
これがまっとうな信者であり、まっとうな指導者になれる素質のある人である。
そういう人が少なくなったから、「神なんて居ないんじゃね?」ってのが増えてしまったのだw
そういう人が多ければ、「神は居ないかも知れないが、この宗教の教義は理屈的に正しい」となり、信者を辞める人は居ないだろう。
無神論者や無宗教の人も増えないだろう。
愚かな人間が増えた、嘆かわしい事だ
このままではきっと近い将来、大いなる天罰が下るであろう
みたいな事を言ってる場合じゃないんだよ、教皇とかの宗教のお偉いさんは。
絶対正義の唯一神の存在を信じるなら、その神が言ったとされる事を、人間の理屈でも正しいと説明できなければならないのだよ。
というか説明できるはずでしょ?w
なんでやらないの?
自分が信仰し、指導している宗教の教義を理解してない証拠じゃないの?w
単に偉くなりたいだけで、権力闘争とか汚い事やって上り詰めてきたからじゃないの?w
人間は馬鹿じゃないし、他の生命も同じ。
全ての生命の行動原理は、「いかにして生き残るか?」なのだ。
この「いかに生き残るか?」を突き詰めた結果、人間をはじめとした身体能力や戦闘力が劣る生物は、「群れ」で生活する事を編み出したのだ。
よって今の人間社会の法律や倫理は、基本的には「群れの維持」を目的として考えられている。
これは「政治」だけなく、「宗教」も同じなのだ。
人間が生きていくために必要な事を否定し、人間が死に絶えてしまうような事を正しいとか言う連中が支持されないのは、理屈ではなく本能的に「間違っている」と感じるのだ。
理屈より優先され、変えにくい、逆らいにくい「本能」の判断があるのに、それより脳内優先度の落ちる「理屈」でも納得させられないような主張が、どうして支持されると思えるのか、不思議でならないw
唯一絶対正義の神というのを奉じるなら、「人類が生き残る」という命題に沿っていなければならない。
「このまま異教徒をのさばらせておけば、人類は滅亡してしまう。」「だから神の意思に沿って、異教徒を殺せ」
とか言う理屈も、「じゃあそれで戦って死ぬ最前線の信者は人類じゃないんですか?」「異教徒とは言え、殺される人は人類じゃないんですか?」って言い返せるだろ。
死んだ後に天国に行くのが目的なんじゃなくて、今の世界でいかに自分が死なずに生き残るかのために宗教はあるはずなんだよ。
その結果、死んだ後に天国へ行けたらいいなぁがくるの。
順番が逆なの。
そこを間違えると、鉄砲玉にされる。
宗教としての存在意義を無くす。
これが無神論者や無宗教の人が増えてる理由と、解決のヒントですよって話。