一方的な差別利権側の主張ばかり垂れ流すNHKを見て一言。
知的障害者の大量殺傷事件についてのニュースでした。
さてまず、「人間」とは何か?
「人間」とその他の「動物」との違いはどこにあるのか?
それを述べたいと思います。
人間というのは、地球上の全生命の頂点に立つかのように思い、振舞っていますが、実際のところ肉体面では最弱の部類に入ります。
その最弱の人類が、なぜ頂点に立てたのか?
それは人類が唯一、この地球上で最も優れた部分である「知能」によるものです。
目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が無かったり動かなかったりしても、「知能」さえまともであれば、それは「人間」と呼んでも差し支えないわけです。
しかしながら、人の形はしているが、知能が人間を遥かに下回った場合、はたしてそれは「人間」と言えるのか?
というところが、この事件の最大の問題であり、差別利権者側が決して触れない最大のタブーなのです。
犯人はこのタブーに一石投じたというのが、彼の言い分でしょう。
もちろん、その方法が「殺ろす」という形を取った事に賛同はできませんが。
たとえば障碍者でなくとも、知能の発達が未熟であるとされる子供は、何か事件などを起こしても、大人と同じ刑罰が課せられる事はありません。
大人でも精神状態がまともではなかった場合は、減刑されたり無罪になったりしますよね?
知的障碍者は問答無用で減刑および無罪です。
これのどこが平等なのでしょうか?
大人並の体力を持ち、しかも知的障害があるため、「火事場の馬鹿力」と言われるものがいつでも出せる、リミッターが掛からない人も居ます。
そういう人に襲われたり、レイプされたり、ケガを負わされた場合、「知的障碍者だから」という理由で罪に問われない、何の罰もないというのが、本当に平等かって話です。
子供や精神薄弱で責任能力無しとされた大人の犯罪者も、減刑や無罪になる事はありますが、その分人権が制限されています。
鉄格子のはまった病院から一生出られないとか、子供であれば犯罪をおかさなくとも、例えば選挙権が無いとか、お酒やタバコを嗜む権利が無いとか、いろいろありますよね?
あるいは子供が仮に殺人をした場合、損害賠償などの責任を親が負う事になります。
大人の知的障碍者の場合は、そういうのも無いでしょう。
NHKの馬鹿アナウンサーが「なぜこういう差別思想が出てきてしまったのでしょうか?」などと言ってますが、一目瞭然です。
健常者が、一般人が、障碍者とその愉快な仲間に逆差別を受け続けてきたからですよw
そもそもこの世に「完璧」な人間なんて居ないのですよ。
健常者だって、自分の好きなように何でもできたり生きられたりしないわけです。
健常者ができる事は、すべてできるようにサポートして然るべきという間違った考えが、逆差別に繋がっているとなぜ理解できないのでしょうか?
健常者と同等の権利を求めながら、一方で犯罪とかの時は、「知的障害があるのだから仕方ないじゃないか」で優遇されようとする。
それがおかしいと言っているのです。
善悪の区別や人間社会の常識が理解できない人間は、知的障害が無くても人間失格です。
重大な犯罪をするやつなんてのは、どっかおかしいんですよ。
それを知的障害だの精神薄弱だので、減刑したり無罪にしたりするのをいい加減止めるべきでしょう。
これが「平等」に扱うという事です。
もちろん、目が見えない、耳が聞こえない、手足が無い場合は、健常者よりも出来る事が限られてくるし、それによる経済的な不利が発生するのは事実です。
ですから、そこを補助するような制度までは否定しません。
ただ「平等」に扱えというなら、「責任」も平等に持つべきです。
権利だけ要求して、義務や責任は免除しろというのは、真の平等とは言えないのです。
犬を飼う場合、必ず首輪付けて紐などでつなぎ止めるでしょう。
猫だって家の中に閉じ込めておくか、野良猫の場合は去勢されたりします。
これについて「差別」だと言う人は居ません。
なぜなら、犬や猫は人間社会のルールを理解できる「知能」を持っていないからです。
それを無理やり人間社会の中で暮らさせようとしたら、紐で繋いだり去勢したりするしか無いからです。
同じような事が知的障碍者にも言えるのです。
別に紐で繋いでおけとか、去勢しろとか言ってるわけじゃないです。
