カンヌ映画祭の最優秀賞とかいうのを受賞し、それに対して安倍首相が祝福のコメントを出さなかった事について、叩いてる連中が居ます。
万引きという、違法行為をあたかも政府の政策のまずさで、仕方なくさせられている、俺らは悪くない、国が悪いという典型的な責任転嫁や犯罪を正当化する左翼の思想もそうですが、やはり一番はこういうものを作る連中の「無責任」さに共感できないからだと思います。
日本には、世界にはこんなに貧しい人が居ます、戦争や紛争などでこんなに犠牲になってる子供達が居ます。
国が、世界が悪い。
これが左翼マスゴミ関係がよくやることです。
しかしながら、彼らは「言うだけ」です。
自ら、じゃあどうすべきか「提案」もしなければ、自らの私財を投げ打ってでも助けようと「行動」する事は一切ありません。
だから私はこれら一見すると正しい事や、素晴らしい事を言ってるような連中に共感できないのです。
安倍首相も恐らく同じ考えだと思います。
それが仕事とはいえ、実際に法や政策を作り、実行するのは容易い事ではありません。
大きな責任も伴います。
少なからず、「貧困」の解決を真剣に考え、重い責任を背負って、自らの「命」を削りながら行動している人達にとっては、何もしないでただ文句ばかり言ってるだけ、それでいて偉そうに「賞とりましたwww」とかやってる連中には、反感しか持たないでしょう。
自分たちは安全な場所に居て、戦争をする権力者と同じなんですよね。
自分たちは「万引き」する必要なんて皆無なほど、豊かな財産を持ちながら、「お前らかわいそうな貧民のために、啓蒙活動してやんよwww」と、映画や番組や記事を作るだけ。
自らの私財を投げ打ち、名声以外の財産は一切残らなかった歴史上の「弱者の味方」と言われる「偉人」の一部の人達とは大違いです。
野口英世は、自ら疫病に苦しむ現地に赴き、自らもその病で倒れる危険を犯してまで研究し成果を挙げた。
発見した病原菌は結局は研究していた病気の原因菌ではなかったうえに、自らも志半ばで件の病に倒れてしまった。
しかしそれでもお札になったのは、その姿勢が評価されたからでしょう。
安全な日本の研究室に篭って、結果を残して莫大な財を築き、天寿を全うしたとかだったら、恐らくはお札になるほど評価はされなかったでしょう。
あるいは左翼連中のように、「こんなに危険な病気が蔓延してます。世界の国々はこれについて対応すべき」と口で言ってただけで、自らはそれに対して何もしなかったならば、名すら残らなかったでしょうw
正しい事を言っているはずなのに、なぜか支持されないとしたら、それは「口だけ番長」だからです。
私と同じく、安全な場所から他人を批判する手段としてしか、問題を使ってないからです。
問題を解決するための具体的な方策を考え、自らの私財を投げ打ってまでそれらを実行する。
そういう人が居たら、わざわざわテレビだの新聞だのの記者を引き連れて、大々的にアピールしなくても、人々は共感してくれるはずです。
わかりますかね?野党のみなさんw
夏の風物詩である24時間テレビが、ここ最近支持されなくなってきているのも、同じ理由ですよ。
自分らは一切懐を痛めないうえに、他人からの寄付を集めて慈善団体に流すだけで、まるでてめーの大手柄であるかのように宣伝しかしない。
そんな番組が支持されるわきゃないでしょw
出演者もスタッフも、無給どころか自らも寄付をして作った番組です。
スポンサー料も、最低限の実費だけ差し引いてすべて寄付。
儲けは一切無いどころか、やるだけで大赤字になる番組ですってなら、もう少し支持されたでしょうがねw
私はどちらかと言えば、共産主義者です。
しかし中国や北朝鮮といった、共産主義とは名ばかりの、単なる独裁国家はもちろん、日本共産党も支持しません。
なぜなら、「口だけ番長」だからです。
富の平等分配を歌っていながら、てめーらは豊かな生活をし続けている。
広い一戸建てに住んでる奴も居れば、外車を乗り回してる国会議員の党員も大勢居るのに、よく「共産」を名乗れますねぇと思うからです。
貧困だの戦争だのをなくすためなら、税金が今より高くなろうが、給料が減ろうが、今と同じレベルより遥かに劣る厳しい生活を強いられるようになろうが、かまわない。
そう言える人が、はたしてどんだけ居るんでしょうかね?
