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被爆者は何を求めいるのか?

米大使館前で原爆投下についての、謝罪や賠償を求めるデモをした連中が居るとのニュースを見て思った。

果たして被爆者が求めているのは、米国からの謝罪や賠償なのかと。

私はバリバリ左翼の両親の元で育ったので、はだしのゲンとか全巻読まされた。
まぁ「はだしのゲン」は、物語としても面白い・・・と言ったら失礼かもしれないが、そういう部分もあるので繰り返し、それこそボロボロになるまで読んだ。

はだしのゲンの作中には、米国に謝罪や賠償を求めるような台詞は「一切出てこない」。
また、昨日のニュースでも被爆者のインタビューとか講演会の様子のVTRとか流れてたが、その中で米国に「謝罪と賠償」を求める言葉は一言も出てきていない。

そう、被爆者が求めているのは、二度と原爆が使われないこと、核兵器の廃絶なのだ。
もちろん被爆者や遺族には、米国に謝罪や賠償を求めたい気持ちが無いわけじゃないだろう。
だがそれらをあえて抑えて、核兵器の廃絶だけを訴え続けているのだ。
その気持ち、直接の被爆者でも無い、単なる反米なのか反日なのか糞左翼なのか知らんが、分かっててやったんかと。
原爆をてめーらの糞みたいな運動に、単に利用してるだけじゃねーのかと。

本当にこういう連中には、反吐が出る。

君たち朝鮮民族と違って、日本人ってのは「謝罪や賠償」をしてもらったところで、亡くなった人は帰って来ないし、今もなお癌などに苦しむ被爆者達が、健康体になる事もないのを分かっている。
それに「謝罪や賠償」さえすればそれで済むという事になれば、次にまたどっかで使われるかも知れない。
だって核兵器使っても「謝罪や賠償」さえすれば良いのだからw

そうじゃないんだよ。
だから被爆者は、はだしのゲンの作者は、戦争や核兵器そのものを無くそうと訴えているのだよ。

ここ最近、ネットでは相手より「優位に立つ」事を、「マウントを取る」と言うのが流行っているらしいが、まさに米国大使館で原爆の謝罪や賠償を求めるデモやった奴らは、それが目的なんだよね。
もうね、ここ最近の糞左翼どもの全てがそう。
単に「マウントを取りたい」だけ。

だから解決策も提示できないし、何が問題なのかを説明する事もできないし、原因すら分かっていない。

金持ちの馬鹿息子が、車で乱暴な運転をして、誰かを轢き殺しました。
刑事裁判で有罪になり、刑務所で服役しました。
謝罪の言葉も述べたし、家が金持ちなので莫大な賠償金も遺族に払いました。

そして出所してから、また車で乱暴な運転をしてます。
そんなのを見たら、遺族は「はぁ?」と思うでしょう。

謝罪や賠償を求めるなと言っているのではありません。
被害者や遺族が求めるのであれば、それはきっちり行うべきです。
ですが「謝罪と賠償」というのは、「二度と同じような事が起こらない」ようにするのに、何の効果も無いんですよ。
ましてや無関係の人間が、勝手に代弁者を気取ってそれを求めるとか、意味が分かりません。

日本は核兵器廃絶の国際条約に、世界で唯一の被爆国でありながら、署名しませんでした。
「肝心の核保有国が署名してないようなものは、意味がない」というのが理由です。
しかし私は本当の理由は別にあると思っています。
それは国防上の観点から、参加しなかったという事です。

日本の近隣には、中国やロシアなど核兵器を保有している「大国」があります。
また現在進行形で核兵器を新たに開発して保有してるのか、保有が完了したのかの北朝鮮という国も居ます。
これらの国が、日本に核ミサイルを撃ち込んで来ないのは、米国の核の傘に入っているからです。
しかし日米同盟が永遠に続くなんて保障はどこにもありません。
将来的に、核兵器を保有せざるをえなくなる事だってあり得るわけです。