知的障害でも軽度であれば、ある程度の人間社会のルールは理解できるし、他人に迷惑を掛けずに生きていく事もできます。
しかし重度の、特にパワー系などと言われる知的障害者は、「人間」として扱うべきでは無いと考えます。
なぜなら、人を人たらしめている「知能」が絶対的に欠けているものは、たとえ人の形をしていても人とは呼べないからです。
酷い言い方のようですが、事実です。
それは違うという感情論ではなく、理論的に反論できる人が居たら、どうぞ反論してみて下さい。
親というのはどんなにがんばっても、子供より先に死にます。
犬や猫などのペットと違い、最後まで責任もって面倒を見る事はできません。
つまり本当に子供の幸せを望むなら、差別するなと喚くのではなく、最後まで責任を持って面倒を見られる社会や国の制度を作らせる事の方をすべきなのです。
事件や事故を起こさせず、他人に極力迷惑を掛けさせないように生きさせるには、どうしたら良いかを考えるべきなのです。
これは障碍者全般に言える事ですが、特に知的障碍者に関しては変にタブー視せずに、真剣に考えるべきです。
人は生まれながらに不平等であり、不自由なものです。
健常者といえども、全員が食うに困らない生活ができるわけじゃないですし、全員が望んだ職業につけるわけでもありません。
障碍者だからといって、殺されたり檻に閉じ込められたりしなくなった分、人類は進歩したのです。
しかしそれを、勘違いして障碍者は優遇されるべきと考えるのは間違いです。
健常者だけが責任や負担を大きく背負うような状態は、平等であるとは言えません。
いかに人類が平等に負担を負い、平等に生活できるかを考えるべきです。
差別といえば、何でも通る、どんな意見も封殺できる。
それがおかしいのです。
本当に差別をなくしたいなら、そこをまず考えるべきでしょう。
義務や責任を負えない人は、権利がその分制限されるのは「差別」でも「不平等」でもないという事を、いい加減学びましょう。
神から与えられた、誰にも犯す事の出来ない「基本的人権」なんてものは無いのです。
本当に神から与えら得た権利なら、この世に犯罪被害者などというものは出てこないはずなのです。
人間が勝手に考えて、人間の力で維持しているのが、「人権」なのですよ。
「人権」を維持するための負担や責任は、「人権」という恩恵にあずかれる全ての人間が等しく負うべきなのです。
そういった本当の意味での「平等」というものを、人類が理解すれば、差別利権などと言われるてめーらが優遇される事を望むだけ、自分のお仲間以外を差別する、いわゆる「逆差別」というものも、出てこなくなるでしょう。
知的障碍者に施設の職員が暴力を振るえば、当然罪に問われます。
しかし施設の職員が、知的障碍者に暴力を振るわれても、知的障碍者が罪に問われる事はありません。
そういうのを体験した事で、この犯人は、結果的に障碍者を差別する事で、真の平等を得ようとしたとも言えます。
それが殺人という形になってしまったのは、許されざる事ではありますし、擁護も致しませんが。
同じ過ちを起こしたくなければ、この矛盾をどうするのかを真剣にみなで考えるべきです。
差別しか言わないアホどもに、そう強く言いたいわけです。
大阪の大地震や北朝鮮との拉致問題など、トップにすべき話題はいくらでもある中で、モリカケガーをやるマスゴミ。
彼らの頭の中は、表題にも書いた「反日左翼は絶対正義で愛国右翼は絶対悪」というのがあるからだ。
海外からも言われ、戦争中も利用された日本人の「同調圧力の強さ」をマスゴミは利用し、この風潮を作り上げた。
だから選挙やネットでは、マスゴミの望まない結果がいつも出る。
なぜなら、選挙やネットは「匿名」であり、「同調圧力」を気にする必要がないからだw
そもそも反日左翼が絶対正義などと言うことはないし、愛国右翼が絶対悪などという事も無いのだ。
そんなのはマスゴミが勝手に作り上げた幻想にすぎない。
植民地主義時代の欧米はまったく悪くなく、第二次大戦時代の日本やドイツは絶対悪という、戦勝国が作り上げた現代世界の風潮とまったく同じ理屈だ。
反日左翼勢が起した違法行為は、報道されないし、報道されても「法律が悪い」というスタンス。
愛国右翼は違法行為の証拠が無くとも、「疑惑」とかいう便利な言葉でまるで極悪非道な犯罪者扱い。
これのどこか中立公正な報道と言えようか?