そう言える人なら、そもそも他人からねたみや嫉みを買うような生活を、してないでしょうw
日本は言論の自由が保障されている国です。
政府の政策を批判するのは自由です。
しかし、「口だけ番長」では支持は得られないのです。
そこをよーく左翼さん達は考えるべきでしょうという話です。
ここ最近は、どこのチャンネルのニュースを見ても、どこの局のワイドショーでも、これの話題が出ない日は無いどころか、未だにトップで扱われる事が多いです。
たしかに注目すべき事件ではありましたが、これほど長く、しかもどのマスゴミも同じ論調で同じような大きさで連日扱うほどではないです。
モリカケ問題もそうですが、すでに日本のマスゴミというのは、たったひとつの大きな組織に牛耳られていると言って良い状態でしょう。
マスゴミというのは、いま世界的に信用を落としつつあります。
というのも、宗教などと同じく、設立当時の理想や理念などはとっくに失われており、単なる権力集団、既得権益集団に成り下がっているからです。
ただそれでも、たとえばアメリカのマスゴミは、トランプ大統領を叩きまくる勢力もあれば、反対に擁護する勢力がある事でも知られています。
対して、日本のマスゴミで安倍政権を擁護するマスゴミは、ほぼ無いと言っても良い状態です。
産経新聞がよく右よりだと言われますし、テレビ東京は他のNHKも含むテレビ局とは一線を画す方針を貫いた番組作りをしてたりしますが、どちらもマスゴミ界全体、テレビ業界全体からすれば、取るに足らない小さな新聞社・テレビ局にすぎません。
日本という国、日本人というのは、買いかぶりすぎ、中二病的すぎと思われるかも知れませんが、周辺諸国にとっては是非とも手に入れたい国であり民族なのです。
まず日本人というのは、例えば日本人以外の国民・民族に1000円渡して仕事を依頼したら、1000円以下の働きしかしません。
ところが日本人というのは、その性質上、1000円渡して仕事を依頼すると、1500円とか2000円相当の仕事を、何も厳命しなくてもしてくれます。
権力者にとって、これほど魅力的な人材は居ないでしょう。
また、日本人は無宗教とか無神論者といわれるように、宗教的な狂信者が非常に少ないです。
なので特定の思想や価値観を、無下に否定したり拒絶することなく、柔軟な発想ができます。
すでに真っ赤に染まってる布を、真っ青に染めるのは非常に大変ですが、真っ白な布を真っ赤に染めたり真っ青にするのは非常に簡単です。
イスラム教の文化圏に、キリスト教的価値観を浸透させるのはほぼ不可能に近いし、だからこそ十字軍の時代から永遠とアホみたいに争っているわけです。
この争いを、そもそもアホらしいと思えるのが、日本人が真っ白な布である事の証明でもあります。
このように権力者にとって、日本人とは非常に魅力的な「民族」なのです。
日本人が優良人種だと言ってるわけではありません。
たとえば、日本人の無宗教・無神論的な思想が、「過労死」や物事をはっきり言わない姿勢に影響しています。
それは決して良い事ではないですよね?