日本はその気になれば、数ヶ月で核兵器を作れるなんて海外からは思われています。
実際、自前の原発が何基もあるわけで、核兵器の材料や核を扱う技術を持っているからです。
原子力を研究する学者や専門家や技術者も沢山居ます。
だから日本はかたくなまでに原子力発電を止めようとしないのです。
原発と核兵器の技術はまったく違うなどと言う輩も居ますが、原発をまったく持っていない、それらの技術がまったく無い状態から核兵器を開発するのと、原発を持ってる状態で核兵器を開発するのとでは、開発期間には雲泥の差が出るのを否定できる人は居ないでしょう。
ぶっちゃけ素人目には、包丁を作っているのか、刀を作っているのかの違い程度にしか思えないんですよ、原発と核兵器ってw

日本は核兵器をその気になればいつでも保有できる。
そういう状態を維持しておきたいから、あえて被爆国でありながら参加しなかったのです。
もちろん核保有国が全て参加するというのであれば、日本も参加したでしょう。
これが真実です。
それを分からない馬鹿なのか、あるいは分かっていてあえて「憲法九条」みたいに「足かせ」として利用したかった、反日国家の工作なのか、そいういう理由で条約に参加しなかった事を批判してるだけでしょ。

戦争も核兵器も、全人類が一斉に「止め」ってしなければ、無くせないんですよ。
一部の国だけがそれをやれば、いずれは全ての国がそれに追従してくれるなんて、お花畑にもほどがあります。

なんで警察が居ると思いますか?
それは日本国民は全員、殺人とか窃盗とかしちゃいけません、しませんって法律があっても破る奴が居るからですよ。
この糞狭い、人口だって大国に比べたらすくない、しかもほとんど同じ民族で構成されている「日本国」という小さな単位でさえ、みなで決めた事を守れない人が居るわけです。
そんな人類が、一部の国だけしか賛同してないような約束事を、守れると思いますか?w

戦争というのは仕掛ける国と仕掛けられる国があって、はじめて成立するんです。
核兵器は使う国と使われる国があって、はじめて効力を発揮するんですよ。
憲法九条や核兵器廃絶条約あっても、それを批准してない国が「仕掛ける国」「使う国」になってしまえば、意味が無いのです。
全世界の全人類が「仕掛ける国」や「使う国」になれないようにしないと、意味が無いのです。

この理屈をあえて無視して、特定の国だけにそれを求める連中ってのが、どういう考えなのか分かりますよね?

被爆者は謝罪や賠償では何の問題解決にならない事を理解している。
そして全世界が一斉に核兵器を廃棄しなければ、核兵器が二度と使われない世界にならない事も理解しているのです。
だから特定の国にマウントを取りにいくのではなく、全世界に訴え続けているのです。
理解を求め、お願いし続けているのです。

これがマウント取りたいだけの理由で、謝罪や賠償を求める糞みたいな国や、そういう連中とつるんで人権だの差別だの騒ぐ連中と、被爆者の違いです。
実際につらい苦しい思いをした人と、そうじゃない癖に味方や代弁者を気取って騒ぐアホどもとの違いです。

私が「はだしのゲン」を支持しながら、マスゴミどもの糞みたい口だけ反戦だの反核だの平和だのの番組を支持しない理由です。

なぜヤクザや不良に憧れる男が後を経たないのか?

例のワイドショーが現在の目玉ネタのひとつとしてやってる、ボクシング協会の会長を見てそう思いました。

男というのは、多かれ少なかれ誰でもワルぶったり俺は強いぞとアピールしたがるものです。

なぜか?

それは他の動物と同じように、人間にも強いオスほどモテるという本能があるからです。
それは馬鹿な男が勝手に思い込んでるだけではなく、実際にお勉強できるマジメだけど弱そうな男より、校則守らない先生に反抗する乱暴ものの、いわゆる不良の方がモテたりするのを見れば女側もそれを求めてるのが分かるでしょうw
ヤクザって以外とモテるとも言われています。

こういった動物的な本能によって、男はいきがる奴が多いのです。

日本ではヤクザの象徴として、刺青(タトゥー)は忌避されます。
もともと刺青ってのは、「俺は強いぞ!」とアピールするためのものです。
刺青を入れる時って、めっちゃ痛いわけですよ、医学が発展した現代においてもね。
だからそんなすげー痛い事にも耐えられる俺つえーって事でもあるんですw