マスゴミというのは「中立公正である」というのも、彼らが作り出した幻想でもある。
日本だけでなく、世界中のどこの国のマスゴミも同じで、「中立公正」なマスゴミなんてものは存在していない。
なぜなら、「中立公正」な人間などこの世に居ないからだ。
絶対正義や絶対悪などというものが、この世に存在していないのと同様に。
極端な例えを言えば、「人を殺してはいけません」とか「人のものを盗んではいけません」というのも、人間が勝手に決めた善悪にすぎないのだ。
だから殺して良いし、盗んで良いとか言いたいのではない。
人間というのは、国や社会という群れの中でしか生きられない、野性の草食動物と同等以下の存在であるわけだから、群れを維持するためのルールには従うべきだからだ。
群れを崩壊させるような行動を取れば、それだけ肉食獣などの天敵に襲われる確率が上がり、自分自身も生き残れない事になるわけだから。
比較的政権寄りの発言をする某氏が、「御用記者」だか「御用評論家」だかの烙印を押されて、テレビから干されたというのが最近もあったw
この世に絶対正義や悪などというものは存在せず、人間の価値観というのは千差万別であって正反対である事も珍しくなく、むしろ全ての人間が同じ意見というのこそが不自然である。
反政権の記者や評論家が居れば、当然政権寄りの記者や評論家が居てもおかしくないし、それこそが正しい姿である。
アメリカなんかもマスゴミの信用度は低くなってきているが、それでもあちらは「反トランプ」だけでなく「トランプ派」のマスゴミも存在している。
日本のマスゴミは大統領や総理大臣というのは、悪人の代名詞であり、絶対に評価してはならないというアホな不文律があるので、「反トランプ」一色のように報じるが、実際は違う。
なんか大阪の地震すらも、安部政権の仕業だ、人工地震兵器が使われたとか言ってる、頭が「逝っちゃってる」人も居るようだが、大阪には安倍政権支持派の人間しか居ないんですかね?w
「天罰」とかいうありもしない嘘で、民衆を扇動していた前時代以前の権力者や宗教家と同じアホにしか見えませんw
「天罰」なんてものもは無いし、「神」なんてものは存在しません。
少なくとも人間が思うような「神」というのは居ないのですよw
なぜなら、神が本当に「悪」だと思うことは、そもそも人間にはできないような物理法則になっているはずだからです。
人の人生をネットなどではよく「リアル人生オンライン」というMMORPGのネットゲームに例えられます。
MMORPGにおいて「神」とは「運営」なわけです。
PKというリアル世界では「殺人」にあたる行為がありますが、「神」である「運営」が「悪」として認めない場合は、そもそもPKが出来ない仕様になっています。
すなわち、プレイヤーは他のプレイヤーに攻撃できない、しても当たらない、ダメージを与えられない仕様になってるんですよw
そもそも人間が行っているのはMMORPGですが、「神」が行っているのはシビライゼーション5(通称:CIV5)という、日本ではあまり馴染みが無いシミュレーションゲームですw
人間なんて他の生き物と同じく、単なる「駒」の一種に過ぎないのですよw
そこをはやく理解すべきでしょう、「神ガー」とか言ってる連中はw
話が逸れましたが、この世に絶対正義や絶対悪などというものは存在せず、したがって「中立公正」なんてものはあり得ない。
この世にあるのは、現代より前の時代までは「力を持つもの」が自分の意見を押し通せる権利を持ち、現代の日本においては「多数派」の意見が通るというシステムになっているという事実だけです。
ゴミ連中はてめーの意見を通したいなら、相手を貶めたり、ありもしない正義を気取るのではなく、より多くの人間に賛同して貰えるような「努力」をすべきなのです。
敵国の工作員でないなら、自分たちの言う事はこんだけ日本国民に利があり、害が無いですというのを、わかり易く納得できる理論的な形で説明するべきなのですよ。
それをしないから、いくらモリカケやってもすぐに支持率は回復してしまうし、逆にてめーらのお仲間の政党の支持率は上がらないのです。
選挙で世論調査と正反対の結果が出るのですw
某自衛隊賛美アニメと言われているものに、「中立なマスコミなんて存在しない!」と言い切ってる場面が出てきますが、アニメでありながら、ついに真実が語られたと思いましたね。
まぁ元自衛官の人が書いた物語が原作のアニメですからね。
一般人より遥かにマスゴミの「悪意」というものに晒されていたから、その真実にいちはやく気づけたのでしょうw