人間というのは、その知性に比べて精神は他の動物と同等レベルでしかありません。
だからこそ、宗教というものにすがって、一種の自己暗示でその弱い精神を補っているわけです。
これをしない日本人は、強欲になりきれない、自分が絶対的に正しいと自信を持てない、自ら死を選ぶような精神状態に陥りやすい事の原因のひとつなのです。
日本は現在こそ民主主義の自由で平等な国ではありますが、それは他の国と違って民衆による革命などでもたらされたものではありません。
明治維新は一部の武士階級によって、そして戦後の自由民主の国づくりはアメリカに戦争で負けた事による外圧によって作られたものです。
つまり、日本人というのは、悪い言い方をすれば「奴隷根性」が染み付いた民族であり、自らの行動で物事を大きく変革させる事ができないという弱点を持つわけです。
それが良い方向に働けば、今の日本のように世界でも稀な平等で非常に治安の良い国になりますが、悪い方向に働くと、北朝鮮と同等以上の独裁国家になる危険性もあるのです。
ともかくそんな「支配者」にとっては、非常に魅力的な民族の国である日本というのは、ロシアや中国や、あるいは同盟国であるアメリカをはじめとした西側諸国にとっても、是非とも手に入れたい国なのです。
米ソの冷戦時代から、あるいはそれよりもっと前から日本というのはずーっと世界に狙われ続け、異なる勢力がその支配権をめぐってひそかに争っている国でもあるんです。
それゆえに、日本は戦後ドイツのように分割統治されずに済み、漢字をなくしてローマ字にするとか、天皇を廃止するとかいう「民族の尊厳」を奪われずに済んだとも言えます。
わかり易く言えば、西側諸国は政治を、東側諸国はマスメディアをそれぞれ支配し操っているという事です。
ここ最近、政治の分野では自民党の一党独裁にもなりかねない圧勝は、アメリカが中国・ロシアなどの工作に大勝した結果でしょう。
しかしながらマスメディアによる情報操作の戦いでは、アメリカは大敗北を喫し、それゆえに今のマスゴミが反日といわれるほど偏った姿勢一色になったわけです。
この世界は、太古より「生存競争」というゲームをさせられています。
人間は一見するとこの「生存競争」に勝利したかのように見えますが、それは今も続いているわけです。
またこの「生存競争」は、人間対他の生命というだけではありません。
人間同士でも行われるのです。
だからいつまで経っても戦争や紛争、いじめすら無くならないわけです。
もちろん人間種に対抗しうる新たな生命種が誕生すれば、一時的にせよ人間種が結束する事はあるでしょう。
江戸時代までの日本人は、「日本人」という単一民族という認識がまったくなく、現在の都道府県のような地域単位でしか仲間意識が無かったわけですが、欧米という強大な異民族を前にして、はじめてわれわれは「日本人」という仲間なのだと結束したわけです。
同様に、「人間」が「人間種」として日本人だのアメリカ人だのアラブ人だの黒人だの関係なく結束するには、それこそ宇宙人でも攻めてこない限り、あり得ないのですw
しかもこの「結束」というのは、「博愛主義」などという崇高なものではありません。
自分一人が最後まで生き延びるために、より近しい種を仲間として「利用」するだけにすぎません。
仮に宇宙人が攻めてきて、それによって人類史上初めて世界統一がなされたとしても、その宇宙人を攻め滅ぼして、人類が新たに宇宙でも絶対的な「優位」を確立したなら、即座にまた人種間の争いは再開されるでしょうw
この世には絶対的な正義も悪も存在しません。
自分ひとりが、あるいは自分の遺伝子が最後まで生き残るには、どういう方法が最善であるかしかないのです。
それが異なる方法を取ったもの同士には、相手が悪に見えたりするだけの話です。
私は日本人が日本人として生き残るには、中国・ロシアを友とするよりアメリカやヨーロッパ、あるいはアジアを友とした方が良いと考えます。
しかしそれは正解とは限りません。
もしかしたら、中国やロシアの傘下に入って、独裁政治体制の国になった方が生き残れたと悔やむ未来もあるかも知れません。
ただどちらにしろ、自ら考える事を放棄して、簡単に一方の選択をしてしまうのは、それが良い結果であれ悪い結果になるのであれ、「成長」はしません。
だから私は「思考停止」状態の、一種の宗教の教信者のようにも見えるマスゴミをはじめとした「反日」と言われる勢力を嫌うのです。
安倍政権を支持したところで、アメリカに搾取され続ける未来でしか無いかも知れません。
逆にマスゴミ反日勢力を支持して独裁共産国家になった方が、アメリカ資本主義に搾取されるよりは、はるかに搾取額が少なくて済む、貧富の格差が小さくて済むかも知れません。
それでもやはり、私は反日勢力を支持することはできないのです。
あからさまな偏向や捏造しか出来ない頭の悪い勢力に、未来を託すべきでは無いと思うのです。