孔雀のオスは綺麗で目立つ羽を持ってるオスほどモテると言われています。
これは外敵に襲われやすくなるような、目立つ姿をしていても生き残ってます=俺は強いという証だからだと。
人間の刺青も、基本的には同じ思考が働いていると思いますねw

女性でもタトゥーをする人は居ますが、女性の場合はまた別の本能です。
それは化粧の延長であり、より自分を美しく目立つようにするためです。
女が男に求めるのが、基本的に腕力や体の大きさなどの「強さ」なのに対して、男が女に求めるのは「美しさ」だからです。

だから女は某国ではみな整形するし、日本だとすっぴんと全然違うじゃう、化粧こえーwwwと言われるぐらいの厚化粧をするんですよw

他の生物とは異なる、賢い存在であるなんて人間は自分たちの事を思ってますが、しょせんは野生の動物と同じなんですよw

ヤクザっぽい見た目であること、あるいはそういう連中と交友関係がある事は、「かっこいい」事であり、実際モテる要因になり得るんですよw
件の会長はスマホの着信音がゴッドファーザーのテーマになってましたが、あれ見てもどんだけこの会長はワルに憧れるアホであるか分かりますよね?w
暴走族がゴッドファーザーのテーマをよくクラクションとして使ってるのと同じですよ。
あの歳になっても糞ガキと同じ思考なんですよw

なぜそういう人間が、組織のトップになれてしまうのか?
なぜなら、人間の集団というのは動物の群れと同じだからです。
一人の力が弱いために、人間は集団でないと生きていけない、生き残れない動物です。
だから野生の草食動物のように、群れを作るのです。
群れというのは自分たちを守るための手段なので、当然ながらそのリーダーというのは群れで一番強い「オス」がなるわけですよ。
一番強いやつがリーダーをやった方が、生き残れる確率が高くなるからです。

ヤクザみたいな反社会勢力と関係があるのはけしからん、とマスゴミも政治家も言いますが、お前らだってヤクザとお友達な奴は沢山いるだろうとw
だからこそ、ヤクザは居なくならないんです。
全員、ブタ箱にぶちこんで壊滅させるなんて簡単にできる事です。
フィリピンの大統領がやってるようにねw
人権だとか法律だとか証拠がないと逮捕できないなんてのは、お友達をかばう言い訳にすぎないのですよw

日本人を拉致し、ミサイルまで飛ばしてくるような敵性国家の組織や人間が、堂々と日本に存在して表を歩けるのも、北朝鮮のお友達な日本人が沢山居るからですw
それもいろんな業界の上の方にねw

そういう悪い奴らとお友達になる連中ってのは、「あ?お前いいの?俺の友達、この辺で1番喧嘩強いよ?w」と粋がる小物な不良みたいなもんですw
本当にやばい奴らの評判を使って、てめーもさも強い人間であるかのように振舞う、いわゆる虎の衣を借るなんとやらですw

この風潮は全世界のすべての人間が持つものであり、それを無くすのは不可能です。
それは人間と言えど逃れれない動物のオスの本能であり、また人間であってもメスはそういうオスを求めるという本能があるからですw

そういう事を踏まえたうえで、どう改善していくか?
単に悪い悪いと叫ぶだけでは、解決しない問題なのですよ。
マスゴミお得意の世論操作や洗脳を使ってでも、いくら強くてもワルい男はないわーという風潮を作り、男はもちろん女の側も意識を変えるしかないのですよ。

おかあさんはおばちゃんになったのに、どうしてあむろちゃんはおねえちゃんのままなの?

みたいな事を小さい娘に言われてショックを受けたという笑い話が、ツイッターに上がっていたそうです。

子供は残酷だなぁw

さて、これに対して教育的に回答してあげるとしたら、どうしますか?