現代日本人であるからこそ、「絶対正義も絶対悪もない」という結論に達する事ができたと思っています。
それは日本が敗戦国であり、多神教であるからです。
その事だけでも、私は日本に生まれて良かったと思いますね。
物事を「正義」だの「悪」だのに分けないと見れない人間というのは、真実や真理に辿り着けないのです。
以前も述べた事があるが、バブル期の人気テレビ番組に「トリビアの泉」というのがあった。
知る人ぞ知る、日常にはたいして役に立たない無駄知識を紹介する番組だ。
その中で「ダンゴ虫は歩いていて壁などの障害物に当たると、その都度、右・左・右・左と交互に進路を変更するというものがあった。
もちろん永遠にそうするわけではなく、回数や時間が経つと、「前回どっちに曲がったっけ?」というのを忘れてしまうらしいがw
この障害物に出会った時に、左右順番に進路変更をしていく方法は、迷路などを抜ける場合などに非常に理にかなっているらしい。
まるで誰かがダンゴ虫に、プログラムしたかのようにも思えるこの現象。
これが「肉体」と「魂」が別ものであり、「魂」こそが「意識」の本体だと信じたくなる理由だ。
人間というのは、ダンゴ虫より遥かに知能が高い。
それはコンピュータで言えば、四則計算しかできない電卓と、スーパーコンピュータの違いのようなものだ。
あるいはもっと差はあるかも知れない。
だから人間は、あたかも「自由意志」のようなものがあり、考えも行動も千差万別で、一人として同じ事をする人間は居ない。
しかし実際は、人間自身でも解明できない緻密な計算とプログラムによって、動いてるだけだということだ。
つまり「意識」なんてものは、所詮は高度なプログラムによって生み出された「まやかし」であって、人間死んだらそれで終わり。
綺麗さっぱり、意識も何も消えてしまう。
それを示唆しているのが、このダンゴ虫の習性なのだ。
人間が「死」を恐れるのは、死ぬときはすごく痛かったり苦しかったりするからではない。
死んだ後にどうなるのかが、分からないから怖がるのだ。
その恐怖をやわらげるために生まれたのが、宗教や神や天国や地獄だと言っても過言ではない。
人間は死という概念を理解できるまでに知能が発達してしまったために、新たに死の恐怖というのを地球上の生命でもっとも大きく持ってしまったと言っても良い。
だから「不老不死」を求める。
古代はオカルト的な伝説や方法を追い求め、現代でも医学などで、不老やなるべく長く生きられる方法を模索しているのがその証拠だ。
人間は、自分という存在がいつかは消えてしまうという事実に、精神が耐えられないわけだ。
「魂」の存在について、いろいろ私が考察するのも、結局のところ精神が耐えられない事の逃げの一種であるわけだ。
もちろん、「魂」なんてものは無いとも「証明」されたわけではないので、すべて妄想に逃げているだけと言い切れもしないが。
人間の意識や思考というものを、完全に解明するのは、恐らくAIでも無理だろう。
なぜなら、知能というのは同等以上の存在や事柄は決して理解できないという「真理」が存在するからだ。
人間というのは「理解」できない事も、「恐怖」の対象となる。
死に対する恐怖も、この「理解できない」「分からない」が故に恐怖するとも言える。
どんなに仲が良くても、どんなに近しい血縁でも、相手を完全に理解できるなんて事は無い。
相手を完全に理解できないという事は、そこに「恐怖」が生まれる。
だから「友情」だの「愛情」だのって言葉を作って、自分を騙して「恐怖」を和らげているのだ。
ペットなどが人間に「癒し」効果を与えるのは、人間より劣る知能しか持たない存在であるため、理解しやすいからだ。
三次元の女なんて糞だ。
二次元嫁こそ至高というオタクの心理も、二次元のキャラクターは「理解」しやすいからだ。
三次元のリアルの女の子と違って、見た目や言動に「裏表」が無く、心の奥底では何を考えているのか分からないみたいな部分が一切無いからだ。
つまり「怖く」ないのだよ。
ロリコンなども同様の理屈が通る。
幼児というのは、大人と違って、まだ「思考」が未熟である。
好きなものは素直に好きという言うし、嫌いなものは素直に嫌いという。
ペットなどの動物に近い。
だから理解しやすく、その分「恐怖」を感じない。
しかしながら、それは幻想でもある。
後天的に作られる行動原理のプログラムが、まだ未完成であり、学習中であるだけで、知能というCPUの性能は大人と変わらない。
だからこそ、幼少の時にしか愛せずに、年齢が上がるにつれて「恐怖」を感じる瞬間が増えるために嫌いになっていくのであるw
