世の中には「天才」と呼ばれる人達が居る。
そういう人達の生い立ちとかを見ると、まず間違いなく「親」が子供の進む道を強制していないってのがある。
子供が夢中になっている事を止めさせない。
むしろそれを応援する、サポートしている事が多い。
「○○ばっかしてないで、××もやりなさい!」
とか
「○○はもう禁止!」
とかってのは、一切言ってないしやってない。
もちろん、子供が夢中になっている事が違法だったり、あるいは健康に害があるならば、無理にでも止めさせるべきだ。
だがそうでないなら、それを止めさせるべきではないのだ。
大抵の親は、学校の勉強を一生懸命やれと言う。
だが学校の勉強なんてのは、社会に出てどんな職に就こうとも、どんな人生を歩もうとも、役に立つのは国語と算数だけだ。
最悪、学校に毎日きちんと通って授業を受け、宿題とか言われた事さえやっていれば、成績なんてもんは気にしない方が良いのだ。
漫画ばっかり読んで、アニメばっか見て、ゲームばかりしてって場合でも、学校にちゃんと行って宿題もやってるのであれば、止めるべきではない。
本ばっか読んでた子供が、大物小説家になることだってある。
漫画やアニメばっか見てた奴が、売れっ子の漫画家になる事だってある。
ホンダのアシモを作った人達は、子供の頃に鉄腕アトムに夢中になり、大人になって実際にそれを作ろうとしたわけだ。
本来、人間はみな何かの才能がある。
それを多くの親が、てめーのエゴや趣向で潰してしまっているということだ。
やりたい事をやらせ、すきなものを何でも買ってやって甘やかせとか、放任しろとか言ってるわけじゃない。
たとえ親自身が気に入らない事でも、子供が異常なほど執着したり集中したり夢中になってるならば、それが違法だったり健康に害が無いものなら、躾や最低限の学校教育の障害にならない範囲で、全力で応援してサポートしてやるべきという事だ。
大人になれば、やりたくなくてもやらなければ行けない事はある。
我慢しなければならない事も多い。
ただし、それは子供が一番好きなものを禁止したりする事で、教えてはいけないという事だ。
むしろ何でもかんでも禁止、親の意に沿わない事は全部ダメ、こうしろあーしろと口うるさく言って従わせる。
それを教育だの躾だの勘違いしてるのが多い。
その結果が、不良やニートになるのだよ。
うちはしっかり躾したし、教育も十分してきた。
塾にまで行かせて良い大学にも入れさせたし、そのためのお金は惜しまなかった。
なのになんで引き篭りニートなんぞに・・・
って言ってる親は、その教育方針が子供をそうさせたと反省して欲しい。
子供が本当にやりたい事をやらせず、子供がやりたくない事ばかりを強制した結果なんだよ。
勉強しないでサッカーばっかやってる、野球ばっかやってる。
結構じゃないか。
そういう子供が、将来Jリーガーになったりプロ野球選手になるんだよ。
人間の能力の差なんて、誤差程度しかない。
天才と凡人の差は、どれだけそれを長い期間、集中してやってきたかによるんだよ。
つまり、ガキの頃からずーっと好きで集中してやってきた事は、天才と呼ばれるにふさわしいものになるんだよ、大人になった時に。
・子供が夢中になってやってる事は、それが違法だったり健康に悪い事で無い限りは、絶対に止めない。
・我慢ややりたくなくてもやらなきゃいけない事が世の中にはあるんだと教える事も大事だが、それは例えば嫌でも義務教育中は学校に毎日行かせる、宿題はきちんとやらせる等の、本当にその時に必要な事で教える。
無理にあれこれわざとそういうものを作るべきじゃない。
これが天才を作る方法であり、たとえ最初とは違う道に進んでも、落ちぶれた人生にならないで済む方法。
相模原の「知的」障碍者の施設での大量殺人の罪に問われている、有名な植松被告。
彼の言い分が正論ではないか?というのが、おそらく某有名掲示板で議論されていたらしく、そのまとめサイトでもコメントで更に議論がされていたので。
どうも植松被告は、自分が殺した知的障害者は「人間」ではなく、ペットの犬や猫と同じであり、従って「殺人罪」ではなく、他人のペットを殺した時と同じ「器物破損」として扱うべきだと言ってるらしい。
さて、実は私も「知的障碍者」は「人間」として扱うべきではないと思っている。
冷たい・薄情・人の心がない精神異常者と思われるかも知れないが、障碍者の権利を主張するアホどもと違い、その理由を理論的に説明できる。