ムチしか見せず、アメを提示できない勢力には、なびけないという事です。
もっとも、別に誰が支配しようが誰が搾取しようが、別にどーでもいいんですけどね。
人間をはじめとした生命の本体は、不老不死の存在である「魂」と呼ばれるものであり、人の人生なんてものは、暇をもてあました魂の娯楽にすぎないと思っているからです。
王様だの大統領だの、あるいはものすごい富豪の子息だのに転生するのも、金も学もない、犯罪をしなければ生きていけないスラム街や、貧困にあえぐ国の下層に生まれるのも、全ては魂が臨んだ事であると思っているからです。
不思議に思われるでしょうが、例えば甘いものというのは全ての人が好きなわけではないです。
辛いものや苦いもの、すっぱいものが好きな人も居るし、またいくら甘いものが好きでもそればかり食べていては、飽きてしまいます。
同様に、王様だの金持ちだのが好きな人も居れば、無理ゲーのような環境に生まれ、すぐに死んでしまうような人生が好きな魂も居るかもしれないし、いつも恵まれた環境に生まれた人生では飽きてしまう事もあると考えるからです。
霊能力者は宗教家は、魂の修行のためにあえてそういう不遇の元に生まれる事を望むなどとアホな事を言ってますが、不老不死の魂に修行なんてものは不要ですw
単なる暇つぶしであり、娯楽の一種や日々の食事の味のようなものであるという事です。
単に辛いものが好き、あるいはたまには辛いものが食べたい、それだけの話なのです。
なので人類みな平等で、貧富の格差もなく、犯罪を犯す人間が一人も居なくなるなんて理想の世界が本当に実現したら、たぶん人間に生まれ変わる事を望む魂は減ると思いますw
だって詰まらないですからw
某異世界転生ギャクアニメである「このすば!」で、「天国なんて一日中ひなたぼっこするしか無い、詰まらない場所なのよwww」「肉体が無いからえっちぃこともできないしwww」とか言ってましたが、あれはかなり「核心」をついたギャクとは思えない素晴らしい発言だったと私は思っていますw
ともかく、そんな感じですので、日本のマスゴミと、そのご主人様はもう少し、面白く振舞って下さいねって事ですw
ここ最近、ネトゲにも積んであったPCゲームにも飽きて、アニメを見まくっているわけですが。
私は特に異世界ものが実は好きです、中二病なのでw
特にネトゲが題材のものとか大好きですね。
ただSAOは既に何度も見ているし、ログ・ホライズンも同様、ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?やこのすば!も結構何度も見ています。
オーバーロードも3期待ちで、つまり見るものが無くなってしまってですね。
異世界もので検索して、表題のを見始めたのですが、これが酷いw
原作はもうちょっとマシなのか分からないですが、ここまでご都合主義の万能主人公と、意味も無くやたらかわいい女の子が沢山仲間になり、さらにはギャグもこのすばやネトゲ嫁より遥かに劣り、ギャグがメインじゃないオーバーロードにすら劣る。
じゃあ世界設定や物語が面白いかと言えば、SAOやログ・ホライズンの足元にも及ばない。
よくこれで放送したなと、別の意味で感心してしまいました。
もっとも、じゃあお前作れんのかよって言われたら、小説形態だろうがアニメの脚本だろうが、この程度のものすら書けませんがね。
それに別に「つまらない」「駄作」と言ってるわけではなく、それなりに見れなくは無いですけど。
ただこんな凡作をアニメ化する予算があるなら、ノーゲーム・ノーライフやこのすばやネトゲ嫁の続編作ってくれよと思いますね。
SAOやログホラだって、原作のストックは1期分以上は、続編が溜まってるはずです。
ラノベが売れればそれでいい、所詮はラノベを売るための宣伝であり、そもそもアニメなんて作ったって、すぐに違法視聴されて流されるし、儲からないからというのもあるんでしょうがね。
テレビ番組には、今はアニメに限らずスポンサーがつきにくく、またスポンサー料も低くなっていて、ブルーレイが売れないと元が取れないのかもしれません。
しかしながら、だからといってこういう何でもかんでもアニメ化、低予算で詰め込みのものばかり作っていたら、それこそかろうじて世界第一位の実力を持つ日本のアニメも、他の国に抜かれてしまいますよ。
特に日本の近隣には何のためらいもなくパクる国もあるわけで、そこへ低予算の都合で外注してアニメ製作技術をアホみたいに伝授してるわけですから、今の日本のアニメ業界は。
つまりこういう事ばかりやってたら、他の産業と同じく中国や韓国のコピー企業にコピー作品を作られて、日本のアニメは海外で独占状態を保てなくなるだろうって話です。
角川書店はもう少し、アニメやラノベの経営戦略を考え直した方が良いのではないでしょうかね?