何の損得感情もなく、たとえ世界中が自分の敵になっても、たとえ病気や怪我で手足をなくしたり、顔の形が変わって醜くなっても、あるいは肉塊になっても、絶対にこの人だけは自分を愛し続けてくれる。
そんな思える人に出会えるのは、非常に稀である。
釣り馬鹿日誌かなんかで、主人公の奥さんが主人公と結婚するか否かを決定する時に、「この人が障碍者になっても、見捨てずに最後まで愛せるだろうか?」と自問したという話があったのだが、単なる漫画でありながら非常に哲学的で真理をついた台詞だと思って、印象に残っている。
あるいはこれも漫画の話で申し訳ないが、「マスター・キートン」という某人気漫画家の人気作品のひとつにも、「あなたが奥さんも自分を心の底から愛していたというのは、単なる幻想かもしれないよ」というような台詞が出てくるが、それも上述した事と同じだ。
つまり人間の思考や意識や意思なんてものは、しょせんは高度な脳内プログラムによる計算処理の結果であって、そこには本当の意味での、損得勘定を越えた愛なんてものは「無い」というのが事実かも知れないのだ。
そしてそれを受け入れられるほど、人間は賢くないし強くない。
だからいろいろ屁理屈を考え、「愛」だの「友情」だのという単語を作って、誤魔化しているのだ。
そんなものを信じられる人間というのは、よほど環境や運に恵まれた人生を送って来れたか、あるいは知能レベルが低いかのどちらかだと言える。
主人に忠義を尽くして死ぬ兵士や、自分の身を犠牲にして愛する人を助ける話などが賞賛されるのは、綿密な計算の結果で動いているだけのロボットであるという事実を受け入れたくないからとも言える。
ログ・ホライズンで、イズモ騎士団が、「お前らは作られたプログラムだ」という事実を突きつけられて、精神が耐え切れずに消滅したり永遠の眠りという「逃げ」に入ってしまったりしたという設定があるが、これは非常に理にかなっている。
なぜなら、イズモ騎士団の姿は我々リアルの人間にも起こりえる事だからだw
ある日突然現れた、自分たちの知能も能力も超える「神」と呼ぶに相応しい「存在」が現れて、人類に「お前らは俺らが作ったロボットだよwww」「意識?wwwそんなんプログラムが作った幻想だよwww馬鹿じゃね?」とか言って、それが真実であると証明するような何かを見せ付けたとしたら、恐らく人類の大半は精神が耐え切れずに狂ったり自殺したりしてしまうだろうからw
これに耐えるには、「魂」という存在を信じるしかない。
確かに「肉体」は単なるロボットかもしれないが、そこに宿っている「意識」の本体である「魂」という永遠不滅の何かが、絶対にあるんだと信じる事で、精神を安定させ、恐怖を取り除く事ができるからだ。
自爆テロを行うような人間の思考と、基本的に同じなのだよw
「洗脳」というのは、自分の遺伝子を後世に残すというもっとも最優先されるべきプログラムの「方針」を、無理やり捻じ曲げ、改変する事なのだ。
主人に忠義を尽くして死ぬ、誰かを守るために自分を犠牲にするというのも、この「改変」が働いたか、さもなくば何らかの不具合やおかしな計算処理によって、自分より主人や守りたい誰かの遺伝子を残す方が、自分の遺伝子を残すより良いという計算結果が出てしまったためなのである。
ちなみに親が子を命がけで守るのは、これとはまた異なる。
なぜなら自分の「子供」というのは、自分の遺伝子を継ぐものであり、どうがんばっても自分の方が先に寿命などで死ぬのは、普通に考えれば確定であり、故に自分の遺伝子を守るより、自分の遺伝子を継ぐものを守る方が優先順位が高くなるのは当然だからである。
カマリキのオスは交尾後にメスに食われるのが分かっていても、逃げたり抵抗しないのも、サケが産卵のために全体力を消費して川を上るのも、全てはこの「自分の遺伝子を後世に残す」というのが、全生命が最も優先すべき唯一の目標である事の証拠でもある。
すべての生命のすべての行動は、これが原理になっているのである。
人間は知能が高く、いかにその目標を達成するのに最適な行動をするかの計算処理プログラムが非常に複雑かつ精密であるために、あたかも「意識」や「自由意志」などというものがあるかのように見えるだけなのだ。
人間より何倍も、何百倍も高い知能を持つ生命が居たら、恐らく人間には「自由意志」や「意識」などない、魂など宿ってない単なるロボット、人間から見たダンゴ虫のごとく見える事だろう。
これが「魂」を信じたくなる理屈なのだ。
トランプ大統領が、北朝鮮への譲歩の一環として米韓軍事演習の中止を示唆しはじめた事について、ずいぶんと焦ってる人達が居るのにお気づきだろうか?