・いつまでも若く美しい姿で居られるからこそ、彼女は歌手・アイドルという職業をしていられる
元の造形という一種の才能みたいなものがあるにしろ、老化しない人間というのは居ないわけです。
歌手・アイドルという職業を続けるために、相当な美貌の維持の努力をしているのです。
もちろん、歌や踊りの練習もですが。
だからこそ、今でもおねえちゃんなのです。
よく努力すれば夢は叶うは嘘だと、才能が無ければいくら努力したって無駄だと言われます。
ここ最近、ネットという媒体が登場して、匿名で本音を言える環境が整ったために、こういう今までの道徳なのか美徳なのかに対する反論が、同調圧力を逃れて出てきたわけですがw
しかし逆に、いくら才能があっても努力をしなければ、夢は叶わないというのも真理ですw
あむろちゃんがあむろちゃんなのは、あむろちゃんで居られるためのすごい努力をしているからなのです。
と、努力の大切さを教えるのに使ってみては如何でしょうか?w

・お母さんは怠け者で、あむろちゃんより劣った人間ではない。
自分で言っても効果は薄いので、これは旦那さんとかに言って貰うべきでしょうが、お母さんはあむろちゃんとは違う方面、違う形だけど、努力をしたから、結婚してかわいい娘さんを持って幸せになれたのです。
お母さんが、あむろちゃんより老けて見える事に、がっかする事も、卑下する事も、かわいそうに思う事も無いのです。
人の幸せや、求めるものというのは、人によって千差万別なのです。
また、全員があむろちゃんになってしまっては、他の職業が成り立ちません。
例えば、身分制度を無くして全員貴族になって、誰も働かないくなってしまえば、食べるものが無くなってしまうので、全員死んでしまいます。
おかあさんが、あむちゃんだったら娘さんは生まれなかったかも知れないですし。

このように教育的観点から娘さんに回答するのであれば、
・あむろちゃんはあむろちゃんで居られるように、日々すごい努力をしている
・お母さんはあむろちゃんとは違う役割をきちんとやっている立派な人だ
というように努力の大切さと、人間には優劣なんてものはないんだという事を教える絶好の機会として活用すれば良いのになぁと思ったという話ですw

生き残る

人間も含めて、この地球に存在する全ての生命の行動原理は「生き残る」ためだ。
「進化」というのも、生き残るために行われるもの。
この「生き残る」という神に課された使命とでも言うべきものは、何のためかと言えば子孫を残すためだ。
不老不死の生命というのは、無いのだから、子孫を残さなければ種が絶滅してしまう。
もっとも一部のクラゲなどは不老不死なのではないかと言われているが。

なので自分の子供が出来ると、自分が「生き残る」から自分の子供を「生き残らせる」に行動指針が変わる。
自分の「命」より子供の「命」を守る事が優先される。
この世でもっとも強い愛情というのは、親が子に対して向けるものなのも、そのためだ。
ちなみに親子愛というのは、子が親を思う気持ちも含まれるが、その度合いは圧倒的に親から子への方が強力。
なぜなら親が子に向ける愛情は、子供を生き残らせるという本能から来ているのに対して、子から親への愛は、親が居ないと生き残れないという、自分自身の為のものから来ているからだ。
つまり自分の力である程度「生き残る」事が可能な大人になるにつれて、親の必要度というのは低下するわけだw
ましてや結婚して子供が出来たら、自分も子供の命の方が大事になるわけであって、親の面倒を見る事で子供の命が危険になるなんて事はあってはならないのだ。
だから姥捨て山というのがあったのだ。
親は自分の子供が大人になっても、子供の命が一番なのは一生変わらない。
年老いた自分のせいで子供の命が危険、具体的には食料が足りないとか、そういう事態になった場合に、子供を生き残らせるために、自ら命を捨てる行動に出ても、何ら不思議ではない。
姥捨て山というのは、食い扶持を減らすための非人道的な風習を老人に強制したものであるかのように思われるが、実は違うのである。