まずそもそも「殺人」が違法なのは、「人間」がそう決めたからである。
「人権」というのも、人間が勝手に作ったものである。
神から与えられた、誰にも犯すことのできない権利 などとアホな事を言ってた教師も居たが、ではなぜ神から与えられたものを、犯せる人間が居るんだとw
本当に神から与えられた、誰にも犯すことのできない権利であるなら、本当に誰も犯せないはずだ。
殺人事件や窃盗事件なんて、起こるはずがないのだよ。
でも実際は起こるし、その犯人を捕まえたり、処罰したりするのも「人間」がやっている。
そもそも捕まらなければ、処罰される事すらない。
これが「人権」なんてもんは、「人間が勝手に作ったもの」である証拠。
次に「人権」というのは、無条件に与えられるものではない。
「人権」とは、法律を守るという「義務」を果たしてこそ、与えられるものである。
だから違法行為をすれば、警察に捕まって「人権」の一部である自由な言動を制限されるし、刑務所に入れられて強制労働という、人権侵害とも取れる事をされるわけだ。
つまり「人権」は「法律を守る」という「義務」を果たしてない、果せない奴には「無い」のだよ。
この「人権」というのは、言葉通り「人間」だけのものである。
「犬権」だの「猫権」だの「猿権」だのってのは無いw
いくらペットの犬は、うちの家族だと言ったって、それを他人に殺されたり傷つけられたりしても、「殺人」や「傷害」にはならない。
「器物破損」になるだけだ。
つまり「人権」というのは、「法律を守る」という義務が果せる「人間」にのみ与えられるものと解釈できる。
「人間」の姿形をしていても、「法律を守る」という義務が果せないどころか、理解すらできない者は、「人権」を主張する資格は無いのだよ。
良くてペットと同じ、誰かの「所有物」であり、むやみに他人に害されないという扱いをされるぐらいの権利があるだけ。
極論を言えば、人間の言葉を解し、法律を理解してそれを守るならば、例え人間でなく、サルだったとしても「人権」が与えられるべきなのだ。
その一方で、人間の姿形をしていても、知能に障害があって「法律」を「理解」したり「守る」事ができないなら、サル」と同じ扱いをされるべきという事だ。
知的障碍者をひとくくりに、「動物」として扱えとか言ってるわけではない。
少なくとも最低限の人間社会の「決まり」を理解し、守れるなら「人権」は保障されるべきだ。
しかしそれすらかなわないような、重度の障害がある場合は「人間」として扱うべきではないのだ。
当然、「知能」は普通だが、目が見えない、耳が聞こえない、手足が無いあるいは不自由という障碍者は「人間」であるし、「人権」も保障されなければならない。
「権利」というのは、自分が所属する「群れ」の「決まり」を守るからこそ与えられるものというの、スルーしたり見ないようにしたりしてる奴が多すぎる。
会社と雇用契約を結び、会社の与えた仕事をします、会社のルールに従います、社外に情報を漏らしたりしませんとか、そういうものを「守る」から、部外者以外は入れない会社の建物に入れたり、あるいはICチップを埋め込んだ社員証などを与えられて、それでゲートとか部屋のセキュリティロックを「ピッ」ってやって解除して入れる権利が与えられるのだ。
「人権」というのは、いわば「国民」が「国」とそういう「契約」をして与えられているものでもある。
だから紛争地域なんぞに行って、人権をいくら主張してもテロ組織に捕まって殺されたりするわけだw
これらの事から、法律を理解し守れるだけの「知能」が備わっていないものは、「人間」ではなく「動物」であると定義されるべきという植松被告の主張は正しいと言える。
しかし一方で、それが「人間」であろうが「動物」であろうが、「むやみに殺してはいけません」という法律がある以上、それを守らなかったわけだから、刑罰は受けるべきである。
彼は別の形でこの主張をすべきだったのだ。
人なのか動物なのか、「生き物」を殺す事で、それを主張すべきではなかった。
人間は「群れ」でないと生きられない、弱い「動物」である。
人間以外の「群れ」でないと生きられない「動物」も、例えば毛の色が違う突然変異なのか障害なのかの個体を、いじめて群れから追い出す事は珍しくない。
この行為を「野蛮」であると言えるだろうか?