日本人以外の、それも敵国と言っても良い国の工作員が多数入り込み、乗っ取られてると見られる日本のマスゴミの報道姿勢からそれは見て取れる。
米朝首脳会談前は、米韓軍事演習なんて北朝鮮を脅すような行為は控えるべきだと、北朝鮮寄りな論調が多数あったのを覚えているだろう。
しかし、実際に米韓軍事演習が中止となったら、今度は「なんで止めるんだ、それは北朝鮮が本当に合意を守るかどうか分からない状況では、良策とは言えない」との論調になった。
これは別にマスゴミの目が覚めて、北朝鮮から自国寄りになったからではない。
日本国内に居る、いわゆる朝鮮民族というのは、2種類居る。
すなわち、北朝鮮人と韓国人だ。
つまり、米韓軍事演習の中止はもうひとつの朝鮮民族である「韓国人」にとって、とてもまずい事だからだ。
韓国という国は、朝鮮戦争で負ける寸前までいった「弱い」国である。
負けそうになったところを、朝鮮半島が共産圏になるのを恐れた米国が介入し、「米軍」の力で北朝鮮軍を押し返し、中国国境付近まで追い詰め、それに対して中国やロシアが今度は介入を行って、今の38度線という半島のちょうど真ん中辺りまで押し戻したところで、「休戦」になったわけだ。
つまり、韓国は口では米軍出て行けと、日本の沖縄のような事をやってるが、いざ本当に米国の後ろ盾が無くなったら、あっという間に北朝鮮によって滅ぼされてしまう事を理解しているのだ。
まぁ今の韓国の大統領はそれでもかまわない、むしろそれを望んでいるのだろうが、そうじゃない国民や権力者や金持ちも韓国内には大勢居るって事だ。
それが日本のマスゴミが米韓軍事演習を中止すべきと論じておきながら、いざそれが実現しそうになると、あわてて今中止するのは得策ではないなどと、手のひら返しを行っている理由だ。
まったくもって、呆れてものを言えないw
これは日本国内の(自称)平和団体などの左翼連中にも言える。
もっとも、お仲間なのだから当然なのだが。
戦争反対、自衛隊なくせは、日本の為に言ってるのではなく、日本以外の国のために行っているのだ。
以前も述べたように、憲法9条の守っている「平和」というのは、「日本国の平和」ではなく「日本国以外の平和」であり、それを死守せよと言ってる事からも分かるだろう。
本当に人類社会から戦争を無くしたい、軍隊や兵器を廃絶したいと思って運動している人ならば、私も大いに賛同する。
しかし日本のそういう団体というのは、日本や日本人に対してしか言わない。
なぜなら、日本を自分たちのご主人様に献上するために、弱体化や無抵抗状態にしたいからだ。
世界には国連などを通じて、世界の全ての国に戦争なんて止めろ、軍隊や兵器を放棄すべきと訴えてるものも存在する。
本当に戦争や軍隊や兵器を無くしたいなら、1国だけでなく、全世界の国が同時にそれをなさなければ、実現しないからだ。
それをせずに特定の国にだけ、武装放棄させようというのは、どこか別の国が、その国を侵略しやすいように工作しているに他ならないからだ。
憲法9条が真に人類に対しての輝かしい効果を発揮するとしたら、それは世界中の全ての国が同じような憲法を採択し、それを実施した時である。
つまり、本当に憲法9条を守りたいのであれば、既に制定している日本にあれこれ文句を言うのではなく、世界中の国にそれと同じようなものを採択するように働きかける運動をするのが、正しい方法なのだ。
日本人も含め、人間の知能というのは、人間自身が思っているほど大差ない。
日本人は賢いとかではなく、どっかの国の工作員や国家の綿密な工作だとしても、所詮は同じ人間の考える事なので、見破られてしまうという事だ。