女人禁制という場所。
おんなこども というのは弱者の典型としての言葉である。
生き残る力が大人の男性より弱い「おんなこども」を生き残らせるために、危険だけれど行かなければならない事がある場所、行けてしまう場所を、神様などの宗教的な理由をダシにして「女人禁制」というルールを作って守ったのだ。
差別利権や逆差別が目的のアホどもが、「女人禁制」を「男尊女卑」の証拠として騒ぐが、まったくの間違いなのだ。
もちろん、昔より科学技術が発達して、「女人禁制」というルールが作られた当時より遥かに安全になった現代において、それらはもはや時代遅れの無意味な風習であるから、廃止しても良いのではないか?という理屈ならば、私も賛同する。

相撲の土俵に女性が上がれないというのも、そもそも今ほど医療が発達・充実してない時代は、命を落とす事だってあり得た相撲という危険なスポーツを、女性にやらせたくないという考えから来ていると私は思っている。
だからそれを男尊女卑の象徴として叩く連中には賛同できないのだ。
これが、昔はそういう理由があったかもしれないが、現代では医療のレベルも昔とは段違いであり、それほどの危険は無い。
事実、女性で相撲を楽しむ人だって居るわけだし、そういう観点から女人禁制にしておく必要はもう無いのでは?という理屈で、女人禁制を解こうと主張するのであれば、反対する人も少なくなったと思う。

このように、全ての法律・習慣・伝統・マナー等々の「決まり」のようなものには、差別なんぞ本来は無かったはずなのだ。
差別というのがなぜ悪とされるかというと、それをしなくても生き残れるのに、不必要に生き残れない人間を作るから悪なのだ。
それをする事で、生き残れない人間が出ないのであれば、それは差別でも何でもないのである。

自分が生き残るためや、生き残れない人を生き残れるようにするために行うのが、本来のそういった自由だの平等だの人権だのの運動であるべきなのだ。
しかし現在のそれらは、自分が生き残るためでも、生き残れない人が生き残れるようにするためではない。
自分や一部の人間が、「優遇」されるためである事が多い。
「優遇」というのは、金であったり力であったりを生き残る以上に求める行為とも言い換えられ、ひとえに「欲望」によるものである。
だから支持されないのだw
人が持ってよい「欲望」というのは、「生き残る」事だけである。
なぜならそれ以外の欲望を実現させようとすると、生き残れない人が出てくるからだ。
当然、それら生き残れない人間から反発を食らう。
ましてや自分は絶対にどんな状況でも生き残れるなんて自信を持てる人間なんて居ないのだ。
だから「生き残る」以外の「欲望」に対して、人間は拒絶反応を起こす。
これが、今の左翼どもが支持されなくなった理由である。

自由だの平等だの人権だのを訴える連中も、それが自分が生き残るためであれば、支持してくれる人はもっと多いと思う。
自分が生き残る、あるいはそのネタにしている「弱者」と称される人々が生き残るための運動ではなく、自分がそれによて金なのか力なのか、何か生き残る以外の「欲望」に基づくものであるから、支持されないのだ。

この世の「善悪」などというものは、所詮は人間の都合で生み出されたものであり、神様が決めたものではないのだよ。
神様というものが本当に居て、人間に求めている事があるとしたら、それは「生き残る」事だけなのだよ。
「生き残る」ための行動であれば、たとえそれが人間の倫理観において「悪」とされるものであっても天罰は下らない。
「生き残る」ための行動でなければ、たとえそれが人間の倫理観において「善」であっても、神様は評価してくれないのだよw
憎まれっ子世にはばかる のはそのためだw
いくら熱心にお祈りしようが、厳格に戒律を守ろうが、必ずしも天寿を全うできるとは限らないのもそのため。
なぜなら、お祈りや戒律を守る事は、「生き残る」ための行動ではないからだ。
お祈りは別として、宗教の教義や戒律の中には、それが作られた当時は「生き残る」ために必要だった事も含まれる。
しかし現代においては、それを守らなくても「生き残れ」るのだ。
だからいくら熱心にそれらを守っても、神様はそれを評価してその人間を守ってくれたりしないのだw

日曜の礼拝に来ていた熱心な信者が、皮肉にも協会でイスラムテロで多数死傷したなんてニュースもあったが、そういう目に逢うのも、その時にGODが守ってくれなかったのも、全ては「生き残る」ために必要な行動ではなかったからだよw