他の個体と毛色が大幅に違えば、外敵の標的になりやすい。
当然、その個体の近くに居る他のメンバーは、毛色が同じ仲間の側に居るより危険度が増すわけだ。
誰も近くに居たくない、そもそもそいつが居る事で群れの危険度が上がるとなれば、追い出すのは当然であろう。
冷たいとか野蛮とか、そういう問題ではないのだよ。
「群れ」というのは、大勢集まることでターゲットを分散したり、数の暴力で敵に応戦し、やられないようにするためのものである。
そういった「群れ」の本来の性質に合わないもの、乱すものは追い出されて当然であろう。
人間社会というのも、「群れ」である。
「群れ」のメンバーには、他のメンバーと協力する「義務」がある。
それは法律を守る事だったり、他のメンバーを殺したり傷つけたり、あるいは所有物を強奪しない事だったり、兵役なんかも実はそうなのだ。
それでも一部の権力者の都合によって、そのルールが決められていた時代であれば、それを守らなかったり反抗したりしても、支持はされたであろう。
しかし現代の日本における法律をはじめとした「ルール」というのは、一部の権力者が、てめーだけが得をするために、てめーの都合の良いように作ったものではない。
「いや、俺は日本の法律の作成なんかに一切関わってないし、それに賛同した覚えも無い」というアホも居るだろうが、「選挙」でその意思表示はしているわけだよ。
選挙に行かないのは勝手だし、野党の支持者であっても、民主主義という多数決で物事を決める体制の日本国に居る以上は、たとえ自分の意にそぐわない結果でも、従う「義務」がある。
嫌なら別の国に行けって話。
何度も言うが、今まで述べてきた理由や理屈から、法律を理解できない、守れない奴は、「人間」として扱われるべきでないし、「人権」なんて主張できないのだよ。
知的障碍者だから、精神異常者だから、「無罪」とか「減刑」なんてのは、あってはならないのだ。
それは、独裁者や貴族の「特権」と同じ、不平等で許されない「ルール」である。
しかしだからといって、破ってよい事にはならない。
「法律」がおかしい、間違っていると思うなら、賛同者を得て、選挙で当選して国会議員などになって、さらに国会で法律を改正させるのが、現代の日本の人間社会、民主主義体制での正しいやり方なのだ。
彼の主張を犯罪者のたわごとして封じ込める、間違った考えだと民衆を洗脳するような、糞メディアや団体と、正しいやり方をせずに、違法行為でそれを主張した彼とは、どちらも同じ種類の「クズ」なのだ。
この悲劇を繰り返したくないなら、根本的におかしい、「人間」の基準を満たしてないものも、姿形が人間ってだけで「人間」扱いしなければならない、今の法律を変えるべきであるし、少なくとも真剣に「議論」されるべきなのだ。
糞メディアや障碍者団体のやってるように、感情的に封じ込めるような事をしていれば、第二第三の植松被告が現れてもおかしくないだの。
てめーが人権を尊重する良い人間、障碍者とかそういう弱者にも優しい聖人であると見られたいとか、そういう糞みたいな自己顕示欲や自己満足で、この問題を封殺すべきではない。
その影で、植松被告のように、違法な手段に訴えてでも世の中の認識を変えようとするまでに追い詰められる奴が生まれるのだよ。
死刑制度は非人道的であり、人権に反するから、死刑判決が出そうな裁判には、弁護士として出頭せずに裁判を妨害しますとか、そんなのがまかり通るのと同じぐらいに、おかしいし、そういう奴らがやってる事は、基本的に植松被告と同じだということ。
人間はロボットではない。
だから感情論が出てくるのも否定はしない。
だが、感情論で動いて良いものと、そうでないものが世の中には、人間社会にはあるって事。
そもそも感情論で述べても、おかしい仕組みであろう。
お前らのかわいい娘がレイプされたが、犯人が知的障碍者だったので無罪になりましたって、それを植松のいう事は間違ってるとか言うやつ等は、納得できるのかよって。
感情論で言ったって、結局のところおかしい、納得できないのに変わりはないだろw
騒ぐ連中の誰一人として言わないので。
沖縄から米軍基地を無くすか、少なくとも減らせる最も現実的で、難易度が低く、可能性が高い方法がひとつだけある。
それは、「米国領」になる事だ。
「日本国沖縄県」ではなく、「アメリカ合衆国沖縄州」になれば良いw
独立を唱えるアホも居るが、独立するより、所属を日本から米国に変える方が遥かに難易度は低い。
それに独立したって米軍基地は無くならない。
日本国が行っていた交渉を、沖縄だけでやらなければいけなくなるだけw
日本というそれなりに力のある勢力が交渉してもダメなものが、独立したばかりの小国である沖縄なのか琉球国なのかの交渉で、どうにかなるはずがないだろw