どこぞの偏差値の高い大学を卒業されたエリート様なのか、情報戦の専門化であらせられるのか知らないが、てめーらが思ってるほど、一般大衆との知力差なんてもんはないのだ。
ましてや日本は世界でも有数の、「教育」の行き届いた国である。
今日の世界の支配者である欧米白人どもでさえ、多くが文盲であった中世時代より、江戸時代の寺子屋などにより圧倒的な識字率を誇った江戸時代を作った国である。
近年になってやっと「義務教育」を始めたような国の連中が考えた、くだらない工作に引っかかると思う方がおかしいだろうw
全人類が真に平和で平等な暮らしができる世界を作りたいのであれば、その運動は世界単位でやらなければならない。
それをせずに特定の国だけターゲットにして、それを押し付けるような運動は、全て敵国による世論操作という工作か、さもなくば大馬鹿のどちらかである。
これは別に中国・ロシア・北朝鮮・韓国だけに言ってるのではない。
EUや米国も含めて、全ての国の「リベラル」とか呼ばれる連中に申し上げているのである。
自分や自分たちの仲間だけが、権力を握ったり金持ちになったりするために行っている偽善運動など、とっくに見抜かれているって事だ。
だから支持されないし、反感を買いまくるのだ。
そしてその反動として、トランプ大統領が生まれ、EUでは民族主義の極右が政治的な勢力を伸ばしているのだ。
てめーでてめーのクビを締めているのだw
人間だれだって、誰にも指図されない強力な権力や、何でも手に入るような巨万の富を欲するのは当たり前だ。
それはすなわち、「自分と自分の子孫だけが、生き残れば良い」という本能があるからだ。
もし本当に、聖人だの神だのになりたいのであれば、まずはその「本能」を捨てるべきなのだ、無理だろうけどねw
十字架に磔にされて、殺されるような状況になっても、信念を貫き通すべきなのだ。
私はキリスト教徒ではないし、むしろキリスト教は嫌いだが、唯一キリストのその姿勢だけは、尊敬に値すると思っている。
世の中には「偉人」と呼ばれながらも、強大な力の前に、結局は自分の信念を曲げてしまった人は多く居るからだ。
それでも地球は周っていると言った人のようにねw
世界平和だの平等だのを訴えるのであれば、それは国や民族や人種などに関係なく、全ての人に対して言わなければ意味がない。
国や民族や人種などを意識して、特定のそれらに対してだけ行う奴は、結局のところ自らが差別主義者であると言ってるも同じ事なのだ。
なぜなら、人間を「人類」というひとくくりで見れてないって事だからねw
日本のアニメ業界というより、KADOKAWAなど版権元について主に言いたいこと。
今の日本のアニメ業界は、かつての高度経済成長・バブル期と同じ状況だ。
江戸時代の浮世絵のごとく、国内で細々と作っていたものが、実は世界的にとても珍しく貴重なもので、世界に売れまくっている。
いわば世界という巨大な市場を手に入れて、急成長し続けているような状態だ。
昔はアニメといえば、今のように1季節で終わる12~13話とかいうショボイものじゃなくて、24話や48話の半年や1年単位で放映されるのが当たり前だった。
サザエさんやドラえもん、ちびまるこちゃんやクレヨンしんちゃん、あるいはポケモンみたいに数年~数十年もずーっと続く作品などが今現在も残っているのを見れば分かると思う。
ところが、アホなやつ等はこのアニメバブルで、日本のバブル経済期と同じような事をやってる。
とにかく次から次へと新製品を作れば売れる。
品質なんぞ二の次で、とにかく新しいものをどんどん出せという感じだ。
これが日本の企業の質を落とし、バブル崩壊後にどうなったか知らないのだろうか?