目先の利益より、もっと10年先・20年先も日本の「オタク」文化が世界のトップで独占状態であり続けられるように、本当に面白い原作に絞って、昔のように1期で24話とか48話とか設定して、予算も掛けて、しっかりとしたアニメ作りをするべきじゃないでしょうかね?
それができないなら、いっそのことラノベだけ売る本業に専念してくれませんかね?
日本は少子高齢化の影響で、定年がどんどん先に延ばされています。
つまり、今が良ければそれで良いという仕事しかせず、10年後・20年後に会社が無いとか、どっかと合併しないとやっていけないほど落ち目になってしまえば、自分が困るんですよ。
わかりますかね?版権元や広告代理店の社員のみなさん。
かつて隆盛を誇ったファミコン時代のゲーム企業を見てみなさいよ。
未だに規模を維持して、世界的にもトップクラスの業績を出してるのは、任天堂ぐらいじゃないですか。
スクウェアとエニックスは合併し、ナムコもバンダイと合併し、それで何とかやってる、しかもスマホゲーとか低予算のゲームと言えないようなゴミばかり作って。
そうなりたいですか?って話です。
経営者も一般の社員も、もう少し将来を見据えた仕事しませんかね?
日本は世界一、老舗と呼ばれる創業からの年数が長い会社が多い国と言われてます。
日本人によって作られた日本企業であれば、無条件に創業100年も200年も続く老舗になれると思ったら、大間違いですよ。
目先の利益しか追わない、欧米型の経営なんてしてたら、とてもじゃないけど「老舗」になんてなれませんよ。
もうちょっと考えて欲しいという話です。
オーバーロードは原作ラノベの売り上げや、アニメの評価が国内外問わず高い人気の「異世界もの」です。
来期にはアニメ第三期が始まる事も決定しており、その人気はまだ継続中です。
さて、このオーバーロードという作品ですが、一番びっくりしたのは、他の物語だと「悪者」や「魔王」とされる側が主人公であること・・・ではありません。
もちろんそれらも珍しいものではありますが、私が一番「えっ?」と思ったのは、早々にかなり明確な物語の結末への伏線が出ていたからです。
アニメで言うと、第一期第11話ですね。
主人公のアインズが、ギルド倉庫に貴重なアイテムを取りに行く際に、そのギルド倉庫の扉を開ける「合言葉」がそれです。
「斯くて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう」
つまり主人公は世界征服を成し遂げるが、今現在の僕であり仲間でもある「守護者」と言われる面々とは別れる事になると言ってるわけです。
これほど物語の初期の段階で、明確な結末を示した伏線を出すものを、私は今まで見た事がありません。
もちろん、これは何の意味もない、それを設定したプレイヤーが中二病だったとかいうギャクの一環かもしれませんし、あるいはトラップである可能性もありますが。
小説だろうが漫画だろうが、物語の作者というのはそれを連載開始した段階で、すでに結末でま頭の中にあるのが普通です。
それは多くの人気ラノベ作家や漫画家が述べています。
というか結末がなければ、物語なんて書けないって事でしょう。
私は小説家でも漫画家でもありませんが、プログラマっぽい仕事はしていたので、「結末が決まっていなければ、物語は書けない」という理屈は納得できます。
なぜなら、プログラムもそうだからです。
どういうソフトウェアを作りたいのか、どういう機能を実現したいのか、どういう計算結果を求めたいのか、それが決まってなければ、プログラムはそもそも作れませんからねw
なので特段、こんな初期の段階で結末を匂わせるような事が出てきても、不思議ではないのですが、あまりにも露骨すぎないかと驚いたわけですw
各所で行われている読者やアニメ視聴者の考察で、主人公アインズの目的が最終的にこの異世界の世界征服である事は、ほぼ確定だと言われています。