米軍基地は無くならないのに、日本国が負担していた在日米軍の駐留費の負担は沖縄だけで負担する羽目になるだけw
まぁそもそも独立唱えてる奴も、基地外みたいな反基地運動してるやつらも、単に日本国を困らせたいだけか、もっと金寄越せか、あるいは中国の属国にしようとする工作員とか、とにかく本気で沖縄の環境や生活を考えてる奴なんざ居ないw
もし本当に沖縄に住んでる沖縄県民のためを思って運動してるなら、「アメリカ合衆国の一員になる」という方法が出てきてもおかしくないはずだ。
まず沖縄の基地反対運動が激しくなった切欠は、米軍兵士による少女のレイプ事件だった。
レイプ犯罪自体は、別に在日米軍だけが起こしてるわけじゃない。
特定在日外国人なんかしょっちゅう起こしてるわけで、つい最近も有名な役者が逮捕されたよね?w
でもなぜか、それを切欠に特定在日外国人排斥運動は起きないw
理由は分かる。
在日米軍兵士の犯罪は、治外法権なので日本で裁けないって事(当時)。
厳重な処罰もされなければ、損害賠償請求する事もできない。
これが沖縄の人達の怒りに火をつけたわけだ。
日本人より米国民の方が優遇されるという、敗戦の負の遺産だ。
しかし沖縄が日本でなく米国になってしまえば、この遺産は無くなる。
治外法権が成立しなくなる。
兵士だろうがなんだろうが、一般アメリカ国民と同じように捕まって裁かれて、更に被害者は損害賠償の民事訴訟も起こす事ができるだろう。
沖縄が米国領になるメリットは、ほかにもある。
いま米軍基地の交渉というのは、沖縄→日本国→米国→米軍 という形になっているわけだが、沖縄が米国領になれば、
沖縄→米国→米軍 となってスムーズに意見が通りやすくなる。
更に外国人からの意見と、自国民からの意見では、重みが違う。
沖縄の在日米軍というのは、日本の防衛だけでなくアメリカの軍事戦略にも関わっている。
きちんと日本国と契約して駐留してるにも関わらず、その一地方の住民、米国から見れば外国人になるわけだが、そんな連中に米国の軍事戦略に口出す権利はないし、内政干渉とも取れる。
だが、沖縄が米国領になれば、沖縄の人は日本人ではなくアメリカ人となる。
そう、米国の政治や政策に口を出す権利、参政権が得られるわけだよw
沖縄州になれば、当然ながらアメリカの国会である上院・下院に沖縄州選出の議員を送り込める事になる。
更には沖縄出身の大統領でも誕生すれば、沖縄の米軍基地を減らすも無くすもたやすいだろうw
あるいは沖縄出身者で沖縄米軍基地の兵士を占めるとか、幹部を占めるとか、あるいはもっと上の米軍の上層部に沖縄出身者が入る事だってできる。
だって日本人という外国人じゃなくて、アメリカ人になるわけだからねw
デメリットは、公用語が英語になるので、言葉を覚えるのが特に年配の人達は大変だろうなという事ぐらいw
独立するより遥かにハードルは低いし、気持ちを分かってくれない本土日本人と一緒に居るより遥かに精神衛生上も良いだろうw
沖縄がすべきは、基地建設の是非を問う県民投票でなく、米国への帰属を問う県民投票なのだよw
だいたいが、戦後沖縄は米国に占領され、そのままいけば今頃はハワイやグアムなどと同じように、合衆国の州のひとつになっていたはずだ。
アメリカ人として、アメリカの州として、国政へ意見を反映させる事も出来たであろう。
しかし沖縄はそれを望まなかった。
日本への復帰を日本国へ頼み込んだのは沖縄の方だ。
その時に、独立という選択肢もあったはずだが、それも選ばずに。
住民投票によって、一部の地域が所属する国を変えるという事例は、つい最近あったばかりだ。
そう、クリミアだw
だがあれは、世界から批判された。
なぜなら、ロシアからの移住者によって賛成多数になってしまったからだ。
元からそこに住んでいた連中ではなく、外部から「侵略」してきた移住者によって、領土を奪われたからだ。
だから、一見民主的に見えたのに世界が認めなかった。
しかし沖縄の場合は違う。
沖縄に住んでる米国人は、軍関係者だけで、しかも日本国籍ではない。
ゆえに沖縄でいま、日本国籍沖縄県民の資格を持つものだけで、日本から米国への帰属の是非を問う県民投票を行えば、その結果に文句を付けられる奴は居ない。
そもそも日本と米国は敵対してるわけではないうえに、日本は米国の言うことには逆らえないというのもあるw
米国も領土が増えるし、なによりアラスカのように、軍事的に重要な場所が自国領土となれば、いくら下僕国とはいえ外国である日本の領土にしておくより、はるかにメリットがあるので、喜んで受け入れるだろうw
日本に沖縄県民の意思を尊重して、沖縄を渡せと迫ってくれるだろうw
ね?