本当に、人間というのは歴史から学ばない愚かな生き物だとつくづく感じる。
原作付だろうが、オリジナルだろうが、いくら売れるからといって玉石混在で、とにかく次から次へと新しいものを作れ作れでは、いずれ訪れるであろう市場の飽和、アニメバブルの崩壊や他国が技術的に追いついた時に、どんだけの損害を蒙るか。
内部留保がいくらあろうとも、10年も20年も今の規模の社員を養え続けるのかって話だよ。
絶対に倒産なんてしないし、定年まで働き続けられるなんて会社は、この世に存在しないってバブル期に思い知ったはずだろう?
本当に面白い原作を厳選して、それを予算を掛けて最低でも1年ぐらいは放映するぐらい、しっかりとした作品を作らなければ、いざという時に生き残れないと分からないのだろうか?
12話・13話を低予算で作り続け、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるみたいな、バブル期の日本企業のような事をやっていたら、せっかくのMADE IN JAPANブランドは地に落ちるとまだ分からないのか?
創業100年を超えるような、老舗といわれる企業は、みな「これだけは他社に負けない」というものを必ず1つは持っているし、その伝統をかたくなに守り続けているからこそ、老舗になれたのだ。
あれもこれもと次々と手を出して、どれも中途半端な企業は、たとえ一時的に急成長できたとしても、必ずや崩壊する。
これが「任天堂」と「ソニー」の現状の差なのだよ。
わかるかね?KADOKAWAの経営陣諸君。
てめーんとこの本を買ってもらうために、アニメを利用するも結構だが、ならばアニメ化作品をもっと厳選して、予算と時間を掛けて十分な余裕を持った質の高い長編を作るべきなのだよ。
それが顧客の信頼と信用という、経済状況に関係なく長く商売できる原動力になるのだよ。
だいたい、テレビ放映時のスポンサー料でほとんどのアニメは元が取れてるだろ?
低予算で制作会社をこき使ってるんだし。
そのうえ、ブルーレイでてめーらだけ儲けて、アニメ製作会社や声優にはその分のバックマージンは一切無し。
そりゃ海外へ流れますわ。
そのうち、低品質の海外の製作会社しか請け負ってくれなくなるし、最後はどこも「そんな値段じゃ作れませんねw」「今は海外の大手から、もっと良い値段で依頼が来る時代ですよ、ぷっ」と言われて誰も相手にしてくれなくなるでしょう。
KADOKAWAのアニメは低品質なもんばかりで詰まらないと、誰も見なくなるでしょう。
そうなる事をお望みなら、今の低品質・低予算・短期間作品の乱れ撃ちを続ければ良いw
他のラノベ版権元も同じですよ。
漫画原作で1年とかって単位で、それなりの予算で製作会社と契約して作らせる、ジャンプをかかえる集英社ぐらいの経営戦略をとらないと、少なくともアニメ部門は生き残れませんよ?
ドラゴンボール・ナルト・ブリーチ・銀魂、そしてワンピース。
どれもこれも、1年以上は放映を続けられ、それによって得られ続ける売り上げは、たった12・13話で終わる乱発アニメよりはるかに稼げてるはずです。
原作である漫画はもちろん、関連商品や映画化や人気の継続って意味でもね。
日本は不景気を脱したとは言っても、バブル崩壊の悪夢や、その後に長く続いた不景気の影響で、企業は内部留保という貯金をためこむ事に必死で、成長のための投資や、社員や社会への利益還元を渋る風潮が未だに強い。
それに対して、海外ではバブル期の日本企業並みに儲けをどんどん新たな事業拡大に使いまくる企業が増えている。
アニメ分野においても、日本ではあまり馴染みの無いケーブルテレビやインターネット放送局などが、日本の高いアニメ製作技術に目を付けて、独自作品の製作を依頼するような事も起こり始めている。
いずれは12・13話の低予算ラノベ原作宣伝アニメなんて、どこも作ってくれなくなるだろうし、低予算に甘えている漫画原作アニメだって作られなくなるかも知れない。
原作も版権もすべて海外の企業が持つ作品ばかりになるだろう。
それで一番損をするのは、日本の出版社だということをお忘れなく。