宗教が不要だとは言わない。
それが無いと心の平静を保てずに、「生き残れ」ない人も居るからだ。
しかしそれを利用して、自分が「生き残る」以外の欲望に基づく行動をするような人間が沢山居る。
だから日本人は「宗教」=「インチキ」とか「胡散臭い」ものとして忌避するのだ。
神社で初詣を行い、教会で結婚式を挙げ、寺に死後の世話をお願いするような事をしていても、「自分は無宗教です」と答えるのだw

体罰が躾なのか虐待なのか、その境界線はどこにあるのか?
それは子供が生き残れるようにするためなのかどうかで判断できるのだよ。
体罰と称して、暴力で子供が死んでしまうようなものは、躾でも何でもない。
子供の命に危険はないし、障害が残るような事も無いが、ちょっと痛い。
でもそれは痛い思いをしてでもわかって貰わないと、子供が将来生き残れない。
そういう類のものは、躾であって誰にも批判される謂れは無いのだよ。
この理屈がわかってないから、いつまでたっても体罰は善か悪かの論争が続くのだ。

この世の全ての生命は「生き残る」事が行動の原理である。
物事の善悪などというものは、所詮は人間がてめーの都合で決めた屁理屈である。
よって物事を「正しい」か「間違い」か「支持」するのか「反対」するのかは、全て自分が生き残るために、自分の子供が生き残るために「必要」なのか「不要」なのかで判断すれば良いし、それこそが神が(本当に存在すればであるがw)人間に求めている事なのである。

心霊ちょっといい話系のまとめ

私は100%ではないが、魂とか霊とかは存在すると思っている。

この世と言われるリアルの我々の世界は、原初の魂というか全知全能・不老不死の本当の神とでも言おうか、そういうものが居て、それが暇をもてあまして作ったものであると。
しかしこの「世界」という作品を完成させたところで、また暇になってしまった。
そこで自らを細かく分けて、自分が作った作品の中に送りこんだ。
これが「魂」であり、だから日本では万物に魂が「宿る」という言い方をするのではないかと。

よってこの世は世界を作った原初の神によって、その行く末というかシナリオというか台本までもがある、ひとつの物語であると思っている。
我々は、様々な生物や、あるいは無機物にも宿る事ができるのかもしれないが、それに宿って決められた台本に沿って劇を演じているだけなのではないかと。

たとえば人間に宿った場合、それは「人間」という着ぐるみに、魂という本体が入ったような状態だ。
従って視野は狭まるし、動きも鈍くなる。
だから世界の一部しか見えないのだ。
霊が見えるという人は、きっと着ぐるみの目の部分が他の人より大きく開けられているか、さもなくばどっか破れていて、そこから着ぐるみを着た状態だと普通は見えないものが見えるのではないかと。

この劇を見ているのは、魂の状態で何にも宿ってない、いわゆる幽霊とか、あるいは神様とか言われるものだろうと。

しかし最近また新たに思う事ができた。
それは観客であり、劇の台本に従う必要が無い完全に自由であるはずの魂も、実は何らかの役割を与えられて、台本に沿って行動しているのではないかと。
これが、悪霊だったり神様だったり、守護霊だったり、そういうものなのではないかと。

悪霊になってしまう人ってのは、本来は着ぐるみが壊れた=死んだら自由な存在である魂に戻れるはずが、その後悪霊としてしばらくこの世に存在するという役割が設定されていて、それで仕方なく着ぐるみを脱いだ後も劇を続けているのではないかと。
神様とか守護霊とか言われる存在も同様に、そういう役割を与えられて演じている着ぐるみを着てない役者なのじゃないかと。

また劇である以上は、役者以外にも様々な役割の人が必要だ。
大道具とか証明とか、あるいは監督なんかも必要だ。
よく産まれる前の記憶がある子供が、神様のような存在に導かれて、両親を決めさせられ、そして神様の指示で赤ん坊として産まれるために現世に降りてきたみたいな事を言う子が多い。
ここでいう、産まれ先を決めさせる指導者みたいな神様というのは、実は監督とかそういう役割を与えられた魂ではないかと。