このまま意見の合わない、負担ばっか押し付けて知らん振りしてる本土日本人と同じ国で居るより、あるいは独立なんて実現性も薄いし、実際やったら今以上に大変になるのは分かりきってる事をするより、はるかに実現性が高く、しかも害が少ないよね?w
沖縄米軍兵士は、信用ならない他国民ではなく、平等な真の仲間である自国民になるわけだよ、一斉にw
くそ面倒な国籍変更の手続きもせず、自動的にアメリカ人になって、アメリカの国政に参加できるんだよw
これ以上のメリットは無くない?w
ねぇ、沖縄の反日左翼知事と運動家さんたち?
ぜひともアメリカの州になる選択も考えられたらいかが?w
沖縄の地を地元民の意向を反映させた場所にするには、これ以上の策はないよ?
もともと明治期に、戦後に独立した台湾や朝鮮半島と同じように強制的に日本にされただけなんでしょ?
だったらアメリカの州になったって、変わらないじゃん、気持ち的にはw
アメリカは日本より遥かに経済力も国土も人口も大きい。
日本本土に出稼ぎに行くより、はるかに良い経済状況が実現できる。
是非とも検討してみて下さいw
Youtubeでナツメロを聞いていて、ふと思った。
私の人生のピークは小学校5年生~中学卒業までだったと。
この時代、高度経済成長が最高潮に達し、バブルに入っていた時代。
ガキんちょが夢中になったテレビや歌謡曲などのメディアが、一番元気で、ジャンプも黄金期、その他の産業も最高潮に達し、MADE IN JAPANが世界を席巻していた。
さて、人の記憶は音楽によって呼び覚まされる事がよくある。
だから懐メロというのは人気があるのだ。
その曲を聴いていた時代の映像記憶はもちろん、気持ちというか感情までが再現される、不思議なものだ。
さて、私が当時一番よく聴いていたのは、「おにゃん子くらぶ」だw
当時も本当に下手糞だなぁwwwと思っていたが、酷いのは音痴なだけじゃなく、レコードもひどかった。
当時はまだデジタル技術がなく、音痴な歌手をなるべく上手く聞こえるように細工するには、アナログ編集技術が必要だった。
その編集技術も、とにかくバブルでレコード(途中からCD)出せば売れる時代で、たぶん編集する人手が不足していたんだと思う。
特にポニーキャニオンはひどかったw
私はおにゃん子の中でも、「うしろ指さされ組」が一番好きで、当時人気の漫画原作アニメであった「奇面組」のオープニングにも使われまくった事があり、とにかく好きだった。
でもレコードが酷い。
どう酷いかと具体的に述べれば、音が歪みまくっているのだ。
音痴な歌手の音程を伴奏の音程と合わせるには、アナログの場合は再生速度を変えるしかない。
そのせいで、不自然にスピードが細かく変化する、うねった音になってしまっている。
これでよく製品化したと思うw
ただ音痴揃いの「おにゃん子」の中でも、稀にすごい上手いのがいた。
「河合その子」とかだ。
あの人のレコードは、今聞いても音のうねりは無い。
なぜなら、音程を合わせる必要が無かったからだろうw
また「おにゃん子」ほど酷くはなかったが、あまり歌が上手くなく、単に「かわいい」だけで歌手やってたアイドルの中にも上手い人は居た。
代表的なのは「中森明菜」だ。
「山口百恵の再来」とまで言われた。
それと当時は下手糞とか言われてたが、「松田聖子」も実はそんなに下手じゃない上に、独特の声色があり、歌手として今でも活躍できている。
歌が駄目な奴は、その後は女優とかに転向するからね。
未だに「歌手」として活動できる人は、たとえテレビとかに出て無くても「本物」だと思う。
それと学生時代に合唱部だったからか、比較的上手かったのが、「薬師丸ひろ子」。
彼女は曲自体もよい物が多く、おすすめだ。