物語の最初期の段階で、飛ばされた異世界の全体像ともいえる、地球のような惑星の形を宇宙から見ているような場面で、主人公がポロッっと「世界征服してみるのも良いかもしれないなw」とか言ったのを、付き従っていた部下の一人が聞いており、それを主人は世界制服を望んでいると解釈して、実行しはじめたというのが読者・視聴者の間の考察では主流ですし、それは作者の意図した通りなのでしょう。
だからその後に、上記のような物語の結末を予感させるような「合言葉」が出てきたと思われます。
世界征服はなされるよと。
ただし主人公は、「こうして主人公は、その仲間とともに、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」では終わらないよと。
「暗きもの」という単語で示されている主人公の仲間たちは、「離れ去る」と書かれていますからね。
それが「離反」なのか、あるいは仲間達だけ元のゲームの世界に帰ってしまうのか、あるいは「暗きもの」じゃない存在になるのか、それは分かりませんが。
主人公は現実世界では親しい友人どころか、親さえすでにこの世には存在しない、非常に孤独な人間であると述べられています。
それがネットゲームを始めた事によって、ネット上の存在かもしれないが、ギルドメンバーという親しい友人達ができたが、それらも「引退」という形で次第に人数が減っていき、最後は主人公一人だけになってしまう。
かつての「友人」達が残した忘れ形見とも言える、主人公の仲間である元NPCの「守護者」と言われるキャラクター達だけが、その孤独感をかろうじて癒してくれる存在であるが、最終的にはそれらも失い、孤独なまま物語を終えるという、とてもハッピーエンドとは言えないような結末になりますと、示唆しているように、私には見えます。
そもそもこの物語の現実は、現代ではなく「近未来」であり、しかもその「近未来」像がかなり悲惨なものです。
なんでも、環境破壊が進んで食糧難になり、現代の世界秩序は崩壊。
その隙をついて台頭した、世界的な複合企業が世界を支配するようになっているらしいです。
つまり現実も仮想世界も、どちらの設定もかなりダークな世界であり、だからこそ主人公も「リッチー」と言われるアンデットの王という、普通の中世ファンタジー風異世界では「悪者」であり「敵」でしかないものになっている。
もちろんゲームでそういうキャラメイクをしたからなのですがw
なので仲間もみな、モンスターやアンデットや悪魔ですw
見た目は人間っぽく描かれてますがね。
人間種をゴミのように思い、それらを殺そうが拷問しようが食べようがなんとも思わないし、むしろそれが当たり前という価値観であり、かろうじて元人間である主人公も、様々な影響によりそのように振舞うのが原則になっています。
示唆されている結末から見るに、欲して止まなかった「仲間」という「友達」を失う代わりに、「人間性」を取り戻すのか、あるいは「人間」と「友達だけど人間ではない、むしろ人間とは相容れない価値観の存在」のどちらか一方を選択しなければならなくなり、結局は「人間」である事を取ってしまったという風になるんでしょう。
なので私はこの物語は、「結末がどうなるんだろう」ではなく「その結末までどういう道筋を辿るんだろう」というのを楽しむものなんだと思っています。
もっとも物語というのは、作者の立場から言えば「結末までの道筋」をいかに面白く、あるいは誰にも思いつかないものすごい発想で実現するかに全力を尽くすので、ある意味、作者の側から見て物語を楽しむという新しい試みをしているのかも知れません。
つまり通常は
作者─物語─読者
ですが、
作者─物語
読者/
という構図にしたいのではないかと。
物語自体は面白いです。
でもこれが売れまくってる理由は、単に「物語が面白い」からではなく、既存の物語というものの定義に従わない、壊すような実験的な革新的な事をやっていて、それがウケたのだと思いますね。
主人公は世界征服を成す。
しかし仲間とは全員別れる。
それはどういう「経緯」を辿ってそうなるのか?