幼稚園とかの劇でもそうだが、先生とかが居ないと、みなあれやりたい、私もそれやりたいといつまで経っても配役が決まらないw
現世に産まれてくるというのは、リアル人生物語において、どんな人物を演じるのかというのを決めるのと同じ事で、当たり前だか2つの異なる魂が1つの人間という着ぐるみに入る事はできない。
なので監督なのか幼稚園の先生なのか、そういう役割を与えられた魂が居て、それがうまく役を割り振っているのではないかと。

小さな子供や霊感のある人が、神様を見たとか、あるいは霊感が無くてもなんか守護霊的なものに守られたとしか思えないような体験をしたとかある。
私はそんな体験は残念ながら一度も無い、少なくともそう認識できた記憶は無いが、それは私という人間にはそういうものが付いているという設定になっていないのだと思っているw
人間にはほぼ全員に守護霊というものが、必ず付いていると言う霊能者も居るが、それだと役者の数が足りなくなるのだろう。
だから居ない人も居るし、それも台本のうちだと思う。

いくつか魂の自由意志で、選択枝を選べる場面はあるのかも知れないが、基本的に台本に無い行動はできないし、未来というのも既に台本に書かれていて、存在しているものだと思っている。
選んだ選択肢によって、アドベンチャーゲームのように違う未来の台本を演じる場合もある。
そのときに、間違った台本を読んでしまったのが、異世界に行ったとか平行世界・パラレルワールドに迷い込んだ、あるいはそういう所から来て帰れなくなったとかって現象なのだろうと。

タイムリープは、そういう人生を送るという台本になっていたわけで、別に怪奇現象でも超能力でもない。
ここまで人生を歩んだら、何年前に戻って「うわ、なんか知らんが過去に戻った!なんだこりゃ!」と驚く演技をしなさいと台本に書かれているのだw
そういう台本が用意されてない人は、いくらがんばってもタイムリープなんて出来ないし、そういう台本がある人は、望まなくてもそういう目に会うんだろうなぁと。

つまり心霊ちょっといい話系も、そう考えれば、必ずしも嘘乙では片付けられないだろうと。
この世の不思議は、全て辻褄が合う解説が可能なのだと。

科学的では無いと言うかも知れないが、では科学ってそんなに信用できるんかと。
本当に科学を人は理解できているのかと。

よく子供の「なんで?なんで?」という対応不可能な攻撃にあった話も聞く。
「なんで?なんで?」に答えられないのは、われわれの信じている科学というのは、その程度の説明しきれないあやふやなものであり、あるいは人間がその程度しか理解できていない不完全なものという事だ。
物をはなんで落ちるの?
重力があるからだよ。
重力ってなに?
物が地球に引っ張られる力の事だよ。
なんで地球に物が引っ張られるの?
よくあるのがバケツに水を入れて、ブンブン振り回しても水が落ちない。
これが引力とか重力とか言われるものだよって説明があると思うが、じゃあなんでそうやると引力とか重力が発生するの?って言われたら、私はここで「そういうものなんだよw」しか答えようがない。
それで小さな子供は納得しないだろう。

これが我々が信奉する科学の正体であり、現実なのだw
だから科学的ではないと、全てを嘘乙で否定する事は、私は正しいとは思わないのだ。

どう生きようと、どうがんばろうと、未来は既に決まっていて、複数の候補があるかもしれないにせよ、台本に無い事はできないのだ。
そしてアドベンチャーゲームのように「正解」とかトゥルーエンドとかバッドエンドの区別も無い。
そもそもそれらは、製作者の「主観」によって決められたものであって、この世界を作って脚本を書いた、人間でない存在と必ずしもその「価値観」が一致するとは限らないからだ。
幸せな人生だった、不幸な人生だった、満足して死んだ、未練を多く残して死んだ、どっちが良いか悪いか、そんなもんは人間が勝手に思ってるだけで、真実ではないのだ。
カウンタ
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ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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