いま、海外ではこの頃の日本の歌謡曲のうち、アイドルではなく数少なくがんばってたシンガソングライター系の「シティポップ」というのが人気だそうだ。
代表的なのは、山下達郎とか松任谷由美とかだろうか。
山下達郎といえば、「クリスマス・イブ」が有名な曲なので、だいたいシティ・ポップというのはどういう曲のジャンルか分かると思う。
それ以外にも男の歌手なら、C・C・Bとか好きだった。
あと杉山清貴&オメガトライブとかw
あと中学後半ぐらいに、槇原敬之もデビューした。
今でも覚えてるが、彼のデビュー曲である「どんなときも」は、当時CD1枚買ったら終わってしまう糞貧乏だった我が家の小遣いで買った数少ないシングルCDのひとつだw
そのぐらい衝撃を受け、好きだったのだ。
出せば売れる時代にあって、この人は本物だと思った。
そして、それは間違いではなかった事は証明されたわけだがw
まぁ本当に当時は良い時代だった。
ガキなりの悩みや苦しみも確かにあった。
だが、未来に希望や夢が溢れていた時代だった。
「これはすごい」ってものが次から次へと生まれた時代でもあった。
たぶんあの時代に、中学生ではなく、もうちょっと上の大学卒業して就職ぐらいの年代なら、それなりの企業に入社し、バブルが弾けて不景気になっても、何とか生き残って普通に家庭を持って、今頃は普通に孫を持つ爺ちゃんになっていただろう。
本当に運がないw
全てがそうではないが、特に創世記の頃のMMORPGというのは、非常に良くできた仮想現実であった。
現実世界の事象を推測するのに、MMORPGは非常に有効であるとも言える。
例えば、日本の戦後の高度経済成長と、バブル崩壊後の暗黒時代。
これはMMORPGで、やった事のある人にはすごく納得いく説明ができる。
事は第二次世界大戦・太平洋戦争の敗戦から始まるわけだが、これは「大日本帝国オンライン」というネットゲームが、サービス終了したと例えられる。
それまでそのゲーム内でがんばって上げたレベル、集めた装備やアイテム、投じた現金など全てがサービス終了でパーになってしまったわけだ。
それと同時に始まった「日本国オンライン」が現在まで続く日本だと思ってもらえば良い。
戦後の高度経済成長は、以前やっていたゲームがサービス終了し、新しく始まったゲームでみなレベル1の初心者から一斉スタートした状態が起こしたもの。
今ではそんな事は起こりえないが、MMORPGの最盛期には、新しいゲームのサービスが開始されると、それこそログインする事すら困難なほど人が殺到し、狩場は埋め尽くされ、そこらじゅうで全体チャットが飛び交い、PT募集などもどの時間帯、どの職業やレベルでも組めるほどに出来た。
このサービス開始からしばらくまでの、熱気あふれる状態こそが「高度経済成長」なわけだ。
しかしMMORPGに限らず、ネットゲームというのはサービス開始からある程度の年月が経つと、必ず廃れる。
「過疎化」なんて言われる現象が起きる。
レベルが上限に達し、高難易度のダンジョンも攻略しつくし、レアアイテムも手に入って、もうやる事がない状態になった人が増え、引退者が続出するからだ。
その頃になると、新規が入ってきても、低レベルのPT募集もないし、チャットも静かで、大きな町に放置露天が並ぶだけで、活気を感じられず、また放置露天で売ってるアイテムも、低レベルでは使えなかったり必要でなかったり、そもそも高すぎて買えないようなものばかり。
古参プレイヤーに追いつくのは、ほぼ不可能な状態であり、それで萎えて辞めていく。
だから一向に人口は増えずに減るばかりで、運営がいくらアップデートやイベントでテコ入れしようとも、活気が戻らないのだ。
これがバブル崩壊後から現在まで続く、日本の状態と非常に似ていると思わないかね?