それを楽しむ、考察する、見てみたい。
それがこの作品なのではないかと思います。
私は人間が嫌いだ。
人見知りだったりする性格も、それが影響しているのだろう。
人見知りだから人間嫌いなのか、人間嫌いだから人見知りなのか、分からんけどw
私は人間嫌いの一方で、非常に動物が大好きだ。
犬や猫など身近に居る動物は特に好きだ。
インターネットでエロ動画の次によく見るのは、犬猫動画でもあるw
特に犬や猫に好かれる特殊な体質や特技を持っているわけでもない。
逆に犬に噛まれたとか、猫に引っ掻かれたと事もない。
なぜ人間嫌いで、人間以外の動物が好きかと言えば、理由は簡単だ。
動物は正直で純粋だからである。
敵意を持たなければ、相手も敵意を向けてこない。
好意を持てば、相手も好意を持って接してくれる。
初めて出会う犬や猫でも、私はそれらが好きなので、よく好意を持ってなでに行ったりする。
それで拒否られた事はない。
最初は「ん?この人間はなんなのだろう?とりあえず敵意は無いようだから、やらせたいようにやらせておくか」みたいな感じでされるがままに撫で回されてる彼らも、最後はなぜかスリスリしてきたり、尻尾ブンブン振っておなか見せてきたりする。
人間はそうではない。
こちらが好意を持っていても、相手が好意を返してくれるとは限らない。
男女の仲はもちろんだが、同性同士でも同じだ。
また人間は、好意的に見えても必ずしも純粋な、何の裏も無い好意であるかは分からない。
こちらが敵意は一切無いというのを示しても、返ってくるのは好意ではない。
それを逆手に取って、利用してやろう、いいように使ってやろうという人間に何度も出会ってきた。
これは大人だけの話ではない。
親戚の子供がかわいくて、好意を持って遊んであげていた時も、「こいつは自分に敵意が無い、怖くない人間だ」で終わらずに、「何しても怒らない奴だwww」と舐める糞ガキにも出会った事がある。
もちろん純粋に、「このお兄ちゃん好き」と接してくれた子も居るけどねw
だからロリコンでも3次元には興味ない。
2次元こそ至高だと言う人に、大いに賛同しているw
2次元と動物というのは似ている。
なぜなら、どちらも純粋である点だ。
下心も野心も野望も、一切無い。
敵意や悪意すらも、純粋なものだ。
それゆえに、理解しやすいし、回避したり改善するもの容易い。
自分は前世というものがあったなら、以前は「人間」ではなかったんだろうなぁと思う事があるw
そのぐらい、人間の複雑で理解不能な言動に嫌悪感や恐怖感を覚える。
仲良くしましょうと好意的に接すると、威圧的に来られる事がある。
こっちが下手に出てりゃ調子に乗りやがってみたいな、そういう言葉があるのは、人間の本質をよくあらわしていると思う。
動物は基本的に「敵か味方か」しか考えない。
人間のように、「こいつは俺より強いか弱いか、上か下か」を考えない。
もちろん群れで暮らす動物にも、上下関係は存在するし、単独行動の動物でも「縄張り」を守るために強い弱いを気にする事はある。
が、基本的に群れや縄張りなどに関係なければ、「敵か味方か」以上の判断はしない。
だからこちらが好意を持って接すれば、相手も好意でしか返してこないのだ。
私が人間の一番嫌いなところは、このすぐ「自分より上か下か」を判断する所だ。
これは自分自身にもそういう所があるのを、大いに理解している。
相手によって態度が威圧的になったり、あるいは逆に下手になってヘタレたりヘコヘコしてしまったり。
そういうのを嫌っていても、人間の本性というか本能で、他人を見たらまず「こいつは自分より上か下か」を気にしてしまう、そういうのがたまらなく嫌で仕方ない。
自分より上か下かなどと一切考えた事も無く、本当に純粋に対等な立場で、対等な精神状態で本音で語り合えた人間というのは、今までの人生の中で、片手で数えられるほどしか居ない。
だから私は会社員など組織の中で働くのが、続かないのだと思っている。
最終的にニートだ。
人とあまり関わらないで済む、たとえば小説家とか、そういう個人事業主であれば、今でもまともに働いていられたかも知れないが、残念ながらそんな才能も無いし、努力する気も起きなかった。
動物園の飼育員でもよかったかも知れない。
動物が好きな人や、動物に好かれる人ってのは、比較的純粋で、良い人が多いからだ。
そういう人間や動物とだけ接していれば良い職業であれば、あるいは勤め上げられたのかも知れないが、それに気づくのが遅すぎたようだw
私は人類が滅亡しても、悲しみはしないだろう。
むしろ人間以外の全ての地球上の生命にとっては、その方が良いとすら思える。
自らの身体能力を向上させたり、環境に適応させるのではなく、「知能」というもので全て解決するという方法を取った人類の、その能力の代償ともいえるものだと思う。
私は来世は純粋な好意か敵意以外を向けられる事は無い、犬や猫になりたいw