アップデートやイベントでテコ入れしようとしている運営というのは、すなわち日本国政府である。
しかしネットゲームがそうであるように、そんなもんいくらやってもオワコンと言われる状態は改善できない。
日本が高度経済成長のような活気を、もう一度取り戻したいと思ったら、戦後から始まった日本国オンラインのサービスを終了するしかない。
そして新たに「日本国オンラインⅡ」みたいなものを、開始するしかないのだよw
全員レベル1で装備もアイテムも何もない、今まで投じてきた現金も全てパーという状態にして、「さぁ、いちはやくゲームの仕様を理解し、だれが一番最初にレベル上限に到達するか、誰が一番最初に最高レアを手に入れるかの競争を、もう一度始めましょう」ってやらないと無理って事だよw
それが前回言った、高度経済成長のような好景気は、日本がもう一度焼け野原にならないと起こらないと言った根拠だ。
そういう考察の元になったネタが、このMMORPGというゲームの性質やその歴史を見てきた経験だ。
そして現実世界のMMORPGは、「飽きたからやーめた」とか「詰まんねぇから引退」とか、そういう事ができない。
ゲームの世界にはない、キャラクターの寿命というのが尽きて、強制終了されるまで、続けなければならないw
もうMMORPG自体がコリゴリとか思っても、新しいのがサービス開始したら、全員やらなきゃいけないのが現実世界オンラインなのだw
一部のベテランや高レベル者という「廃人」しか楽しめないような、イベントやコンテンツを追加したところで、ゲームの活気や人口は戻らない。
同じように現実世界で、一部の金持ちや勝ち組にしか利が無い政策やったって、日本国の経済や活気は戻らないのだよ。
ゲームやり始めたレベル1の初心者から、ゲームを遊びつくした「廃人」まで全員が、夢中になるようなイベントやコンテンツの追加をしない限り、日本の経済は高度経済成長期のような状態にはならない。
そして、そんなイベントやコンテンツの追加なんて、人間には出来ない、不可能な事をMMORPGが証明してしまってる。
たかがゲームですら、そういう全員に利があり夢中になれるものを考えられない人間が、現実世界というゲームより遥かに複雑でシビアな世界で、そういうものを考えられる、作れるわけがないだろうとw
そしてもうひとつ。
MMORPGの企画・開発というのは、現実世界では「神」に相当する。
現実世界での政府は、「運営」でしかない。
今はそういうゲームは少ないが、昔は「PK」というのが出来るゲームがあった。
「PK」とは「プレイヤーキラー」の略で、簡単に言えば「殺人」システムだ。
「PKあり」のゲームでも、一部のユーザー連中は「PKはすべきではない!」と騒いでいた。
しかしゲームの仕様として出来るわけで、ユーザーごときが「禁止」なんぞ出来るはずもない。
つまり現実世界も同じで、いくら人権だのなんだの騒いだって、殺人や窃盗が行える以上、この世界を作った「神」は、それを仕様として認めているという事だ。
神様がそういうのはやっちゃいけません、人権は尊重しなければいけませんって言ったとか、ちゃんちゃらおかしいのだw
ではやって良いのかというと、そうではない。
現実世界オンラインは、PTプレイやギルド所属が必須だ。
ソロプレイは非常に困難な仕様になっている。
従って、PTが組めなくなるような、ブラックリスト入りする行為はすべきではないし、ギルドが禁止している行為はすべきではないのだ。
なぜなら、ゲームのプレイに支障が出るから。
ゲームのプレイに支障が出るというのは、現実世界では「生きる」のに支障が出るという事に相当する。
つまり「PK禁止」「窃盗禁止」は、あくまで人間がそう言ってるだけで「神」が言ったわけではない。
だからそれを守るのも人間自身が行わなければならない。
多くのプレイヤーが、そういう仕様では行えるが迷惑する行為をするプレイヤーを、ブラックリスト入りして仲間に入れない、ギルドから追放してギルドに入っている事で受けられる恩恵を受けさせない事が必要なのだ。
つまり「犯罪者」に「人権」なんてもんを認める事自体が間違いなのだ。
暗黙のルールやギルドの規則を破ったプレイヤーを、ブラックリストに入れるな、ギルドから追放するな、きちんとPTに入れて一緒に遊んであげろとか、そんな事言われて納得する奴がいるはずがないだろw
そのぐらいアホな事を言ってるのが、一部の過激な左翼連中なのだよ。
まぁそんな話。
ネットゲーム全盛期の頃を知らない、やった事ない人にはトンチンカンな例え話かも知れないがw